出発



 ルリーマ王国への出発が叶ったのは、およそ一週間後のことだった。

 グランリアの王都からルリーマの王都までは馬車で約四日。


 初めて行く他国に、出発前夜は眠れなくなるほどワクワクしていたアリシアだったが、出発して一日も経つと、国境を越える前なのに関わらず知らない風景が広がっていた。無論アリシアは既に大盛り上がりだった。


 国内に広大な小麦畑や果樹園があることは、知識として知ってはいたが、実物を目にするのは初めてだったのだ。


 アリシアが「あれは何かしら?」と問うたびに、同行しているノアが丁寧に説明をしてくれた。四日ある移動時間は、酔うために本も読めないし、暇で仕方ないのではないかと心配していたが、ノアのお陰もありそう退屈ではなかった。


 それに、毎晩宿で休むときには、前の馬車に乗っているイルヴィスやカイと一緒に食事をできたりもして、なかなかに楽しい時間が送れた。


 そして昨夜。とうとう国境を越えた。



「お嬢様、よく眠れましたか?」



 宿を出て馬車に乗り込んだあと、しばらくぼんやり外を見ていたアリシアに、ノアが問う。



「ええ。何だかんだ疲れてたからぐっすり」


「それは何よりでございます」



 とはいえ、まだ少し眠い。


 アリシアは手を当てて一つあくびをしてから、ふと思い出して言った。



「そういえばごめんなさいね、ノア」


「……?何がですか?」


「本当なら明後日から休みだったでしょう?」


「ええ。ですが休みはこの旅から帰った後にずらしましたし……」


「だけどそのせいでミハイルさんと休みが合わなくなったでしょ?デートの予定、かなり先延ばしになっちゃったんじゃない?」



 アリシアの言葉に、ノアは顔を強ばらせた。その頬はみるみる赤く染まっていく。



「どっ、どうしてそれを知っているんです?」


「ノア、この間手帳を落としたでしょ?たまたま予定の書かれたページが見えたのよ」



 休みに入って二日目の予定に、ミハイルの名前が書き込まれていたのだが、それが二重線で消され、今回の旅に書き換えられていた。


 もしやと思い、ミハイルに「休みはあるのか」と探りを入れたところ、案の定その日が休みだと言っていた。その上予定がなくなったからゆっくり休むつもりだとも。これはもう決まりだと思ったわけだ。


 あの二人はもとからお互い意識しているのではないかと勘ぐっていたが、最近さらに仲良くなったように見える。



 ノアは両手で軽く頬を押さえて、気持ちを落ち着かせてから言った。



「からかわないでくださいお嬢様。その、で、デートっていうわけでは……」


「ふふ、いつの間にプライベートで遊びに行くほど進展していたのかしら」


「お嬢様!」



 既に二人が想いを伝え合った可能性もゼロではなかったが、この反応を見た限りまだそこまでではなさそうだ。


 お互い想い合っており、何となく察しているにも関わらずまだ決め手となる言葉はない。少女漫画なら一番甘酸っぱくてドキドキするところだ。



 さらに問い詰めてやろうかとアリシアが口を開きかけたとき、馬車がゆっくり止まった。


 王都に着くのは昼頃だという話だったが、今日はまだ出発して一時間も経っていない。何かのトラブルだろうかと外に目を向けると同時に、コンコンと戸が叩かれた。



 開けるとそこには、前方の馬車に乗っていたはずのカイが、いたずらっぽい笑みを浮かべて立っていた。



「アリシア殿、少し寄り道をしていかないか?」


「寄り道ですか?……わっ」



 首を傾げるアリシアは、カイに手を強くつかまれ、そのまま勢いよく引っ張りだされた。


 思わず目を瞑ると、彼のがっしりとした力強い腕に抱きとめられた。



「あ、危ないじゃないですか!」


「あちらを見てみろアリシア殿」



 文句を言うアリシアをよそに、カイは楽しそうに少し遠くを指さす。


 その指の先には……



「海!」



 深い青からエメラルドグリーンへとグラデーションのかかった美しい海と、真っ白い砂浜。


 初めて目にするその光景に、アリシアは感動で言葉が出ない。



「グランリアではなかなか見られない光景だな」



 いつの間にかアリシアたちのそばに来てきたイルヴィスがそう言って眩しそうに目を細める。



「時間に余裕があるし、近くに行ってみないかとカイが」


「ぜ、ぜひ行きたいです!」



 コクコクと何度もうなずくと、イルヴィスはおかしそうに笑いながらアリシアの頭を撫でた。



「貴女なら間違いなくそう言うだろうと思った」


「だって!」



 そんな機会なんてめったにない。



「ならば決まりだな!早速海岸まで行こう!馬車は入れないから少しばかり歩くことにかるが構わないか?」


「もちろんです」



 アリシアは力強く返事をする。もう少しも眠気はない。




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