訪問


「……ニーナさん、大丈夫かしら」



 自宅謹慎をくらって一週間が過ぎようとしている。

 外の情報がアリシアのもとにほとんど届かず、ニーナに関しても数日前に目を覚ましたということ以外知らない。


 もう何度読んだかわからない小説をパラパラとめくり、何度目かわからないため息をついた。


 ノアはアリシアの無実を信じているようだが、当の本人は自分の無実を信用しきれずにいた。意識のないままに、ニーナに毒を盛り、命を脅かすようなことをしたのではないか。


 曖昧な記憶ではあるが、あの漫画での“アリシア”がした嫌がらせは、一歩間違えたら主人公ニーナが命を失ってしまっていてもおかしくないものばかりだったはずだ。覚えていないだけで、実はアリシアがニーナに毒入りのお茶を差し出す場面があったのではないか。


 物語の強制力。意識的に頭から消していたその言葉が嫌でも浮かぶ。



(だとしたら、今後待っているのは断罪、それから……婚約破棄かしら)



 アリシアはいつか見た夢を思い出す。


 あの夢はニーナの首を締めようとしたところで終わっていたが、その後すぐに、イルヴィス本人から婚約破棄を言い渡されるはずだ。


 そして、「心の病をかかえており、療養のため」という名目で、国の外れへと追い出されるのだ。



(そこで暮らすことになったら、ノアは付いてきてくれるのかしらね)



 見知らぬ土地に行くのは心細いだろうから、せめて信頼する彼女と一緒にいたいという気持ちはあるが、強要はできない。


 それより、今のうちに持っていきたい物をまとめておいた方が良いだろうか。たくさんの物は持っていけないにしても、大事な物はなるべく持っていきたい。


 アリシアは手近にあったノートのページを破り、持っていきたい物をリストアップし始めた。



(小説……は重いから2冊まで。それから使い慣れたティーセットは持っていきたいわね)



 サラサラとペンを走らせると、あっという間に紙が埋まっていく。



(あとはハーブティーの効能と美味しいブレンドをまとめたノート。イルヴィス殿下が気に入られたハーブとか全部メモしてあるもの、無くせないわ。あ、殿下から頂いた髪飾りも──)



 ごく自然にそう考え、書き出してから凍りついた。


 イルヴィスの好みが記してあるから大切なノートと、イルヴィスにもらったから特別な髪飾り。


 ここから追放されることは、イルヴィスから婚約破棄を言い渡されたということなのに、追放された先に彼との思い出を持っていこうとしている。



(馬鹿……)



 不思議と胸の辺りがキュッと痛んだ。


 最初“アリシア”という人間が、第一王子から婚約破棄を言い渡される運命だったと思い出した時、それが嫌だったのは大好きな家族に迷惑をかけたり悲しませることをしたくなかったからだった。


 だが、今はそれとは全く違う感情もある。



(どうして……? わたし、殿下の隣にいられなくなることが、嫌でたまらない)



 冷酷だというのは噂ばかりで、本当は心優しい温かな人。アリシアとのティータイムを大事にしてくれて、淹れたハーブティーはいつも美味しそうに飲んでくれる。


 そんな彼に見放され、隣にいることができなくなる。

 考えただけで胸が苦しくて、歯を食いしばっていなければ涙がこぼれてきそうな気さえした。

 なのに考えるのを止めようとしても、勝手に楽しかった時間が蘇ってくる。



(せっかく仲良くなれたのに……)



 アリシアはふらりふらりと立ち上ると、ベッドへ座り込み、仰向けになった。ぼんやりと天井だけを眺める。



「お嬢様!アリシアお嬢様!」



 しばらくの間そうしていると、不意に部屋の戸が叩かれ、ノアの声がした。その声から察するに、かなり慌てているらしい。


 アリシアは急いで目元を拭い戸を開ける。



「どうしたの……?」


「失礼します!」



 戸を開けるなり、部屋の外へ引っ張りだされた。

 目を白黒させているアリシアを、ノアはじっと全身を観察する。



「服は大丈夫ですが、髪が乱れていますね。直しますからじっとしていてください」


「いったい何事よ!?」



 訳がわからず、髪の毛をいじられながら尋ねるが答えはない。


 無造作に下ろしていた髪をいつものハーフアップに結い上げたところで、ノアは満足気にうなずいた。



「これで良し。お嬢様、今すぐ客間へ」


「だから何があったのよ」


「行けばわかります」



 半ばノアに背中を押されるようにして、アリシアは階段を降りて、一階の客間へ向かった。


 客間の戸は開いており、中の声が少し離れた場所からでも聞こえてくる。アリシアはそっと部屋へ近づき、中の様子をうかがう。


 中では、両親がそろって誰かと談笑している。その相手を確認しようとさらに近づくと、父がアリシアに気がついて声を上げた。



「ああ、アリシア!遅いぞ、お前にお客様だ」



 気づかれたからには出ていかないわけにはいかない。「わたしに……?」と呟いて恐る恐る部屋に入る。


 その「お客様」の姿を確認して、心臓が止まりそうになった。



「殿下……」



 アリシアに気づくと、肩まで伸びたサラリとした金髪を耳にかけ、顔を向けてくる美しい婚約者。さすがに彼のことを見紛うはずがない。


 色々と考えていた直後だけに、どんな顔をしていいのかわからない。


 少しの間、互いに無言で見つめ合う。



 母が何を思ったのか、パチンと手を合わせ、朗らかに言った。



「さあさあ、私たちはお邪魔にならないよう退散しますから、ゆっくりしてくださいね〜。ほら行きますよ、旦那様!」


「そうだな。アリシア、くれぐれも殿下に失礼のないようにな……今さらな気もするが」



 どういう意味だ、と言い返す間もなく両親は客間を出て行ってしまった。



 残されたアリシアはどうしたら良いのかわからず、その場に立ち尽くす。



「アリシア、とりあえず座ったらどうだ?」



 イルヴィスはアリシアの名前を呼ぶと、優しく微笑んだ。その笑顔を見ると、妙な緊張と気まずさが一気に和らぐ。



「失礼します」



 先ほどまで母が座っていた席にゆっくり腰を下ろす。

 向かいでイルヴィスはアリシアの顔をじっと見つめると、少し眉をひそめた。



「数日会わないうちに少しやつれたか?」


「そんなことは……」



 ない、と言おうとしたが、心当たりがあったので口を濁す。


 静かに息を吐き出し、気持ちを鎮めてから言った。



「……ご用件をお聞きしても?」


「貴女に会いたくなってな」


「っ……嘘はいいです」


「あながち嘘でもないのだが……まあいい。本題、だな」



 イルヴィスは指を組んで、アリシアの目をまっすぐ見た。

 その鋭い光の宿る青い瞳に見つめられると、色々なことを見透かされているような気分になる。



「例のメイドが、貴女に毒を盛られて危うく死にかけたのだと言い張っているのは知っているか?」


「いえ……ただ、予想はしていました」


「今までにもさんざん嫌がらせを受けていたのだとも言っている」



 嫌がらせなどした覚えはない。だが、これがきっと物語の強制力。


 だとしたら、イルヴィスがここに来た理由は、アリシアがニーナに嫌がらせをした証拠を見つけるためだろうか。


 アリシアはグッと唇を噛み、次の言葉を待つ。


 しかしイルヴィスが言ったのは、少しばかり予想外なことだった。



「何故あのメイドがそのような嘘をつくのか、ミハイルと貴女の侍女が色々と探ってくれているらしい」



 アリシアの口から、思わず「え……」という声がもれる。



「嘘?」


「貴女に毒を盛られたというのも嫌がらせを受けたというのも、誰がどう考えても嘘だとわかる。しかしながら、私もそうだが特にミハイルは、どうして聡明なあのメイドがそのような露見しやすい嘘をついたのかが引っかかるようでな」


「ちょ、ちょっと待ってください」



 当たり前のようにアリシアの無実を前提に話され、続けようとするイルヴィスを思わず止めた。


 彼は話の腰を折られて、少し戸惑ったように首をかしげる。



「どうした?」


「えっと……殿下は、わたしがニーナさんに毒を盛ったのだと疑っていないのですか?」


「……少しも疑っていないが?」


「では何故、わたしを自宅謹慎にしたんですか?」


「あのメイドが倒れたことは事実だから、事実がわかるまで貴女の淹れるものを飲むのをやめろと周りがうるさくてな。いい機会だから貴女には少し休んでもらおうと……というか、最初にそう説明しなかったか?あと謹慎という言い方をした覚えもない」


「聞いてない!……はず……です……たぶん」



 だんだん自信がなくなってきた。言われてみればそんなことを言われたような気がしてきた。



「そもそも貴女が、人に害をなすための道具にハーブティーを使うはずがないだろう」


「あ……」



 最初からイルヴィスはアリシアを信じていたのだ。


 それがものすごく嬉しくて、アリシアの目には勝手に涙が浮かんできた。



「っ……わたし、ずっと殿下はわたしを疑ってるんじゃないかって不安だった……」


「アリシア……」


「せっかく仲良くなれたのに、嫌われてるかもしれないって」


「嫌うはずがない。何があっても」



 イルヴィスの声は真剣だった。それからおもむろに立ち上がり、アリシアの横に回り込んでしゃがんだ。


 そして、その白く細い指でアリシアの涙をそっと拭った。少しひんやりしていて気持ちいい。



「アリシア、手を」


「手?」



 彼は、涙を拭った方と逆の手を差し出しながら言う。アリシアは深く考えず、言われるがまま手を置いた。


 イルヴィスはその手の甲に、そっと口づけをした。



「私は何があっても貴女を嫌わない。永遠に貴女の味方だと誓う」



 何が起こったのか理解できず、アリシアはしばらく呆然とした。


 だが、口づけられた手の甲を見てハッとした。



(え……今)



 顔の温度が一気に上昇してきた。


 ドキドキと心臓が激しく打つ。


 以前、第二王子ロベルトに同じようなことをされたときには少しも感じなかった感情が襲ってくる。


 イルヴィスは何事もなかったかのように、再び席に戻った。



「で、殿下……あの」


「ロベルトなら挨拶くらいの気分でやりそうだが、私はそうじゃないからな。……一応断っておく」


「!」



 ますます頬が熱くなるアリシアと対照的に、イルヴィスの顔色は変わらない。


 それが何だか悔しくて、アリシアはそっと自分の頬を押さえてため息をつく。



「それで…、何の話をしていたのだったか……ああそうだ、これを」



 イルヴィスは数枚の紙を取り出し、アリシアに渡した。



「今朝、ミハイルが調べてわかったことをこの紙にまとめて渡してきた」


「ミハイルさん、色々と調べてくれたんですね」


「貴女の侍女も協力していたようだ。後で礼をいっておくといい」


「ノアまで……」



 二人とも通常の仕事で忙しいはずなのに申し訳ない。



「書かれている内容を簡潔に言うと、どうやらあのメイドはローラン公爵家と繋がりがあるらしい」


「ローラン家……ということは、サラ様?」



 頭にあの日の夜会が蘇る。アリシアに飲み物をかけてきたり、暗い部屋に閉じ込めてきたサラ。


 彼女はイルヴィスの婚約者というアリシアの立場を妬んでいた。

 イルヴィスにはっきり突き放され、諦めたという話だったが、その後どうしているのかはわからない。



「あのメイドは、ほぼ毎日のようにローラン家の人間に会っていた。サラ令嬢本人だけでなく、公爵も娘が王妃になることを強く望んでいるようであったし、あのメイドを利用して貴女を陥れようとしているのは間違いなさそうだ」


「ニーナさんはローラン家にお金で雇われているということですか?」


「いや。メイドが金を受け取っている様子はないらしい。それに、彼女の立場で私の婚約者を陥れるような真似、どのような処分を受けても文句を言えない。金をもらったぐらいでそんな危険なことをするだろうか」


「……それなら」


「何か、危険を冒してでもやる価値のある対価を示されたのかもしれない、というのがミハイルの見解だ」


「対価」



 アリシアは、何か引っかかるものを覚えて、必死に記憶を探る。

 そしてその正体に思い至り、あっと声を上げる。



「わたし、その『対価』に心当たりがあります!」


「何?」


「殿下、前にわたしと一緒に街を歩いたことがありましたよね。あの日の帰りに立ち寄った孤児院の跡を覚えていますか?」



 イルヴィスは少し考えてから思い出したように「ああ」とうなずいた。



「あそこの孤児院の元経営者が今どこにいるのか知りませんか?」


「資料を探せばわかると思うが」


「わかったら教えてもらえませんか?わたしも自分で少し調べてみたいんです」



 イルヴィスはアリシア不思議そうに見ながらも、すぐに微笑んだ。



「わかった。いつもの調子が戻った感じだな、アリシア。では、私はそろそろ城に戻る」



 そう言って立ち上がるイルヴィスの席に、紅茶が手を付けられないまま置いてあるのに気がついた。


 アリシアの視線に気づいたイルヴィスは、少し照れたような表情を浮かべた。



「最近、貴女の淹れたハーブティーで舌が肥えたせいか、他の者が淹れた茶を物足りなく感じるんだ」


「っ……!」


「早くまた、貴女が淹れるハーブティーが飲みたい。楽しみにしている」



 アリシアは目を大きく見開き、何度もうなずいた。



「は、はい!もちろんです」



 イルヴィスを見送ってから、アリシアは手をつけられず残ったティーカップをしばらく見つめた。


 まだ紅茶を見ると、あの時を思い出す。だが──



 アリシアは深く息を吐き、カップの中身を一気に飲み干した。




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