差し入れ



 翌日。アリシアはワンピースから動きやすい作業用の服に着替え、長い髪は一つにまとめて結い上に大きな帽子をかぶった状態でミハイルの元へ行った。



「本当にやるんですね?」


「もちろんです」


「…もう何も言いません」



 ミハイルは、もう諦めたといった様子でアリシアにスコップを手渡した。


 駆除の手順としては、まずミントを片っ端から摘み取り、ドライミントを作る。それから土の中に残った根を掘り返すといった感じだ。

 摘み取るのにも時間がかかるのだから、そのまま掘り返しても良いが、そうするとミントが土まみれになり洗うのに手間がかかる。



「じゃあ、始めましょうか。ミハイルさん」



 途方もない量のミント。本当は丸一日かけて作業をしたいところだが、既に昼時を過ぎて午後。アリシアは明るい時間帯に帰らねばならないし、ミハイルだってこれにばかり時間を割けない。1日の作業は3時間ほどが限界だろう。2、3日は見ておかなければ。


 ミントを数本紐でくくって干し、それから地面にスコップを突っこんで掘り返す。何度も繰り返し、全体の3分の1ほどが終わったところで、その日は帰る時間になってしまった。



 次の日も同じようにして終わり、またその次の日からは二日続けて雨が降り作業は中止になった。


 二日間の作業で人手が必要だと確信したアリシアは、その中止になった日のうちに、多少気まずいながらもノアに手伝ってもらえないだろうかと申し出た。


 するとノアは、少し呆れたように肩をすくめて笑った。



「城へ行くのに呼ばれなくなったと思っていたら、お一人で行ってらしたんですね」


「だってノア、怒ってたから」


「まさか、怒ってなどおりません。少し呆れはしましたけど。

お嬢様の、変人の域とまで言っても過言ではないほどのハーブへの執着は、今に始まったことではありませんから」


「変人の域…?」


「わたくしこそ、先日は訳の分からぬことを言って申し訳ありませんでした。わたくしで良ければ、お手伝いさせてください」



 少しつっこみたいところはあるが、どうやら手伝ってくれる気になったようなので、追及するのは止めておいた。


 かくして、みごと快晴となった翌日に、人手が増えた状態で作業を再開させることができた。


 ノアはどのような仕事でもそつなくこなす女だ。ミント駆除の作業も、手順を教えればすぐにできるようになった。



 結果、その日のうちに、辺りいっぱいに蔓延っていたペパーミントは、ほとんど姿を消した。


 引き抜いたミントを全て干したところで、ミハイルがお茶を運んできた。



「お二人とも、お疲れ様です。本当に助かりました」



 お茶はミントのハーブティーだった。さすがに摘んだばかりのものではなく、保存してあったものを使ったらしい。


 ノアは遠慮していたが、疲労のためかミントの爽やかな香りに抗えず、ティーカップに口を付けた。



「とても美味しいです。さっぱりしていて」


「でしょ?ミハイルさんが淹れるお茶はいつも美味しいの!

ミントは疲労回復効果もあるし、なんだか気分がスッキリするわよね」



 ミントには疲労回復効果の他にも、集中力がアップしたり、リラックスできたりするといった効果もある。



(疲労回復にリラックス、か)



 アリシアはペパーミントの効能を思い出しながら、ふとある人物が頭に浮かんだ。


 膨大な量の執務により、婚約者に会う時間もないほど多忙な男。優秀な人間だとは聞くが、その分疲れが溜まっているのではなかろうか。



「ねえ、ミハイルさん…」



 アリシアは少しばかり迷ったあげく、口を開いた。



「イルヴィス殿下のお茶係は、どこにいるのかしら」







 「お茶係」という役職は、この国の王宮には存在しない。アリシアはミハイルに案内されながらそんな説明を受けた。


 ならば誰がお茶を準備しているのかというと、副メイド長というメイドの中でも上の地位にいる女性の仕事なのだという。



「ここが給湯室です。恐らくちょうどお茶の用意をしている時間ではないかと思うのですが…」



 ミハイルは戸を数回ノックしてから開けた。中には、40代ぐらいの、落ち着いた雰囲気を醸すメイドがいた。



「あの、ご機嫌よう」



 アリシアが様子をうかがうように声をかけると、彼女は振り返り、目に驚きの色を浮かべた。



「貴女様は確か…」


「リアンノーズ家のご令嬢で第一王子の婚約者、アリシア様です。

アリシア様、彼女がこの王宮の副メイド長です」



 名乗る前に、ミハイルが互いを手早く紹介した。



(何か…いかにもベテランって感じ)



 その厳しそうな目付きと、苦労を重ねてきた証であろう眉間のシワ。それでも顔立ちは割と整っていて、若い頃はさぞかし美しい娘だったのだろうと想像される。


 副メイド長の方はアリシアのことを知っていたようで、深く頭を下げた。



「お初にお目にかかります、アリシア様」


「初めまして。あの、副メイド長さん。お茶の準備はもう終わってしまいましたか?」


「…?いえ、今始めようとしたところでございますが…」




 挨拶もそこそこに尋ねると、副メイド長は訝しげな顔で見返してきた。アリシアはそれに気づかないふりをしてさらに聞く。



「茶葉はいつも何を?」


「茶葉ですか?…ええと」



 副メイド長は部屋の奥にある大きな戸棚を開けた。その中には、何種類もの茶葉や茶道具がしまわれている。



「普段はこのダージリンティーをお淹れしております」



 見せてきたのは、ラベルが貼られた瓶に入った茶葉。蓋を開けると豊かな香りが鼻腔をくすぐる。さすがに上等な物だ。



「なるほど。ところで、普段イルヴィス様にハーブティーをお淹れすることはありませんか?」


「ハーブティー、でございますか?」



 副メイド長は、すぐに首を振った。



「ありません。ハーブティーというのは薬の類いでございましょう?あまり味が良いものではございませんから……もしや、ハーブティーをお出ししたいという話でございましょうか?」



 そう、実はハーブティーというものはそういう認識が強い。前世では味を楽しむことも一般的だったが、この世界では薬として飲まれることしかないと言って良い。



(私やミハイルさんみたいに、ハーブに慣れ親しんでいる人にとっては『美味しいもの』っていうイメージも強いんだけど)



 アリシアは少し考える。イルヴィスに出す紅茶の代わりに、ペパーミントのハーブティーを出してはどうかと提案するつもりで来たのだが、普段ハーブティーを飲まない人には飲みにくいかもしれない。


 楽しいティータイムに薬を出されたとなっては不愉快だろう。



「あっ、じゃあブレンドティーはどうかしら」



 ふと思いつく。ハーブだけをお湯で抽出するのではなく、いつも飲んでいるというダージリンティーとドライミントをブレンドするのだ。


 それなら、味はいつものものと近く飲みやすいし、ミントの爽やかさがプラスされる。きっとミントの効能も十分と言えずとも、感じることはできるのではないか。



「ブレンド…どのような味がするのでございましょう?」



 興味を持ってもらえたらしい。アリシアはにっこり微笑んだ。



「口で説明するより飲んでもらえると分かりやすいのですが…茶道具をお借りしても?」


「構いません」



 副メイド長は答えてから、ポットとカップ、ティースプーンや砂時計といった、紅茶を淹れるのに必要な道具一式を用意した。


 茶葉は同じダージリンでも、王子に出しているものよりいくらか質の劣る、練習用のものを渡された。



「アリシア様。ドライミントはこれでよろしいですか?」



 ミハイルが小ぶりな瓶に入ったドライミントを手渡す。

 アリシアは頷いてそれを受け取り、一人分計った茶葉に一つまみ加えた。


 お湯が沸騰してきたので、少量をカップとポットに入れて温める。それからお湯を捨て、ドライミントを混ぜた茶葉を入れてお湯を勢いよく注いだ。



「そんなに勢いよく注いで、中身がこぼれませんか?」



 副メイド長は少し眉をひそめる。



「茶葉がポットの中でしっかり舞うようにした方が美味しく淹れることができるんです。同じ理由で、お湯はしっかり沸騰したものを使います。

あ、沸騰したお湯を使う理由は、その温度の方が紅茶の成分が出るから、というのもありますが」



 アリシアはポットに蓋をし、砂時計をひっくり返しながは答えた。抽出時間は普通のダージリンティーと同じで良い。


 砂時計の中身が落ちきったのを確認して、アリシアはカップにお茶を入れる。1杯分の量だが、ミハイルにも味見をしてもらおうと、少量ずつ2つのカップに分け入れた。



「すみません。いただきます」



 アリシアはカップを受け取った2人の反応を少し緊張しながら見る。


 副メイド長は恐る恐る匂いをかぎ、ゆっくり口をつけた。すると、彼女の目がじわりと開き、驚いたようにアリシアの方を向いた。



「とても──おいしゅうございます」



 アリシアはその言葉を聞いて胸を撫で下ろす。彼女の口に合わなければ、イルヴィスにミントのハーブティーを飲んでもらいたいという計画が完全にダメになるところだった。



「僕も美味しいと思います。風味はずいぶんと違う印象ですが、ダージリンの味自体はしっかり残っている」



 ミハイルもあごを軽く撫でながらうなずいた。



「イルヴィス王子はお茶にこだわる方ではないでしょうが、たまには少し違ったものを出しても、確かに喜ばれるのでは?」



 彼は今度は副メイド長に向けて言った。


 よく知らないが、ミハイルは王宮仕えの中では上の地位にいるのだろうか。副メイド長はミハイルに言われたことで、渋々ながらといった感じで目を伏せた。



「殿下がお気に召すかは分かりませんので、普通のものも用意いたします。それで良いなら、ミントのブレンドティー、お出ししましょう」



 アリシアはパッと目を輝かせた。



「ありがとうございます!えっと、淹れ方なのですが…」


「アリシア様、もしよろしければこの紅茶、アリシア様ご自身でお淹れしてみてはどうでしょうか」


「……え?」



 副メイド長は、厳しそうな目付きを和らげた。



「わたくしは茶の専門知識があるわけではございません。実際、先ほどアリシア様のおっしゃっていたようなことは存じ上げませんでした。

それに、アリシア様の淹れたブレンドティーは、本当に美味でございました。わたくしが淹れたのではそうはいかないでしょう」


「でもわたし…」


「ご希望であれば、アリシア様が淹れたものだということは、殿下にお伝えしません」



 淹れ方を伝えるだけで終わるはずが、思っていなかった展開になった。

 それでも…



(そんな風に言ってくれるってことは、副メイド長さん、わたしが淹れたお茶、気に入ってくれたのよね)



 認めてもらえたことは、素直に嬉しい。


 アリシアはしばらく逡巡しゅんじゅんした末、意を決して彼女に告げた。




「分かりました、ペパーミントのブレンドティー、ぜひ淹れさせてください」


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