悪意


「アリシア、改めて言う。私と一曲踊って頂けないだろうか」


「は、はいっ……!喜んで」



 アリシアは意を決して、差し出されたイルヴィスの手を取る。

 


(大丈夫、みっちり練習してきたし、イメージトレーニングもばっちり)



 一つうなずいて顔を上げると、イルヴィスの美しい顔が間近にあった。どうしても密着するような形になるのだから当たり前か。


 目が合うと、イルヴィスは薄く微笑み、アリシアの耳元で囁いた。



「力を抜いてリラックスしろ。純粋に踊るのを楽しめば良い」



 音楽が流れる。アリシアは一つ深呼吸し、音楽に合わせて何度も練習を重ねてきたステップを踏んだ。

 踊り始めてしまえば、体は案外簡単に動いた。練習の成果もあるだろうが、イルヴィスの動きが講師に負けないくらい上手く丁寧で、こちらも動きやすい。



(……ちゃんと踊れるとやっぱり楽しいな)



 あっという間に一曲終わってしまった。



「上手いじゃないか」



 イルヴィスが感心したように言う。



「ありがとうございます」


「早く貴女のことを紹介して回りたいところだが、せっかくだからもう一曲どうだろうか」


「もちろんです」



 再び曲が流れ始めた。先程より若干ゆったりしている。


 アリシアはステップを踏むことに一生懸命で曲が終わるまで気がついていなかったが、いつからか周囲に踊っている人はいなくなっていた。皆の視線は例外なくイルヴィスとアリシアに向けられている。



「え、あれ?」



 アリシアがその様子に思わず戸惑いの声をもらした。その瞬間、周囲からわっと割れんばかりの拍手が起こった。


 助けを求めてイルヴィスを見ると、彼は動じた様子もなく涼しい顔で軽く手を上げる。



「紹介させてもらう。彼女は婚約者のアリシア・リアンノーズだ」



 イルヴィスの言葉を受け、周りは軽くどよめいた。



「おお、あのご令嬢が」


「さすがはあの王子のお眼鏡にかなった人だ。美しい」


「殿下と並ぶとすごく絵になるわ!」



 好意的な声がたくさん聞こえるのはありがたいが、正直戸惑いを隠せない。


 確かに、アリシアのことを婚約者としてお披露目するとは言っていたが、そのお披露目のしかたがイメージとだいぶ違う。もっと個人個人にひっそり挨拶に行くのだと思っていた。



(なのに、まさかこんな注目される形になるなんて……)



 大勢にここまで注目されるという経験は今までにない。ついひるみそうになるが、アリシアの頭にこの二週間の努力がフラッシュバックし、思い直す。


 殿下の婚約者らしく、堂々とした振る舞いを教えこまれたではないか。



 アリシアはスカートの裾を少しつまんで、お辞儀をした。すると同時に歓声が上がった。



(うーん、これが第一王子の婚約者になる、ということなのね……)



 身に付けたつもりでいた所作やマナーを、苦手なダンスと同じくらい時間をかけて復習させられた理由がよくわかった。こうもに多くの目に見られていては、ちょっとしたボロが出れば速攻バレてしまいそうだ。





 さすがに初めから注目されているのを知った状態では踊り辛いので、ダンスはそこで終わり、改めてイルヴィスと挨拶をしてまわることになった。


 あんなに注目された後なので、もう怖ものはない。



「いやあ、殿下は美しいお方を見つけられましたな」


「お目にかかれて光栄ですわ。ムリス侯爵」



 参加者のリストが頭に入っているおかげで、挨拶に回るのも楽だ。


 そして大抵の人はアリシアに好意的な態度を示してくれる。だが、同じくらいの歳をした令嬢たちから向けられる視線はやはりどこか冷たい。




 何度も同じような言葉を繰り返し口にし、ようやく一通り挨拶を終えた。



「疲れたか?」


「少し……」



 イルヴィスに気遣わしげに尋ねられ、何とか笑顔をつくって答えるが、実際かなり疲れていた。


 夜会が始まってからダンスと挨拶をしただけなので、お腹も空いて、振る舞われている美味しそうな料理が目に毒だ。



 そんなアリシアの気持ちを察したのか、イルヴィスが言う。



「悪いが、私は少し席を外させてもらう。貴女は適当に休んでいるといい」



 アリシアは背を向けたイルヴィスを見送ってから、色鮮やかな料理に目をやった。


 どれから食べようか。ウェイターから飲み物を受け取り、考える。



(お腹は空いてるけど、とりあえず甘いものが食べたいわね)



 キラキラ輝く小ぶりのケーキに手を伸ばそうとした時、横から誰かにドンと押された。


 その衝撃で、持っていた飲み物がバシャッとアリシアのドレスに思い切りかかる。



「あ〜ら、誰かと思いましたら、身の程知らずの……えーと、何とかいう伯爵令嬢ではありませんこと?」


「……サラ様」



 ぶつかってきたその人──サラは、にんまり口に弧を描きながら髪をかきあげる。



 そして、ドリンクのシミがついたアリシアのドレスを見ると、わざとらしく驚いて見せた。



「独特なデザインのドレスなのかと思ったら大変!汚れてしまっていますのね!」


「ええ、先ほど不注意で飲み物をこぼしてしまって」


「まあ、多少汚れていても貴女には十分お似合いですけど、このままではあまりに可哀想かしら。ついていらっしゃい」



 サラは無理やりアリシアの手をつかんだ。思ったより力が強い。



「ちょ、ちょっと待ってください」



 グイグイ引っ張られ、呼び止めるが聞き入れてもらえない。気づけばそのままパーティー会場から出ていた。



「サラ様、いったいどこへ……」


「その服のままあの会場に居続けるつもりですの?」


「それは……その」


「服の汚れを落として、他の服を貸してもらいにいかなくてはならないでしょう?」



 サラの言っていることは正しいし、拒否してさらに関係が悪くなるのも避けたいので、アリシアは諦めてついて行くことにした。


 しかし、どこに向かっているのだろう。ドレスを貸してもらえる場所などあるのだろうか。



 城の中は静かだった。夜会の会場の方へ人手が割かれているからだろう。




「あの、サラ様?」



 だいぶ歩いたのではないだろうか。城内の造りも大まかには知っているが、夜だからか雰囲気がいつもと違う。そのせいかアリシアには現在地がわからない。


 ようやくサラが足を止めた。ドアの開いた部屋の前だ。



「ここは?」



 返事はない。


 ランプで照らして確認しようとした瞬間、ドアの開いた部屋の中へ向かって、背中を強い力で押された。


 突然すぎてバランスを立て直す間もない。



「わっ」



 アリシアは派手な音を立てて転んだ。痛みと床の冷たさがジンジンと伝わってくる。


 何とか力を出して振り返ると、嘲笑の混じった表情を浮かべるサラが一瞬見えた。それと同時に……



──ガチャン



 無情な音と共に扉が閉まった。



「え?嘘……」



 痛む体を何とか起こして、ドアノブに手をかける。しかし、押しても引いてもガチャガチャと虚しい音がするばかりで開かない。



「サラ様?サラ様?開けてください!」



 返事はない。認めたくないが、一人この部屋に閉じ込められてしまったらしい。



(嘘でしょ)



 力が抜け、アリシアはその場に座り込んだ。


 外から雨の音が聞こえる。ずいぶんと強くなってきているようだった。







 夜会なんかの賑やかな催しは嫌いではない。第二王子であるロベルトは、会場の端から様子を眺めながら思う。


 先ほどまで顔見知りですらない令嬢も含め、ひっきりなしにダンスの申し込みをされていた。そのせいでさすがのロベルトもかなり疲れた。



(そういえば初めの方に、兄上との息の合ったダンスでずいぶん注目されていたが……どこに行った?)



 少しぼんやりすると、どうしても無意識のうちにアリシアの姿を探してしまう。


 まだ今日は遠目にしか見ていないが、薄紫色のドレスがよく似合っていた。彼女の隣に並ぶのが自分だったらどんなに良かっただろう。



(……とまあ、考えても虚しくなるだけだが。それにしても本当にどこにいるんだ?兄上とは一緒にいないようだし)



 もう一度会場をぐるりと見渡すが、やはり見つからない。代わりに、別の人物が目に止まった。



 サラ・ローランという令嬢。


 学園では同級生だったため、よく知っている。自信過剰で気の強い性格が好みではなかったので声を掛けたことはないが。



 その彼女が会場の入口あたりで、ウェイターから飲み物を受け取り、上機嫌そうにしている。



(そういえば、あの女は第一王子の婚約者になるのは自分だと度々口にしていたな……)



 ロベルトはそんなことを思い出し、妙な胸騒ぎを覚えた。



「ロベルト。いたのか」


「兄上」



 サラに気を取られていたロベルトに、兄イルヴィスが近づいてきた。



「予定より早いが、夜会はそろそろ切り上げることにした。外の天気が悪化してきた」


「そうですか」



 相づちをうったロベルトは、一つの可能性を思いつき尋ねた。



「もしかしてアリシア嬢はもう帰らせたのですか?見当たらない」



 それならここにいない理由も納得がいく。しかし、イルヴィスは訝しげに眉をひそめた。



「見当たらない?」



 イルヴィスは先ほどロベルトがしたのと同じように会場を見渡す。その表情に、しだいに焦りの色が出てきた。



「いつから見当たらなかった?」


「さあ。いないと思ったのは少し前──」


「すまない、ロベルト。会場を頼む」


「は……?」



 ロベルトの答えを聞く前に、イルヴィスは走り出した。



「いや頼むって言われても……」



 頼むのなら、ロベルトより適任の側近がいくらでもいる。それを考える暇がないほど焦っているのか。


 ロベルトはイルヴィスの側近の一人に適当に説明をして、自分は兄の後を追った。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る