協力要請 前編


「……暇だわ」



 アリシアがそう呟いて天井を仰いだ。


 テーブルの上には、始めて早々に諦めたらしい、布をセットした刺繍枠が転がっている。


 ピアノやバイオリンなんかは、昔は出来ていたが今はからっきし。自分の主はとことん普通の令嬢らしいことが苦手らしい。ノアは苦笑いしながら思う。



「刺繍がダメなら、編み物に挑戦してみますか?ああ、でも暑いのでレース編みが良いですかね」


「……遠慮しておくわ。上手くできる未来が見えないもの」


「では本でもお読みになります?」


「もう昨日までにさんざん読んだわよ」



 アリシアはテーブルに突っ伏し、足をバタバタと動かした。ノアはその様子に、胸の辺りがキュッと痛む。



 アリシアは今、屋敷で謹慎状態にある。

 数日前、王宮で働くとあるメイドにハーブティーを振舞ったところ、そのメイドは中毒症状を起こして倒れたらしい。何やら毒が盛られていたとのことで、あろうことかアリシアが疑われているというのだ。


 ノアにはどういう経緯でアリシアがそのメイドにハーブティーを淹れることになったのかはわからない。だが、アリシアがそんなことをするはずがない。


 何故あの時自分が付き添っていなかったのか。悔しくて仕方がない。



 今回、事実が明らかになるまでアリシアに謹慎するよう命じたのは、彼女の婚約者であるイルヴィスだった。


 ふざけるな、とノアは思った。イルヴィスはアリシアがあのメイドに毒を飲ませたと本気で考えているのか。しかし、アリシアの侍女に過ぎないノアが、第一王子にそのようなことが言えるわけもない。


 さらに不思議だったのは、アリシアが黙ってその謹慎を受け入れたことだ。

 自分はそんなことをしていないとハッキリ言えば良いのに。もどかしくてならない。


 それから、ノアにはもう一つ気がかりなことがあった。



「お嬢様。少し休憩なさいませんか?」



 ノアはテーブルにカップを置く。


 自分の目の前に置かれるカップを見たアリシアは、一瞬ビクリとした。



「安心してください。冷たいチョコレートラテです」


「ああ……」



 カップに入った液体の色を見て、ノアの言葉が事実だとわかったらしい。アリシアはゆっくりとした動作でカップを持ち上げ、一口だけ飲んだ。



「甘いわね」


「チョコレートですから」



 ノアに向かって返す微笑みが弱々しい。

 アリシアは今、誰が淹れたものかに関わらず、紅茶やハーブティーが飲めない。


 どうやら、自分の手で淹れたハーブティーを飲んだ人間が目の前で倒れたことが、トラウマになっているらしい。


 ハーブティーのことが大好きで自信があっただけに、あの出来事は相当ショックだったに違いない。



「お嬢様。お嬢様は何もしていないでしょう?」



 ノアは、気だるげに頬杖をつくアリシアに問いかける。


 当たり前だ、という答えを期待していたのに、アリシアは疲れたように笑った。



「そうね。したという自覚はないわ」


「それはそうでしょう。やっていないのですから」


「でも、あの状況でわたし以外がニーナさんのティーカップに毒を盛るなんてこと、できないわ」


「何を……」


「本当にわたしはやっていないのかしらね」



 虚ろな目をしながら発せられたその言葉は、ノアに言っているというより、自分自身に問いかけているように聞こえた。


 何を言っているのだろう。ノアは混乱した。


 まるで、自覚はなくとも自分が犯人だと思い込んでいるかのようだ。



「お嬢様。お言葉ですが、あの状況でお嬢様がやっていないのなら、例のメイドの自作自演を疑うべきなのでは?」


「自作自演?どうして彼女がそんなことをするのよ」


「それは……お嬢様を陥れるためとか」



 少し返答に困る。



 そうなのだ。ニーナが自ら毒を飲んで倒れたなら──ノアはそうだと確信しているが──動機は何だろう。



 アリシアを陥れたとして、果たしてニーナに何の得があるのだろうか。むしろリスクが高すぎやしないか。


 死にはしないとはいえ、ニーナは二日ほど目を覚まさなかったというし、貴族の令嬢を陥れるようなことをして、露見したらただでは済まない。



「彼女はヒロインなのよ。そんなことするはずないわ。わざわざそんなことをしなくたってハッピーエンドが待っているんだし」



 アリシアがポツリと独りごちた。



女主人公ヒロイン?ハッピーエンド?)



 断片的にしか聞き取れなかったが、突然ロマンス小説の話でもはじめたのだろうか。



 何にせよ、アリシアが精神的に疲れきっているのは間違いない。


 外に出るのが好きなアリシアが、ここ数日ずっと屋敷にこもりっぱなし。心の支えであったハーブティーには恐怖心を抱いてしまう。


 ノアは胸の前でグッと拳を握った。



「お嬢様。わたくしにお任せください」


「え?」


「お嬢様が心からの笑顔でいられる環境をつくる。それが、わたくしの仕事であり、貴女様への恩返しです」



 困惑したようなアリシアに、ノアは力強く微笑みかけた。







「……なるほど。それで僕に白羽の矢が立ったわけですか」



 ノアから話を聞いたミハイルは、考えこむように腕を組んだ。



 静かなカフェの店内。


 アリシアが現在置かれている状況をしっかり理解していて、味方になってくれると確信がもてる。なおかつ適切な助言を与えてくれそうな人物として最初に思いついたのはミハイルだった。


 しかし、彼に会うのには意外と時間を要した。


 考えてみれば、そもそも王宮内に入る許可が下りているアリシアだけ。彼女に付いていなければ、ノアはその門をくぐることが叶わないのだ。


 門番にミハイルとの面会をしつこく求め、会えたのは一時間ほど経ってからだった。


 それでもアリシアのためだと思うと、待っている時間もたいして辛くはなかった。


 現れたミハイルは、ノアの顔を見て少し驚いていたが、その場では何も聞かずこのカフェへ誘った。話したいことの内容を察したのだろう。



「ご迷惑なのは承知です。だけど、屋敷にこもって辛そうにしている今のアリシア様を見ていられないのです。どうか、協力して頂けませんか?」


「……協力、とおっしゃいますが、僕に何かできることがあるのですか?」



 ミハイルは銀縁のメガネを押上げ、重ねて聞いた。



「それから失礼を承知で申し上げますが、ノアさん。そもそも貴女は何故、無条件にアリシア様を信じていらっしゃるのですか?」


「アリシア様がそのようなことをする方ではないからです」


「どうして言い切れるのですか?貴女の知らないところで、アリシア様はニーナのことをひどく恨んでいたかもしれませんよ?」


「まあ、それはないとは言えません。わたくしとて、お嬢様の全てを知っているわけではありませんから」



 ウェイターが紅茶を運んできた。ノアはありがとうございます、と微笑んでから、一口だけ紅茶を飲んだ。


 アリシアが淹れたものの方がずっと美味しい。だがまあ、口の中を潤すだけならば十分だ。


 軽く息をついてから、再び口を開いた。



「アリシアお嬢様は、命を大切にしない人間が、何よりもお嫌いなのです」



 あの日、本気で怒ったアリシアの声と気迫が、鮮明に蘇る。



『貴女は健康な身体に生まれて、飢え死にすることもなく生きている!いったい何が不満なの!?生きることが許される限り、どんなに泥臭くて見苦しい生き方でも、生き続ければ良いじゃない!』



 声を荒らげ、目に涙を溜めながら訴える彼女を、ノアは美しいと思った。



「ミハイルさん、お嬢様は昔からあのように好奇心が強く、笑顔を絶やさない明るい方だった……というわけではないのです」



 ノアは、昔のツンと澄ましながらも、寂しそうでもあるアリシアの姿を思い出し、クスリと笑った。



「それは少し意外ですね。言い方はあれですが、幼い頃からじゃじゃ馬だったのかと」


「むしろ逆です。お淑やかで礼儀作法も完璧。非の打ち所のないご令嬢でした。ただ……滅多に笑わず、常に退屈そうにしていました」


「……想像ができません」


「そうでしょうね。わたくしが初めてお嬢様と出会ったのはもう10年ほど前になりますが、幼い女の子相手に『気難しそうだ』なんて思ったものです。……少しだけ、わたくしの昔話をしても良いですか?」



 ミハイルは何も言わず、自分の分の紅茶に手を付けた。それを肯定だと受け取り、そのまま続けた。



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