真夜中のお茶会 後編


「ねえ、ミハイルさんってもしかして──ノアのこと好きだったりしませんか?」


「は……??熱っ!」



 ミハイルは何事かというようにアリシアに顔を向けた。その拍子に手が鍋にあたったらしく、熱さに表情を歪ませた。


 普段落ち着きを保ち、王族相手でもしっかりと振る舞えるミハイルが、狼狽えている。



「何故いきなりそんなことを……?」


「暇だったので」


「ったく……。どうしてそう思ったんです?」


「いつもよく見てるじゃないですか。ノアがハーブティーの味を気に入るかどうかいつも心配そうにしてるし」



 いたずらっぽく言ってやると、ミハイルは大きく息をついた。

 やけどになってないか手を確認しながら呟く。



「自分への好意には疎いくせに、他人のことには敏感なんですか……」



 前世から引き継がれた少女漫画脳を舐めないでほしい。観察力だってけっこう自信がある。


 自分へ向けられる好意だって、向けられた経験がないから何とも言えないが、別に疎くはないと思う。



「それで、実際どう思ってるんですか?」


「……ノアさんは、素敵な女性だと思いますよ」


「でしょ?わたしが一番信頼している侍女だもの。お似合いだと思うけどなあ」



 ノアの方だって、ミハイルのことは良く思っているようだし、二人はどこか似通った空気を感じる。


 少し期待したが、ミハイルは曖昧に笑って誤魔化してきた。



「あまり好き勝手言ってはノアさんにも失礼ですよ」


「それは……」


「ミルクティー、そろそろ完成します」



 ミハイルから明確な答えが得られなかったのは不服だったが、ホカホカと湯気を立てるミルクティーを見ると、そんな気持ちは吹っ飛んだ。



 ホットミルクの白に、ほんのりと黄色味を帯びた優しい色。


 香りも普段飲むカモミールティーよりいくらか柔らかい。



「美味しそう!」


「蜂蜜とシナモンを適量加えたら出来上がりです。出来たら味見をしてみてください」



 促されて、アリシアはカップに移されたカモミールミルクティーにスプーン一杯の蜂蜜と、少量のシナモンを入れた。


 こんなハーブティーは初めてだ。ドキドキしながらカップの中身を一口含む。



「!」



 シナモンの軽い刺激の後、甘いホットミルクの味が口に広がる。その中に、控えめながらも存在を主張するカモミール。


 初めて飲む味なのに、どこか懐かしさのような安心感のようなものを感じる。



「これ、すっごく美味しいです!」



 これは感動だ。普通に淹れたハーブティーに少量のミルクを加えて飲むことはあったが、それとも全然違う。


 今までどうして知らなかったのだろう。勿体なくて仕方がない。



「アリシア様ならそうおっしゃると思いました」


「後でもう一度詳しく作り方を教えてほしいわ!」


「おやすい御用です。王子たちにもお持ちしましょう」


「あ、わたし持っていきますね」



 時間が時間だし、ミルクティー自体が蜂蜜で甘みがあるので、お茶菓子はなし。



 イルヴィスとロベルトが待つ方へ行くと、二人は何やら談笑していた。

 あまりこの二人は仲が良くなかったように思っていたが、そんなこともなかったのらしい。



「お待たせしました」



 声をかけると、アリシアに気がついた二人は、何故か気まずそうに顔を見合わせ苦笑した。あまり聞かれたくない話でもしていたのだろうか。



「ありがとうアリシア。貴女もそこに座るといい」


「では、お言葉に甘えて。失礼します」



 アリシアは気にしないふりをして、椅子に腰をかける。



「てっきりハーブティーを淹れているのかと思ったが、これはホットミルクか?」


「いえ、ミハイルさん特製のハーブミルクティーです。優しい味ですよ」

 


 少し心配したが、二人の反応は上々だった。



「なるほど、確かに優しい味だ。ミルクの味が強いが、ハーブの香りも程よく立っている」


「ああ。兄上の言う通り優しく、甘みもあって飲みやすい」



 三者がそれぞれミルクティーを飲む間、静かに時が流れた。


 その静けさとカモミールミルクティーの効果が相まって、一気に眠気が襲ってくる。



 王子たちの前でウトウトしてしまわないよう、アリシアが一人睡魔と葛藤していると、突然ロベルトが言った。



「そういえば、俺は結局アリシア嬢と一曲も踊れなかったな」


「へ?」


「どうだろう。音楽がないのは寂しいが、今から俺と踊って頂けないか?」



 ぼんやりとする中、ロベルトから差し出される手を無意識に手を重ねた。


 そしてその直後にはっと覚醒する。



「え?いや、あのえっと……」



 慌てて手を引っ込めようとするが、それより早く手をギュッと握られた。


 ロベルトは微笑を浮かべてイルヴィスに確認する。



「兄上、よろしいですか?」


「……一回だけだぞ」


「了解」



 イルヴィスは少しだけ眉をひそめたが、あっさりOKを出した。できればダメだと言って欲しかった。



 仕方がないので、やんわりと抵抗を試みた。



「あの……わたし、ロベルト様のお相手が務まるほどダンスが上手くなくて」


「今日のために練習したのだろう?」


「まあそうですけど、昔から本当に苦手で……」


「知っている」


「はい?」



 ロベルトは握ったアリシアの手を引き、立ち上がらせた。



「学園時代、ずいぶん苦労していたもんな」


「え、どうしてご存知なんです」


「見ていたからに決まっているだろう」



 第二王子の目に止まってしまうレベルで酷かったということか。わかっていたが少し落ち込む。



「だが、練習して上達したのだろう?それとも、実はあの頃から少しも進歩していない?」


「っ、そんなことないです!」


「ふうん。信じられないな」



 ロベルトはニヤリと笑みを浮かべる。わかりやすい挑発。ここで乗ったら負けだ。


 そう思ったアリシアははっきりと言ってやった。



「いいですよ?なら上達したという証拠を見せましょう」



 堂々とした態度でわかりやすい挑発にわかりやすく乗った。


 イルヴィスはそんなアリシアを見て呆れたように肩をすくめた。



「……アリシア、日頃から単純な人だと言われたりはしないか?」


「まあまあ兄上。そういうところも可愛らしいんでしょう?」



 呼吸をするように女性のことを褒めるロベルトの言葉は軽く流し、アリシアは改めてその手をとった。


 色が白く細いのに、どこかしっかりとした手は、イルヴィスと少し似ている。



「音楽なしでとおっしゃいましたけど、少し寂しくないですか?」



 というか踊りにくそうだ。アリシアが呟くと、イルヴィスが何か思い立ったように立ち上がった。


 そして部屋の隅の方にあったピアノの鍵盤蓋を開いた。そのピアノはすっかりオブジェと化していたので、存在に気が付かなかった。


 イルヴィスは流れるような動きで、鍵盤に指を走らせると振り返って言った。



「長らく使っていないピアノだが、調律は狂っていない。そう難しい演奏でなくて良いのなら私が弾こう」


「イルヴィス殿下、ピアノ弾けたんですか」


「特別上手くはないがな」



 それが謙遜だというのはすぐにわかった。


 イルヴィスは滑らかに、しかし力強く鍵盤を叩く。紡ぎ出される音は、とても素人が趣味で練習したというレベルのものではない。



「すごい……」



 思わず息をのむ。流れる美しいメロディーは、いつまででも聞いていられそうだ。


 真剣な表情でピアノに向かうイルヴィスは、いつもとどこか雰囲気が異なり、それでいていつも通り美しい。



「アリシア嬢、兄上の素晴らしい演奏に聞き惚れるのはいいが、できれば、俺と踊るという当初の目的を忘れないでもらいたいな」


「あっ」



 ロベルトが苦笑気味にそう言い出すまで、すっかり聞き入ってしまっていた。アリシアは誤魔化すように微笑み、ロベルトの方へ体を向ける。


 ピアノだけのメロディーは、夜会での演奏に比べたらずっとシンプルなもの。けれど、真夜中のこの空間には、飾らない音が心地よい。


 ゆったりとしたメロディーの中、アリシアはステップを踏む。


 しばらく踊っているうちに、ふと感じた。



(何だか……すごく踊りやすい)



 イルヴィスもダンスは上手かったが、それとはまた違う。


 イルヴィスはダンスの講師と同じように丁寧で模範的なものだった。それに対し、ロベルトは動きが自己流だが、上手くアリシアが動けるようにリードしてくれる。端的に言えば、踊り慣れている人の動きだ。



(これだけスムーズに踊れると、まるでダンスが得意になった気分ね。ちょっと……楽しい)



 相手は苦手意識のあるロベルトだが、そんなことはどうでもよくなるくらいに踊るのが楽しい。



 突然、ピアノのメロディーが止んだ。



「ん?」



 不審に思い、動きを止めて演奏者の方を振り返る。


 イルヴィスはじっとこちらを見つめていた。そして、意味ありげに笑みを浮かべると、立ち上がり、アリシアたちの方へ歩み寄って来た。



「ロベルト。お前もピアノは弾けたな」


「ええまあ。兄上のように上手くはありませんが」


「代わってくれ。私もアリシアと踊りたくなってきた」



 力強いながらも自然に、アリシアは抱き寄せられた。



(ち、近い)



 心臓が大きく跳ねる。この非日常な雰囲気にのまれているのだろうか、とアリシアは思う。自分もイルヴィスも、どこかいつもの具合と違う気がする。


 ロベルトが大袈裟にため息をついてから肩をすくめて見せた。



「兄上の婚約者をいつまでも独り占めしているわけにはいきませんからね」



 イルヴィスほどでないが、ロベルトも巧妙な演奏の腕前を見せた。



 ──すっかりダンスパーティーと化したお茶会は、さらに夜が更けても続けられた。




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