お茶係 後編


「そうですよねえ……、うん。アタシが見たいのは、お茶を飲んで幸せそうにする人の姿であって、お茶の苦さに苦悶の表情を浮かべる姿ではないんですよね、本当は」



 ズーンと沈みこんだ様子で、もごもごそう言ったかと思うと、今度は大きなため息をつく。

 そして「こんなことしてたら母さんに怒られる」と意を決したように顔を上げた。



「あの!アリシア様がおっしゃった通り、あなたの分のお茶だけ苦くしたのはアタシです!すみませんでしたっ」



 先ほどまで誤魔化そうとしていた割にあまりに潔い。驚いて目をぱちくりさせるアリシアをよそに、カーラは早口で続ける。



「でも苦いだけで体に害があるものを混ぜたわけでは……って、苦くするため混ぜたお茶の種類もバッチリ見抜かれてるんだった……」


「えっと……何故そんなことをしたの?と問うべきなのよね」



 苦いお茶の件を彼女が認めたら何を追及するのか決めていたはずなのに、すぐにはその内容が浮かばず妙な聞き方をしてしまった。ジルの自伝小説の話のせいですっかりその内容が頭から消えてしまっていたようだ。


 アリシアは一度咳払いをして、今度は腕を組み、声も少し強気な感じで聞き直す。



「いったい何のつもりでそんなことをしたのかしら?」


「そ、それはディアナ王女が……」


「ディアナ王女?王女に言われてやったということかしら?」



 アリシアは口に出されたディアナの名に眉をひそめながらも、やっぱりかと思う。


 最初に苦い紅茶を出された時、彼女は何も知らないといった反応を示したため、彼女の指示ではないのだという気はしたものの、やはり疑いは晴れていなかった。


 しかし、カーラはそれに大きく首をふった。



「違います!ディアナ王女はそんなこと指示なさいません!!」


「え?」


「アタシたち皆勝手にやったんです!」


「どういうこと?……ちょっと待って。“アタシたち皆”って言ったわね。水を撒かれたりドレスを切り裂かれたりしたのを、一人だけでやったとは思っていないけど……共犯は何人いるの?」


「さあ、正確な人数はアタシにも」



 意味がわからない。


 困惑するアリシアに、カーラはメガネを押し上げて言った。



「アタシたち──この城の使用人たちは皆、ディアナ王女のことが可愛くて仕方ないんです」


「……ん?」


「可愛い可愛いディアナ王女が、幼い頃からお宅の国の第一王子に恋慕していらっしゃることは皆知っています」



 カーラは胸に手を当て微笑ましそうに目を細める。それから少し非難するようにアリシアを見た。



「アタシたちは、あんなに可愛いディアナ王女の恋が報われないわけがないと信じていました。だけど数ヶ月前、その相手が別の女性との結婚を決めたという情報がこちらに入ってきたのです」



 その当時のディアナの嘆きようは、本当に見ていて痛々しいほどのものだったという。

 一日中泣きじゃくって部屋に籠り、食事もほとんどとらず、城の者たちはたいそう心配したそうだ。



「なのに、ようやく傷もいくらか癒えてきた今、その王子が婚約者を連れてディアナ王女の前に現れたのですよ!?あのか弱く儚い王女が耐えられるはずがないでしょう!」


「……確かにディアナ王女と初めて出会った時、彼女泣いていたわね」


「ええ、アタシたちの間でも噂になったので知っています。それで誰かが言い出したんですよ。『あの婚約者をどうにか城から追い出せないか』って」



 いくら何でも、自分たちの力で王子と婚約者の仲を割いてディアナの恋を実らせるということは不可能。ならばせめて今までと同じように、ただの幼なじみとして、僅かであってもイルヴィスと楽しい時間を送ってもらいたい。


 そのためには、アリシアが邪魔だったというわけだ。



「カイ王子も余計なことをしてくれたものです。ディアナ王女が苦しんでらっしゃった時偶然この城におらず、どれだけ悲しんでいたのかという様子を知らなかったとはいえ」


「そう、だったの……」



 正直、何と言って良いかわからない。


 アリシアにしてみればこの上なく迷惑な話だが、傷付いた王女のために何とかしたいという気持ちは理解できる。



「まあ、嫌がらせもワンピースを破られたたこと以外は金銭的害もないし、まして命を狙うような悪質なものもなかったしね……」


「ああ、その辺りは一応徹底していました。ドレスを切り裂いたメイドは、所持品を壊すのは後から損害賠償請求されるのが怖いからやめておけと怒られていました」


「なるほどね。あのワンピースは同じ型のがいくつかあるからまあいいわ……」



 直せばまだ着られるかもしれないし、持ってきた服の中では一番の安物だ。わざわざ弁償させるほどでもない。


 それにしても、とアリシアは苦笑する。



「ディアナ王女はこの城の人たちにずいぶんと愛されているのね」



 国の王女なのだから大切にされるのは当然かもしれないが、カーラに関しては先ほどからディアナのことを「可愛い可愛い」と連呼しており、何やら私的な感情が混ざっているようにも思える。



「そりゃ当たり前ですよ!ディアナ王女は生きて元気に過ごしているだけでアタシたちは幸せです!この城の者たちはきっと皆そうです」


「貴女にそこまで言わせるのには、何か理由があるのかしら?」


「はい。……王女は、今でこそあれほど健やかに過ごされていますが、昔は本当にお身体が弱かったのです」



 カーラによれば、ディアナは幼い頃は病気がちで、外で遊び回るようなことがあれば、後から決まって熱を出していたらしい。


 身体が弱いくせに海へ行くのが好きで、家臣たちをすっかり困らせることもあったそうだ。



「実は、母親の王妃様もお身体は丈夫ではなくて、ディアナ王女が最後の子どもになると医者からも言われていたんです」


「王妃様も?」


「はい。一時は医者や産婆の慌てた様子から、赤子は無事に産まれてこられなかったのではという不穏な噂が流れたりもしました。だけどその数日後に、王女をしっかりと抱きかかえる王妃様の姿があって、それはもう誰もが喜んだものです」



 まあそれは、母や当時から働く使用人に聞いただけでアタシは幼くて覚えてないんですけど、とカーラは頭をかく。 



「ですから国王様や王妃様も、ディアナ王女のことは本当に大切にされています」


「そういえばカイ様が、『国王はディアナ王女を他国へ嫁がせようとしない』って言っていたわね」



 アリシアはふとカイに聞いた話を思い出す。

 自分の信頼する臣下の元へ降嫁させて、自分の目の届く範囲にいてもらおうと考えているのだろうか。



(娘が病弱だったなら、いくら今は健康でも親としてはやっぱり心配なのよね)



 アリシアは病弱だった前世の自分と、心配するその親を思い出して目を伏せる。


 前世の彼女はディアナのように、成長と共に身体が丈夫になったりすることはなく、10代の若さで人生に幕を閉じた。だが、きっと丈夫になって生きていたとしても両親はずっと心配していただろう。


 そこまで聞くと、ディアナを愛し、大切にしている人たちの気持ちにもしっかり納得がいった。



「なるほど。確かにそんなディアナ王女の前にわたしが現れれば、王女は精神的に不安定になって、体調に響くようなことがあるかもしれないと心配にもなるわね」


「はい、あの……」



 ディアナの魅力や生い立ちについて饒舌に語っていたカーラが、今度は口ごもり気まずそうに視線をさまよわせる。



「色々とすみませんでした。正直、可愛いディアナ王女の想い人を奪うなんて、かなりの悪女だと思ってたんです」


「あ、悪女……」



 悪女。まあ悪役令嬢の亜種みたいなものか。ならばそう間違っていないかもしれない。


 そんなことを少しふざけて考えクスリと笑うアリシアに、カーラは「でも……」と神妙な面持ちで続ける。



「あなた、すっごく良い人だったんですね」


「え?」


「だってそうじゃないですか。こっちがしたことに怒って当然なのに、そうせず事情を聞いて許そうとしてくれるし、しかも母さんのファンだとか言ってくれるし……」


「ふふ……まあジルさんのファンなのは事実だから」



 ジルの娘であるカーラに会いたかったというのも本心だ。アリシアは少し照れたように笑う。

 だが、すぐにその笑顔を消して「だけど」とまっすぐカーラの目を見る。



「わたし、『許す』なんて言ってないわよね?」


「え……」


「あの苦いお茶、飲んだ後しばらく舌が痺れて大変だったわ。周りに心配されないよう平然とした顔でいるのにはかなりの精神力が必要だったし。それからバルコニーの上から大量の水を落とされた時、あと一歩前にいたら全身びしょ濡れだったでしょうね。お風呂に入った直後だったのに」


「あ……」


「破かれた服は修繕すれば着られるかもしれないけど、無駄にうちの使用人の仕事を増やしてしまうことになるわ。その分通常の仕事に時間が割けなくなるかも」



 はあ、とため息をついてみせると、カーラの顔色はまた青くなっていく。



「ご、ご、ごめんなさい」


「あら、謝るだけで済むと思っているのかしら」


「ええっ、あの、お金とかあんまり持ってませんよっ……」


「嫌ね。自分で言うのもなんだけど、うちはお金なら十分あるわ。貴女からせびるような真似しないわよ」


「で、ではどうしたら」


「そうねえ、お詫びの気持ちがあるなら……」



 すっかり怯えるカーラを見て、アリシアはニンマリと笑みを浮かべた。



「わたしのために紅茶を淹れてきてもらおうかしら。この城のお茶係である貴女が、一番美味しいと思う茶葉を使って、一番美味しい淹れ方で淹れたものをね」


「……紅茶?」


「ええ。あんなに苦くて不味いお茶を飲ませたのだから、そのお詫びにとびっきり美味しい紅茶を飲ませてちょうだい」



 カーラは一瞬驚いた様子だったが、すぐ頬を嬉しそうに紅潮させて何度もうなずいた。



「はいっ、もちろんです!お任せを!アタシがこれまでに出会った中で最上級の紅茶を今すぐお持ちいたします!」



 そう言い終わると同時に、カーラは給湯室の方へと走っていく。


 アリシアはそんな後ろ姿を見ながら、彼女の言う「最上級の紅茶」に期待を膨らませるのだった。


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