帰路
□
車内はしばらく無言だった。
イルヴィスは静かに外を眺めていて、話しかけるタイミングがつかめなかったのと、一日遊び回った疲れとで自然とそうなってしまうのだった。
馬車の中でガタガタと揺られながら見える風景は、実際に歩いた時とは別の世界ではないかと思えてくる。
車窓を流れていく風景は綺麗で、歩く人々の楽しそうな笑い声が聞こえる。
「あら…?」
アリシアは、外を見ていてふいにある建物が目に映り、思わず声をもらした。
「どうした?」
静かだったイルヴィスが、アリシアに視線を投げかける。
「あの建物って、教会ですよね?」
アリシアがこんな風に自信なさげに確認するのは、その建物があまりに荒んでいたからだ。
霞んだステンドグラスのある建物にはツタが絡みつき、周囲も雑草が伸び放題。暗くてうっそうとした感じが、長らく人の手が入っていないことを物語っている。
「ああ、あれは5年ほど前まで孤児院だった場所だ。移転して使われなくなった教会を利用していたそうだ」
「孤児院だった、ということは、今は経営していないんですね?」
「財政難だったらしい。あまり詳しくは知らないが」
アリシアは、そうですか、と答えながらも奇妙な胸騒ぎを覚えた。
(来たことはないはずだけど…妙に気になる)
必死に記憶を辿るが思い出せない。
孤児院にも、教会にも特別な思い出はないはずだ。
「少し降りて見てきても良いですか?」
「私は構わないが、早く帰らなければ家族に心配されるのではないか?」
「今更です」
馬車を止めてもらい、アリシアは外に出た。
建物に近づこうとすると、草がスカートの中でチクチク足に刺さる。
それでも何とか前まで来ると、力を込めて戸を押した。ギイっと鈍い音がして開く。
中を覗くと、部屋もすっかり荒れているのがわかった。
「人の手が加わっていないと、ここまで荒れるものなのだな」
アリシアの後をついてきたイルヴィスが、そう言って眉をひそめる。
しかしアリシアは、教会の中の荒れ具合とは別のところに目がいった。
(あのステンドグラス…)
霞んだステンドグラスは、近くで見るとかろうじて模様を見ることができた。
ああそうか。一人納得して息をつく。
引っかかるはずだ。だってこの孤児院は──
□
「送ってもらって、ありがとうございます」
寄り道のせいもあり、リアンノーズ邸に着いた頃には、空がすっかり赤くなっていた。
アリシアは馬車から降りる前に改めてお礼を言った。
「長い時間付き合わせてしまったな」
「いえ、寄り道したのはわたしです。それに…」
アリシアは一度言葉をきり、少し躊躇ってから続けた。
「何だか楽しくて、ずっとこの時間が続いて欲しい、なんて思ったしまったくらいですから」
それを聞いたイルヴィスは、驚いたように一瞬目を見開いた。
そしてその顔をすっと逸らした。
「あ、変なこと言ってごめんなさい」
困らせてしまったのだろうか。アリシアはそう思い慌てて謝る。
謝罪されたイルヴィスは、軽く髪をかきあげてから首をふった。
「いや…貴女にそう言ってもらえるが、少々意外で」
「そうですか?」
「正直、私と一緒に過ごしたところで、息の詰まる思いをするだけではないのかという不安はあった」
「…そんなこと」
確かに、婚約者という関係ではあれど、彼はこの国の王子だ。二人きりでいて緊張がないというわけではない。
だがそれより、イルヴィスがそんなことを気にしているということこそ、少々意外だ。
「わたしは、殿下と過ごす時間を苦痛だなどと思っていません。お茶の時間だって、初めはとても緊張したけれど、今はむしろ楽しいです」
正直に今の気持ちを伝えてみる。
するとイルヴィスは、困ったように眉をひそめ、口もとに手をやりまた目をそらした。
それを見たアリシアはようやく気がついた。
(あ、もしかして…すっごく照れてる?)
自分との時間が楽しいという、アリシアの言葉が嬉しくも照れくさくて、反応に困っているのではないだろうか。
もしそうだとしたら、何となく嬉しい気がした。
そして嬉しさついでに、いつもは言い出せない気持ちも、伝えておきたくなった。
「殿下、今さらですが、わたしを婚約者に選んでくださってありがとうございます」
「……唐突だな」
「ふふ、すみません。でも正直、自分では何故選ばれたのか不思議なくらい、わたしに妃としての素養は乏しいと感じています。ですが、殿下がわたしの何かを見込んでお選びくださったのですから、殿下の名に恥じないよう努力いたします」
一気にしゃべったアリシアは、ふうと息をついた。
だから今後、婚約破棄などという展開はやめてほしいです……とまではさすがに言えないが。
「アリシア…」
イルヴィスは名前を呼びながらそっと手を伸ばしてきた。
「貴女がどう思っているか知らないが、私が貴女を婚約者に選んだのは、単に…」
「単に?」
アリシアが問い返すと、言葉と同時に手の動きも止まった。
(単に…何?)
嫌な想像ではあるが、『第一王子の婚約者は、悪役令嬢アリシア』という漫画のストーリー通りになるよう、何かしら強制力が働いているとするならば…
(気まぐれ、勘、あたりかしら)
逆にそういう系統以外の答えが返ってくれば、そのような強制力がない可能性も高くなる。
そうすれば婚約破棄されることもなく、大好きな家族に迷惑や心配をかけることも、きっとなくなる。
続きを聞きたい。しかし、イルヴィスが軽く息を吐いて手を引っ込めたところを見ると、続きを言うつもりはなさそうだ。
恐らく尋ねたところで教えてもらえないだろう。
「では、行きますね」
「あ、待て。忘れていた」
諦めて馬車を降りようとすると、呼び止められた。
「これを貴女に。趣味に合うと良いが」
そう言って手渡されたのは、綺麗な小箱だった。
そっと開けると、中には白いアネモネのような花を型どった、繊細で美しい髪飾りが入っていた。
「これは…?」
「街で見つけた。それが一番貴女に似合いそうだった」
「そんな、いつの間に」
一緒に街を回っていたのに、このようなアクセサリーを買う様子はなかった。少し考えてようやく思い出す。
「あ、もしかして、わたしが蜂蜜を選んでいた時…」
「ああ、隣の店で。ペンダントにしようかとも迷ったが、ペンダントはいつも良い品を身につけているようだから、別の物をと思って髪飾りにした」
アリシアの胸元で輝きを放つ、姉たちからもらったシルバーのペンダント。気づいてもらえていたようだ。
「素敵…ありがとうございます」
イルヴィスが自分のために選んでくれた。そう思うと、嬉しさで胸のあたりがふわっとあたたかくなるような気がした。
無意識に笑みをこぼしながら、アリシアは髪飾りの入った箱をギュッと握りしめた。
「大切に使います」
「二週間後の夜会の時にでも着けてくれ」
「はい……は、い、え…夜会?二週間後?」
いきなり出てきた「夜会」という単語に、アリシアは現実に連れ戻された。そしてそれと同時に血の気が引いた。
「聞いていないのか?王家が主催する夜会だ。私の婚約者として貴女を紹介する、初の正式な場でもあるのだが…」
「聞いてない…ような…聞いたような…」
そんな大切なこと、父から言われていないはずがない。だがどうにも思い出せない。
またハーブの世話に夢中で、話半分に聞き流していたのかもしれない。
「…正直あまり期待できそうにないが、ダンスはどの程度できる?」
「授業で教えてもらった程度なら…たぶん……成績は良くなかったのですが…」
だって仕方ないではないか。パーティーなどというものは、ほぼ参加したためしがない。ごく稀に参加したとしても、The壁の花だったのだから。
それに、体力だけならば他の令嬢に勝っている自信はあるが、運動神経となれば別だ。ダンスの授業だって、実を言えば講師の足を踏んだ記憶しかない。
「その…この二週間、死ぬ気で努力いたします」
アリシアは半分泣きそうになりながら、ガックリとうなだれた。
楽しかった一日。しかし最後は大きな憂うつと共に締めくくられることとなったのだった。
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