あの日の記憶 Ⅱ
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4年前。当時16のイルヴィスは、時間を見つけては忍んで街を見て回るのが日課だった。
学園での面白みのない授業や面倒な人間関係に飽き飽きしており、隙を見てこっそり抜け出していたのだ。
街の活気ある姿を見るのは楽しいし、城に籠って教育を受けているだけではわからなかった色々なものが見えてくる。
……とはいえ、こうもしょっちゅう街へ出ていたのでは、初めは新鮮に感じていたものもさすがに見慣れてくるものである。だから新しい景色を求め、その日はたまたまいつもの大通りから一本外れた道に入ってみた。
だが特に何か面白いものがあるというわけでもなく、引き返そうかと思い始めたときだった。
視界の端に、申し訳なさそうにたたずむ看板が映った。
【Cafe:Lily】
このような人通りの少ない場所にカフェがあるのは少々意外だ。ちょうど喉も渇いているし、休んでいくのも悪くない。
重たそうな戸を押すと、カランカランと小気味良いベルの音が響いた。
店内には10席少しの席があり、客はまばらに座っている。立地条件の良いとは言えない場所で、混雑するような時間帯でもないのに客が入っているところをみると、きちんと常連客がついているのだろう。
そのうちの一席にいた二人組の女性のうち、一人がドアのベルに反応して振り返り、笑顔を見せた。
「いらっしゃいませ〜。お好きな席へどうぞ〜」
とりあえず紅茶を一杯だけ注文すると、その女性は立ち上がり、カウンターの奥へ消えていく。残されたもう一人の女は新しく来た客を気にする様子もなく、テーブルの上に並べられたものを真剣な表情で眺めていた。
並べられているのはいくつものティーポットだった。
イルヴィスは何となく、彼女のいるテーブルの隣のテーブルに着いた。
真剣にティーポットを眺める彼女は、近くで見るとまだ13か14くらいの少女だった。
ティーポットに入った紅茶をカップに移し、ちょっと首をかしげると、また別のポットに茶葉を入れ抽出を始めた。
この少女は客ではないのだろうか。迷った末に、イルヴィスは少女に話しかけた。
「君はこの店の店員なのか?どうして先ほどからいくつも紅茶を淹れているんだ?」
突然声を掛けられた少女はビクリと肩を震わせ、イルヴィスの方を向いた。
パッチリと開いた丸い瞳に薄い桃色の唇。無造作にまとめられた髪は、緑と青が混ざったような少し珍しい色をしている。
学園でイルヴィスに媚びを売ってくるようなそこらの令嬢よりずっと美しい容姿である。
「ハーブティーを淹れているんです」
少女は戸惑った様子ながらも、落ち着いた声で答えた。
「ハーブティー……風邪をひいたときなんかに飲まされる薬か」
王宮医に処方されて何度か飲んだことがある。茶というわりには香りが強く、飲みにくかった印象だ。
少女はそれを聞いて少し残念そうに言った。
「うーん、やっぱりお薬という扱いなんですね」
「違うのか?」
「まあ、それも間違いじゃないですけど……ハーブティーって本当はすっごく美味しいんです」
「美味しい……?」
「はい!だから、このお店でもメニューに加えてもらえないかとリリーさんに交渉しているところだったんです」
彼女は目をらんらんと輝かせながら力説する。
だが、ハーブティーが美味しいというのにも、薬がカフェのメニューになるというのにも、今一つピンとこない。
「紅茶の茶葉とブレンドしてみたり、万人受けする味をこうやって研究してるんですけど……あ、お兄さんも飲んでみますか?」
「いや、私は……」
少女はイルヴィスの答えなど聞く素振りを見せず、琥珀色の液体をカップに移し、イルヴィスの前に置く。
それから何故かそのまま隣に座った。
「このお店の紅茶にラベンダーをブレンドしてみたんです」
期待の色に染まった丸い瞳に見つめられ、何としても飲まねばならなくなったことを悟る。
正直気は進まないが、恐る恐る匂いをかいでみる。
ふわりと、甘いようでどこか爽やかな、心休まる香りがした。飲んだことのあるハーブティーに比べれば、香りはかなり優しい。
「ん、意外に飲みやすい」
一口飲むと、自然とそんな感想が出てきた。
それを聞いた少女は嬉しそうにうなずき、ずいっと顔を近づけてきた。お茶と同じ香りが、彼女自身からもふんわりとする。
「でしょ?ラベンダーの強い香りが苦手な人でも飲みやすいように紅茶を多めにして、蜂蜜で味を整えたの。それでいてラベンダーの香りを楽しんでもらえないと意味がないから、その辺の調整が……」
「ア〜リ〜ア〜さ〜ん」
得意気に解説していた少女を、先ほどの店員と思しき女性が遮った。
彼女はイルヴィスが注文した紅茶をテーブルに置くと、少女のことをコンと小突いた。
「ダメですよ〜新しいお客さん驚かせたら。二度と来てもらえなかったらアリアさんのせいですからね〜」
「ご、ごめんなさい」
「それと、お時間大丈夫なんですか〜?」
「あっ、いけない!もう帰らなくちゃ。リリーさん、また明日っ!」
「はーい、お気を付けて」
少女はバタバタと手荷物をまとめると、慌ただしく店を出ていってしまった。
リリーと呼ばれたこの女性店員は、ニコニコしながら手を振り、テーブルに残ったままのティーポットを片付け始めた。
「……あの少女はいったい何者だ?」
イルヴィスはあ然として言った。
大人しそうな雰囲気すらあった少女が、ハーブティーのことになったら驚くほど饒舌になった。
「ああ、ごめんなさいね。あの方はアリアさんといって、去年ぐらいからほぼ毎日通ってくる常連さんです〜」
リリーは手を休めないまま、にこやかに答える。
「最初は普通にお茶を飲んだりお菓子を食べたりしていたんですけど、ある時、この紅茶の淹れ方を教えてくれって言われまして〜」
「店の者にそれを聞くのか……何と言うか……」
天然なのか、肝が据わっているのか。
「あとはハーブティーの淹れ方なんかも知らないか聞かれましたね〜。自分が育てたハーブを持ってくるからハーブティーにして欲しいって」
……肝が据わっているのを通り越して、図々しくはないだろうか。
「でもまあ、今まで飲んだ紅茶の中で一番美味しかったから、なんて言われたら悪い気はしませんでしたし〜。OKしてしまいまして〜」
「したのか……」
「はい!教えたら彼女、すぐに上達してしまいまして〜。あたしよりも上手く淹れるようになっちゃいました〜。ちょっと悔しい」
リリーはそう言いつつも、どこか楽しそうだ。
「今はうちの店のメニューにハーブティーを加えようと一生懸命ですね。何でも、ハーブティーは美味しいものだということを世間に広めたいんだそうです〜」
「聞いておきたいんだが、ハーブティーというのはカフェのメニューにあるようなものなのか?」
「ないですね〜。少なくともこの国では一般的ではないです。あたしもお薬だと思ってましたし」
「やはりそうなのか」
「でも、アリアさんがブレンドしたハーブティーは美味しいので、本当にメニューに加えても良いかもな、なんて最近は思ってます」
「彼女の交渉は成功したということか」
「そうですね〜。でも、もっと美味しいものができそうなので、アリアさんには黙っておいて研究を続けてもらうことにします」
イルヴィスはそう思いながら、少し冷めてきた紅茶をすすった。なるほど、確かに美味しい。
その日は、帰った後もアリアという少女のことが何故か頭から離れなかった。
そして──
気付けばイルヴィスは、翌日もCafe:Lilyにいた。
あの少女のことが気になっているわけではなく、単にこの店の雰囲気と紅茶の味が気に入ったからだ。そう自分に言い聞かせながら、その翌日も、またその翌日もと通うようになった。
アリアはほとんど毎日店に来ており、声をかければ毎度ハーブティーの試作品を振舞ってくれた。
そうこうしているうちに、次第に彼女とも打ち解けていき、何でもない話を気軽にし合える仲になった。
「イルさん、今日はペパーミントをたくさん摘んできたの!フレッシュハーブティーにするから一緒に飲みましょう!」
名を聞かれて咄嗟に名乗った「イル」という名を親しげに呼ばれるのは嬉しかった。
だがそれより嬉しかったのは、淹れてもらったハーブティーを「美味しい」と褒めると、アリアが幸せそうに笑ってくれることだ。
アリアは、イルヴィスが苦手意識を持っていた、ハーブのみを使ったハーブティーも好んでいた。そのため、彼女をガッカリさせないよう人知れず味に慣れる努力をしたりもした。
一日のうち僅かな時間しか会っていないし、そもそも店に行けない日もあった。だが、アリアといるその少しの時間は楽しく、心安らぐものだった。
そんな中、一つアリアに関して気になることがあった。
彼女は服装こそ粗末でいかにも庶民らしいものを身に付けているが、ちょっとした仕草などにどこか気品があり、育ちの良さを感じさせる。
そう思っていたものの、まさか王室の主催する園遊会で彼女を見かけることになったのは予想外だった。
いつもより美しく着飾られてはいたが、あの珍しい髪色とパッチリとした瞳は、紛うことなくアリアだった。
驚いたイルヴィスが従者に尋ねると、彼女はリアンノーズ伯爵家の三女、アリシア・リアンノーズであると聞かされた。
人のことは言えないが、本名が「アリシア」なら「アリア」というのはだいぶ安易な偽名を使ったものだ。
話しかけるべきなのだろうか。迷ったが、結局そうはしなかった。
今彼女に話しかけたら、あのカフェで紡いできた関係性が壊れてしまうと思ったからだ。
だから正体を知った後も、そのことは言わず、あくまで可能はアリアであるとして接し続けた。
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