真夜中のお茶会 前編
□
先ほど落として割ってしまったティーカップを片付けてから、アリシアはミハイルから瓶を受け取った。
「カモミール、ですか」
「はい。僕がつくっている中で、一番自信があるハーブです」
少し意外な気がする。カモミールといえば、割と定番のハーブティーだ。もっと珍しいものが出てくるとばかり思っていた。
アリシアのそんな思いを察したのか、ミハイルは頬をかきながら言う。
「『最高のハーブティー』なんて言ってしまった手前、何にするかかなり考えたのですが……結局、下手に珍しいものより、自信のあるものの方が良いかな、と」
「カモミールティーは好きですよ。ミハイルさんがそう言うなら、本当に美味しいカモミールなんですね!」
「保証いたします」
「じゃあ早速淹れましょう!」
定番のハーブでも、ミハイルの自信作と聞くとかなり期待が高まる。
だが急いでアリシアがティーポットを用意しようとすると、何故か止められた。
「そのポットは使いません」
「え?」
給湯室にあるポットではいけないというのか。専用のものでもあるのだろうか?
訝しげな顔をするアリシアに、ミハイルは悪戯っぽく笑った。
「ハーブティーは眠りを妨げないお茶ですが、せっかくなら飲むとさらにゆっくり寝られそうな優しい味の方が、嬉しくないですか?」
「ええ、まあ」
曖昧に返事をすると、ミハイルは満足そうにうなずいた。
そしてイルヴィスとロベルトの方を見て言う。二人は少し前まで怯えていたアリシアがにわかに楽しそうにしだしたためか、安心したような呆れたような、という様子だ。
「王子たちの分もご用意させていただきます。走ったり怒ったりでお疲れでしょう。向こうの部屋でお待ちください」
それからまたアリシアに視線を戻す。
「アリシア様も待っていてくださっても構いませんが……」
「いえ、わたしはミハイルさんのお手伝いをさせてもらいます」
すぐに首を振った。ミハイルがどんなハーブティーを淹れるのか気になる。
「ですよね。ではこちらへ」
ミハイルに言われてついて行くと、彼はポットではなく小さめの鍋を用意していた。
見ると、中に入れているのは水ではなく牛乳だった。
その鍋の中に、瓶に入っていたカモミールをスプーンにたっぷりのせて入れる。
「ミルクで煮出すんですか?」
アリシアは驚いて尋ねる。ハーブティーをこんな風に淹れるのなんて見たことがない。
「はい。ハーブミルクティーです。ハーブティーというよりは、ハーブの香りがするホットミルクというイメージが近いですかね」
ミハイルは鍋の中身をぐるぐるとかき混ぜながら、弱火でゆっくりと温める。
しばらくそうしていると、ふんわりと甘いミルクと、それを彩るように控えめなカモミールの香りが鼻腔をくすぐった。
「わあ、いい香り」
「レモンバームやミントを使っても美味ですよ。フレッシュハーブを使うとさらに香りが立ちます」
説明しながらも、まだかき混ぜている。しばらく時間がかかりそうだ。
ふと静かになった。
そのままカモミールミルクティーが出来上がる様子を静かに見ていてもよかったのだが、アリシアはそれが少し退屈で、良い機会だと、気になっていたことをミハイルに尋ねた。
「ねえ、ミハイルさんってもしかして──」
■
テーブルで兄と向かい合い、二人きり。かなり異様な光景だな、とロベルトは思う。
イルヴィスとロベルトは、決して不仲というわけではない。ロベルトが一方的に劣等感を抱いていたり、イルヴィスが弟にそう強い関心がないのは確かだが、今日のように普通に話したりもする。
(けどまあ、こうやって改めて二人だけで向かい合うようなことはまずないよな)
何故だか知らないが、アリシアと庭師のミハイルがこんな時間にお茶を振舞おうとしているらしい。
別段それは構わないのだが、こうしてイルヴィスと二人で待たされなければならないのは、愉快とは言い難い。
(というか兄上もしゃべらないし、そろそろ気まずいな)
ロベルトがちょうどそう思ったとき、不意にイルヴィスが口を開いた。
「ロベルト、先ほどは済まなかったな」
いきなり謝られた。何のための謝罪かわからず反応できないでいると、イルヴィスは重ねて言う。
「夜会、最後まで見ないで勝手に抜け出した上、お前まで巻き込んでしまった」
「ああ……」
夜会を途中で抜けたのはともかく、行方不明になったアリシアを探すのは自主的にやったことだ。謝られる筋合いはない。
「……正直、兄上があそこまでアリシア嬢を大切にしているというのは意外でした」
アリシアを探しているときの必死な様子や、彼女を悪く言っていたサラを見る冷えきった目。
それらの行動一つ一つが、アリシアに対する兄の思いを物語っていた。
「兄上とアリシア嬢との関係は、もっとドライなものだと思っていたので」
「そうか?」
「はい。立場上、妃をめとらないわけにはいかないから仕方なく婚約しただけで、相手にはそこまで関心がないものだと漠然と……」
「自分の婚約者に無関心な方が問題だろう」
「まあ、それはそうですが」
冷徹と謳われるイルヴィスであれば、婚約者にすら興味がないというのもイメージに合いそうな気もするが。
ロベルトは、この機会を逃すと二度と聞けない気がして、思い切って尋ねた。
「兄上は、アリシア嬢のことを……愛してますか?」
聞かれたイルヴィスは、少しも動揺した様子はない。それどころか、口元に微笑を浮かべていた。
「私は、アリシアのことを一人の女性として愛しているわけではない」
「っ」
「……と言ったら、お前は私から彼女を奪いに来るか?」
「は……??」
動揺させられたのはロベルトの方だった。思わず大きな音をたてて立ち上がった。
「な、何を」
「兄弟でも、あまりお前と似ていると感じたことはないが、まさか女の好みが似ているとはな」
「あ、兄上?」
焦る気持ちが完全に表に出ている。ロベルトはそう自覚しつつ、引きつった笑みを浮かべて、髪をぐしゃりとかきあげた。
(兄上は、俺の気持ちを知っていたというのか?)
イルヴィスには、自分のアリシアへの想いを隠してきたつもりだった。なのに何故。
狼狽えるロベルトのことを、どこか寂しそうな目で見ながら、イルヴィスは言った。
「私がアリシアとの婚約を報告したときのお前の反応、よく覚えている」
「あの時の?」
「自覚はないかもしれないが、祝いの言葉を口にする表情と声は絶望に満ちていた」
「っ……はは。そう、でしたか」
何だか力が抜けて、腰を下ろした。
左手で顔を覆いながら天井を仰ぎ、乾いた笑い声を上げる。
(格好悪い)
昔から何をしても勝てなかった兄。本気で好きになった女性がよりによってその兄の婚約者で、そのことを兄にも知られている。
もうどのような反応をすれば良いのかわからない。
「そうです。俺は彼女のことが好きです。貴方との婚約が決まる前からずっと」
イルヴィスは何と言うだろう。挑発の意味を込めて、ロベルトはまっすぐ兄を見据える。
「諦めようとは思いましたよ。しかしその一方で、兄上にアリシア嬢への気持ちがないのなら、俺にもチャンスがあるかもしれないとも思っています」
イルヴィスは力強く見返してきた。その目は鋭いながらも、奥にはどこか楽しんでいるかのような気持ちがあるような気がした。
「先ほど言っただろう。『女の好みは似ているようだ』と」
「……」
「周りがどのように思っているか知らないが、私は彼女のことを愛している」
「……なるほど。俺には諦める以外の選択肢はない、と」
「ああ、誰かに譲ってやるつもりは微塵もない。……まあ、現状は婚約したのに私が片想いしているように思えてならないが」
途方に暮れたようなその物言いに、ロベルトは思わず吹き出した。イルヴィスはムッとしたように顔を歪ませる。
「笑い事ではない」
「大丈夫ですよ。少なくとも俺よりは好かれてます」
というか自分は特別嫌われているかもしれないが、とロベルトは思う。会う度にあのような無理やり作り出した感じの、わざとらしい笑みを向けられるのは結構落ち込むのだ。
しばらく笑ったロベルトは、やがてふっと笑みを消し、静かな声で言った。
「兄上の気持ちはわかりました。ですが……もし貴方が彼女を少しでも悲しませるようなことがあれば、その時は迷いなく奪いに行くので、そのつもりで」
「肝に銘じておこう」
言いたいことは全て伝えた。兄とこうやって正直な言葉を交わしたのはいつぶりだろう。
これまで嫉妬心から心理的に距離を置いてしまっていた。その距離が今、少しは縮まったのではないだろうか。
このような形ではあるが、間違いなくアリシアという存在のおかげだ。
いつもそうだ。自分の中で何かの殻を破ったと感じるようなとき、いつもそのきっかけを与えるのは彼女だ。
嫌われていたって、兄の愛する相手であったって構わない。勝手に想い続けることくらいは、許してもらおう。
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