XXIX “3:10 to Colombia”
【“ケティ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ】
暗闇ってのは大嫌いだぜ。そこに狭いって項目まで加わりやがると、なおさらクソってもんだぜ。サベージのコクピットてのは、油臭さに満ちた独居房みたいなもんだ。こんなところに長く座ってると、とうの昔に聞こえなくなったはずの両耳が幻聴でうずきだすんだ。
――いいか。
それが爺ちゃんの口癖だった。
――殺していいのは、イングランド人と政府の犬だけだ。
うちの先祖がガイ=フォークスかどうかはぶっちゃけ眉唾なんだそうだが、我が家がイングランド人と果てなき闘争を繰り広げてきたって部分だけは、どうもホントっぽい。
爺ちゃんは筋金入りの
その息子たる父ちゃんも、車で検問所を突破しようとして
だが両親が死んだと聞かされても、アタシはなんとも思わなかった。ていうか、思えなかったの方が正しいかな? なんせ立て続けに両親の訃報を聞いたときのアタシは、あのマリアよりずっとチビだったのだから。
そもそも感情移入できるほど、両親と過ごせてなかったてのもある。
子持ちの活動家は大勢いたが、家族同伴で戦争に行くほどとち狂ったやつは、流石にいなかった。だからアタシの半生は、家に籠もりきって昼も夜もあやしげな化学薬品の匂いをかぐわさす、偏屈クソジジイとの共同生活によって占められていた。
あんなクソジジイに子どもを預けるあたり、両親はどこがネジが外れてたと思う。
爆弾作りのエキスパートとか自称しておきながら、作成途中にミスって信管で指ぶっ飛ばしちまった大間抜け。なのに残った3本指を器用に丸めて、何かっていうと人の頭をぶっ叩く幼児虐待魔。これをクソジジイと呼ばずしてなんて呼ぶんだぜ。
もっとマシなベビーシッターを雇えなかったのかよと、今でも死んだ両親に恨み言を言いたくて仕方がねぇ・・・・・・だからアタシは、顔もあやふやな両親の死になんの感慨も抱けなかったんだ。
だけど爺ちゃんは、BBCニュースって名前の訃報を受けとったその瞬間から、何かが変わった。
誰かが死ねば、近親者が葬式を開くのが世の中の流儀ってもん。そんで活動家の近親者てのはつまるところ、
地元のパブを借り切っての葬式は、爺ちゃんからすれば、実の息子と義理の娘の合同葬儀。PIRAの面々からすれば、ルーチンワークな新たな犠牲者への弔い会だった。
あの場所こそがアタシの原風景だ。むせ返るビールの匂いと、豚皮スナックをむさぼり食う辛気くさい大人たち。もう半世紀、数え方によっちゃ数百年以上も戦ってるのに、勝利を一度たりとも味わえたことのない疲れ切ったアウトローたちの姿ってやつが、な。
当局が遺体を返してくれないだとかで、祭壇代わりのビリヤード台の上には、こんな顔だったけか? って首を傾げたことだけはよく覚えてる両親の死亡記事が、死体の代役として捧げられていた。
その写真に写っていたのがどういう顔だったかすら、もう思い出せない。
父ちゃんと母ちゃんを讃えて、パブのあちこちでジョッキが叩きつけられていた。そんな哀悼の乾杯のすぐ横で、しかめっ面した年中ウールセーターじじいがらしくもなく、ひたすらジョッキを傾けてた。
とりあえず10杯ほど空にしたら、愚痴り合い大会を開催するのがPIRAの伝統方式だった。
ベロンベロンに酔っ払ったいい大人どもが、やれイングランド人が悪い、いやマイケル=コリンズが妥協したせいだとひたすらに愚痴り合う。結論がもう出てる議論ほど虚しいもんはねえと、いい歳こいた大人の癖して気づいてなかったのだ。
その音頭を取るのは、いつもなら頑固だけが取り柄の爺ちゃんの役割だった。
赤ら顔してツバだがビールだがを飛ばしまくって、最後には興奮のあまり昏倒する。それこそが爺ちゃんの葬式における様式美だったのに、あの日だけは違った。いきなし立ち上がったかとおもえば、大人しくコーラ飲んでる人の手をむりやり引っ張って、さっさとパブからおん出ちまったのだ。
放蕩息子と世間を分かってない小娘。そんな風に年がら年中、人の両親をバカにしてきた癖して、新聞に載ったガイコツみたいにガリガリに痩せた母ちゃんの姿を見てから、爺ちゃんは変わった。
パブのスイングドアをくぐり、寒空のなか家までの帰路をぽてぽて歩いていると、ふと吐き捨てるように爺ちゃんは言った。
――殺していいのは、イングランド人と政府の犬だけだ。
また始まった・・・・・・そん時のアタシは、普通なら幼稚園にやっと通いだしたって年頃だったのに、それでももうこのジジイの説教臭さにはウンザリしてた。あーハイハイ、そうですねー、なんて痴呆老人の戯言を聞き流してやろうとしたら、その続きに幼少のみぎりのアタシは、度肝を抜かれちまった。
――だが、もうウンザリだ。
見た目はジジイ、だけど中身は18のティーンエイジャーの頃からまるで変わってない永遠の反抗期であるはずの爺ちゃんがその瞬間、急に年相応に老け込んだように見えた。
――何人ロイヤリストどもを殺そうが奴らは小揺るぎもせん。半世紀も戦い続けてきたその結果が、このアル中どもの友の会だとでもいうのか?
“ケイティ”。そう人が嫌ってる名前でもって、爺ちゃんはわざわざアタシを呼んだ。
――わがフォークス家はこれから金にならんことは一切やらん。貧乏生活も、当局に追い回される生活ももうやめだ。どうせ爆弾を作るなら、できるかぎり高値で買い取ってくれる奴とだけ組むことにする。
なんのこっちゃと思いながら
爺ちゃんが言うところの高値を出してくれる相手ってのは、政府とカリ・カルテルを相手取って大戦争をやらかしていたメデジン・カルテルこと――パブロ=エスコバル大親分のことだったのだ。
生まれたその瞬間からずっとテロリストと生活を共にしてきたアタシにとって、南米の麻薬王の別荘に住むことにさして抵抗は感じなかった。むしろドン・パブロの屋敷に住むのは、死ぬほど楽しかったぐらいだぜ。
ドン・パブロは、デブのくせに良い奴だった。
史上最大のカルテルを率いて、自分に逆らう奴らは大統領候補だろうとくびり殺す、ヒトラー並にヤバい奴。だけど家族と一緒にいる時はどうしてか、こっちが気恥ずかしくなるぐらいの家族愛ってやつを周囲に見せつけていた。
良い父親にして――虐殺魔。我がフォークス家とは真逆ってもんだぜ、まあ前半部分に限っての話なんだが。
爺ちゃんは、家の外では伝説の
元PIRA、今は単なる流しの傭兵。そんな怪しいジジイにくっついてきた素性のわからないアイルランド娘たるアタシを、なぜだかドン・パブロは自分の子どもたちの良い遊び相手になると考えたらしい。
だからあの頃は、作り物のプテラノドンと生ものなキリンが同居してる謎めいた自家製動物園で、日がな一日遊び呆けてたもんだ。
楽しかった。生まれてはじめて警察の影に怯えず、普通のガキみたいに過ごせた。まあ、政府の犬どもが乗りこんでくるまでのほんの一時だったけどな。
麻薬戦争が激化するにつれて、ドン・パブロの周囲はほとんど流浪のキャラバンじみていった。ひとっところに腰を据えるなんて到底できやしない。電話はいつも盗聴され、裏切り者がすぐ懸賞金目当てに隠れ家の場所を密告する。
いつもどこかに隠れ潜み、アタシらは常に逃げ回っていた。
そこらへんはアイルランド時代と同じだった。ただコロンビアだとカネが溢れかえっていたから、隠れ家はいつも高級ホテルだとか、どこぞの別荘だった。雨漏りするアイルランドの貧乏下宿に比べたらずっとマシだが、そんでも隠れ家から隠れ家へ転々ってルーチンだけは、昔とまるで変わりやしない。
そんな窮状の一方で爺ちゃんときたら、かつてないゴールドラッシュにてんてこ舞いだった。
コロンビア中の警察所をドン・パブロが吹き飛ばすと言い出せば、爺ちゃんが腕をふるって爆弾を量産する。一時期なんて、メデジン・カルテルの傭兵のなかで一番の高給取りになっていたほどだ。
お陰でパナマだかどこだかの隠し口座には、目ん玉が飛び出るほどの金額がすぐ溜まっていった。食いっぱぐれるどころか、その日の気分でフェラーリ買ったりとか平然とできるほどの額・・・・・・だっていうのに、爺ちゃんはどこに行っても爺ちゃんのままだった。
ほらあれだぜ? “殺していいのは、イングランド人と政府の犬だけ”ってやつ。今さらそんな信念を振りかざして、どうなるってんだぜ。
追い詰められるにつれて、ドン・パブロはどんどんなりふり構わなくなっていった。最初は
爺ちゃんは、契約を結ぶときに例の家訓をひけらかして政府の犬、つまりは警官だとか政治家やらに使うならいくらでも爆弾を提供してやろうなんて約束を、取り付けていたらしい。
――殺していいのは、イングランド人と政府の犬だけだ。女子供には何があろうと手を出すな。手を出せば、俺たちも政府の犬畜生と同類になる・・・・・・。
だがドン・パブロはその一線をあっさり越えた。それどころか、いつしかそれが当たり前になっていた。
大統領候補の命を狙って旅客機をふっ飛ばした。百人以上が死んで、挙げ句に標的だった大統領候補は乗ってなかっていうお粗末なテロだ。爺ちゃんはまたぞろニュースでそれを知って、すぐに爆弾の出どころに感づいた。
金と信念を秤にかける、よくある話だぜ。このまま黙って爆弾を作ってりゃ、大富豪の仲間入りはわけない。だっていうのに爺ちゃんは・・・・・・こんな地の果てまで来ても石頭のクソジジイのままだった。
ドン・パブロと短く口論した末に、爺ちゃんはアタシを連れて隠れ家から飛び出して、ある本屋の前で車を停めた。もちろん目的は、孫娘のために絵本を買うことじゃなかった。
――ここで待っていろ。
それが、アタシの聞いた最後の人の声だった。
車の助手席に座って、本屋の中へと消えていく爺ちゃんの後ろ姿を見届けたあと、手先が器用になるからと渡されてた知恵の輪をアタシは解きはじめた。当時はまだガキだったんだ、状況をよく飲み込めてなかった。
いつもの爺ちゃんの気まぐれにいちいち反応するのも馬鹿らしい、暇つぶしする方が合理的ってもんだ。そう呑気に構えていたんだ。
だけど何かヤバいって気づいたのは、爺ちゃんと入れ替わるように本屋から出てきた男のせいだった。当時はまだドン・パブロの筆頭シカリオだった、ザスカーの野郎だ。
奴もこっちに気づき、車の横を通りすぎる一瞬、あんの悪趣味なカウボーイ・ハットを傾けてキザったらしく挨拶してきやがった。
奴がそのまま路地裏に消えていったその瞬間――アタシの世界からすべての音が消えた。
爺ちゃんも馬鹿だ。自分の爆弾で今まで何人殺してきたと思ってやがる? なのに急に正義感に目覚めて、自分で作った爆弾を解除しようと本屋に乗りこんでそのまま爆死・・・・・・急に仏心を出したんで罰が下ったんだと、アタシは今でもそう信じている。
アウトローは法に裁かれやしないが、かわりに自業自得って奴に殺されるんだ。どんなに家訓で言い訳しようが、アイルランド時代ですら爺ちゃんは、さんざん女子どもを巻き添えにしてきたんだから。
そうだ。あれこそ自然の摂理ってもんさ。
爺ちゃんが手にしてたペンチは、赤毛のアンを手にしたまま黒焦げになった12歳のガキの頭蓋骨から摘出され、窓ガラスがぜんぶ吹き飛んだ車で身を起こしたアタシは、その時にはもう両耳の聴力を失っていた。
こんにちわ、ミュートボタンが押されっぱなしなわが新人生。そんな不幸を嘆いてる暇は、いつだってない。
当時はただでさえ似たような境遇のガキが大勢いた、麻薬戦争の成果って奴だな。だからアタシの素性は細かく詮索されず、放っておいても死なない程度に傷を治療されてから、流れ作業のように孤児院に押し付けられちまった。
ここで豆知識。南米てのはバチカンの偉いさんからすりゃあどうも、小児性愛の前科持ちどもを島流しにするための土地であるらしい。
孤児院で無理くり仕込まれた手話は今でも役立ってるが、それ以外にあの場所についてろくな思いではない。特にあのクソ神父は。あのクソ馬鹿が毎朝欠かさずに飲んでいた薬瓶、そいつが収まった戸棚にパイプ爆弾を仕掛けたあと、アタシはさっさと教会から脱走してやった。
北アイルランドの独立とカトリックの信仰を守るためにさんざん戦ってきてこれとは、神様も洒落てやがる。
こうしてアタシはストリートで暮らすようになった。だが自分一人きりの生活ってのは、思ったよりも気楽だった。カネを稼ぐのも楽だ、
商売敵はせいぜい拳銃を振り回す程度なのに、アタシの得物は業界最高峰の爆弾だ。弱肉強食の世界だからこそ、そこそこ快適に生きることができた。浮浪児なんだかギャングスターなんだか、当時のアタシは自分でもよく分かんない生き物だったけどな。
ある日、ダンボール製のベットに寝転がりながら星空を見上げていたら、ふとザスカーのことを殺したくなった。
どうしてそう思ったのか自分でもさっぱり分からない。実際、やめておきゃよかったと思う。
当時、謎の復活を遂げて天下を取っていたカリ・カルテルの大物こと、我らがザスカーを見つけるのは、そんなに難しくなかった。
火の気のあるところにザスカーあり。モンドラゴンとカリがやり合ってるところをうろちょろすりゃあ、あんなカウボーイ気取り、すぐ見つけられた。
だが誤算だったのは、奴が大物すぎて自分で車のエンジンなんてかけないことだった。
ピンポイントに運転席だけをぶっ飛ばすテクニカルな爆弾でおっ死んだのは、10ドルかそこらで命を張れる運転手役のチンピラだけで・・・・・・その特徴的すぎるやり口であの野郎、すぐさまアタシが犯人だと勘付きやがった。
コロンビア在住の、それも赤毛でアイルランド人なストリートチルドレン。こんだけ特徴的だと、あっさりねぐらを突き止められたのも納得ってもんだぜ。
いきなしギャングどもに取り囲まれ、しこたま殴られたあとどういう経緯なんだかアタシは、トラソルテオトルとかいう不気味な船へと連行されていった。
ガキの処刑場としては壮大すぎる。不思議に思っていたら案の定、科学者どもに怪しげな薬だとか、妙な音楽を聞かされる拷問のような日々が始まった。
そう拷問だぜ。てっきりあれは、人を痛めつけるための拷問の一種だとばかり思ってたのに、どうも船に居た科学者連中からすれば、コイツはご立派な洗脳実験のつもりだったらしい。アホな奴らだぜ。
連中の望み通り、アタシは人型ロボットってございって従順になったフリして、隙きを見て空調にプロパンガスを流し込んでやった。そんで着火。
科学者だか、教官だかが十数人ほど黒焦げになったことで、間抜けどももやっとアタシの素性に気づいたらしい。そうとも、うちの家系は昔っから、自分の信念だかを貫いて処刑されるのがお約束になってるって。
自称ご先祖様らしきガイ=フォークスにしたって、これから絞首刑になるってのに、わざわざ死刑執行人がレバーを押す寸前に自分から奈落のそこに飛び降りて、自分で首の骨を折って死んじまった。父ちゃんも、母ちゃんも、あのクソジジイだってそうだ。みんな自分で死に場所を選んで、そこで死んでいった。
だからフォークス家の一員として、死ぬ覚悟はいつでもできていた。だが運命てのは分かんねえもんだぜ。
椅子にしばりつけられてタコ殴りにされて、意識が現実と黄泉の国をいったりきたりし始めたころに、妙な男が尋ねてきた。まあ実際にゃあ、格好のせいで船に来てから最初の3ヶ月ぐらいは、ずっと女と思ってたんだけど・・・・・・。
南米だってのにチャイナ服を着込んでる変態野郎は言った。
――ちゃんと唇読めてるわよね?
最初こそ無視を決め込んでたが、なにせこっちは視覚以外に相手のでかたを知る手立てがねぇ。だから否が応でも、相手の顔を見つめるしかなかった。
すると予想外のことが起きた。その変態はアタシに仕事をオファーしてきたのだ。つっても公正な雇用契約とはとてもいえねえ。殺処分されるか、それとも爆弾職人として働くかの二者択一だったんだ。
そこらのガキを殺し屋に仕立て上げる。そいつはいいが、薬物で戦闘能力を向上させたり、洗脳で殺しへの抵抗感を無くしたところで、専門技能が一朝一夜で身につくわけがねえ。そんな当たり前のことに、今さらながらトラソルテオトルの奴らは気づいたんだそうだ。
なにせ元は学校なにそれ? なんて無学のガキの集まりなんだ。
爆弾てのは科学技術の結晶だ。薬品の知識はもちろんのこと、機械工学にも精通する必要があるし、対象を効率的に爆破するためにゃ建築学だって学ぶ必要がある。簡単に身につかないからこそ、かのドン・パブロだってわざわざ高ぇカネ出して、爺ちゃんなんて専門家を雇ったわけで。
だが調子こいて船のカギどもをちゃかちゃか実戦投入しちまった手前、船の管理者どもは、実はもうちょっとお勉強させる時間が必要でしたーなんて、カルテルの上役に今さらおねだりすることもできない。
んで、助っ人が必要になったって訳だ――などなど、チャイナドレスの変態はそういった裏事情を包み隠さずぜんぶ話してくれた。
激しいぶっちゃけトーク。そいつに驚きこそしたが、アタシからすればそんなの知ったことかよって気分だった。人捕まえて椅子に拘束しておいて・・・・・・両手が縛られてる設定でなけりゃあ、その勝手すぎる言い分にアタシは中指を突き立てていたことだろう。
知ったことかだぜ。
だってさ、このチャイナドレスはアタシみたいなじゃじゃ馬を飼い馴らせると、上から信頼されてる忠犬の中の忠犬なわけで、そんなの、アナーキストこそが我が生き様なアタシの性格と相容れるはずもねぇ。
どうにか隙きを見て、ぶち殺してやるつもりだった。
変態野郎が背を向けた瞬間、走り寄ってとっくに外していた手錠で首筋をブスリ。だがそいつは一時保留になった。ソイツが、てめえの言うところの“ルール”とやらをひけらかし始めたからだ。
――ルールは簡単よ。女子供はナシ。それ以外はまあ、アドリブでいいわ。あなた不器用そうだからこっちで合わせてあげる。
そいつはちっと・・・・・・妙な話だった。
アウトローってのは不思議なもんで、好き好んで社会のルールから外れた癖して、内輪の
まあ、一種の紳士条約みたいなもんだと今は理解してる。破り始めたらお互いにクソに嵌るだけだから、最低限のルールだけは守ろうってやつ。
商品である麻薬に手を出すなとか、ボスには絶対に従えとかが、代表的なカルテルの
カリは昔から目立つことをえらく嫌うが、いざコトを運ぶとなったら情け容赦がない。犯人不明の密室殺人事件、ただし部屋の中は血みどろ臓物まみれ、これがカリの理想的な殺しの流儀ってもんだった。
その理屈からすると、相手をビビらせるには、女子どもを惨たらしく殺すのが1番なのだ。
だから妙なんだ。そんな残虐非道って言葉すら裸足で逃げだす、カリのナイフの切っ先たるシカリオ野郎が、女子どもはナシとか綺麗事を主張するんだから――そう、まるで爺ちゃんみたいに。
――言いたいことがあるなら手話を使いなさい。手錠、外したんでしょう?
怪訝がっていたらこの始末。野郎、とっくにこっちの手の内を読んでいやがった・・・・・・そんな態度にむかっ腹が立ったが、しかし好奇心が勝った。
まずこれ見よがし両手をストレッチしてから、手話をつかって先ほどの疑問について問うてみた。すると、あっけらかんと答えが返ってきた。
――女子どもを殺すと角が立ちやすいでしょ? 相手を感情的にさせすぎて、損得抜きの闘争とかになったらビジネスに響くじゃない。
なんともまあカリ・カルテルらしい言い草だぜ。噂で聞くよりも実物のほうがよっぽど合理的で、かつムカつく言い草だった。なんだそりゃ? やっぱ計画通りに手錠で刺してみっかと考え直していると、どうやら話にはまだ続きがあったらしい。
手話と口話が、つぎの言葉を紡いでいった。
――あとはまあ、個人的な規範ね。
飼い主から蹴られても舌出してへっへっと吠えてるバカ犬並みにカリのシカリオは従順なんだろう? なにが個人的な規範だぜって煽ってやったら、“そうよ”なんて涼しい顔で答えてきた。
――だけど命令された範囲内で実際になにを選び取るかは、結局のところ自己判断だもの。銃を構えてくるならお互い様、その時は女子どもでも容赦はしないわよ。でもそうでないなら――殺していいのは、カルテルと政府の犬だけよ
かつて爺ちゃんは、一度だけこうこぼしたことがある。
もはや口癖のようなあの家訓のあと、きっとアルコールが脳に回りすぎて、つい口を滑らしちまったんだろう。実の孫娘に向けて優しい言葉なんて欠片もかけたことがないクソジジイにとって、それは精一杯の愛情表現ってやつだったのかもしれない。
――殺していいのは、イングランド人と政府の犬だけだ・・・・・・それ以外はまあ、お前の好きなように生きたらいい。
アタシはアタシだ。他人の意見なんかクソ喰らえ、あのジジイの戯言だってそうだぜ。知るかボケ!! どいつもこいつも自分の思想を勝手に押しつけてきやがって・・・・・・アタシはてめえの信念以外なんで、知ったことじゃねえんだぜ。
だけど・・・・・・あの家訓は実はそこそこ気に入ってる。あと、どことなくウチの家訓と似たようなことをほざく変態も、その時からちょっと気になりはじめていた。
それが結局、アタシがここに居る理由のすべてなのだ。
ザスカーの野郎は隙あらば殺してやりたいし、あの船のガキどもだって別に恨みはない。アイツらが幸せだと思えるように、取り計らってやってもいいとは思ってる。
だがアタシは誰にも仕えねえ。いきなり現れて、救世主ヅラしてるあのスカした銀髪女の命令を聞くなんてのは、まっぴら御免てもんだぜ。
だけど男のほうなんだか、それとも女のほうか、自分でもよく分からねぇけど・・・・・・惚れた相手のためなら、命ぐらい賭けても悪くねえとそう思ってはいる。それが、好きに生きるってもんだろうが。
ああー、なんか熱い。あれか? コクピットに熱でも篭ってんのかな? クソ、顔が熱いぜ・・・・・・ん?。
さざ波みたいに怪しい線が走るクソ低性能なモニターに、アリーナの空っぽの観客席を走り抜ける
どうやらおっぱ始まったらしい。
すべて上手くいけば、なんて言葉が飛び出てくる作戦は失敗するって相場が決まってる。それが世の摂理ってもんだぜ。ざまぁみろ銀髪おっぱい、やっぱアタシの出番はあったじゃねえか。
なんでか知らないが、アタシの脳みそはコンピューターを大の苦手としてる。ただし、これがメカとなると大得意になるんだぜ。エレクトロなんちゃらはさっぱりだが、腕を振ればASてのはパンチするとだけ知ってさえいれば、まあ操縦なんてお手の物だぜ。
爆弾作りは大好物だが、2番目に好きなもんを挙げろって言われたら兄貴・・・・・・じゃなくて、アタシはASの操縦を挙げる。
アタシと兄貴、ついでに爺ちゃんやザスカーだって同類だ。ひとでなしのアウトロー揃いなんだぜ――だから自業自得で死ぬその時までは、せいぜい楽しんでやろうと意気込んでみた。
舌舐めずりをひとつ。さぁて、どいつもこいつもブッ殺してやるぜ。足元からは、駆動するアーム・スレイブの振動が伝わっていた。
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【“ノル”――隠し地下区画・“クレイドル”前ホール】
『さぁて、絶体絶命ってやつだな、えぇ?』
なんど聞いても癪にさわる酒枯れ声。
こんな脅し、そよ風みたいなものだが・・・・・・正直、ビルみたいな怪物が目と鼻の先で仁王立ちしているとちょっとは身震いしたくもなる。
チンピラ、警官、捜査官、ボディガード、正規と非正規の軍人、そして他組織の
これまでありとあらゆる連中を敵に回してきたが、運良くもASとやり合うことだけはなかった。仕事場が主に市街地だったのもあるだろう。普及率だけ見れば、東南アジアと双璧をなす中南米にあってこれは奇跡的な確率だった。
ASの話は色々と耳にしている。
平地だと敵なしだが、戦場が立体的になったとたん役立たずになる
“お前らに対AS戦闘について伝授してやるのは仕方なくだ”
そう断ってから、教官はこう続けた。
“もしASと生身でやりあうことになったら必勝法はこうだ。ASとは、絶対に、やりあうな”
ここは吹き抜け構造だからザスカーのフロッグマンは頭こそ支えてないが、横幅はそれほどでもないから走り回ったりは難しそうだ。強いて挙げるならば、これがこちらの優位点。他にも下水道を這い進むために邪魔だったのか、コンテナ船で襲われた時もそうだったが、今もフロッグマンは徒手空拳、AS用のライフル等は携行していない。
だが多少、運動性能や武装が落ちたところで、あの質量にかかれば生身のこちらは為す術がない。正面から戦おうとすれば、あっけなく靴の裏のガムの人間版に成り果てるだけだろう。
そもそもASという機械は内蔵火器も充実している。まるっきり非武装な筈がない。あの背中からコブのように膨らんでいる鉄パイプ、如何にも意味ありげそうだ。
“絶対にやりあうな”と教官は言っていたが、現代の対AS戦についての知識はちゃんと叩き込まれてはいた。だが、それが今なんになる?
ワイヤーを引っ掛けてASを転倒させ、無防備なその脇腹にロケット弾をありったけ撃ち込む。そういった確立されたゲリラ戦術なら幾らでも思い出せるが、こういった戦術はどれも待ち伏せが大前提になっていた。正面きってASと単独でやり合うなんて、聞いたこともない。
いや、もしかしたら生身の人間がASと戦った事例はあるのかもしれないが、勝った事例がないからこそ後世に伝わっていないのだろう。ましてやこっちの手元にあるのは、対戦車兵器の類じゃなく単なる歩兵用ライフルに過ぎないのだ。
ASにかかればガリルの7.62mm弾なんて豆鉄砲そのものだ。だがこれが、俺の持てる最大火力だった。
奴の言葉を借りるのは尺だが、まさに“絶体絶命”のシュチュエーション。そんな鋼鉄の巨人だけでも厄介なのに、ファションセンスこそ南米人らしく種々雑多だが、装備だけは一様に整っている私兵どもというオマケまでついているのだ。
総数は、掴みで20ほど。
チンピラ臭は抜けきってないが、何せザスカーと同じくストリートから今日まで永延と生き延びてきた、生命力だけならゴキブリ以上の連中だ。国境周りのジャングルで寝ても覚めてもモンドラゴンとやりあってきた生え抜き、場数を踏んできた奴ら特有の暗黙のチームワークがその立ち姿から見て取れた。
安宿での一件で懲りたらしく、ザスカーも今度ばかりは出し惜しみせず、最初から精鋭を繰り出してきた訳だ。
エレベーター方面だけでこれだ。さらにチラッと仁王立ちしているフロッグマンの股の隙間から向こう側を眺めてみれば、階段を降りてくる第2陣の姿が確認できた。
エレベーターの前に扇状で展開している、遮蔽物とは無縁な20人と異なりそっちの階段組は、自分たちがいざという時の後詰めであるとよく理解していた。相手がたったの2人でも軽率に身を晒したりせず、階段の陰に隠れて銃身だけを突き出して、こちらに狙いを定めている。
絶体絶命・・・・・・そう何度も繰り返さなくとも、身に染みてわかっているとも。
俺はふぅと、呆れたように息を吐いた。
「・・・・・・話し合うか殺し合うか、そのどちらかじゃなかったのかザスカー?」
するとバイザー付きの亀みたいなアーム・スレイヴは、こちらに集音マイクの優秀さをひけらかしてきた。よくまあ大きいとはとてもいえない俺の声を拾えたもので、ザスカーは、人の苦言に的確に答えを返してきた。
『俺りゃあ気まぐれだからなあ。B級悪役よろしく適当な演説かましてやってもいいんだが・・・・・・おめえの悪運はよーく知ってる。
調子こかず、ここであえてお約束てのを破ってテメェを踏み潰すってのも、また一興かもなぁ』
器用に片足立ちとなったフロッグマンは、油の差されていないブリキ人形のような駆動音を鳴らしていた。すえた下水のような匂いが香り、巨足の影が頭上から降り注ぐ。
エレベーター組の私兵と
俺はといえば、滅多に見れるものじゃないASの足裏を興味深くしげしげ眺めていた。
ザスカーには何か考えがあるのだろう。そうでなきゃ、俺はすでに死んでいる筈だった。
蛍光塗料によって刻まれた腕の中のサンタ・ムエルテが、フロッグマンの足が落とす影のせいで朧げに光り輝いていく・・・・・・俺に死をもたらすはずの巨足は、あっさりと引っ込んでいく。
その理由とは、意外にもザスカー本人の意思ではなく・・・・・・強いていうならば、勤め人の悲哀といった辺りの事情のせいだった。
『Mr.ザスカー、まだ殺すんじゃない!!』
どこにあったのやら。地下空間にずっと備えつけられたらしい放送設備から急にがなり立ててくる切羽詰った声音は、盗聴器越しでしか聞いたことはなかったが、サングラスの男のものとみてまず間違いない。
性格面に目を瞑れば、ザスカー個人の戦闘能力は頭抜けてるし、指揮もできれば、このようにASの操縦もできるまさに万能選手だ。なのにどうにも小物臭が抜けきらないのは、自分の給料を支払ってくる相手には絶対服従というこの姿勢のせいだと、俺はつねづね思っていた。
『ついでだから、今度からちゃんとセニョールを付けろって、言い含めときゃ良かったかな・・・・・・』
聞こえよがしの愚痴がフロッグマンから流れてきた。
盗聴器の音声が切れた途端にこの包囲具合だ。この状況から推測するに、おそらく俺の盗聴器はザスカーに発見され壊されてしまったのだろう。
俺がまたぞろ電波状態が悪いとばかり思い込んでいた、わずかなブラックアウト期間。その短期間のうちに、どうやらVIPルームではちょっとばかり力関係に変化があったらしい。なぜならザスカーが上の人間をこうも悪様に言うなんて、初めて聞いたからだ。
シニカルに笑いこそするが、決して悪様にボスを評したりしない、そういう男だった筈なのに。
だが、なるほど盗聴器を仕込むというテッサの策は大当たりだな。ちゃんと聞けていたら尚更よかったのだが・・・・・・DEAの方はどうだろうか?
奴が金庫の中に篭ってる間、VIPルーム内の会話に聞き耳を立てられていたかどうかは分からない。尋ねるタイミングがなかった、それは今もか。
「君、この状況をどうする?」
俺と背中合わせにインベルを構えるDEAが、この隙にとばかりに小声で話しかけてきた。
ああも優秀なASの集音マイクが小声だけ聞き逃してくれるとも思えない。何を話してもザスカーに筒抜けだろうに・・・・・・俺はハッチの下敷きになって臓物を撒き散らしているオロスコだったものを眺めながら言った。
「死ぬときは死ぬ、それだけだ」
「・・・・・・それも、サンタ・ムエルテの教えってやつかい?」
こいつもカルテルの専門家ズラしておきながら、サンタ・ムエルテ信仰に偏見をもってる口らしい。人を邪教の信徒みたいに言う。
サンタ・ムエルテには善も悪もない、ただ平等なだけだ。何かというとカネを寄越せと騒いで、くれなきゃ地獄に落とすぞと脅してくる他の宗教よりよほどマシな存在なのだが、あの見た目のせいでちょっと損してる。
ただ、宗教談義はこの場で話す会話としては的確じゃないだろう。だからムッとする感情を隠しながら、短く会話を切り上げる。
「いいから場の流れに身を任せろ」
まあ、相談できないだけで俺の中に作戦はありはするのだ。自分のポケットの中に収まる物体を意識しながら俺は、今はまだ機を待つことにした。
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【“テッサ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ・VIPルーム】
空調が止まったことで空気の循環も滞っているらしく、ザスカーが撃ち抜いた警備員さんの死体は南米の熱気に当てられ、すでに濃い死臭を放ち始めていました。
腹心であったはずのザスカーに鼻を明かされ、自分のオフィスには死体が転がっている・・・・・・こうなると、さしもの自信家のMr.キャッスルも平静さを保てずにいる。
展望窓からみて脇の方にあった簡易的な放送設備を用いて、寸前でカウボーイ姿の部下を制しこそしたものの、Mr.キャッスルの傲慢さはまだ影を潜めてました。
ザスカーにやり込められたのが堪えているというよりも、あの表情からして、警備員の死体に隠し切れない嫌悪感を抱いているのが弱気の理由のようでした。
数万人もの死に携わっておきながら、目の前で起きた殺人にこうまで動揺するなんて・・・・・・これこそが、カルテルを率いる器じゃないとザスカーが喝破してみせた、原因なのかもしれませんね。
とにかく死体を目につかないところへ。そういった命令に従い、生き残った警備員の片割れが床のカーペットへと自前のナイフを走らせ、まるでミイラのように死体をくるくる巻き取っていきます。
そんな作業をできる限り見まいと背を向けながらMr.キャッスルは、上司以上に顔を青ざめさせているサントスさんに指示を飛ばしました。
「Mr.サントス・・・・・・貴様は、まずは早急に“クレイドル”の状態を調べろ」
「ですが」
「ならば説明してみせろ。あの地下にいる者たちが私の“クレイドル”に何をしていたのかを」
「分かりました・・・・・・」
消極的な了解のあと、カタカタとワークステーションのキーボードを叩く音が聞こえてきました。
アクセスできる端末を狭めれば、それだけセキュリティは強固になります。下手をしたらあの“クレイドル”、この端末以外にはアクセスの方法が他に無いのかもしれませんね。
無茶な仕様ですが、まあさほど不思議でもないでしょう。トラソルテオトルのサーバールームという前例があるように、あの執拗なまでの情報流出対策を思い出せば、こんなのむしろ緩いぐらいかもしれません。
――だからこそ事態の発覚が遅れてしまったのです。
「・・・・・・おい冗談だろ」
呆然とした呟き。取り繕わらない言葉使いに、Mr.キャッスルもただならぬものを感じたようです。
「どうした?」
普段なら、奴隷のようにすぐ返事してくるサントスさんが、この時ばかりは返事をする余裕すらないようでした。
急に、ワークステーションが暴走を始めました。
ありえないほど冷却用ファンが全力運転を始め、金属の焼け焦げる匂いが漂いだす。分かりやすいほどの異常事態に、腰掛けていたオフィスチェアをけたたましく蹴っ飛ばしながら立ち上がるサントスさん。
彼は本能的にワークステーションの背面に手をやって、電源を引き抜こうと試みたのものの、壁に埋め込まれた特異な仕様であることを急に思い出したらしく、絶望的な表情を浮かべていきました。
何を発動条件にするのか迷いましたが、外部からアクセスされると同時にというのは、どうやら正解だったみたい。
モニターの中では、勝手に立ち上がったコマンドプロンプトが無数の文字列を浮かばせては消えていく。そして突然、すべてがブラックアウトしました。停電によってただでさえ薄暗くなっているのに、一番の照明だったワークステーションすらもついに強制停止してしまったのです。
薄く煙を吐いていくワークステーションを見れば、あまり技術に詳しくはないMr.キャッスルとて、異常事態であると認めるしかありませんでした。その顔は、見るからに動揺を隠せずにいる。
「一体、何が起きたんだッ!!」
理由に察しはついていても、茫然自失状態のサントスさんは話すことすらままならない。ですから代わって、わたしがその質問に答えていきました。
「平たくいえばコンピューター・ウィルスに感染しただけです。あまり大声出さないでください」
「なんだとッ!?」
この結果を見るに、最悪の事態は免れたようでした。
ヤンさんが手筈どおりにデータの抽出をできず、今まさに包囲されているお2人が手ぶらだったらもう詰みでした。ですが“クレイドル”にアクセスした途端にワークステーションが感染したということは、データの奪取そのものは上首尾に終わったみたい。
不幸中の幸いとは、まさにこのことでしょう。
「できれば自作したかったんですけど時間がなくて・・・・・・遺憾ながらトラソルテオトルのサーバーからサルベージしたものを再利用させてもらいました」
するとサントスさんが驚いたように言う。
「まさか、僕のワームを?」
思いがけないところに作者が居たものです。トラソルテオトルのサーバーから研究データを綺麗さっぱり消し去ってしまったあのマルウェアは、彼の創作物でしたか。こんな仕事をさせるには、もしかしたら惜しい才覚の持ち主なのかもしれませんね。
実のところ、こんな風に種明かしはしたくありませんでした。わたしたちが逃げ切ったのち、間を置いて被害の実態に気付いてくれるのが最良の展開。ですが今は、そんなことを言ってもいられない・・・・・・とにかくノルさんたちを救わなければ。
これが、わたしのできる最大限の援護射撃なのです。
「わたしたちの準備不足を露呈するみたいで嫌なんですけど、あなた方の“クレイドル”の中身がなんであるのか、実はまだ正確には把握しきれてないんです。
データを盗み出したはいいですが、犯罪組織というよりは企業的と評されるカリのこと、すぐお金を別の口座に移して失態を挽回するとか、そういう展開も十分に起こりえる。
だから一計を案じたんです――オリジナルのデータが消え去ってしまえば、そんな心配もなくなると」
今さっきワークステーションに起こった現象は、いわば逆流でした。
データのコピーを終えたのち、ヤンさんの手によって“クレイドル”に向けて放流されたワームには、アクセスしてきた対象へ片っ端から感染する特性がありました。今頃“クレイドル”本体も、こことそっくり同じ状況に陥っている筈。
こんな状況からデータをリカバリーする方法は果たしてあるのでしょうか? いいえ、わたしは無いとすでに結論づけていました。だってトラソルテオトルのサーバーで検証しましたし、ここには他ならぬワームの開発者たるサントスさんが、ひどい顔色をして佇んでいるのですから。
「“クレイドル”のデータは、今となってはノルさんたちが持つポータブルHDDの中身がすべてです」
「収まるわけがない、1ペタバイトのデータだぞ!!」
なんとも技術者らしいツッコミがサントスさんから飛んでくる。ですがそんなの想定の範囲内でした。
わたしは悠然と答えていく。
「あら、思ったより少なかったですね? 安心してください。わたしの組んだ圧縮ソフトは趣味で作ったにしてはなかなか優秀ですから――データの損失は20%以下に収まります」
分かっています。こんなの、Mr.キャッスルの最後通帳を蹴っ飛ばすどころか、後ろ足で砂をかけつつ宣戦布告までするようなものであると。
ここまでされたらどれほど辛抱強い方でも、愛想が尽き果てるというもの。わたしを見つめつつMr.キャッスルは、恐ろしいほどに無言を貫いていました。
幅広のアビエイターサングラスのせいで読み取りづらい視線は、どうやらテーブルの上に放置されたままな飛行機のチケットと、ザスカーから手渡されたものの、まるで汚らしいものであるかのように即座に手放された件のナイフの間を、行ったり来たりしているようでした。
急に老いに追いつかれてしまったかのように、年相応の疲れたような声でMr.キャッスルは言いました。
「・・・・・・こんなことになるのは望んでいなかった」
それは、本心からの告白でしょう。ですが今のわたしは、Mr.キャッスルと父がかつてポーツマスで交わした会話を完全に思い出していた。
平然と他人の命を踏みつけられる傲慢さは、大昔からのものだったのです。この老人は変わらない。いえそれどころか、絶大な権力が傲慢をますます助長し、自分自身ですら歯止めが効かなくなっている。
わたしの目的は小さなものです。トラソルテオトルの12人の子どもたち救うこと、ただそれだけ。
ですが今この場でサングラスの男を止められなければ、死と破壊の連鎖はこれからも数万人もの命を巻き込んでいくでしょう。となると、少しばかし使命感みたいなものが湧き出てくる。
そんな存在、許せるはずもないのです。
「そう、ですね」
話し合いで解決できないからこそ、戦争という儀式は歴史に残り続けているのですから。
「でも悟っていたはずだわ・・・・・・わたしたちは、決して相入れることはないと」
カタッ、指先が触れたナイフが揺れて、木と木が擦れる音がしました。
ですがそれだけ。
とりあえず手には取ってみた、ですが鋭い刀身を垂れ下げたまま、Mr.キャッスルはゾンビのような足取りで展望窓の前に立って、暗闇に消えたグラウンドの風景をただぼーっと眺めるばかり。
旧友の娘であるわたしだから殺すのに躊躇がある。それも理由でしょうが、それだけじゃありません。どれほどの憤怒を抱えていようとも、自分の手を汚すことができない。いえ、その行為に恐怖している・・・・・・。
稀有壮大な
高みからすべてを見下ろすことで、自分はあくまで傍観者であると、誰よりも自分自身を騙し続ける。そうして自らがもっとも忌んでいる
ですがそれももう出来なくなりました。わたしが切っ掛けを作り、それに乗っかったザスカーによってトドメが刺されてしまった。
単純に、カルテルのボスの器じゃないのです、この人は。
なのにまだMr.キャッスルは、自分が築き上げた
そしてサングラスの男は、こう言ったのです。
「・・・・・・奴らからポータブルHDDを回収しろ、これは厳命である」
✳︎
【“ノル”――隠し地下区画・“クレイドル”前ホール】
『・・・・・・奴らからポータブルHDDを回収しろ、これは厳命である』
大ボスからのそんなお達しが地下に流れ、意味深に私兵たちは顔を見合わせていく。
アーム・スレイヴというのは、操縦者の動きを忠実に真似するものだと知ってはいたが、頭を掻いて悩むとこまで再現できるとは、何とも器用な機械だと俺は思った。
汚水を滴らせてる管だらけの巨人ことフロッグマン、というか、その中身たるザスカーは悩んでいるようだった。
『・・・・・・なんだよ“ぽーたぶるHDD”って?』
どうもコイツ、上司の命令を理解していないらしい。
「そんなことも知らないのかザスカー?」
まったく困ったものだと俺は胸を張りながら、大いばりで奴に教えてやった。
「まあ俺も知らんのだが」
『知らねえなら無駄に胸なんか張るんじゃねえ!!』
そんな真面目なやり取りを背後で聞いていたDEAが、どうしたというのか、急に唸り声をあげて抗議してきた。
「あのね、君たちね・・・・・・まるでラテン系がみんな機械オンチみたいな偏見、世に広めるなよな・・・・・・」
「ハッ、ポータなんちゃらについて自分でもよく分かってない癖によく言う」
「あらぬ偏見を、別のあらぬ偏見で上書きしようとするなッ!! ああ分かったよ!! 見ろ、これがお前らのお望みのものだッ!!」
急にバックパックに手を突っ込んだかと思えば、天高く、何やら銀色の箱を掲げてそうDEAは宣言していった。
あー、いつもトラソルテオトルの上役から運ぶよう命じられたあの箱は、ポータブルなんちゃらというのか・・・・・・ふむ、勉強になった。
『あっ、そうなの』
新たな学びに感動している俺と異なり、ザスカーの反応ときたら淡白そのものだった。
そうだろう、そうだろう、人質としてはあの箱はあまりにもショボすぎる。どうにも危機感が湧いてこない見た目なのだ。
カルテルのボスすら大慌てで回収したがる重要品。だがどうして? という理屈の部分に俺とザスカーはまるで脳みそが追いついていなかった。それは私兵の大部分もそうであるらしく、この白けた空気を敵味方が共有していた。
咳払いをひとつしてから、ザスカーは場をとりなすように言った。
『あー、でー、どうすんだ?
ずっとそうやって箱掲げながら、のろのろスタジアムから逃げ出すつもりか? 言っとくがな、最近入った新顔のロシア人どもは射撃がべらぼうに上手くてな?
今すぐはちぃと無理だが、適当なタイミングでてめら待ち伏せて、頭だけ吹き飛ばすなんざ訳ねえんだ・・・・・・そこら辺、どうやって折り合いつけるつもりなんだ?』
人質としてもう一つ欠点を挙げるとしたら、手乗りサイズのこの箱は盾としてはあまりに小さすぎるという点だろう。冷静にすぎるザスカーの指摘に言いよどむDEA。コイツも大概、考えなしに生きている。
まあ深く物を考えられる奴なら、そもそも俺に張り倒され、なし崩し的にバディを組まされることもないか。
仕方ない。事前の取り決めにもあったように、交渉ごとは本来なら俺の役割なのだ。だから有無をいわさずDEAの手からポ、ポタ、ポー・・・・・・なんちゃらとかいう銀色の箱をむしり取った。
そして目の前のASに向けて言った。
「ザスカー、取り引きしよう」
本当に器用な機械だな、なにも鼻で笑うしぐさまでトレースしなくてもいいだろうに。
『あんま気が進まねんだがなぁ・・・・・・俺だって華々しい散りざまでテメェを黄泉の国に送ってやりたいところだが、予定が押しててな。その手の無駄な手続きをやる気力がねえんだ。
テメェもアウトローだろう。自分の人生にハッピーエンドなんざ無えと知っていたはずだぜ? 覚悟決めてここでおっ死ねよ狼の
ハッピーエンドはない? くだらないな・・・・・・そんなこと、とうの昔に承知していたさ。
「まあ聞け。俺は、テッサには多少なりと借りがあるんだ。なにせこの騒動に巻き込んだのは、なんやかんやと俺の責任なんだからな」
『はあはあ、んで?』
「だがコイツはどうなろうと知ったことじゃない」
“ちょっと待て君”、そんな小声の抗議を封殺しながら、俺は話を続けた。
「この阿呆は、テッサを助けるために船に乗り込んできた癖して、助けるどころか一緒にケティの罠に嵌って船内を彷徨った挙句、俺にあっさり殴り倒された能無しだ」
隠しきれない怒気を背中から感じはしたが、けっきょく異論も反論もどちらも出てこなかった。そうだろうとも、真実には誰も抗えない。
『そりゃお間抜けな話だな』
「そうとも、特にオチなんて最高だ――
ザスカーが急に押し黙り、私兵どもが色めき立った。
DEAの捜査官というのは、カルテルの人間にとっては特別な響きがある。
人が死ぬのは当然のことで、それがどんな形であろうと天命に過ぎない。諦めて残された者は前に進むしかない。
だがアメリカの正義とやらを盾にこの国に乗り込んでくるDEAどもは、死よりも恐ろしい物をカルテル関係者に課してくるからこそ、恐れられると同時に果てしなく憎まれてもいた。
DEAはカルテルの人間を決して殺さない。捕らえて、ただアメリカの刑務所に送り込むのだ。
生かさず殺さず、ただ狭苦しい箱の中でこれからの余生を過ごさせる。これほど残虐な行為もない。これに比べたら、首切りなんて可愛いものだ。
そんな羽目になるなら潔く頭を撃ち抜かれる方がよほどマシなのだが、どうにもアメリカ人という生命体は、死こそが1番恐ろしいことだと考えてる節がある。
これこそが最大のカルチャーギャップかもしれないと俺は考えていた。北と南、同じ大陸にありながらまるで違うふたつの地域を隔てているのは何よりも、死生観という訳だ。
だからザスカーは舌舐めずりを隠さないのだ。普段はアメリカの加護に守られているDEAの捜査官が、手を伸ばせば掴める範囲にいるのだから。
『・・・・・・ほぅ』
銀色の箱の素性にはピントこなくとも、DEAへの恨みは誰もが共有するところだ。
日頃の恨みを晴らすには絶好の機会・・・・・・そんな周囲の剣呑な雰囲気を嗅ぎわけてか、露骨にDEAの奴は分かりやすくすくんでいた。
『そりゃあれか
「馬鹿言え。カリはDEAの支局長まで抱き込んでるんだ、捜査官の1人や2人、消したところで問題なんか起こるはずがないだろう。
だが個人的な鬱憤は別・・・・・・違うか?」
どうもこの箱、ペラペラのアルミ製か何かのようで、感触からして防弾なんて夢のまた夢だろう。それなのに奴らが撃ってこないのは、クラス4の防弾力以上の魔法がこいつに掛かってるからだ。
ボスの命令は絶対。この箱をどう活用するかに、俺たちの命は掛かっている。だがその命には優先順位があるのだ。
「箱とDEAはくれてやる。だが俺とテッサだけは、このままスタジアムから五体満足で帰らせろ。それが取り引きの条件だ」
DEAが背後で息を飲むのが聞こえた。
まさか仲間意識でも芽生えたと、勝手に勘違いしたのだろうか? 俺はシカリオで、奴はDEA。いわば不倶戴天の敵同士が、友達の友達だからというゆるい関係で手を結んだに過ぎないのに、なんとも能天気なことだ。
いざとなったら切り捨てられるのはお互い様だと俺は思っていたのだが、この男にその自覚はなかったらしい。まったくお笑い種だな。
『だがどうだろうな
そりゃDEAの捜査官をいたぶって殺せるのは最高さ。だがやっぱテメェらそろって素直に狙撃した方が、何よりシンプルでいいじゃねえか。
お前さんが死ねば、これまでとこれからの騒動すべてに一気にケリがつく訳で・・・・・・それでもテメェを生かして返さなきゃいけねえ利点てやつを、お前さん挙げられるのか?』
実のところそんなもの無い。
そうとも、これが本物のプロ同士だったら合理主義が幅を利かせて、最初から交渉なんて成り立たないだろう。例え箱をこちらが抱えていたとしてもこの戦力差、絶対的に優位なのはザスカーの側なのだから。
だが俺は、一時だけだがザスカーと組んで仕事をしていたこともあった。
いい歳こいて後方に回るどころか、古臭いリボルバー片手に最前線へと嬉々として出向いていく、マトモな神経とは無縁な男。
カネが貯まれば引退してやると常日頃から嘯いてはいたが、本音ではただ終わらない闘争を楽しんでいただけだ。自分の才能とすべきことが合致している今の幸福を、どこまでも噛み締めている男・・・・・・俺も似たようなものか。
ただ俺と奴に違う点があるとしたら、この世界に足を踏み入れた切っ掛けぐらいか。俺はこうならざるおえなかったが、奴は望んで来た。だがそんなの、今更、言い訳にもならないのだが。
俺にだって抜け出せるチャンスは幾度もあった、だがこうして残り続けた。その理由は単純至極、ザスカーと同じく単に才能があったからにすぎない。俺はカリ・カルテルのナンバーワン・シカリオなのだから。
このいつ始まったかも定かじゃない血と暴力の連鎖。これまで無数の人間がその歯車として加わってきたが、流されるがままに俺もそれに加わり死んでいく。そういうものだとずっと信じてきた。
そうだ、この連鎖をザスカーは、心の底から楽しんでいるのだ。
「俺を逃せば、トラソルテオトルでお前らを出迎えてやれるぞ?」
『・・・・・・』
そう挑戦的に言い放ってやった。
「別にこのまま踏み潰されても構わないさ。だがそうなれば、残るのはくだらない雑務だけだ。
怯えて縮こまるガキどもに1発ずつ弾丸を撃ち込んでは、
お前の大好きな
『・・・・・・ハッ!!』
葛藤と呼ぶのもおごましい短い時間で、ザスカーは決断を下した。
快楽主義者に損得感情があるとしたら、それは楽しいか否かだけだ。とはいえ、ここで冷静に計算できるのもザスカーという男だった。
箱の真価は、俺同様にザスカーだってよく分かっていない。だが上司がああまで言うのだから、傷でもついたら面倒なことになる。
そういう前提条件を下敷きにすると、これは部の良い取引のはずだった。みすみす獲物を逃してしまう格好になるが、お目当てのものは手に入るし、感情のはげ口はDEAが満たしてくれる。
まさにWin-Winだ――生贄にされるDEAを除いて、ということになるだろうが。
「・・・・・・僕に死ねっていうのか?」
背後からの短い恨み言にこう返す。
「ガキどものために命を張ると決めたのはお前だろう。今が命の捨て時だぞ」
「・・・・・・」
わざわざザスカーはASに身振り手振りをさせながら、配下に指示を出していった。
『おいペドロや。どうだ? お前さん志願するか?』
「何にですかねぇ、
ソフトアーマーの上からアロハシャツを羽織る、上司によく似たいかにもな不良中年が、これまた上司とそっくりなニヤニヤ笑いで応じていった。
『箱を受け取ってから、珍しく男装してるその変態野郎をエレベーターに載せてせんじ上げろ』
「良いんですかい?」
『しゃーねえだろ、何がなんでも箱を確保するのが“厳命”だそうだからなぁ。多少の不利益には目ぇ瞑らねえと』
雑にエレベーターの呼び出しボタンを叩いてから、DEAの抱えてるインベルの兄貴分にあたるFN FALを背中に回し、こちらに歩み出てくるペドロとかいう男。もしかしたらむかし出会ったことがあるかもしれないが、漂う三下臭のせいで他の奴らと見分けがつかなかった。
だがわざわざザスカーが指名したのだ、最低限の実力はある筈だ。
男は余裕ある態度を崩さない。それも当然だ、俺がいきなり心変わりをしても、奴の背後にはまだ大勢が銃を構えて控えている。頭数が増えるほどチンピラという種族は自信満々になる。
奴が近づくほどにDEAの命運はゼロに近づいていく。
捕らえられたDEA捜査官の末路は、麻薬戦争の最初期の犠牲者であるキキ=カマレナから今日に至るまでまったく変わっていない。拷問によるショック死も相応に悲惨だが、中にはゲリラに売り払われて、ジャングル奥地の収容所に閉じ込められる奴もいる。どちらにせよ幸福とはほど遠い末路だ。
DEAは悩んでいた。いっそ撃つべきか? まずペドロ、次に俺を。
だがそもそもクソ真面目さが全身から溢れ出てる奴なのだ。結局、決断しきれなかったDEAを押し退けて、俺は箱を差し出しながらペドロなる男を待ち受けた。
行って帰ってと忙しいエレベーターがまたしても到着し、親切にも気を利かせた私兵の1人が足をつっかえ棒にして、そのエレベーターをキープしていた。
本日のエレベーター運は最悪な気がしたが、とりあえず今は脱出のための唯一の道がアレだった。もっとも、この取り引きが冗談みたいなものだとDEA以外の誰もが気づいていたようだが。
ペドロの足取りは、どこか演技がかったわざとらしいもので、今か今かとネタばらししたくて堪らないようだった。案の定、あと数歩で箱を受け取れるという段になって突然、ペドロは背中を曲げて笑いだした。
奴だけじゃない。私兵どもまで揃って、嘲り笑いのオーケストラを奏で始める。
「くっく、ヘッフェ? いつまで茶番に付き合えばいいんですかねえ」
『さあなぁ? 我らが
やっぱり・・・・・・気づいてたか。
右手をたれ下げて、何気なくガリルのグリップを握っているかのように見せかけてこそいたが、実際には手の行き先はポケットの中だった。正面からだと分からないだろうが、頭上からは巨人の目、背後には階段組と、四方八方から監視されているのだ。
手先は器用なつもりだが、バレずにやるのはやはり至難の技だったか。
「おい変態野郎」
そうペドロという男は言い放ち、背中に回していたFALを構え直した。
「クソみたい帽子かぶりやがって。B.S.S.の頓馬どもならともかく、俺の目は誤魔化せねえぜ。ポケットの中身はなんだ?」
「・・・・・・自分で調べればいいだろう」
「不意打ちはご免だ。人差し指と親指だけでゆっくり外に出して、中身こっちに見せやがれ。取り引きをご破産にされてえのか?」
距離を慎重に保ちつつ、えらく手続きがかった命令口調。こんな阿呆みたいな格好をしているが、存外この男、元警官とかだったりするのかもしれない。
奇襲できるならそれに越したことはなかったが、こうなっては仕方がない。やれやれと首を振りつつ、俺は命じられるがままポケットの中身を取り出して、奴へと放ってやった。
――もう温かくはないオロスコの右目を。
「ひっ?!」
すぐ人を生首だけにしたがる癖して、いきなり投げつけられた目玉だけは生理的に無理らしい。ペドロに避けられた受取人不在の目玉がベチャと生っぽすぎる音を奏でてつつ、地面に落ちていった。
その音に露骨に顔を歪めながら、ペドロは叫んだ。
「テメエ、頭イカれてるんじゃねえのかッ!?」
良い子ちゃんぶっているDEAになら、同じセリフを言われようとも屁にも感じないのだが、これが俺の同類であるザスカーの私兵から飛び出たとなると・・・・・・なんだろう、ちょっと自分で自分の正気を疑いたくなってきた。
これぐらいカルテルでは挨拶代わりだと思っていたのだが、絶不評だな。
うむ、まぁ、深く考えるのは後回しにして、今は動揺のあまり脇が甘くなっているペドロに向けて距離を詰める方が最優先だった。
奴の頭に!マークが浮かぶ頃には、すでに奴のFALのスリングを巻き上げ、ライフルを背中で梃子のようにして拘束し終えていた。そして総仕上げとして、目玉と一緒にポケットに収まっていた、ついさっきまでオロスコの拘束具代わりとして機能していた手榴弾を取り出し、ペドロの眼前へと突きつけた。
目玉に手榴弾、どちらもオロスコの置き土産なのは、ささやかな皮肉を感じるな。
『ヒュ~』
ASの装甲に守られてるザスカーは、口笛吹いて余裕の面持ちだったが、締め上げられ、いつ爆発してもおかしくない手榴弾を突きつけられているペドロの動揺具合ときたら、それはもう酷いものだった。
安全レバーを抑えてるテープはついさっきポケットの中で剥がしておいたから、今は俺の握力だけで爆発が阻止されている格好になる。この調子だと、汗で滑って外れてしまうとかありそうでちょっと不安だった。
こっちが素直に従わないのは想定の範囲内だったろうが、こうもあっさり味方が拘束された挙句に、敵が手榴弾を持ち出してくるとは予想外だったらしい。有効爆発半径にモロ被りなエレベーター組の私兵たちはとりわけ、一応にシリアスな顔つきへと変わっていく。
これぞ一触触発というものだった。いつ弾丸が飛び交っても驚かない。
「DEA、そっちも箱を“装備”したらどうだ?」
こっちが何を握っているのか今一度見せつけてから、俺は銀色の箱を自分のベルトに片手で挟み込んでいった。
「・・・・・・てっきり裏切ったのかと」
そんなこちらの動きに倣って、実は十数個もあった銀色の箱のひとつを新たにバックパックから取り出し、自らのチェストリグのマガジンパウチへと、予備マガジンを置き換える形でDEAは収めていった。
これで箱がひとつだけだったらなら、狙撃してやるというザスカーの主張はごもっとも、取引なんて成立しようもない。だが何十個もあるなら盾としては十分すぎる。下手に撃てば流れ弾が当たるかもしれないという不安が、私兵たちに駆け抜けるのが感じられた。
実際、歯噛みしながら私兵たちは引き金を指を添えつつも、誰も発砲できずにいた。先ほどの余裕は完全に消え去っている。
「馬鹿言うな、そもそも最初から味方じゃないだろ」
至極当然のこちらの指摘に、呆れたようにDEAは笑い出す。
「そうかい・・・・・・で? これからどうする?」
「増援が来るまで当面は睨み合いだな・・・・・・いや、やっと来たか」
この手榴弾は窮鼠猫を噛むよろしく、死ぬ前にちょっとやつらの鼻を明かしてやっただけが目的じゃない。
テッサのおぞましいところは、作戦が失敗したパターンすら数十個も想定して、あらかじめ俺たちに準備させていたところにある。
流石に預言者というわけじゃないから、アイツもザスカーのASが襲来してうんぬんとまで予見していたりはしなかった。だが退路を絶たれ、強行突破するしかないシチュエーションに陥った場合の打開策というものをアイツは、ちゃんと用意してくれていたのだ。
こうして、だらだら話していたのも実は作戦のうちだった。正規の出入り口は一箇所しかないのだから、私兵どもが大挙して突入していく光景をアイツが見逃すはずがない。
『・・・・・・なんだぁ?』
絶対的な優位にあるなんて胡座をかいていたザスカーすらも、流石に異常事態に気づいたらしく、こっちに銃の照準を合わせつつも一様に頭上を眺めていく部下たちに倣って、フロッグマンまでもが天を仰ぎ見ていった。
まるで壁に何度も衝突をしていくトラックのように、コンクリが破砕される轟音が、吹き抜けのなかに何度も何度もこだましていった。その音に混じり、パラパラと粉塵が降り注いでくる。
・・・・・・アイツは相変わらず無茶をするな。
どうやら俺たちが侵入してきた、あの人が通るのがやっとなトンネルをASで強引に突き進んでいるらしい。
「気づいてなかったのか?」
フロッグマンの集音マイクは本当に優秀だ。こんな大騒ぎの真っ最中でも、俺の声をちゃんと拾ってくれていた。その証拠に、ザスカーの乗るASが頭をこちらに傾けてくる。
「トラソルテオトルの裏から艀に載せて持ちだした虎の子のサベージ・・・・・・緑のペンキでちょろっと縞模様をペイントしてやっただけのそいつが、素知らぬ顔してグラウンドの作業に紛れ込んでたことに、まさか本当に気づいてないとはな」
『テメェ!!』
ザスカーの激昂を、張り巡らされた
ありとあらゆる建造物の破片が雨のように降り注ぎ、そこにすぐケティのサベージまでもが加わろうとしていた。
いきなり巨人がこちら目掛けて落下してきたのだ。私兵どもはこちらに銃を向けることも忘れて、必死に自分の命を最優先、三々五々に逃げ場を求めて散っていく。
だがこっちからすれば、この混乱こそが反撃のチャンスだった。
まず人質であるペドロの手の中に手榴弾を握らせてから、奴の背中を思い切りけり飛ばしてやる。いきなりのことで無様にバランスを崩しながら仲間たちへと突っ込んでいくペドロ。奴の手の中の手榴弾から、安全レバーが弾け飛んでいくのが見えた。
出戻ってきた仲間をついつい抱きとめてしまった、あの私兵の絶望的な表情こそが、俺の真の狙いだった。
すでに安全レバーはない、爆発まで数秒を残すばかりの手榴弾。そこからの私兵の動きは冷酷だがひどく的確なものだった。勢いを殺さぬようそのまま開きっぱなしのエレベーターの中へと、今や爆弾人間となったペドロを放り込んでから地面に伏せたのだ。
殺傷半径15mの凶器とはいえ、手榴弾の炸薬量は限定されている。エレベーターの壁に挟まれればその殺傷力は大きく減じてしまうだろう。まあ、エレベーターの中なら安全だろうと逃げ込んでいた数人には、関係のない話だったろうが。
ミリタリーカラーをした鋼鉄のボールがペドロの手の中で炸裂し、エレベーターの扉からは、血煙と人体の破片が同時に吹き出してきた。
誰かが俺の頭の中で、知覚モードをスローモーションへと切り替えていった。
この現象、誰しもに備わっているアドレナリンの効能なのか、はたまたトラソルテオトルで無数に投与された薬物のどれかのせいなのか、分からない。鉄火場に入るといつもこうなる。
まあ、この能力の原因なんてどうでもいい。狙い易ければ、それで十分。
腹に響いてくる手榴弾の爆音を感じながら、俺は自前の
肩を窄めてストックを押しつけ、空いた左手はマガジンに自然と被せる。ロシア人の教官に教わったままの射撃スタンスで、俺はホロサイトの中に浮いている真っ赤な
7.62mm×51NATO弾の強烈な
ガリルとインベル。合わせて55発が間断なく私兵たちを切り刻んでいく。なにせ至近距離なうえ、相手はついさっきまで密集していた。狙いを外す方が難しい。
銃声、悲鳴、脳漿が飛び散った証拠のピンクの霧、7.62mm弾の大口径によって引きちぎられていく手足。ガリルのマガジンが空になる頃には、私兵どもは九割方がなぎ倒され、血溜まりの中へと沈んでいった。
だが全員ではなかった。
奴らもど素人じゃないから、とっさに身を伏せて撃ち倒されたばかりの仲間の死体を盾にする奴や、爆風が収まったばかりの血みどろエレベーターの中に逃げ込む奴など、生き残りがチラホラ見受けられる。その死に損ないの中には、すでに反撃の姿勢を見せている奴もいた。
だが、こちらにはまだ“箱”という鎧があった。ボスの命令がある以上、下手に撃てはしない筈。
とはいえ理屈ではそうでも、ついさっきまで横に立っていた戦友が死体に変われば、言葉の上にしか存在しない“鎧”なんて、意識の外に追いやられてしまうものだろう。
そもそもそんな高度な自制心を持ち合わせているのなら、コイツらが就職先にカルテルを選ぶ筈もなく・・・・・・デタラメな数発、だが確かにこちらを狙ってきた反撃の弾丸がつぎつぎ俺の顔を掠めていった。
しかし、襲いくる地震のようなインパクトによって、そのすべてが盛大に外れていった。
数十メートルの高さからASが落ちてくると、辺りはマグニチュード8を余裕で越える振動に襲われるらしい。覚悟していた俺ですら、ついつい膝をついてしまうほどの激震だった。
振り返れば、床に円形のクレーターを抉りながら、膝をついて立ち上がっていくケティのサベージが見えた。
トラソルテオトルの武器庫はとにかく品が揃えが豊富で、その気になればケティのサベージを完全武装させることも容易かったのだが、あいにくとスタジアム内に忍び込むためには土木用に偽装するしかなかったのだ。だからサベージの武装は、拳と対歩兵用の内蔵火器のみだった。
ザスカーのフロッグマンと、ケティのサベージ。別々の事情から、皮肉なことにお互いフェアな勝負とあいなったわけだ。あの2人の背景を思えば――ついつい運命の戦いなんて、陳腐な言葉が脳裏をよぎりもした。
縦幅はともかく横幅は大してないこんな閉所空間に、空手のASが対峙する。こうまで制約が課せられると、どんな優れた乗り手だって戦い方は、おのずと限られてしまうだろう。
都合よくゴングは鳴ったりしなかった。代わりに、襟首がわりに相手の装甲板を引っ掴んでの、昔ながらの醜い殴りあいが唐突に開始される。
『やってくれたなぁ!! えぇッ!!』
巨人と巨人のパンチの応酬。
芸の欠片もない戦いの最中、悲鳴とも、喜びともつかない絶叫をザスカーが外部スピーカーから轟かした。だが超巨大スケールなステゴロ合戦のうるささに、その声もすぐかき消されていった。
あちらの勝負の行方はもちろん気になるが、こっちだって危機的状況のままだった。
あれ狂う微震のせいでパラパラと肺に悪そうな粉塵が舞い散るなか、DEAは弾切れのインベルからサイドアームのベレッタへと、鮮やかに
片手撃ちは難易度が高いのだが、死体製の土嚢に姿を隠して伏せ撃ちしてくる警備員の1人を、的確に射すくめていくDEA。そのまますり足のようにして上体を動かさぬ特殊部隊流の移動射撃を披露しつつ、この辺りでは1番まともな遮蔽物だろう警備員の詰め場へとDEAは駆けていった。
華はないが、定石をちゃんと心得ている行動だった。そうとも、まずは遮蔽物に隠れなければお話にならない。銃撃戦はもちろん、喧嘩しているASがすぐ真横にいるのだから。
だが、迷いが浮かぶ。
右に倣えでDEAの後を追ってもいいが、その先はジリ貧でしかない。こちらからすれば無限の増援を繰り出してこれる敵と、物陰に隠れながらひたすら撃ち合う格好になるのだから。今を凌げても、その先が続かないだろう。
かといって正面突破はできるのか?
生き残り連中はよくエレベーターを固守している。この場に手榴弾がもう1発あればまだやりようはあったろうが・・・・・・ここを守っていた警備員どもを拘束するために大盤振る舞いしてしまった後なのだ。
まさに後悔先に立たず。火力を優先せず、素直に簡易手錠を持ってくればよかった。
正面は無理、左右はただの壁、こうして3つのルートが潰れた。なら活路はあっちか?
つい先ほどまで逃げ出そうとしていたカルテル謹製の脱出トンネルは、ザスカーのフロッグマンによってハッチが吹き飛ばされてこそいたが、まだぽっかりと穴を開けたまま放置されていた――そうとも、足の下を這いずり回ってる奴らなんて知ったことかと殴り合いに興じてる、ASの足の向こうがわにな。
銃弾よりも正直、俺にはASの足の裏の方が怖かった。人間ガムは御免だ。ASの織りなすあんな暴力的なバレエの隙間を縫って駆け抜けるなんて、無茶にも程がある。
そのうえこれは第一関門にすぎないのだ。第二関門は、トンネルからそう遠くないところにある非常階段に詰めている、後詰めの私兵たちだった。
比較的に安全地帯にいるせいか、階段組の連中は今のところ静観を決め込んでいた。
この揺れではどだい狙撃なんて不可能だ。箱を壊して責任を追及されるよりは、機会を虎視眈々と窺うほうがいい・・・・・・そうとも、奴らからしたら“箱”を無傷で奪うには、最終的にこちらに近接戦闘を仕掛けるしかないのだ。タップダンスをしてるASたちの足元をぬって突撃をかますほど、連中は高給を貰っていない。
だが階段のすぐ横にあるトンネルから俺たちが逃げ出そうとすれば、遠慮なく掃射のひとつやふたつ仕掛けてくるだろう・・・・・・。
選べ、選べ、選べ。
会ったばかりの外国人に命を委ねたのは、これが理由だ。俺に思いつける作戦はせいぜいひとつだけ、強行突破だけだ。テッサならあらゆるパターンを吟味した上で、最良と思える作戦を成功・失敗・そこらのリカバリーも含めて幾億通りも思いつけるだろうが、俺には無理だ。
だから結局、馬鹿の考えは休みに似たりと諦めるしかない。いつものように、いまこの場には俺しかいない。考えるよりも行動しろと、頭の中の誰かが叫んでいた。
俺は選択し、地を蹴った。取っ組み合うASの方角に向けて。
いつものハイヒールとはまるで異なるブーツの走り心地は、どうにも慣れない。水の溜まった靴で走るような不快感を我慢しながら、DEAの制止の声にまるで耳をかさず、第3の道に向けて、とにかくひた走っていった。
揺れが増していくほど・・・・・・やめときゃ良かった感が強まっていく。だが今ここで踵を返そうものなら、なにせホールのど真ん中のなのだ。四方八方から撃たれて終わりだろう。今さらやめることもできない。
走りつつ、ガリルの空になったマガジンを親指で弾いて、新しくフル装弾されたマガジンをはめ込み、仕上げにチャージングハンドルを引き切った。最低限これでもう25発撃てる。
この際だ、どうにも階段組は25人よりも多そうだという事実には目を瞑った。
近づけば近づくほど巨人の圧迫感は増していく。ここはいわば、台風の中心地みたいなものだった。それも暴風の代わりに、鉄骨をブンブン振り回してるような物騒な台風の中心地・・・・・・人間に踏まれそうになってるネズミの視点というのは、きっとこんな感じなのだろう。
だが良いニュースもある。台風の目のなかは、いつだって風が凪いでいるものだ。
ザスカーのフロッグマンが思いきり壁へと叩きつけられていく。先制を許してからというもの、どちらかといえばザスカーは防戦一方で、フロッグマンのバイザーはケティの連打によってヒビが入っていた。
たがダメージらしいダメージはそれぐらいのものだった。今だって壁に追いやられてこそいるが、叩きつけられる瞬間、足をバネにして衝撃を最低限に殺している。
対してケティは、当人の性格がよく表れて激しい攻撃を繰り返しているのはいいが、そのせいでサベージのマニュピレータはすでにズタボロ、指先が何本か機体から転げ落ちるほどだった。
ASに詳しくなくとも、格闘戦は俺の専門分野だし、結局のところ乗ってるのも操ってるのも人間に過ぎない・・・・・・だから有利不利ぐらいなら読みとれた。がむしゃらなだけが取り柄の若手がベテランにうまくのせられ、消耗させられている、俺にはそうとしか見えなかった。
これが腕の差だろう。ケティはなんでも器用にこなすが、エキスパートと呼べるのは爆弾作りだけだ。訓練初日になぜだかシミュレーション・モードを切ってしまい、あわや船倉に穴を開けかけてからASには関わらないようにしてる俺に比べたら、操縦技能は天と地ほども差がある。それでも世間一般から見ればケティの腕前は、せいぜい補助輪がやっと外れたという程度に過ぎない。
対して、ああ見えてザスカーは遠くイスラエルで正規の訓練を受けているのだ。その上、実戦経験も豊富だ。機体のスペックうんぬん以前に、ぶっつけ本番のケティとは役者が違う。
――まともに組み合うだけなら、勝負の行方はもう見えている、か。
階段組からの挨拶がわりの銃撃にガリルの応射で答えつつ、好都合にも組み合い、膠着状態なASの足元へと飛び込んでいった。
今のところサベージの足首は頑丈で、頼れる掩体だった。だがこの油圧駆動がいつまた暴れ出し、俺を弾き飛ばすか知れたものじゃない。
内心はちょっと怯えつつ、お目当てのものを俺はサベージの股間部に素早く見つけだしていた。通常モデルのサベージには見受けられない、この機体だけの特別装備。透明なボールに包まれた監視機器の集合体のようなもの――センサーポッドだ。
回想。それはCIAが実はカルテルを経営していたなんて与太話で周りを説き伏せ、子どもリボンで武装している変な女が、有耶無耶のうちに指揮権を握った直後のことだった。
“ノルさん、ノルさん”
あんな悲喜交々のあとで俺と話すのが気まずいかと思いきや、テッサは能天気に人へ語りかけてきた。
“あのサベージはですね、実はうんたらかんたらで、なんたらどーたらなんですよ?”
などという濃厚な兵器トークの内容は、もう半分も覚えていない。
テッサとしては、サベージをこの作戦に組み込むべく俺に相談を持ち掛けたつもりだったのだろうが、そのノリときたらASの専門家に語りかけるようなテクニカルな内容ばかりで、俺の知能ではまるでついていけなかったのだ。
さも当然のようにひけらかされる専門用語の数々。頭の出来を否が応でも見せつけられる拷問のような数分間。だがあるパートだけは、どうしてか鮮明に覚えていた。
“あの股関部に設けられたセンサーポッドは、おそらく市街戦の際に死角になりやすいASの足回りをカバーすべく増設されたのでしょう。外装からして、きっと戦闘ヘリ用の装備をベタ移植したに違いないわ”
そうか、あの卑猥な取り付け位置には、そういう深遠な意味があったんだなと、妙な感銘を受けたものだった。
この辺りの住民は、みんな
殴り合いに夢中になってなければいいがと気を揉んでいたが、杞憂だった。
ピストル弾ぐらいじゃ傷もつかない股間のセンサーポッドがぐるりと回転し、足元にいる俺の顔をレンズを狭めて睨みつけてきた。
ケティの耳が聞こえてたらならなんてのは、言いっこなしだ。アイツの手話と読唇術で助かったシチュエーションも無数にある。だから今は、たまたま不便な面を甘受して、状況に適応するしかない。
“奴を抑えつけつつ、話を聞け”
そう手話で語りかけると、首肯するようにセンサーポッドが動いて、目に見えてサベージの出力が上がった。フロッグマンをより壁にめり込ませていく。
どうせ長続きしないだろうが、とりあえずの安全さえ確保できれば十分。作戦を説明したら、DEAの方へさっさと逃げ帰るつもりだった。
センサーポッドに向けて、手早く手話で指示を出していく。
万全の準備をしてなお、最後に戦いの決め手となるのは現場の努力ですとか、テッサの奴は偉そうに語っていたが、噛み砕いていうならそいつは、アドリブでどうにかしろということだ。
テッサの頭脳が常人離れしているのは認めるが、さすがに地下の金庫室でASが殴りあうなんて予想しようもない。そんなことが出来るのがいるとしたら――“あの人”ぐらいのものだろう。
プランCだか、DだかZだかを説明しおえて、ケティの助けがあればなんとかこの場を抜け出せるかもしれないと微かな希望が湧きでた途端に、ザスカーのものとは違うスピーカーがまたしても叫び始めた。
厳命だとか偉そうにのたまった矢先に、“箱”のことなんか頭からすっぽ抜けて銃撃戦を始めたのだから、館内放送をつかって一言、サングラスの男が部下どもに物申したくのも当然か。
もっともその新たな命令は、誰にとってはた迷惑なものだったのだが。
『何をしている!! HDDを傷つけるな!! 無傷で奪還しろ!!』
誰も命令を聞かないのって、これまで影の支配者に徹しすぎたせいで、部下に存在が知れ渡ってないせいじゃないのか?
サベージの足首に弾かれた跳弾から顔を逸らつつそんな考察を重ねていると、ついにその命令が発せられてしまった・・・・・・なんやかんや、Mr.キャッスルはカルテルの動かし方を心得てはいるようだ。
こいつらは結局、カネしか見ていない。
『・・・・・・よかろう野蛮人どもめ、HDDを確保した者に100万ドルを支払おう!!』
瞬間、銃撃が止んだ。
この命令の迷惑度合いをきちんと認識してるのが、声を震わせわかりやすく狼狽しているザスカーだけというのは、なんとも皮肉だった。
『おいおいおいおい、阿保どもが目先の欲に踊らされるんじゃねえ。このまま固めてりゃ放っておいてもこっちの勝ちだ。なにも近接戦なんて野郎の間合いに、自分から飛び込むんじゃ――この
ザスカーの叫びももっともだった。
咄嗟にサベージの足首を台にして、俺もガリルを固定しながら狙い撃とうとしたのだが、手遅れだった。
ASに踏み潰されたくないならまずASを破壊しろ。そんな納得できる理屈のもと、階段組の1人が遮蔽物から身を晒して、
白い筋をひきながら飛翔していく
中途半端にザスカーに当てまいとギリギリのラインを狙ったせいで、ちょっと身を捻っただけでRPGの弾頭はサベージの背面装甲に弾かれてしまい、レンガの壁へと突き立っていった。
暴風が吹き荒れる。頭を抱えて防御姿勢をとったが、容赦なく背中にレンガの雨が降り注いでくる。ケティがサベージの手のひらをかざして守ってくれなければ、背中の打撲程度では済まなかったかもしれない。
これが高度な軍事訓練を受けているモンドラゴンの
この辺り、上官の薫陶が行き届いているという感じか。あの私兵ども、劣化ザスカーの集団って感じだった。
『テメェら、機体のパイプに傷でもついたらどうするッ!!』
ボスの命よりも目先のカネが優先。いかにもザスカーの手下らしい男たちこと、階段組の私兵たちが十数人、すでにこちらに向けて突撃を開始していた。
俺を庇うために姿勢が崩れていたサベージめがけて、ザスカーのフロッグマンが肘鉄を喰らわした。
関節部からイヤな雄叫びをあげつつ吹き飛んでいくサベージだったが、すぐさま反対側の壁にバネのように弾かれてしまい、思いがけず体勢を立て直していた。
ここはやはり狭すぎる・・・・・・だが金の亡者たちにとっては、決闘よろしく距離をとっているASの狭間というのは、格好の突撃スペースに過ぎなかったらしい。
まだ対戦車ロケットの爆発で耳がキンキンいっていたが、俺はすぐ膝射の姿勢をとって、迫りくる私兵たちを正確にガリルで撃ち抜いていった。
話の趣旨をよく理解しておらず、100万ドルの餌に釣られて銃を乱射しまくっている馬鹿から優先的に斃していったが、先程のRPG射手を撃ち抜いたあたりで、引き金がむなしく空を切り、ガリルが弾切れを告げてきた。
マグチェンジか? それともPSSピストルを抜くか?
一瞬の迷いは死に繋がる。
中途半端にマガジンだけ弾かれた弾の出ないライフルを構える俺に目掛けて、凶相を浮かべながら先頭をひた走る巨漢が、問答無用で消化用オノを振りかぶっていく。
その光景を俺は、なすすべなく見上げることしかできずにいた。
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