対面



 (本当、何でわたしなのかしら)


 王子の婚約者に選ばれたという知らせを聞いた2日後、アリシアは王宮に向かう馬車に乗っていた。

 何度もため息をついているが、向いに座る父は、それが緊張のためのものだと思っているのだろう。


 アリシアは、あのお茶会で王子が自分のことを見ていないという自信があった。


 実際、お茶会当日にアリシアがイルヴィス王子と言葉を交わしたのは、挨拶した時の一度きりだった。


 イルヴィスはお茶会の間中公爵家のご息女を初めとする煌びやかな格好の令嬢たちに囲まれていて、近づこうに近づけなかった。まあ別に近づこうと思わなかったが。

 正直に言うと、お茶やお菓子が美味しかったという記憶しかない。



(ああ!にしても前世の記憶が戻ってから5年。その間ずっとここが『黒髪メイドの恋愛事情漫画』の世界だと気が付かなかったなんて…!)



 アリシアのため息の原因は、緊張ではなくこのことだった。


 『黒髪メイドの恋愛事情』それは、前世の“彼女”が読んだ少女漫画の一つだ。特別好んではいなかったファンタジー系の恋愛もの。

 孤児院出身だが高い能力を買われ、王宮のメイドになった主人公ヒロインが、掴みどころのない第三王子に振り回されながらも惹かれあっていくというストーリーだ。


アリシアは、主人公と恋に落ちる第三王子の兄イルヴィスの婚約者という設定。主人公の目線では、アリシアは美しくてどこか考えの読めない令嬢と語られていた。


 主人公は当初、身分と気位の高い他のメイドから酷いいじめに遭っており、アリシアはそんな主人公に優しくしていた。だがそれもまた、他のメイドたちの機嫌を損ねることとなる。

 それでも、主人公は優しくしてくれるアリシアを有難く思っていた。


 しかし話が進むと、主人公に嫌がらせをしていた本当の黒幕こそがアリシアなのだと判明する。


 アリシアは、婚約者である合理的で冷淡な第一王子イルヴィスに愛されなかった。その一方、平民でありながら第三王子に愛されているの主人公の存在がストレスだった。というのが嫌がらせの理由だ。


 黒幕だと判明した後、アリシアは今までの優しさは何だったのかと思うほどに荒れ狂い、婚約者だったイルヴィスから「妃にふさわしくない」と婚約破棄を言い渡されてしまう。

 その後は、医者から心の病だと診断され、国の外れにある森でひっそりと暮らすことになり、その後再び登場することはなかった。



(漫画に出ていた『アリシア・リアンノーズ』と今のわたし、性格とかはだいぶ違うような気はするけど…)



アリシアは目をつむって考える。


 もし、前世の記憶を思い出さずに育っていたら、まさに漫画の『アリシア・リアンノーズ』だったかもしれない。でも、今のアリシアは良くも悪くも漫画のアリシアとだいぶイメージが離れている。


 だが…



(いくら性格が漫画のアリシアと違うからといって、わたしがこれからあのストーリー通りの人生を辿らないという保証はないのだけど)



 現に、あのお茶会で大して話さなかったはずのアリシアを、第一王子は婚約者に選んだ。それはシナリオ通りに事が進んでいるという証拠なのではないだろうか。


 アリシアが今後、主人公に当たる人物に嫌がらせをしなくても、漫画の通り他のメイドたちが主人公をいじめ、その黒幕ということにされてしまう可能性もある。

 せめてもっと早い段階でこの世界のことに気づき、お茶会への参加を拒否するなどという対策をとれば、また変わっていたかもしれない。そう悔やまれてならなかった。



 しかし気が付かなかったのも仕方がなかった。前世の“彼女”は『黒髪メイドの恋愛事情』を全巻読みはしたが、そこまで熟読したわけではない。あらすじと大まかな設定を覚えていただけでも上等なのかもしれない。



(もしストーリー通りに婚約破棄されたらどうしよう…)



 漠然とした不安がアリシアを襲う。


 国の外れの森で暮らす。それはそれで楽しそうだと思わなくもないが、問題はリアンノーズの家にかかる迷惑だ。

 あの第一王子からの婚約を破棄されたとなっては、アリシアだけではなく、リアンノーズ家への世間の印象も最悪になる。


 大好きな家族たちにそんな迷惑がかかるのは、とても耐えられない。



(でも、こんなに喜んでくれている家族に、婚約を断りたいなんて言えないし…そもそも王家からの申し出を断れるはずがないわね)



 やはりこの話を受け入れた上で、婚約破棄されないよう対策を考えていくしかない。


 そう決心するも、今度はまた違うモヤモヤが心に出てきた。



(わたし、愛されないのか…)



 漫画の中で、イルヴィスがアリシアを愛したことはなかった。


 必要なのは、妃にふさわしい品格、教養、家柄。彼自身の感情などは、妃を決める上で少しも参考にはしていない。


 前世の少女漫画好きだった“彼女”ほどでないにせよ、アリシアにだって人並みに恋愛への憧れはある。


 アリシアの2人の姉たちは、いずれも政略結婚のような形で嫁いでいるが、2人とも夫にはよく愛されていて、幸せそうだ。

 しかし、漫画のイルヴィス王子を思い出す限り、どうあがいてもアリシアを愛するようにはならないだろう。



(どうせ結婚するなら、お姉様たちのように愛してくれる人と結婚したかったな)



 イルヴィスにも、漫画の最後の方で、主人公を少し気にしているような描写はあったような気がするが、恋心なのか言及されることなく終わったはずだ。他人に対してそういう気持ち恋愛感情は抱かない人なのかもしれない。



「はあ」


「アリシア。緊張するのは分かるが、せめて殿下の前ではいつも通りの笑顔を見せなさい」



 何度目か分からないため息に、父オリヴィオがとうとう苦言を呈した。



「…もちろん分かっています、お父様。作り笑いは得意ですし」


「作り笑い…」



 オリヴィオが苦々しい表情を見せたところで、馬車が止まった。

 馬車を降りると、視界いっぱいに大きな城が映る。


 城へ来たのは初めてではないが、グランリア王国の象徴ともいえるこの場所は、来る度に圧倒されてしまう。


 高くそびえ立つ城壁の向こうに見える、美しい石造りの建物。庭も広大で、それだけでリアンノーズ家の敷地いくつ分だろうか。



 アリシアは、父にバレないように、もう一度だけこっそりため息をついた。







 王宮へ来たことがあると言っても、あくまで、この前のお茶会のようなパーティの時だけ。それらのパーティは庭か大広間のような場所でしか行われないので、城内のそれ以外の場所へ行くのは初めてだった。


 門付近で待ち構えていたメイドにより、アリシアたちは大きな客間へ通された。



「少しの間お待ちください」



 深く頭を下げて客間を出るメイドを見て、アリシアは緊張がピークに達した。何とか落ち着こうと、大きく息を吸うと、馴染みのある香りが鼻腔をくすぐった。



(あ、この落ち着く香りは…)



 部屋をぐるりと見渡すと、隅の方にたくさんのラベンダーを生けた花瓶があるのが分かった。この香りはそこからしているのだろう。


 好きな香りというのは、それだけで気持ちが落ち着いていく。



「グランリア王国の北の地域でつくられたラベンダーだ」



 花瓶に気を取られていると、背後から凛とした声がした。男性にしては若干高めだが、聞くと何となく気を引き締めてしまうような威厳がある声だ。

 アリシアは驚いて姿勢をただし、声の方を見る。



 シュッとした顎のラインに、吸い込まれそうなほど鮮やかな緑の瞳。

 金色なのに無駄な輝きがなく、透き通るようなという表現が合いそうな髪は、肩につくくらいまで伸びている。その髪の間からは、青い宝石がついたピアスが揺れる。


 そんな、油断をすれば息を止めて見入ってしまいそうな美形の男。歳は20だというが、それ以上に落ち着いた雰囲気がある。


 グランリア王国第一王子、イルヴィス・グランリア。お茶会での挨拶の時、一度近くで顔を合わせたが、何度見てもやはり美しい。



「このような形で再びお目にかかることができ、光栄です。殿下」



 アリシアは父と一緒に立ち上がり、頭を下げて言った。イルヴィスはそんな二人に、座るよう促し、自分もアリシアたちに向かい合うように座る。



「ご足労感謝する、リアンノーズ伯爵、そしてアリシア嬢」



 イルヴィスは口もとにうっすら笑みを浮かべる。それから少し花瓶の方へ目をやった。



「アリシア嬢はラベンダーの香りが好きだろうと思い準備させたのだが、気に入って頂けたようだな」


「はい。……あの、何故わたしがラベンダー好きだと?」


「茶会の時、貴女からは優しいラベンダーの香りがした」



 言われてアリシアは、思わず目を見開いた。



 確かにあの日、アリシアは香水代わりにお手製のラベンダー水を使っていた。普通の香水は香りが強くて苦手だからだ。


 だが、挨拶のため近くで話した時間など、ほんの一瞬だ。それだけでラベンダーの香りに気が付いたというのには驚きを隠せない。



「…よくお分かりになりましたね」


「懐かしい香りだったからな」


「懐かしい?」


「そんなことより本題だ、アリシア嬢」



 イルヴィスはまっすぐアリシアの目を見た。

 吸い込まれそうな瞳に少したじろぎそうになったが、何となく目を逸らしたら負けな気がして、アリシアはその目を見返した。



「手紙にも記した通り、貴女には私の妃になってもらいたいと考えている」


「…わたしからこの話をお断りする理由はありません。ですが、差し支えなければ何故わたしをお選びになったのか教えて頂けますか?」



 それはアリシアが一番知りたかったことだった。


 リアンノーズ家は伯爵家の中では最有力ではあるが、それでも伯爵家。しかしあのお茶会には公爵家や侯爵家の娘もたくさんいた。


 それに、妃としてのきちんとした教養や品格を求めるのなら、せめて学園で好成績を残した者を選ぶべきだ。

 確かに、漫画のアリシアは、学園で表彰されるほどの好成績を残した人物だった。だが今ここにいるアリシアは、学園での成績は中の中といった感じだ。


 正直に言えば、ハーブなどの興味のあることに時間を割いていたため、あまり勉強はしていなかった。


 そうなると、イルヴィスは家柄を見て決めたわけでも、成績を見て決めたわけでもないということになる。



「………」



 イルヴィスは、アリシアの質問に少し困ったように眉をひそめた。



(もしかして)



 その様子を見たアリシアはふと気付く。



(殿下にも、何故わたしを選んだのか分からないのかも。漫画のストーリーを成り立たせるために、どこかで何かしらの力が働いた…とか)



  馬車の中でも考えていた可能性。だが、本当にそんな力が働いているとは正直考えたくない。だってそうだとしたら、抗いようがないではないか。


 なので、とりあえずその考えは一旦捨てることにした。




「えっと、確か正式に婚姻を結ぶまで、一年間の婚約期間が必要なんですよね」




 アリシアはイルヴィスからの答えは望めないと思い、話を変えた。



「ああ。その間貴女には王宮内への自由な出入りを認めよう」



 王宮への自由な出入り。それはなかなか嬉しい特権だ。特にあの広大な庭。あれはずっと見ていても飽きないだろう。



「ありがとうございます」



 アリシアはまた恭しく頭を下げた。イルヴィスは、そんなアリシアを見て、軽くうなずく。



「では、これからよろしく頼む。アリシア」



 それだけ言い残して立ち上がると、部屋を出ていこうとする。が、扉の手前で思い出したように振り返った。



「そうだ、先ほどの質問の答えだが……私もまた、貴女と同じでラベンダーが好きだから。と言っておこう」



 何の質問の答えか…というのは、聞くまでもなかった。



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