旅人


「お嬢様、先ほどから何度もため息をつかれていますが、大丈夫ですか?」



 屋敷へ戻る道中の馬車の中。


 アリシアに侍女として仕えるノアが眉をひそめて聞いてきた。



「え、わたしため息なんてついてた?」


「ええ。外を眺めながら何度も。あ、もしかして……」



 ノアはずいっとアリシアの顔をのぞきこむ。



「またあのメイドに何かされたんですか?」


「あのメイドってニーナさんのこと?……嫌ね、一緒にお茶して話してただけよ」


「ですが彼女は以前お嬢様のことを陥れようとしたんですよ?なのにあんなに気を許していいのですか?」


「ニーナさんは心から反省しているし、何度も謝ってくれたわ」


「それにしたって彼女はお嬢様に対して馴れ馴れしすぎです」


「あはは……そうかしら」



 それは仕方がない。


 ニーナとは転生者どうし、他の人には絶対に共有できないような話題も話すことができる。前世の話をするときには、どうしてもお互い日本人だった頃の記憶に引っ張られ、現在の身分をおざなりにしてしまうのだ。


 だからノアの言う通り、周囲から見ると馴れ馴れしくしているように見えてしまうのかもしれない。



「だけどノア、ありがとう。心配してくれているのよね」


「心配ですよ。今日だって、お嬢様は彼女にお茶を振る舞うとだけ言って、わたくしを同席させてくれませんでしたし」


「だってノアたちが顔を合わせたら、そのたびに険悪なムードになるんだもの」



 ノアはニーナのことを嫌っている様子を隠そうともしないし、ニーナはニーナで笑顔を浮かべながらもノアに対しては冷めた態度をとる。

 信頼のおける侍女と特別な友人の仲が悪いなんて、こちらの身にもなってほしい。



「別にニーナさんのことを好きになれとまでは言わないけど、もう少し柔らかい態度をとってあげたら?」


「いくらお嬢様の頼みであっても、正直あの女に優しくするのは難しいです。お嬢様に酷いことをした件を抜きにしても、彼女とは少し合わないんです」



 ノアは愚痴るように言って窓の外を見る。それからハッと気がついたようにアリシアへ視線を戻した。



「すみません、お嬢様にとってはあれでも大切なご友人なのに……」


「いいのよ、誰にだって苦手な人の一人や二人ぐらいいるわ」



 アリシアがそう言ったちょうどその瞬間。


 ガタッと音がして、馬車がいきなり停止した。



「わっ」



 慣性でグッと前のめりになる。



「お嬢様、大丈夫ですか?」


「ええ」



 ノアはアリシアがうなずくのを確認してから御者に問う。



「何事ですか?」


「申し訳こざいません、道の真ん中に人が倒れていまして……」


「人が?」



 アリシアは御者の言葉に眉をひそめる。


 人が倒れていると聞くと、色々な可能性が思い当たる。病気で倒れてしまったのかもしれないし、怪我をしてしまい動けないのかもしれない。

 いずれにせよ、そのまま放っておくわけにはいかない。



「降ろしてちょうだい。様子を見に行くわ」


「あっ、お待ちくださいお嬢様」



 アリシアはノアの制止を聞かず馬車から降りる。


 馬車が止まっているすぐ先に、確かに人がうつ伏せで倒れているのが見受けられた。アリシアは急いでその人物の元へ駆け寄る。


 その人物は、深い青色の髪をした青年だった。

 質素ではあるものの丈夫そうな生地の服を着ており、身なりはそう貧しそうには見えない。動きやすそうな靴や、荷物の感じからして旅人かもしれない。



 アリシアは青年の口元に手をかざす。



(良かった。ちゃんと息をしているわ)



 最悪の状態ではなかったことにとりあえずホッと胸を撫で下ろす。それから彼の肩を軽くゆすった。



「お嬢様!」



 遅れて馬車から降りてきたノアも、アリシアの方へ駆け寄って来てしゃがみこんだ。



「どうしよう、医者を呼ぶべきよね」


「そうですね。周辺の住民にも助けを求めましょう」



 ノアの言葉にうなずき、立ち上がろうとしたときだった。


 青年が──ゆっくりと目を開いた。



「あっ!気がついたのね!大丈夫?何かあったの?」



 青年は何も答えない。見ると、蜂蜜色の綺麗な瞳には覇気がない。



「待っていて、医者を探してくるから」



 アリシアがそう言うと、青年はゆっくり手を伸ばし、アリシアの服を弱々しい力でつかんだ。行くな、ということか。よく見ると、唇が何かを伝えるように動いている。


 アリシアは青年の声を聞き取ろうと顔を寄せる。


 彼は今にも消え入りそうな声でこう言っていた。



「腹が……減った……」







 リアンノーズ家で働く料理人が即席で作った、野菜と薄切りベーコンを挟んだだけのシンプルなサンドイッチ。


 そのサンドイッチが、次から次へと青年の口の中に消えていく。見ていて清々しいほどの食べっぷりだ。




 空腹を訴えるこの青年を、アリシアは連れて帰ってきてしまった。

 父にバレると小言を言われそうなので、庭先でこっそりと軽食を振舞っている。



「ああ美味い。こんなに美味しいサンドイッチは初めてだ」



 青年は皿に盛られたサンドイッチをたいらげると、そう言ってふっと息をついた。


 いつの間にか、蜂蜜色の瞳に覇気が戻っている。



「気に入ってもらえたようで良かったわ。あなたは旅の人?」



 アリシアはガラスのティーポットにお湯を注ぎながら尋ねる。



「その通りだ」


「おひとりで?」


「いや、連れがいたんだけどね。どうしても一人で街を観光したくて隙を見て逃げた」



 青年は悪びれる様子もなく言ってのける。



「なら、お連れ様は心配しているんじゃ?」


「問題ない。奴らも慣れているからな。どうせはぐれるんだからその時はここに来い、と場所を指定されているぐらいだからな」



 だから問題はない。彼はそう笑うが、実際に空腹で倒れていたのだ。問題だらけではないか。



 アリシアは苦笑いして青年にお茶を出す。


 ティーポットをのぞき込んだ彼は、「おおっ!」と声を上げた。



「茶の中に花が浮かんでいる!」



 アリシアが彼のために淹れたのは、「工芸茶」と呼ばれる、花を茶葉でくるんだ一風変わったお茶。お湯を注ぐことでゆっくり花が開く。



「近くの港で定期的に、外国からの輸入品を集めた市が開催されるのだけど、そこで買ったお茶なの」



 気がついてもらえたことが嬉しくて、アリシアは上機嫌に答える。



「見ているだけでも楽しいでしょ?」


「ああ面白い!どこかの国ではこんな不思議な茶が作られているのか。俺もまだまだ世界を知らないらしい……!」


「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいわ。せっかく旅行に来たのに、お腹を空かせて倒れた記憶だけになってしまったら悲しいもの。少しでも楽しい思い出に変える手伝いができたかしら?」



 アリシアがそう微笑むと、青年はまじまじと顔を見つめてきた。……と思うと、彼は突然立ち上がり、アリシアの両手を取った。


 いきなり何事かと、思わず後ずさる。



「えっ、ちょっ……」


「美しい人だ!」



 彼は感動したように目を輝かせる。



「容姿はさることながら、心まで清らかで美しい……!ここまで美しい女性に出会ったのは初めてだ!」


「えっと……美しい?」


「ああ!空腹に倒れている見ず知らずの旅人に食事を振る舞い、その上楽しませようとする気遣いまである。この心意気を美しいと言わずして何と言う!」



 グっと拳を握って力説する青年。どうやらものすごく褒めてくれているようだ。



「ええっと、ありがとう……?」


「礼を言うのはこちらだ。本当にありがとう!貴女に出会えたというそれだけで、この旅は素晴らしいものとなったよ!」


「ど、どういたしまして」



 彼は何やらずいぶんとユニークな性格をしているらしい。どう対応するのが正解なのかよくわからない。




 ──それから一時間ほど、青年は色々な話をし、事あるごとにアリシアを褒め称えるというのを繰り返した。


 彼はこの国の人間ではないらしく、面白い話がたくさん聞けた。それは良いのだが、あまりに「美しい」だの「麗しい」だの褒められるので、その都度どう反応するべきか困らされた。



「何と、もうこんな時間か」



 青年は懐中時計で時間を確認し、悲しそうな声をあげた。

 日が長くなってまだまだ明るいが、もう夕方である。



「そろそろ行かなければ、連れが俺の捜索を始めてしまう。この幸せな時間が永遠に続けば良かったのに……!」



 いや、さすがに永遠に続かれては困る。アリシアは内心そう思いながら聞いた。



「お連れ様に指定された場所はどこかしら?馬車でお送りするわよ」


「大丈夫だ。歩くことには慣れている」


「そう?ならせめてこのマフィンでも持っていって。残り物だけど、また途中でお腹を空かせて倒れたらダメだから」


「最後まで素晴らしい気遣い。やはり貴女は美しい人だ」



 青年は嬉しそうにマフィンを受け取る。


 そして、優雅にお辞儀をした。



「助けて頂いて本当にありがとう。この恩はいつか必ず返させてもらうよ」



 その言葉を最後に、彼は屋敷を後にした。



(何だか、嵐のような人だったわね)



 アリシアは彼の後ろ姿を見ながら思う。


 恩は必ず返す。


 そう言っていたが、あの青年は旅人だ。きっともう会うことはないだろう。



 ……まさか、その予想があっさり覆されることになるとは思ってもみなかった。

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