カフェ



 いつもより少し身軽な服に身をつつみ、よく目立つターコイズブルーの髪は無造作にひとまとめ。


 平民らしく見えるよう気を使ったファッションで、アリシアは賑わう街を歩いていた。



 今日は久々に、誰にも告げずにそっと屋敷から抜け出してきた。家の誰かに言えば、こんな格好で出かけることはできないからだ。



(それにしても、あの人と会うのも久しぶりだわ。元気にしていれば良いけど)



 大通りから一本外れた道の奥に、アリシアの目的地はあった。



 Cafe:Lily



 木製の板に、分かりづらい文字で店名だけ書かれた看板。それだけが、この場所がカフェであることを示すものだった。


 そんな外観からも想像できるだろうが、特別人気のある店ではない。それでも雰囲気は落ち着いているし、紅茶やお茶菓子は一級品の味で、常連客は多い。



 カフェの戸を開けると、カランカランというどこか心地よいベルの音が鳴る。

 混雑する時間帯を避けたこともあり、店内に客はほとんどいなかった。



 ベルの音により客が来たことに気がついた店の女性が、アリシアを見て驚いた顔をした。



「わあ!じゃないですか」



 アリシアのことを「アリアさん」と呼んだその女性は、へにゃっとした笑みを浮かべる。



 アリシアよりいくつか年上で、柔らかそうな髪の毛を後ろでまとめた、タレ目の女性。全体的にふんわりとした印象がある。



「アリアさんってば、最近全然来ないから寂しかったんですよ?」


「ごめんなさいリリーさん。ちょっと色々とあって」



 彼女の名前はリリー。両親から受け継いだ、自分と同じ名を持つこのカフェのオーナーだ。


 そして、ハーブティーや紅茶のことを教えてくれた、いわばおアリシアの師でもある。



「そうでしたかー。あ、『アリシア様』は王子様と結婚したんですもんね〜おめでとうございます!」


「ええっと、正確には婚約が決まっただけで、結婚はまだです。あと、わたしはアリアですので、わたしにお祝いの言葉を言っても意味ないですよ」


「はいは〜い。分かってまーす」



 普段リリーはアリシアのことを、お忍び用の名前である「アリア」と呼ぶが、何故か正体にも気付いている。


 アリシアとしては、ずっと平民らしく見えるよう振舞ってきたはずなのに、このふんわりしたオーナーに気付かれたとあって、多少複雑な気持ちではあった。



「まあまあ、そんな所に突っ立っていないで座ってくださいな〜」


「ありがとうございます」



 アリシアは窓際にある席に腰を下ろす。


 ふと窓に目を向けると、外に置いてある植木鉢に、見覚えのある白くて小さい花が咲いているのが見えた。


 王宮の庭園で見かけ、エルダーフラワーの存在を思い出させてくれたあの花だ。ミハイルに何という花なのか尋ねようと思い忘れていたのだった。



 せっかくなので、ちょうどカウンターの中で何かを物色しているリリーに聞いてみると、彼女は手を休めないまま答えた。



「あー…スイートアリッサムですね〜。甘い良い香りがしますけど、残念ながら観賞用です〜食べちゃダメですよ〜」


「別に食べられることを期待したわけじゃないけど…」



 思わず苦笑いする。


 どうしてだか、アリシアは食いしん坊認定されているらしい。



「それにしてもリリーさんの知識の豊富さはやっぱりすごいですよね。植物にお茶、コーヒーやお菓子なんかにも詳しいもの」


「そんなことないですよ〜。日々勉強です〜。それに、ハーブについてはアリアさんの方が詳しいですしね。お、あったあった」



 リリーは目的の物を発見したらしく、瓶を片手に、アリシアが座る席へやってきた。



「面白いお茶を手に入れたんです〜。これはアリアさんに教えないとと思って」



 テーブルに置かれた瓶の中には、緑っぽくて丸い、茶葉のようには見えない物体がいくつか入っている。



「確かに変な茶葉ですね」


「ふふ、面白いのはここからなんですよ〜」



 そう言ったリリーは、透明度の高いガラスポットに謎の丸い茶葉を一つ入れると、お湯を注いで蓋を閉じた。



「絶対に驚きますから、見ていてくださいね」



 アリシアは素直に従い、じっとポットの中を見る。


 ぷかりと浮いている丸い茶葉に、すぐにはこれといった変化はなかった。


 しかし、しばらく見ていると、ゆっくりと茶葉がふくらみ始めた。いや、ふくらんでいるというより、開いてきていると言った方が正しいだろうか。


 さらに──



「何…これ」



 開いてきた茶葉の中から、元の地味な色とは似つかわしくない、鮮やかなオレンジ色の花が姿を現した。



「花が、咲いたわ」



 中に入っていた花は、そのオレンジ色の花だけではなかった。ポットの中でゆっくりと沈みながらいくつかの白や桃色の花が出現する。



「これは工芸茶こうげいちゃというもので、お花を茶葉で包んで糸で止めてあるそうですよ」


「すごい…」



 魔法のようなものを目の当たりにして呆気にとられてしまい、気の利いた感想が出てこない。


 本当にポットの中で花が咲き誇っているようだ。



「綺麗でしょう〜?綺麗ですけどちゃんとお茶なんですよ〜」



 リリーは嬉嬉としてポットの中身をカップに注ぐ。


 なるほど、確かに紅茶の香りがふわりと香り、色も優しい琥珀色になっている。



「どうぞ召し上がれ」


「いただきます」



 味は少し甘みがある、慣れ親しんだ紅茶の味だ。


 ほぅっと自然に息がこぼれる。



「飲み終わったあとの茶葉は、水に浮かべておくと可愛らしく飾れますよ〜」


「へえ、素敵…!」


「工芸茶って、少しアリアさんっぽいですよね」


「えっ、どこが」



 工芸茶の美しさに恍惚としていたところにそんなことを言われ、つい眉をひそめる。


 リリーはそんなアリシアの様子にへにゃりと笑った。



「だってアリアさんも、高貴で華やかな本当のお姿をこうやって隠してますから」


「……何のことでしょう」


「うふふ」



 華やかなはずの伯爵令嬢が、こうして平民のふりをして街を歩いていることを揶揄しているのだろう。


 本当に、いったいどこで彼女にアリシアの正体がバレたのだろうか。


 アリシアはこっそりため息をつくしかなかった。



「そんなことよりリリーさん。こんな不思議なお茶、どこで手に入れたんですか?」



 あからさまに話をそらしたが、リリーは気にすることなく答える。



「輸入市です。海辺で月2回開催されている」


「え、知らないわ」


「つい最近始まりましたからね〜。ちょうど今日やってますから覗いてみたらどうですか?」



 魅力的な提案だ。こんなに珍しくて面白いものがあるのなら、他にも良いものが見つかるかもしれない。



「行ってみたいです!」


「ぜひぜひ〜!人が多いのでそれだけ気を付けてくださいね」



 店内にぼちぼちと客の姿が見受けられるようになってきたため、アリシアはそっと席を立つ。

 お代はいらないと言われたが、工芸茶は恐らくなかなかの値が張るものであろうと思い、色々と教えてくれた授業代も含めて幾らか置いてCafe:Lilyを後にした。







「おおー」



 リリーに教えられた通り海沿いへ行くと、輸入市は多くの人で賑わっていた。この活気ある風景は見ているだけでも楽しい。


 大きく息を吸い込むと、優しい潮の香りが鼻腔をくすぐる。



「うわ、こんなお菓子初めて見たわ!こっちは何かしら…」



 街にも輸入品を扱う店はあるが、品数が桁違いだ。


 独特な香りのする珍しい焼き菓子や、異国情緒あふれる洋服の数々。この国にはない不思議な色をした宝石のアクセサリーや小物。


 アリシアには見るもの全てが目新しく映る。


 試しに焼き菓子を一つ買って食べてみると、スパイスの刺激が舌を突く。刺激的ではあるが、癖になりそうな味だ。



(これは、楽しいわね…)



 中にはドライハーブを売っている店もあった。


 いつも行く店では少量で高い輸入品のハーブも、ここではずいぶんと安い。


 そしてふとその隣の店に目をやると、見覚えのある工芸茶が売られている。



(イルヴィス殿下に喜ばれるかも。いくつか買っておこう)



 想像した通り、値段はそこそこする。リリーにちゃんとお金を払っておいて良かった。


 自分用にもたくさん欲しかったが、手持ちがそう多くはない。他に欲しい物があったときのためを思って、買うのは5つだけにしておいた。



(ハーブは安いし珍しい物はあるし、最高!)



 そうやってほくほくと軽い足取りで歩いていると、誰かの肩が強くぶつかった。


 リリーが忠告していたが、確かに人が多い。



 なるべく人にぶつからないよう気をつけよう。そう思った瞬間、アリシアの背後から数人の子ども達が駆け抜けて行った。



「わー、待て待てー!」


「きゃはは!早く早く!」



 こんな人混みの中を走って大丈夫だろうか。注意しようかと口を開きかけた時──



「ま、待ってよ〜…うわっ!」



 遅れてきたらしい子どもが一人、後ろからアリシアにドンとぶつかった。


 子どもの体重なので軽いものではあるが、いかんせん勢いが強かった。



「わ、わ…」



 足がよろめき、そのままつまずいて転びそうになる。体勢をなおそうと試みるが、上手くいかない。


 衝撃に備えて思わず目を閉じる。


 しかし衝撃は来なかった。その代わりに誰かにストンと受け止められたような感覚があった。



「おっと危ない」



 アリシアを受け止めた誰かの声。そう低くはないが凛として威厳のある……どこかで聞いたことのあるような声である。



(ええっと…まさか)



 先ほどアリシアにぶつかってきた子どもが慌てたように謝罪している。



「ごめんなさいっ!」


「人の多い場所で走っては危ない。気を付けなさい」



 子どもが返事をして、今度は歩いて去っていった。


 それを見てアリシアは、とりあえずフッと息を吐いた。



「あの、ありがとうございます」



 意を決して、受け止めてくれた人の顔を見る。



「イルヴィス殿下…」



 その人──グランリア王国第一王子イルヴィスは、薄く微笑んだ。


 そして、右手の人差し指をアリシアの唇にそっと当てる。



「気にするな。だが、ここで『イルヴィス殿下』はやめろ、アリシア」





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