XIV “MSCトラソルテオトル”

【“テッサ”――MSCトラソルテオトル、隠し娼館内】


 官給品らしきベレッタM92を構えるヤンさんを先頭に、わたしたちは監禁場所からの移動をはじめる。さすがは本職、それも第一線にいただけはあります。慎重かつ素早いクリアリングをしつつ、ヤンさんは道先案内人を務めていきました。


 走って逃げたいのは山々ですが、焦りは失敗のゆりかごです。ノルさんにまだ気づかれていないというアドバンテージを最大限に活かすには、慎重に動くほうが良い。そうわたしたちは踏んだのでした。


 ですがそんな理屈をつけずとも、わたしの足並みは自然と遅くなっていたに違いありません。だってここは、おそるおそる足を踏み出したくなる異様な空間だったのですから。


 長く、暗い廊下には無数の扉が並んでいました。


 区画全体が停電しているせいでよく見えませんが、フラッシュライトの光りが撫でるたびに、いかにもな彫刻が施されている厳しい扉たちが姿を現してくるのです。


 いずれもわたしが閉じ込められていた部屋とまったく同じ仕様でした。違いといえば、せいぜい部屋番号の書かれたネームプレートぐらいのもの。つまりこれは、部屋の中もまた同じデザインという意味に他ならず・・・・・・深夜のお墓を散歩している方がまだ気分が楽でした。


 少なくともあちらには、悪意がありません。


 一見すれば格式高いホテルに見えなくもないのに、区画全体が執拗なまでに長方形のデザインであることが、ここの空間が実はすべてコンテナ製であることを何よりも物語っている。


 コンテナ船に山盛りにされたコンテナたち。本来ならば貨物が詰め込まれるべき場所に、このような秘密施設が広がっていた――ヤンさんの証言によれば、そういうことであるらしい。


「トラソルテオトルですか・・・・・・」


 呟くように、ついこの船の名を口にしてしまった。初めて聞いた時からずっと引っかかっていた船名を。


「大佐殿、その船名に聞き覚えが?」


 あくまで視線は前方に据えたまま、ヤンさんが小声で尋ね返してくる。


 聞き覚えは、あるといえばあります。ですがそれこそ偶然の一致な気もするのです。


「・・・・・・なんでもありません。たぶん、ただの偶然だと思いますから」


 そうです、きっとテオフィラさんがわたしとそっくりなのと同じ理屈のはず。


 あの高級ホテルでたまたま見つけたメモとこのコンテナ船との間に、まさか関連性があるはずもない。この船とホテル、どちらもカリ・カルテルの息が掛かっているにしてもです。


 これはいくらなんでも、偶然が過ぎる。


 天井を照らさぬように、電源の入っていない壁掛け照明たちはどれも下向きで固定されてました。室内がそうであるように、天井で無数に交差しているパイプ群が邪魔をして、吊り下げるタイプの照明器具が使えないという事情もあるでしょう。


 ですがその配慮、わたしには逆効果に感じられる。


 ヤンさんのフラッシュライトが天井を照らすことはありませんが、ときおり反射光のせいで、虫だか触手だかが頭上で絡み合っているように錯覚してしまうのです。


 パイプまみれな不気味な洋館。次の曲がり角で怪物が待ち構えていてもまるで驚かない、そんなホラー映画じみた邪な雰囲気があたりに満ちていました。


 殺人を娯楽として提供する、死の娼館。


 異常心理なんて、その道の専門家だって解明しきれてない分野なのです。需要と供給の“需要”の部分については、わたしの専門外として放置しておくにしても・・・・・・巨大なコンテナ船をまるまる1隻潰してまで儲け出る商売なのかしらと、対テロ対策に身をおいていた者特有の現実的な思考が、“供給”の部分にツッコミを入れてくる。


 テロリストを追う時、お金の流れを追うのが一番効率的でしたから。


 カルテルはある意味でもっとも素直な営利団体です。その組織構造は、徹頭徹尾お金儲けのためだけに構成されている。


 というよりも、そのお金儲けという本分から外れて自分のエゴを実現しようとして破滅した、パブロ=エスコバルの教訓をのちの世代が引き継いだということなんでしょう。その法則に従うなら、この施設だって儲けを出すのが第一義のはず。


 船というのは存在するだけでお金がかかるものです。船内の機能を使いたいのなら発電機をずっとフル回転させなければいけませんし、巨体ゆえにその燃料代も馬鹿にならないはず。


 人の住んでいない家は荒廃が早いと聞きますが、海風ともっとも相性の悪い金属製の船体は、保守整備にいろいろと手間がかかるもの。


 これだけでもだいぶ出費が嵩んでいる印象ですけど、コンテナ船クラスの船体が停泊できる港は限られているという点も気になります。


 コンテナ埠頭なら申し分ありませんし、実際にヤンさんによればこのMSCトラソルテオトルは、コンテナ埠頭に停泊中のこと。つまりまるまる1隻分のスペースがこの船に専有されていることになる。


 この国に深く根付いている賄賂文化を思えば、港湾労働者組合等にお金を支払えば問題ないでしょうが、普通にコンテナの荷揚げをするよりも高い金額でなければ相手が納得しないでしょう。逮捕というリスクも加味すれば、支払う額もさらに跳ね上がざるおえない。


 船というのは、ただ存在するだけで金食い虫になるんですよ。トゥアハー・デ・ダナンを長いあいだ運用してきたわたしが言うんですから間違いない。


 いつでも移動できる拠点として船を選んだというのはなかなかに有力な仮説ですが、コンテナの中にこうまで大規模な施設を作ってしまったら偽装が難しそうです。


 コンテナを満載しているにも関わらず、港に立ち寄っても荷揚げしたりせず、ただ出入りするだけの船。補給の都合など適当な理由はでっち上げられるでしょうが、いずれ嫌疑が掛けられてしまいそう。だって、すべての港で賄賂が通用するとは思えませんから。


 となれば、やはり当局に通報されないよう関係者をすべてお金で買っておいた港に留まり続けるのが得策でしょう。膨大な維持費用を払いながら、アクセスの悪い商港にアジトを構えつづける? それほどまでに・・・・・・言い方は悪いですけど、ニッチな需要しか見込めないこの娼館が儲けていたとは思えない。


 秘密施設を作るなら、わたしなら素直に陸地を選ぶでしょう。コストの面からも、安全性の面からも、潜水艦の基地機能がどうしても必要だったメリダ島のような特殊なケースを除けば、そっちのほうがずっと合理的というものです。


 ですがこの娼館の管理者たちは、わざわざ船を選んだ――どうして?


「・・・・・・」


 見つかってはならない、それは百も承知です。つい先ほどだって、独り言を聞き取られてしまったばかり。いつノルさんが現れてもおかしくないこの状況下にお喋りなんて戦術的には最低な行為。


 ですが、止めどない疑問の答えを求め、ついつい質問が口を突いて出てしまう。


「ヤンさん。こんな施設、他で見たことがありますか?」


 わたしは自分に振られた軽い役回り、背後をそれとなく警戒する役をこなしつつ、ヤンさんの背中に話しかけていきました。


 するとわたしと同じく小声の答えが返ってくる。


「いえ・・・・・・でも正直なところあまり驚きませんね。カルテルの連中の発想力にはいつも驚かされてますから」


「ですけど、港に停泊させたコンテナ船の中にこんな施設を作るなんて・・・・・・」


「大佐殿は、カルテルの連中が潜水艦を運用していることはご存知ですか?」


「ええ、そういう話があるらしいと小耳には挟みましたけど」


「ほとんどはモーターボートに覆いをした程度のお手軽な半潜水艇なんですが、つい最近だと、司令船から自動誘導するタイプの魚雷型輸送船なんてものが開発されたそうでして、沿岸警備隊コーストガードがずいぶん神経を尖らせてるそうです」


 またそれは・・・・・・カバが街中を暴れまわってる並に奇怪な話すぎて、ついつい押し黙ってしまった。


「すべてが偶然かもしれないと大佐殿は仰ってましたが、正直なところ自分もそうかもしれないと思い始めてます。

 この国で起きた理解できない出来事になにか意味があるとしたら、それは“理解不能”ということなんですよ」


「深く考えたら負け、ですか」


「自分は戦場でいろいろな物を見てきましたが、この土地は異様ですよ。

 下手な戦争以上にたくさんの人が、それも信じられないほど残虐なやり方で殺されてるすぐ横で、さも当然という顔をして平和な日常が営まれてる。

 非日常が日常化していて、もう自分には何がなんだか・・・・・・」


 わたしがおとぎの国なんて勝手なあだ名で呼んでいる、摩訶不思議な世界。そう感じてしまった経緯は違えど、ヤンさんもまたわたしと似たような結論に至っていたようです。


「ですので、ええ、あまり深く考えない方が良いかと」


「でも納得できないわ、娼婦の確保とかどうやってたのかしら。

 行っても誰も帰ってこれない娼館になんてすぐ噂になるでしょうし、誘拐同然に連れてくるにしても、その諸経費が安くつく筈がない。

 もしかしたら、この船の本当の狙いは別にあるんじゃ――」


「大佐殿」


 穏やかながらもぴしゃりと、暴走していくわたしの思考をヤンさんは制しました。


 再会の喜びがひと段落する頃には、ヤンさんの声に冷たいものが潜んでました。すべての感情を引っ込め、プロとして冷静に任務を遂行するだけだという感じ。


 知らず知らずのうちに、西太平洋戦隊を率いていた頃の言葉使いにわたしはなっていました。大佐殿なんて久しぶりに呼ばれて、のぼせ上がっていたのかもしれません。


 わたしは保護されるべき民間人であり、ヤンさんは捜査官にして、なによりも大人なのでした。


「僕がミスリルに入隊する最後の決め手になったのは、人命を尊重するという組織方針でした。

 今は、自分の保身のために連絡を怠ったのが恥ずかしくてなりませんよ。ここを脱出したら自分の処遇なんてどうでもいい・・・・・・かならず上に委細すべて報告します。だって――」


 ヤンさんが、これまで通り過ぎてきた、暗闇の中に隠れているたくさんの扉を見渡しました。


「この施設で犠牲になったのは、明らかに100や200じゃすまないでしょうから」


 だからわたしは家に帰るべきだ。何度も自問して、そのたびに結論づけきた内容を今度は、元部下の口から聞いていた。


「ごめんなさい・・・・・・」


 懲りもせず、なんど同じことを繰り返せば気がすむのでしょう。


 出過ぎた真似をしてしまったわたしは、反省の念から黙りこくる。それがよほどしゅんとして見えたのか、ヤンさんは申し訳なさげに何か声をかけようとして、結局は何も言わず先に進んでいく。


 一転して、2人して無言で歩いていると、


「大佐殿、ここです」


 ほどなく、そう言ってヤンさんが足を止められる。


 一見すればただの廊下の突き当たり。ですがよく目を凝らしてみれば、真っ赤な壁紙に書かれているユリの花を抽象化した紋様フルール・ド・リスのうえに、奇妙な分割線が浮かんでいるのが見えました。


 隠し扉――というよりも、景観を崩さなぬよう背景と溶け込ませたという所でしょうか。


「ここから外へ・・・・・・ん?」


 壁紙と同じく、赤色で擬態してるドアノブに手を添えたヤンさんでしたが、急にはたと固まってしまう。


 理由がわからず、元部下の肩越しにわたしは戸惑うしかありません。


「どう、したんですか?」


 ただならぬ緊張感。扉を睨み続けるヤンさんの視線がドアノブからつーと上に登っていく。何かを直感したとしか思えない、そんな反応です。


 直感というのはなんとも非科学的な響きがありますが、過去の経験が無意識に引き出されて警告しているのだと表現すれば、わりかし納得できる概念に落ち着くはず。


 戦場に長く身をおくほど、この直感という感覚は研ぎ澄まされていくものだとわたしは知っていた。自分自身、こういう感覚に助けられたことが何度もありますから、ヤンさんの唐突な行動をしずかに見守っていく。


 ヤンさんは隠し扉の縁にあわせて指を這わせていきました。その指がドアの最上部、一番暗いところで止まる。


 これまでわたしたちの足元を照らしてきてくれた軍用フラッシュライトの先端を手のひらで覆いながら光量を抑えつつ、指を止めたのと同じ箇所をヤンさんは慎重に照らしていきました。


「まさか・・・・・・」


 愕然とするヤンさんの視線の先にあったのは、鉄の箱でした。隠し扉と溶け込むように赤いペンキで塗装されている、ですが荒々しい塗られ方をした不自然すぎる物体。


 箱の正体は不明なままですが、元SRT隊員がこんな反応を示したともなれば、自ずとその正体に察しはつきます。


「すいません大佐殿、ライトをお願いできますか?」


「はい」


 わたしはフラッシュライトを受け取り、ヤンさんに倣って手のひらのフィルター代わりに覆い隠しながら、その爆弾とおぼしき鉄の箱を照らし出していきました。


 両手がフリーとなったヤンさんは、現代の十徳ナイフことレザーマン社製のナイフをベルトに貼りついたケースから取りだして、中からプラスドライバーを引き出していきました。


 ドライバーが箱のネジ穴に押し当てられる。ぽろぽろネジが床に落下していくと、開かれたケースの中から精巧な機械細工と、空き空間にめいいっぱいまで埋め込まれた油粘土が姿を現しました。


 これは・・・・・・見た目こそ粘土そのものですが、どう考えてみてもその正体はプラスチック爆弾の一種とみてまず間違いない。


 他にも、箱を起点にして何本ものコード――導爆線が伸びているのが見えます。壁紙の下に隠されているこの導爆線の行きつく先は、おそらくこの仕掛け爆弾と連動している他の爆薬たちに違いありません。


 この区画全体に爆薬が? 扉の開閉がトリガーとなって、この箱を起点としてすべてが連鎖的に破裂する。なんとも悪辣な仕掛け爆弾でした。


 だとしたら疑問が浮かぶ。なら、どうしてヤンさんが入ってくる時にこの爆弾は発動しなかったのか?


「やられた・・・・・・なんで気づかなかったんだ」


 悔しそうにヤンさんが呟く。

 

 扉というのはいわば死角を生み出すための装置なのです。上下左右どこにでも爆弾は隠せますし、それも人の手で開閉しなければならないという都合上、タイミングを合わせるのが難しい起爆手段も迷うことがありません。


 ですがそんなブービートラップの可能性なんて、ヤンさんだってよくよく心得ているはず。侵入にあたって彼が油断していたとも思えない。


 上手く偽装していたとしても、仕掛けが動きだす微かな音や扉の引っかかりといったヒントは残るものです。そういった細かなサインをSRTの元隊員であったなら、見逃すはずがない――それとも、そんな玄人すら騙しおおせるほど高度な爆弾ということなのでしょうか。


 あらかた爆弾を調べ終えてから、ヤンさんが感想を述べていく。


「扉が開くとセイフティが外れ、2度目の開閉で起爆する遅効性のトラップ。おそらくですが、そういうタイプのようです」


 爆弾解体については門外漢ですが、エンジニアリングについてはちょっと自信のあるわたしも装置を見て、その意見に同意しました。


 プラスチック爆弾の表面には、無数のネジ釘が埋め込まれてました。


「この爆薬、明らかに広範囲にネジ釘をばら撒くことを企図しているわ。足止めや警報代わりではなく、一旦侵入させてから敵の一挙殲滅を狙う、ひどく攻撃的な配置ですね」


「外から観察していた時には連中、とくに手順を踏んだ様子もなくドアをくぐり抜けていたので、調べ方がおろそかになっていたのかもしれません・・・・・・自分の落ち度です」


「連中というのは、ノルさんとケティさんのことね」


「チャイナドレス姿の20代半ばから後半の女と、赤い髪をして大きなダッフルバッグを背負っていた小柄な少女ことを指しておいでなら、そうですね。

 大佐殿、それが誘拐犯たちの名前なんですか?」


「ええ・・・・・・これ、入ることしかできない一方通行のドアなのかしら」


「それか設置した者だけが分かる、何らかの解除方法があるのかもしれません。でないと出入りができませんよ」


 どちらの仮説が正しいにせよ、解除方法が分からないことにはにっちもさっちも行きません。


「解体は可能ですか?」


 SRT隊員は万能選手。爆弾解体の訓練だって当然ながら受けているはずですが、ヤンさんは爆弾を見つめながら深く考え込んみ、ついには肩をすくめてしまう。


 その態度にあまり驚きはありません。わたしの目から見てもこの爆弾、よくある即席爆弾IEDからは程遠いものでしたから。


「これはちょっと・・・・・・自分の手には負えませんよ」


 ポケベルから携帯電話へ。いまの世の中、誰でも簡単に通信デバイスを手に入るようになり、その恩恵はテロリストたちにまで及んでいました。


 これまでは爆弾を狙ったタイミングで起爆させるというのは、とても難しい難問だったのです。機械的な時限発火装置が使われるがかつては普通でしたが、それだと標的がちょっと寝坊するだけで爆弾は無力化されてしまう。


 そして機械というのは、複雑化すればするほど動作の信頼性が落ちていくものでして、その結果がどうなるかといえば、アドルフ=ヒトラーに至っては3度も時限爆弾に命を狙われておきながら、ことごとく生還したりもするぐらい。


 ですからお手軽に入手できて、簡単に組み込める通信デバイスの普及というのは、仕掛け爆弾の歴史においても革命的な出来事だったのです。過去に起きていた問題をあっさりクリアしてしまったのですから。


 ボタンを押すだけでいつでも好きなタイミングで起爆できる発火装置。テロリストたちにとって携帯電話とは、そういう安価な遠隔操作装置に過ぎませんでした。


 ですがこういったデバイスの登場以前、職人芸によって紡がれる、決して解体されない機械式の爆弾というジャンルが歴史の中にはあったのです。


 開いたカバーの中、歯車がいくえにも複雑に絡まった爆弾と呼ぶには美しすぎる職人芸の結晶をわたしは、しばしライト越しに観察していきました。


「凄い・・・・・・まるで時計だわ」


 時限発火装置にしか頼れなかった時代。発見されても解体できぬよう、パズルのように複雑に組み上げられた爆弾というジャンル。いま目の前にある爆弾は、まさにそんな前時代的様式の子孫に違いない。


 なんとこの爆弾、バッテリーのたぐいを搭載してません。電気に頼らず、すべてがゼンマイ仕掛けで動いている。


 緻密に組み合わされた歯車とゼンマイ。そのタイトさときたら、髪の毛すら差し挟めなさそうです。プラスチック爆弾から伸びる導爆線さえ無ければ、それこそ高級時計の分解図と言いきれてしまいそう。


 ちょっと多すぎるパーツ量は装置の殆どがダミーであり、同時にトラップであることを物語っている。どれが本命でどれが偽物なのか、赤いコードかはたまた青いコードを切るべきかなんて分かりやすさと、この爆弾は無縁でした。


 ここまで手が込んでいるのです、解体手順を一つでも間違えればドカンと、見るべきでしょう。おそらく設計者本人にしか解体できません。


 アイルランドの独立を目指す、世界でも屈指の古株なテログループであるアイルランド共和国軍暫定派PIRAの中には、このような職人芸の域に達した爆弾技師たちが在籍していたと聞きますが・・・・・・まさか。


 わたしの頭に、ニトログリセリン配合式のタトゥーを誇らしげに顔面に刻んでいるアイルランド出身の少女の顔がふと浮かびました。署名よろしく、プラスチック爆弾の表面に書かれているアナーキーマークも相まって、どうしてもあの少女を連想してしまうのです。


 わたしは言いました。


「ノルさんはカルテルを裏切り、幹部を暗殺することで先制攻撃を果たそうとしていた。だとするならこの仕掛け爆弾の意図も見えてくる、気がするんです」


「・・・・・・と、いいますと?」


「数で劣る側は、技巧で敵に勝らなければなりません。まず敵を懐に引き込み、そこから一気に殲滅する。

 これはセキュリティ装置じゃなく、カルテルと戦争するための兵器なんだわ」


 彼女はきっと、後の先を狙っていたに違いありません。


 開けると同時にドカン。そういった一般的な仕掛け爆弾では、敵の進行速度は遅くなっても殲滅までは叶いません。ですがこの遅効性のトラップならば、侵入してきた敵の部隊は爆破と同時に大損害を被りますし、扉が破壊されることで寸断、各個撃破が可能になってしまう。


 こんな施設の破壊が前提の攻撃なんて、兵力に余裕のある側がやる戦術ではありません。


「ノルさんはこの船を運営する側に属していたが、何らかの事情があって裏切り、そして今は、施設の経営者であったカリ・カルテルから命を狙われている? 

 じゃあ、あの184万ドルというのは・・・・・・逃亡資金のつもりなのかしら」


「あの、大佐殿」


「えっ? あっ、はいなんでしょう?」


 わたしは無意識のうちに三つ編みで鼻先をくすぐりながら、自分の考えを口にしていたようです。


 置いてきぼりにされた顔をしながら、わたしに向けてヤンさんがおずおずと声をかけてくる。


「えらく、誘拐犯たちの内部事情に詳しいんですね」


「ええと、そうですね・・・・・・肝心なところはまるで分かってないんですけど、ぼちぼち会話をしてましたから」


 その返答をしてもヤンさんの疑惑は、晴れなかったようです。


「大丈夫、ですよね? 大佐殿」


「何がです?」


「ストックホルム症候群とか、まさか誘拐犯に過度に感情移入していたりとかは、その・・・・・・」


「いえいえいえ!! わたしだって元プロ、ちゃんと一線はわきまえてますとも!! ただ何度か命を救われたり、見た目より可愛い人だな―とか、思っただけで・・・・・・」


「世の中ではそれを、ストックホルム症候群を呼ぶのでは?」


「あのですねヤンさん。わたしはストックホルム症候群の元となった、ノルマルム広場強盗事件の資料にも目を通したことがあります。

 症候群と呼ばれてますけどあれは病気にあらず、自らが生き残るために行なう防衛反応の一種でして。他にもリマ症候群などの類似の事例からして、同じ環境に置かれれば、誰だってある程度は誘拐犯に感情移入してしまうものなんです。わたしもそれと同じなんです」


「ですが“さん”付けしてましたよ」


「ヤン。ほら、わたしは誰にでも敬称をつけるタイプというだけなんです。そんなにご不安でしたら、これからは彼女のことを悪辣で残虐な露出狂の気もちょっとある誘拐魔ノルと悪しざまに呼んでも別に――」


 あっ、またさん付けしてしまった・・・・・・。


 発端からしてあらぬ疑惑なんですが、それをどんどん深めていく部下の眼差しに、どうしたことか、ついつい目線をそらしてしまうわたし。


 ありませんよ? ストックホルム症候群なんて・・・・・・。


「と、とにかく、今はどうやって外に出るかだけ考えましょう!!」


 これは強引な話題転換にあらず、本筋への帰還と呼ぶべき提案なのでした。


 実際わたしたちは、客観的にみれば爆弾に通せんぼされて秘密区画に閉じ込められているのですから。


 別の出口があるなら話は早いです。しかし距離感の掴みづらい暗闇に覆われたこの秘密区画を当て所なく彷徨うのは、得策とは思えません。せめて一定の指針が欲しいところ。


 具体的には、ヤンさんは外からこの船の様子を偵察していたはずなのです。上手くいけば、そこに別の出口についてのヒントが隠されているかもしれません。


「では手短に」

 

 そう述べてから、ヤンさんは回想をはじめました。


 直感だけを頼りにすれ違ったばかりのバンを追いかけはじめたヤンさんは、警察の覆面カーにして害虫駆除業者を名乗る怪しげな車が港に侵入していく、なんとも奇々怪界な光景を目にしたそうです。


 幾つかのコンテナヤードを抜け、巨大なガントリークレーンが軒を連ねる埠頭の一角にてバンは停止した。


 言うまでもなくそこがMSCトラソルテオトルの停泊地、そこでヤンさんは、バンの助手席から場違いにすぎるチャイナドレス姿の女性が降りていくのを目撃したんだそうです。


 彼女たちはバンからわたしを引きずり出すと、担ぎながらコンテナ船へと向かっていった。船の上に山積みにされ、夜露に濡れているコンテナのひとつでふと足を止めたかと思えば、ノルさんたちはいま目の前にあるこの扉をくぐって、コンテナの中に姿を消していった・・・・・・。


「話の腰を折ってすみません。ヤンさんはこの扉を抜けた後、どういったプランで脱出するつもりだったんですか?」


「とくに捻った作戦などは考えていませんでした。普通に船と港をつないでいる可動階段アコモデーションラダーを降りようかと。

 監視カメラが入り口に仕掛けられてましたが破壊は簡単そうでしたし、映像が途切れたとしても、相手もいきなり厳戒態勢を敷いたりはしないでしょう」


「まずは壊れた原因を調べにくる」


「はい。外から侵入するよりも、内から逃げるほうが難易度は低い。

 階段を降りて、コンテナヤードを横切り、そう遠くないところに停めてある自分の車に乗り込んだらそのまま脱出。近辺にある車はあのバンだけでしたから、脱出際にタイヤを切り裂いておけば追跡も難しくなる」


 これがSRTというものです。すべての行動が計算しつくされている。


「監視カメラがあったのによく気づかれずに潜入できましたね?」


「係留索をよじ登ったので」


 何でもないことのようにサラッと言いますね・・・・・・ああ、だからスーツの前あたりが不自然に汚れてるんですか。


 船を港に繋ぎ止めるべく、係留索と呼ばれる巨大なロープを6箇所に巻きつけることが世界共通のルールとして定められています。


 ヤンさんによればこのトラソルテオトル、1万7500トン級の巨大なコンテナ船だそうで、高さはちょっとしたビルぐらいあったはず。そこを、夜露に湿って油まみれなうえ、トドメとばかりに斜めに弛んでるその係留索ロープをよじ登ってきたと。


 元ですけど、相変わらずSRT隊員の身体能力というのは、わたしのような運動弱者からするスーパーマンのそれと違いが分かりませんね。


「大佐殿が連れ込まれたの単眼鏡越しに確認したあと、船へ近距離偵察CTRを行ってから一旦、港の管理棟のほうに忍び込み、中にあったコンピューターから船の概略を手に入れたんです」


 決して焦らず、慎重に準備していくその姿勢、まさにプロとしか呼べません。


 現実はハリウッド映画ではないのです。いきなり鉄砲片手に乗り込んでみても、返り討ちにされるのが関の山。下手な行動アクションは、自身も人質も傷つけるだけなのです。


「何か変わった情報はありましたか?」


「特には。MSCと船名にある通り、表向きは海運大手のMSC社所有であると偽ってたようなんですが・・・・・・どこまで信頼できるものやら。港の人間にカネさえ渡しておけば、書類なんて偽造したい放題でしょうしね」


「都合よく船内の見取り図があったりとかは、ありませんよね」


「内部に関しては、そうですね。ですが外から単眼鏡で眺めた限りでは、普通のコンテナ船と同じようでした」


「効率化のゆく果ては、最適化という名の万国共通な似たりよったりのデザイン・・・・・・ということですか」


 どのコンテナ船も似たりよったりな外観なのはそれが理由。最適解があるならそれを真似てなにが悪いというわけです。


「ですね。海上船舶臨検VBSS演習でさんざんコンテナ船の内部構造は叩き込まれましたから、普通の区画にさえ出られたら、まず道に迷うことはないでしょう」


 ちょっと含みのある言い方でした。まあ、わたしたちが居るのは明らかに普通とは程遠い空間でしたから。


 ですがこれで外観からヒントをなんて考えは、浅はかだったと思い知らされてしまった。そうですよね、コンテナの中に秘密の娼館なんて異様すぎるもの。前例には頼れそうもない。


 ちょっと考え込む。


「ノルさんが外に出るところは見ました?」


 その質問に、ヤンさんは即答してきました。


「いえ。それと、ケティでしたか? あの少女の姿も見ていません」


 もちろん管理棟に忍び込んでいる間など、船から目を離していた瞬間はありますとヤンさんは注釈を加えましたが・・・・・・おそらくノルさんたちはまだこの区画内に居る。


「彼女はあとで食事を持ってくると部屋にメモを残していました。ならこの区画内のどこかに食堂メスホールか、あるいはそれに類する場所へとつづく、通用口みたいなものがあるはず」


 示し合わせたわけでもないのにわたしたちは、2人揃ってさっき来たばかりの道を振り返る。


 進めないのなら戻るしかない。わたしたちに与えられた選択肢は、どうやらそれしかなさそうでした。




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