ハイビスカス 前編
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(へえ、ここがルリーマ王国の王城かあ)
長い道のりの末ようやくたどり着いた目的地。
城もこの国の雰囲気を反映しており、素朴で落ち着いた感じの美しい建物だ。
だが外観は素朴でもやはり城は城。隣国から帰還した王子とその客人を、数多くの使用人が出迎えた。
(少し緊張するわね……)
他国の王城に訪れるというのは、アリシアにとって初めての経験である。何か粗相があれば国ぐるみの問題になるのではと、ついネガティブな想像が膨らみ、気が引き締まる。
そしてその最大級の緊張のまま、帰還の報告をするカイに従い国王への挨拶を済ませ、その後用意してもらった部屋へと向かう。
しばらく休めるだろうかと思ったが、カイが城内を案内すると言うのでそれは叶いそうにない。
仕方がないのでノアだけ先に休ませ、アリシアはまた部屋を出てカイたちの待つ場所へと急いだ。
「ああ来た、アリシア殿!」
アリシアの姿を捉えたカイは、笑顔で手を振る。
その後ろのイルヴィスは暑いからか、仕事中のときのように髪を後ろでまとめている。それを見て、自分もノアに髪を結い上げてもらえば良かったと少し後悔する。いつも通りハーフアップにしている髪がまとわりついて暑い。
城内の探索が始まると、カイはテキパキ楽しそうにあちこちを紹介した。
「ここを曲がった先の部屋が、舞踏会なんかに使うホールで、その先の中庭に繋がっている。そして後で夕食をとるのは向こうの部屋だ。我が国自慢のシーフードをふんだんに使った料理を楽しみにしていてくれ!」
アリシアはカイの話を聴きながら、大きく息を吸い込んだ。
この城はかなり風通しの良い造りになっており、頬を撫でる暖かな風がとても心地よい。海が近いからか、ほんのり潮の香りがするような気がする。
「そうだ、庭園に出てみないか?ハイビスカスが美しいぞ!」
カイが良いことを思いついたというように提案する。
「ハイビスカスですか?」
すごい。南国っぽい。
暖かな気候に青く美しい海。ハイビスカスの花が似合わないわけがない。
カイはアリシアたちが何か答える前にさっさと歩いていくので、慌ててそれを追う。
庭園に出ると、彼の言う通り、赤やオレンジ、黄色など色とりどりのハイビスカスが咲き誇っていた。
「わあ……綺麗ですね……」
一つ一つの花が大きくて、とても華やかだ。ハイビスカスと聞くと赤いイメージが強く、こう何色もあるのは意外だ。
うっとりと眺めていると、カイが黄色のハイビスカスを一つ摘み、アリシアの髪にそっと挿した。
「えっ……摘んでしまったらもったいないですよ」
「気にすることない!どうせこの花は一日しか咲かないから、あと数時間もすれば萎んでしまうんだ」
「これ、一日しか咲かないんですか?」
「ああ。美しい貴女に彩りを添える最期なら、花も幸せだろう。よく似合っている!」
「あ、ありがとうございます……」
歯の浮くような甘い言葉に気恥ずかしくなり、つい声が小さくなる。彼はどうやらこのような言葉も、喜ばせるためというより本気で言っているらしく、逆にタチが悪い。
カイは満足そうに笑い、優しくアリシアの髪を撫でた。
どうして良いかわからず視線をさまよわせていると、程なくしてパシッという音と共にカイの手は振り払われた。
「触りすぎだ」
「ん、そうか?だが、好いている女性に触れたいと思うのは自然な感情だろう?」
厳しい声で言うイルヴィスに、カイは不満そうな声を上げる。
「少しは自制しろと言っている。アリシアの婚約者は私だ」
「少し髪に触れるくらいでもだめなのか?お前たちを見ていると『婚約者』という関係は意外と脆いもののような気がしてくるな」
「何だと?」
カイは、いつもの無邪気な笑みとは違う、例えるならイタズラを思いついた子どものような笑顔を口元に浮かべた。
「だってそうだろう?俺とアリシア殿が少しでも親しげにしていると不安になって、いちいち牽制してくる。夫婦になることが約束されているにしてはずいぶん余裕がない」
「……」
無言でカイを睨みつけるイルヴィス。
何やら雲行きが怪しい。しかもどうやら原因は自分のことらしいと感じ取ったアリシアは、「あ、あの!」と二人の間に割って入る。
「えっと……たぶん問題なのは、わたしが他の男と必要以上に親しくして変な噂が立ってしまうことだと思います。ここはまだ大丈夫でも、人目のある場所で同じようにしていては不味いので、殿下は注意なさったのかと」
「ふうん、なるほどな」
アリシアの説明に、カイは「とりあえず納得した」というようにうなずく。
「貴女が言うならそういうことにしておこう。不用意に触れないよう努力する」
話はそれで終わったらしく、アリシアはほっと胸を撫で下ろした。
そしてまた鮮やかなハイビスカスの花々に目を戻したとき、グイと腕を引かれた。驚いて引かれた方を見ると、まっすぐこちらを見つめるイルヴィスの緑の瞳と視線が交わった。
彼はさらにその端正な顔をアリシアに近づけ、耳元でささやくように言う。
「……人目があろうがなかろうが、私以外の男が貴女に触れるのは、不快だ」
すぐそこにいるカイにすら聞こえないような小さな声だが、アリシアの耳にはしっかりと届いた。
「それ……は……」
にわかに体温が上がる。じんわりと噴き出す汗の量が増えたのはきっと気のせいではない。
彼は、外聞の問題ではなく、純粋にアリシアが他の男に触れられるのが嫌だと言っている。つまりそれは……
『イルヴィス殿下の気持ちは、聞いておいた方が良いかもしれませんね』
ニーナに言われた言葉が頭に響く。
今なら聞けるだろうか。彼がアリシアのことをどう思っているのか、それからあの日のキスの意味も──。
アリシアは、自分でも不安なのか期待なのかよくわからない複雑な感情を胸に、ゆっくり口を開く。
「あの、殿下にとってわたしは……」
──どのような存在ですか?
たったそれだけの言葉が、何故か滑らかに出てこない。薄く目を閉じ、どうにか続きを言おうとしたその瞬間だった。
「あっ、やっと見つけましたわ!カイ兄さん、そしてイル様」
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