Ⅹ “主は奪い、そして与えたもう”
【“ノル”――市街地】
だというのに俺は先ほどから、ずっとバイクで滑空しつづけていた。コロンビアは国土のほとんどをジャングルに囲まれているし、国の中央をアンデス山脈が貫いてもいる。とにかく天然のジャンプ台に事欠かないのだ。
他に手がなかった。そう確信していても、バイクでジャングル横断なんて我ながら無茶したものだと、切り傷だらけの身体を抱えながら思う。
ジャングルに無数に生えているトゲ付き植物に高速でぶつかるのだ。血がにじむぐらいなら御の字。切り裂かれた肌から血だけじゃなく、肉が覗くことすらままある。生足晒したチャイナドレスの数少ない欠点に、ジャングル探検を加えるべき時がきたらしい。
銃撃戦をこなした訳でもないのに全身ズタボロ、泥まみれ。地形もひどく、バイクを捨てて走ったほうが早そうな場所になんども遭遇した。
だがそんな天然の障壁が、急に開けたのだ。ジャングルはいつだってこの国にとって最大の敵であり、同時におおくの実りをもたらしてきた。とりわけ違法伐採業者にとってはそうだ。
チェーンソーで切り裂かれてしまった山林と、作業を容易にするために設けられた人工の獣道。どちらもバイクで駆け抜けるには、絶好のルートだった。闇市によく出店していたから近場に伐採所あることは知ってたが、思ったより近場で環境破壊が進んでいた。グリーンピースは嫌がるだろうが、俺には好都合そのものだった。
道なりにひたすら獣道を下り、時おり丘を飛びまわる。そうこうしているうちに山林の暗闇に、街の明かりがちらほら混じるようになってきた。
目標は、コロンビア名物の砕かれたガラスがまぶされた、防犯意識たかめなレンガ塀の向こうがわ。わすがな浮遊感からの強引な着地を決めてはみたが、鉄の塊であるバイクに受け身をとるなんて概念はない。
全重量が容赦なく、舗装こそされているが修繕なんて忘れ去られて久しいデコボコ舗装道路に叩きつけられていく。後輪から怪しげな火花が飛び散り、金属バットで殴られたような衝撃が全身にひびく。だがこのオールドスクールなバイクに搭載されたサスペンションは、ちゃんと仕事を果たしてくれた。
ジャングルから市街地に移ろうとも、ノートン・コマンド850の走り心地に変化はなかった。この古強者、伊達じゃないらしい。
山間部に済んでるという時点で、貧困層は確実だ。温暖な地域だからこそ成立する隙間だらけの鉄筋とレンガ、そしてトタン作りの家々。時計を見る余裕はなかったが、無茶したかいあって相当なショートカットに成功したに違いない。
「
ハンドルにダクトテープでくくられた無線機は、まだそこにあった。
軍用規格だからあの程度の荒行で壊れたりはしないだろうが、山あいの地形に、市街地中に張り巡らされたら電線が合わさると、繋がるかどうかは試してみるしかない・・・・・・だがどうも杞憂だったようだ。呼びかけの答えは、即座に返ってきた。
『感度そこそこ、聞こえてはいるよ』
確かにノイズは酷いものの、声と雑音の聞き分けがつかなくなるレベルではなかった。
「現在地は?」
『もうすぐ山道の出口が見えてくる』
む、もう? こっちの無茶が霞むほどの俊足ぶりだった。あの山道、10tトラックはおろか四駆でも難しい道のはずなのに。
自称カーレーサーというのは、嘘じゃなかったのか・・・・・・。
『問題はこの先さ。僕はどっちに行ったらいい?』
この発言からして、いくら規格外の速度で駆け下りてみせたとはいえ、CIA
の車を補足するほどのスピードは出せなかったらしい。
「大まかな方角しか絞れないけど、とりあえずみっつは潰せるわね」
『ジャングルは論外、だろ』
「あとはベネズエラ方面ね。CIAの要員が反米国家に逃げ込むなんて奇策、さすがにありえない」
『港は僕らの本拠地だし・・・・・・』
となれば、
「消去法だけど、奴らが向かってるのって市の中心部じゃないかしら」
単純に
連中が欲しいのってテッサ自身でなく、俺たちがスタジアムから奪ったデータであるらしい。なら国境を越えるなんてリスクは、奴らの目的に合致しないだろう。手近に尋問できる場所さえ確保できれば、それで十分なはず。
ただ尋問という言葉、この国では往々にして拷問の言い換えに過ぎないのだが。
「闇市の警官から、車種についてちゃんと聞き出したでしょうね?」
『抜かりなく。グレイカラーの道ばたにありふれたフォードだそうだ』
カルテルもCIAも、最後に行き着くところは同じか。いかにもマッチョな車を乗り回していたら簡単に警察に付け狙われるようになって、今では普通乗用車を愛用してるカルテルの末路を思いだす。探すのは面倒くさそうだ。
山道を通ったばかりだから足回りが泥跳ねしている、特徴のないフォードね。時間帯が時間帯だから車の母数そのものが少ない、それだけが救いか。
ある程度、敵の動きを絞ったら、あとはやはり地道に調べるほかない。
俺の携帯電話は、ずっと沈黙を続けている。
奪われたか、連絡する余裕すらないのか。どちらにせよテッサに期待はできなさそうだ。まあそもそも、護衛役として同行しておきながらショッピングにうつつを抜かしてる間に掻っ攫われてしまったのは、明らかに俺の落ち度なんだし。テッサばかり責めるのはお門違いというものだ。
方針は決まった。大通りはDEAにまかせて、俺はそこからちょっと離れた裏道を重点的に探すことにする。
スロットルを絞り、目を皿にして探す。ふだん相手にしてるようなチンピラたちと異なって、相手はプロだ。そうなると逆説的だが、手の内がそれなりに見えてくる。
プロというのはセオリーを絶対に破らない。思いつきで行動なんてしないのだ。派手な行動は慎みつつ、こちらが手出ししづらいよう他の車にまぎれ、つねに複数の出入り口があるルートを辿るはず。
こちらの優位点はそれぐらいだ。地元民として地図に載ってない道をいくつも知ってるが、相手は観光案内のマップだけが頼りだろう。それでもたった2人の捜索部隊には、荷の重い捜索範囲なのだが。
すると、急に騒ぎが耳に入ってきた。
相手はプロだ、そんなはずは・・・・・・と思いつつも、バイクの向きを騒ぎの方角に変える。ほどなく回転するパトライトの青と赤の輝きが目に飛び込んできた。
ガソリンスタンドの周りに、白と緑のツートンカラーをしたパトカーたちが野次馬が近づかないよう阻止線を張っている。いまちょうど、救急車が出ていくところだった。
この地域のギャングにはたいてい、贔屓にしてる警官がいる。自分たちの構成員がそうだな・・・・・・例えばガソリンスタンドを強盗したりすれば、まずその贔屓にされている警官たちに第一報が入る。
後処理はぜんぶおまかせ。万がいち捕まっても、監房の鍵をついつい締め忘れてしまうサービス付き。この暗黒の保険業で儲けてる警官は多く、ギャング共も出資を惜しまない。
だが今、ガソリンスタンドを取り巻いている警官たちの疲れきった顔立ちは、そういう生き上手からはほど遠かった。清廉潔白という名誉と引き換えに超過勤務を引き受け、安月給で命を張っている男たち。
つまり、ありふれたギャング絡みの事件じゃない?
CIAの要員がこんな無意味な騒ぎを引き起こすとは思えないのだが・・・・・・嫌な予感を無視して、物事がうまくいった経験がまるでない。
阻止線を張っていたものの、夜中のコロンビアをひょこひょこ歩きまわる物好きというか、命知らずはそうは居ない。話を聞きたくとも野次馬の姿は、人っ子一人うかがえなかった。
ギャング同士の抗争なら流れ弾はあたりまえ。最悪のパターンだと、この騒ぎは善良な警官を釣るための罠で、あたりに仕掛け爆弾が置かれてても驚かない。
好奇心は猫よりも、間抜けな人間をおおぜい殺している。その理屈からするとこの辺りの住民は賢い。窓から身を乗り出して、外の様子を確認したりもしていない。おそらく家族総出でバスタブに身を隠している真っ最中だろう。
例外はただ1人、玄関ポーチで呑気にビール瓶を傾けている、いかにもラテン系然とした老人だけだった。
「ちょっといい?」
バイクに乗ったまま老人のまえまで移動して、声をかける。老人は、正体がなくなるほど酔いつぶれていたりはしてなかった。人生をもてあましてる世捨て人、そんな覇気の無さを老人から感じる。
実際その声もかすれ、ひどく疲れ切っていた。こちらの正体を尋ねるでもなく、いきなり語り始める老人。
「さっき救急車で運ばれていった奴な、近所でずっと肉屋を営んでいた男だ。良い奴だ・・・・・・いや、良いやつだったか」
つぎのビールを奢るとでもいって適当に買収するつもりだったのに、老人はそんなもの求めていないようだった。欲してるのは、話し相手だけ。老人がつづける。
「警官はいつだって役に立たん。とくに
だが、だとしたら意味不明すぎる。もしやと思いはしたが、CIAの要員が作戦行動中に銃を乱射なんてどうにもイメージし難い。まして相手は肉屋ときてる。
「あんた、その顔からしてあの
そういって、ビールを煽る老人。
「かもね。その
「黒、白、金色。色とりどりな髪色をした3人組だったよ」
となれば、間違いないか。
「あんた、
とくに否定する気力も起きない。真夜中に傷だらけのチャイナ服姿でバイクに跨り、何やら人探しをしている人間。誰が見たって警察関係者だとは思わないだろう。
「
警察は役立たずだと吐き捨てておきながら、犯人の情報を俺みたいな相手に漏らす。警官が役に立たない土地では、往々にして地元の犯罪組織が警察業を代行するものだ。警察に通報したところで梨のつぶて。だがギャングに頼めば、その日のうちに犯人が捕まって、裁判官と死刑執行人を兼ねてくれる。
老人の意図はきっと、そのあたりにあるのだろう。
「そうさな・・・・・・」
気乗りしない感じに、老人は急に言葉を濁しだす。
「儂はな、生まれてからずっとここに座っとるが、まるで変わらない日々の繰り返しだ。誰かが死んで、ほかの誰かがやり返す。その過程でまた別の誰かが死んで・・・・・・また同じことのはじまりだ」
うんざりしたように老人は首を振った。これが老人がこれまでの人生すべて費やして見出した、人生哲学であるらしい。老人の繰り言として切り捨てるには、どこか身につまされる話だった。
「・・・・・・」
とはいえ、時間が推している。この間にもテッサとの距離は離れているのだ。
「とりあえず、その犯人たちがどっちに行ったのか教えてくれたら、新しいビールは手に入るわよ」
終わらない闘争を打破するほとじゃないにせよ、それでもビールは手に入る。そのことに老人は魅力を感じたらしい。
「あっちだ」
そう言ってシワまみれの指が、街灯がチカチカしてる道路の方角を指さした。
「灰色の、たぶんフォードかなんかに乗っていたな」
「情報ありがと」
ピンと、返礼の500ペソ硬貨を指ではなった。
「注意事項ね、縁には絶対に触らないように。指とかスパスパ切り落とせる代物だから」
たまたま持ち合わせがなく、いつもの殺人500ペソ硬貨を支払いに当てた。あれを世にも珍しい珍品として売り払うも、そのままなにも考えずにレジ係に渡すも老人の自由だ。
しげしげと500ペソ硬貨を眺めている老人をポーチに残して、俺はテッサの背中を追いかけるべく、バイクを走らせだした。
中途半端に留められたダクトテープが風でばたばたたなびき、遠からず脱落しそうな無線機からDEAの声が、風切り音にまじって聞こえだす。
『ウルズ9より、あー、あとでコールサインを決める必要性がある君』
「車を見つけたわ」
走行音に負けぬよう、やや声を張り上げつつ相手に先回りして答えていく。
『
「警察流に答えると、有力な目撃証言のもと絶賛、追跡中」
『目撃証言だって?』
「何があったか知らないけど連中、ガソリンスタンドで銃撃沙汰を引き起こしてたわ」
『CIAがか?』
DEAの怪訝そうな声ももっともだった。カリ・カルテルを代理人に仕立ててまで表立っての関与を避けてきたCIA、その実行部隊が、民間人への無差別攻撃だって? やはり解せない。
まるで見つけてくれと言わんばかりの行動だった。
『慣れない任務でナーバスになった新人が疑心暗鬼に駆られて暴発、とかかな。いやだとしたら誘拐の手際のよさの説明がつかないか』
「ついでに言えば、有象無象が跋扈してる闇市にどうどうと侵入してみせたその胆力ともね」
やり口からして、相手はまず間違いなく場数を踏んだベテランだろう。なのにこれは・・・・・・あまりに無鉄砲で意味不明にすぎる。そこらのチンピラのほうがよほど自制心があるぞ。
『まさかとは思うけど・・・・・・』
「こっちは藪こきして全身ズタボロ、それも欠陥品のピストル片手にCIAを追ってる最中なの。もって回った会話を楽しめる心境じゃないわ」
『大佐殿の拉致が目的じゃないとか』
こいつはまた、CIAに輪をかけて意味不明すぎる仮説だった。
いきなり前提をすべて覆しておきながら、じゃあそれに変わるもっともらしい理由というやつは、待てど暮らせどDEAの口からは一向に出てこなかった。
『いや、思いついた先から口にしただけで、僕だって確信がある話じゃないんだけど。なんとなくそんな気がするんだ』
なんとなく・・・・・・ねぇ。
『ずっと感じてはいたんだ。CIAにカリ・カルテル、この事件ではいくつも組織が入り乱れてるけどさ。どうにもこうにも、それとは別の思惑をもった組織が関わってる気がしてならないんだよね。
すべてを束ねる、統一された意思を持ったなにかが』
「第六感なんて勘弁して頂戴。それとも刑事のカンとか言い出すつもり?」
『僕だって考えすぎてあってほしいと、そう思ってるさ。
でも実はね・・・・・・あまり詳細は話せないんだけど、僕と大佐殿は以前、さる秘密結社と対立したことがあってさ』
また素っ頓狂なことを。
「あんたたち、フリーメーソンと戦争でもしてたの?」
『似て非なる、もっと凶悪なものさ。
もしかしたらそいつらがこの諸々の事件の裏にいるんじゃないか? なんて勘ぐりもしたんだけど――』
「十分、事態はこんがらがってるのに、そっちのややこしい事情に巻き込まないで頂戴」
『16歳の少女が潜水艦の艦長を務めるんだぜ? ややこしいにも程がある事情さ。もっともこの懸念は、その当の大佐殿の口から否定されたんだけどね』
なら言うなよ、とそう思う。
テッサの頭の良さにケチをつける段階は、とっくの昔に過ぎていた。指揮能力、分析能力、経営手腕と、どれもピカイチな娘に否定されてまでよくそんなあやふやな仮説を持ち出せたものだと、呆れ返ってしまう。
大体、秘密結社なんてカルテルだけで十分だ。ノリはあんまり変わらないんだから。
『でもただの気の所為と呼ぶには、どうにも座りが悪いんだけど・・・・・・道がわからない。そっちの位置まで誘導してくれ』
「せめて現在地の地名ぐらい言って」
『分かるもんか。この辺りには標識すら見当たらないんだ。だけど行きの道で見かけたウォールペイントをついさっき通り過ぎた。オレンジ色の巨大なくちばしをした鳥が描かれてるやつだよ』
「つぎを左に」
『
無線機が急展開を告げてきた。DEAの絶叫につづいて、遠くから爆竹のような破裂音が連続して聞こえてきた。
切れ間のない銃声。発射間隔の短い、小口径のサブマシンガンだろう。
『バイカー集団に追いすがられてる!! 数は掴みで10!!』
バイカーだって? CIAのバックアップチームという可能性よりさきに俺が連想したのは、駐車場で揉めたあの不良たちの姿だった。
小物ほど恨みが深く、行動も即物的だ。
「振り切れそう?」
いきなり撃たれて慌ててはいるのだろうが、それでも理路整然と無線機で報告してくるあたり、奴も場馴れしている。DEAは言った。
『道の狭さに助けられたね。トラックの巨体が邪魔をして、どうにか運転席は狙わずに済んでるよ。だけどハンドルを操りながら応戦するほど、僕は器用じゃない』
銃声の位置はあまり遠くない。助けに行ってもいいが、そうすればテッサからますます引き離されてしまう。
どうにか起死回生の策はないものか。こういう時にテッサが居ればとつい思ってしまい、そんな自分に苦笑する。しらずしらずのうちに随分と、あのポヤポヤした小娘に頼り切っていたようだ。
今は自分ひとりきり。脳裏にDEAの進行ルートを思い描き、あたりの地形と照らし合わせる。なんだあるじゃないか。
「DEA」
無線機からタイヤが軋む音と、ガラスが割れる音が聞こえてきた。車体を左右に振って、どうにか弾丸から逃れているらしい。
『なんだい!?』
「ルート訂正。左じゃなく、つぎは右に折れなさい」
分かった、そう返す余裕もないようで、無線からはノイズばかりが垂れ流されてきた。
『言われたとおりに曲がったぞ!! で? これからどうすれば!!』
「そのまま直進すると、赤いスニーカーが電線に引っ掛けられてる場所が見えてくるわ」
『見えた!!』
「そこをフルスピードで駆け抜けなさい」
『ただの直進道路だ!! これじゃ良い的になる!!』
「大丈夫、撃たれるのは不良どもも同じよ」
『ハァ!?』
「そこはね、違法伐採業者と戦うために住民が結成した自警団のねぐらよ。そんなところに許可なく立ち入れば、問答無用で前後左右から撃たれるのは目に見えてる」
『ちょっと待て君!!』
「バイクよりトラックのほうが頑丈なんだから、生き残るオッズはそっちのほうが高いわ。幸運を」
『死んだら化けて出てやるからなッ!!』
無線を切るとサブマシンガンだけじゃない、思いつくかぎりのありとあらゆる銃火器の音色が遠くから聞こえてきた。まるで市街戦のありさまだった。
自分で撃てないなら、どこがの誰かに代わって撃ってもらうべし。その点、コロンビアではそのどこかの誰かとやらに事欠かない。ただ生きて帰れるかは、気まぐれな弾丸の気分次第だろう。
その点、DEAの運の良さときたら・・・・・・うん、きっと大丈夫。どうせあのトラックには、失くしてもどうにかなるものしか積んでないしと自分を納得させる。
ケティと違って暴走しないだけマシ。そんな頼りになるやらならないやらの相棒にかまけていたせいで、あやうく赤信号が灯った交差点に突入するところだった。急ブレーキをかけながら車体を横倒しにしつつ、強引に止まってみせる。
別にいきなり道路交通法に目覚めたわけじゃない。信号無視なんて俺は気にしないが、目立ちたくないCIAは別だろう。
あのガソリンスタンドの一件のせいでちょっと自信が揺らいではいたが、信号機を前にしてアイドリング中な車列のなかに、CIAの車が混じっていても驚かない。
こういうとき小回りのきくバイクは有利だ。信号待ちの車列をゆっくり追い抜きながら左右に油断なく目を走らせ、車内の様子をたしかめていく。
別に人気車種というわけでもないはずなのに、灰色のフォードが幾台も止まっていた。茫洋な車の博覧会でも近所で開催しているのだろうか? そうボヤきたくなるほど似たりよったりな外観をした車ばかりが並んでいる。
闇市の汚職警官も、あの老人もそろってフォードと名指ししてはいたが、人の記憶力というのは、あんがい頼りにならない。思い込んでいただけで実際にはホンダかもしれないし、もっと別の車種かもしれない。
やはりあの銀髪頭を見つけるしかないか。あの老人にいわく、外から見える位置に載せられているらしいし、トランクに詰め込まれているよりかはずっと探しやすいだろう。
バイクというのは、防御力という点ではほぼ皆無に等しい。戦いとなったらとにかく先制するしかないだろう。だから右手は、いつでも頼りない欠陥銃ことベクターを抜けるようにしておいた。
1台、また1台と追い抜いていくもののどれもハズレ。そう簡単にいきはしないか、いつものことだ。
だがこのルートは何なのだろう? 大使館でも、人口密集地でもなくこの道の行き着くさきは――俺たちの港じゃないか。
なにせここは、港湾都市なのだ。逃亡手段として船を選択するというのは、十分にありうるだろうが、こっちが港湾労働者組合をまるまる抱き込んでる。怪しげな外国人が船を手配したとなればこっちに連絡が来るだろが、そんな話は聞いていない。
DEAの陰謀論じみた話が思い出された。誘拐は目的じゃないだって? まさか・・・・・・。
気づけば、車列の先頭に躍り出ていた。股の下ではノートンがエンジンに揺さぶられ、排気煙をくゆらせている。
どっちを向いてもテッサの特徴的なアッシュブラウンの髪は見当たらず、怪訝な顔したドライバーたちばかりが目につく。そもそも相手を補足してもいなかったのだから、見失ったというのは不適切な言葉だろう。そもそも老人の証言自体があやふやなものだった、本当にこのルートを辿ったかどうかも怪しい。
あるいは、ここに来るまで家と一体化してるガレージがちらほら見えた。あそこに隠れたか。可能性は無限大、だが時間はいつだって有限なものだ。とにかく行動を起こさないとお話にならない。
後悔を嘆いている暇はなかった。とにかく辺りを調べようとバイクのスロットルに指をかけた途端、携帯電話が揺れはじめた。着信だ。
テッサだろうか? 携帯電話の液晶によれば、その予想は正しいらしいが、いつもの習慣で耳に当てた電話にいきなり声を吹き込んだりはしなかった。相手が喋りだすまで待つ。
ジリジリと、時間ばかりが過ぎていく。一向に相手は、話しださない。この携帯に登録されてるナンバーは3つのみ。船と、DEAと、あとはテッサだけなのだから、まさか間違い電話ではないだろう。
堂々と電話をかけられず、後ろ手でデタラメに電話をかけてきた。そういう人質特有の事情かとも思ったが、どれだけ辛抱強くまっても物音ひとつ聞こえてこない。
そもそも音が出づらいメールじゃなく、通話を選ばなくちゃならない必然性というものが、俺にはどうにも思いつかなかった。嫌な予感にうなじの毛が逆立つ――相手は、本当にテッサなのか?
ナイフを持った相手に襲われる寸前みたいな、悪寒。直感に導かれるようにふと視線を横にずらしてみると、そこには灰色のフォードが止まっていた。どこですれ違ったのか、奴らはこの十字路に横合いから侵入していたのだ。
ずっと相手の背中を追ってるつもりだったから、気づくのが遅れた。信号が青になり、不躾にこちらを睨んできたあげく、先頭で止まっているバイクを避けるようにして車列が出発していく。
だが俺の意識は、フォードに釘付けだった。
オレンジ色の街灯が反射してひどく見えづらいかったが、フォードのフロントガラスの向こう側にいるパナマ帽の男の顔は、携帯電話の画面からの照り返しでぼうと、闇の奥から照らし出されていた。
あの携帯電話は、デ・ダナン・ツーに大量に保管されていたもののひとつとみて、まず間違いない。
先制攻撃もできた。気が急いていた俺が、見逃す可能性だって十分にあったろう。なのにあえて相手は、みずからの位置を暴露してみせた。意味不明にすぎる行動だが、一方で奇妙な確信もあった――あれは敵だ。
表情がまるでないパナマ帽の手元が動く。遅すぎだ。すでに俺はベクターのスライドを引ききり、フォードに向けだしている。そうともあと1秒、いや0.5秒もあれば、奴の頭めがけて銃弾を叩き込めていただろうに。
「あのアマをぶっ殺せ!!」
次の瞬間、そんな品性の欠片もない叫び声をあげながら、乱入者どもが対決の場に飛び込んできた。
*
【“テッサ”――車内】
ガラス越しのわたしの視界に映るのは、携帯電話を手にとるチャイナドレスの麗人の姿でした。また無茶をしたのでしょう。操縦者とおなじく傷と汚れだらけのバイクに跨りながら交差点に侵入しようとしている。
ノルさんは気づいてませんでした。横合いから眺める、わたしたちの存在を。
先制攻撃をするなら理想的な位置取り。もしパナマ帽の男がそう考えて鉄砲を取り出そうものなら、勝算なんてありませんけど、わたしは背後から思い切り襲いかかってやるつもりでした。
プラスチックの手錠でドアに繋ぎ止められてこそいますけど、背中からシート越しに蹴っ飛ばすぐらいはできるでしょう。ダメージはきっとゼロ。それでも車内の騒ぎをノルさんが気づく可能性は、大いにある。
それにいざとなれば、ウェーバーさんも居ました。
チラッとこちらを見つめてきたウェーバーさんの青い瞳は、さまざまなことを物語ってました。あれは友人か? いざとなれば、手を貸すぞ? ウェーバーさんが裏切るなら、今をおいて他になかったかもしれません。
ですがノルさんに電話を掛けるという、奇妙な行動をとったルークなる工作員を襲うチャンスは、バイクとともに現れた闖入者たちによって阻止されてしまいました。
タイヤから煙を出しながら急発進していくノルさんは、いきなり自身の後背に向けてハンドガンを乱射しだしました。
「なんだッ!?」
ウェーバーさんの驚きの声を無視してルークもまたノルさんに倣い、フォードを急加速させ十字路を横切っていきます。そんなわたしたちの目の前で、弾丸を受けてバイクから脱落していったTシャツ姿の若者が、宙を舞っていく。
無実の人だとは、とても言えないでしょう。ぶっ殺せとか口走ってましたし、手にはサブマシンガンらしきものを握っていた。
ノルさんどうしてですか・・・・・・なんであなたはそう、ちょっと目を離すと命を狙われてしまうのか。武装した暴走族が、つぎつぎと逃げるノルさんを追いかけて十字路を通り過ぎていく。
「たく!!」
ウェーバーさんが助手席から身を乗り出して、わたしの背後の収納スペースに置かれていたギターケースを手に取りました。
彼にギタリストとしての一面があることは知ってましたが、楽器ケースの中身は別のものだとすでに察しがついてました。車内で扱うにはギリギリの長さな、M16サービスライフル系列の銃火器。たしかMk12 SPRといったかしら? それがウェーバーさんの手の中に収まっていく。
自分の趣味を仕事に反映したがるウェーバーさんにしては、ちょっと変わったチョイスです。たぶん支給されたものをそのまま使っているのでしょう。
いきなり始まった銃撃戦、とにかく火力がないと話になりません。だって逃亡するわたしたちを追ってくるのは、踵を返して追いすがってきたノルさんだけでなく、謎の暴走バイカー集団も含まれていたのですから。
より厳密には、構図はきっとこんな感じ。
ノルさんはわたしたちを追い、暴走族はノルさんを追う、二重カーチェイス。何をどうしたらそんな構図になるのやら。いつも通りの不可思議な事態に、急に頭が痛くなってきました。
ノルさんはわたしの味方、そうと知っているウェーバーさんは撃つべきか悩んでいた様子でしたが、暴走族の方としては知ったことじゃないみたい。ノルさんを狙って乱射された銃弾が、流れ流れてわたしのすぐ真後ろのリアウィンドウにクモの巣状の穴をうがちました。
ウェーバーさんに「伏せてろ!!」なんて叫ばれて、強引に頭を下げさせられるわたし。頭上では、背後の集団めがけてウェーバーさんがライフルで牽制射撃をはじめていました。
わたしとしては、なされるがままです。せいぜい悲鳴を押し殺しながら身を伏せることしかできません。ほとほと現場のアクションには向いてませんから。
悲鳴に銃声。聞き慣れつつあるのが怖いふたつの効果音が四方八方にこだまします。体感速度100キロを超えのカーチェイスは、心身ともにわたしを追い詰めていく。
「事前のブリーフィングじゃ聞いてなかったぜ!! なんなんだアイツらは!!」
まったくもって正論そのもの、コロンビアがまだ長くないウェーバーさんがテンポよく射撃しながらボヤきました。
わたしはそれに、このCIAの犬め!! とでも言いだけな敵対的な振る舞いを表向きはしつつも、親切に答えていく。
「ご存じないようだから説明してあげます。この国では、だいたいいつもこんな感じです」
「どんな感じだよ!!」
猛スピードで追いすがってくるバイカー軍団に応射しつつ、ウェーバーさんが叫びます。
「なにせわたし、入国してほんの数時間で誘拐されましたからね!! 銃撃戦に巻き込まれる程度でいちいち驚いてたら、この国では生きていけませんよ!!」
「それはテッ――テメェの周りが変なだけだ!!」
危ういところでうまい具合に言い直すウェーバーさん。それにわたしは、風穴の空いた窓ががなり立てる暴風に負けないよう、大声をはりあげながら答えていく。
「コロンビアではこれが普通ですよ!!」
「絶対違うッ!!」
そう・・・・・・なのかしら? 第三者の意見を聞いてみると、だんだんと不安になってきました。
そういえば、ノルさん行きはあんなバイクなんて乗ってませんでしたし、よくよく思い出してみればあの暴走族の顔、闇市の駐車場で見かけたような気もします。
ノルさん+バイク+不良たち。簡単な方程式を組み立てて、カタカタと頭のなかの計算機で結論を算出してみる。たぶんノルさんが非常事態だからと、不良たちを張り倒してバイクを強奪したのでしょう。それに怒って、ついつい銃撃戦に発展してしまったと。
もしかして、恐ろしい可能性が頭をかすめる。コロンビアが特段、暴力的なわけでなく――いえそういう一面もあるでしょうけど――ノルさんがひたすら騒動をばら撒いているだけとか?
パシッ、パシッ、パシッ、車体に弾丸が当たる音がする。どうしましょう、先ほどの仮説を否定することができません。
もしやこの場でおかしいのは、あの年がら年中チャイナドレス姿のナルシズムに染まりきっている女装癖の彼だけなのでしょうか? 考えれば考えるほどに、深入りはやめておけと、わたしの理性だか本能だかが叫んでる気がしました。
「なんだテメエら!! 邪魔すんならおめえらもぶっ殺すぞ!!」
抜きつ抜かれるな複雑なカーチェイスの合間を縫って、1台の暴走族のバイクが、CIA操るフォードに並走してきました。
運転席のガラスをばんばん叩きながら、棍棒のようにハンドガンを振り回す、いかにもな風体をしたすきっ歯の男。そんな相手に冷ややかな眼差しをルークは向けていきました。
答えるどこか、ルークはハンドルを急激に切り、フォードの車体重量にまかせてちっぽけなバイクを乗り手ごと跳ね飛ばしていく。
「あー、あー、これでめでたく敵認定かよ」
ウェーバーさんが呆れきった口調で相棒を責め立てますが、ルークはときたらP228を引き抜き、ハンドガンと一緒にハンドルを握るばかり。
「いいから撃ち返せ」
明らかにバイカー集団の動きが変わりました。何が何だかというのは向こうも一緒、こちらの出方を見守っていたのでしょうが、これで白黒はっきりしてしまった。
流れ弾でない、明確な意思をもった銃弾が飛んできました。それに応じるようウェーバーさんも制圧射撃を再開し、ルークは車体を左右に揺さぶりながら弾丸を避けようとする。
過激なドライブにわたしの三半規管も揺さぶられ、ちょっと気持ち悪くなってきました。ですがこの胃の辺りの違和感の原因は、きっと車酔いだけではないでしょう。たぶんストレス性のものが混じってるはず。
どうしてノルさんときたら、こうも事態をこんがらがらせるのが得意なのかしら・・・・・・。
*
【“ノル”――市街地】
フォードの真後ろを避けて、裏路地に思いきり飛び込んだ。いや路地というより、階段のない坂道というほうが正確か。
あの不良どもは俺を追っているのだから、テッサをむやみに危険に晒す必要もないだろう。できる限り引き離して、それから追跡を再開すればいい。
そんな親切心を無下にする、バイクを乗りながら操ることなんてできやしないライフルの銃声。まったく、堪え性のないCIAが反撃に転じたらしい。これでめでたく、奴らも死ぬまで追いかけられる羽目になったろう。
危ういところでバランスを保ちながら、ノートンで路地の先にでる。そこには、待ってましたとばかりにあら手の不良集団が、バイクを連ねて待機していた。
「ふへへ」
そんなバイク集団の先頭で不気味に笑うのは、偉ぶった態度のわりに頭にたんこぶを作り、2人乗りしたバイクの後部座席に跨っているビューティフル・ワールド号の船長だった。
「帰ってきたぞ、地獄からな!!」
どうやら脅し文句を聞かされているようだが、知ったことかという気分だった。そもそも転げ落ちるのがよほど怖いのか、運転者役である不良に手足絡めながらすがりついて心底嫌そうな顔をされている中年親父にビビるほうが難しい。
コロンビアでは祝日になると、バイクでの走行が全面的に禁止される。なぜか? それは、コロンビアの犯罪界とバイクという乗り物の相性の良さに理由がある。
2人乗りのバイクで標的に近づいていって相手の頭を撃ち抜く。これは俺のような高度な訓練を受けていない低レベルなシカリオたちの昔からの常套手段であり、それ以外にも、強盗を生業としてる街の不良たち・・・・・・つまりは、いま対峙しているこのバイカー軍団のような奴らもまた、犯行の手口としてこの手段を多用しているからにほかならない。
バイクは軽便で、安く、パトカーが入ってこれない裏路地に逃げ込みやすい。犯罪者が愛用する理由はいくらでもある。この不良どもの生活費の出どころは、まあこんなところだろう。
「さあ、つぎはてめえが地獄に行く番だ――ぐはッ!!」
何やらのたまっている船長に抜き去りぎわラリアットを食らわせ、バイクから転げ落とさせる。
加速が足りてなったから首の骨が折れたりはしないだろうが、願わくば路面に後頭部を打ちつけて、そのまま死んでくれるとありがたい。
「追え、俺はいいから奴を追えッッっっ!!」
ダメみたいだった。残念だな。
銃を構えてはいたが、あえて中央突破で集団のど真ん中をバイクで走り抜けていた俺に、同士討ちを恐れた不良たちは発砲することができなかった。
だがそんな戦術的な優位も一瞬のこと、背後から金切り音がしたかとおもえば、耳元を弾丸が掠めていく。新しい学びだ、バイクでかっ飛ばしている時に銃撃を受けると、銃声よりも弾丸が飛ぶ音のほうがよく聞こえてくる。
背後に向けて、反動を制御しやすいようにベクターを寝かせながら片手で構える。自分の意志をもった悪魔のようなピストルだが、これを除いたらあとはハイヒールを脱いで連中に投げつける以外、武器らしい武器がないから仕方がない。
馬に乗って撃ち合っていたカウボーイの現代版。よくいえばそういう表現になるだろうが、やってる方は情けなくて仕方がない。
道をいくつか折れ、複雑な機動でやつらを巻こうと試みるが、巧妙に追いすがってくる不良たち。半端なドライビング・テクニックに辟易してくる。
そうこうしているうちにまた、CIAの車を補足した。俺はフォードを追い、俺のノートンを不良どもが追う。とんだ二重カーチェイス、すぐ問題というのは複雑になる。
テッサの顔はよく見えなかったが、夜闇でもあの銀髪はよく輝いていた。あの車に居るのは間違いないが・・・・・・車内でまばゆい
高速で走り回っている車の窓から身を乗り出すなんて、映画のなかだけのファンタジーだ。現実にそれをやれば修理費は浮くだろうが、安定して射撃できないし良い的になる。
相手はあくまで車内から、窓越しに撃ちまくっていた。車体を傾け、できるだけ的にならないよう回避機動を試みる。ちょうど急カーブ、膝を擦りそうなほど車体を曲げて、ギリギリのラインを越えていく。
どうしたものか。運転手を排除してとかなら可能だろうが、そんなことをすれば、コントロールを失ったフォードは、盛大にクラッシュするのは必定。あんな虚弱体質では、そんな衝撃に耐えられないだろう。
場当たり的に牽制射撃を見舞って、とりあえずお茶を濁す。どうにも攻め手に欠ける。それに不良どもも邪魔で仕方ない。
遠くから撃ってもいっこうに当たらないことに業を煮やしたのか、景気づけに派手にクラクションを鳴らしながら、不良のバイクがこちらに迫ってきた。手には、
だがあんなもの、片手で振り回すものじゃない。まして高速走行中だと、風の抵抗も受ける。車体を安定させながら人の背中を狙い撃とうとしてる不良の姿が、バックミラー越しに見えた。
奴が、二重トリガーの安全装置を外して、本命の弾丸をこちらに見舞ってくるまえにブレーキを掛け、急減速。
そのままダブルバレル・ショットガンの銃身を引っ掴んで、奴の手から奪いさる。位置関係的に仕方がないのだが、銃口をこちら側に向けたまま銃をぶんどるのはいつだって緊張する。
とはいえ、奪ったもののこんなものいらない。すくざま奴の顔面めがけて、丁重にショットガンを返却していく。
まず鼻が折れ、つづいて打ちつけられた拍子に尾てい骨も折り、トドメとばかりに後続車に腕をへし折られる。あのショットガン男、生きてれば幸運ぐらいの感じで舞台から退場していった。
だが1人消えたところで、数に任せて仕掛けてくる不良どもは、一向に減る気配がない。後方確認用のバックミラーが流れ弾で打ち砕かれ、ますますジリ貧になってくる。
砕かれる前に見えたあのヘッドライトの明かり、まず間違いなく新たに合流してきた増援だろう。 これだから嫌なんだ不良という生き物は、すぐ群れるし無限に湧いて出てくるんだから。
ちょうどベクターが弾切れになったことだし、一旦この欠陥ピストルをホルスターにしまい込み、ついで歯でチャイナドレスの袖元に噛みついた。
服になんでもかんでも仕込んでおくのは、テッサよりも俺の専売特許だ。隠されたピアノ線を引き出して、迫りくる丘の急カーブを睨みつける。
市街地に入るにあたり、山間部の終わりとして立ちはだかってくる丘のてっぺん。この先は、Sの字状の急カーブがいくつも連鎖している。フォードのスピードも自然と落ちるに違いない。
だが不良どもを尻に従えながら追いついても、事態がこんがらがるだけだ。まずコイツらを巻かないといけない。だったら、無茶するにかぎる。
「!?」
背後から、不良どもの驚愕の息遣いを感じた。あと止まりそこねた何人かが玉突き事故を起こしていく音色も。
俺はカーブをあえて曲がらず、ガードレールもなにもない丘の上からバイクごと飛びだしていったのだ。
ただ自由落下にすべてを委ねるつもりは、さらさらなかった。落ちる寸前、うまい具合に電柱にピアノ線を巻きつけておく。あんな細くて鋭い糸を掴むなんてことはできないから、留め具の強度次第だろうが、それでも落下の衝撃をちょっとは和らげてくれるだろう。
俺に先行して、離れていったノートンが民家の壁に激突していく。舞い散るホコリに、バイクの破片。そういった地獄絵図に着地しないよう祈りながら、民家の屋根へと軌道修正していく。
手首に衝撃、限界に達したピアノ線に引っ張り上げられる感覚を感じるが、すぐ失せる。バンジージャンプなんて想定していないちゃっちな作りの留め具が破損したのだ。だってもとはこれ、首絞め用の暗器なのだから当然だ。
それでもただ落ちるよりも、減速に成功した。膝を折り曲げるように落ちて、前転しながら衝撃を前へと逃がしていく。
コンクリートむき出しな民家の屋根は、下手な折り方をしたら足の骨折だけではすまない強度を誇る。だがピアノ線の即席の命綱さまさまだ、理想どおりに着地を決めて、速度を殺さぬまま次の屋根めがけて、走り幅跳びの要領で飛んでいく。
命知らずにも追いかけてきたのか、止まり損なったのか、哀れな不良がトタン板めがけて着地して、盛大なクラッシュ音を最後に見えなくなった。ニワトリが悲鳴を上げていたことから、きっと鳥小屋に着陸したらしい。運が良ければ生きてるだろうが、やつの生死なんてどうでもいい。
チラッと、想像よりもずっと高い、断崖絶壁みたいな丘の上を見てみると、バイカー軍団が車列を並べて、忌々しげに眼下を見下ろしていた。
最低限、連中の意欲を奪うことには成功したか。これで追跡を諦めてくれれば、いいのだが。
二軒目の屋根に着地、例によってまず足、つづいて膝、上体を曲げながら衝撃を殺したが、勢いあまって民家の壁に激突してしまう。吐きそうだった。ついでにいうと、あとちょっとで危うく壁から飛びでた鉄筋に突き刺さるところだった。だが止まっている暇はない。
負け犬の遠吠えそのものな不良たちの叫びと、当たるはずのない遠くの銃声をBGMに、屋根から狭すぎる歩道へと飛び降りて、つづいて階段を駆け下りていく。
両足で走って車に追いつこうなんてナンセンスだ。だが地形を活かして、ショートカットできる今ばかりは、CIAのフォードに先回りできるチャンスだった。
とにかく垂直に丘を駆けおりる。
息を切らせながら電柱を足蹴にして、踏み台代わりに。新たに跳び移った屋根からは、遠くこのスラム街を睥睨しているビル群の姿が見えた。方角は間違いない。実際、カーブの向こう側から、迫りくるフォードのヘッドライトの明かりが見えた。
今度は、開きっぱなしの民家の窓に飛びうつる。カーペットにあやうく足を取られかけるが、そのまま疾走。あまりの事態にあんぐりと口を開けている住人らしき親子を無視して、俺は道路側の窓に足をかけた。
とんだ障害物競走に身体が軋むが、フォードを睨みながら相対速度を計算。ベクターのマガジンを入れ替えながら、タイミングを図った。
カーブで減速しているし、この位置関係なら運転席が十分に狙える。
民家の窓から身を乗り出している俺を、あのパナマ帽を被ったCIAの工作員が補足したらしい。フォードの運転席側でパッと光ったかと思えば、柵に弾丸が命中していく。
ハンドルを握りながらの片手撃ちの割には、なかなかの精度だったが、ピストル弾をフロントガラス越しに放つと容易に弾道が狂うと、俺は知っていた。冷静に時を待つ。
加速をまして、ハイビームでこちらの目くらましを画策したようだが、そんな敵の小細工を無視して俺は、窓から身を躍らせる。
空中で身をくねらせて、そのまま発砲。ベクターから鋭い反動が右手に伝わり、空薬莢がスライドの中から姿をあらわす。集中力が限界まで高まると、弾丸の軌跡までなんとなく捉えられるようになる。
いくつか狙いどおりに運転席側に着弾したものの、頭をふせられて全弾外れてしまう。ちょうど足元をフォードが通過し、俺は教科書どおりに着地を決めた舗装道路のうえでなくなく、奴らの背中を見送るしかなかった。
つづいて、当初の俺への復讐という主旨を忘れて、フォードを追いかけるのに夢中になっていた不良どもの一隊が、軽快な排気音を鳴らしながら現れる。奴らの相手なんてしてられない、俺は失われた右袖のピアノ線の代わりに、左袖のものを引き出して、道路を横断するように気に引っ掛けてから、また眼下の民家へと飛び降りていった。
昔、これと同じ手でバイク好きの麻薬王の首をはねたことがあるが、あの恐慌状態の悲鳴からして、何人かは酷い有様になったらしい。
運転席に当てる自信はあった。だがこっちが撃ちたいと思ったタイミングと、実際に発砲されるタイミングが絶妙に噛み合っていなかったのだ。そうだ、また勝手に弾が飛びだしてきた。
思い返せば、瞬きするほどのほんの一瞬の交錯。口惜しかった。走りながら腹の痛みに目をやって、防弾繊維に止められてマッシュルーム状になった銃弾を弾き飛ばす。こちらは全弾外れて、向こうは当ててきた。敵の腕はかなりのものだ。
カーブはあと1回、つまりチャンスももう1度ある。それがテッサを救い出せるラストチャンスだった。
*
【“テッサ”――車内】
洗濯機の中というのは、おそろくこんな気分なのでしょうね。これが戦闘中の
身をこわばらせて重力に抗う。戦術機動といえば聞こえはいいですが、教本にいわく、とにかく相手の銃撃を躱すために車両を左右に、それもできる限り高速で振るようにと定義づけられていました。
軋むタイヤ、唸るエンジン、そこに蛇行した丘を下っていくという動作が加わる。
「クソッ!! なんだありゃ!? 空飛んでたぞ!!」
新しい弾倉をMk12に叩き込みながらウェーバーさんが語っている内容とは、まず確実にノルさんのことでした。夜闇の向こう、建物の影からいきなりこう飛びだしてきて・・・・・・というよりも、ムササビよろしく滑空しながら横っ飛びにあらわれたチャイナドレス姿の怪人は、幾発かをこちらの車にはなったあと、また颯爽と丘の向こうに消えていったのです。
はっきりいって人間離れしてる身体能力。もう見慣れたはずのわたしでも、あれには少々、面食らってしまった。
「ある種の自己暗示と薬物療法の成果だ」
ウェーバーさんとしては、答えなんて端っから期待していなかったでしょう。ですがルークは淡々と、その疑問に答えていきました。
その声ときたら、カーチェイスの真っ只中というアドレナリンが吹き荒れる空間をおもえば、氷風を思わせる冷たさです。
「倫理を捻じ曲げ、オリンピック選手に隠しもせず計画的なドーピングを施せばどうなるか? あるいは、身体を守るために掛けられたリミッターを意図的に外してやればどうなる? その答えがあれだ」
「気づいてっか? あんたの言動、悪役まっしぐらだぜ」
ウェーバーさんらしくもない、突き放すような言葉でした。それも当然でしょう、堂々と自分たちが人体実験をしたと、宣言しているようなものなのですから。
「チッ!!」
互いに気が合わないのはとうに承知のこと。どのみち、目先の問題を片付けなければ、議論を発展させる余地もありません。弾丸に砕かれたヘッドレストを見つめながら、ウェーバーさんはついで、まだしつこく追いすがってくるバイカー集団を睨みつけていく。
「撃ってくるなら、撃たれ返されても文句は言えねえだろ。2秒でいい、車体を安定させろ」
背後から迫りくるバイクの数は、これまでの戦いでずいぶんと減って3台のみ。ただし2人乗りが2組ほど居るため、総人数は5名となります。
もはや焼けぐそ気味に弾丸をバラ撒くその姿からは、明らかな素人感が漂ってました。ちゃんと両足を地面につけていても難しいとされる射撃を、それも揺れる車体の上から行うのですから、まるで命中する気配すらありません。
こうまでたくさん撃たれておきながらわたしたちがまだ生きている理由には、こういった事情が背景にありました。もっともそれは、裏を返せば条件はこちらも対等ということ。タイヤふたつのバイクよりも、4つもある車のほうが安定度はいささか上ですが、それでもウェーバーさんの射撃技量をもっていしても命中弾は数えるほどでした。
ですがわたしは知っているのです。かつて日本の有明にて、走りまわる軽トラの荷台から完璧な狙撃をウェーバーさんがこなしてみせたことを。
人間関係は致命的なまでに相容れない両者ですが、兵士としての能力は互いに尊重しているみたい。ウェーバーさんの望みどおりにほんのわずか秒数でしたが、ルークは車をまっすぐ走ることにただ集中していく。
敵と味方によって穴だらけになってしまったリアウィンドウから、涼しい風が吹き荒れます。目を開けるのすら辛そうな暴風の中、そんな風が存在しないかのようにウェーバーさんの眼差しは一心に、世紀末の暴走族よろしく奇声を上げる、バイカー集団に向けられていく。
あの目の中にみえた煌めきは、スコープの乱反射によるものでしょうか、はたまた
3台のバイクに向けて、おなじく3発の銃弾が放たれました。もしここが映画の世界であれば、観客はちょっと出来すぎだろと肩をすくめながらもなんとなく許容してしまう
「ケッ」
西太平洋戦隊きっての名スナイパーの腕前は、今だにまったく衰えていませんでした。
ほんの僅かなチャンスをものにして、バイカー集団が蹴散らされていく。四方八方、乗り手を失ったバイクたちが悲惨な事故を引き起こしていくさまを見つめながら、なんでもないことのようにウェーバーさんは言ってのける。
その姿からは無関心というよりは、弓道でいうとのころの残心をわたしに想起させました。
「だからアメさんのライフルは嫌いなんだ。万事に卒がなくて、面白みがまったくねえ」
むしろそれは美点ではと? わたしなんかは思うのですけれど・・・・・・ウェーバーさんのような達人からすれば、また違う見方もあるみたい。
「終わりか?」
相変わらず、感情がまるで見受けられない冷たい声が運転席から問いかけてきます。
「見える範囲じゃな。まあ、あの手のタイプってとにかく群れるのが好きだから、すぐさま増援が来てもおかしくないが――うぉ!!」
さっきまでの冷静無比な姿はどこへやら。一瞬で、ウェーバーさんはまるで道ばたで妖怪に出くわしたかのような驚きの叫び声をあげました。わたしだってついつい声が出てしまう光景が、窓の外に映りこむ。
「ノルさん!?」
車の天井からは、なんとハイヒールの踵が突き出ていました。鉄板をつらぬける暗器をノルさんは、なんとピッケル代わりに利用したのです。
相変わらずフォードは、高速で走行していました。外の風景はまさに飛ぶように背後に消えていく。そんな車めがけてハイヒールを手に、車体を構成する屋根の合金めがけて振り下ろしつつ飛びうつる。無茶に無謀を重ねた、荒業中の荒業に、見てるこっちのほうがヒヤヒヤものです。
ですが当然といえば当然ですけど、ノルさんはしがみつくので精一杯みたい。これから一体どうするつもりなのかしら? あんまりな事態に身動きとれずにいたわたしを目を細めて睨みつけるとノルさんは、バン!! わたしのすぐ横の窓に、大きな手形を叩きつけていく。
いざ飛び移り、屋根に張り付いてみたもののどうしようもない。さて困った・・・・・・そんな考えなしでは、ノルさんはありません。計画性に欠ける面は大いにありますけども、こと戦闘における彼の嗅覚は、抜群なのですから。
ノルさんの目的は攻撃でなく、メッセージを届けることでした。ストロボライトのように高速に過ぎ去っていく街灯の明かりに、ノルさんの手のひらに書かれたスペイン語が照らし出されていきます。
“
直後、車内で銃声が響きました。
ルークが、ハンドルに手を添えたまま片手を伸ばして、まともに見もせずにノルさんに向けて無造作に発砲したのです。
突き立てられた殺人ハイヒールはそのままに、路上へとゴロゴロと転がり落ちていくノルさん。
心臓が止まりそうになる光景、ですが肘を立てながらの受身の姿勢を取っていることからも命に別条はないはずでした。防弾衣も兼ねているチャイナドレスはちゃんと機能している。
無謀な行動でした。ですが、かならず意味があるはず。Prepárate.、翻訳すると“備えろ”という意味になります。
もうすぐ車は、新たな交差点に差し掛かるところでした。信号は青、なのに嫌な予感に鳥肌が立ってしまうます。まさか・・・・・・わたしは一瞬、あんまりな事態に目を白黒させていたウェーバーさんを見やりました。
「ああ、クソッ」
すべてを察したウェーバーさんが慌てて助手席に舞い戻っていくなか、わたしはシートベルトを締め直して、飛行機のパンフレットに書かれたままの不時着時の姿勢をとりました。背を屈め、足は水平に、頭のうえに手を添えてその時を待つ。
研究結果が正しいといいのですけど・・・・・・どこか間の抜けた考えを抱いていたわたしの思考を、横合いから飛び込んできた、音と迫力をともなった巨大な質量がなぎ倒していきます。
あらゆる小物が、ガラス片が、無重力になった車内を縦横無尽に飛んでいきます。その中にはどうも、わたしの意識も含まれていたらしき・・・・・・ふいに、すべての思考がブラックアウトしていきました。
*
【“ノル”――路面】
アスファルトの地面に寝転がりながら見上げる空は、忌々しくも美しかった。これはコロンビアの数少ない美点だろう。
地上の緑にしたって、傍からみたらそれなり以上に美しいだろうが、いかんせんそっちは、動物やら環境やらを利用してダイレクトにこちらを殺しにくるからいただけない。
その点、星は良い。コロンビアにおいて、こっちを殺しにこない唯一の自然環境といえる。隕石が降り注ぐその日まで、きっとこの意見は変わりそうもない。
「・・・・・・DEA?」
投身自殺に巻き込んでしまったバイクから脱出する瞬間、俺は無線機だけはキチンと回収していた。ダクトテープの粘着痕のせいでベタベタするそれを口元に近づけ、トラックで市内をさまよっているに違いない男に向けて、俺は声をかけていった。
2つ目の丘陵を駆け下りるとき、親切にもカーナビを買って出てやったのだから、不意にするなら許さない。
『こちらウルズ9』
「テッサは、後部座席に座ってる。フォードの鼻っ柱に横からぶつかれば、被害は最小限で済むわ」
『
むくり、身を起こす。いつまでも寝転がってもいられない。
車から振り落とされた原因である9mm弾は防弾衣で止まり、あっさり弾き落とせた。撃たれたし、落ちたし、転がり回ったし、その前にはジャングルを走破しもした。そのわりに五体満足、軽傷は無数にあっても重傷は影も形もない。
その理由の大部分はおのれが培ってきた戦闘技術のお陰だと、少しは自惚れてもいいはずだった。だがそれ以上となると、単なる運に過ぎないだろう。はてさて、この運とやらがどこまでつづくか見ものだと、皮肉屋な自分が頭のなかで笑っていた。
テッサは俺まで平和な世界に連れて行くというが、当の本人がそのぬくぬくした平和の中から飛びだして、こんな異国で闘争に興じているのだから俺も明日はどうなるか分からない。
テッサの言うとおり、すべてを都合よく忘れて、別人として生き直せるなんてことが果たして可能なのだろうか? それとも先ほど出会った老人のように、何か変わるかもしれないと期待しながら、ただ同じ場所でずっと足踏みをつづける羽目になるのか?
遠い未来に思いを馳せるより、今はとりあえず、目先の問題を片付けることにしよう。どちらにせよ、テッサを助け出さないことには始まらないのだから。
「カウントする・・・・・・
今日一日でこの地区でずいぶんと人身事故が起きただろうが、こればっかりは人死は避けたいところだった。交差点に侵入した途端、10tトラックに轢かれたフォードがビリヤード台で見かけるような弾け飛びかたで地面を回転しながら、消火栓にぶつかり停止していく。
タイミングは完璧。DEAのドライビングテクニックはなかなかのものだ。フルスピードで突っ込まず、土壇場で絶妙にブレーキを掛けながら衝突をコントロールしていた。
乗用車とトラックが本気でぶつかれば、ふつうに考えたら乗用車側は原型がなくなるほどのスクラップになるはず。だが俺たちが追っていた灰色のフォードは、フロントこそへし曲がっていたが、乗員が収まる部分はまるっきり無傷だった。
フォードのタイヤのどれからか外れたホイールカバーが、意思を持ったかのように俺のよこを通りすぎていった。
背後に消えていくホイールカバー、それをなんとなく目線で追いかけながらふと気づく。そういえば、不良どもはどうなった?
直近の追っ手たちがCIAの銃撃によってド派手にクラッシュしていった、横目でその光景を眺めてはいたが、走ってる車に飛びつくのに忙しくて具体的なディテールはよく分かっていなかった。
背後をあおぎ見る。生きた不良の姿はまるで見受けられず、死体とバイクだったものだけが路面に転がっている。しっかり目を凝らすと、いずれの死体にも額に穴が穿たれていた。
なんと、まあ・・・・・・走ってる車内からああも正確にヘッドショットを決めるとか可能なのか?
パナマ帽は運転していたから、きっとあの軽薄そうな金髪ロン毛がやったのだろう。いかにも女垂らしで、絶対に愛人がいそうな顔つきをしていたが、どうにもこと射撃術においては、俺より数段上の人材らしい。
俺も相当やったし、DEAはここにいるのに追っ手の不良は、姿形もない。流石に被害に耐えかねて、撤収を決め込んだのだろうか?
それでもCIAの増援がどこからともなく現れるよりも、不良たちのほうがリスクとしては高い。トラックから降りた途端、すぐさまインベルMD-97を構えだしたDEAに声をかけた。
「背後をお願い」
それだけですぐさま、丘の上へとつづく道をライフル抱えて睨みだすDEA。元軍人はこういう時、察しがよくていい。
ハイヒールはまだ屋根に突き立ったままなのだろうか? 片方が裸足でひどく歩きづらい。ガラス片のマキビシを避けるのも、歩きづらさに拍車をかける。だがどのみち警戒しながら近づく必要があったから、今以上のペースは望めないだろう。
心配性のアメリカ人がたくさんエアバッグを車に仕込んでくれたおかげで、CIAの要員はどちらも生きていたが、身動きひとつしていない。気絶しているらしい。
弾が不意に飛び出てもいいように、ベクターは下向きに構える。とはいえCIAの要員がいきなり跳ね起きてこちらに銃を突きつけてきてもいいように、ギリギリのラインを保つ。
より近づいてみると、助手席で突っ伏してる金髪ロン毛なCIAの上体が、かすかに上下してるのが見てとれた。明らかに息をしてるな。そうか、やり損なったか。
テッサの方を確認。髪のセットは台無し、はだけた肩からシートベルト柄の青あざが見えるものの、忠告の甲斐あったようらしくこちらも息をしてる――が、CIAと同様にこっちも意識はない。
人は変わっていくもの、これからは平和主義を心がけるように。口を酸っぱくしてテッサになんど言われようとも、平和より俺はどうしても戦争に親近感を覚えてしまう。これが俺の世界だった、これまでずっと。
後顧の憂いを断つ。無造作に、ベクターの銃口を金髪頭へと向けた。だが銃弾を放つ寸前、ゆっくりと、細くてながい指がベクターのスライドへと絡みついていく。
「・・・・・ダメです」
「息も絶え絶えで、あいかわらずの人道主義?」
あの事故はかなり堪えたらしい。そもそも精神面はともかく、身体面では虚弱体質そのものな娘なのだ。事故からまだ間もないフラフラな状態なのに、毅然とした声で俺を制してくるテッサ。
「自己矛盾は重々承知です・・・・・・でもどうにかしたいと藻掻いてる真っ最中なんですから、そこはどうかお手柔らかに」
「大丈夫? なんか要領得てないわよ?」
まるで寝起きの深刻なバージョンのようだ。ふらつくテッサが、また口をもごもご喋りだす。
「・・・・・・おそらくCIAはみんなを盾にしてくると思います。彼女によれば然るべき対策はされてるそうですが、いまあなたの力が必要なのは、わたしにじゃありませんよ」
なんの話だ。
「テッサ大丈夫? それって誰に言ってるわけ?」
「あっ、えーと、頭がクラクラしてて、ちょっと・・・・・・とにかくこっちは大丈夫ということですよ」
ここで殺しておけば、後腐れないものを。
自分が正しいという確信はあるが、テッサは頑固だ。ひたすらしつこい。どうせ根負けするのはこっち側なのだから、ふうっと息を吐きながらベクターを引っ込め、バランス崩して倒れかける銀髪娘に肩を貸してやる。危なっかしすぎて見てられない。
「すみません・・・・・・」
まだしっかり立てないテッサに手を貸しながら、衝突事故のあとでもさしてダメージを負っていないトラックの方に歩いていく。この雰囲気だと、CIAはこのまま放置して撤収の流れだろうな。
「大佐殿!!」
道路の方を意識しつつも、一目散にテッサの方へとDEAがテッサに駆けつけてきた。
「申し訳ありません。自分が目を離したばっかりに」
「いえ、あれはわたしの判断ミスです」
麗しき責任の引き取りあい。そういうのいいから、俺はさっさとトラックに乗って帰りたかったのだが、とつぜんDEAの奴が深刻そうな顔をして言った。
「ご無事でなによりですが・・・・・・でも、どうか不躾な発言をお許しください。
日本、トゥアハー・デ・ダナン、あの豪華客船からシベリアとつづいて、ここコロンビアで2度目の誘拐。言いたくはありませんが大佐殿、いくらなんでも捕まりすぎです」
なにやら、剣呑な話が聞こえてきた。この娘、これまでなんど捕まってるんだ?
「いえ、わたしだってその件について、忸怩たる思いを抱いてはいるんですよヤンさん・・・・・・」
弱々しいテッサの弁明に横から口を突っ込みたくなったが、他ならぬコロンビアでの1度目の誘拐に関わった身としては、やぶ蛇になりそうで怖かった。口をつぐむのが正解か。
テッサをトラックに押し込んでから、俺は慌ててフォードに駆け戻って、ハイヒールを屋根から引き抜き回収した。なんともドタバタしてて情けないが、どこからかバイクのエンジン音が聞こえてきたのだから、慌てもする。
テッサは気づいていないのだろうか? このまま眠り姫をつづけるならこのCIAども、不良どもにハゲタカよろしくとどめを刺されそうだが。
前後不覚な有様だから、そこまで想像が至ってないのかもしれない。まあ、俺は殺すなといわれてるが、単なる肉屋のおっちゃんを巻き込むような奴らに慈悲を掛けてやれるほど、俺は人格者じゃない。
2度目の襲撃もこれで消えるだろうし、なんとも打算的で嫌になるが、黙ってこのまま消えるとするか。
油断なくフォードのほうにベクターを向けながら、トラックの運転席に舞い戻ると、目を丸くしたテッサが行きと比べてずいぶんと風通しがよくなった運転席を眺めていた。
そうだろうとも、事故ったばかりのフォードより、もしかしたらトラックのほうが酷い状態かもしれない。上下左右、全方向に弾丸の痕跡があり、あちこち塗料は剥がれ廃車寸前のありさまなんだから。
「あの・・・・・・何があったんですかこれ?」
闇市で最後に見かけたときを思えば、酷いビフォアアフターもあったものである。元上官からの問いかけにDEAは、どうしてか俺を責めるような眼差しでこちらを見つめてきた。
「ぜんぶアイツのせいです」
一歩遅れて合流した俺としては、犯人扱いに流石に黙っていられなかった。
「地元の農家VS土地を奪われたと叫ぶ現地民VSそれと関係なくマイペースに木を切りまくってる違法伐採業者。そんな三叉の抗争劇のど真んなかに突入してこの程度の済んだなら、むしろめっけもんよ」
「・・・・・・すみませんノルさん。つかぬことを窺いますけど、そのお話にゲリラやカルテルや民兵とか、関わってたりします?」
「むしろなんで関わってると思ったのよ。それとは別枠よ」
「この国、いったい幾つの武装闘争を抱えてるんですか・・・・・・アメリカではそういうの裁判ですとか、抗議活動でどうにかする部類なのに」
「コロンビアだと問題は、血を見ないと解決しないの。すぐみんなM60機関銃を取り出したがるんだから」
とりあえず、テッサの意識が戻りつつあるようでなによりだった。あの娘から脳みそを省いたらなにも残らない。
「待った、あれクルツか?」
今さらフォードの車内から覗いている金髪頭に気がついたらしい。DEAが、驚きを隠さずに言った。
「なに? あれ知り合いなの?」
「えっ、まあ、その、元同僚というか・・・・・・」
口籠るDEAの肩を、テッサがぽんぽんと叩いた。
「詳しいお話は、道中でしますから。とにかく今は帰りましょう」
疲れきった声でそう命令されては、DEAとしても返す言葉がなかったらしい。なんだかまたややこしい事になっているみたいだな。
警戒のためにガリルをひっぱり出して、とりあえず膝に載せておく。だが港目指して走り出したトラックの車内で、これを使うことはないように思えた。あくまで念のためだ。
なぜなら、こうまで盛大に出鼻をくじかれたCIAがすぐさま次の一手を打ってくるほど、余力があるとは思えないからだ。
あとはこれまで通り、守りの固い船にこもって日常生活を謳歌しつつ、テッサらが言うところの文明的解決策に期待をつなぐだけだ。
だが気が重い。これから心配性なハスミンにこの怪我についてどう言い訳したものだろうか。暗澹たる気持ちの俺を乗せたまま、DEA運転のもとトラックは、デ・ダナン・ツーまでの帰路についていった。
*
【“クルツ”――車内】
・・・・・・行ったか。
遠ざかるトラックのエンジン音を聞きながら、俺はずっとジャケットの下で構えていたハイパワーのセイフティをこっそり押し上げてから、ゆっくり息を吐いていった。
こっちに敵意はないって、素直に言っとくべきだったかな? よくよく考えてみりゃ、しれっと合流するって手もあったんだよな。だがテッサはああ言ってた手前、それもあれか。
俺よりずっと年下だが、オツムの出来に関しちゃテッサは数段上なんだし。テッサの助言にありがたくしたがって里帰り、素直に家族サービスでもするか・・・・・・問題を解決しようとしてむしろ場を引っ掻き回しただけのダメ親父、合わせる顔もないが、仕方ない。
まったく憂鬱だぜ。
それに俺の助力がなくたってテッサの周囲には、ゾンビウィルスにでも感染したのかと言いたくなるような面構えのヤンも居た。容姿は衰えてたが腕は別のようだし、この一件にこりてテッサの周辺警護を強化してくれるだろう。あいつ真面目さだけが取り柄だからな。たく、鞭打ちになったらどうしてくれる。
古馴染みだけじゃなく、どうにもあの新顔な美脚なねーちゃんもかなりのやり手だった。
お隣で死んだように眠ってる――か、本気で死んでても後腐れなくていい感じのクソ野郎にいわく、どうも色々なものをあのチャイナドレスは背負ってるらしい。それは、俺にも察せられた。
どうしようもねえ戦争の天才で、同時にこういった荒事にひどい嫌悪感を抱いているテッサが現役復帰するわけだ。CIAがなりふり構わず隠蔽工作をはかった辻褄も合う。
人体実験のもみ消しとは、まったくホワイトのおっさも存外に腹黒だぜ。勝手に人のいい面ばかり見てた、俺の見る目がなかっただけかもしんないけどな。
隣のクソ野郎はまだおねんね中。なら鬼の居ぬ間のなんとやらだ、今のうちにフケさせてもらおう。そうしたいのは山々なんだが、たく、このシートベルトときたら・・・・・・。
「クソッ・・・・・・」
何度か引っ張ってみても、金具が歪んじまったのかびくともしない。
引いてダメなら切ってみろ、ライフルの調整器具を兼ねたポケットナイフを取りだして、そいつをベルト部分にあてがってみる。お世辞にも切れ味はよくない代物だ、オマケ同然の刃で悪戦苦闘しながら切りつけていると、丘の方からいやーな排気音が聞こえてきやがった。
首を巡らせて見てみりゃ、チンピラてのはどうしてこうも無尽蔵に湧いてきやがるんだとついついボヤきたくなる、バイカー軍団の再来襲だった。
最悪のタイミングもいいとこだぜ。せめてほんの数秒待ってくれたら、このシートベルトって名前をした拘束具から抜け出せられたものを。そうすりゃ隠れるなり反撃するなり、幾らでもやりようはあったてのに。
慌てて顔を伏せて、気絶している風を装う。もちろん抜かりなくハイパワーを握りしめちゃいたが、ポジションが最悪だった。盾になるのは道路の側をむいてるペラペラの薄っすい鉄板製のドア1枚のみ。そして俺の位置ときたら、無理な姿勢で振り向かないと撃ち返せない座席ときてる。
連中からしたら死角になる歩道側に逃げたくとも、そっちは俺のへっぽこな相棒様が無駄にでかい図体で塞いでやがる。息を殺して、奴らの気まぐれな銃口がこっちを向かないよう祈るほかに打てる手はなかった。
「なんで止まる!?」
マジマジと見つめるわけにもいかねえ。だから音だけが状況を把握していくが、その声はちっと妙だった。
いかにも50がらみのおっさん声。バイクを乗り回して粋がってるチンピラ連中に交じるには、ちょっと歳がいき過ぎだった。それにあのロシア訛りはなんだ?
「これまでの路上のありさまを見たろう!! お前ら、このままやられっぱなしでいいのか!!」
ロシア人のおっちゃんの低レベルなアジ演説は、どうにもチンピラたちの心に響かなかったらしい。 アイドリングしてるバイクの排気音の合間に、疲れきった若造の声が響く。
「割に合わねえ」
「割に合わねえだぁ!?」
どうにも、仲良しグループの内輪もめって感じでもない。あのおっさんが雇い主で、残るチンピラどもが勤労精神に欠けるバイトって構図だろうか。熱狂具合にあきらかな温度差があった。
「なあおいおっさん、こちとら慈善事業じゃねんだ、約束の
「お前らに、復讐したいって気持ちはないのか!!」
「あるがよ・・・・・・なんだアイツら。明らかにまともじゃねえぜ」
「日和見よってからに!!」
「復讐しても、儲けにならねえだろうが。命を懸けるならカネがいる。ひとり頭1000ドル、あの話マジなんだろうな?」
途端、おっさんの勢いが急激に弱まった。
「・・・・・・ああ、もちろんだとも」
言葉のキレの悪さがそのまま、不信感へと変換されていく。顔を伏せてても分かる剣呑なムードだ。
「俺たちもよ、ダチがやられて頭に血が上ってたから深く考えなかったさ。だけど今となっちゃ、最低でも前金をくれなきゃ話にならねえ」
「いいか、大人の世界ではな、契約はあとから変更できないもんなんだよ」
「知ったことかよ。10人はやられたんだぞ」
「こんなことしてる間にも、奴らは離れていってるんだぞ!!」
「10人分で1万ドル、すぐ払え」
「なんなんだ・・・・・・いきなり算数が上手になったもんだなチンピラ風情が!! 金勘定だけはノーベル賞級か!!」
「いいから払えよ、ロシア人」
銃ってのは普通あんまり音がしない代物なんだが、チンピラたちが手にしてるのは整備不良のせいか、構えるだけで首筋が冷たくなる金属音を響かせていた。
状況を想像するのは容易い、今ごろあのロシア人の顔面は青くなっているに違いねえ。俺としても立ち位置があれだから、話がこじれて流れ弾が飛んでこないか不安でならないんだけどな。
「い、今すぐ払えるわけないだろう。銀行が開くまで待て。あと俺は、スウェーデン人だ」
「待てるかよロシアの
「なに?」
「俺らを小馬鹿にして、上手くのせてやったつもりだったのかよ」
旗色の悪さを誤魔化す方法はいろいろあるが、そのロシア人――いやスウェーデンだっけか? とにかくそのおっさんが選んだのは、この場でいちばん最低の方法だった。逆ギレしやがったのだ。
「いいからグタグタ泣き言をいってないで、奴らを追いかけろボケがッ!!」
殺気立ってる相手に命令口調とは、悪手にもほどがあるぜ。実際、ガチャガチャと一斉に銃を構える音が聞こえてきた。流れからして狙われてるのはおっさんに違いない。
「ボケだと? てめえ、誰がボケかもういちど言ってみろよ
「・・・・・・ま、まてまて待て。文明人らしくな、話し合おうな?」
ロシア人がチンピラを焚きつけて、テッサたちの命を狙った。どうもそういう構図らしいが、何やってんだかテッサのやつ。ポワポワしたあの見た目どおり、やたらめったら周囲に喧嘩を売るタイプじゃなかったはずなのに。どこでどう話がこじれたらこうなるんだ。
あのロシア人の顛末がどうなろうと、俺としては正直どうでもいい。明らかにヤクザもん同士の内部分裂だし、自業自得ってもんだ。だが一通り殺し合ったあと、そういえばあそこで事故ってる車があるからついでに見ていかないか? となりゃ、困ったことになる。
バイカー仲間の脳天をいくつか弾いた直後でもあるし、見逃してくれるほど奴らが心優しいとも思えない。
連中から見えないようなんとかシートベルトの切断に成功しちゃいた。あとは、気づかれぬよう車を抜け出すだけ。そうすりゃ選択肢が一挙に増えるのだが、相変わらず俺の相棒様ときたらそこでおねんね・・・・・・――待て、野郎、どこへ消えやがった?
いつの間にか無人になっていた運転席と、小さく開け放たれたドア。チンピラの1人が唐突に叫びだす。
「おい!! なんだテメェは!!」
練度の差てのは、一朝一夕で乗り越えられるもんじゃねえ。運転席から這い出た途端、チンピラたちに向けて戦端を開いたおれの相棒様の手腕ときたら、忌々しいが一級品だった。
野郎はずっと、上着の下にピストルサイズのアサルトライフルを隠し持っていた。ワンポイント・スリングで吊り下げられたそれを即座に構えて、迷いなくチンピラたちに銃弾を叩き込んでいくルーク。
OA-93。
とにかく短くすることだけを目的にした設計のせいで、燃え尽きなかった発射ガスがえらくド派手な
それでも、ライフル弾の威力はサブマシンガンの比なんかじゃない。先制攻撃の利点をこれ以上なく活かして、反撃も許さずチンピラたちを撃ち抜いていくルークの野郎。
実戦は、
タン、タン、タン、リズミカルな銃声がほんの2.5秒ほどつづいて、
「――止め」
眼前に両手を掲げながら凍りついていた、ロシア人らしき中年オヤジの後頭部からピンク色の霧が吹き荒れるころには、この路上で生きているのはもう俺と奴の2人きりになっていた。
「・・・・・・降参してたぜ」
首筋を揉みながら俺は、あえて余裕ぶってゆっくり車外へと出ていった。
声のトーンから責められているのは分かってるだろうに、奴はこっちを見向きもしやがらねえ。本当に機械みたいな野郎だぜ、淡々とタクティカルリロードでOA-93のマガジンを入れ替えているその姿からは、人間味なんてまるで感じない。
とりあえず奴と友達にはなれないと思った。半死半生のチンピラにとどめを刺すのに銃でもナイフでもなく、革靴で喉を踏み潰すなんてまっとうな人間のやることじゃない。
「女はどこだ?」
奴の質問を、耳をほじりながら聞く。これ見よがしに銃を向けるなんてどうにもはしたない。大体、奴は凄腕だったが、残念ながら俺は“超”凄腕なんだ。ハイパワーの早撃ちでやつが気づく間もなく仕留める自信が、傲慢ではなくあった。
フォードの半分ひしゃげたボンネットに腰掛ける、もちろん手は腰に添えながら。
「さあな? 俺が気づいた時にはもう居なくなってた。そのことに感謝するべきかもな」
「どういう意味だ」
「俺たちはまだ生きてる」
麻薬カルテルのボスの女房。そういう設定の割には、ずいぶんと生ぬるい対応じゃねえか。
「テオフィラだっけか? 俺の知り合いにやたらよく似た女だったが・・・・・・まったく慈悲深いこったぜ」
「どこに行く?」
踵を返して、夜のコロンビアへと消えようとする俺に当然の声がかかった。
「当面はあのサイレンから逃げるため、かな? 逮捕されたくないならアンタもそうしたほうがいいぜ?
いくらインターポールの指名手配書にもとづいた正規の捜査つったって、人様の国で好き放題に暴れられるわけじゃねえ。ま、こうまで大量に死体が転がってるとなりゃ、事情聴取からの懲役は確実だわな。
民間人を意味もなく殺したんだ、CIAだってあんたを喜んで見捨てるはずだぜ」
「任務はまだ終わってない」
「俺にとっちゃもう終わったさ。このまま、無茶苦茶な相棒に振り回されて治安がクソ悪い刑務所にぶち込まれるなんてまっぴらごめんだぜ」
相変わらずのロボット顔。だがその目には、どこか責めるような空気があった。
「おいおい、まさか
俺は、端っからホワイトのおっさんに借りを返すためだけに参加したんだ。正規の契約なんてどことも交わしちゃいねえし、ギャラすら当然ナシのボランティアなんだぜ」
「家族がどうなってもいいのか?」
「・・・・・・やっと本題に入ったな」
野郎はよく訓練されてるが、どうも杓子定規すぎて柔軟性に欠ける。あの動き方には覚えがあった。怪我で長らく離脱してたベテランが、久方ぶりに現場復帰してくるとあんな感じになる。
頭は覚えてるのに身体が追いつかないギクシャク感。早いが、滑らかじゃない。勝機は明らかにこっちにあった。
「ホワイトのおっさんは、個人的には好きだったんだけどな。こうまで人を見る目がないとは、幻滅だぜ。
囚人より弱い監視役を当てるかふつう? イキるのはいいが、負けるのはそっちの側だぜ」
「承知している。実は、車椅子でながらく生活していた。だからまだ身体が鈍ってるんだ」
「そうかよ、現場復帰は時期尚早だったな。そのまま病院にいりゃあ、お互いハッピーだったろうに」
「いや、ボクはずっと自宅で療養していた。妻に看護されながら」
いきなり身の上話とは、こいつあのサイレンの音が聞こえないのか?
「君が羨ましいよ。美しい妻と愛すべき娘、あるべきものをすべて持っている」
「で、俺はいつ与太話に付き合ってられないって言えばいいんだ?」
「ずっとボクは、正しく生きようとしてきた。だがどうやって折り合いをつける?
コソボで、男の首をサバイバルナイフで切り落としたことがある。それに値する標的だったが、そんな言い訳が、殺し合いなんて幻想の中にしかない本土での生活において、どんな意味をもつのか」
「社会に適応できない元軍人にねぇ。そういうのはカウンセラーに言え、テメエの泣き言なんて知ったことか」
「良き夫、良き父、いや・・・・・・ただの善人でさえあれば、ボクはそれで良かったんだ。だから君が羨ましいよ。普通を演じることをサポートしてくれる、理解ある家族がそばにいて」
「・・・・・・」
「ボクにはそんなものいなかった。それどころか、否が応でも非日常に引き込もうとする悪魔と臥所をともにしてきたんだ。そんなある日に、ボクは神と出会った」
頭をボリボリ掻いて、この空気をどうしたものかと思い悩んだ。おいおい・・・・・・まるっきり言い草がカルト教徒のそれじゃねえか。これに任務を任せるとか、ホワイトのおっさんはマジでとち狂っちまったのか?
「あんた自分じゃ自覚してないだろうがな。山奥で生贄の儀式とか開いて、なにかっつうとナタもって人を追い回すけど、映画の最後でデカパイのねーちゃんにトドメ刺される殺人鬼そのものな言い草だぜ」
皮肉が通じたのか、はじめて男が口元を歪めて笑った。
「あの女性との出会いは最悪だったよ。ポーツマスの冬は寒く、その後に彼女がなにをしたのか、ボクは新聞から朧気に察することができたからだ。
だけど2度目に再会したとき、彼女は――“聖母”になっていた。
ボクの得られなかったものをすべて持っている君たち家族が羨ましくてならないけど、同時に、彼女が教えてくれた救いをしらないで生きるのが、哀れにも思える」
「なんだそりゃ・・・・・・」
「君には分かるまい――我が子を殺した女を車の下敷きにして、その頭を砕くときほどの快感は、この世にはないのだということを」
「・・・・・・イカレてやがる」
正直、話せば話すほど気が変になりそうだった。
コイツは“本物”だ、正真正銘の狂人だ。名状しがたいなにかってやつが、背中をゾクゾク駆け抜けていくのがわかった。精神病院でも持て余すような狂信者になんかに
、これ以上、付き合っていられない。
「家族がどうなってもいいのか?」
背後から掛けられた低俗な脅し文句に、手をひらひら振って答えた。
「ならせめて頭に銃口を突きつけてる写真ぐらい見せてくれ。無理か? だろうな。秘密作戦に従事してた元軍人ってのは、終末論者よりも守りが堅いもんな。
幾通りもの脱出手段もふくめ、物理的な
大体、本当に俺の
「ハッタリだとでも言いたげだな」
「違うなら証拠を示せってだけの話さ」
こっちは天下のCIA様だぞ。そりゃ相手がド素人なら、世間に独り歩きしてるCIAのイメージにのせられて、言いなりになっちまうこともあるだろうさ。だが俺もメリッサも、伊達に、この界隈をながらく生き抜いちゃいない。
しばしの沈黙。すると背後から、まるで神への祈りを捧げるような言葉が聞こえてきた。
「主は奪い、そして与えたもう」
宗教狂いめ。呆れ果てた俺は、もう奴のことなんて忘れたかった。なのにたった一言・・・・・・それだけで野郎は、力関係を一変させやがった。
「ナイト・オウル・モーテル――267号室」
次の瞬間、俺はやつの顔面めがけて引き金を絞っていた。
ニューヨークのアパートの住所が知られていても、まったく驚かねえ。別に世間から隠れ潜んで暮らしてるわけでもない。だが、だがな。
メキシコにもカナダにも、どちらの国境を越えるときでもあのモーテルなら地理的に準備しやすいし、地域の警察力もほとぼとに低くて好都合だった。なにせ普段は旅行客が、お目当ての観光地に向かうために一時休憩するために作られたモーテルなんだ。俺たち一家のような、アラブ系のラナや東南アジア系のロニーがまじって泊まっても、オーナー様から余計な詮索をされることもない。
それがナイト・オウル・モーテルだ。いざって時のために俺たち家族が取り決めておいた最終集合地点。
誰にも知られていないはずの隠れ家の場所を野郎は、部屋番号まで正確に言い当てやがった。いざって時のために壁の裏に逃亡資金を隠しておいた部屋のことを――まるでお前たちは、手のひらの上だとでも言いだけに。
手のなかで跳ね上がっていくFN ハイパワー。衝動的に誰かを殺すなんて、自分らしくないとは重々承知だ。だが気づけば、俺はかんぜんに頭に血がのぼりきっていた。
「あの御方からは、多くを学んだが・・・・・・もっとも有益な教えは、すべてを明かすときは勝利してからだというものだ」
撃たれておきながらその冷静さは、欠片も損なわれていなかった。どうせ胴体は
奴はたしかに顔面に銃弾を受けていた。一文字に切り裂かれた頬の向こう側から赤黒い血が地面へと滴り落ち、白い歯と破れたピンク色した筋肉の繊維が空気中にさらされている。
グロテスクなコントラスト。銃弾というよりも、ノコギリで乱暴に切り裂かれたかのように見える。とんでもない激痛が走っているはずなのに、あのロボットじみた能面顔は、いささかも変わっちゃいなかった。
奴は言った、血があふれすぎて水を含んでいるかのようだったが、平坦そのものないつもの声音で。
「
「あっ?」
「児童虐待の容疑でね」
「そんな与太話が通じるか」
「通じるさ。誰もが権威に盲目であり、システムを疑うということを知らない。
インターポールが指名手配をした、その一言だけでどれだけ話が簡単に進んでいったか・・・・・・それを目にしたのは、そう昔のことでないはずだ」
「・・・・・・制服を着込んだ警官が、無実の相手の誘拐に関わるとでも? これは南米じゃなくアメリカでの話なんだぜ」
「だが拘束された容疑者を他の組織に奪われるというのは、NYPDの警官からすればよくある話だ。
管轄権という空の上の出来事を、どれだけ現場の人間が気にかける? CIAから正規の要請があれば、拒否するなどありえないことだ」
まるでホラーのいち場面だぜ。常人なら泣き叫んであたりまえの怪我を負っておきながら、ルークの野郎は超然と佇んでやがった。
「テレサ=テスタロッサに情が移っているのは分かる。だが、彼女1人のために他の家族すべてを犠牲にする覚悟が、君にはあるのか?」
「俺の家族に指一本でも触れやがったら――」
「言葉ではなんとでも言える。物理的に阻止できない時点で、君の負けは確定してる。
ダークウェブを介して雇われたガンマンたちをどうやって特定する? そうでなくとも、羽でもはやして今すぐニューヨークに駆けつけられるのか?
残る選択肢はふたつだけだ。意地を張りとおしてすべてを失うか、あるいは妥協して、家族だけでも守り通すか」
大した言い草じゃねえか・・・・・・まるでテッサが、俺の家族じゃないとでも言いたげな態度だぜ。
「これがホワイトのおっさんの本来のやり方かッ!! いつからCIAは、自分とこの国民を人質にとるようになったッ!!」
情けねえ・・・・・・不利を自分から暴露していくようだが、それでも言葉が止まらなかった。
別に深い付き合いがあったわけじゃない、それでもホワイトのおっさんに抱いていた信頼関係ってやつが、目の前でズタズタに切り裂かれていくんだ。肝心なときに家族を守るどころか、側にいてやれすらいない自分の不甲斐なさも激高に繋がっていく。
そんな銃を突きつけながら吠える俺を、キョトンと、目の前に立っている口裂け男が不思議そうに眺めてきた。
「なんだウェーバー曹長、これがまだCIAの作戦だと思いこんでいるのか?」
? それはどういう意味だと問い返したくとも、目をくらましてくるヘッドライトの明かりと蛍光色のパトライトに、俺の注意はすぐさま吸い取られていった。
ずっと前からサイレンが聞こえてたんだ、コロンビア警察のパトカーがやっとこさ到着してもまるで驚かねえ。だがその背後に数珠つなぎになっている車列は予想外だった。
あの使い古され具合からして、米軍払い下げ品らしきハンヴィーが幾台も並んでいる。一見すれば、コロンビア軍ご一行様。それだけでもおかしな話だったが、車に乗り込んでいるのはもっと異常なメンバー、私服姿の男たちだった。
そういやミスリルがおかしいだけで、本来なら傭兵が軍服を着込むのは、国際法に反するとかなんとか聞いたっけな。プレートキャリアにどでかいライフル、装備だけ見りゃ軍隊のそれと遜色ないのに、奴らは明らかに
いや、下手したら国軍以上の武装かもしれねえな。市街地にAS輸送用の超大型トラックたるトランスポーターまで帯同させてるたあ、尋常じゃない。
「ヒドい怪我ですね」
そんな車列の先頭から、1人の女が路面に降り立ってきた。亜麻色の髪をした、ビジネスウーマンという風体をした無国籍風の若い女だ。
ホルスターに銃を戻さないのは俺なりの精一杯の意地だったが、こんな大軍を前にしては、銃を構えつづけるなんて気力もすぐさま失せていく。垂れ下げたハイパワーをルークに向け直すことはもうないと、俺はすでに悟っていた。
口裂け男が、無国籍風の女へわずかな頷きで応じていった。知り合いというよりも、そこからは明確な上下関係を感じた。
「弊社の衛生兵に応急処置を受けるといいでしょう。まだ仕事は終わってませんので」
指の隙間をフィルター代わりにして、俺はハンヴィーのヘッドライトからの、眩しすぎる光芒を覆い隠していった。そうすることでやっと、ハンヴィーのドアに刻まれていた文字を読み取ることが叶った。
そこには――ミスリルUSAという社名が刻まれていた。
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