二人の姉



 アリシアはリアンノーズ家の三女。つまり、二人の姉がいる。


 姉といっても、二人はアリシアと母親が違う。二人は前妻の娘で、アリシアの母は後妻。姉たちの母は、2番目の姉・レミリアを産む際に亡くなってしまったそうだ。


 前妻の娘と、後妻やその子との関係はドロドロしたものだと思われることも多い。だが、リアンノーズ家の場合には当てはまらない。



「お嬢様。セシリア様がいらっしゃいましたよ」



 早朝から部屋で薬草についての本を読んでいたアリシアは、ノアにそう教えられて顔を上げる。

 それぞれ嫁ぎ、家にいない姉たちが、今日そろって帰ってくるというのは聞いていた。だが、思ったよりも早い。



「いけない。ハーブティーを用意しないと。レミリア姉様はいついらっしゃるかしら?」


「ずいぶんと前に、国境を越えたとの知らせがありましたし、レミリア様もすぐご到着になるかと」


「じゃあお母様も合わせて4人分ね。ノアも手伝って!」


「承知いたしました」



 お湯を沸かすのはノアに任せ、アリシアは茶葉を選びにいく。



(姉様たちには、やっぱりローズかしらね)



 ローズのハーブティーは、とても上品な香りがして、姉たちも気に入っている。その上美肌効果があるのだから、間違いなく喜ぶだろう。



(お菓子はクッキーを用意してくれていたはずね。あ、お湯がそろそろ準備できた頃かしら)



 アリシアはティーポットにローズを人数分入れ、ノアの元へ行く。

 ついでにお菓子とお湯も運ぼうと思ったのだが、やけどをしては困ると断られてしまった。



「セシリア様はテラスでお待ちになっているとのことです」


「分かったわ。セシリア姉様と会うのもずいぶん久しぶりね。レミリア姉様と違って、会おうと思えばいつでも会える場所にいるのに」



 テラスに出ると、椅子で本を開いていた女性が顔を上げた。


 長く伸びた青い髪を背中に垂らし、切れ長の目からのぞく瞳はアリシアより少し色素の薄いライトブルー。

 身につけたドレスは、飾り気はないが質の良さが分かる艶めきがあり、彼女の落ち着きと美しさを強調している。



「アリシア!久方ぶりね」


「ご機嫌よう、セシリア姉様」



 アリシアを見た彼女は、その落ち着いた大人っぽい表情からは想像できないような、無邪気な笑顔を浮かべた。


 リアンノーズ家長女、セシリア。現在はグランリア王国騎士団副団長の妻で、セシリア・マクラインという名だ。

 アリシアより8つ年上で、2児の母でもある。



「アリシア、少しこちらにいらっしゃい」


「……?」



 ティーポットをテーブルに置き、言われた通りに近寄る。すると、セシリアは大きく両手を広げてアリシアを抱きしめた。



「会いたかったわ!可愛い妹」


「姉様……苦しいです」


「だって貴女、全然会いに来てくれないじゃないの。もっと愛でさせなさい」


「愛で……」


「どうせ可愛くない方の妹もすぐ来るんだから、今のうちに独り占めしないと」



 セシリアがそう言ったとほぼ同時に、中からテラスへ通じる戸がガタンと開かれた。



「だ〜れ〜が〜可愛くない方の妹ですって?」


「レミリア姉様!」



 現れたのは、ふんわりした茶色の髪を丁寧にまとめ上げ、海を思わせる爽やかな色彩のドレスを身に纏ったもう一人の姉、レミリアだった。


 レミリアもまた、アリシアの顔を見ると相好をくずした。



「アリシアちゃん!少し見ない間にまた可愛くなったわね!」


「うーん……それは気のせいじゃないですか、姉様。長旅お疲れ様でした」



 リアンノーズ家の次女、レミリア・ハーリッツ。年齢はセシリアの一つ下だが、落ち着きのある大人らしい風貌のセシリアに比べると可愛らしい雰囲気がある。


 レミリアは2年前にグランリアの隣国、ルリーマ王国の子爵家に嫁いだ。彼女の住んでいるところまでは馬車で数日かかるので、簡単には会いに行けない。



「アリシアちゃんを独占しようなんて……全く、姉さんったら大人気ないわね」


「あなたもよく似たものじゃないの、レミリア」


「あたしは!遠いから!なかなか会えないの!あたしが姉さんなら毎日でもアリシアちゃんに会いに来るわよ!」



 レミリアは可愛らしく桃色の頬を膨らませた。

 アリシアが二人を宥めようとした時、アリシアの母がテラスに姿を現した。



「セシリアちゃんもレミリアちゃんもお帰りなさい。元気そうで安心したわ」



 そうやっておっとりと笑う母は、歳よりもかなり若く感じられる容姿で、セシリアやレミリアの姉のようにも見える。

 二人は義母の顔を見るなり、アリシアを見た時と同じように頬を緩ませた。



「ソフィアさん」


「わあ!ソフィアさんもお久しぶりです!」



 二人の義娘の反応に、ソフィアは少し困ったような顔をする。



「貴女たち、相変らず母と呼んでくれないのね」


「え……だってねえ?レミリア」


「ええ。そうよね、姉さん」



 先ほどまで言い合っていたはずが、二人は顔を見合わせうなずき合っている。



「だって、ソフィアさんみたいに、こんなに若くて綺麗な人を母だなんて……」


「そうですわ。何なら姉さんよりも姉のよう」


「レミリア、それはどういう意味かしら?」



 息が合っていたかと思えばまた言い合いを始める二人に、ソフィアは微笑ましそうに目を細めた。



「まあまあ二人とも。アリシアちゃんがハーブティーを淹れてくれるそうだから、一緒に飲みましょう」



 アリシアは苦笑いしてティーポットにお湯を注いだ。


 リアンノーズ家にドロドロした関係は皆無だ。


 母親違いの二人の姉は、少しばかり歳の離れた妹を溺愛し、義母を心から慕っている。


 つまり、アリシア・リアンノーズという人間は、「愛されることが当たり前」な環境で育ったのだ。

 とことん愛され甘やかされ……そんな少女が国の第一王子に嫁ぎ、愛されないことに絶望する。その一方で自分より不幸そうに見えた、身分の低い主人公が幸せそうに恋愛している。


 彼女が狂うのもうなずけるな──と、前世の記憶を持つアリシアは分析する。



「今日はローズティーを用意しました。しばらく蒸らしますので、少しお待ちくださいね」



 お湯を注いだポットから、独特の甘い香りがふんわり漂う。



「そういえば、この前お医者さまにローズのハーブティーを頂いたのだけど、なんだか酸っぱくて……アリシアちゃんが淹れるのは酸っぱくないわよね?」



 ガラスのティーポットをじっと見ていたレミリアが、思い出したように聞いた。



「恐らくそれはローズヒップティーだと思います。ローズの“偽果”という部分を使ってあるんです。それに対して、これは花を使ってあるので、味は全然違います」


「あら、そうなの」


「ローズヒップも肌にとても良いので、オススメですよ。飲みにくいようでしたら、少し蜂蜜を加えてみてください」


「蜂蜜ね。覚えておくわ!ありがとう」



 抽出されたハーブティーを、ティーカップに分け入れると、香りがさらに広がった。


 ティーカップを受け取った面々は、一口飲んでホッと息をつく。ローズのハーブティーは深みがあって優しい味がする。



「こっちのクッキーはノアが用意してくれたんです。ローズティーともよく合うと思いますよ」


「ええ、これも美味しい!……って、いけない、本当の目的を忘れるところだっだわ」



 クッキーを一枚口に入れ、ゆっくり咀嚼した後、セシリアがハッとしたように手を叩いた。



「そうよ、これじゃあ何のために馬車で長旅をしてきたのか分からないじゃない」



 レミリアも姉の反応を見て自分がここに来た理由を思い出したらしい。

 二人はティーカップをテーブルに置き、アリシアに向き直った。



「アリシア。イルヴィス殿下との婚約おめでとう。心から祝福するわ」


「おめでとうアリシアちゃん。大した物じゃないけど、姉さんとあたしから」



 レミリアは立ち上がってアリシアの後ろに回り、首にペンダントをかけた。

 銀に細かい細工が施されていて、一目で上等な品だと分かる。



「え、あの……あくまで婚約が決まっただけですよ?結婚祝いでもないのにこんな上等な……」


「分かっているわ、婚約祝いよ。可愛い妹の結婚祝いに、こんなちゃちなアクセサリー1つなはずないでしょ?」


「いやいや、これ絶対高いですよね!?」


「領地の経済を回したまでよ!」


「そ、そうですか」



 得意げな二人の姉に苦笑いを返し、アリシアはペンダントを眺める。


 シルバーアクセサリーは変色しやすいから手入れに気を使わなければ。



「ありがとうございます。大切にしますね」



 お礼の言葉を口にすると、二人の姉はアリシアに優しく微笑みかけた。



 その後、女4人揃ったこともあり、他愛ない世間話をしながらお茶を楽しんでいた。


 しばらく平和な話が続いていたのだが、突然セシリアによって、アリシアが思わずお茶を吹き出しそうになる話を持ち出された。



「そうそう。旦那から聞いたのだけど、第三王子のデュラン殿下が、平民の女の子を王宮メイドに採用したんですって」



 第三王子、平民出身、王宮メイド。そのキーワードが出てきてしまっては、動揺するなという方が難しい。



(ひ、ヒロイン……!)



 心臓がバクバクと音を鳴らす。持ち上げたティーカップが小刻みに震えており、嫌でも自分の動揺具合が分かる。



「あら、珍しい。平民のくせに、その上気味悪い髪をしてる、って反対する人も多そうなのに」



 王宮に勤め、それも直接王族と関わることのできる場所で働くなどと名誉あることは、それだけで本人や家の株が上がる。王宮メイドなど、中下流貴族の令嬢あたりがこぞってやりたがる。

 もっとも、あわよくば王子の妃にと考える上流貴族の令嬢たちは、メイドよりもっと上の座を狙っているが。



「それが、デュラン殿下はそのメイドをとても気に入ってらっしゃるらしくてね……」


「なるほど、あまり表立って反対できないのかしらね……あら、アリシアちゃんどうしたの?」



 アリシアのただ事ではなさそうな様子を見て、レミリアが眉をひそめる。



「だ、大丈夫です。少し疲れているのかもしれません」



 アリシアは無理やり引きつった笑みを浮かべてティーカップを置いた。



「すみません、イルヴィス様にお出しするハーブティーを用意したいので失礼します」


「ちょっと、アリシアちゃん?疲れているならもう少し休んでからでも……」



 母の制止を振り切り、アリシアはテラスを後にした。



(殿下との約束だから王宮には毎日行かないといけない。だけど、それだとヒロインとの接触が避けられなくなるんじゃ……)



 アリシアは嫌な予感を振り払うように頭を振った。



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