夜会のはじまり
□
「とてもお似合いですお嬢様!」
アリシアにドレスを着せたメイドが、両手を合わせて微笑んだ。
目の前の鏡には、淡い紫のドレスに身を包んだアリシアが映っている。
そのドレスは、控えめなフリルと、銀糸で施された刺繍により、上品さが演出されている。姉からもらったシルバーのネックレスにも、イルヴィスからもらった髪飾りにもよく合っている。
普段はハーフアップにしているターコイズブルーの髪も、今日は編み込んで一つにまとめてもらった。
「本当?おかしくない?」
「もちろん素敵です!まるでお嬢様が着るべくして生まれてきたドレスのようです」
「それは大袈裟よ」
アリシアはくすくすと笑いながら、リラックスしている自分に安心する。
この二週間、必死の思いでダンスの練習をしたり参加者の名前を覚えたりしてきた。
礼儀作法も、講師に厳しく鍛え直された。
アリシアはあまり器用な方ではないので、興味のないことを覚えるのは苦手だ。それでも追い詰められていたからか、どうにかして課題をこなしていくことができた。
だが、準備が進んでいくと同時に不安も大きくなってきた。
本番、緊張してせっかく覚えた名前を忘れたらどうしよう。何か礼儀にかなわないことをしてしまったりしたら……。
(ダンスも完璧になったとは言い難いし)
相手の足を踏む回数は減ったが、自分でも動きがぎこちないのはわかる。
イルヴィスや他の参加者の足を思い切り踏みつけるようなことがあったらと思うと血の気が引く。
今回の件で、アリシアは自分が今までいかに責任の少ない立場で自由にしてきたのか痛感させられた気がする。
こんな公の場──それもアリシアが一番の注目を集めるような機会に、何か恥を晒せば、いったいどれだけ迷惑がかかるだろう。
(って、せっかくリラックスしてたのにそんなこと考えたらまた緊張しちゃうじゃない!だめだめ、他のこと考えよう……あ、夜会終わりにミハイルさんが極上のハーブティーを淹れてくれるとか何とか言ってたわね)
「お嬢様。そろそろお時間ですよ」
「はひっ、あ……もう?」
アリシアは大きく息を吸い、鏡の自分に向かって微笑みかけた。大丈夫、わたしはリラックスできてる。
これだけ準備してきたのだ。上手くいくに決まっている。
外に出ると、天気はあまり良くなかった。
暗くて分かりにくいものの、雲はどんよりとしていて、星一つ見えないほど空を覆っている。激しくこそないが、雨も降っている。
「これはさらに荒れるかもしれませんね」
ノアが心配そうに言う。夜会に参加できるのは招待客だけなので、侍女を連れていくことはできないが、城まで付き添ってくれている。今はいつも以上に彼女の存在が嬉しい。
「あまり荒れると帰れなくなってしまわないかしら……」
「まあ、その可能性もありますね。でも、状況を見て早く切り上げられるのではないですか?」
「それもそうね」
城に到着した頃にも相変わらず雨は降っていたが、特に強くなったりはしていなかった。
足もとに気を配りながらゆっくり歩き、城の中に入る。
「お嬢様、ご武運を」
「ありがとうノア。行ってくるわ」
ノアに別れを告げ、アリシアは会場となる部屋を探す。
その場所は、賑やかな話し声が聞こえてくるのですぐにわかった。
(うわ……やっぱり人、多いわね。結構な規模のパーティーっていうことよね)
会場内にこっそりと入り、誰にも気が付かれないように壁際に……というわけにはいかないだろう。さすがに今日は。
そうはいっても、軽く周囲を見渡してみるが気軽に話しかけることができるような知り合いは見当たらない。いや、そもそもそんな知り合いなどほぼいないが。
(あ、先にまずは殿下に挨拶しなくちゃ)
この国の王は、数年前病に倒れて以来、職務の多くから手を引いており、このような王宮主催の夜会にも姿を現さない。王妃がいる場合もあるが、今日は不参加らしいので、主催者側の代表はイルヴィスだ。
しばらく視線をキョロキョロとさまよわせて、彼の姿を探す。ようやく見つけるも、他の参加者に話しかけられており、行くのが
(ま、後でいいか)
アリシアがちょうどそう思ったとき、ドンと誰かに押された。
「うわっ」
割と強い力だったので一瞬ふらついた。が、この二週間ダンスの練習で鍛えられたのか、上手くバランスをとり、公衆の面前で思い切り転んでしまうという失態は避けられた。
いったい誰だ。振り返るとそこには、嘲笑うかのような笑みを口元に貼り付けた、アリシアと同じくらいの歳の女が立っていた。
目鼻立ちはかなり整っている、というか派手な印象。自分でも容姿には自信があるというのが、身に付けた豪華なドレスやアクセサリーからも伝わってくる。
「あら、ごめんなさい。あまりに地味で存在感がなかったものですから、気が付きませんでしたわ」
微塵も悪かったとは思っていなさそうな物言いである。
しかし、自分で思うのもなんだが、アリシアのことを地味だというのは少し無理がなかろうか。まあ、彼女に比べればいくらか地味ではあるだろうが。
そんなことを考えている間に思い出した。
「ごきげんよう、サラ様」
彼女の名はサラ・ローラン。ローラン公爵家のご令嬢だ。
学園ではアリシアと同学年で、家柄の良さを鼻にかけたような、高飛車な態度が目立っていた。
学園でそう関わったことはないが、お茶会という名のイルヴィスの婚約者探しには参加していた気がする。
サラは挨拶の言葉を口にしたアリシアを見て、フンと鼻を鳴らす。
「アリシア・リアンノーズといったわね」
「はい」
「へぇ……貴女が、ねえ」
サラは値踏みするように、アリシアのことを頭のてっぺんから足の先までジロジロと眺める。
「貴女のことは調べさせたわ。伯爵家の三女で、学園で目立った成績を残したりはしていない」
「ええまあ……」
相槌を打つとサラの目付きがギッと鋭くなった。
「そんな女が、イルヴィス様の婚約者ですって?ふざけないでちょうだい」
「……」
「だって考えてもごらんなさい?家柄はそこそこ、能力もそこそこ、容姿もそこそこ。それなのに、このわたくしを差し置いて王妃なんて……何かの間違いでしょう?」
もしかして、嫌味を言われている……?強い口調で言い続けるサラを見て、アリシアはようやく思う。
(いやいや。わたし、漫画じゃ悪役令嬢よ?どっちかといえば
「ちょっと、聞いているの?」
心ここに在らずなのがバレたらしい。派手な顔にこう睨まれると結構恐い。
アリシアは得意の作り笑いを浮かべる。
「もちろん聞いております」
「ふん、どうだか。リアンノーズ家というのがどんな家か知らないけれど、貴女を見ていると教育が行き届いていないのがわかる気がするわ」
「……不快な思いをさせてしまったのなら、申し訳ありません」
「はあ、いったいどんな手を使って選んでもらったというのかしら。聞いた話じゃ、学園に通っていた頃から妙な行動が多かったそうね。変な薬を作っていたとか」
(いやそれ何の情報よ)
薬の調合などした覚えない。やったのはハーブティーのブレンドぐらいだ。その話からの飛躍だとすればひどすぎる。
サラはなおも得意げに続ける。
「イルヴィス様に、自分を選ばせる薬でも盛ったのではなくて?そうでもなければ貴女が選ばれた説明がつかないわ」
そんな薬が作れたらもう魔法使いの領域だ。
面倒ではあるが、そろそろ反論しておこうか。そう思って口を開きかけたとき、サラの後ろに目がいった。
「あ──」
「何よ?」
アリシアの視線が自分に向いていないことに気がついたサラが、腕を組んでゆっくり振り返る。
「ご無沙汰していたな、ローラン公爵令嬢」
「い、イルヴィス様っ」
口元に笑みを浮かべつつ、目は少しも笑っていないイルヴィスが、まっすぐサラを見ている。
「ご、ご機嫌麗しゅう……」
顔を真っ赤にしながらあたふたしているサラは、先ほどとうって変わり、完全に乙女の表情である。
だが、イルヴィスの方は正反対だ。浮かべていた微笑みすら消え、冷ややかな目になっている。
「ところでローラン公爵令嬢。先ほどから聞いていれば、私の婚約者にずいぶんとを言っていたようだが」
イルヴィスの冷たい声に、サラの赤かった顔が、今度は可哀想なくらい青くなる。
「き、聞いてらしたんですか……ええっと、あれは……」
「あれは?」
「そ、その。少し楽しくお話を、ね?アリシアさん?」
サラは圧力をかけるようにアリシアを睨みつける。
(うーん、ちょっと無理があるんじゃ?)
だが否定しても後が面倒そうだ。
「はい。一人でいたわたしを気遣ってくださったのです」
「ほう……。まあ、我が婚約者殿がそう言うなら、そういうことにしておこう」
イルヴィスが言うと、サラはほっと息を吐いた。
イルヴィスは、今度はアリシアへ視線を移した。
「アリシア、待たせてすまなかったな」
「いえ、とんでもないです。こちらこそすぐ挨拶に伺わず申し訳ありませんでした」
「構わない。行こう、もうすぐ演奏が始まる。ダンスの練習、成果を見せてもらおうか」
「うっ……」
「ではまた、ローラン公爵令嬢」
イルヴィスはサラにそれだけ言ってから、そっとアリシアの肩に手をまわし自分の方へ引き寄せた。
ピッタリと寄り添うかたちになり、アリシアは想像していなかったほどの距離の近さに少しドキドキする。
気になってそっとサラの顔を見ると、彼女は鬼のような形相でアリシアを睨みつけていた。
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