夫婦



「わあ、本当に美味しいですね。このお菓子」



 レミリアの用意したお茶菓子を食べたアリシアは、そんな感動した声を上げた。一口目はサクサクとした食感なのだが、口の中でほろほろ解けていく。クリームとの相性も良い。



「でしょう?アリシアちゃんが淹れてくれた紅茶ともよく合うわ!さすが王室御用達の紅茶ってところかしら。ね、エド様」


「そうだね。とても美味しいよ」



 エドモンドは答えながらにこりと優しげな笑顔を見せる。



「アリシアさんはお茶を淹れるのが得意なんだというのはレミリアさんに聞いていたけど、本当だったんだね」


「ありがとうございます」


「アリシアちゃんはね、ハーブティーにもすごく詳しいのよ!」


「はは、どうしてレミリアさんが得意げなの」


「だってあたしの自慢の妹だもの!」



 ティーカップを持ったままの状態でレミリアに抱きつかれ、アリシアは慌ててカップをテーブルに置く。


 レミリアはその状態のまま、またしても得意げに言った。



「アリシアちゃんはね、お茶に詳しいし頭は良いし可愛いし……それにとっても優しくて良い子なのよ!」


「ね、姉様……」


「その上、大量の縁談を躊躇なく断ってきたあの氷のような第一王子のハートを射止めちゃったんだもの。さすがだわぁ」




 うっとりとした表情でアリシアの頭を撫でるレミリアを見て、エドモンドがあっと声を出す。



「そうだ、直接お祝いしないとと思ってたのにすっかり忘れてた。アリシアさん、グランリア王国の第一王子とのご婚約、おめでとうございます」


「ありがとうございます、エドモンド様」


「いやあ、だけどまさか、義妹が隣国の王子妃……ゆくゆくは王妃だなんて、考えもしなかったな」



 しみじみとした様子のエドモンドに、アリシアは「自分だって少し前までは思いもしていなかった」と心の中で返す。


 突然イルヴィスの婚約者に決められ、そのせいでこの世界が前世で読んだ漫画の世界だと気づいて……。


 思わず物思いにふけりかけたアリシアの顔を、レミリアがニヤニヤとした笑みを浮かべて覗き込んできた。



「あの王子様の婚約者だなんて、アリシアちゃんは辛い思いをしていないか心配していたのだけど、今回の旅行も一緒に来ていたりするところを見ると、上手くやれているみたいね」


「辛い思いだなんて……殿下はとても良いお方です」



 アリシアはギュッと自分のスカートをつかみながら答えた。イルヴィスが良い人だというのは本心だ。だが、辛い思いをしていないというのは嘘になるのかもしれない。



 いや、辛い思いをしているというほどではないのだろうか。だけど何だかこう──近頃彼のことになると胸の辺りが少しモヤモヤすることがある。


 今日もこの屋敷へ出発する前に一言挨拶をしておこうとイルヴィスを探していたのだが、ようやく見つけた彼は、ディアナと庭を散策している姿だった。


 相変わらず彼女の前では優しく慈愛に満ちた表情をしており、それを見た瞬間、モヤモヤとした複雑な気分になった。


 彼が誰かに優しい表情を浮かべているのを見てモヤモヤするなんてどんなに性格が悪いんだと嫌になり、気がつけばそこから目をそらすように逃げてきてしまったのだ。


 カイには声をかけてきたが、イルヴィスと、それからディアナには黙って出てくる形となってしまった。また戻った時には謝罪を入れておかねば。



(そういえば、何も知らないあのディアナ王女の親衛隊城の使用人たちは、王女の恋路を邪魔するわたしが消えて喜んでいるでしょうね)



 アリシアが城にいる間、様々な嫌がらせをしてきた使用人たち。カーラ以外の実行犯の姿は直接知らないが、喜んでいる様子は容易に想像できる。


 その人たちに、思惑通りに事が進んだと思われるのは癪だが、アリシアが突然現れた部外者である感じは否めない。彼らには、アリシアに気を使うことなく幼なじみ同士でいる時間もきっと必要だ。



 そんなことを考えている時、ふと近くから爽やかなレモンの香りがしてきた。


 横を見ると、レミリアが二杯目の紅茶にレモンの果汁をたっぷりと搾っている。視線に気が付いたレミリアは、半分言い訳をするように言った。



「アリシアちゃんが淹れてくれた紅茶はこのままで十分美味しいわよ。でも少し味を変えたらもっと楽しめるかなって。アリシアちゃんもどう?」


「もちろんレモンやミルクを入れても美味しいと思いますよ。わたしにもください」


「使って使って。たくさんあるの」


「姉様レモンお好きでしたっけ?」



 紅茶にも結構たっぷりと使っているし、たくさん買い置きしてあるということはかなりの好物なのだろう。だが、実家にいた頃のレミリアがレモンを好んでいたような記憶はない。



「ああ、違うの。この間お義母様にたくさん頂いてね。これからきっと酸っぱい物が食べたくなるだろうからって」


「酸っぱい物が……?」



 首を傾げるアリシアに、レミリアはエドモンドと目を合わせ幸せそうに微笑んでから言った。



「アリシアちゃん。あたしね、エド様との子どもを身ごもったの」




 見た目ではまだあまりわからないけど。レミリアはそう付け足して愛おしそうに腹部を撫でる。



 それを見たアリシアは、思わず立ち上がる。そして「わああ!!」と歓声を上げながら手をたたいた。



「本当ですか!?おめでとうございますレミリア姉様っ!」



 以前はあまり着ていなかったはずのゆったりめのワンピース。レミリアが走ったり転びそうになると、大袈裟ではないかと思うほどに心配するエドモンド。そしてエドモンドの母から贈られたというたくさんのレモン。


 全て妊娠のためだったのかと思うと納得がいった。



「ありがとう。この前発覚したばかりなの。実家にも手紙を送ろうか迷ったけど、アリシアちゃんが来るっていうから、驚かせようと思って。父様たちには手紙を書いておいたから持って行ってくれる?」


「もちろん!任せてください。ああだけど本当におめでとうございます」


「子どもはずっと望んでいたから、お医者様に言われた時は本当に嬉しかったの」



 その瞬間を思い出すように、レミリアはゆっくり目を閉じる。


 彼女はこのハーリッツ家に嫁いでから数年経つが、これまで子どもはできなかった。



「長い間家を守ってこられたお義母様でさえ、プレッシャーにならないように『子どもはできなくても親戚から養子をもらうなりなんなりすれば良い』なんて言ってくださってたんだけどね」



 それでもやっぱり、愛する人との子どもが欲しかった。


 話しているうちに感極まったようで、涙を指でぬぐいながら静かにそう言う。エドモンドがそんな妻へ白いハンカチを差し出す。



「ありがとうエド様。嬉し涙はもう十分すぎるくらい流したと思ったんだけどね。アリシアちゃんに話してたらまたジンときちゃったみたい」



 レミリアは受け取ったハンカチで目を押さえた後、レモン入りの紅茶をゆっくりと飲む。


 それからまたティーポットから注ぎ足そうとした彼女を、アリシアは「あ、ちょっと待ってください」と止めた。



「姉様、紅茶には妊娠中に摂取することが好ましくない成分も含まれています。飲みすぎにはご注意を」


「あら、そうなの?」


「わたしも本で読んだことがあるという程度の知識なのですが、お腹の子に悪影響が出る恐れがあるとの話です。あと、ハーブティーも飲んで良いものと悪いものがあるんです」


「知らなかったわ。気をつけないと」


「飲んでも大丈夫なハーブティー、書き出しておきますね」


「お願い。だけど赤ちゃんができるって、知ってはいたけどやっぱり大変なのね。大好きなティータイムも制限されちゃうなんて」



 レミリアは注ぐ紅茶の量をカップの半分くらいで止めて、息をつく。



「まあ、この子に元気に生まれてきてもらうためなら何でもするけどね」


「……なら、僕もレミリアさんが紅茶を飲めない間は飲むのを止めようかな」



 何を思ったのか、エドモンドがポツリと言った。



「紅茶だけじゃなくて、お酒とか、レミリアさんが飲んだり食べたりしたいのに我慢しなきゃいけないものは、僕も我慢する」


「エド様?」


「だって、レミリアさんだけ我慢するなんておかしいだろ?それに、僕はレミリアさんと同じものを食べたりして共有できるのが一番嬉しいから……」


「っ!」



 レミリアは驚いたように目を見開き、それから頬を桃色に染めてそっぽを向いた。



「す、酸っぱいものしか食べられなくなって、毎食レモンばっかりになってから後悔しても遅いからね!」


「望むところだよ。……まあ、レモンばっかり食べてたりしたら、栄養面の問題でさすがに止めるけど」



 そう朗らかに笑うエドモンドに、レミリアは「もう……」と怒ったような呆れたような声を出すが、口角は嬉しそうに上がっている。



(ふふ。ご馳走様です)



 相変わらず仲睦まじい姉夫婦の様子を微笑ましく思いながら、アリシアは忘れ物をしたと適当に嘘をつき、二人の邪魔にならないようこっそり部屋から出た。



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