XII “決して忘れはしない”
【“過去”――ニューハンプシャー州ポーツマス郊外・テスタロッサ宅】
突然、築き上げてきたすべてが破壊される。誰だってそんな恐ろしい想像をしたことが一度はあるだろう。火事、交通事故、そして犯罪。世界には理不尽な暴力が溢れている。もし、それが愛する家族の身に降りかかったとしたら?
想像するだけでも手が震える事態・・・・・・だが現実というのは、不思議なものだ。今まさにその悪夢が正夢へと変わっていくのに、僕の気分ときたらフワフワと宙に浮いたようだった。
それもそうか、小口径とはいえ拳銃弾を何発も腹部に受けて、出血が止まらないのだから。はっきり言って、頭にはもう血が回っていない。
戦いの最中、流れ弾があらかたの窓ガラスを割っていた。おかげで冬のポーツマスの冷気が部屋中に侵入してくる。それが床に溜まった僕の血液から湯気を立たせるのだ。
もう長くない。それすらも、冷静に受け止めていた。
襲撃者たちのチームワークときたら酷いもので、僕のような陸に不慣れな海軍中佐に遅れをとるほどだった。だが火力は抜群だった。ドイツ製のG41アサルトライフルなんて高級装備を銃身が焼けつくほどに撃ちまくりながら、一列で我が家へと迫りくる男たち。
家の全てが破壊されていた。壁は弾痕まみれ、そこら中に木片が飛び散り、バリケード代わりにした家具があたりに散乱してる。ずっと大切にしてきた家族写真に至っては・・・・・・床に這いつくばって絶命しているスキーマスク姿の男たちの血で、汚れてしまっていた。
我ながらよくやったものだ。猟銃1挺たらずで、少なくない襲撃者たちを道連れにしたのだから。
「冗談じゃねえ」
僕の家族のものでは明らかにない、粗野な声が聞こえてきた。典型的な血と暴力の世界で生きてきた男の声だ。
「野郎ひとりに、一体どれだけの仲間がやられたと思ってる」
どうやら僕が話題の中心人物であるらしい。あの声のトーンからして、仲間をやられていきり立っているあの男は、復讐をご所望のようだ。だが止められている。
男を止めるのは、血臭と硝煙で鼻が曲がりそうなこの空間に居ることがシュールに思えてならない、品の良い主婦そのものな格好をした女性だった。
その見た目に反して女性は、ひどく冷徹な声で言い放っていく。
「相手は多くても2名、それも武装は猟銃がせいぜい。こちらが提供した事前情報はいずれも正しく、かつあなた方には最新の装備を支給していた」
両者の間には、明確な力関係があった。おそらく雇用主とその手下という間柄なんだろうが、それだけでは説明がつかない。
男は気圧されていた。高価なドイツ製アサルトライフルなんて抱えているのに、精神面では女性に圧倒されていた。
「その上でこの体たらく。失望を禁じ得ないわ」」
「偉そうに後ろでふんぞり返ってだけの癖しやがって・・・・・・」
精一杯の反論すらもチンピラ風味。軍隊経験ぐらいはあるのかもしれないが、大方どこぞのギャング上がりだろう。男の言い分は、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
実際、この見立てたは正しかったようだ。
「大丈夫よミハイル、すでに話は纏まったわ」
襲撃者の男は、いつの間にか音もなく自分の背後に立っていた、熊のような大男の存在に心の底から驚いていた。あの歩法、僕の格闘家の友人とそっくりだった。
女性と、ミハイルと呼ばれた用心棒、そしてスキーマスク姿の襲撃者たち。なんとなくだが、関係性が読めてきた。
あのご婦人がボスであり、明らかに玄人筋である直系の部下たちで周囲を固めてる。そしてこの哀れな襲撃者の男は、今回限りの捨て駒として雇われたのだろう。
この辺りの事情を男が知っているかは、怪しいところだった。賢くないのも募集要項に含まれていたに違いないのだから。
「こうしましょう。死んだ者たちの取り分をそのまま、あなたに特別ボーナスとして支給するわ」
文字通りに現金なもので、不満はまだ燻ってこそいたが、男の態度は明らかに変わった。どうやら仲間の死よりも、カネの方がずっと大切らしい。
「ただし、条件がある」
「条件だと?」
「仕事を完遂なさい。双子を見つけて連れてくる約束だったはずよ」
「とっくに逃げられたさ。このご立派な、今週の最高のパパが戦ってる隙にな」
「あたりは雪に閉ざされた深い森と、海を見下ろす断崖絶壁だけなのに? まだここにいるわ」
「具体的には? その情報は貰ってないぜ」
女がコンコンと、足で床を叩いた。その拍子に戦いのドサクサで落ちてしまったらしい、僕の大工道具たるノコギリが揺れた。
「木造二階建ての一軒家、それもかなり古い作りだわ。長い冬に備えて、この辺りの家にはどこも貯蔵庫が備え付けられている。なのに、ここに来るまでそれらしい空間はまるで見当たらなかった」
「たまたまこの家には無いんだろ」
「あるいは、隠し扉で封じたのか・・・・・・」
女が、ノコギリを足先ですこし少突いた。まだ木屑が残っている刃先を。
「探し出して」
不満タラタラな様子だったが、男としてはボーナスが惜しいし、何よりミハイルという大男が恐ろしいらしい。
生き残りの部下たちに指示を出して、すぐさま家探しを開始していく。
「それとくれぐれも、絵は傷つけないように」
「あ? 絵だと?」
妙なオーダーに、去っていこうとした男の足が止まる。
「子どもの描いたクレヨン画のことよ、この写真のようなね」
複製させないためか、ポラロイド写真に撮られたクレヨン画を女が手で掲げた。
僕は、言うことを聞かない身体を無理に動かして、棚に飾られた家族写真を遠くから眺めた。
完璧な家族だとのたまうつもりはない。いつからか僕らの間には距離ができていた。妻のマリアは柔らかく微笑んではいたが、それはどこか作り物じみた笑顔で、人見知りというよりも孤高な長男のレナードは、そんな妻から背を向けて隅の方に立っている。
そんな2人に挟まれながら僕は、ぬいぐるみを抱えながら足元に立っている長女テレサの両肩に手を置いていた。この子のはにかみ笑いだけは、この写真でゆいつの本物だった。
順風満帆でないにしても、確かに幸福のカケラは、写真のなかに含まれていた。
「最悪の場合は、子どもよりも絵を優先しなさい」
「・・・・・・」
襲撃者の男は、無言のまま立ち去っていった。
それから程なくして壁から家具を引っぺがし、薪割り用の斧が板に叩きつけられる音がそこかしこから聞こえだす。
僕の日曜大工の腕前を思えば、あの
考えが甘かった。妻にもう負担は掛けまいと、住み慣れた我が家に戻ってきたのが間違いだった。基地の宿舎はそれはまあ住みずらいだろうが、警備の面であれ以上のものは望めない。
結局、僕は父親失格のまま終わってしまうようだ。だがせめて、自分の命なんかよりずっと大切なもののために、最後の時間を費やすべきだった。
「ロシアか・・・・・・」
そう僕は意味深に呟いた。
相手の興味を惹くための、ちょっとした演技だ。もっともあの女性がこちらに気づいたのはこの言葉のせいか、それとも血反吐まじりの咳が原因なのかは、判然としなかった。
「なんのお話かしら」
そう言って、女は品よく微笑んだ。
僕が視線でさししめすと、意外にもあっさり対岸の椅子に腰掛けていく女。まさに雪国の主婦そのものな格好だが、どうにもその微笑みは、魔女という言葉を連想させる。
「ずっと探し求めていたんだ。我が子の身になにが起きたのかを」
「知っているわ。必死だったのは理解できるけど、そのお陰で足取りを追うのはずいぶんと楽だった」
そうか、そういうルートでここに辿り着いたのか。ほとほと間抜けだな僕は。
「だがこのオチは予想外だったな・・・・・・あまりに凡庸すぎる」
「どうして?」
「だってそうでしょう? 第二次大戦の終結からこの方、アメリカ人は事あるごとに
「私がロシア人に見えて?」
「いえまったく。でもそっちの彼は、“ミハイル”でしょう?」
ミハイル、これほどロシア人らしい名前もそうない。たとえ名乗らなくとも、いかにもなスラブ系の顔立ちからすぐ出自の察しはついたろう。
「以外ね、カール=テスタロッサ中佐」
女が毛糸の帽子を脱ぐと、その下から亜麻色の髪が飛び出してきた。
「シベリアの長く、辛い冬を経験していないわりには、なかなかに切れ味のいい皮肉を心得ていらっしゃる」
急にロシア訛りの英語で話しかけられて面食らう。あまりに自然でネイティブのものに聞こえるのに、どこかわざとらしさも感じる。まったく・・・・・・腹の底が見えない女性だ。
「親の贔屓目じゃなく、ウチの子どもたちは天才だ。だけど天才にはジャンルというものがあってね」
「是非、ご教授して頂けるかしら?」
「
「テレビ業界から愛されてるタイプね。天才ピアノ少年のコンサート、年に一度は目にするわ」
「はは・・・・・・ソ連にもあるんですか、そういうものが?」
「人の低俗さには、鉄のカーテンすら敵わないわ」
「だけどそういった子どもの才能は、お手本あってのものだ。教科書の内容を丸暗記することはできても、教科書に載るような世界を一変させるアイデアを思いつくことはできない」
「だからこそ、神童も大人になればただの人などという言い回しが生まれた」
「だけど僕の子どもたちは違う」
女は、僕が何を言いたのかとうに理解していた。僕と彼女を隔てているダイニングテーブルめがけて、つい先ほど襲撃者の男に見せたポラロイド写真を女が放る。
写真に写っていたのは、僕の子どもたちが書いたクレヨン画だった。子どもらしいヨレヨレの線で描かれたその内容ときたら、まさしく世界を一変させるアイデアそのものだった。
「素晴らしい発明だわ。あなたの子どもたちが発案した
「そうとも、すごい発明だ。だけどもっと凄いのは、あの子たちは試作品すら作らず、いきなり完成品を出してきたことだ」
試行錯誤なんてあの子たちはまるでしていない。まるで最初から知っていたかのように、スラスラと答えだけを画用紙に書き上げてみせたのだ。
「ニコラ=テスラのような真の天才だって、無数の試行錯誤の果てにやっと世界を一変させる発明品を生み出したんだ。だけどあの子らたちは・・・・・・言葉を覚えるまえから斬新なアイデアの数々を知っていた」
「正確には、耳元に答えを囁かれたというのがより的確な表現だわ」
迷いなくそう女は断言してみせた。何が起きているのか委細承知している者特有の断定口調。
何もかも手探りだった僕とは正反対だ。ずっと求めていた答えが、目の前で優雅に腰掛けている。
「中佐、あなたの双子は早熟なのよ。かなりレアな事例だわ。
この能力の発現は、知能の発達と強い因果関係があるみたいなの。おそらく自分たちが何を聞いているのか、真に理解するために脳の発達をまつ必要があったのね。
おそらくアラスカで私たちが捕捉した子どもと同ケース。そもそもが天才児であり、器としてより適合していた」
「適合? 何にだ?」
「Прошептал――こちらの言葉に直すと、
もう、専門用語まで出来上がっているのか。
「アラスカの子か・・・・・・知ってるよその件は」
「あら、そうだったの」
「両親ともに行方不明になったきり、警察すら捜査を打ち切ったそうだ」
「懸命ね。もう微粒子すら残っていないものを探すのは、予算の無駄というものだもの」
急に、変な笑いが漏れてきた。怪訝そうな表情を女が浮かべる。
「いえ、申し訳ない。僕の部下にむかし
「関係性の見えない話だわ」
「なんでも彼によれば、エイリアンが地球を訪れた証拠が見つからないのは、政府の秘密機関が隠蔽してるからだそうで・・・・・・」
「
「大間違いでしたね。ウチの政府じゃなかった」
こうまで訳知り顔なのだ。まさかアメリカ政府ですら半信半疑なこの状況を、後追いで調査している訳じゃないだろう。
ロシアから遠路はるばる人の家を尋ねてきた彼女の目的はひとつ、隠蔽工作としか考えられない。ということは、
「何の話かしら」
「今さらトボケなくてもいいでしょう。そう・・・・・・ここは、冥土の土産ということでひとつ」
さっきから彼女が暴露話に付き合ってくれているのは、どうやっても僕は助からないと知っているからだ。一応、患部に手を押し当ててはいるが、指の間からはとめどなく血が流れ落ちていき、どんどんと押し当てる手の力が低下していく。
「その割に、希望を抱いているように見えるわ」
ああ、そうとも希望はある。ただし、僕自身にとっての希望じゃない。
遠からずパニックボタンの警報を聞きつけたジェリーが、完全武装の
「あなたは、おそらくKGBのスパイマスターだ。世界をめぐって僕の子どもたちのような、天才性を囁かれてしまった子どもたちを消して歩く、火消し屋だ」
女はすぐに答えず、僕の眼前でいきなり謎の薬剤を飲み込んでいった。それを見て傍らに控えていたミハイルなる大男も、似たような錠剤を口元に運んでいく。
「そっちの護衛役だか副官だかの彼は、大方
「驚いたわね」
「その反応は、正解ということかな?」
「仮に、あなたの推測が恐ろしいほどに的中していて、私がなるほどKGBの非合法作戦をつかさどるS局の要員だったとしても・・・・・・テスタロッサ中佐、国家に忠誠を誓った者が安易に認めるとお思い?」
案外、茶目っ気のある人だな。こうも気楽に殺害予告をされると笑みすら溢れてくる。情報を外部に漏らしたくないなら、その情報を知っている人間を抹殺することに勝る漏洩対策もない。
「せめて、その錠剤について教えてくれ。それぐらいなら良いだろう」
「大したものじゃない、単なる解毒剤よ」
なるほど、哀れな奴らだ。まず間違いなく、あの日雇いの襲撃者たちにこの錠剤は支給されていない。
「あなた方は適度なタイミングで撤収し、現場には、アメリカ国内で雇ったであろう、口から泡を吹いているチンピラたちの死体だけが残される。
事件解決が最優先な警察からすれば、それで十分だ。ありふれた流れ者による犯行という線で結論づけ、デスクに貯まった次の事件を片付けにいく」
「そこまでは望んでいない。当面のあいだ封鎖線を敷かれないだけで十分だわ」
「捨て駒にされると彼らは承知で?」
「あなたらしくもないくだらない質問ね。時間を稼ぎたいなら、もっと質問の内容を吟味するべきだわ中佐」
血臭をはるかに上回る、鼻にツンとくる悪臭が漂ってきた。
錠剤を飲んだ直後、作戦は次の段階へと進んだようだ。ミハイルなる大男は命令も待たず、ポリタンクの中身を家中にばら撒いていった。これが総仕上げか。灯油に火を点けて、死体ごと家を丸焦げにする。そうすれば警察は、身元確認だけでもそうとう苦労させられるはずだ。
先ほどの女の言い分は、しごく正しい。どうせお互いに目的はハッキリしてるんだ。
だったらもっと質問を吟味しなければ。今の僕に武器があるとしたら、より巧妙に彼女の好奇心を刺激することだけだ。考えに考えた末・・・・・・僕は、必殺の質問を繰り出していった。
「あなたのお名前は?」
核心部分について問いただしたいのは山々だったが、どうせのらりくらりと躱されるのがオチだろう。彼女はプロであり、プロというのは一線を敷くということをよく心得ている。
「ふふ・・・・・・」
「なにも笑うことはないでしょう」
「それが一番、大切な質問なの? 他にもっと聞きたいことがあるかと思ってたわ」
「あなたは、僕の人生を打ち壊そうとしてる」
同情を誘うつもりはなかった。そういう風に聞こえるかもしれないが、この侵入者に膝を折るつもりは最初からなかった。だからこそ彼女も話に乗ってくれたのだろう。
これはいわば、宣戦布告だった。
「友人に預けたクレヨン画のポラロイド写真を、あなたは握ってる。彼は口の硬い男だ、つまりは僕の家族だけでなく、あなたは友人までも手にかけたということになる」
いつか謝らなくはならない相手がまた1人増えてしまった。だがそう遠からず再会できる。それだけは救いだった。
「僕の大切な人々をすべて奪い去った相手のことぐらい、知っておきたいじゃないか――その甲斐はあったかい?」
どろりと、手の隙間から血の塊がこぼれ落ちる。もしかしたら内臓だったかもしれない。
プロは感情を押し殺す術を知っている、だが完璧にとはいかない。ほんの僅かでもこの女に罪悪感の種を植えつけられば、それで十分に勝利といえるだろう。
今は無理だろう。だがもしかしたら数十年後にこの日のことを思い出して、罪を償う気持ちになってくれるかもしれない。下手な抵抗でも、やらないよりマシだ。
だが想像していたよりも返ってきた反応は素早く、そして劇的だった。
「・・・・・・心から謝罪するわ、テスタロッサ中佐」
またアクセントが変わった。アメリカ英語からロシア語訛り、そのどちらも自然に聞こえたが、今のヨーロッパ風の発音はどこか違う。使い慣れた雰囲気があった。
なんとなくだが、これが彼女の本来の話し方なのだけう。
喋り方を変えた女は一瞬、背後を気にした。ポリタンクを振り回すのに忙しいらしいロシア人の大男は、もうこちらの会話に聞き耳を立てていない。そう確認してから女は会話を切り出した。
「あなたと子どもたちは、偶然にも巻き込まれてしまっただけ・・・・・・あの天才の狂気にね」
天才? 気にはなるが、女の言い回しが引っかかった。
「・・・・・・妻を忘れるな」
地下から響いてくる悲鳴が、炎の爆ぜる音に混じって聞こえてきた。外ではもう火が放たれたようだ。
煙がまわり始め、白い靄が室内をただよう。ミハイルと呼ばれた大男がほぼ空になったポリタンクを暖炉に放り、紙マッチに火のついたタバコを挟み込んで、簡易的な発火装置をこしらえていた。
その直後だった、妻の叫び声がして・・・・・・銃声がその後につづく。
「私は、」
そんな惨劇なんて気にもかけず、女は語りはじめる。
「かつてソ連という国家に理想を見たわ。だけど現実はご覧のとおり、未来を築くよりも過去の汚点を覆い隠すことに全てを費やす、醜悪な怪物に成り果てていた。
あなたの双子のように、思いがけず生まれた才能を目にした時、彼らはなんと言ったと思う? “そのようなものは実在”しないと、たった一言で切り捨ててみせた」
これまでが嘘のように、彼女の瞳は感情豊かに揺れ動いていた。嫌悪の感情に。
「チェルノブイリでは失敗した。でもこの件だけは折りからの内戦の影響もあって、あともう一歩のところで成功しようとしている」
「一体、何の話をしている?」
「アメリカご自慢の監視衛星は、シベリアの奥地まではカバーしていないようね。彼らはすべてを忘却の彼方に放りこんで、臭い物に蓋をしようとしてる。
だけど私は・・・・・・無限につづくあの墓標の群れを、決して忘れはしない」
素の姿、素の感情のまま女は言い放つ。
「私はあの破滅を生き延びた――
彼女は抜群の演技力でもって、誰にでも化けることができる。スパイの道を選ばなければ、おそらく大女優として名を残していたに違いない。
誰でもあり、誰でもない。そんな彼女の拠り所は、どうやらこの
「教えてくれ」
彼女が胸の内をさらけ出してくれるなら、こっちだって今さら取り繕う必要もない。
「僕の子どもたちは、いったい何に巻き込まれたんだ?」
女は、窓の外を眺めていた。額面通りにポーツマスの雪景色を眺めているわけじゃないだろう。きっと記憶の中だけある、僕の知らない景色に思いを馳せている。
「先ほどの謝罪は、本心よ。だから誓わせて頂戴。私は誰のものでもない、自らの考えに従って動いている」
視界が霞みはじめた、あれだけ出血したんだ、遅すぎたくらいだろう。
つづいて堪えきれない眠気が襲ってくる。自分の最期はすでに秒読み状態だと悟っていた。
「死は終焉よ。だけど記憶は・・・・・・歴史や文化と名を変えて、永遠に生き続ける」
“私はね”、薄れいく意識の中、亡霊のように視界に浮かびあがった女が言う。
「テスタロッサ中佐。娘たちの無念を晴らすためなら――世界を燃やし尽くしても構わないの」
狂っているのかと丁寧に問うべきか、娘たちというのは、君の子どものことかと尋ねるべきか。だがもう口が動かない。呼吸すら困難になっていた。
「“ママ”」
幼い声が、女のことを呼んだ。
「大丈夫よ、もうすぐ終わるわ」
母親の声音でもって女が答える。
不思議な少女だった。女とまったく同じ亜麻色の髪をしていて、目鼻立ちに人種的な特徴が見られない、無国籍風だ。背格好からして年齢はきっとウチの子と同じぐらいだろう。
少女が“ママ”と呼んだ女性と同じく、冬服に身を包んでいる。変わった所はあるが、それでも小学校にいるような普通の子どもだ。だが、その手に持っている空っぽの鳥籠と――22口径のハンドガンは、異様だった。
「そろそろお別れね。でも最後に、聞かなきゃならないことがある。この写真のことよ」
そう言って、女はテーブル上のポラロイド写真を指差した。
「あなたは知らなかったようだけど、これでは設計図の半分しかない」
半分? 僕の倍は賢かった友人すら、これが何の設計図なのか取っ掛かりすら掴めていなかったのに、ずいぶん訳知り顔で話すものだ。
「知らなくて当然よ。これを真の意味で読み解けるのは、おそらく生みの親たるヴァロフ博士と・・・・・・あなたの双子だけでしょうね」
でもね、と女は続けた。
「私だって理解不能よ。だけどこの設計図のことはよく知ってる。
かつて私は、シベリアにあった研究所の副所長、その右腕だったの。ソ連の慣習でね、軍事機密を扱っている施設はどこであれ、KGBの人間が副所長を務めることになっている。
だから科学者たちが何をしているのチンプンカンプンでも、資材を入手するために、嫌でも設計図に目を通す羽目になった。
このクレヨン画は、まさしくあの時に目にしたものそのものだわ。中佐、あなたの双子のどちらかが、この情報を囁かれたに違いない。ウィスパードの源泉、オムニ・スフィア高速連鎖干渉炉――TAROSのね」
ポラロイド写真を細長い女の指が叩く。
「機密情報をあつかう者の本能ね。信頼できる友人にさえ、軽々にすべてを明かしたりはしない・・・・・・あなたが預けたクレヨン画は、中途半端な枚数だった。
でも学者というのは厄介な生き物よね。律儀なことに、渡されなかった分も含めて、すべてに通し番号を振っていた。だから知らないなんて惚けないで頂戴」
多くを語ってはいたが、結局のところ肝心な部分はひた隠しにされたままだった。断言できるのはせいぜい、先程の謝罪はトリックでないということぐらいだ。
女は僕に向かって――懇願していた。
「神に誓うわ。とても信じられないでしょうけど、私たちは同じ道を歩んでいるの――あなたの双子と、私の愛しい娘たち。すべての無念を晴らして見せると」
ロシア人の仕掛けた発火装置が機能して、タバコから紙マッチ、そして何度も直そうとしてはその都度に失敗してきた、我が家の暖炉に火が灯る。そこから灯油の染みを沿うように、炎が回っていった。
すべてが焼け落ちようとしていた。家が、家族の記憶が。いずれあの火は、僕らの亡骸まで焼き尽くすのだろう。
もう時間がなかった。残された時間は、せいぜい30秒・・・・・・もう認めるしかない。妙な話だが、彼女は宣言通りやり遂げるに違いない。そんな確信があった。
この女性はKGBの任務すら逆に利用している。望みはたったひとつ、復讐なのだ。
完璧な人生だったわけじゃない。多くの間違いを犯し、ベストとは言い難い選択肢をたくさん下してきた。だが意味はあったと、そう無邪気に信じられるのは、なかなかの幸福の証に違いない。
未来を築くよりも過去の汚点を覆い隠すことに全てを費やす、そのあり方に失望したと彼女は言っていた。僕も同意見だ。
彼女は全人生を賭けて、復讐を完遂するだろう。誰が相手だか知らないが、こうなった原因を相手に。だがそれは、未来を築いたりしない。
レナードとテレサ。この世でもっとも掛け替えのない2人を残していくのは、残念でならない。だが僕が死んでも、あの子たちを気にかけてくれる友人の顔を、いくつも思い浮かべることができる。
かつての上官ジェリーに、遠くイギリスの友人もきっとそうだ。だから後悔はあっても、無念ではないのだ。
最後の力を振りしぼって、僕は質問に答えることにした。言葉は無理でも、せめてボディランゲージぐらいならまだできる。そうとも――このクソ女に中指を立てるぐらいなら、まだできる。
僕の反抗心に女は、残念そうに目を伏せた。
「・・・・・・あなたは尊敬に値する御仁だわ。ここでお別れするのが残念でならない程のね」
女が帰り支度をはじめた。
異様な光景だった。背後ではすべてが焼け落ちようとしているのに、女は膝をついて、愛しい我が子にするように鳥籠を垂れ下げる少女の髪を撫でつけて、それから首元のマフラーを調節するのだ。
「忘れていたわ、まだ名乗っていなかったわね。
私の名前はアンサーというの。
こちらの名で私を呼ぶのは友人と・・・・・・そして敵だけよ」
アンサー、そう名乗った女が、去り際に僕の肩へと手を置いて、それから耳元に囁きかけた。自分の名前を。
「――ソフィアというの。私の娘たちと、まったく同じ名前よ」
ソフィアがうなずくと、少女がハンドガンをこちらに向けてきた。小口径だが致命傷を負わせるには、十分な銃器を。
我ながらよくやっていた。襲撃者たちの多くは粗暴さだけが売りで、装備と比べてその練度ときたら酷いものだった。あの調子でいけば10分は無理でも、せめてもう5分は時間を稼げていたに違いない。
そうだ、この少女が戸口に姿を現しさえしなければ・・・・・・僕にこの子を撃ち殺す決断力があったなら、何かが変わっていたのかもしれない。
その汚名を甘受できるほど、僕は強くなかったということなんだろう。猟銃を向けることすらできず、ただ呆然と立ち尽くす僕の腹を少女は撃ち抜き、それから襲撃者たちを我が家へ招き入れた。あれが終わりの始まりだった。
最後に見たのは、まばゆい光だった。
これが噂に聞く天国の門というやつなのか、それとも単に少女が手にしてたハンドガンが発する
✳︎
【“テッサ”――デ・ダナンⅡ船内、“
「あなたが殺したのね・・・・・・」
またわたしの知らない“共振”の使い方でした。幻覚を超えた、もはや追体験に等しい過去への旅。
まるで自分が体験したかのように、彼女の記憶がわたしへ流れ込んできました。彼女が見聞きしたすべて、焼け落ちていくわたしの生家の匂いすらも、ほんの数秒前に嗅いだばかりのように感じられる。
上と下・・・・・・確かにあの運命の日に、彼女とわたしは同じ空間に居たのです。同じ時間、同じ場所、ですがふたつの視点が混ざり合っていく。
背を曲げて、込み上がってきた吐き気を堪える。これが“共振”の副作用なのか、それとも心理的なストレスのせいなのか、冷静に考えられません。
どこまでがわたしの記憶なの? 母と兄と一緒に、怯えながら地下室に隠れていたわたしの記憶と、硝煙が銃口からたなびいていく拳銃の記憶――そして額から血を流しながら事切れている父の記憶、すべてがごっちゃになっていくのです。
父のことは大好きでした。幼かったこともあるでしょう、思い出せるのは素晴らしい記憶ばかりで――なのに私が殺した!!
今度は堪えきれず、胃のなかの全てを床に吐き散らしてしまう。
私・・・・・・わたし、私、わたし?
口の中の酸っぱい不快感以上のものが、頭の中を支配していく。“共振”の負のフィードバック。人格の融合、その初期症状。
「これでも手加減したのですが」
あらゆる感情が駆け抜け、心身ともに混乱しているわたしとは正反対に、アンサーは平然なままでした。
「まさか血の繋がらない姉妹を増やすわけにもいきませんから、送ったのはイメージだけのつもりでしたが・・・・・・ぶっつけ本番はやはり無茶がありましたか。
とりあえず深呼吸しては、如何でしょう?」
“共振”には有効範囲があり、あまり遠くからは使えません。おそらくアンサーの本体は、この近辺に潜伏しているはず。
そんな本体から送り込まれてくる精神波が弱まったせいでしょう、徐々に身体のコントロールが戻ってきました。
「あな・・・・・・あなた、が」
父と母を殺したのねと、分かりきった質問をする。
「ええ」
わたしにとって大切な答えを、いつもの淡白さでアンサーはあっさり肯定しました。
「肉体という意味においては、我々のうちの1名が。ですが精神は常に並列下しているので差異などありません。私たちは9人で1人ですゆえ」
捕らえられた襲撃犯の生き残りたちはことごとく服毒自殺を遂げ、身元を調べてみても背後関係なんてまるで見えてこない、ただの使い捨てに過ぎませんでした。
手慣れたやり口から漠然と、どこかの諜報機関に違いないという推測こそ立てられましたが、真犯人はけっきょく有耶無耶のまま、両親亡きあとわたしと兄はジェリーおじさまの元に引き取られました。
真犯人を見つけたいか? それは勿論。ですがあの当時は、あらゆる組織がウィスパードという景品を狙っていたのです。あの事件のみならず、あらゆる事象が結局はウィスパード――ひいては自分たちが原因で引き起こされていた。
まずウィスパードという源流をどうにかするのが先決。そのためにわたしはミスリルに入り、世界最高の潜水艦を築きあげ、そして世界を股にかけて戦った。
両親の死は、忘れられない大きな出来事でした。ですが人生のすべてがあの瞬間に一変した訳じゃありません。ウィスパードとして生まれついたこと、それがわたしの出発点なのです。
あのイメージの意図ははっきりしています。真実を伝えるためなんかじゃない。憎悪を煽り、わたしを挑発するためだけにわざとらしく見せつけてきたのです。その目的までは、まだはっきりしませんけど・・・・・・。
「あなたのお父君を殺害した時の感想ですか?」
わたしのそんな推測を裏付けるように、挑発の言葉が耳に届きました。ですがあまりにいつも通りな無感動すぎる喋り方のせいで、ついさっきまであった激情までもが急速に冷めていく。
「そうですね、あの時の私はサディスティックな悦びに支配されてました。脳みそが飛び散るあの瞬間は、さいこーに気持ちがよかった」
「・・・・・・」
「分かりました、真実をお話ししまょう。私は幼く、選択肢なんて与えられていませんでした。悪辣な大人に支配されて、いやいや――」
「こんな茶番いつまで続けるつもりなの?」
どことなく、分かっていたとでも言いたげにアンサーがため息を吐きました。
「もう乗り越えているのですね、ご両親の死を」
当然でしょう。父と母の死の責任はすべて――ウィスパードとして生まれてしまったわたしにあるのですから。他の誰にもその責を負わせたりしない。
「計画の初期段階、まず私たちはあなたの精神分析を行いました。“責任感が強く、かつ自虐的”」
「・・・・・・あえて否定はしないわ」
「“そして常に敵を求めている”」
「それは大間違いね」
「果たしてそうでしょうか? あなたはミスリルに対する総攻撃のあと、寄る辺を失った部下たちを叱咤するべく復讐を目的に掲げた。そしてこの地での一連の争乱もまた・・・・・・」
「あれは本音半分、戦術的な目論見が半分だったわ。ああでも言わないと、わたし達は空中分解してました・・・・・・わたしについてよくリサーチしたみたいですけど、それであなた達は何が得られるというの?」
「ご存知のはず」
「TAROSの設計図・・・・・・厳密には、そのもう半分ね」
“共振”の影響が弱まったせいでしょう。もう完全に冷静さを取り戻していました。まだ全体像は見えませんが、自分が置かれている立場はちゃんと把握していた。
いつも通りの展開です、結局ウィスパードという存在は、今なお他者にとって景品でしかない。
「わたしと兄、TAROSの設計図をどちらが描いたのか知っているの?」
「無論、筆跡鑑定をしましたから」
「ならお生憎でしたね。絵の作者である兄は死にました。
わたしはずっと兄に劣る存在だったわ。才能面でもそう、オムニ・スフィアから囁かれた情報量にしてもね」
「だから?」
「だからって・・・・・・わたしは、あなた方が求めているものを知らないと言ってるんです。
運用方法ならわかります、それとある程度の応用方も。ですけど一から組み立てるなんてわたしにはできないわ」
「しかし絵の内容は目にしたのでしょう?」
「まさかあの絵をいまだに探してるんですか? わたしの家に火を放っておきながら、そう都合よく十年単位で放置された廃墟の奥底から
そもそも――あなたたちはTAROSで一体なにをするつもりなの?」
そして、最終的な目的は一体? あらゆる疑問を一気に畳みかけて、答えを得ようとする。気が急いていました。
アンサーはわたしから視線を逸らし、意味深に船の柱に手を沿えていく。
「この船で行われていた実験について、どう思われましたか?」
「反吐がでるわ」
「ですが一石二鳥の計画でした。
当初の計画では、素直にレナード=テスタロッサから話を聞くつもりでした。彼がメキシコに隠れ家を築いたいと知った時、割とお祭り騒ぎだったのを覚えています。
やった、これまでは足取りを追うことすら苦労していたのに、向こうからこちらのホームベースを尋ねてくれた」
「まさか・・・・・・ニケーロの邸宅を襲撃した、あの
「米軍最精鋭が聞いて呆れる。とはいえ、彼らだけに襲撃失敗の責任は押し付けられないでしょう。
人を操り、そうと知らずに行動させることによってこちらの存在は完ぺきにひた隠しにできるが、引き換えに細やかなコントロールはできない。いわば私たちの構造欠陥ですね」
それで世界中のあらゆる組織に気づかれず、ついにはCIAを意のままに操るまでに成長、というよりは浸透のほうが的確かしら? 大したものと言わざるおえません。
ただしこの手法、原理的には昔ながらのやり口な気がしました。スパイを相手の組織に潜入させる・・・・・・ありふれた
ですがスパイというのは大抵、味方と連絡しようとした瞬間を捕らえられることが多い。その点を彼女たちは完ぺきにクリアしているのでしょう。
連絡役と顔を合わせることもなく、電波など傍受可能な手段も決してつかわない。そう、“共振”はどのような暗号解読のプロであろうとも解析不可能な、究極の秘匿通信なのです。
「ですからこの船が必要だったのです。手駒として働いてくれる、高度に訓練され、疑うことを知らない兵士たちが」
「そんなことのために、ノルさんたちを命を弄んだの!!」
「ですがこれは実験の副産物でした。計画の肝はあくまでマインド・コントロール技術にある。あなたならご存知でしょう? CIAが計画したMKウルトラの本来の目的は、敵の要員から情報を引きだす尋問技術の完成にあったと。
レナード=テスタロッサに話を聞ければ、それに越したことはありません。ですが彼が素直に話してくれるとは思えませんし、まして今や故人です。
でもあなたはまだ生きている。設計図を目撃した最後の生き証人が」
「知らないものは、知らないわ・・・・・・」
「あなたの奥底に眠っている記憶は別です。モルモットやマウスといった代替手段を使わずはなっから人間でテストしていれば、人類の医療技術はもっと進歩していたことでしょう。
精神を支配できれば、記憶の削除や植えつけ――それどころか呼び起こすことすらも可能になる」
「なら話はこれで終わりね。わたしを捕らえ、ストラップで縛りつけてから好きなように薬でもなんでも投与すればいいわ」
この挑発の真意は、どうしてそうしないのかという問い掛けでした。機会はいくらでもあったはずなのに。
「まあ・・・・・・そこが困りものでして。技術というのはままならないものなのです。ところで話は変わりますが、あなたはひどく頑固な女性ですよね、Ms.テスタロッサ?」
「それは認めるわ」
「マインド・コントロールとは大層な響きですが、要するに高度な催眠術のようなもの。強い自我を持っている相手には、効果が薄れてしまうのです」
「だから子どもを使ったのね・・・・・・」
被験者として使うだけなら、別に子どもだけに限定する意味なんてないでしょう。なのにこの船では、たくさんの子どもたちが犠牲になった。瞼の裏にわたしは、そんな被験者の一員であったハスミンちゃんとノルさんの顔を思い浮かべました。
ハスミンちゃんの年齢に見合わない我の強さときたら、いつも驚かされっぱなし。あの子もまた実験の被害者だったはずなのに、ノルさんのようにまるで後を引いていない。
ですがノルさんの心はまだ、過去に縛られてました。この船に授けられた偽りのアイデンティティに。
ハスミンちゃんが廃棄処分扱いされる一方、かたやノルさんは暗殺者として高度な訓練を受け、個室まで与えられた。あの2人に違いがあるとしたら、やはり自我の差でしょう。ノルさんは見た目と裏腹に依存的な面がとても強い。そんな性格ゆえに被験者としてうまく適合してしまった・・・・・・。
「何も知らない子どもなら、自分たちの好きな色に染められる。そういう訳ですか」
「ずいぶんと悪し様に言われますね。まあ、あえて否定はしませんが」
「わたしは、絶対にあなたに屈しないわ」
「そうでしょうとも。降伏するぐらいなら死を選ぶ、あなたは根っからの戦士であると今は確信しておりますゆえ。
迂遠極まりない手法であなたを警備の厳重なニューヨークから、ここ南米コロンビアまで招待したのはこのためです。取り引きしましょうMs.テスタロッサ」
「取り引きですって?」
「あなたのご両親を殺害した犯人を引き渡します。その代わりに、是非ともあなたの記憶から設計図を探らせてほしいのです」
困惑が広がります。口だけの証言よりもよっぽど確かな方法でもって、目のまえの女性は自分がやったのだと自白した矢先にこれです。
「殺した犯人を引き渡す? 自分で自分をですか?」
「お望みなら」
「9人で1人の人生を生きる、その異様さについてと今更やかく言わないわ。ですがまさか、その9人のうちの誰かを生贄にするつもり?」
「いえいえ、あまり見くびらないでください。9人で1人である以上、求められれば私たち揃って銃を咥えて、脳みそを吹き飛ばす覚悟です」
“共振”の良い点は、相手の感情も流れ込んでくること。つまり嘘はまずつけません。彼女は本気で言っている。
信念のために命を捧げる、そう簡単には理解できない心情です。ましてそれが、自分のまるで理解できない理由であれば、尚更に。
「どうしてそこまで・・・・・・自分の命を犠牲にしてまで、あなた達はTAROSで一体何をするつもりなの?」
「それはこちらの問題ですMs.テスタロッサ。こればっかりは、干渉しないでいただきたい」
「馬鹿いわないで。あれは正真正銘、人類の歴史を歪めたマシンなのよ。葬り去られるべきだわ」
「目的を達成するためなら私たちは、いつでも我が身を生贄に捧げられる。それだけ理解してくれれば十分です」
まっすぐに、アンサーがわたしの顔を見つめてきました。
「Ms.テスタロッサ、あなたは私たちの予想からかけ離れた行動を常に取りつづけた。周囲をご覧なさい、まさにカオスとしか表現しようがない。
ですが責任の一切を負わせるつもりはありませんとも。考えてみれば、最初の引き金を引いたのは、そこのあなたですから」
アンサーはわたしでなく、部屋の入り口に向かって話しかけていました。振り向くとそこには、困惑で固まっているノルさんの姿がありました。
そうでしょう、彼からすればわたしの口を使って、赤の他人がいきなり話しかけてきたようなものなのですから。
「テッサ・・・・・・大丈夫なのか?」
パックの中から湯気をくゆらせている2人分のMRE、夕食を届けにきたノルさんはトレーを床に置きながら、ゆっくりこちらに近寄ってくる。
「何を考えていたのですか?」
自分の声なのに他人の口調。嫌な感じでした・・・・・・目と耳が捉えているものと、自分の思考がまるで一致しないのですから。
アンサーはわたしの身体を依代に、まだノルさんへ語り続けている。
「あなたの反乱からこの方、どれほど体勢を立て直すのに時間を費やしてきたことか。
私たちは、世界中に枝を張っています。諜報機関、軍、警察、政府、企業、国連にカルテル、どの組織にも影響力は発揮できますが、別にダイレクトに支配してるわけじゃありません。歯車がひとつでもずれると――」
「何者だ?」
原理はわからなくとも、口調と態度から直感的にノルさんは悟ったようです。
シャワーを浴びたばかりで髪は濡れ、格好はラフなTシャツとジーンズ姿だとしても、ノルさんは武器を決して手放したりしません。そろそろと、腰元のハンドガンに手をかけていく彼。
「――とても面倒なことになるのです。一体何を考えていたのですか?」
「お前がテッサじゃないってことをだ。頭のおかしな事態に、これまでいくつも遭遇してきた。この程度で動揺したりしない。
口うるさい仕切り屋だし、何かって言うと説教してくる迷惑な奴だが・・・・・・それでも今はこの船の艦長なんだ。返してもらう」
「私たちの母親を殺した理由を聞きたいだけです」
「・・・・・・なに?」
事態がまるで飲み込めてないノルさんが硬直しました。
もっと話を聞き出したいのは山々ですが、これ以上、自分の身体を好き勝手に使わせるわけにはいきません。
“共振”を使うのはこれが初めてじゃないですから、回線を断ち切る術は心得ています。相手の方が一枚上手だとしても、あの頭痛の原因が“共振”だとわかった今、やりようはある。
精神を集中し、作業をはじめる。すると効果はすぐ出ました。アンサーの声が聞き取りずらくなる。
「まさしくこの部屋でやったのでしょう? あなたは今のように入り口に立って、無防備だった母を・・・・・・あなたの人生ではじめて、真の愛情を注いでくれた相手を」
「・・・・・・俺は」
「わかりました。もう、何を考えていた云々を尋ねるのは、やめにしましょう。その顔見れば一目瞭然ですから。
正直言って、何も考えてなかったのでしょう?」
「・・・・・・」
「自分を外から眺めるように、身体が勝手に動いていた。典型的な離人現象ですね。私たちの中からあなたを責めるべきだという意見も出たのですが・・・・・・結局、やめにしたのです。
だってそうでしょう? 責任を問われるべきは怪物を生み出した張本人、フランケンシュタイン博士その人なのですから」
“邪魔が入ったので、手短にいきますか”そう頭のなかでアンサーの声が響きます。
「当初の取引き内容のままではMs.テスタロッサ、もはやあなたは頷かないでしょう。ですから新たなご提案を用意しました。
もう戦争はうんざりだとばかり思ってましたが、現実のあなたときたら嬉々としてカルテル、そしてCIAに喧嘩を売る
お気づきですか? あなたという人は、物事を暴力でしか解決できない――どうしようもない戦争ボケなのですよ」
“何も知らないくせに”とそう言い放つ。すると、もう輪郭しか見えないアンサーの幻覚がせせら笑った気がしました。
「せっかく14人も居るのです・・・・・・1人、また1人と手折っていけば、いずれはそちらから頼み込んでくるでしょう。戦いの果てにその日が訪れることを、心待ちにしています」
直後、わたしの眼前にハンドガンを突きつけたノルさんが、発砲したのです。
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