協力者



 ふわふわ、ゆらゆらと揺れている感じがした。

 聞こえてくる波の音は、どこか遠いような気もするし、すぐ近くであるような気もする。


 夢を見ているのか起きているのかよくわからない……といった状態だったが、ぐわんと一際大きい揺れによって、アリシアは目を覚ました。

 まぶたを開けた瞬間に眩い光が飛び込んできて、思わず顔をしかめる。



(ここ、どこ?)



 見えるものと言えば、木製の床とただただ眩しい空。それから──遠くまで広がる、海。



(船の、上?)



 目が眩むので、光を遮るため手で影をつくろうとしたところ、アリシアは自分の手が動かせないことに気づく。

 縄のようなもので、手首を今までもたれていた柱に縛り付けられていた。もしやと思って足を伸ばすと、そちらも同様に縄で拘束されている。



(現状が全くわからないのだけど……)



 何とかして手を動かせないかと、力任せに縄を引っ張ってみるが、手首にめり込んでくるばかりで解けそうにない。


 ヤケになってさらに力をこめると、何やら悲鳴が上がった。



「いたいっ!痛いですわ!あまり引っ張らないでくださいな!」



 聞き覚えのある可愛らしい声に、アリシアは驚いて振り返る。



「ディアナ王女……?」



 縛り付けられている柱の反対側。同じように拘束されているディアナがいた。


 縛るのに使われている縄が繋がっていて、アリシアが無理やり手を引き抜こうと引っ張ったところ、ディアナの手が強く締め付けられたようだ。



「どうして貴女が?というかここはどこ?状況を説明して欲しいのですけど」


「嫌です」


「はい?」


「説明したくないです」



 何故今このような状態になっているのかは知っているが言うつもりはない、ということらしい。

 言葉だけ聞けばかなり自分勝手な感じだが、彼女の声は今にも泣き出しそうだったので、アリシアは口をつぐんだ。



(そうだ、ちょっと思い出してきたわ。ディアナ王女がわたしを呼んでいるという話を聞いてその場所に行ったら、突然甘い匂いをかがされて……)



 確か、あの場所にはディアナもいて……こちらを見て笑っていた。

 あの状況から普通に考えれば、ディアナが使用人の誰かに命じるなりしてアリシアを気絶させたといったところだろう。気絶させた後、今まさにアリシアがされているように身動きを取れない状態にして、自由にするのと引き換えに何か要求するつもりだったのではないか。



(うーん……だとしたらどうして、彼女までわたしと一緒に拘束されているのかしら)



 となると、ディアナがこちらを見て笑ったというのは見間違いで、本当は何者かがアリシアとディアナの二人ともを誘拐したのか。

 様々な可能性を一人考えていると、乱暴な足音と共に誰かが近づいてきた。



「おうおう、こっちのお嬢さんもお目覚めじゃねぇか」



 ガラガラした男の声で、少し酒のような匂いもする。


 声の主である、日に焼けた肌に黒い髭と髪を無造作に伸ばした男は、アリシアの顔をのぞきこむと、ヒューと口笛を鳴らした。



「かーっ、良い女じゃねえかよ。俺は王女サマよりこっちのが好みだな」


「誰?わたしを誘拐したのはあなた?」


「はっは、まあそんな怖い顔すんなって」



 男はアリシアの問いには答えず、無遠慮にゴツゴツとした浅黒い手でアリシアの頬に触れる。

 この男に触れられた部分から、ぞわりとした嫌な感じが全身を駆け巡る。



「だがまあ睨む目付きも悪くねぇな」


「触らないで!」


「気の強いお嬢さんよぉ、自分がどんな状況かわかってんのか?」


「わからないから尋ねてるのだけど……っ嫌」



 そのまま睨みつけていると、男は嫌なにやりと笑みを浮かべて、今度はアリシアの太ももを撫でる。

 服の上からではあるが、嫌悪感がものすごい。


 アリシアは思わず、縛られたままの両足で、男に蹴りを入れた。それは見事膝に直撃し、男はよろけて尻もちをつく。



「いってぇ、舐めてやがるなこの女」



 ゆっくりと立ち上がった男は、いらついた顔をして肩を回す。

 その時、少し遠くで別のもっと年老いた男の声がした。



「おい、お前何をしている」


「ああ?いやなぁ、この綺麗なお嬢さんが退屈そうだったんでちょっと相手をしてもらおうかと思って……」


「阿呆が。お前みたいな酒臭くて汚い男が傷ものにでもしてみろ。いくら高貴で容姿端麗な女でも一気に価値が下がるだろう」


「かったいねぇ。良いじゃねぇか、ちょっと味見するぐらいバレやしねぇって」


「黙れ、さっさと飯でも作ってろ。ったく、仕事は遅いくせに女に手を出すのだけは早いな」



 男は後から来た年老いた男には逆らえないらしく、大きく舌打ちをした後去っていった。

 アリシアは先ほど男に触られた辺りをひと睨みし、大きく息を吐いた。



「ここはどこかの商船の甲板の上。貴女は私の企みによって誘拐されました。そして私も協力者に裏切られてこのザマです」



 静かにしていたディアナが、唐突に言った。



「え」


「貴女が知りたがっていた現状です」



 先ほどは泣きそうになっていたようだが、気持ちが落ち着いたらしい。

 というか、あまりに淡々としていて、聞き流してしまいそうになったのだが……。



「ええと……『私の企みによって誘拐された』と言いました?」


「言いました」


「……」


「……」



 沈黙。


 アリシアは一度咳払いをする。



「……順番に聞いていきますね。ここはどこかの商船、というのは?」


「他国とを行き来する大量の貿易船のうちの一つですわ。ですけど、その中に時々いるのですよ。運び屋のようなことをして荒稼ぎするのが」


「ではこの船がそうだと。……これはどこに向かっているんです?」


「わかりません」



 ディアナがふるふると頭を振る。

 アリシアは「そうですか……」と残念がりつつ、またすぐに口を開く。



「それで、ディアナ王女はわたしを誘拐させようとしたんですね?」


「はい」


「どうしてそんなことを……」


「動機については何となく察しはついているんじゃありませんの?」


「……」



 アリシアが黙り込んだことを肯定であると捉えたようで、ディアナはぽつりぽつりと話し出した。



 昔からずっと抱き続けていた、イルヴィスへの思い。

 なのに彼からは妹のようにしか見てもらえない切なさ。

 婚約者であるアリシアへの恨みごともいくつも言われた。


 恨みごとは聞き流しつつ、アリシアは一つ腑に落ちたことがあった。



(妹、か。殿下がディアナ王女に向けていたあの優しげな目は、彼女のことを妹のように思っていたから)



 それに気がつくと、胸の辺りのモヤモヤしたものが一つなくなったような感じがした。


 今はそんなことを考えていられる状況ではないと理解してはいるが、安心せずにいられなかった。



「アリシアさんさえいなくなれば、また私にチャンスが回ってくるのではないか、と考えました。浅はかな考えだと笑いますか?」


「いえ……」



 その計画自体は浅はかであり、もし露見すればいくら王女という地位の彼女でも何もなしには済まされないだろう。


 しかし、計画を実行するに至るほどの、彼女のイルヴィスへの想いは、少しも笑うことができない。



「ディアナ王女。貴女がどれだけ長い間、イルヴィス殿下のことを想っていたのかはよくわかりました。それに比べてわたしは、彼と知り合って日も浅いし、まだまだ知らないこともたくさんあります」



 アリシアは静かな口調で、顔を前に向けたままディアナに語りかける。



「だけど……わたしも、彼のことが好きなんです」



 ディアナは怒ったり口を挟んだりせず、静かに聞いている。



「だから正直、殿下が貴女と仲良くしているのを見るのはすごく嫌だった。それに、カイ様を含め三人が昔からお互いを知っている、というのがとてもうらやましかったです」


「……」


「……って、そんな話どうでもいいですよね。ごめんなさい」


「私だって──」



 先ほどよりもずいぶんと力の抜けた穏やかな声で、ディアナはまた口を開く。



「私だって、イル様のことで知らないことはまだまだたくさんあります。例えば貴女とのことだってそう」


「わたし?」


「婚約者ができたイル様に会うのは今回が一度目ですのよ?その婚約者のことをイル様がどれだけ大切にしているのか……なんて想像のしようがありませんでしたもの」



 はあっとため息をつき、彼女は「それに……」と続ける。



「イル様だって、私について知らないことはたくさんあります……いえ、むしろ本当の私については一切ご存知ない……」


「本当のディアナ王女……」



 アリシアは思わずその言葉を繰り返す。

 彼女の言葉が何を意味しているのか、アリシアには心当たりがあった。



「あの、それはもしかして──」



 確認しようとして、すぐ思い直し口を閉ざす。


 違っていたら……。


『アリシア殿、頼みがある。このことはどうか本人にも……』


 真剣な眼差しをしたカイの姿が脳裏によみがえった。



「──やっぱり何でもない、です」



 アリシアが呟くように言えば、その後また沈黙が訪れる……はずだった。


 しかし沈黙の代わりに、コツコツと軽い足音が近づいてくるのが耳に届いた。


 また誰か来たのか、と顔を上げようとすると同時に、聞いたことのある女の声が、先ほどまさにアリシアが言おうとしたことを言った。



「本当のディアナ・ルリーマ。──それは、王女なんかではない」



 驚いてバッと顔を上げ、その声の主を見たアリシアは、言葉を失った。



(協力者に裏切られてこのザマ、か……)



 ディアナの言っていた中で、細かい事情を聞きそびれていたの思い出す。



「おはようございますアリシア様」



 アリシアは堅く唇を結び、にやりと口角を上げるその女協力者を無言で睨みつけた。



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