疑惑
□
ティータイムが予定していた時間よりも早く終わってしまった。
残されたアリシアは、先ほどまで部屋の外で待たせていたノアに手伝われながらティーセットを片付ける。
この後はハーブ園に行こうか。そう考えていたが、アリシアは少し思いとどまった。
「ノア、悪いけど先にハーブ園へ行っていてくれない?少し行きたいところがあって」
「行きたいところですか?構いませんが、ご一緒しますよ?」
「いいの。一人で行きたいから」
不思議そうに首をかしげたノアに、アリシアは微笑む。
ノアについてこられて不都合というわけではないが、説明が面倒である。今から行こうとしているのは、一介の王宮メイドに過ぎないニーナのところだからだ。
「大丈夫、すぐ終わるから」
「そうですか……わかりました」
アリシアはノアと別れて回廊を歩く。
広大な王宮で一人のメイドを探すというのはなかなか大変だ。
だが、気合いを入れて捜索したりせずともニーナを見つけてしまう自信はあった。
(これまでだって、会いたくもないのに巡り会っちゃってたわけだしね)
そんな予感はズバリ的中した。
「あ、アリシア様!」
しばらくの間キョロキョロと左右を見渡していたアリシアの後方から、鈴のように可憐で可愛らしい声が聞こえた。
振り返ると、右手には水の入った重そうなバケツ、左手には雑巾という見るからに掃除中というスタイルのニーナがいた。
アリシアは、引きつってしまわないよう力を抜いてから笑みを浮かべた。
「ニーナさん。お掃除中かしら?」
「はい!雑巾がけも冬だと辛いですけど、これだけ暑くなると少しも苦にならないですよね」
何故か同意を求めてくるニーナ。
正直に言えば、伯爵家の令嬢として過ごしているだけだと、冬場に雑巾がけをする機会などそうない。アリシアはとりあえず曖昧にうなずいておいた。
「ニーナさん、少しだけ休憩しない?」
「え?」
「他の皆さんには内緒でこっそりと。少しお話しましょう」
「お話、ですか?」
ニーナは不思議そうに首をかしげたが、すぐにうなずいた。
これだけ純粋な娘に対して、自分は今まで恐れたり避けようとしたりしていたのだ。そう思うと、申し訳なさにも近い感情が湧いてくる。
「ほら、ちょうどミントティーが残ってるの。イルヴィス殿下に持ってきた物だけど、余っちゃって」
アリシアがやりたかったこと。それは、ニーナのためにハーブティーを淹れることだった。
今まで勝手に厄介者扱いしていたお詫び。
もちろん、ニーナはアリシアにどう思われていたかなんて知るはずもないのだが、これはアリシアの気持ちの問題だ。
こうやってお詫びの気持ちを込めて彼女にハーブティーを出すことで、漫画の世界にとらわれすぎていた自分と決別する。
漫画のアリシアは最初ヒロインに優しくしていた。それでも和やかにお茶会をしたりはしていなかった。
だからこうすることで、ここにいるニーナはニーナでしかなく漫画のヒロインとは別なのだ、と心から納得することができるような気がしたのだ。
「お茶……」
彼女であればすぐにOKするだろう。アリシアはそう予想していたが、その予想に反してニーナは一瞬顔を曇らせた。
しかし、どうしたのか聞こうと口を開きかけた時には、いつも通りの笑顔に戻っていた。
「嬉しいです。すぐに片付けてきますね」
パタパタと足音をたてて走っていくニーナの後ろ姿を見送りながら、先ほどの表情は見間違いだったのだろうかと思う。
他の人に見つからないようにということで、アリシアはニーナを給湯室まで連れてきた。
ここならそうたくさんの人が出入りするわけではないし、誰かが入ってきても「掃除をしてもらっていた」と言えば良い。
「小さいけどそこに椅子とテーブルがあるから座っていて」
アリシアは部屋のすみを示して言う。
それから少し迷った末に扉を閉じた。ここに閉じ込められた日以来、この扉を閉めるのが少し怖いと感じるようになっていた。
だが今は一人きりではないので怖さはあまりない。
「そんな、あたしもお手伝いします」
「いいからいいから。ニーナさんは普段ハーブティーを飲んだりする?」
「いえ……。あの、ハーブティーってお薬みたいなものですよね?」
「まあ、そう思われることが多いわね。特にこの辺では」
アリシアは、ティーポットにドライミントと茶葉を入れながら答える。
「でも、ハーブの効果とか難しく考えなくても、純粋に美味しいのよ」
「そうなんですか」
「もちろん好き嫌いはあるけどね」
ひっくり返した砂時計の砂が落ちきったのを見届けて、温めた一つのカップにポットの中身を全て注ぐ。
自分はついさっきイルヴィスと同じものを飲んだばかりなので、今回はニーナの分だけだ。
「はいどうぞ。お口に合えば良いけど」
「ありがとうございます。良い香りですね」
テーブルに、いかにも高価そうな白くて綺麗なティーカップを置いた。
ニーナはそれを恐る恐る持ち上げ、ゆっくり香りをかぐ。
その様子を見ていると、ニーナの表情が再び曇ったような気がした。やはり見間違いではない。
「ニーナさん?」
声をかけると、ニーナはハッとしたようにアリシアに視線をやる。その視線は困ったように泳いでいる。どこか様子がおかしい。
「大丈夫?」
「……何がですか?い、いただきます」
ニーナは焦ったようにティーカップを口もとへ運ぶ。ゴクリと飲んで、ふっと息をついた。
「美味しいです」
「本当?なら良かったけど……」
しかしどう見ても、「美味しい」と思っている表情ではない。もしかして苦手なのに無理して飲んでいるのだろうか。
「口に合わないなら無理して飲まなくても……」
中身を一気に飲む彼女に、アリシアが言いかけた瞬間だった。
ガチャン、という派手な音が部屋に響いた。
見れば、ニーナの手からティーカップが離れ、白く美しいティーカップがテーブルの上で砕け散っていた。
それと同時に、椅子に座っていたニーナが、バタりと倒れた。
「ニーナさん!?」
慌てて駆け寄ってその顔を見ると、表情が苦しそうに歪んでいた。
「大丈夫!?待ってて、すぐに人を呼んでくるわ!」
いったいどうしてしまったのだろう。アリシアは不安に押しつぶされそうになりながら、助けを求めるべく回廊を走った。
□
その後、ニーナは宮廷医のもとへ運び込まれた。
「ニーナさんは大丈夫なんですか?」
「ええ。意識はあるようですので」
アリシアに問い詰められた医師は、動じる様子もなく、メガネを押し上げながら答えた。
背中まで伸びた長い髪を無造作にしばり、銀縁のメガネを掛けたこの男性は、ミハイルとどこか似通った雰囲気である。
「ただ、今はよく眠っているようなので、いったい何があったのか、アリシア様から事情をお聞かせ願えますか?」
「事情も何も……。ハーブティーを飲んだら突然倒れてしまって……」
本当に訳が分からない。まさかミントが体に合わなったのだろうか。だが、ハーブティーを飲んだ瞬間倒れるなど聞いたことがない。
「茶を飲まないか、というのは貴女から誘ったのですね?」
「ええ」
「何故?」
「何故って……少しお話がしたいな、と」
口ごもるアリシア。医師はふっと息を吐いた。
「ニーナを軽く検査した結果ですが……どうやら倒れた原因は、毒のようです」
「ど、毒?」
「毒です。致死性はそう高くありませんが、即効性のものです」
何故毒が?まさかアリシアが淹れたミントティーに毒が入れらていたのだろうか。しかし、あの場にはアリシアとニーナしかいなかったのだから、毒など盛れるはず……
そこまで考えてから、アリシアはハッとした。
「もしかして……」
口から出る声は震えていた。
医師はメガネの奥から、鋭い光の宿った目で、まっすぐアリシアを見つめる。
「アリシア様。貴女がハーブティーに毒を盛ったのではないですか?」
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