自覚した想い 後編


 キラキラと目を輝かせ期待する姉に、アリシアは答えに詰まる。今彼の名を出されると、ニーナからの手紙が頭にちらついてしまうのだ。



「そう、ですね。とても優しくて、意外とよく笑う方かな……。全然冷たくはないです」


「うんうん」


「お忙しい中ほぼ毎日、一緒に過ごす時間としてのティータイムを設けてくださっています。その時間をきっと大切にしてくれているんだろうなというのはとてもよく伝わってきますね。わたしが淹れたハーブティーも美味しいと言ってくれますし」


「なるほどねぇ。きっと公務で忙しい中、アリシアちゃんと過ごす時間は癒しなんでしょうね」


「……さあ、それはどうなんでしょう」



 アリシアの口から、少し暗い声がこぼれる。口に出すつもりはなかったのだが、気付けば言葉にしてしまっていた。


 当然、それを見たレミリアは「え?」と首をかしげる。



「違うの?」


「わかりません。彼はいずれ結婚することになるわたしとの関係は良好なものにしておいた方が得策だと判断した。だからわたしと過ごす時間を大切にして、優しく接してくれているだけなのかも……って、ちょっと思ったりもするんです」





 それに、優しい表情を浮かべるのはわたしに対してだけというわけでもないですし。アリシアは曇った表情のままそう続けた。


 すると、今まで適度に相づちを打っていたレミリアは、突然ホットミルクのカップをトレイに戻してアリシアの背中を叩いた。



「アリシアちゃん、それはもしかしてあなたが今日ずっと暗い顔をしていた原因と何か関係がある話なんじゃない?お姉様に詳しく話してみなさい」


「えっ?暗い顔?」


「何よ無自覚だったの?」



 無自覚だった。

 もしかして、今日ずっと心配させていたのだろうか。

 ごめんなさい。一言そう謝ってアリシアはカップをギュッと持つ。手が温まると気持ちも少し落ち着く。



「実は今日ちょっと色々あって……気付いてしまったんです」



 ニーナから送られた手紙を読んでから、今までのことを思い返したりして、ゆっくりと考えた。そして、結論らしきものが出た。



「わたし、彼が──イルヴィス殿下のことが、好きみたいなんです」



 改めて口にしてみると、その結論は正しいとしか思えない。



「今までも、彼のことは人として好きでした。だけど、それだけじゃなくて……」


「恋を、していた?」



 姉の問いかけに、コクリと小さく、けれど確かにうなずく。



「彼といる時間をあんなに楽しく感じるのも、彼がくれた物があんなに大切なのも、彼の好きなものを知りたいと思うのも、わたしに向けられる気持ちがどうしようもなく気になってしまうのも……今考えたら、全部好きだったからなんだろうなって」



 少女漫画が大好きだった前世から、恋愛というものに漠然と憧れてはいた。だが、アリシアにとってそれはあくまでフィクションの世界だった。



「人を好きになると、こんなドロドロした気分を抱えることになるだなんて、知らなかった」


「ドロドロ?」


「はい……。殿下は、この国のディアナ王女と昔から親しいようなんです。でもわたし、二人が親しくしているのを見るだけでこう、胸の辺りが重苦しい感じになってきて……」



 ディアナはずっと昔からイルヴィスのことを想っていたのだ。後から横取りしたかのような状態の自分が、彼女に対してそのような醜い嫉妬心を抱くなど何様のつもりだろう。


 そう呟いたアリシアは、うつむいてふうっとゆっくり息を吐く。すると──



「ふふ、あははは」


「姉様?」



 レミリアが、それはそれは愉快そうに笑いだした。




「ふふふ。何となく話はわかったわ。ディアナ王女のことはもちろんあたしも知っているわ。いかにも"可愛い"って感じのお方よね」


「はい……」


「そう。王女はイルヴィス様のことが、アリシアちゃんと婚約する前から好きだったのね。で、アリシアちゃんは王女に嫉妬すると同時に罪悪感も覚えていて、今は色んな感情がグルグルしてる……って感じなのかしら?」


「あっ、はい。まさにそんな感じです」


「あああいいな、若いわぁ」



 そう言ってレミリアはまたクスクス笑う。


 その後、にわかに真剣な眼差しになり、その目をアリシアに向けた。



「アリシアちゃん……甘いわ」


「あまい……?」


「あのね、好きな人が自分以外の人と親しくしていて嫉妬しちゃうのは当たり前!あと相手が誰であろうと罪悪感を覚える必要はなし!」


「……!」


「というか王女がイルヴィス様のことをどれだけ好きだろうと、彼の婚約者は正真正銘アリシアちゃんでしょ?たとえアリシアちゃんに彼への気持ちがなかったとしても、『わたしの婚約者にベタベタしないで』って牽制して良いぐらいなのよ?」



 まあ他国の王女様にそんなことを言えるかと聞かれれば別かもしれないけど。強い言い方をしてしまったと思ったのか、レミリアは少し落ち着いた声で付け足し、アリシアの頭を優しく撫でた。




「まあでもそうね。一つアドバイスすると……恋敵のことはもう存在自体無視しちゃいなさい。それぐらいの気持ちで良いんじゃないかなってあたしは思うの」


「無視、ですか?」


「アリシアちゃんのモヤモヤドロドロした嫌な感情は、恋敵ディアナ王女がいて、彼女のことを考えるから芽生えてしまったものでしょ?ただただ好きな人のことを想う気持ちは、温かくて心地よいものだもの」


「温かい……」


「そりゃ苦しい気分になるときだってあるし、相手が自分と同じ気持ちじゃないと寂しいし辛いかもしれない。だけどそれ以上に幸せな気分になれるの」



 そうかもしれない。目を伏せ、微笑を浮かべるレミリアを見てアリシアは思う。


 前世で大好きだった少女漫画でも、今世で大好きなロマンス小説でも、恋をしている女の子たちは皆幸せそうだ。だから、自分は恋愛に憧れていた。


 嫉妬心のような、嫌な感情のことに気を取られていたから、暗い気持ちになってしまっていたのか。


 アリシアはカップを置いて姉の前に立つ。



「ありがとうございます姉様」


「顔、少し明るくなったわね」


「はい。でも、やっぱりディアナ王女のことを考えないというのは難しいかもしれません」



 どこか弱気な言葉とは裏腹に、アリシアの声は力強い。



「わたし、彼女に殿下を取られたくありません。無意識に考えないようにしていましたけど、もし殿下がディアナ王女の方がわたしなどより妃に相応しいと思いでもしたら……。やっぱり絶対に嫌です」


「ふふ、そりゃ嫌でしょうね。……まあでもそんなことはない気がするけど」



 レミリアはそう笑うが、『アリシアが婚約破棄された世界』ではディアナが彼の妃となる。その事実を知った以上、ないとも言いきれないと思う。



「だからわたし、殿下のところへ戻ったら、絶対に気持ちを伝えます」


「ええ。それが良いと思うわ」



 妹がそう言い出すことを予想していたかのように、レミリアはゆっくりうなずく。


 それからアリシアに向かって優しく微笑んだ。



「小さかった妹がいつの間にか成長していたのね」


「姉様……」


「あなたとは歳が少し離れていることもあって、いつまでも子どもだっていう気がしてたんだけどなぁ……恋バナが聞ける日が来るなんてね。感慨深いものがあるわ」



 そういう言い方をされてしまうと、照れくさいような恥ずかしいような、ムズムズした気分になる。



「ああもう、だめだわ。結構遅くなってくるのに、楽しすぎて目が冴えちゃった……全く眠れそうにないもの!エド様に怒られちゃいそう」



 レミリアは部屋の時計を見て、少し焦ったように言う。



「そうだアリシアちゃん、台所に置いてある睡眠薬取ってきてくれない?」


「ええっ、睡眠薬!?良くないですよ!お腹の子のこともありますし、そうでなくてもよっぽどのことでもない限り眠るのに薬を頼るなんて……!」



 妹に怒られたレミリアは、「ええ……」と上目遣いで見上げてくる。



「実はこの家に来たばかりの頃、突然実家から遠く離れたっていう不安で眠れないことがあってね……そのころに何度か使ったお薬が残ってるのを今日見つけちゃって……」


「残しておいても仕方ないから飲んじゃおうって思ったわけですか?」


「……ええ」


「もうっ、そんなものいらないなら捨てちゃえば良いじゃないですか!大事な時期なんですからもっと自分の体に気をつけてください」



 アリシアははあっとため息をついて、二つのカップが載ったトレイを持つ。



「とりあえずその睡眠薬は回収しておきます。眠れない時はラベンダーの香りやカモミールティーをオススメしたいところですけど、どちらも妊娠中はよくないですね。ホットミルクのお代りか、ローズヒップティーでも淹れてきます。姉様は先に横になっていてください」


「そうね、じゃあお願い」



 アリシアはランプを一つ持って暗い廊下へ出る。途中クラム公爵の幽霊の話を思い出してビクビクしながら台所へ行き、薬を回収する。そしてローズヒップティーを淹れ、やっとのことで部屋へ戻ってきた。


 しかし、「眠れない」と言っていたはずのレミリアは、すでに気持ちよさそうに寝息をたてていたのだった。



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