噂と証言と仕返し 後編
「な、何を言っているの?あなたは……」
かろうじて口から出てきた声から、サラの動揺ぶりが窺い知れる。
紅をさした、ふっくら赤い唇がわなわなと震えている。
「毒を飲み倒れたのは事実ですが、あれはサラ様たちの指示により行った自作自演。結果として多くの人に迷惑を掛けてしまったことを、この場で謝らせてください」
対照的に、ニーナの話し方はあくまで落ち着いていた。
深く頭を下げたニーナは、その体勢のまま続ける。
「それから、あたしはアリシア様の悪評を立てるため、嫌がらせを受けたのだと証言しました。サラ様たちはその証言に信ぴょう性を持たせるため、そこのメイドたちを買収して、先ほどのようなことを言わせたのかと」
「ちょっとあなた!」
叫ぶサラの声は、これでもかというほど怒りに震えていた。
「証拠がないわ」
「……なるほど、確かに証拠がない」
サラの言葉に答えたのは、今まで黙って聞いていたイルヴィスだった。
「なら一つ尋ねても良いだろうか。ニーナ、その話が本当だとして、何故お前は今になって言い出した?その理由が知りたい」
「騙されていたと知ったからです」
「騙された?」
「サラ様たちは協力する対価として、ローラン家が所有しているという元孤児院の土地と建物を与えると口約束しました。あたしがどうしても手に入れたかった大切な場所です」
サラと、それからサラの父親は何かに気がついたように苦い表情を浮かべた。
「でも、あの場所は既にローラン家のものではなかった。」
あの日、アリシアがニーナに告げた真実。
『あの孤児院のある土地だけど、今はローラン家のものではないわ』
『そんなはず……ちゃんと調べて……』
『つい最近、王家がローラン家から買い取ったらしいの。詳しい理由は不明だけど、何やらデュラン殿下が指示をしていたそうよ』
これはイルヴィスから聞いた情報だ。
デュランがそんなことをするとしたら、その理由は一つしか思いつかない。
『デュラン様が……?まさか』
『ニーナさんは、デュラン殿下に孤児院のことを話したことがあるのではない?きっと彼は貴女のために──』
ニーナがローラン家に従って行動をした意味を否定する真実は、考え方によっては少し残酷かもしれない。アリシアはそう思ったが、ニーナは騙された悔しさをバネにアリシアへの協力を決めてくれた。
「後日デュラン殿下本人に確認したら、事実だとお認めになりました」
「なるほど。ローラン家はそもそもお前に対価を支払うつもりはなかったのか」
ニーナはイルヴィスに向けて一つうなずき、自嘲気味に笑った。
「そりゃそうですよね。諸々と終わった後に事実を言ったって、一メイドの──それも卑しい身分の出であるあたしの言葉なんて、誰も耳を貸したりしませんから。別に対価なんて渡す必要なんてない」
だから、今この場で真実を言うことにしました。ニーナはそう言うと、また頭を下げた。
先ほどまでアリシアに向けられていた人々の侮蔑の視線は、今はサラたちに向いている。
イルヴィスは「そうか」と軽くうなずいた。
「その辺の話は、他の買収されたというメイドたちからも聞かなくてはならないな」
目を向けられた五人のメイドたちは、顔を見合わせる。そして、「し、失礼します」と引きつった声で言ってから走り去って行った。
あっという間に見えなくなった彼女たちの走って行った方を見ながら、イルヴィスは呆れたように息をつく。
「話を聞くまでもなかったか。ローラン公爵」
「は、はい」
「貴方が娘を私の妃にさせたがっていることは知っていた。だが、そのために決まった婚約者を引きずり下ろすような真似をするとはな」
「ご、誤解でございます殿下」
「何が誤解だ?」
イルヴィスの声は、背筋が冷えるほど冷たい。
「アリシアは今回のことを本気で気に病んでいた。本当に自分のせいで一人の人間が死にかけたのかもしれない、と」
「っ……も、申し訳ございません」
「謝罪の相手は私ではない」
公爵は、はたから見てもわかるくらい強く唇を噛みつつアリシアの方を向き、ゆっくり近づいてきた。
そして躊躇いながら頭を下げた。
「申し訳なかった」
公爵の頭頂部は間近で見ると意外に薄いな。そんな余計なことを考えていると、イルヴィスはニヤリとイタズラっぽく笑い、アリシアを見た。
「どうする、許すか?アリシア」
「ええ」
アリシアもイルヴィスに向け、同じように笑い返した。
「もちろん、許しますわ」
アリシアはテーブルに置いてある、先ほどニーナに味見をさせたお茶の入ったポットを手に取る。
優雅な手つきで、そのお茶を二人分のティーカップに注ぐ。
「和解の印のお茶です。サラ様もどうぞ。一気に飲み干してくださいね。その方が香りが感じられますから」
「はあ!?何でわたくしが……」
サラは眉をひそめたが、自分が断ることのできる立場でないと悟ったのか、渋々ティーカップを受け取った。
そしてサラは、アリシアが言った通りに一気にお茶をあおり──それをものすごい勢いで全て噴き出した。
「ぶはっ……なっ……によコレっ!!」
公衆の面前で口の中のものを噴き出すなどという失態に顔を真っ赤にしながら、サラはアリシアに食ってかかる。
アリシアはそれに臆せず、涼しい顔で解説する。
「古今東西わたしの知りうる限りの苦い薬草をブレンドした、激にが薬草茶です。名付けて『アリシアスペシャル』」
センブリをメインに、ドクダミやリンドウなど、独特すぎる味の薬草を多数使用してみた。体には良くとも、味は想像を絶するものである。
ちなみに、少し味見をしたニーナは、あの可愛い顔を醜く歪めていた。それぐらいには酷い味だ。
「これと同じポットがあと二つ用意してあるの。全部飲み切ったたら、今回のことを許すことにしますね!」
アリシアは笑顔で言う。ローラン父娘の顔がサッと青くなった。
「大丈夫。三分の一ほどニーナさんが飲んでくれるそうですから。三人で頑張ってくださいね」
アリシアの言う仕返しが、この『アリシアスペシャル』のことだと聞いたニーナは、初め「甘い、優しすぎる」と言っていた。
そして、それでアリシアに対して罪を償えるのならば、自分もいくらでもその薬草茶を飲むと申し出てきた。
……しかしそれも、味見をした時点でかなり後悔したように見えるが。
「お嬢様、実は
一部始終を見ていたノアがボソリと呟いた。
「何のことかしら?」
「いいえ。お嬢様のことは怒らせたくないと身をもって感じたまでです」
「同感だ。私の婚約者は怒らせない方が良い」
いつの間にかアリシアの隣にいたイルヴィスが、優しい笑みを浮かべてノアに同意した。
それから、そっとアリシアの頭を撫でる。
その様子を見た、数人の令嬢たちが「わあ」と声を上げたた。
「あのイルヴィス殿下が……あんなに優しい表情をしていらっしゃるわ……!」
「本当……いつも氷のように冷たい目をしていらっしゃるのに!アリシア様にはああやって笑顔を向けられるのね!」
それを聞き、何を言っているのだろう、とアリシアは思う。
(殿下は意外とよく笑うし、笑えばいつだって優しい雰囲気になるのに)
当のイルヴィスは特に気にする風でもなく、参加者たち全員に向けて言った。
「皆、騒がせてしまい申し訳なかったな。引き続き茶会を楽しんでくれ。ああ、それから……」
細いながらもしっかりとしたその優しい手で、イルヴィスはアリシアの肩をそっと抱き寄せた。
「私が妃を選び直すという噂が広まっているようだが、それは事実ではない。私はアリシアのことを今後も手放す気はないからな」
堂々と宣言されたその言葉に、アリシアは心臓がドキリと大きく跳ねるのがわかった。
たとえそれが、噂を否定するための大袈裟な表現であったとしても、純粋に嬉しいと思った。
だが同時に少し焦る。
(そんなこと言ったら、また他の令嬢に睨まれるハメになるんじゃ……)
しかしながら、それは杞憂だった。
予想に反して湧き上がったのは、アリシアを敵視するものとは真逆の、割れんばかりの温かな拍手だった。
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