ニーナの休日
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王宮メイドの仕事は、決して楽なものとはいえない。仕事内容自体は難しいわけでも特別な技術がいるわけでもないのだが、この仕事は王族と直接関わらねばならないために精神的な圧がすごい。
しかも同僚のほとんどは、パッとしない中級下級貴族の令嬢たちが、確率は低くとも王子に見初められるかもしれないという親の思惑のもと送られてくる者たちだ。
実家では大切なお嬢様として甘やかされて育てられてきた彼女たちが完璧に仕事をこなせるということはもちろんなく、でもプライドだけは高いのだから面倒である。そのような彼女らと協力しなければならないというのが、仕事を大変にする要因の一つであったりもする。
それでも休みはきちんとあり、庶民にとってはまあまあ高額の給与が支払われるのだから、前世で働いていたブラック企業に比べれば天国のようだなとニーナは思う。
今日はその休みで、昔いた孤児院の院長の元を訪れていた。
人の良い翁は、疑うことを知らず、騙されて孤児院の建物を手放したことがある。ニーナは思い出の場所を自力で取り返そうと様々な手を使ったが、結局は愛する第三王子・デュランの手によって買い戻された。
院長は今孤児院再建のための準備を進めており、ニーナは休みのたびにそれを手伝いに行っているのだ。
だが今日は午後から客が来るからと昼食を食べた後は追い返されてしまい、時間ができてしまった。こうなっては、部屋で静かに本を読んでいるぐらいしかやることがないが、あいにく読んでいた小説は昨日の夜に読み終わってしまった。
(そうだ、ハーブ園に行けばアリシア様に会えるかな。会えたらまた美味しいハーブティーでも振舞ってもらおう)
仲の良いターコイズブルーの髪の令嬢を思い浮かべ、ニーナは軽い足取りで自室を出る。
王宮の庭園は季節に合わせて様々な花が咲き、お気に入りの場所だ。仕事の合間にこっそり休憩する一角では、そちらも休息中のデュラン王子に会えるので、その意味でも大切な場所だったりする。
ハーブ園は、そこからまた少し奥へ行ったところにあり、近頃はアリシアにハーブティーを飲ませてもらうためそこにもよく出入りしている。
しかし残念ながら、今日彼女はいなかった。
温室をのぞけば、庭師であるミハイル・テニエが一人で植物の手入れを行っており、こちらの気配を感じたらしく振り返った。
「ニーナですか。服装からして今日は休暇のようですが、何か用でも?」
「ええと……用ってわけでもないけど、特にすることがないから、ここに来たらアリシア様の淹れるハーブティーにありつけるかなって思いまして」
でも今日はいらっしゃってないみたいですね、と残念がると、ミハイルは怪訝そうに言った。
「アリシア様は今この国にいませんよ」
「……え?」
「隣国のルリーマ王国の王子から招待されて、昨日からイルヴィス王子と共に出かけていますよ。聞いていないんですか?」
「んー、そういえばイルヴィス殿下は不在だという話を聞いたような」
「城で働いていていながら王子への認識がそんなぼんやりで大丈夫ですか……」
与えられた仕事をするのにいっぱいいっぱいだし、王子に関してはデュラン以外にそんなに関心がない。だからついつい聞き流していたのだろう。
だがアリシアまで不在となると、お茶を飲みながらのおしゃべりもしばらくお預けか。
ピュアで鈍感なアリシアと、優秀だが冷酷な美形のイルヴィスの恋愛模様を見守るのはなかなか楽しいのだ。
本来、あの二人は大した親交を深めることもなく婚約を取り消すはずだった。
本来というのはもちろん、前世で愛読していた少女漫画『黒髪メイドの恋愛事情』のストーリーで、という意味だ。
しかし、ニーナと同じように前世の記憶を持ったこの世界でのアリシアは、漫画の中のキャラクターとはずいぶんと異なっており、自由奔放でよく笑い、誰に対しても優しく素直な人物になっていた。
そして何より漫画と異なるのは、イルヴィスがそんなアリシアに向ける表情だろう。
漫画では、第一王子イルヴィスの婚約者となったアリシアは、どうにか彼に愛されようと奮闘するも、彼は少しも興味を示さない。だがこの世界では、冷酷な人物だと言われているイルヴィスがアリシアの前では優しい表情を浮かべている。
アリシアに言わせれば、イルヴィスが冷たいと思われてしまうのはその美しい顔立ちのせいなのだそうだ。だが、ニーナから見れば、実際アリシア以外の人間に対しては結構冷たいのではないかと思う。
(でも考えてみたら、いつの間にかあたしも漫画のストーリー通りに進まないこの世界を受け入れられるようになってきたんだなあ)
以前の自分なら、漫画のストーリーと異なる展開を認めたがらなかっただろう。漫画のストーリーに沿うことが、一番皆が幸せになれると信じていたのだから。
考えを改めるようになったのは、やはりアリシアの存在があったからだ。
この世界のアリシアの周りは、笑顔で溢れている。王子たちや彼女の侍女、それからミハイルも。
そこまで考えて、ニーナはふと思い出した。
「そういえば前から聞こうと思っていたんですけど、ミハイルさんはアリシア様の侍女には本気なんですか?」
アリシアとの話の中に、ミハイルとアリシアの侍女であるノアは恋愛関係なのではないかという話があった。
正直、いつもどこか敵視してくるノアのことはあまり好きではないのだが、この王宮で働く数少ない友人であるミハイルの浮いた話は気にならないわけがない。
ミハイルは、少しだけ口角を上げて答えた。
「ずいぶん唐突ですね。もちろん、本気ですよ」
「あれ、意外にあっさり認めた」
「どうせアリシア様が言っていたのでしょ?事実なのだから隠すこともない」
「うわあクールだな……」
少しぐらい照れる素振りを見せても良いのに、と思う。からかいがいがない。
「じゃあ、あの侍女のどこを好きになったんですか?」
「そうですね……どこか苦労人そうところでしょうか」
「何それ……」
「あとは普通に顔も好みですよ。飛び抜けて美人とは言いませんが、落ち着きがあって綺麗な人です」
「えー……何かもっとこう、『ここに惚れた!』みたいなポイントないんですか?」
ニーナが不満そうに言うと、ミハイルは苦笑する。
「何となく話してみたいなと思っていて、実際に話してみると気が合って、彼女ならずっと一緒にいられそうだと感じた。それぐらいですよ。僕も28で若くないですし、恋愛もその時々の感情に流されるような情熱的なものはしません」
「28も十分若いですよ……ってでも、ミハイルさん、あたしより10コ以上上だったんですね」
それは少し驚きだ。ニーナの前世、仁奈が生きたのは25までだったから、それより歳上だったのか。
「ニーナはまだ10代でしたね。身分違いの恋愛などという危険な恋ができるのも、若者のならではでしょう」
「……何だかその言い方だと、あたしたちの恋には未来がないように聞こえますね」
ニーナとデュランが『主従関係以上、恋人未満』のような関係であることはミハイルも知っている。
だからその言い方に、そのような関係でいられるのも今だけだと言われている気がしてカチンとした。
「そんなことありません。これでもニーナとデュラン王子のことは純粋に応援しているつもりですよ」
宥められて、ニーナはふうっと息をついた。
現実的に考えて、ただの平民であるメイドと国の第三王子が結ばれるはずはない。だけど、漫画の中では最終的にちゃんと上手くいっていたのだ。
もちろんたくさんの障害はあったし、ライバルだって出てくる。
(……ん?ライバルといえば、何か忘れているような)
そう、実は先ほどから何か引っかかっているのだが、『ライバル』のことを考えてそのモヤモヤがさらに増した。しばらく考えてやっとその正体に思い当たり、「あっ」と声を上げた。
「アリシア様たちが行ったの、ルリーマ王国って言いましたよね」
「……?ええ」
「そこって、あたしと同い年ぐらいのふわふわの髪をした可愛らしい王女様いませんか?」
記憶が正しければ、あの女の子のいた国は隣国ルリーマ王国だった。
ミハイルは首をかしげて答える。
「さあ。確かにニーナぐらいの王女は一人いたと思いますけど、髪型までは」
やはりそうか。ニーナは記憶が正しかったことを確信し、神妙な面持ちでうなずいた。
あの漫画には、単行本にも収録されていない後日談がある。ルリーマ王国の王女は、そこで確か──
「大変ですミハイルさん!アリシア様に恋のライバル出現かもしれませんよ!」
「はい?」
意味がわからないという顔のミハイル。まあ当然だ。
というか、アリシアも前世であの漫画の番外編までは読んでいないのではないだろうか。だとしたら、王女が漫画に登場したキャラクターだということも知らないかもしれない。
「このことはアリシア様に伝えないと。手紙だとあっちに届くまでどのくらいかかるのでしょうか」
「僕にはあなたが何をしようとしているのかよく分かりませんが……ずいぶんと楽しそうですね」
楽しそう。こちらは真剣にアリシアのライバルが出現したことを心配しているのだ。楽しいなんてことは……
と否定してみたところで、このニヤける口元を誤魔化せるわけはないだろう。
ディアナ・ルリーマ。ルリーマ王国の王女。
漫画の本編終了後に番外編にて、アリシアとの婚約を破棄したイルヴィスの──妃となった人物である。
休日の残りを何に費やすか決まったニーナは、ミハイルに別れを告げて、意気揚々と自室へと戻るのだった。
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