真相
□
いつも通りなら、彼女は恐らくこの辺りにいるだろう。
額にじんわり浮かぶ汗を拭いながら、アリシアは夏の花が力強く咲く庭園を見渡す。
今日は実に二週間少しぶりに王宮を訪れた。
目的はただ一つ。
「あ、いた……」
アリシアの立ち位置から少し離れた所に、長い黒髪を丁寧にあみこみ、清楚なメイド服に身を包んだ年若い乙女を見つける。ニーナに間違いない。
後ろからゆっくりと近づく。ニーナは何か物思いにふけるように花を眺めており、気がつく気配はない。
真後ろに立ったアリシアは、すっと大きく息を吸い込み、口を開く。
「ごきげんよう、ニーナさん」
ビクリと肩を震わせ振り返ったニーナの瞳は、アリシアの姿を捉えると、驚きと怯えが入り交じったような色を浮かべた。
「アリシア様……?」
「一部の人にでも、わたしの淹れたお茶に毒が入ってたかも、なんて疑われているのは嫌でね。疑いを晴らす方法を色々と考えていたの」
ニーナは少し後ずさり、助けを求めるように視線をさまよわせる。
「デュラン殿下はいらっしゃらないと思うわよ。ちょうど今イルヴィス殿下に呼び出されているはずだもの」
「なっ……」
彼女の反応を見て、やはりか、と思う。
ニーナが休憩中の多くを庭園のこの場所で過ごすのは、ここがデュランのお気に入りの場所でもあるからだ。
約束などせずとも、この場所に行けば会えるかもしれない──。お互いにそんな期待を抱きながらここに来る。
思い返せば、漫画にもそんな設定があった。
そして、ヒロインのピンチ──例えば、悪役令嬢と二人きりになってしまうような場面に、ヒーローは必ず現れる。
せっかくニーナと二人きりになる機会を得たのに、デュランに邪魔をされてはたまらない。
それで、イルヴィスに協力してもらい、デュランの邪魔が入らないよう、適当な用事で呼び出しておいてもらったのだ。イルヴィスはそんな都合よいことが起こるものかと訝しんでいたが、念には念をとお願いした。
「それでね、わたしへの疑いを晴らす方法は、結局ニーナさんに本当のことを話してもらうのが一番だっていう結論に至ったのよ」
「本当のこと?あたしは貴女にシャレにならない嫌がらせをされた。それが真実──いえ、これから真実になるわ」
ニーナは何かを諦めたのか、今までのふんわりと優しい雰囲気を消し、口調も少し挑発めいたものになった。
「第三王子であるデュラン殿下がそう主張している今、一定数の人は彼の言葉を信じている。それが増えれば、あたしの嘘だって真実になる」
強く言い切ったニーナは、しかしすぐ自嘲気味に笑った。
「……なんて思ったんですけどね。アリシア様を未来の王妃の座から引きずり下ろすのに、このやり方はさすがに無理があったようです」
「ずっと、考えていたの。貴女の行動がわたしを陥れるためだったとして、動機は何だろうって」
彼女がアリシアを個人的に恨んでいるとは考えづらいし、少し報酬を貰うくらいでは聡明な彼女は動かない。
だとしたら、「少しくらいの」ではない報酬──金銭などではなく、もっと手っ取り早くニーナを動かすことのできる餌があったのだろう。
「わたしね、ニーナさんのいた孤児院の院長──いえ、元院長に話を聞きに行ったの」
「えっ、院長先生に……」
「貴女、少し前に彼の元を訪れて言ったそうね『院を取り戻せるかもしれない。期待して待っていて』と」
「っ……」
イルヴィスと二人で街を歩いた日、帰りに見つけた孤児院の跡地。
あの孤児院は、幼少期のニーナが過ごした場所だ。
そのことはあの日、跡地に足を踏み入れたときに気がついていた。だが、その頃はまだニーナと実際に会う前だったこともあり、あまり深く考えておらず、出会った後は彼女本人に気を取られて忘れていた。
「貴女はあの土地がローラン家のものであると調べたのね。わたしを陥れることができたら、その土地を譲ってもらうと契約をしたのではない?」
アリシアは、ここ数日文字通り走り回って得た情報と、そこから導いた推論をニーナに話した。
ニーナは初めこそアリシアの目をまっすぐ見ていたが、しだいにその顔は下を向いていった。その反応は、アリシアの話が事実であると物語っていた。
「ニーナさんがあの孤児院に思い入れがあるのはわかったわ。だけど、元院長は貴女がまるで院が潰れたのが自分のせいだといわんばかりに責任を感じているようだったと言っていた。それは何故?」
「アリシア様。あたしも、ずっと考えていたことが一つあるのです」
ニーナはゆっくり顔を上げると、アリシアの問いを無視して微笑む。
「アリシア様も、前世の記憶をお持ちなのではないですか?」
「……え?」
全く予想していなかった言葉に、アリシアは初め聞き間違えたのかと思った。
前世の記憶を持っている。
誰にも話したことはない。おかしなことを言い出したと思われるだけだろうから。
「やっぱりそうなんですね」
「どうして……」
「あたしもそうだったからです。前世は日本人のOLでした」
貴女は、と聞かれたのでアリシアは「わたしも日本人で、女子高生だったわ」と答えた。入院していてあまり学校には行けていなかったが。
ニーナは質問しておきながらもあまり興味はないらしく、「へえ」と軽くうなずいただけだった。
「では、この世界がとある少女漫画の世界であることはご存知ですか?」
「ええ。一度読んだことがあるから」
「あたしは数え切れないくらい繰り返し読みました。だからわかるんです。貴女だけが……いや、貴女や貴女に関わった人だけが、あたしの予想と違う動きをする」
ニーナは心を落ち着けるように、何度か深呼吸をしてから続ける。
「あたしは、この世界は漫画のストーリーの通りであるべきだと思っています」
「どうして……そうあるべきだと?」
「それが、結局皆が幸せになれるんです。アリシア様は漫画を一度しかお読みでないということなので記憶にないかもしれませんが、孤児院の危機を“ニーナ”が救うエピソードがあったんです」
そうは言っても、たった二コマ分しかない、院長の思い出として語られるだけのエピソードですが。あたしも忘れていたぐらいですし。
ニーナは付け足して言うが、そこまで言われてもアリシアには思い出せない。
「“ニーナ”が十歳のとき、院長は院の土地を狙う連中から詐欺に遭うの。彼、人がいいから騙されやすくてね。それを頭の良い“ニーナ”が怪しんで阻止する」
ニーナはしゃべりながら悔しそうに顔を歪ませた。
「だけど実際のあたしは、詐欺師が来た時間、呑気に街へ遊びに行っていた。その頃は、大好きだった漫画の世界に自分がいるということに浮かれて、毎日のように遊んでいたわ。帰ってきたときには、院長があのふざけた契約書にサインをした後だった」
結果、孤児院は無償に近い金額で詐欺師の手に渡ることになったのだという。
「あたしが前世の記憶を持ってさえいなければ──漫画と同じように院長のそばにいれば、そんなことにはならなかった」
「ニーナさん……」
「巡り巡ってあの土地はローラン家のものだと知って、何とか取り戻せないかと交渉を試みました」
「それで、わたしを王妃の座から引きずり下ろせば譲っても良いと言われたの?」
「はい。それに、漫画ではアリシア様は第一王子に婚約破棄をされる運命です」
「なるほど。ローラン家の依頼は、孤児院を取り戻すこととこの世界を漫画と同じように進めたいという、貴女の二つの目的を達成させられる好機だったというわけね」
ニーナはこくんとうなずく。
それを見て、アリシアは手を額に当て、ふっと息を吐いた。
「ニーナさん。貴女はローラン家の人たちに一つ騙されているわ」
「え?」
「あのね、これはイルヴィス殿下から聞いた話だから間違いはないのだけど……」
アリシアは彼女にある「真実」を告げた。
ニーナがこのような行動をした意味を否定するそれは、考え方によっては少し残酷かもしれない。
「嘘……」
話を聞いたニーナは、信じられないという顔を向けてくる。
だが、アリシアの表情から嘘を言っていないのだと察すると、大きくため息をつきながらしゃがみ込んだ。
「何それ……じゃああたし、馬鹿みたい」
「悔しい?」
「……はい」
アリシアも、ニーナと同じようにしゃがみ込み、彼女と視線を合わせ、ニヤリと笑った。
「なら少し、仕返ししない?」
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