XI “また逢えたわね”


【“テッサ”――埠頭、デ・ダナンⅡ前】


 閉塞感の強いコンテナ船での生活から一転、この買い出しでちょっとはリフレッシュできるのではないかと、実はひそかに期待に胸を躍らせていたのです。


 最近は色々とありましたし、あの頭痛だってストレスが原因に違いない。そんな不埒な考えがいけなかったのか、蓋を開けてみればご覧のありさま。


 なにせこの地は、すぐ理解不能状態に陥ってしまうおとぎの国。楽観ほど裏切られてしまうのは世の常ですが、最悪に備えてもなお裏切られてしまうのが、この土地の流儀なのです。


 CIAによる誘拐未遂事件、謎のバイカー軍団の来襲、さらには生き意地汚すぎる船長さんによる復讐劇などなど・・・・・・ほんの数時間たらずでどうしてこうなってしまったのか。もっと警備に気を配るべきでした。気が緩んでいたのは否めません。


 とはいえ3人揃って五体満足だったのは、不幸中の幸いというものでしょう。ただ、トラックは酷い感じでしたけど。


 とっても頑張ってくれました。


 正直、見た目だけでは、スクラップヤードから盗み出してきたようなひどい外観に変わり果ててまして、走ってるだけでも奇跡的という感じ。追いすがってくるバイカー軍団のみならず、地元の自警団からも銃撃を浴びたのですから、さもありなんという所でしょう。


 それでも当初は、わりかし快調に走ってくれていたのです。


 360度の蜂の巣状態でありながら奇跡的にタイヤは無傷でしたし、道も空いていた。ですがもう半分といったあたりでエンジンがプスプス言い出しまして、港のゲートをくぐった辺りで完全停止。


 最後はゆるゆる慣性だけで、デ・ダナンⅡの前で仁王立ちして待ち構えていた片目片足の少女のまえへと、わたしたちが乗るトラックは停車していったのです。


「ちょっと目を離したら、これですか?」


 別にハスミンちゃんの監視の目が行き届いていたところで、どうこうなる状況でもなかったでしょうが・・・・・・トラックの運転席から埠頭に降り立ったばかりのわたしたちは一斉に、ついつい目を逸してしまった。


 背丈に似合わず、相変わらず圧のすごい子です。深夜帯という照明効果も相まって、その迫力ときたら倍増中でした。


「で、ですけどほら、買い出しという当初の目的はちゃんと達成できたわけですし」


 こういうとき指揮官という役職は損です。急に忙しそうにし出したヤンさんとノルさんに代わり、この子の疑問にちゃんと答えなくては、ならないのですから。


 ですが情勢は明らかに不利。片目片足の少女が、出かけた時と比べてずいぶんと薄汚れてしまったわたしたちを鋭く睨みつける。


「どうしてそうすぐズタボロになるんですか」


「好きでなったわけじゃありませんって」


「大恩あるテッサさんにあまり言いたくはないのですが、昔はもうちょっとこう、いちいち怪我人が出たりはしなかった気がします」


「オレなら大丈夫よ。こんなの怪我のうちに入らない」


 海風になびくチャイナドレスの裾は千切れ、ところどころグレーの防弾繊維の下地がむき出しになっている。そんなズタボロ具合なクールビューティーが、何やらのたまってました。


 これほど説得力に欠ける見た目もないでしょう。わたしへの援護射撃のつもりなら、余裕で落第点というもの。現にハスミンちゃんの眼差しは、いっそう鋭さを増している。


「兄さんからすれば、臓物さえ飛びだしてなければ、ぜんぶ軽傷の部類なんでしょう?」

 

「世の中、そんなもんでしょ」


「「そんな世の中ありえません」」


 思わずハモってしまう。助けに来たつもりが味方からも集中砲火を浴びて、ノルさんはシュンとしてました。ですがこれもいい機会。荷下ろしに加わる気まんまんなご様子でしたが、冷静に考えてみれば、それより治療のほうが先決です。


「ちょっと皮膚が剥がれて、筋肉がむき出しになってる部分があるからって、いくらなんでも心配しすぎじゃ――」


「やめてください!! 聞いてるだけで痛々しいんですからもう!!」


 一度、痛覚神経を病院で精密検査してもらうべきですよこの人。


「せめてシャワーぐらい浴びてください。ジャングルには、どれだけ危険な雑菌が潜んでいることか」


「破傷風の注射なら、ちょっと前に打ったばかりじゃない」


 トラック一杯の物資を、船に備えつけられた小型クレーンダビットで甲板に運び上げてから、そこから更にそれぞれの保管場所へと人力で輸送するのです。


 単純な力仕事ですが、女子どもばかりなこの船でそれが出来るのは、ほんの3人足らず。そこらへんの事情が、この意固地の原因でしょう。


 あいかわらず誰よりも責任感が強いくせして、それを頑として認めない面倒くささの塊。まさにノルさんという感じでした。額に手をやり、呆れ返ってるハスミンちゃんを妹として認めないのも、根っこは同じ理由でしょう。


「ハスミンもテッサさんと同意見です。もっと自分の身体を労って・・・・・・さっさと医務室に行きやがりなさい」


 自分よりずっと年少者、なのに問答無用な命令口調に、さしものノルさんも眉をしかめられる。


「どうしてそう偉そうなのよ」


「妹だからです。妹は、妹というだけで偉いんです」


 わたしも一応は妹でしたが、この謎めいた理論にまるで共感できない。それでもどうしてかもっともらしく聞こえてしまうのは、真顔で言い切ってみせたハスミンちゃんの胆力ゆえでしょう。


「オレに妹が居たことなんてないし、これからもない」


 最近、聞き飽きてきた返答に、

 

「でしたらこの薄汚い乞食め、あっちで生ゴミでも貪っていろと罵ってください」


 などと、ドぎつい言葉で打ち返すハスミンちゃん。


「・・・・・・」


「そこで押し黙ってしまうから、兄さんは兄さんなのですよ」


 相変わらずメンタル面では、役者が違いすぎて勝負にすらなってません。ちょっと可哀想ですし、わたしの方から少しフォローを入れておきましょうか。


「ちなみにですけどノルさん、ウィッグに葉っぱが突き刺さってますよ?」


「うっ」


 高速走行する車から放り出されようが平気な顔してたのに、ウィッグの問題となると途端に嫌そうな顔をしだす16歳。怪我の治療よりも、身だしなみの方が大切なんですこの人。


「これって命令か」


 頭から取り外したウィッグから葉っぱを引き抜きつつ、途端、少年モードに早変わりするノルさん。


「はい、命令です」


 そう、ピシャリと言ってのけるとようやく観念したみたい。トボトボと船に向かって歩きだすノルさん。


 見かねたヤンさんが、哀愁漂うその背中に言葉を投げかけました。


「大丈夫、荷物なら僕がどうにかしとくよ」


「居たのかDEA」


「人生で悪態とか一度もついたことのない僕だけどね。君だけは、思うさま罵ってやりたいって衝動といつも戦ってるよ!!」


「ほんと存在感のない奴だな」


「いいのか? 泣くぞ、泣くからな!! それも大の大人がだぞ!! この罪悪感に君は堪えられるのか!?」


 とにもかくにも、こうしてノルさんは去っていきました。


「買い出しひとつでこの大騒ぎ。ハスミン、いつになったら枕を高くして眠れるようになるのやら」


「ですから目的は達成しましたって」


「穴だらけに見えますけど」


 角度によっては、港の照明がいい感じに貫通して、光線みたいに見える穴だらけな荷台。その不安ももっともです。


「重要なのは中身ですよ、中身」


 自分でもどこかピントのずれた言動に感じられましたが、事実なので致し方ありません。とにかく開けてみなければ、なにも分からないのが現状ですから。


「捨てざるおえない部分も多々あるでしょうけど、大部分は無事なはず。もともと月単位の備蓄を想定してましたから、多少ダメになってても当分は保ちますとも」


「多分ってつけ加えるなら、今が最後のチャンスですよテッサさん」


「このままですと、毒舌家として後世に名前が残っちゃいますよハスミンちゃん」

 

 わたしは、ずっと待機していたヤンさんに合図して、荷台の扉を開けてもらいました。途端、流れ落ちてくるツンとした臭いの液体。間違いありません、これはディーゼル燃料ですね。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 わたしは絶句して固まり、ズズズとハスミンちゃんは、ジト目をこちらに向けてくる始末。


 ディーゼル燃料が漏れてくるところまでは、実は想定通りだったのです。


 重いものは下に置き、軽いものは上に置くのが荷積みの鉄則というもの。ならドラム缶に充満されたディーゼル燃料なんて、どう考えても土台扱いされるはずでした。軽めの食材が燃料で濡れてしまう可能性は、最低限で済むはず。


 しかしながら計算外がひとつ。カーチェスで左右に揺さぶられたことで、どうやら荷台がシェイクされてしまったらしいのです。あとはまあ、お分かりでしょう。


「・・・・・・い、良い面を考えてみましょう!!」


 燃料でぬらぬらになってしまったお野菜の束が、崩れたダンボール箱から飛び出してます。そんな現実の前では、わたしの強引なポジティブ・シンキングなんて空元気にしか写らないでしょう。


「なんならこのハスミン、生ゴミだって食べてきたハングリー精神の持ち主ですが、これはさすがに初体験ですね。ドレッシングとしてガソリンを用いるとは、斬新すぎて胃もたれ起こしそうです」


 ハスミンちゃんのどんよりした声が突き刺さってきます。なにせ晩ごはん抜きの瀬戸際でしたから。


「ガソリンじゃなく、ディーゼル燃料ですよコレ」


「何が違うんですか」


「ディーゼル燃料はガソリンよりも格段に安定した燃料でして。環境汚染が叫ばれて久しい昨今、一般社会では規制が進んでいるものの、軍用として幅広く用いられてるんです。特に潜水艦は大好物で、最初期には人力や電力や空気エンジンなど様々な手法が試されましたが、最終的に艦の大型化にともなって通常動力、いわゆるディーゼル機関が用いられるようになったという歴史があったりするんです。確かに航行距離という面では、原子力機関に大きく水を開けられてはいるものの、その静音性においては比肩するものはなく、ただパラジウム・リアクターの台頭によってその地位も危うくなりつつあってですね」


「すぐ“カガク”で煙に巻こうとする・・・・・・」


 悪い大人になったようで、心がチクチク痛みました。言い訳がましいわたしとは正反対に、ハスミンちゃんの関心ときたら単刀直入そのものでした。


「で、夕飯はどうするので?」


「ご心配なく」


 まさかこんな事態になるとは、色々と予想外にすぎましたが、備えはいつだってしておくものですね。


 できれば、子どもたちには新鮮な食事を食べさせてあげたかったのですが、こうなっては致し方ありません。荷台にえいこらよじ登り、目当てのものをわたしは箱の中から取りだしていきました。


「こんなこともあろうかと――」


「こんなこと? 町中で銃撃戦に巻き込まれるとかですか?」


「割とあるでしょう」


「・・・・・・ここに来て反論を許さないとは、流石はテッサさんですね」


 わたしが手にし、掲げてみせたのは、茶色いプラスチックに包まれた袋でした。その表面には、MREとアルファベット三文字が刻まれている。


「なんですかそれは?」


 訝しむハスミンちゃんに、わたしは不安を一蹴する意味もあって、あえて自信たっぷりに紹介してみせました。


「これはMRE。米軍が正式採用してる軍用携行食レーションというものです」

 

 米軍の影響が濃い土地柄ゆえでしょうね、在庫が豊富で助かりました。袋は燃料で汚染されているものの、中身はまったくの無傷でした。


「全地形対応。雨でも雪でもみぞれでも、あらゆる過酷な戦場で兵士たちの胃袋をサポートしてきた携行食。米軍が長年、改良に取り組んできたものです。栄養バランスに関しては、その道のプロのお墨付きなんですから!!」


「で、味は?」


「多民族国家アメリカを反映したかのようにそのバリーエーションも多種多様。さまざまな宗教や、菜食主義にも完全対応しているんですよ!!」

 

「で、味は?」


 隊員たちの心身の健康を鑑みて、わたしは西太平洋戦隊の食糧事情にとりわけ気を配ってまいりました。


 できるかぎり新鮮で、多様な食事を。その努力は実を結んでくれたらしく、食糧に関するクレームは全くありませんでした。ただひとつ、非常時の備蓄食料として倉庫に積み重ねられていたMREを除いては・・・・・・。


 とても食べられたものじゃない食事Meals, Rarely Edibl食べものに似たなにかMaterials Resembling Edibles謎飯Mr.E等々・・・・・・こと味についてのMREの評判の悪さときたら、昔から凄まじいものがあると知ってはいたのです。


 しかしながら経験者は語る。


 匿名の米軍出身者メリッサからの聞き取り調査を実施してみたところ、当たり外れが激しいだけで面白おかしく語られすぎとの証言が得られ、わたしは安易にゴーサインを出してしまったのです。賞味期限が迫っていたMREの一大早食い大会なんて、おぞましい行事への。


「で、味は?」


 三度くりかえされた片目片足の少女からの質問に、きっとわたしは遠い目をしていたに違いない。誰しも黒歴史というのは、あるものですから。


「・・・・・・栄養は抜群ですよ?」


 我ながら苦しまぎれの擁護に、ハスミンちゃんの眼差しが猛禽類がごとく細まりました。


「宅配ピザにしておけば・・・・・・」


 噂では、米軍の総力を挙げてMRE版のピザを開発中とのことですが、この計画が順調に推移したとしても、宅配ピザの方がお手軽かつ美味しいという事実は、きっと覆らないことでしょう。


 だって所詮、MREなんですから。

 

「まあいいでしょう」


 ため息まじりにハスミンちゃんが呟きます。


「ハスミン諦めるのは得意ですから、夕食は“コレ”で妥協しましょう。とはいえ、まずは水洗いの必要があるでしょうが」


 バッチそうにMREの袋を指でつまむハスミンちゃん。常温保存で3年は保つ抜群の耐久性能がありますから、中身が汚染されていたりはしないはず。ですが、単純に匂います。


 今度は、荷台の奥深くにもぐり込んで、全体にざっと目を通していたヤンさんが言いました。


「引火性の低いディーゼル燃料とはいえ、危険であることは変わりありません。火花ひとつで爆発炎上、待ったなしですね」


「高温多湿な環境で助かりました、静電気はそれほど気にしなくてもいいですね」


「まあそういうポジティブな見方もできますが・・・・・・大佐殿、残念ながら水気に弱いものは全滅です」


 コンコンと、ヤンさんが手近なドラム缶を叩くと、中からちゃんと液体が詰まってる音が返ってきました。


「ですが意外にも、ドラム缶の大半は無傷のようです。それと前部にまとめられていたお陰で、運転席で弾が遮られたんでしょうね。武器弾薬も洗浄さえすれば、十分に再利用できそうです」


「本はどうでしたか?」


「えーと、指輪物語ロード・オブ・ザ・リングとホビットの冒険の表紙が融合して、ロード・オブ・ホビットになってます」


「頼んだのは、DVDだったのに・・・・・・」


 今日の晩ごはんということもありますし、MREは別にしても、武器か燃料か? どちらを先に運び込むか、決める必要があるみたい。


 それなら結論は決まっている。


「燃料からお願いします」


 意外だったのか、ヤンさんが怪訝そうな顔をされました。


「燃料ですか? 発電機用ならまだ備蓄はあったと、自分は記憶してましたが」


「いえ機関室ではなく、格納庫の方に運んでおいてください」


 ますます釈然としない雰囲気を強めていくヤンさん。そんな元部下にこう言いました。


「まあ、念の為です」


 闇市で購入を決断した時には、もしかしたらやり過ぎかもと思ったのです。ですが余裕ぶっこいて痛い目にあったばかりですし、やりすぎぐらいが調度いいのかもしれません。


 ヤンさんの中では、まだわたしは上官扱いであるみたい。もっとフランクに接してくれても構いませんよと言いはしたものの、兵士らしいキビキビさでヤンさんが了解の意を示してきます。


「では、ディーゼル燃料から」


「お願いします」


 ここでわたしも手伝いましょうか? などと申し出たいのは山々なんですが。自分の身体能力では、荷運びの最中にズッコケて首があらぬ方向を向いてしまう等、暗黒の未来しか見えません。


 わたしにしかできない仕事があるんですから、変に引け目を感じるよりも、素直にそちらを優先すべきでしょう。


 わたしにしかできないこと・・・・・・それは頭の片隅でずっと引っ掛かっていた非常事態。そろそろ、それについてハスミンちゃんに尋ねるべきタイミングでした。


「それでハスミンちゃん、あの子は」


 最悪の可能性がどうしても頭から拭いきれず、訪ね方もどこかよそよそしくなってしまう。なのにこの子ときたら、


「発見しました」


 なんてあっけらかんに述べるのです。

 

 ガタ、ゴロン、穴の空いていないディーゼル燃料のドラム缶が次々と運び出されていく音を聞きながら、ちょっと思考が停止してしまう。一日中ずっと気を揉んできたのに、それはあまりにあっさりすぎる返答でした。









 コンテナ船の上部構造物、その階段を昇っていく。


 ブリッジのすぐ真下にあたるEデッキには、わたしに充てがわれた部屋がありました。そんなデッキで、所在なさげにたたずむ小さな人影がふたつ。聞こえてくるこの声からしても、ハスミンちゃんから見張り役を仰せつかったというバウティスタくんとカロリナちゃんに違いない。


「まさにあれだ、なんちゃらになんちゃって奴だな!!」


 わたしの姿を見るなり、いつものように大威張りしだしたバウティスタくんを、呆れ顔のカロリナちゃんが的確にフォローしていきます。


「たぶん灯台もと暗しって、言いたいんだと思います」


 ほぼノーヒントでよくもまあ・・・・・・熟練夫婦なみの読解力でした。ですがほっこりしてばかりも居られない。すぐカロリナちゃんは、こわごわと自分の背後にある――かつて“ママ”と呼ばれていた女性の私室の扉を見つめたのです。


 この場所は、ある種の禁忌のような扱いを受けていました。この船がまだトラソルテオトルと呼ばれていた時代、ここで起きたあらゆる忌まわしい出来事を指揮してきた責任者の私室だったのですから、当然というものです。


 それだけでも恐れを抱くに十分だったのに、部屋の中にはさらに本物のミイラで作られたというサンタ・ムエルテ像が鎮座しているのです。聖堂カテドラルとは、よく言ったもの。


 そうです、ノルさんを除いて、ここには基本的に誰も近づきません。それで盲点になってしまったみたい。


 怯えを隠さない子どもたちに配慮して、自分だけで入室していく。扉を開けると今朝よりもいくぶん短くなってしまったロウソクが、まだ淡く室内を照らしていました。


 いつ来てもお墓みたいな静けさに満ちた場所です。相変わらず生活感というものが欠けている。そんな部屋の中心に、椅子をベッドのように横並びにさせて身を横たえる、鳥籠の少女の姿がありました。


 ゆっくり肩を揺らしながら寝息を立てている。見た感じ、怪我もないみたい。その姿を一目見て、安堵とも、脱力感ともつかないものが全身に押し寄せてきました。


「・・・・・・ふぅ」


 灯台もと暗しとはよく言ったもの・・・・・・脱走地点のすぐ目と鼻のさき、かつ心理的に捜索を後回しにしたいこの場所に、この子はずっと隠れていたのでしょう。


 とにかく心身ともに疲れました。疲労感はMAX、なんならこのまま膝から崩れ落ちてしまいたいぐらい。誰しも1年に1度ぐらい、何もかも上手くいかない日があるものですが、わたしとっては、きっと今日がその日だったのでしょう。


 CIAとの交渉は暗礁に乗りあげ、恐れていた襲撃もついに現実のものとなり、あげく買い物すらままならない。そしてこの子の存在です。


 よく眠っている人形の少女の頭に手を添えて、サラサラの髪の毛を梳いていく。


 この小さな頭のなかに、一体なにが隠されているのでしょうか。どこから来て、何がしたいのか? もしかしたら名前すら教えてくれない少女にどう接するべきか、わたしは戸惑っているのかもしれません。


 この船の子たちって、ラテン的な軽いノリで過酷すぎる現実をカラカラと受け止めている節がある。悲惨であるのが当たり前、ですがそんな境遇のなかでも幸福を見出してなにが悪いという、ストリート・チルドレン的な強かさをいつも感じてしまうのです。


 ですがこの子からは、異なる印象を抱いてしまう。


 人身売買の被害者は主に、貧困層や難民など社会から顧みられない層ばかり。なのにこの子の髪の毛はとってもサラサラで、肌は絹のように滑らかで、スラム街の出身だとはとても思えません。


 改めて、初対面のときに抱いたのと同じ疑問が蘇ってきました。この子は、一体何者なんでしょうか?


「泣いていた?」


 よく見れば、少女の目尻には涙の痕跡がありました。瞼が腫れぼったいですし、あくびが原因ではないでしょう。なぜ泣いていたのか? その理由についていろいろと想像はできても、答えやはり出せません。だってまだ一言も会話できていないのですから。


 相変わらず正体不明、さらには脱走の前科あり。ですがその寂しげな寝姿を見ると、元の監禁部屋に戻すのは気が引けました。


 どのみちここからだとわたしの部屋が一番近いですし。涙の理由も気になります。わたしが四六時中、見張っていれば、とりあえず孤独感は感じずに済むでしょう。


 自分の腕力でちゃんと抱きかかえられるか心配でしたが、クララちゃんで積んだ経験がプラスに働いてくれたみたい。なんとか抱き抱えることに成功する。くてんと、わたしの肩にもたれ掛かってくるミニチュアサイズの頭。


「なあなあ、まだ目張りやらされんのかよ? 俺は腹減ったよもう」


 恐怖心より空腹が勝るあたり、とてもバウティスタくんらしい。それでも部屋には一歩も入りたくないらしく、扉の陰から頭だけ覗かせてわたしに問うてくる。


「夕飯の準備が進んでるはずです。こっちは大丈夫ですから、おふたりは食堂へ」


「本当にいいんですか?」


 カロリナちゃんの心配りに笑顔で返して、わたしは2人を送り出しました。


「はい。ただ、あとでわたしの部屋に二人前の食事を届けてもらえると喜びます」


 ほんの壁2枚ほど隔てただけなのですが、自分の私室は、あの聖堂カテドラルよりずっとホッとできる空間でした。


 まず部屋の明かりをつけて、鳥籠の少女をゆっくり自分のベッドに横たえさせていく。毛布を掛けても反応なし、今は眠らせておいてあげましょう。事情を尋ねるのは明日でもいい。大体わたしも疲れましたし・・・・・・。


 食事よりも眠りにつきたいというのが本音。ですが、ベッドは少女に明け渡してしまいましたから、パソコン作業用の椅子でうたた寝ぐらいが関の山でしょうか。


 座っただけでパチン、意識が飛びそうになる。それぐらい疲れている。うつらうつら船をこぎ始めたわたしの意識を連れ戻したのは、


「忘れるところでした!!」


 慌てて戻ってきたらしい、カロリナちゃんの呼び声でした。


「すいませんテッサさん。実は、その、ニューヨークから電話がかかってきて、伝言を預かってたんです」


「伝言?」


 ニューヨークという時点で、相手の察しはすぐつきました。


「メリッサからですか?」


「はい。なにか慌てて、バタバタした感じでした」


 嫌な予感がする。


「一言“トーア”とだけ。それで分かるって」


 その単語を聞いた途端、眠気なんてすぐ吹き飛んでしまいました。


 Torトーアとは、もとは米海軍が生みだした暗号ネットワーク技術の名称でした。ですが今年に入ってアメリカ政府は、いきなり方針を転換。この暗号化技術をオープンソース化し、全世界に向けて配布したのです。


 真に優れた暗号とは、仕組みが明らかにされてもなお、解読できないようになっている。


 A地点からB地点にアクセスする際、無数の中継点リレーを経由することによって、通信の出どころを不確かにする。Torって、言ってみればただそれだけの技術なんですが、シンプルゆえにその傍受はとても難しい。


 ですが欠点もあります。リレーをたくさん用意できなければ、限られた出口を監視するだけでデータの横取りが簡単に出来てしまうのです。


 そこらへんの特性ゆえに、政府はオープンソース化に踏み切ったのでしょう。ユーザーが増えればそれだけ、リレーも自然と増えていき、暗号強度も上がっていく。


 圧政下にある活動家。あるいは、政府から監視されているジャーナリスト等々、わずかな期間でいくつもの個人や団体が、今では数え切れないほどのリレーを運営している。


 つねに検閲を恐れなくてはならない人々からすれば、Torという新技術は、インターネットに言論の自由を取り戻してくれる、まさに夢の技術なのでした。もっとも、その匿名性を悪用する輩に事欠かないという問題も、ありはするのですが・・・・・・。


 わたしのただならぬ様子に不安げなカロリナちゃんを送り出してから、すぐさまラップトップに飛びつきました。


 いつもなら暗号化された電話機を使うところを、ただ連絡するだけなら不便なだけのTorをわざわざ指定してきた。わたしたちが用意できるもっとも暗号強度の高い連絡方法を。


 すなわち、これまで以上に傍受を恐れなくてはならない深刻な状況にあるということです。


 わたしたちだけが知っているBBSへとTor経由でアクセスします。すでにメリッサは待機していたらしく、





――いま動画のURLを送ったわ。確認してみて。





 挨拶抜きで、すぐさま本題に入っていくメリッサ。


 色々と尋ねたいのは山々ですが、必要ないと判断したからこその単刀直入さであるはず。素直にURLをブラウザに貼り付けます。


 飛んだ先は、最近増えてきたという動画共有サイトでした。


 ニュース番組をそのまま転載したものみたい。その違法性についてはひとまず置いておくにせよ、投稿されてほんの数時間足らずなのに再生回数は万単位というのは、普通じゃありません。


 普通のニュース番組は、そこまで耳目を集めない。





――三大ネットワークはどこもこの話題で持ちきりよ。





 ニュース映像には、見覚えのある場所が映っていました。わたしもよく知る銀行の外観が。





――映像の真贋についてだけど、それって銀行関係者から直接リークされたものらしいの。ニューヨーク市警察NYPDの友だちに確認をとったから、本物なのはお墨付き。





――この銀行は。





――そうよ、ウチから一番近いところにある例の大型銀行よ。とりあえず最後まで見て。





 わたしたちの共通の話題として銀行の名が挙がるとすれば、やはりメリッサが“クレイドル”のバックアップデータを預けたという、保管場所を置いて他にありません。


 ニュース映像にはずっとテロップが被せられていました。“映像にはいかなる加工も編集もされていない”、あまりニュースでは聞かない注意書きが。


 粗い、二種類の白黒映像が交互に映し出されていきます。


 片方は、銀行を外からとらえた車載カメラからのよう。もう一方は、40代ほどの警備員さんが巨大な金庫の扉のまえに陣取る、銀行内部の監視カメラからの映像でした。


 最初の異変は、車載カメラのほうから現れました。駐車場に停まっていたワゴン車がいきなりはじき飛ばされたのです。どうりであんな注意書きが出されるわけです・・・・・・どんなに目を凝らしてもみても、そうなった原因がまるで見当たらないのですから。


 CG、竜巻、心霊現象などなど、可能性はいくつか挙げられる。さながら透明な巨人がミニカーを蹴飛ばしたかのように、このワゴン車が上下逆さまになってしまったカラクリとは? わたしは、その真相に心当たりがありました。


 さながらなんて付ける必要はありません。だって、透明な巨人は実在するのです


 電磁迷彩システムECSの不可視モードを使えば、透明化した巨人アーム・スレイヴを衆人環視の街中で運用することも可能なのです。





――まさか・・・・・・CIAが、国内でASを使ったんですか?





 状況からいってそうとしか考えられませんけど、驚きは隠せない。まさかここまでやるなんて。





――操縦者オペレーターは、ろくな腕じゃさそうだけどね。AS乗りが最初に習うことよ、踏みつけたくないものは踏みつけるなってね。





――操縦技術にケチをつけてる場合ですか。





――まあね。お察しのとおりしてやられたってわけ。ここ、例のデータを預けた銀行よ。





 急に目眩がしてきました。まさか天下のCIAともあろうものが、国内で銀行強盗を働くなんて・・・・・・。





――やってくれたもんよ。壁に大穴を開けたあと、人が預けてた貸し金庫だけをピンポイントに持ち出して、ほかの金品はまるで手つかず。マスコミ連中、世紀の犯罪かはたまた超常現象かって大盛りあがりよ。





――犯行手段は、一般にはまだ知られてないんですか。





――そう簡単に結びつきやしないでしょう? 最新兵器と銀行強盗なんて。下手したら金庫の中身より、盗みに使った道具のほうが値が張るだろうし。





――専門家として、その推測の確度はどのくらいでしょうか?





――99.9999%。まだ状況証拠のみだけどね。不可視モードを使ってASを市街地で運用するって、その方法論を組み立てたの誰あろうあたしらミスリルなんだからさ。まず間違いないわよ。





 かつてわたしはカナメさんを護衛すべく、アメリカよりよほど人口過密な日本へアーム・スレイヴ一式を派遣したことがありました。だからこそ、その運用の難しさは骨身にしみている。高性能な兵器というのは、維持管理だけでも大変な手間がかかるのですから。


 一旦、考えを纏めてみる。





――不可視モードを搭載しているということは、犯行に使われたのは第3世代機で間違いない。





 第3世代機と第2世代機の違いは色々とありますが、とくに大きな変更点は、動力源の変更でしょう。


 第2世代ASでは主にガスタービン・エンジンが動力源として使われてきました。排気ガスをばら撒き、湯水のように燃料を消費する・・・・・・仮に最新テクノロジーであるECSの不可視モードを搭載したところで、これでは熱と音の塊り、すぐ周囲に気づかれてしまう。


 ですが第3世代機の動力源はパラジウム・リアクター、技術的な部分を無視してひたらく述べるなら、バッテリー駆動となったのです。


 油圧系統も電磁筋肉に置き換えられより早く、そして静かに動けるようになった。性能面だけに目を向けるなら第3世代機はいい事ずくめなのですが、欠点もあります。単純にコストが高すぎるのです。


 仮に第3世代機を入手できたとしても、整備の手間、補給の手間、ASほどの巨体を隠せる拠点の確保などなど、ロジスティックの面でも大変な出費が必要になります。そこへさらに専門知識を備えたスタッフの確保という難題も立ちはだかる。第3世代機はどこの国でも機密情報そのもの、そうそう簡単に人材は見つからないはず。


 件の日本派遣にしても、裏では色々とドタバタしていたものです。政治的な折衝に、情報部による隠蔽工作の数々。全盛期のミスリルでさえ下準備にかなり骨を折ったのです。カリ・カルテルという資金源を失ったいまのコッファー=ホワイトに、それほど大掛かりな準備ができるとは思えません。


 そもそも、第3世代機なんてどこで手に入れたのかしら?





――お金の件は百歩譲るにしても、第3世代機なんて、米軍でさえ特殊部隊向けの先行配備が終わったばかりのはずでしょう。





――ステルス機なみの機密情報の塊よ、会社買うのとはわけが違うわ。ネジ一本でも売ったのがバレたら国家反逆罪まったなしだもの。





 自分の弱みを滅多に見せたがらないメリッサが、そこではじめて不安を吐露しました。





――だから心配なのよ。ミスリル以外に第3世代機を大々的に使っていた組織っていえば。





――それはありえません。





 アマルガム。


 彼らは秘密結社とはいえ、べつに世界征服を目論んでいるわけではなく、今となってはただの拝金主義者の集まりに成り果てている。それは、以前の調査によってすでに明らかになっている情報でした。


 麻薬カルテルの経営ぐらいあのアマルガムならやりかねませんけど・・・・・・これについては、“クレイドル”から発掘されたデータによって完全に否定している。





――前にも話したでしょう? 大体、アマルガムがどうしてモンタナ州の方田舎にこもってる反米活動家なんて暗殺したりするんですか。





――頭では分かってるけどさ。でもアマルガム提供説が一番シンプルな説明にはなるのよねえ。





 第3世代機相当のハイテク機を犯罪目的で使用する。たしかにそんなの、アマルガムにしかできない芸当でしょう。いえ、というのが正確な表現ですか。





――それにさ。どうもこの機体、普通の第3世代機じゃなさそうなのよね。





――え?





 そもそもメリッサは、さきほどから話題に上っている第3世代機こと、米軍の次期主力ASたるM9“ガーンズバック”の開発にも参加してきた才媛です。潜水艦一辺倒なわたしよりずっと深く、そして長くアーム・スレイヴという兵器に接してきた。


 僅かなシルエットからでも、これまで開発されたあらゆるASを判別できる彼女が、犯行に使われた機体がなんであるのか推測すら口にしない。よくよく考えれば、妙な話です。





――その様子だと映像、まだ途中でしょ。





――ええ。





――ならとりま最後まで見てみて。ここまでの話は、入手ルートを除けばぶっちゃけあたしの専門分野ですべて説明がつくわ。

 だけどね・・・・・・どうやって核シェルターなみにぶ厚い銀行の壁に穴を開けてみせたのか、その手法についてはさっぱり謎なのよ。




 そこからメリッサは、こんな言葉で締めくくる。“もしかしたらこいつは、あんたの専門分野かもしれない”と。とにかく言われたとおり、人さし指をスペースキーへと伸ばして動画の再生を再開する。


 駐車場から今度は、銀行内へと映像は移り変わっていきました。


 音声がないのでよく分かりませんが、警備員さんの反応からして金庫内部でなんらかの異常が発生したみたい。画面端から銀行の支配人でしょうか? それなりの地位にありそうな職員さんも駆けつけ、2人して金庫の扉を睨みはじめる。


 正確なところは分かりませんけど、こうまで巨大な金庫の扉を設置しているのに、壁だけは安普請なんてことはないでしょう。爆薬で穴をあけるにしても、かなりの分量が必要となるはず。


 しばしの相談のあと、自分の目で確かめるしかないと2人は判断したみたい。警備員さんは拳銃を引き抜き、職員さんのほうはといえばゆっくりと、おそるおそるという風に金庫を解錠していく。


 つぎの映像を見た瞬間、わたしは咄嗟に一時停止を押して、つい絶句してしまった。





――なんですか、これ?





 まるで飾らずに、思いついたままの感想を書き込む。わたしのそんな驚きは、メリッサにも十二分に伝わったみたい。





――あんたにも分からない?





――いえ、分かる分からないうんぬん以前の問題ですって。





――まあ、専門家ほどそういう反応になるわよね。技術的になにが可能で、なにが不可能かよーく心得てるから。

 とりあえず発破だとかドリルだとか、ありふれた金庫破りの手法はいっさい使われてない。それだけは保証するわ。





 音なんて聞こえないのに、メリッサの困惑の吐息が聞こえたような気がしました。あるいはそれは、自分が発したものだったかもしれません。





――壁から・・・・・・





 まるでSF映画のワンシーン。映像は白黒、画質だって良くはありませんがそれでも・・・・・・ASのマニピュレーターらしきものがコンクリート製の壁のみならず、鋼鉄製だろう貸し金庫までも突きぬけて、いえ、しているのがよく分かりました。




 

――変わった腕の形状をしてるでしょ?





 メリッサは一旦、超自然現象にしか見えない壁抜けの件を無視することに決めたみたい。ECSとこの・・・・・・透過技術? はどうやら併用できないらしく、ASの腕部がハッキリと監視カメラに映りこんでました。


 わたしは、そこから読み取った情報を書き込んでいきました。





――とりあえずアメリカ製でも、ロシア製でもなさそうですね。





 デザインというのは不思議と、どこかにお国柄というものが反映されてしまう。おそらく設計思想の差なんでしょうが、アメリカ製ならアメリカらしい特徴が、ロシア製ならロシア風味、日本ならもちろん日本的な雰囲気が見た目から漂ってくるものなのです。


 ですがこの機体には、それがない。





――あたしがアマルガム説を蒸し返した理由、これで分かったでしょ?





 メリッサの不安について、遅ればせながら納得してしまう。こうまで推測がつかないなんて。





――中世の籠手プレートアーマーみたいなものが、マニピュレーター全体を覆ってますね。





――ASらしからぬえらく流線型したデザインよねー。対地レーダー対策でステルス性でも追求したのか。





――もしかしたら水陸両用機なのかもしれません。





――水中抵抗対策? 耐圧殻も兼ねてるならその線は十分にありうるか。ふーん、現場の近くにハドソン川が流れてるから、そこに逃げ込んだのかもね。いくらECSを使ってても、痕跡をまるで残さずに姿を消すなんて不可能だもの。





――それとサイズも異常だわ。





 操縦者の動きを忠実にトレースするから、マスター・スレイヴ方式。


 アーム・スレイブという名称は、そもそもその操縦方法に由来しているのです。時にASはロボットにあらず、身体を拡張する外骨格だなんて主張がされるのもこれが理由。


 ですが操作方法が限られているがゆえに、ASのデザインは人型であらねばならないという制約をも同時に課せられてしまった。


 技術的には、ASの足を八本足にすることは十分に可能なのです。しかしながら操縦者の方はそうもいかない。まさかクモ人間に改造するわけにもいきませんし。


 そういったASの開発史を鑑みると、この機体は異端としか表現しようのないデザインをしてました。腕部が異様なほど長いのです。


 全体像は、まだ想像するしかありませんが・・・・・・わたしにはどうも、この謎の機体は人型というより、獣的なシルエットをしている気がしてならないのです。





――さすが目ざといわね。そ、貸し金庫のサイズから推察するに通常のASのざっと倍、全高は15から16mぐらいね。





 M9の全高が8.4mですから、たしかにほぼ倍に相当します。


 装甲は控えめ、基本的に機動力で勝負するASという兵器にとって、巨大化はデメリットのほうが遥かに大きいのです。背が高くなればそれだけ前面投影面積が増えて被弾確率が上がりますし、重量の増加にともなって機動力も損なわれる。整備性だって悪化は免れないでしょう。


 強いて利点をあげるとしたら、巨大化によって機体の搭載スペースが上がり、より豊富なオプション装備を搭載できる点かしら? とはいえこのサイズ感ですと、既存の装備を流用するのは難しそう。NATO規格にせよ、東側規格にせよ、ASのサイズはだいたい8m前後と相場が決まっていますから。


 他には・・・・・・装甲も増やせそうですけど、どうにも中途半端になりそうですね。


 巨大ASといえば、かつて対峙したベヘモスが思い出される。あれほど規格外の巨体であればかなりの重装甲を施せたでしょうが、ニューヨーク市民に気づかれず歩き回れるほどの静音性を確保しつつともなれば、防御一辺倒は無茶がある。


 現代戦は、いつだって防御よりも攻撃のほうが上回ってきました。そういった原則に照らせば、やはり巨大化は利点が薄いといわざるおえません。


 こういった前提をもとに先の水陸両用機という推測をつけ加えると、導き出せる用途は上陸作戦用とかかしら?


 要塞化されたビーチに真っ向から乗り込んで時に撹乱、時に破壊活動を行いながら後続の味方のために突破口を開く、特殊作戦用の機体。そんな需要あるものかしら?


 第2次大戦時ならまだあったかもしれませんけど、現代においてはあまりにニッチすぎです。こんな使い所のわからない用途のために、わざわざ高額な第3世代機相当の新型機が開発されていたなんて話、わたしは聞いたことがありません。


 それにどこまでもっともらしい仮説を立てようと、あの超技術の説明はまるでつかないのです。





――壁抜けとはね。忍者じゃあるまいに、こっちの理屈についてはさっぱりだわ。





――トンネル効果を応用した・・・・・・とか?





――適当いってる?





――専門分野外なんですよ? 餅は餅屋、その道の専門家に尋ねないとどうにも・・・・・・もっとも、これがどの専門分野に属するのかすら検討もつきませんけど。





――不可視モードを使ったASによる犯行って線は、軍事コミュニティの間ではかなり早くから取り沙汰されてたのよね。でも壁抜けシーンが放送されたあとの混乱ぶりときたら・・・・・・ねえこの展開てさ、どこか既視感を感じない?





 ずっと我慢してきたことをついに尋ねてしまった。文章の向こうからそんな感情が垣間見える。わたしだってまさかと思いつつも、その可能性を無視できなくなっていました。





――ウィスパードが関与していると、そう言いたいんですね。





 飛んでくる砲弾を受け止める。あるいは手をかざすだけで、ASを撃破する。


 まるっきり超常現象そのものですが、種を明かせばこれらはすべて斥力場発生装置こと、“ラムダ・ドライバ”の仕業でした。


 “高度に発展したテクノロジーは、魔法と見分けがつかない”。これほどウィスパードがもたらしたブラックテクノロジーについて、的確に言い表してる言葉もないでしょう。


 これこそがささやかれた者ウィスパードたち・・・・・・いえ、わたしたちが世界にとって災厄である理由なのです。





――メリッサ。知ってるでしょうけど、ラムダ・ドライバには壁抜けなんて芸当できませんよ。





――言われなくたって承知してるわよ。でもさ、ウィスパードがその・・・・・・囁かれる知識ってさ、個人差が大きいんでしょう?





――そうですね。いわば、視聴者側から操作できないテレビみたいなものです。勝手にチャンネルが切り替わっていって、どんな番組が見れるかは運次第。わたしのパターンですとたまたま潜水艦専門チャンネルに合わさった、という感じかしら。





 わたしにも兄レナードのように、より多くの情報を“ささやき”から手に入れられる可能性はあったわけです。もっともわたしの乏しい才覚では、兄のような独創性は発揮できなかったでしょうけど。


 



――だったら理屈の上じゃあ、ASに壁抜けさせる専門チャンネルを見た奴がいる可能性もあるわけだ。





――それはそうですけど、どんなに優れた設計図があったところで、然るべき資材と人手がなければ意味がありませんよ。





――潤沢な予算に、天才の構想を実現できるほどの高度な基礎技術か。





――いくらウィスパードでも、無から有は生み出せませんから。それにいくら設計図があっても、試行錯誤の余地がなくなるわけじゃありません。





 ウィスパードが囁かれる内容は得てして断片的で、完成に至るまでには欠けた部分をこちらで補ってあげる必要がありますから。すなわち、長期的に研究できる環境も必要になる。





――状況からしてこれがコッファー=ホワイトの隠し玉である可能性は、否定できません。ですがその・・・・・・仮に、謎のウィスパードと呼びますけれど、そんな人物がCIAの陰謀に加わっていたなんてちょっと考え難いわ。





――じゃあ他に説明がつく?





 グリニッジ標準時の1981年12月24日の11時50分。ウィスパードとして能力が発現する条件とは、ただこの時刻に生まれるだけなのです。


 わたしと兄、そしてすべてのウィスパードの誕生日であるこの時刻に生を受けさえすれば、どこに住んでいようと関係がない。ですから理屈の上では、ミスリルの調査網でも捉えられなかった未知のウィスパードが存在する可能性は、十分にありうるのです。


 ですが・・・・・・わたしたちの才能ってどうしても悪目立ちしますから、学校教育がキチンと行き届いている国ほど発見される確率は上がってしまう。ギフテッド教育に熱心なアメリカでは特にそうでしょう。





――謎のウィスパードがCIA内部の人間だとするなら、国籍はアメリカのはず。そもそもあの組織自体がアメリカの国益第一な、ひどく独善的な組織なわけですし。





――それって重要な要素? 





――ミスリル情報部の人材のほとんどが、アメリカのインテリジェンス・コミュニティの出なんですよ?





――古巣についてはよく心得てる、バレない筈ないか。





 CIAはあくまで諜報機関。監視衛星や偵察機といったハードウェアの供給については、国家安全保障局NSAや米軍に依存しているのです。


 ボールペンの先に隠しカメラを仕込んだりですとか、そういう小物なら自作も可能でしょう。ですが第3世代機を一から開発するとなれば、そうもいきません。


 メリッサが新たに書き込みました。





――ならCIAの新しいおもちゃをコッファー=ホワイトがちょろまかしたとか、そういった線もないか。





――米軍経由ならもっとありえないでしょうね。昔から軍とCIAって犬猿の仲ですし、議会も通さずにこんな大型装備、融通できるはずがありません。





――やっぱ独自開発?





――“クレイドル”のデータには、すべて目を通しましたけど・・・・・・。





――どこかの軍事企業が資金提供をエサにいいようにそそのかされて、そうと気づかずに開発に手を貸していたとか。アメリカに送金された億ドル単位の資金からすれば、いけそうなもんだけど。





――それはそうですけど、彼らの組織の理念と相容れないわ。





 法律のせいで手出しできないテロリストたちを、祖国のために未然に排除する。コッファー=ホワイトらはその目的を麻薬マネーという軍資金を駆使することによって、これ以上なく完ぺきに達成していた。


 そうです、彼らの工作活動はすでに上手くいっていたのです。


 それなのにわざわざリスクを承知で、大金をかけて第3世代機を裏で開発する? 一体なんのために? 暗殺で使うにしてもASなんて過剰装備そのものでしょうに。


 それに謎のウィスパードの立ち位置も分かりません。身内でないなら、外部協力者ですとか? コッファー=ホワイトほどの熟練したスパイが、意味もなく組織に招き入れるとも思えませんが。


 メリッサがありえないと知りつつ、アマルガム提供説を唱えるわけです。単にお金を払ってASを買い付けただけ、それが一番シンプルな説明になりますから。


 なんとなく議論が煮詰まった気がする。メリッサも考え込んでいるのか、返信が一向に届きません。なにか打開策はないかと、止めていたニュース映像を最後まで見切るべく再生ボタンを押した矢先のことでした。



 


――あのさ。





 どこかためらいがちに、メリッサがタイプしてるような気がしました。





――ここまで来てちゃぶ台返しなんてしたくないしさ、証拠でもあるのかって問われたらまあ、あたしの心象としか言いようがないんだけど。





 BBSとは別のウィンドウ内で、映像のつづきが流れてました。


 身動きできずにいるその背中から、警備員さんの驚愕は十分に伝わってきました。相変わらず理屈は一切不明ながらも、壁にいかなるダメージもあたえず突き出されたASの巨腕が貸し金庫を包み込むように捕らえていく。


 発酵する鱗粉のようなものが、画面全体を覆ってました。どうやら透過装置を起動していると、あのような謎の発光物質が生成されるみたい。謎、謎、謎、そればっかりで嫌になる。


 ふと疑問が浮かぶ。そういえば、大穴をあけて貸し金庫を持ち出したとかメリッサは言ってましたけど、まだ穴をあけるシーンにたどり着いていません。


 壁を貫通することはできても、そう都合よく貸し金庫だけ掠め取るのは不可能である様子。貸し金庫を覆った謎の巨大ASの指先がちょこっと透過してました。では、どうやって盗み出したのか?





――法の制約のせいで手出しできない犯罪者どもを、超法規的に成敗してやろうってのがあいつらの主旨なわけでしょ。





――そう、ですね。





――自警団気取りの愛国者パトリオットの集まり。アメコミのスーパーヒーロー連中の理屈を地で行ってるわけだ。





――あの、何が言いたいんですか?





 直後、画面内で爆発が起きました。監視カメラの映像がブレて、破片が金庫内を飛びまわる。わたしは一瞬、爆薬を使ったせいかと思ったのですが、それにしては粉塵が少なすぎました。


 爆発はしても、爆風はない。よく見れば例の鱗粉が消えてました。どうやら透過機能を切ったみたい。


 ラムダ・ドライバがそうであったように、この透過技術もまた完全無欠の超技術というわけではないのでしょう。色々と技術的な制約があるみたい。ですがこれは、わたしの見立てが確かなら、かなり応用が効きそうな機能でした。


 物質を透過した状態で機能をOFFにすると、突きぬけている側の物質をどうやらしまうみたい。


 ASの腕の形にそって、そってコンクリートの壁に穴が穿たれてました。さっき爆発だと勘違いした現象は、コンクリートが圧縮されたのが原因であるみたい。


 今度こそ、しっかり謎のASがお目当ての貸し金庫を掴み取る。


 駐車場のバンもそうでしたが、このASの操縦者はやはり動きがひどく雑です。M9なら生卵を割らずにつまみ上げるとか平気でできるのに、貸し金庫を左右にぶつけながら強引に穴から引き出していく。


 そこで映像は終わりました――運悪くも破片が頭にぶつかり、血を流しながら倒れている警備員さんをクローズアップしながら。


 



――あれだけアメリカ人のためって大義名分を掲げてきた奴らがさ。いくら追い詰められたからって、いきなし守るべき自国民を犠牲にしだすと思う?





 ニュース映像の最後には、事件の犠牲となった警備員さんの家族写真らしきものが映し出されていました。


 戦地から帰ってきたばかりなのか、迷彩服姿で家族に囲まれている警備員さんが、ホッとしたような笑顔で奥さんと2人の子どもに囲まれてる。コッファー=ホワイトらが守ろうとした、絵に描いたような善良なアメリカン・ファミリーの姿がそこにありました。


 今朝ちょっと話したばかり、それだけの間柄であるに過ぎないコッファー=ホワイトですが・・・・・・わたしの直感では、本気で大義のために命を捧げられるタイプに思える。


 国内で武力行使を行い、まして一般市民を傷つけしまったこの事件がどのような政治的な影響をもたらすのか、あのコッファー=ホワイトが気づかないはずがありません。


 あまりに代償が大きすぎる。





――単なる事故の可能性も。





 そうタイプしつつ、自分でも無茶のある擁護だと感じてました。





――否定はしないわよ。でもさ、急に相手側のプレイヤーが入れ替わったみたいな、そんな嫌な違和感を感じるのよね・・・・・・あんたにはないの、そういう違和感?





 CIAの秘密研究所が設置された、ロシア船籍のコンテナ船。あるいは、ノルさんたちを鍛え上げたという、明らかに軍人上がりらしきロシア人たち。まさかとは思いつつもこの南米というおとぎの国ならば、そういうこともあるかもと無意識に否定してきた違和感の数々。


 CIAが主犯であることが確定したことによって、そんな違和感をわたしはいつしか忘れ去っていました。ですが、今のこの状況は一体なんなのでしょうか?


 超科学としか表現しようのない壁抜け技術を搭載した、謎の大型AS。思い返せば、わたしを拉致しようとしたルークなる工作員もまた、コッファー=ホワイトが掲げていた大義名分からは随分ずれた行動をしていた気がします。





――ねぇテッサ。





 きっとメリッサは、この核心的な問いにつなげるため、この議論をずっと続けていたに違いなかった。





――あたしらの敵って、本当にCIAなの?





 しばし呆然と、急に電源が落ちて真っ暗になってしまったラップトップの画面を、わたしは見つめてしまいました。


「・・・・・・間の悪い」


 こういう細かな点で、ついミスリル時代を懐かしんでしまう。


 ミスリルで支給されていたのは、このような異常終了なんで断じて起こりえない、どこをとっても最高級品でした。


 対してこのラップトップときたらサーバールームで見つけてきた拾いもの。型もすこし古くて、ずっと調子が悪かったのです。現に落ちる寸前、エラー表示がなにやらホップアップしてましたし。


 ため息ひとつ、再起動するほかない。


 焦りは禁物。それに慌てたところで、どうこうなる状況でもありません。ですが気持ちはどうしても急いてしまう。


 何が起きているのか・・・・・・すべて掌握してるつもりだったのに、その自信はとうに突き崩されていました。CIAの陰謀、ただそれだけでは説明のつかないことが連続して起こりすぎている。


 短気は損気。そう言い聞かせみても、再起動の遅さに焦燥感が募る。それがいけなかったのかもしれません。


「・・・・・・っ」


 またあの忌まわしい頭痛が舞い戻ってきました。ズキズキと、鋭い痛みが間隔をおいて襲いかかってくる。まだ鈍痛程度、ですが経験からいってこれから悪化しそうな雰囲気です。


 このタイミングでこの痛み・・・・・・やはりストレス性なのは確定ですか。


 もとの居住者は船医でしたので、この部屋には元から薬が豊富に取り揃えられてました。まだまだ時間が掛かりそうですし、今のうちにバスルームにある頭痛薬を取ってくること決める。


 アスピリンを1錠とって、コップ1杯の水とともに飲み込みます。即効性なんてありません。効き目が出るまで、当面はこの痛みと付き合うほかない。


 ぐるぐると幾つもの考えが頭の中でうずまいてく。ですが、アイデアを纏めようとするたびに頭痛が邪魔をしてくるのです。そんな集中力に欠けた状態で戻ろうとした報いでしょう、あやまって肘がぶつかり鳥籠が転げ落ちていってしまう。厄日とはまさにこのことです。


 下手な目覚まし時計よりも、よほど小うるさく床を転がっていく鳥籠。慌てて首をめぐらせベッドを確かめますが、良かった、少女はまだ眠っている。毛布にくるまっているあの子が起きないうちに証拠隠滅・・・・・・もとい、もっと安全な場所に移動させときましょう。


 ですが鳥籠の状態を見て、ちょっと心臓が止まりそうになる。鳥籠の籠部分が外れて、お皿のような底部が横に転がっていましたから。


 まさか壊してしまった? 拾い上げてすぐ状態を確かめる。すると、ただ単にパーツが外れているだけと判明しました――ちょっと奇妙な感じに。


 最初は、衝撃で歪んでのだとばかり。ですがわたしの手の中で籠は、刻一刻とその姿を変えていったのです。


 空っぽの鳥籠。普通の女の子ならそんなもの持ち歩いたりしないでしょうが、この子はつい今朝方、現代の奴隷船から救助されたばかりなのです。


 テディベアを持ち歩く子どもと一緒。ですが奴隷商人たちに捕らえられていたこの子にとって、鳥籠は手近な代替物だった・・・・・・そんな仮説はもう通用しません。


 まるで折り紙のようでした。軽く力を加えるだけで、籠はその姿をどんどん様変わりさせていく。目で見えないほど小さな関節が折れ曲がっていき、最終的には、ヘッドセットのような形状に落ち着きました。


 最初にわたしが連想したのは、脳波計でした。


 頭全体をすっぽり覆えるサイズの、骨組みだけのひどく複雑なヘッドセット。まさかおもちゃではないでしょう・・・・・・あまりに手が込みすぎていますし、そもそも鳥籠に擬態させる意味がわかりません。


 より詳しく観察していくと、はしの方に隠された端子の差し込み口を見つけました。どうやら電子機器のようですが、その用途は検討もつきません。これは・・・・・・一体?


 少女は相変わらず眠っていました。微動だにしないその背中から急に、不気味なものを感じてしまう。


 ノルさんを呼びに行くべきかしら? 自分でもどうしてそんな風に考えたのか、直感としか説明しようがない。不安が雪だるま式に膨れあがっていきます。


 取っ掛かりすら見つけられないヘッドセットはいったん脇に置いて、わたしは手付かずの鳥籠の底部を調べることにしました。


 真鍮でできたアンティーク風の外観は見せかけだけ。基本的にはただの土台みたいですが、不可思議な出っ張りが興味を惹きました。爪を引っかけて何度か試してみたところあっさりカバーが外れていく。


 あのヘッドセットを思えば、それはずっと理解しやすいものでした。見つけたのは、小指の先ほどのサイズをしたUSBメモリ。


 急にすべてが繋がった気がしました。


 敵は、ニューヨークのど真ん中でASを使ってまで、“クレイドル”のバックアップデータの奪取を図った。わたしの軍人としての冷徹な面が、破壊の方がずっと楽なのにと囁きかけます。


 例えば、爆弾を仕掛けるですとか。


 どの貸し金庫を盗み出すべきか承知していたのですから、爆弾を仕掛けて破壊するという選択肢も視野に入ったはず。この手ならば、壁を破壊する必要はありません。素知らぬ顔をして爆弾を貸し金庫に預け、あとは起爆を待てばいい。ASなんて足のつきやすいものを使うよりずっと確実で、リスクも最低限で済むはず。


 なのに敵はあくまで奪取を選択した。なぜならば――わたしが船内に保管しているオリジナルのデータを破壊したあとに必要となるから。コンピューター・ウィルスの運搬機として、USBメモリはもっともありふれたものなのです。


 予備のコンピューターで検証することもできました。おそらく結果は真っ黒だったでしょうが、その必要はありませんでした。


 再起動したラップトップは、本来ならユーザー入力画面を映した出したまま固まっているはずでした。なのに誰も知らないはずのパスワードが、ひとりでに入力されていったのです。


 わたしは手も触れていない。なのにデスクトップ画面を縦横無尽にマウスカーソルが飛びまわり、流れるような動作でTorを介してメリッサが待っているBBSへとアクセスしていく。

 

 遠隔操作に違いありません。キーロガーでも使ったのか、こちらのパスワードは完全に相手に筒抜けでした。


 



――戻りました。





 顔の見えない何者かが、ネット経由でわたしに成りすましていく。





――何かあったの?





――ちょっとしたマシントラブルです。気にしないで。





 メリッサはまだ異変に気づいていない。素知らぬ顔して嘘が並べ立てられていくのを、黙って見守るつもりはありませんでした。


 まずは回線を切断しようと試みる。


 分かっていました。わたしの個人用の端末までこの有様なら、本命であろう“クレイドル”のオリジナルデータはとっくに削除されていることでしょう。外部からの侵入は警戒してましたが、まさか船に潜入して物理的なアクセスを試みるなんて、まるで想定していませんでしたから。


 には半日もの猶予期間がありました。それだけあれば、サーバーにUSBメモリを挿し込むぐらい出来たでしょう。盲点を突くのがソーシャル・エンジニアリングの基本・・・・・・わたしなら子どもを疑わないと、敵は知っていた。


 ですが、すべていきなりでした。


 これまでとは比べものにならない激痛が頭部に走る。たまらず膝をついてしまうほどの、一段レベルを跳ね上げられた頭痛の発作。


 視界が赤く染まっていく。なんというタイミングの良さ、まるでわたしの足止めをするためかのよう。


 この間にもつぎつぎと文字が入力されていきました。





――自分の無力を示すようで恐縮ですけど、相手に先手を取られっぱなしです。ここは一旦、仕切り直しすべきだと思うんですが。





――て、いうと?





――アパートから出て、すぐ避難してください。





――はあ? そりゃ不安になるのは分かるけど、アパートなら警備体制だって磐石だし、人口過密のニューヨークで2度も3度もこんな大立ち回り演じられないでしょ?

 大体、奴らの目的はあくまでデータの奪還。その目的を達成した以上、あたしなんて路傍の石ころみたいなもんよ。襲う価値すらない。





――ですが後手に回りっぱなしですし。





――むしろテッサ、心配なのはそっちの方よ。普通に考えれば、バックアップの次はオリジナルでしょ。





――こちらは、なんの問題もありません。





――テッサ、なんか様子が変よ?





――大丈夫です。少々、頭痛がしてまして。





 メリッサも訝しんでいる様子ですが、確信にまでは至ってない。だって普通なら外部から乗っ取りなんて不可能ですから。





――とにかくメリッサは、皆と一緒に避難してください。





 わたしに成り済ましているハッカーは、執拗にニューヨークのアパートから出るよう促していました。





――それって。





――はい。例のモーテルへ。





 モーテル・・・・・・まさかそこまで突き止められていたなんて。そして、その真の意図もすぐ察しがつきました。


 メリッサの言うとおり、警戒厳重なニューヨークのアパートには手が出せないのでしょう。だから郊外にある小さなモーテルへと誘き出そうとしている。あのモーテルは身を隠すには絶好の場所ですが、そもそも敵に見つかっていないことを前提に選んだ潜伏地点。襲撃する側からすれば、好都合なのでしょう。


 拉致か、あるいは最悪の場合・・・・・・考えたくもありません。


 今さら回線を引き抜いたところで意味なんてない。ですが電話なら、ただ肉声を聴かせるだけで本人であると証明することができる。


 それは偽物ですと、一言叫ぶだけでいい。


 揺れる視界、ふらつく身体でなんとか電話機に手をのばします。衛星電話ならすぐニューヨークに通じるはず。そんな救いの手段は、わたしの目の前であっさり取り上げられてしまいました。


「あなた・・・・・・は」


 なんども頭をハンマーで殴りつけられているみたい。ひどい頭痛のせいで抵抗もままなりません。そうです、人形の少女からすれば電話を取り上げるなんて、赤子の手をひねるようなものだったでしょう。


 船窓から差し込んでくる夜光に、少女の亜麻色の髪がうっすら反射していました。いつから狸寝入りを決め込んでいたのか、衛星電話を遠ざけつつ無感動な瞳が、わたしを見下ろしていた。


 わたしのラップトップにウィルスを仕込み、ネットを介して敵を引き込んだスパイ・・・・・・正体を表した鳥籠の少女が、開け放たれた船窓に向けて衛星電話を放り投げました。


 甲板まで真っ逆さま。衝撃で壊れてなくとも、どのみちわたしの手の届かないところへと衛星電話は消えてしまった。

 




――みなさんの安全が第一ですよ。





 心にもない嘘が並べ立てられていく。ですがメリッサには、これが嘘であると知る術がありません。





――それって感情的判断? それとも指揮官としての戦略的なもの?





――むろん後者です。





――分かった。あんたがそうまで言うなら、従うわよ。





 喉が枯れるほど警告を叫びたい。ですが頭痛はますます激しさを増して、指を動かすことすらままなりません。


 ガン、ガン、ガン!!


 頭で破裂音が繰り返される。1時間か、それともほんの1秒たらず? 余裕を無くし、ただ痛みに耐えるしかないわたしは、もはや時間の感覚すら喪失してました。


 気づけば、わたしの親友はすでにログアウトして、あの謎のハッカーだけがまだBBSに居座りつづけている。





――聖堂カテドラルでお会いしましょう。





 最後に書き込まれたそのメッセージは、明らかにわたしに宛てられたものでした。









 現実的に考えればありえないことです。海に浮かぶコンテナ船は、ただそれだけで水という天然の障壁に守られています。侵入できる経路は少なく、どこもケティさん謹製のブービートラップによって塞がれている。


 潜入は特殊部隊の得意技。そしてわたしは、船舶の設計にずっと携わってきました。わたしとヤンさんのアドバイスは的確だったつもりですし、ケティさんはいつだって容赦がない。


 その筈なのに・・・・・・まるで導かれるよう、ふらつく足取りでわたしが向かった先、かつて“ママ”と呼ばれた女性の私室であり、サンタ・ムエルテ信仰の聖堂カテドラルと化しているその場所には、見知らぬ人影が立っていたのです。


 痛みのあまり視界が霞む。シワひとつないスーツを着込んだ若い女性が、そんな歪むわたしの視線の先で、静かにロウソクに火を灯していました。


 今朝、目撃したばかりの光景がオーバーラップします。ノルさんがそうであったようにその女性もまた、この部屋で静かに祈りを捧げていた。


「頭痛薬なら効きませんよ」


「・・・・・・えっ?」


 その平坦すぎる声音は、冷静というよりも無感動に感じられる。


「オムニ・スフィアへの接続を自らから断ったのですね。報告書で読みましたよ、なんでも親しい同僚がアクセスを試みて、逆に“ささやき声”に乗っ取られてしまったとか・・・・・・恐怖心を抱いて閉じこもってしまうのも当然でしょう」


 “もっとも”。そう人の頭のなかへと直接、声を流し込みながら、スーツの女性がついにこちらに振り向きます。


「あなたは・・・・・・」


 その顔にわたしは、確かに見覚えがありました。


 異国情緒にあふれていると同時に無国籍風という、矛盾しながらも、どこか神秘的な面持ち。時にフライトアテンダント、時にバーテンダーと姿を変えながら、何度もわたしの前へと現れたジェリーおじさまの部下こと、ミスリルUSAの女性社員であったはず――本当に?


「ですがこれでは、話しづらくてなりません。こうなると見越していたからこそ、面倒な手間を踏んでまで直接対談の機会を設けようとしたのに・・・・・・それがかえって混迷を呼ぶとは。まったくもって、この土地の予想不可能なこと。

 そうは、思いになりませんか?」


 この女性は、確かに目の前に立っている。ですがそんな実在感を感じると同時に、ふらふらと幽霊のように姿がチラついて見えるのです。


 壁抜けなんて超技術を備えた謎のASに、オムニ・スフィアなんて用語を平然と口にするその態度。何よりこの頭痛・・・・・・もう疑う余地はありません。


「あなたは、ウィスパードなのね・・・・・・」


 そしてこれは、“共振”なんだわ。ウィスパード同士の精神が深いところで繋がることによって互いに思考のやりとりができる、いわば一種のテレパシーのようなもの。


 もっともこれは、あまりにざっくりしすぎた解説でしょう。扱い方をちょっとでも誤れば、互いの人格が溶け合ってしまうリスキーにすぎる能力。


 わたしが自分の意志で拒否したものを、彼女は強引に突破しようとしてる。それがこの頭痛の原因なのでしょう。


「・・・・・・くっ」


 どれほど歯を食いしばり、目尻に涙を溜めて痛みに耐えてみせようと、まるで終わりが見えてこない激痛。こんなのまるで拷問でした。


「どうか恐れないでください」


 よく耳をそば立てて聞いてみれば、部屋のなかで反響してるの自分の声だけでした。これもまた“共振”がもたらす現象のひとつ。精神が繋がったことにより、彼女の言葉をわたしの身体が勝手に口にしているのです。


「誓いましょう、私たちはただ話にきただけです」


 信用なんてできる筈がありません。ですが、このまま抗い続けても終りがない。


 すべてを拒絶しているからこそ影響も大きい。少しずつ、決してすべてを明け渡さぬよう細心の注意を払いながら、回線を開いていきました。


 具代的にどうやっているかは、うまく言葉にできないのですが・・・・・・“共振”を使うのはこれが初めてじゃありません。ですから感覚的には、どうすべきかとうに理解していた。


 やはり頭痛の原因は、この謎の女性が強引にわたしにアクセスを試みたせいみたい。ガードを解いていくと、それまでが嘘であったかのように頭痛が和らいでいく。


 やっと、しっかりものが考えられる程度まで痛みが引いてくれた。


「・・・・・・わたしは」


 とはいえ、まだ後遺症が後を引いてました。自分でも声に力がないと感じる。ですが一歩も引くつもりはありませんでした。精一杯の虚勢を張って、この謎の女性に向けて言い放つ。


「何度か、“共振”を使ったことがあります」


「・・・・・・はぁ」


「便利であることは確かですね。でもその便利さに比して、あまりにリスクが大きすぎるわ。何よりも」


 わたしは、目の前に立っている女性を仔細に観察しました。下手くそな合成映像のような立体感の無さがあるものの、やはり目の前に立っているようにしか感じられない。


「こんな、幻覚なんて見せられる力じゃなかったはずだわ」


「バニ=モラウタ」


 急に出てきたその名前に心がざわめきました。大好きなバニ、そして彼女が言うところの“ささやき声”に乗っ取られ、自ら命を絶ってしまったバニ・・・・・・。


「死を恐れるのは、生き物なら普通のことです。危険なものには近づかない。バニ=モラウタの末路を考えれば、あなたがオムニ・スフィアへのアクセスを絶ったのは当然というもの。

 ですが私たち姉妹にとってはこんなもの、それこそ生まれた時からやってきました。ですから少しばかり、応用術を知っているのです」


「姉妹ですって?」


 この名もなき女性はずっと、不思議な一人称を使っていました。なんて、複数形でもって自分のことを呼んでいた。


9姉妹ナイン・シスターズ。聡明でもって知られるテレサ=テスタロッサ元大佐ならば、もしかしたら聞き覚えがあるかもしれませんね」


「ええ・・・・・・一度だけですけど、Mr.キャッスルが電話で話していたわ」


「まったく、あれほど苦労して“クレイドル”にすら痕跡が残らぬよう最新の注意を払ってきたというのに。自己顕示欲に溺れた愚か者はこれだから困ります」


 上から目線で語るその姿は、あまりに堂々してました。それが当然という態度でした。


「あなたは、ミスリルUSAの平社員というわけじゃなさそうですね」


「いえまあ、そういう一面もありますが」


「意味深なのは、あまり好きじゃないわ・・・・・・」


 この船は、今となってはわたしのホームベースなのです。大声を張り上げれば、誰かしら駆けつけてくれるでしょう。


 これは単なる“共振”に過ぎません。いざとなれば、わたしの方で接続を断てるはず。現にこれまでもずっと頭痛はしてましたけど、こんな、立体をともなった幻覚を見るのはこれが初めてなのですから。


 ようは気力の問題。わたしらしくないとは思いますけど、いざとなれば根性でどうにか出来るはず。


 でも何が目的なのか、これは問いただすチャンスでもありました。だって状況からして――彼女が真の黒幕であることは、疑いの余地がないのですから。


「単刀直入、はたまた質実剛健と呼ぶべきか? 愛らしい顔に似合わず、軍人らしい肝っ玉ぶりで大いに結構なことですねMs.テスタロッサ」


 今はただ、彼女の話したいように話させて、情報をできる限り得ることが先決でした。


9姉妹ナイン・シスターズとは、我ながらミスリードしやすい名前だと自覚してはいるのです。古来から9人の乙女、あるいは魔女や姉妹などは、定番と呼ぶべきものでしたから」


「わたしだって、そのコードネームについて調べなかったわけじゃありません」


「“クレイドル”のデータを掘り下げることによって?」


「何も出なかった・・・・・・とっくにご存知でしょう?」


「はぁ、まああのシステムのコードを書いたのは、私たちですから。まあ当然ですね」


 どうりで、意外さよりも納得のほうが上回ってしまう。


 全自動カルテル運営装置、いうなればそれが“クレイドル”の本質でした。高度な匿名性を維持しながらカルテル全体を制御する、AIという名の機械仕掛けの神。


 あのレベルのAIはそう簡単には作れません。ですがウィスパードが開発に絡んでいたのなら、なんら不思議ではない。


9姉妹ナイン・シスターズ、この名でもっとも有名な伝説は、おそらくアーサー王伝説でしょうね」


「まさか、南米コロンビアでケルト神話を引用したんですか? 場違いも甚だしいわ」


「ふむ。遠くアジアの地でトゥアハー・デ・ダナンなどと、アイルランドの神話を引用したあなたに言われたくはありませんが、こちらだって本意ではありませんとも。ですからミスリードだったと言っているのです。

 とはいえ、なかなか示唆に富んだニアミスだとは思いませんか? 帰らぬ王を待ちわびる、黄泉の国の守護者とは」


 どこか自嘲的な笑みを、謎の女性が浮かべました。


「黄泉?」


 サンタ・ムエルテ像の空っぽの眼窩が、急にわたしを見つめている気がしました。死の気配はいつだってこの土地を取り巻いている。


「まあ、このような言葉遊びに一銭の価値もありません。私たちはただ、自らをいっさい偽らずに語っただけのこと」


「どこかの誰かのお陰で、まだ本調子じゃありません・・・・・・意味深なのはあまり好きじゃないと、そう言ったはずです」


「9人姉妹だから、9姉妹ナイン・シスターズ。なんとも即物的で良いネーミングセンスではありませんか」


「そんな馬鹿な・・・・・・」


 まさか、そんなことありえません。そんなわたしの動揺は、とうに見透かされているようでした。


「お初にお目にかかります。は、アンサーと申すものです」


「初めてじゃないわ。あなたは、何度もわたしに接触してきたでしょう? 飛行機や、あるいはバーの中で」


「ええまあ、それはYESであり、同時にNOでもありますね。まあ肉体は個別でも、精神は同一なのですから些細な問題でしょうけども」


 アンサー、そう名乗った女性が続けます。


「本当に私たちには分からないのです。深く混ざり合い、人格が溶け合っていく。なぜそれを恐れるのですか?」


「なぜって・・・・・・」


「私たちは生まれた時からひとつでした。それは言葉を学ぶ以前から当たり前のことでしたから、本当に理解できないのです――9人で1人の生を生きている、私たちには」


 理解できないなんて、それはまるっきりこちらの台詞でした。むしろ状況を察するほど理解し難いという感情が強まっていく。


「ありえないわ」


「何がですか?」


 わたしの強い否定の言葉に、さも不思議そうにアンサーは小首をかしげました。それから彼女は聞き分けのない子どもに語りかけるがごとく、わたしへ今一度、ゆっくり丁寧に説明していく。


「9人のおなじ顔をした姉妹が実在していることですか? それとも、1981年の12月24日、11時50分に9人の子どもが同時に生まれたことにですか?」


「どちらも確率的にいって起こるはずがないわ。そんな偶然・・・・・・あってたまるものですか」


 現実的に考えれば、考えるほどありえない話です。


 わたしだって双子、ちょっとした興味から多胎児について調べてみたことがある。記録に残る最大の出産数は、確か10人。ですがいわゆる兄弟姉妹がそっくり同じ顔となる一卵性の場合ですと、最高でも5つ子であったはず。


 史上初めての事例がよりにもよって、あの運命の日に重なって起きたですって?


9。そんな、馬鹿なことが・・・・・・」


 自分では、ありえない可能性を口にしたつもりでした。ウィスパードはたった1人でも歴史を変えられる力を持つのです。それが一度に9人も、これまで見つからずにきたなんて。


「9人で1人の生を生きる、その言葉もどうかお忘れなく」


「仮にそれが事実だとして――」


「事実ですとも」


「なら・・・・・・自分がどれほど悍ましい言葉を述べているのか、あなたは理解しているの?」


 わたしの思考を先回りするように、あざ笑うような微笑みをアンサーは浮かべる。


「利点にも目を向けるべきじゃありませんか? ひとつの身体では到底得られない知識と経験を、獲得することができる。もっとも9人分の“ささやき声”が聞こえないのは、少々惜しくはありますが」


「そんなの個人の否定だわ。同じ顔だとしても、双子は別々の人間なのに」


 彼女が言ってるのは、つまりこういうことです。


 “共振”によって、意図的に互いの人格を混ぜ合わせる。わたしが絶対に避けてきた禁忌を、むしろ率先して行なっていく。


 9つの身体を、9つの頭脳をひとつの精神にまとめ上げる。ですがその過程で個々人に芽生えた個性は、一体どこに消えてしまうのでしょうか?


 だからと、彼女は自分を呼んでいるのです。


「もし私たち姉妹が別々に育ち、個々の個性を獲得したうえでこのような融合を行なったなら、それは非人道的と責められて然るべき所業だったことでしょう。

 ですが生まれた時からこれが普通だったのですよ、Ms.テスタロッサ。あなたが拒絶したウィスパードの可能性を私たち姉妹は無意識のうちに探求し、そして最大限に活かしてきた。

 大陸を越えて、ひとつの意思で9つの身体が動くのです。私はCIAのエージェントであり、と同時にネオ・パンナム社のフライト・アテンダントであり、ミスリルUSAの新たな代表取締役でもある」


「今・・・・・・なんて言いましたか?」


 わたしの驚愕をアンサーは、平然とした顔で受け止めていました。ミスリルUSAの新たな代表取締役ですって?


「ジェリーおじさまに一体何を」


「お望みであれば、すべてを詳らかに明らかにしても構いません。といいますか、当初からその予定でしたし。

 対等な関係として、お互いに納得いく形で取り引きを終える。

 返す返すも、あのホテルでのすれ違いは非常に残念でした。もしあなたが、チャイナドレス姿のこちらのアセットと遭遇してさえいなければ」


「ノルさんをそんな風に呼ぶのは、絶対に許さないわ」


 感情に任せて言い募り、ふと我に返りました。


「一体、どこまでがあなたの立てた陰謀なの? CIAの計画がまずあって、それに便乗しただけ? それとも・・・・・・」


 相手は、圧倒的な優位にあります。なのに建前ではなく本気で、彼女はこちらが求めるがまますべての情報を開示してくるのです。


「どこまてが私たちの陰謀かですか? ふむ、強いていえば、一から十まで全てでしょうか」


 もういっそ、笑いたくなってきました。あまりにスケールが大きすぎる。


「CIAの不満分子をうまくのせて、麻薬カルテルを経営するというアイデアを植えつける。直接的に指揮をとったりはしません。ウィスパードというだけで、世界中から狙われている自覚はありましたので。

 母にいわく、この手法は釣りのようなものです。相手の目的――母は欲望と呼んでいましたが――それを的確に見抜いて、こちらの望む結論に至るよう餌を巻いておく。

 時に、まあ集金担当のグラサン男が張り倒されたなどのイレギュラーは起こりますが、大枠として見るなら、こちらの予定どおりの位置に着地してくれる。迂遠なやり口ですが、この手法のお陰で私たちは、いかなる機関のレーダーにも捉えられずに済んできた」


「でも・・・・・・今、わたしがすべてを知ったわ」


「まさか口封じを警戒しておられるのですか? それならご安心ください。あなたの持っているある品をお渡しいただければ、それですべて終わりです。

 計画が成就さえすれば、あとはどうなろうと私たちの知ったことじゃありませんので」

 

 計画ですって? それをわたしへ語って聞かせるまえに、アンサーと名乗った女性が、最初から部屋に並べられていた椅子を指し示しました。9つの空っぽの椅子を。


「座りませんか?」


 弱みを見せる気はありませんでした。ですが、まだあの頭痛の後遺症が尾を引いている。変に強がって、いざというときに行動を起こせないぐらいなら、体力を温存したほうが得です。


 警戒心を隠さずに、それでもゆっくりと椅子へと座っていく


 所詮は幻覚みたいなもの。意味があるのか分かりませんが、礼儀のつもりなのかアンサーもまた対面の椅子に腰掛けました。


「改めて、交渉しませんかMs.テスタロッサ」


「一体なにをですか?」


「その様子ですと、思い当たる節はない?」


「正直なところをいえば、あなたが何者かすらまだよく分かってないわ」


「嘘はついていませんよ?」


「でも、真実をすべて語ったとは、とても思えないわ」


「はぁ・・・・・・まあ、長くてややこしくて、ほんの数分足らずで語れる内容ではありませんから。しかし、あなたほどの賢人でも私たちの接点に気付きませんか」


「“お初にお目にかかります”」


 急に、相手の言葉を引用したわたしに怪訝そうな態度を返すアンサー。


「はい?」


「そう言ったのは、あなたの方でしょう? 初めて会ったばかりの相手に多くを求めすぎだわ」


 こんな皮肉げな言い回し、自分らしくありません。ですが自然と喉奥から溢れてきてしまったのは、これまで接してきた人たちからの悪影響に違いない。


 メリッサにウェーバーさん、それと最近ではノルさんもそう。わたしの大切な人たちを盾にしてくるような相手に、一歩だって引き下がるつもりはない。


「はぁ・・・・・・まあ事実ですから。あなたは下に居て、私たちは上に居た。出会うチャンスはあった筈なんですが、運命というやつは」


「また謎かけ? うんざりだわ」


「いえいえ、これでも私たちは、シンプルな人生を心がけているつもりでして。先の9姉妹よろしく、見たままを口にしたばかり。

 亡き母の残したものを守る。私たちの存在意義は、たったそれだけなのですよ」


 パンと、アンサーが手を叩きました。仕切り直しましょうとでも言いたげに。


「ではまず、こちらからオファー致しましょう。それなり以上に魅力的な条件を揃えたつもりです」


 そしてアンサーは提示してきたのです。


「なんですって?」


 ついつい聞き返してしまうほどに理解し難い、彼女が言うところの条件とやらを。


「私たちは、あなたのご両親を殺害した犯人を知っています。こちらの要求に応えてくださるのであれば、その実行犯をあなたにお渡し致しましょう」




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