夜会準備




 茂り始めた草木の手入れに、枯れた花壇の植え替え。城内の各部屋に飾る花の摘み取りなどなど、庭師の仕事は意外に多い。


 やはねばならないことを一通り終えたミハイルは、ふうっと息を吐いて、にじむ汗を拭った。


 休憩のため、一度ハーブ園の一画にある温室へ戻る。拠点とも呼べる場所だ。



「あっ」



 ミハイルがその温室の中に入ると、そこには二人の女性の姿があった。


 一人は美しく珍しいターコイズブルーの髪をハーフアップにしていて、吸い込まれそうな丸い瞳をを持つアリシア・リアンノーズという名の令嬢。もう一人は、そのリアンノーズ家メイドで、ふんわり巻いた茶髪が印象的な女性、ノア。


 アリシアは伯爵家の令嬢という身分にも関わらず、しょっちゅう単独行動をしており、ミハイルもひやひやさせられることが少なくないが、誰かを連れている時は決まってノアが選ばれている。



 彼女たちがミハイルの仕事場でこうしてくつろいでいる光景も、すっかり慣れてしまった。



「アリシア様、ノアさん。いらしていたのですね」



 声をかけると、ミハイルに気づいたアリシアが笑顔を浮かべた。



「ミハイルさん、お邪魔してます」



 黙っていれば、高貴で澄ました孤高の令嬢のように見える。だが、その人懐っこさを感じさせる笑顔で、とっつきにくさが相殺されているのだろう。



「何か必要なハーブがありますか?」



 ミハイルはアリシアに尋ねる。


 彼女は、婚約者である第一王子に、ティータイムの準備役を任されているのだ。


 そのティータイムのため、毎回自分の得意分野であるハーブティーを用意しているそうだ。その中で不足しているハーブをミハイルにもらいにくることもある。



 そんな努力のかいあり、王子イルヴィスには満足してもらえている。そう彼女は言っていた。


 しかしミハイルに言わせれば、多分イルヴィスはアリシアと一緒にティータイムを過ごせている、というだけで満足している。お茶や菓子については、よっぽど口に合わない限り文句は言わないだろう。


 それは、しばしば「氷のよう」とも評されるイルヴィスの冷たい表情が、アリシアの前では随分と穏やかであることからも容易に想像できる。



(まあ、アリシア様は少しも気づいていらっしゃらないだろうが)



 何せ、イルヴィスの婚約者に選ばれてしばらく、婚約者である王子を放ったらかして、このハーブ園に入り浸っていた女だ。普通なら、王子という地位にも、あの美しい容貌にもすぐさま惹かれそうなものなのに。



 令嬢としての立ち振る舞いは身につけていながらも、いつもどこか自由で楽しそうな彼女。


 だから、今日のアリシアの声を聞いたミハイルは、思わず眉をひそめた。



「あの……何でも良いので、疲労回復効果のあるハーブティーを頂けませんか?」



 その声には、かなりの疲れが滲み出ていた。


 思えば、浮かべている笑顔も、いつもより弱々しい気がする。



「ローズヒップティーがありますが」


「じゃあそれを」



 答えたアリシアは、大きく息を吐きながらテーブルに突っ伏した。



「はあ、ダンスが上達するハーブティーとかないかしら……」


「ダンス?」



 奇妙なことを言い出すアリシアに、ミハイルはようやく彼女が疲れている理由に思い当たった。



「ああ……もしかして夜会のためにダンスの練習をなさっているのですか?」



 一週間後に、王宮で催される夜会がある。確か、それが第一王子の婚約者を正式にお披露目する場でもあったはずだ。


 順当にいけば、アリシアは未来の王妃。権力者各方面に良い印象を与えておきたいところ。その夜会は丁度よい機会である。


 だが、見た限りでは、その準備は順調にいっているとは言い難いように思える。



「そんな魔法のようなハーブティーはありませんので、無理のない程度にしっかりと練習なさってください。……ローズヒップティーが入りましたよ」



 ミハイルは顔を伏せているアリシアの近くにティーカップを置いた。


 赤い色をしたローズヒップティーから漂う香りに、彼女はやっと顔を上げる。



「いい香り。でもこれ、普通のローズヒップティーじゃないわね」



 そう言いながら、ティーカップをそっと持ち上げ、軽く揺らしながらゆっくり匂いをかぐ。


 口をつけて、静かに味わうように目を閉じたアリシアは、やがて口元に笑みを浮かべた。



「フルーツの香りが混ざっているのね。これは……桃?」


「ご名答。良い桃のドライフルーツを入手したので、ブレンドしてみました」



 見事な嗅覚と味覚だ。


 ローズヒップは酸味が強いため、桃の味はそう強くないのたが、アリシアにはちゃんと感じ取ることができたらしい。



「すごく美味しい」


「それは良かった。……ノアさんもいかがです?」



 ミハイルは近くに控える使用人に声をかける。



「いえ、わたくしは……」


「どうせ多めに淹れています。アリシア様だけでは飲みきれないでしょうから、飲んで頂けると嬉しいのですが」



 この言い方をすれば断られないのを知っている。というより、いつも交わされる会話パターンなので、ノアが一度遠慮するのも形式的なものだろう。


 案の定彼女は、「いつも申し訳ありません」と言ってティーカップを受け取った。



 ミハイルはローズヒップティーを飲むノアの反応を横目でうかがう。


 ハーブティーにはほぼ嫌いなものがないアリシアと違い、ノアは時々口に合わないものもあるらしい。


 無理して飲む必要はないが、さすがに主人の前でそのようなことを言い出しづらいのか、我慢して飲み干している様子を何度か目撃した。


 今回のものは口に合っていたらしく、表情は明るいままだった。



(良かった)



 アリシアという少し変わった令嬢に仕える彼女は、苦労が絶えないだろう。そんなノアに対し、ミハイルはどこかシンパシーを感じている。


 あまりノアとゆっくり話す機会はないが、アリシアのことで苦労している話なんかを聞いてみれば盛り上がりそうである。



「ふう。ミハイルさんのハーブティーを飲んだら少し元気が出たかも」



 ミハイルがノアに気を取られていた間に、アリシアはティーカップの中身を全て飲み干したらしく、満足気に言った。


 いつもの明るさが少しだけ戻ったように思える。



「それは良かった。夜会の準備は大変でしょうが、頑張ってください」


「はい!ドレスを選んだり参加者の名前を覚えたり、まだまだやることが多いですけど、頑張ります」


「ドレスもまだ決めていなかったのですか……」



 もう一週間前なのだが、大丈夫なのだろうか。


 後ろでノアも、手を額に当てながらこっそりため息をついていた。



「違うんです!ドレスは、ずっとどれが良いのか考えているんですけど」



 呆れたようなミハイルの反応に、アリシアは慌てて弁解してくる。



「イルヴィス殿下に頂いた髪飾りに合うものを……って考えていたら、なかなか決められなくて」


「髪飾り?」



 アリシアは、手を頭の後ろにまわして髪飾りを外し、大事そうに見せる。


 それは、アネモネを型どった白い花のアクセサリーだった。



「これを、イルヴィス王子が?」


「はい。この前街に行った時、見つけてくれて……」



 ミハイルは、イルヴィスが女性物の雑貨の並ぶ店でこの髪飾りを買う様子を想像してみようとした。しかし、溢れ出る気品と冷徹な表情が隠せそうもない第一王子が、普通の店で買い物をする姿は今ひとつイメージできない。



(というか、アネモネの花言葉は確か……)



 イルヴィスが花言葉などというものを知っているとも、知っていたところで気にして選んだとも思えないが、ミハイルは少し笑いそうになる。



(あなたを愛します、だったか)



 まあ、アリシアの方も知らないか気づいていないかのようだし、わざわざ言う必要もあるまい。



「上品でシンプルなデザインのようですし、どのようなドレスでも合うのでは?」


「それはそうなんですけど……もっとこう、髪飾りが引き立つような、このドレスにはこの髪飾りしかないっ!というような物がないかな、と」


「なるほど。ですが、目立たなければならないのは、その髪飾りではなく、貴女自身ですよ。それをお忘れなく」



 言われてアリシアは、少しムッとしたように黙り込んだが、すぐに息を吐いてうなずいた。



「わかってます。もちろん」


「それに、貴女は王妃になるお方なのですから、周囲に舐めて見られるようなことはないような振る舞いをしないといけませんよ」


「だからわかってますって!」



 アリシアらしからぬ苛立った言い方だった。

 しまった、機嫌を損ねてしまっただろうか。そう思ったミハイルは気が付かないふりをして尋ねた。




「アリシア様、ローズヒップティーのおかわりはいかがですか?」


「……結構です」



(アリシア様が、ハーブティーのおかわりを断った……!?)



 てっきり機嫌を直して喜ぶと思っていたため、ミハイルは思わずアリシアを見返した。



「あっ、イライラしてごめんなさい」


「いえ……こちらこそ出過ぎたことを申しました」


「わたし、これでも不安で不安で仕方ないんです」



 アリシアがそう笑う。また弱々しい笑みに戻っていた。



(そりゃそうか……)



 ミハイルは反省する。いつも明るい彼女がここまで疲弊するほど頑張っているのだ。夜会への不安がないはずがない。


 その準備の中で、イルヴィスからもらった髪飾りに似合うドレスを探すのは数少ない楽しいことなのかもしれない。



「殿下にお淹れするお茶を選ばないと。ミハイルさん、これで失礼します」


「アリシア様っ!」



 立ち上がり、さっさと背を向けたアリシアを思わず呼び止めた。何か言いたいことがあったわけではないのだが、呼び止められずにいられなかった。


 ゆえに、続く言葉が見つからず、少し黙ってしまった。



「えっと、どうしました?」



 アリシアは振り返って戸惑ったように問う。



「……夜会が終わった後」



 ミハイルは一つ一つ慎重に言葉を選ぶ。



「お時間に余裕があればここにいらしてください」


「え?」


「貴女のために、最高のハーブティーを用意して待っています。なので、夜会には肩の力を抜いて参加なさってください」



 アリシアはしばらくポカンとしていたが、やがて声を出して笑った。



「ふふ、ミハイルさん、さっきと言ってること違いますよ」


「ああですから、舐められない程度に頑張りつつ、肩に力を入れすぎないように……」


「難しいこと言いますね。でもそれなら、ハーブティー、楽しみにしてます」



 そう言って会釈した今度こそアリシアは、今度こそ温室を後にする。続くノアは、ミハイルに向かって主人よりさらに深くお辞儀をした。



「はあ」



 ミハイルは深く息をついて椅子に座る。


 誰かを励ますというのは難しい。柄にもなく焦ってしまったではないか。



(あとは、上手くいくことを祈るだけだな)



 ミハイルは自分用に新しくティーカップを出し、ポットに残ったローズヒップティーを注いだ。




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