VI “勘違いのドミノ理論”

【“テッサ”――バーラウンジ】


 かつて西太平洋戦隊の本拠地があったメリダ島には、隊員たちが夜な夜なつどう酒場が設置されていたものです。


 名を居酒屋ダーザ。


 個人的にはアルコールは脳細胞に負荷をかけるだけなので、どうかなーと思うんですけども、こういった嗜好品をおろそかにすれば、冗談でなく部下たちは反乱を企てかねない。酒とは最古の娯楽、いつの世も船乗りたちの必需品なのですから。


 ですが当時はなにせ未成年でしたし? 個人的にもお酒はノーセンキュー。

 

 そういった事情もあり、わたしはあまり酒場を訪れたことはありませんでした。いえ、普通にソフトドリンクとかも出してたそうなんですけど・・・・・・最高指揮官たるわたしが部下たちの憩いの場に軽々に顔を出してしまっては、煙たがれるだけでしょうし。


 そんなわたしが持ち合わせている唯一の酒場のイメージとこのバーラウンジは――まさに正反対でした


 だって片方は、飲めや歌えやの荒くれ者どもの宴会場。対してここは、仮にも高級ホテル付属のバーラウンジなのです。


 陽気すぎる酔っぱらいたちの歌声はまるで聞こえず、どこまでも上品で落ち着いている雰囲気が漂っている。


 OPENと書かれたネオンサインが廊下側に張り出していることをはじめ内装といい、紫の基調カラーといい、ぐっと大人びた空間でした。


 そうOPEN。まだ朝早いのにこのバー、すでに営業時間中のご様子でした。どうやらアル中フレンドリーな経営方針の様子。まあ、わたしとしては好都合なので、別にいいんですけどね?


 とはいえ、店内にアル中はおろか、他の酔客の姿はまるで見受けられません。やはり朝早いですし、食事を摂りたいならレストランやルームサービスがあります。


 人影といえば、カクテルグラスがたくさん吊り下げられた趣あるバーカウンターの裏で、小粋にシェイカーなんて振っているバーテンダーの女性だけでした。


 そのバーテンダーさんは、アジア系とも、アングロサクソン系とも、どちらともいえそうな無国籍風な雰囲気を漂わす大人の女性でした。ぶっちゃけと申すならば、女体化したキア◯=リー◯スみたいな人でしたって・・・・・・ちょっと待ってください。


 どうしようもない既視感に、回れ右しようかと悩んでしまう。


 いえ、そんな、まさか・・・・・・返す返す見つめてみても、どう考えたってあの目鼻立ちは件のフライトアテンダントさんとまったく同じもので。


 たくさんのボトルがモザイク模様をなしている、そんなキレイに整えられた酒棚を背景に、バーテンダーさんは口元しか笑っていない、ロボットのような人工的な微笑みを浮かばせました。


「おはようございますお客様。なにをお求めでしょうか?」


「・・・・・・あなたは、一体何者なんです?」


 ここで待ち伏せされたとなると、もはやジタバタしても始まらないでしょう。ホテル内の監視カメラでずっと動きを追いかけていたのか、はたまた追跡装置でも仕掛けられていたのか。


 すべては手のひらの上、という訳ですか。


 まさか他人の空似と言い張るのは難しいでしょう。だとしたらこのバーテンダーさん、もはやクローン人間の領域に達してますもの。


 双子説は微妙なところ。当の双子であるわたしが言うんですから、間違いありません。


 生まれた時は遺伝子レベルで同じでも、その後に摂る栄養や環境次第で、ちょっとずつ双子の外観というのは分かれていくものなのです。


 似せようと意識すればソックリになりますけど、記憶にある飛行機の座席から割り出したフライトアテンダントさんの背の高さと、目の前のバーテンダーさんのそれはまったく同じでした。


 ですが、そうなるとわたしの横を並走するようにこの女性、ホテルに移動してきたということになるのかしら? 


 まあ、こうも芝居がかった登場の仕方をわざわざ選ぶ辺り、そういう演出が好きなタイプなんでしょうけど。


「しばしお待ちを」


 指を一本立ててから、何やら手帳を取りだしていく謎の女性。


 開いたページに何が書かれているのかこちらからは伺えませんけど・・・・・・わたしの背後にある何かと、ページの中身を照らし合わせている?


「ふむ、ふむふむ」


 首をめぐらせ、背後を仰ぎ見てみる。


 小粋な空間を演出するためかしら? 読みづらいローマ数字の文字盤がはめ込まれた、変わったデザインの壁掛け時計が時を刻んでいました。


「解釈ミスもなく、時間ぴったし。大変よろしい結果ですね」


「・・・・・・」


「ああ、お気になさらず。内輪の話ですので」


 パタンと閉じられた手帳を、女性は大切そうに懐にしまい込んでいきました。


 わけも分からず、佇むしかなかったわたしでしたが・・・・・・覚悟のため息をついて、バーカウンターの方に向かっていきました。


 だって、


「正直なところ、わたしの完敗ですから。こうまでお膳立てされては、無駄な抵抗する気力もなくなりますよ」


「はぁ・・・・・・ご迷惑をおかけして」


 露骨な悪意がない分マシなのかしら。それとも逆に、底が知れないと怯えるべきなのか・・・・・・どちらにせよ、ここまでやられたらもう腹をくくるしかありません。


 導かれるまま、わたしはカウンター前にある背の高いストールのひとつに腰掛けていきました。


「しかし言い訳させてもらうなら、ニューヨークの警備体制は中々に厳しかったものでして。

 引退したとはいえ、流石は元その道のプロ。厳重にすぎるアパートのセキュリティはもちろんのこと、外出中ですから気の抜かないあの素振りに、これはニューヨークで接触するのは無理だと私たち、判断いたしまして」


 私たち、ですか。


 わざわざ複数形を使うということは、自分は組織の意向で動いているという意志の現れでしょう。


「搦め手が過ぎたとは、当方も重々承知しております」


 確かに当人の言うとおり、迂遠にすぎる接触方法です。でもこれって、ちょっとした安心材料でもありました。


 航空会社に擬態したり、ホテルの人間を買収するなど、こうまで組織力をひけらかしておきながら、一度もバイオレンスな手段に訴えかけてこない。


 まだどうして接触を持ってきたのか未知数ですけど・・・・・・何かしらわたしにやらせたいこと――かつ普通ならわたしが拒否する要求――があるのでしょうけど、そのために銃をチラつかせるですとか直接的な方法を選ばないということは、そこそこ道理をわきまえた組織ということになります。


 つまり、国家や法といったルールに縛られている組織に違いない。推測ですけど、それが一番ありえそうです。


 ですから単刀直入に聞いてみました。


CIAカンパニーの方ですか?」


 コロンビアは古くから親米国家。とりわけ中央情報局CIAは、これまで好き勝手にこの土地で行動してきたのだと、あの本に書かれていたものです。


 それにジェリーおじさまから聞かされてきたCIAへの恨みつらみ・・・・・・もとい、その汚いやり口とこの状況、割と類似点が多い気がするのです。


 局員のほぼすべてが名門大学アイビーリーグ出のエリートであるCIAは、そのせいなのか、どうにも頭が固いところがある。ちょっと畑違いのたとえ話ですけど、数百万ドルかけて宇宙でも使えるボールペンをアメリカが開発した横で、ロシア人は鉛筆を使ったですとか、あれを地で行っている組織なのだとか。


 理屈の上では正しいものの、見るからに複雑極まりない作戦を、なまじ予算に余裕があるせいで平然で実行してしまう。今の状況と符合するところの多い話じゃありませんか。


 亜麻色の髪をした女性は、無表情のままかくんと小首を傾げられる。


「ああ、それは血の繋がらない双子の妹の1人ですね」


「・・・・・・なんですって?」


「冗談です。にしてもよく分かりましたね? 私がCIAに属しているなどと」


 意味不明なボケを噛まされた気がしますが・・・・・・とりあえず言質だけは取れました。


 世界中で情報収集を行うのが、CIAの本来のお仕事です。


 陰謀論の主役にしばしば躍り出てくるこのCIAは、そうですの諜報機関なのです。そもそも直接行動が表向きはご法度になっている組織ですし、アメリカ人であるわたしに法的に手出しするのは、とても難しいはず。


 ましてわたしはミスリルなどとという、誰よりもアメリカ自身が忘れたがっている政治的地雷原のような組織に属していたのです。ですから接触すら難しく、その結果が、このもって回りすぎな接触方法だった・・・・・・という訳なのでしょう。


「知り合いの教えでして。腹が立つ奴を見たらCIAカンパニーの人間だと思えと」


「偏見ですね」


「わたしもそう思ってたんですけど、ここ数時間の出来事のせいで、まんざら馬鹿にできない気がしてならないんです」


「はぁ・・・・・・ただ、実は先ごろ転職が決まりまして」


「・・・・・・CIAの方じゃなかったんですか?」


「まだ籍は置いてますね」


「なら、わたしが知らぬ間にCIAは副業を解禁したということかしら?」


「いやー、エージェンシーCIAもわたしが転職したことを知らないのではないでしょうか。普通に局に顔だしてますし」


「あの・・・・・・わけが分かりませんという答え、失礼に当たるかしら」

 

「巨大ロボットが走りまわってるこのご時世に、常識ぶっても始まりませんよ。

 なにせこの地はコロンビア。マジックリアリズムの発祥の地なのですから、偶然に偶然が重なって訳の分からない異次元空間に突入することだって、ままあるものでしょう」


「・・・・・・あの、失礼を承知で言います。人間の言語で話していただけませんか」


「なるほど、マジックリアリズムについてお知りになりたいのですね」


「わたし、もしかして喧嘩売られてます?」


「ざっくり説明するならば、どれほど奇怪な出来事であろうとも、繰り返されればただの日常と化すという概念ですね。

 仮に今ここで光りかがやく剣を携えたホビットが、大いなる悪を倒すべく毛深い足で走りまわっていたのなら、奇妙なこともあるものだと頭を傾げたくもなるでしょう。

 ですが、それが明日も明後日も再来週も走りまわっていようものなら、それはもはやただの日常。違和感なんて誰が抱きましょう? つまりそういうことです」


 困惑一色なこちらを無視して、理路整然としているのに理解不能なことをまくし立てられてしまう。


「わたしだってマジックリアリズムぐらい知っています。ガルシア=マルケスを代表格に、シュールレアリズムとの類似性が指摘されている文学用語ですとか、そんな基礎知識、誰だって知ってるものでしょう」


「いえ、知らないと思います。あまり知識をひけらかすと嫌われますよ?」


「・・・・・・」


 なんなのかしら・・・・・・これならいっそ銃を突きつけて欲しいぐらい、意味不明な敵でした。


 日本で聞きかじった知識ですけど、こういうのを日本では不思議ちゃんと呼ぶんだとか。言い得て妙ですね。


「できれば本題に入ってください。いつまでもこんな事に付き合ってられませんから。わたし、これでも忙しいんです」


「無職の居候の癖に偉そうですね」


「・・・・・・帰ります」


「はぁ・・・・・・その前にまずは1杯どうでしょう?」


 かたりとカウンターに置かれるメニュー表。


 ここで憤懣やるかたないまま部屋に戻ったところで、まず待ち受けているのはわたしの感性からはほど遠い悪夢のような部屋ですし、どうせこの女性も、次なるアプローチをほどなく仕掛けてくるだけでしょう。


 だってこのホテルは、どうやら相手のお膝元のようなのですから。


 グランドハイスト・アギーラカルバ。白頭鷲アギーラカルバといえば、アメリカの国鳥です。


 まさかとは思うものの・・・・・・下手をすれば、このホテルそのものをCIAが立てたという可能性もあるのです。正直やりかねません、CIAならば。


 ほんのり浮かしたお尻を、致し方なくストールに再度、着地させていく。


「アルコールは脳細胞を破壊します。わたし、お酒は飲まない派なんです」


「私は飲みます。それで、何にしますか?」


「・・・・・・CIAの人間って、みなさんこうも人の話を聞かないんですか?」


「本日、全品20%OFFとなっております」


 お金とるんですか・・・・・・あの血の繋がらない双子のなんちゃらという言動からして、これも下手くそな冗談なのかもしれませんけど。この女性、本当に表情変わらないせいで真意がまるで読めません。


 そうです。名前すら聞いてないですよ。


「あの、今更ですけど。せめて名前ぐらい名乗っても、バチは当たらないと思うんですけど」


「何をお飲みになります?」


「・・・・・・どうしてそこまでわたしに飲ませたいんですか?」


「はぁ・・・・・・実は尊敬している上司の教えでして。相手を口説き落としたいならば、とりあえずアルコール飲ませて判断能力を奪ってからにしろと」


 なるほど、これはノン・アルコール飲料を注文する千載一遇の好機というわけですね。


 禅問答のような意味不明なやり取りにいい加減、疲れてきたところです。ここでひとつ相手の鼻を明かしてやるのも、悪くはないでしょう。


 ですが・・・・・・ドリンクメニューに並ぶ名前は、どれもわたしに馴染みのないものばかり。カクテルというのは、なにせ人生で一度も触れてきたことのないジャンルでしたから。


 一度読んだらその内容は忘れない質なんですけど、興味がなければ、そもそも大本の情報に触れる機会もないわけで・・・・・・わたしにとってこのメニュー表、暗号のようにしか見えませんでした。


 ノンアルコール、ノンアルコール・・・・・・カクテルの中には、アルコールを含まないものも結構あると聞きますが、それがどれなのか知識不足で分からない。コーラ単品とか書いてないのが辛いところです。


「オススメ、聞いてみます?」


「アルコールで相手をベロンベロンにしてやると宣言してくるような相手には頼りません」


「そういわず、このトゥルーシルバーtrue-silverなんて如何でしょう?」


 ぴくりと、自分の肩が震えるのが分かりました。


 理解できない話というのは、だいたいが知識と知識が繋がらないせいで生まれてしまうものなのです。


 には、様々な異名がありました。バーテンダーさんが言うところのまことの銀トゥルーシルバーというのもその一つですし、採掘地から由来してモリア銀とも呼ばれています。


 その語源はシンダール語に求めることができるそうでして、灰色のを意味する“ミスmith”と、輝きの意である“リルril”をあわせた言葉が、世間的には一番有名でしょうか。


 ああ、そういえばありましたね? なんちゃらUSAとかいう強引なリクルートを進めてる会社が。ああ、転職先というのはそういう・・・・・・。


「かつてさる偉人は言いました。“酒は人類の友であり、それをともに飲み交わすその時こそ、その者たちもまた友になるのだ”と」


 したり顔でひけらかされる、この自称・名文。


 でもあいにくですね。わたしは元ネタを知ってるんですよ? なんであれば、当人が言うところの酒を酌み交わすことで友人になれるという理論を、あやうく実戦されかけたこともあります。


 まさかここで退役時の演説文を引用されるとは、困ってしまいますよね? ジェリーおじさま・・・・・・。


 バン!!!!


 むしゃくしゃのあまり、手のひらが痛くなるほどの勢いでカウンターを叩いてしまう。


「すみません、ついつい」


 謝ってはいます。でも我がことながら、笑顔のままの怒りというのは、中々に恐ろしいもののようですね?


 いつも鉄面皮な目の前の女性すら、びくりと後ずさってしまうほどの迫力であるらしく。


「・・・・・・今、わりとビビってます」


 なぜ一人称が複数形? 理性的な疑問は、早々に頭の隅に追いやられてしまいました。


 あるのは、親代わりの人物への怒りのみ。


「分かってます、分かってます。プレゼント攻勢にまるでなびかないわたしに業を煮やして、ちょっと刺激的な旅行でもプレゼントしてあけだつもりなんですよね?

 それともあれですか? 電話をずっと無視したことへのペナルティかしら? はたまた、おやこれは偶然だな―なんて、ひょっこり会うためのお膳立てとか?」


「・・・・・・もしかしてですが、わたしの転職先がミスリルUSAの南米支社だと感づいてたりします?」


 バン!!!!


 あら、いけない。また叩いてしまいました。


「驚いてしまったならごめんなさい。わたしもビックリなんですよ、自分は怒りを溜め込むタイプだとばかり思っていたのに、こうしてあんまりな事態にたまりかね、ついつい暴力的行為で発散してしまうなんて♪」


 また一歩、後ずさっていく謎の女性。あるいは、ジェリーおじさまの手下。


 そうですか、なるほど・・・・・・あの超スイートルームも、わたしを喜ばせる一手だったと。おそらくはおじさま自ら選んだに違いない初期のプレゼントたち、高級キューバ葉巻ですとか、高級ブランデーですとか、あの趣味全開の品々が思い出される。


 でもことの本質は、きっと空港でのメリッサの会話に隠れていると思われました。羽根を伸ばしてどうこうという、あれです。


 頭の固いわたしのこと、普通に誘っても無駄だろう。ですから、ここはひねりを加えて、アクシデントなら仕方がないと装うことにした。そう考えれば、ホテルの部屋に潜水艦をフューチャーしてる観光雑誌がおもむろに置いてあったのも、意味深に思えてくる。


 ただおじさまの誤算は、当人のその大雑把な性格と陰謀家気質、そして部下とのミスコミュニケーションでしょう。こういう人に黙って、裏でことを進めるのが本当に好きなんですからもう。


 目的のためには手段を選ばない諜報畑の人間。もっといえば、以前の仕事では独裁者の性悪部下とかを接待してスパイとして引き入れる仕事をしていたに違いない、そんな女性に演出を任せたのは、ほんとうに大間違いでしたね。


 感性があまりに俗っぽすぎる。それでいて、やり口は諜報機関お得意の強引さ。あんなにCIAカンパニーのこと嫌ってたくせに、どうしてこんな人材を雇い入れたのかしら。


「まったくもう・・・・・・あんな部屋でわたしが喜ぶとでも、本気で考えてたんですかあなた方は!? 

 思考方法が俗っぽすぎますし、やり口に進化もないし、なによりやり過ぎというものです!! シャワールームのタイルがぜんぶ金色だったんですよ!!」


 もう本当に、ちょっとジェリーおじさまとの関係について再考しなければならないかもしれません。


 わたしを心配してくれているのだからと、色々と目をつむってきましたが、これは流石に善意が重すぎる。 プライベートとプライバシー、二重に侵害されて誰が良い顔できましょうか!!


「・・・・・・」


 わたしの怒りがちゃんと伝わったのか、人を食ったような無国籍風のバーテンダーさんはしばし固まってから、


「・・・・・・なんの話?」


 などと、小首傾げてとぼけてきやがりました。さっきミスリルUSAの人間だと認めたばかりなのに、大した演技力ですこと!!

 

「・・・・・・もういいです」

 

 頬を膨らませ、意味もなくワンピースの裾を丁寧に整えつつそう言い放ってやりました。


「わたしを接待するようあなたの上司からは指示されているんでしょう?」


「ええと、まあそう解釈できなくもありませんが」


「そうですか。では、まずはわたしの要求に答えてください」


「あの・・・・・・そろそろ本題に入っても?」


「ヤ、です」


「気のせいでしょうか? どこか、認識に齟齬が生じてるような気が」


「まずは1杯と言ったのはそちらの方でしょう」


「それは、言い、ましたけども・・・・・・」


「では、そういうことなら遠慮なく――おしるこドリンクを所望します!!」


「どうぞ」


 まさかのコンマ1秒の返答に、あっさり攻守は逆転してしまいました・・・・・・いえ違うんです。無理難題をふっかけたつもり、だったんですよ?


 メリダ島の自販機になぜだがラインナップされていた、どうしようもないぐらい純和風な飲料水。


 ニューヨークに移ってからもあの懐かしい味が忘れられず、八方手を尽くして探してはみたんですが・・・・・・アメリカであんなニッチな飲み物を手に入れるのはやはり不可能なのでした。


 飲めないとなると飲みたくなる、説明不可能ながら、それが人間のサガというものです。日本の輸入食品を扱ってるお店があると知ればふらりと訪れ、棚にお目当てのものが見つからずガッカリして帰ったことが、何度あったことかしら。


 なのにアメリカ以上に日本とは縁遠い土地でわたしは、瀟洒なカクテルグラスになみなみと注がれている、黒くて粘り気があり、表面には明らかにあずきが浮かんでいる、見覚えのある飲み物を前にしていたのです。


「国産あずきを使用しています」


「どこの国産ですかッ!?」


 コロンビア産?!


 かぐや姫の故事にならって無理難題をふっかけてやったつもりが、逆にやり込められている、なんという恥の上塗り感。


 ですけど・・・・・・本当にこれどうやって用意したんでしょう。


 カクテルグラスに浮かぶあずきという、シュール極まりない構図をまじまじ眺めながら、わたしは悩んでました。飲むべきか、飲まざるべきか、そもそもこれは現実なのか。


 飲めば負けを認めるようで悔しいですし、かといってこの機会を逃せば、もう二度と飲めないかもしれない。


「ふふ・・・・・・」


 品のいい笑い声が横合いから。いつの間にやらバーカウンターの隅に、謎の女性客が優雅に腰掛けているではありませんか。


 ハイヒールを履いているのに足音がまるでしなかった第三の女性。彼女の姿には見覚えがありました。


 絶妙に計算された色っぽい角度で長い脚を組んで、頬をづえつきながらこちらを眺めている――チャイナドレス姿の女性。あんな奇異な格好をした方がそういっぱいいるとは思えません。エレベーターで乗り合わせたのと同一人物とあるとみて、まず間違いないでしょう。


 疑心暗鬼に揺れる心。


 まさか尾けられて? そんな疑問は、目の前にいる何を考えている女性のせいで、もっともらしく感じられてならない。


 そんなわたしの緊張を解きほぐすように微笑みながら、チャイナドレスの女性は言いました。


「変わった飲み物ね、それ」


 そうでしょうとも、途方もなく日本ローカルな飲み物でしょうし。


 まかり間違っても、糖分の暴力のようなこの飲み物がコロンビアで一般流通しているとは思えません。かすかなスペイン語の訛りで地元の出であると主張する彼女も、おしるこについて知らないご様子ですし。


 だとしたらコレ、どうやって仕入れてきたのかしら。


 わたしは小声で、目の前のバーテンダーの女性に話しかけました。


「・・・・・・まさか、これも仕込みじゃないでしょうね」


「性的魅力にあふれる相手にバーで話しかけられると、舞い上がってしまうタイプなんですか?」


「・・・・・・怒りました」


「“アレ”、あまり関わらない方が良いタイプです。それよりも、そろそろ本題に入るのは如何でしょう」


 初対面からずっと無表情だった彼女にしては、チラチラとチャイナドレスの女性を窺う目は、どちらかといえば動揺で揺れています。


「内密で話がしたいんですか?」


「はぁ・・・・・・できれば第三者などの邪魔がない、静かな場所に移動したいですね」


「わたし、性的魅力にあふれる相手にバーで話しかけられても、ひょいひょいついていくような軽い女じゃありませんから。お断りします」


 無国籍風の女性は蝶ネクタイがカッコいい、いかにもバーテンダーらしいユニフォームを見下ろしました。目線を追うに、自分の胸の膨らみを眺めているよう。


「われわれの入手した情報によれば、かつて横恋慕していた殿方にまるで相手にされなかったどころか、トドメに手痛くフラれてしまったそうですね・・・・・・それで、同性愛に鞍替えを?」


 わたしは無言でおしるこ入りのカクテルグラスを握り、席を離れました。


 謎の女性たちに取り囲まれてはおりますが、どうせ謎なら、元CIAのスパイよりも、ただの謎の女性のほうがなんぼかましです。


 バーテンダーの女性は、どうもチャイナドレスの彼女に苦手意識を抱いているらしいですし、ちょっと話すぐらいはいいでしょう。


 これで相手が異性でしたら場所柄も相まってちょっとアレでしたけど、まあ同性ですしなんて、気安さもありました。


「で? 何を飲んでるのかしら?」


 包容力のある大人の笑み。童顔なわたしと大違い、本当にバーという背景が絵になる女性です。


 そんな彼女の横に腰掛けていく。


「どうなんでしょう? どうにも得体が知れない不思議な飲み物ですから、なかなか飲む気になれなくて」


「どういうこと? あなたが注文したんじゃないの、それ?」 


 わたしの移動に合わせてスライドしてきた、人形みたいな無国籍風の女性がこちら見つめてました。


「どうしてか、このホテルの人たちはわたしを過剰接待してくるんです。

 わたしを誰か、大物とでも勘違いしてるみたい」


「ふーん」


 わたしの嫌味に、どこか意味深に返すチャイナドレスの麗人。


「過剰接待とか、麻薬業者ナルコスの大好物だからねぇ。ホテル側も癖になってるんじゃない?」


「あの・・・・・・自己紹介しなかったのが悪いんですけど、わたし別に、そういう危ない職業にはついてなくて」


「あら? あなたが麻薬業者ナルコスだなんて、一言も言ってないけど?」


 そう言って、蛇のように微笑むチャイナドレスの麗人。初対面だから仕方ないかもしれませんけど、どこか話がズレている気がする。


「じゃあ、本当に知らずに泊まったわけ? ここってカリ・カルテルが合法的に経営してるホテルよ」


「へ?」


 カリって、あの、エスコバル率いるメデジン・カルテルと覇を競い合った、ライバル組織の?


「ま、ホテル以外にも薬局だとか、スタジアムの経営だとか、手広くやってるみたいだけど」


 南米とドラック産業は切り離すことの方が難しい。そう言っていたのは、メリッサでした。


 別にカルテルだけでなく、ニューヨークを根城にしてるマフィアたちだって、表に掲げてる看板は、合法的なビジネスのそれじゃありませんか。


 犯罪組織だからこそ、好き勝手に動くために合法的なビジネスに手を出す必要がある。ですからカルテルがホテルを経営してたって不思議じゃないんでしょうが・・・・・・なんとなく足元を眺めて、このホテルに一段と居心地の悪さを感じてしまった。


「ふふ・・・・・・」


 そんなわたしを眺めて、また緩やかに笑っていくチャイナドレスの女性。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。カリは絶対に、表のビジネスを蔑ろにしない。

 むしろ裏の本業との繋がりを可能なかぎり断っているはず。だって、合法であることが一番大切な要素なんだから。

 ただ泊まるだけならトラブルに巻き込まれる心配はない。DEAの捜査官だとか、そういう特殊な事情がなければ、ね。」


「・・・・・・詳しいですね」


「仕事柄ね。で、どうなのかしら?」


「?」


「――実はカリの宿敵、モンドラゴンの大物だったりするの?」


「いえいえ!! まさか!!」


 慌てて手を振り、あらぬ疑惑を打ち消していく。


「わたしは平々凡々な・・・・・・た、ただの、無職です・・・・・・」


 実態としては、若すぎる年金生活者なんですが、どうしてそうなったのか経緯の説明が恐ろしくややこしいので、こんな風に説明するしかありませんでした。


 どうせ偽の身分証使ってるんですし、職業だって適当な嘘をつけばいいものを、嘘よりも適当という言葉が苦手なわたしは、もしかしたら不器用なのかもしれません。


「あっ、そ」


 縮こまるわたしを気遣ってか、言及は最低限のもので済みました。


「Ms.バーテンダー、注文をお願いできる?」


「本日は貸し切りになっております」


「OPENの字がずっと光ってるわ」


「マネージャーは買収したものの、いきなり仕事を奪われる格好になったバーテンダーがまるで引き継ぎ作業をしてくれなくて、消し方がわからず」


 やっぱりですか。


 不自然な反応しすぎだった禿頭のマネージャーさんのことを思い出しつつ、わたしはジト目を披露しました。そんなわたしを軽やかに無視する無国籍風の女性。


「本日、全国禁酒月間となっておりまして、酒類が全品ふだんの10倍ほどのお値段となっております。それでも居座ります?」


「わたしには全品20%OFFとか言ってませんでしたっけ?」


 ここぞというタイミングでちゃちゃを入れ、しれっとした顔でカクテルグラスを傾けてみました。


 まるで映画の一場面、胸の中でついガッツポーズを決めてしまう。ここで多くを語らずに瀟洒にカクテルを――おしるこですけど――口にすれば、わたしも大人の女性を気取れるかと思ったんです。


 たった一口、それだけでわかるおぞましい味。


 吐き戻しかけるの既で阻止し、涙目になりながら、まだたくさん残ってるおしるこドリンクらしきものを端っこに指で追いやりました。


 おそらく、成分を見れば9割方は懐かしのおしるこドリンクと変わりがないのでしょうが・・・・・・問題はその風味でした。どうしようもなくこのドリンク、チリ風味だったのです。


 南米だから安直にチリパウダーをきかせてみる。どこのどなたか存じませんが、他国の食品を雑にローカライズした担当者のそこのあなたに、わたしは余計なことをするなという言葉をお贈ります。ひ、人の、郷愁を弄んで・・・・・・。


 コン、コン。チャイナドレスの麗人がカウンターを指で叩きました。


「バージン・キューバ・リブレをオンザロックで。もちろん、ライムも添えてね」


「・・・・・・そうきました」


 カクテルに疎いので注文の内容はよく分かりませんでした。


 ですが差し出されてきた、氷を溶かしながらシュワシュワと音を立ててる黒い液体を飲みしていくその仕草は、もう見てられませんでした・・・・・・あまりにセクシーかつカッコ良すぎて、つい自分と比べてしまい。


 劣等感が襲いかかってきます。チリ風味おしるこドリンクを吹き出しそうになっていた女という称号は、どうにも認めがたいものがある。


 カクテルグラスにエロティックな口紅のあとを残す女性は、白黒映画時代のハリウッド女優を思わせる気品がみなぎっていました。格好は、チャイナドレスでしたけども。


「はじめまして、じゃないわね。エレベーターではどうも――ノルよ」


 遅ればせながらの自己紹介。

 

 細長い指がこちらに差し出されてくる。握手を求められているみたい。


 ノル。


 とっても短く、わりと国籍不明気味なお名前でした。


 一口にスペイン語といっても実は地域ごとにけっこう差がありまして。具体的には、国をまたぐだけで大阪弁と京都弁ぐらいに様変わりしたりする。


 そこにきますと、英語を話していてもときおり地が出てしまうらしいこの女性のスペイン語は、会話のはしばしに独特な表現を織り交ぜては、本場スペイン仕込みのわたしを混乱させてきた空港の職員方と、まるでおんなじなのでした。


 いえ・・・・・・謎の女性あらため、今からノルさんとお呼びすべきでしょう。


 差し出された手を握り返しながら、わたしも名乗りました。


「わたしは、テレサ=マンティッサっていいます」


 転ばぬ先の杖というやつでして、基本的に海外では偽名で過ごすことにしています。


 この名前、ミスリル時代からの古い偽装カバーながら、完成度が高いので今でも使っていたりする。だって、政府純正の偽造パスポートなんてデタラメ、もう二度できないでしょうから。


 テスタロッサという名字は好きです。ですが、この名前にいろいろと振り回されてきのも事実なんです。


 ですから時に、しがらみがまるでないマンティッサという偽名が楽なときもある。


 テレサ=マンティッサ。そう聞くと、ノルさんはちょっと不思議そうに眉を曲げられる。そんなに変な名前かしら? 割と、わかりやすくイタリア系の顔立ちしてるつもりなんですけど。


 それを言ったら、わたしもちょっと顔に出てたかも。握り返したノルさんの手の感触。指がところどころゴツゴツしていたのは意外でした。


 これは・・・・・・指ダコみたい。全体的に筋肉質なのは、なにか激しいスポーツをしているからかしら? そして無視できないものがもう一つ。ノルさんの右腕には大きく、褐色の肌でも目立つよう、うすく燐光を放っているタトゥーが彫り込まれていたのです。


 わたしはその図柄をつい先ほど、本で読んだばかりでした。


「ちなみに私の名前はア――」


「ありがとうMs.バーテンダーさん、おいしいお酒だったわ。でも今は、お客のプライバシーを優先してもらえる?」


「・・・・・・土下座したら出ていってもらえますかね?」


だけならともかく、しつこく客に絡んでく性悪バーテンダーとこんなか弱い女性を2人っきりになんかさせられないわね」


 どことなく言い回しに違和感が。


 うん、ううん? これもコロンビアの方言なのかしら? とっても男気あふれることを言っていた筈なのに、いまいち頭に入ってこない。


「あんまりしつこいようだと、?」


「・・・・・・おやまあ」


 穏やかな感じはそのままに、どこか圧力を感じる微笑み。それに無国籍風の女性も思うところあったようで。


「困りました・・・・・・チーフに教わった通りにやっただけなのですが」


 こっちには分からない事情みたいなものを呟きながら、無国籍風の彼女はバーの奥に去っていきました。


 そんな後ろ姿も完全に消えた頃、わたしはたまらず深々ーとため息をついてしまいました。疲れました。とっても疲れました。


「なんだかよく分からないまま助け舟を出しちゃったけど、もしかして迷惑だった?」


「えっ? いえいえ!! むしろたいへん助かりました・・・・・・ありがとうございます」


 正直、くたーとカウンターに突っ伏してしまいたいぐらいの心労を味わっていました。


 本当にどうしましょうこの状況。後処理が面倒くさすぎて、今からもう頭痛が止まりません。それこそ何もかも忘れて、どこか遠くに旅立ちたくなるぐらいに。


 サプライズで慰安旅行をプレゼント。そのとんでもはた迷惑なプレゼントの結果がこの精神状態とは・・・・・・おじさまやりましたね。ある意味で大成功ですよ。


「テレサ=マンティッサ、ね。テレサって、呼んでもいい?」


「縮めてテッサ、で構いませんよ。そっちのほうが呼び慣れてますから」


「テッサね」


「はい。ではこちらは、ノルさんで如何でしょう?」


「随分と丁寧ね。ちょっとイメージと違ったわ」


 そう、なのかしら。むしろ生真面目が顔に出ているタイプだと、自分では思っていたのですけれど。


 あいも変わらず蠱惑的に笑われるノルさん。


 一流モデル並みの美貌とこの笑いを組み合わせれば、それはもう男性の1ダースや2ダースを撃沈したに違いない。そう確信させるオーラが彼女にはありました。


 握手できるほどの距離まで近づくと、人の印象もまた変わってくるものです。


 初対面のときから感じてましたが、どうにもノルさん、年齢不詳気味でした。


 目を引く真紅の口紅に、誇張されているもののウザったさをまるで感じさせない絶妙加減なアイライナー、トドメに金色のウィッグと、完全武装がすぎて本来の顔がいまいち見えてきません。


 十中八九、わたしと同じ20代なんでしょうけど・・・・・・ハスキーボイスも相まって、まさかの50代も十分にありえる気がする。


 化粧で女は化けるもの。メリッサの一件で、それはもう身にしみて知っていた。


「それに奥ゆかしい。邪魔なら邪魔と、ハッキリ言ってもバチは当たらないと思ったけど。まるで日本人ヤポネーズみたいね」


「実はわたし、子供の頃に沖縄で暮らしてたことがあるんです」


 ハッキリ言えなかった苛立たちを、幼少期をほんの一時だけ過ごした日本に押しつけるのは筋違いだと、百も承知です。


 ですが自分の性格は、意外と日本の影響が強い気もする。


「オキ、ナワ?」


 クールな顔立ちそのままに首を傾げて疑問符を浮かばせるノルさんの仕草は、どことなく可愛らしい。


 そのギャップについクスッっと笑ってしまい、ちょっと心の軽くなったわたしは、懐かしい土地の名前をふたたび口にする。


「沖縄は、日本からちょっと離れたところにある島の名前ですね。アメリカにとってのハワイみたいなものというのが、一番伝わりやすいかしら?」


「初めて聞いたわね。でも、ヤポン日本についてはちょっと知ってるわ。

 大切な知り合いに、やたらとヤポン好きの女が居たから」


「そうなんですか?」


「ジャポンはフジヤマがボルケイノで、ゲイシャが腹切りせっぷくで、サムラーイはさらりまんとスシを食べ、ニンジャとかいう特別な種族が山の奥に生息し――あと、埼玉県民という奴隷階級が住んでいる」


「なんで最後だけイヤに具体的なんですか・・・・・・」


 埼玉県民になんの恨みが?


「えっ、何か変だった?」


「どこが変かといえば、強いて挙げるなら全部なんですけども・・・・・・」


 元ネタはどこなんでしょう、この日本への風評被害。純度100%の信じ切った眼差しに、わたしはハッキリと言い返すことができませんでした。


 あっ・・・・・・やっと理解する。思いがけない出来事が、ひょんなことから答えに繋がることがある。わたしにとって今のくだらない会話がそれでした。


 わたしはもう、かつてのように言い返すことができない。昔なら絶対にありえなかったことです。戦隊長としてたくさんの責任を背負いわたしの迷いは常に誰かの死につながっていた。


 ですが、今は違う。


 昔だって、それはもういっぱい悩みましたけど、進む道に迷いはなかった。だってわたしには目的があったから。


 贖罪リデンプションとも、復讐リベンジともつかない感情を胸に、すべての間違いを直そうと必死だった。だからこそ大の大人たちを従えて戦場に赴くなんて無茶もできた。


 多くの犠牲を払いましたが、その意味はあったのだと確信している――ですが今は? 


 すべきことがありました、でも何もかも成し遂げてしまった。あとに残ったのは、身の丈に合わない大きすぎる問題を解決するために才能を研ぎ澄ませすぎた、戦争しか能のない女だけ。


 わたしの人生は宙ぶらりんになっている。あの、世界の裏側で起きた戦争が終わってからずっと・・・・・・自分が生きる目的を見いだせないでいるのです。


 あのささやき声はもう聞こえない。ですが、ウィスパードという爆弾はまだわたしの中で眠っている。もう出涸らしのように使い古されたアイデアしか眠っていなくとも、使う者によっては、また世界に災厄を振りまきかねない危険なものではある。


 わたしの悪い癖ではあると重々承知してはいるんです。何もかも自分1人で抱え込んでしまう。だからみんな心配して、時にちょっと身勝手でもある善意が巡り巡って、わたしをコロンビアへと導いた。


 ですからそう、直接的にはわたしを心配したジェリーおじさまのお節介だとしても、もとを辿ればぜんぶ――自分のせいなのです。


 このままではいけない。でもどうすればいいか分からない。周囲への申し訳なさと、モヤモヤした気持ちが綯い交ぜになって、感情を持て余してしまうのです。今のように。


「ところで・・・・・・あなた1人きりなの? 他に同行者とかはって、どうかした?」


「あははは・・・・・・」


 もしかしたらホッとしてしまったのかも。


 異国の地で1人きり。そんなのこれまでの人生を思えば大したことない、そうたかを括ってはいましたが、思いのほかストレスになっていたみたい。


 ノルさんとのくだらない雑談。くだらないからこそ、信じられないほどの安心感が身を包み、つい疲れたようにバーカウンターに頬杖をついてしまう。


 大丈夫ですとか、どうしたのでもなく、何も言わずにノルさんは置いてあったナプキンを差し出してきました。


「口元についてるわよ、飲み物のあと」


「うっ」


 顔の熱さを感じながらもナプキンを受け取り、丁寧に口元を拭っていきました。そんなわたしをノルさんは、余裕ある大人の態度で見守っていました。


「悩みがあるなら相談に乗るわよ?」


「出会ってほんの数分の相手にですか?」


「それを言ったらセラピストなんてどうするのよ。出会って数分の相手に、それもお金まで払って胸の内をぜんぶ晒すのよ?」


 色香漂う大人の女性。それだけだと気後れしてしまいそうなるのに、所々でユーモラスなのが、この人の侮れないところです。


 なんとも優しく、ちょっと変な人。


 ふとメリッサが言っていた、“新しい出会い”なんて言葉を思い出しました。


 なにせ根が中年オヤジですので、色恋方面の意味合いで言ったに違いない。ですが別に、友情だって新たな出会いの範疇に含めたても構わないでしょう。


 メリッサの言っていた護衛さんと合流する。おじさまと深刻なすれ違いについて、キチンと話し合う必要もある。どうせ、気の重い問題にこれからどしどし対応しなくちゃいけないんです。今だけはこのホッとした気持ちに浸っていたい。


 ついそんな甘えが出てしまった。


「そこまで言うんでしたら、もうちょっとお互いについて知ってみるのも悪くはないかもしれませんね」


「慎重ねぇ。まあ、その逆よりはマシかしら」


「女の1人旅は慎重なぐらいがちょうどいいんです」


 そう冗談めかして言ってみる。


「ふふ、なるほどね。でも普通に話すのもあれねえ。別に面接ってわけでもないんだし・・・・・・そうだ、推理ゲームにしない?」


「もしかして、相手の出身を僅かなヒントから当ててみるとか、そういうのですか?」


「まだ始めって言ってないわよ」


 2人顔を合わせてちょっと笑ってしまった。どうせ当面は暇なのです。だったらこういうのもたまには悪くはないでしょう。


「じゃあフライングのペナルティね。どうぞお先に、銀髪のお嬢さん」


「いきなりですね・・・・・・えっと、じゃあ、ご出身はコロンビアですか?」


「簡単すぎ。コロンビアで出会った、コロンビア訛りの相手が、もしコロンビア出身でなかったら、そっちの方が驚きだわ」


「でも正解は正解です」


「フライングのペナルティとして――」


「正解は正解ですよ。どうぞ、次はノルさんの番です」


「・・・・・・意外と押しが強いわね」


 唇を尖らせて抗議の声をあげるノルさん。意外とこの人、子どもっぽい面があるのかもしれません。


「実家がお金持ち」


「出身を当てるゲームじゃなかったんですか・・・・・・」


「そこらの安物じゃなく、耐久力に秀でた実用性一辺倒なポシェットとスニーカー。この2つだけ見るといかにも旅慣れている感じだけど、服装を見るとファッション優先。

 つまり、旅のリスクについてちゃんと心得ているアドバイザーが側にいるみたいね」


 ちょっと趣旨からずれている感じはしましたが、鋭い推理につい舌をまく。


 大当たりでした。このポシェットとスニーカーは、物を知らないわたしに旅のアレコレを指南したメリッサおすすめの品なのでした。


「よく分りましたね・・・・・・ちなみにですけど、わたしの出身はバージニア州のポーツマスです」


「それってジャポンのどの辺り?」


「もしかしてノルさん、地理に恐ろしく疎かったりします?」


 言うまでもなくポーツマスはアメリカの都市です。


「でもこれで私の勝ちね」


「抗議します。どうしてそうなるんですか」


「鋭い推理であることを認めたのはそっちよ? コロンビア出身なんて安直すぎ。せめてどこの街の出身かぐらい当てて欲しかったわね」


「ムリ言いますねぇ・・・・・・」


「降参する?」


「次はわたしのターンです」


「押しが強くて、負けず嫌い」


 そういう路線でしたら、こちらにも考えがありました。


 しょうしょう居住まいを正して、真剣にノルさんの姿を観察していく。失礼かもしれないと危惧してたんですが、見られてる当人ときたらむしろ嬉しそうに、ちょっと品を作ってポーズしていく始末。


 この色気の陰には、自らへの自信も貢献しているみたい。

 

「当ててみて?」


 イタズラぽい笑いに対し、こっちは大真面目でした。


 負けず嫌い、それはあります。なんでしたらわたしの人生とは、女で、ましてや子どもに何ができるのかという偏見との戦いだったと極論してもいいほどに、どれほど大人の鼻を明かしてきたことか。


 上から下までチャイナドレス姿の女性を眺めてデータを収集。全力で脳みそに演算させ、推論をくみたてていく。


「あの、あんまりにも的外れだったり、もし不快でしたら止めてくださいね?」


「敗北宣言かしら」


 そういうことでしたら、もう容赦しませんとも。


「浅黒い肌に彫りの深い顔形からして、先住民インディオの血が濃く出ている白人との混血メスチーソでしょうか?」


 さっきまで余裕たっぷりだったノルさんが、急に驚いたように目を見開いていく。


「利き手は右手。さらに右肩の方がちょっと長く、また指にできたタコの位置からして何らかの射撃競技を嗜んでいるみたい。ハイヒールを履いていてるのにまるで足音が鳴らない器用な脚さばきに足の筋肉の付き方からして、ダンサーでもあるみたい」


「・・・・・・」


 これは手痛い裏切りの後、人を見る目をもっと鍛えようと自らを高めてきた成果だといえるでしょう。


 つまりは職業病。FBIの尋問マニュアルですとか、各種の教材を読み漁るだけでも割といい線いけるのです。


 20歳の小娘がひけらかすにはちょっと怪しすぎな人間観察力でしたが、ついつい負けず嫌いの血が騒いでしまい――人はそれを、きっと悪い癖と呼ぶのでしょう。


 あらかた言い終えてから、わたしはノルさんが凄まじく面食らっていることに気がつきました。背中をすすっと走るこの悪寒、なんでしたら、やらかした感と言い換えても構わないでしょう。

 

「あの、気に障りました・・・・・・か?」


 恐る恐るな問いかけも致し方なし。


 ちょっと良い雰囲気になってきた矢先にこれでは、嫌がられても仕方ないでしょう。


「いえ別に。とくに気にしてはないけれど・・・・・・ただちょっと不気味なだけ。どこでそんなスキルを手に入れたのよ」


 訝しむように問われてしまう。


 実は極秘の傭兵部隊で潜水艦の艦長さんをしていたもので、その縁でちょっと変なスキルをたくさん身につけてるんですよー――などと告白してみたくなる、ある種の破滅願望が鎌首をもたげてくる。

 

 そうでした。わたしの事情を知らない方と語らうのは久しぶりで、つい勝手を忘れていた。


 そうですね。深く踏み込まないのがお互いのためでしょう。ですから降って湧いてでた破滅願望は、胸のそこに丁寧に封印しておきましょうか。


「えーと。当たって、ました・・・・・・か?」


 怪しまれていても、とくに嫌がられてはいない。そんな微妙なニュアンスが感じられたので、話題ずらし作戦を決行してみる。


 結論からいえば正解のようでした。話題をずらすのも、わたしの推理も。


 いつもの妖艶さをやや引っ込ませ、膨れっ面をみせるノルさん。意外と可愛らしい人なのかもしれません、この方。


「九割九分ってところね。正直いって不気味の部類」


「すみません・・・・・・」


「別にいいわよ、話を振ったのこっちなんだから。

 ダンスは、仕事のために習ったエセ・フラメンコ。射撃競技の方は、エアライフルを少々ね。こっちはオリンピック競技にもなってるから知ってるでょ?」


「ああやっぱり。右肩だけが発達してるの、そのせいなんですね」


「・・・・・・ほんとに長い? 指摘されたの初めてなんだけど?」


「えっと、知り合いに週3000発は撃たないと気がすまない人たちが大勢いまして。みんなそろって利き手側が長かったんです」


「・・・・・・あなた、特殊部隊の元隊員かなにか?」


 わたしの貧相な身体付きからして、まさか本気で言ってはいないんでしょうが、わりとシリアスめな問いかけではありました。


 これが微妙にいい線いってるのが、どうしたものかしら。いえいえ、わたし自身はからっきしですけど、特殊部隊崩れの隊員たちのお給料は握ってましたよ?って、すごく言いたい。止まらないイタズラ心。


「どうしてその推理力を出身地当てるのに活かせないわけ?」


 呆れた口調も致し方ないでしょう。あの答え、我ながら酷いものでしたから。


「わたしだって、ノルさんがアメリカのお生まれでしたらこれはシアトル出だなーとか、それはミネソタ訛りですねとか、鋭い推理力を発揮できましたよ。

 でも、本当にコロンビアについはぜんぜん知らないんです」


 ブラジルのことなら幾らでも語れますけど。伊達に図書館に泊まり込んでいません。


「行き先なんて風任せ、ついふらっとコロンビアを訪れてしまった。そういうこと?」


「ええと、そんな感じです」


 深く突っ込まれるといささかマズイ、本来の旅の目的。


 ですが濁し方があまりに下手くそにすぎて、何かを察したようにノルさんは不自然に黙りこくってしまった。


 これまでの会話でわたしの完璧主義、知られてるでしょうから。これは話せない裏の事情があるんだなと、なんとなく気づかれてしまったみたい。


 わたし、嘘つきとしての能力は低いみたい・・・・・・人としては健全なのかもしれませんけど、生き辛さに一役買っている気がしないでもない。


「じゃあ大ヒント。コロンビア第3の都市の生まれよ」


「・・・・・・」


「・・・・・・常識なんだけど」


「ですから、本当に知らないんですっ!!」


 空港で買うべきは、歴史本ではなく地図帳だったみたい。もう手遅れにすぎますが。


「ボコタぐらいは知ってるわよね?」


「もちろん、コロンビアの首都ですね。新聞に載ってた世界の首都一覧で見ました」


「普通、そんなちょろっと見ました程度の情報って覚えていられる?」


「アッシリアの首都はアッシュールといいます」


「ちなみに、それって実在してる国?」


「14世紀頃まではそうですね」


 ノルさんはカクテルグラスを煽り、口を湿らせてました。もう空っぽだとばかり思ってたですけど。


「1819年に成立した大コロンビア最初の首都の名はアンゴストゥーラ、次にククタ、そして最後ボコタになります」


「そこまで知ってて、どうしてコロンビア第3の都市がカリだって知らないのよ・・・・・・」


「カリ、ですか」


 コロンビア第3の都市がそんな名前をしているとは、正真正銘に初耳でした。ですが“カリ”という名前そのものには、聞き覚えがあったのです。


 わたしの意味深な呟きは、ノルさんもちゃんと聞いていた。


 発祥の地がメデジンという街だから、・カルテル。その命名法則を念頭に置けば、現在コロンビアで最大の犯罪組織であるカリ・カルテルの本拠地がどこであるか、自然と察することができます。


 あの本に書かれていたことです。


 麻薬カルテルはその名のとおり麻薬を商売の中心に据えていますが、大企業がそうであるように、カルテルもまた商いを多角化することでリスクを分散している。


 すなわち、彼らはお金になるなら何でもするのです。


 町の商店からみかじめ料を徴収したり、時にはパイプラインに穴を開けて石油を吸い出したりもする。もちろん――誘拐業だって大きな柱になっている。


 わたしには特殊な事情があります。それは狙われる理由としては十分すぎるものですが・・・・・・この国で誘拐されている年3000人もの人々が、すべてウィスパードであったはずもない。


 カルテルからすれば、外国人というだけでも価値があるのです。


「・・・・・・」


 楽しい会話で忘れていた不自然さ。


 ノルさんはどうしてあのエレベーターに? どこの階にも降りようとせず、今はこうしてわたしの隣に腰掛けている。


 高級ホテルを訪れた、地理に不慣れで、そのうえ人きりのか弱い女。誘拐犯から見ればこれほど狙いやすいカモもいません。


 ふっと湧いてくる疑念。


 まさか、という気持ちはある。ですがそれを打ち消せるほど合理的な根拠が思いつかないのも、また事実なのです。


 視線をつーと、彼女の右腕へと下げていく。


 そのタトゥーは強い明かりの下だと、艷やかなノルさんの浅黒い肌に混じってよく見えなくなってしまうみたい。ですがここはバー。薄暗い照明が演出装置として張り巡らされている。


 UVタトゥーという、暗闇で光りだす特殊なタトゥーがあることは知っていました。流行り物好きのニューヨーカーはこういうのが大好きですから。


 握手したときにも微かに見えたのですが、バーカウンターがうまい具合に光を遮ってくれたお陰で、今はハッキリと全貌がうかがえる。


 一見して宗教画のようなデザインでした。


 外套を頭からすっぽり被り、右手には鎌を、左手には地球儀を把持している。思い出されるのは聖母マリアの姿。ですが外套の下にあるその顔は、慈愛に満ちた女性の姿などではなく――骸骨だったのです。


 サンタ・ムエルテ死の聖人


 南米全土に広まりつつあるという新たな民間信仰、その守護聖人をノルさんは、みずからの右腕に刻み込んでいたのでした。


「あの、つかぬことを伺いますけど――」


 嫌な予感のせいで、自然と居住まいが正されてしまった。


 バチカンからサンタ・ムエルテ信仰が異端認定されてしまったのには理由があります。この死の聖人は万人を守護するのです。それこそ罪人たち、すなわちカルテルの関係者にすら加護を与えている。


 南米は、信仰心がとても厚い土地です。


 そんな場所で教会から見捨てられてしまった人々からすれば、何かに縋りたくなる気持ちもわかります。


 その受け皿こそがサンタ・ムエルテ。カルテルのアジトでは、この骸骨姿の聖母像がよく発見されるそうなのです。


「よろしければノルさんのご職業を、教えていただけませんか?」


 ノルさんの笑い方は変わりません。変わったのは、受け手であるわたしの心象のみ。


 どこか不気味に、うららかに笑いながら、ノルさんは囁くように言うのでした。


「当ててみて?」


 と。




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