IV “驕れる者は、自らを王だと思い違える”

【“コッファー”――3ヶ月前・バージニア州ラングレー】


 CIA本部は2棟ある。


 ひとつ目はジョージ・ブッシュ情報センターという、誰が建てたのか名前をみれば一目でわかる新館で、総ガラス張りでとても美しく設備もまた最新。ボタン一つで透明なガラスがスモークグラスに早変わりとか、私のようなロートルにはもはや訳のわからないテクノロジーで溢れかえっている。まあ別に使う機会があるわけでないから、好きなようにハイテクを振り回していればいいと思う。


 なにせかつてはCIAの主戦場であったものの、今やキャリアの墓場と化している我らが中南米部門は、今だに旧館に腰を据えているのだから。


 新館と違い、こちらには積み重ねた歴史という良さがある。事実上のCIAの創設者にして、2代目長官が建てたこの旧館からは、煌びやかな現代建築にない古強者な雰囲気がタバコで黄ばんだ壁から漂ってくる。個人差があるだろうが私個人としては、それがとても心地いい。


 だがドアを黄色とか赤とか、ケバケバしい配色にしたのかはまるっきり謎だったが・・・・・・これではまるで幼稚園である。実際、オフィスに3才になる娘の絵を飾ってみたら、これがあと10枚あればまんま幼稚園だなと思えたものだった。


 時が経ち、いまや娘は16才。10歳になる息子の作品とあわせてオフィスの絵も増えに増えていまや100枚を越し、もはや我がオフィスはまさしく園長先生のそれと化していた。


 だが新館が立ち、ここも寂しくなったものだ。ことに中南米部門は。


 南米の独裁者のほとんどが死ぬか老いさらばえ、ソ連というプロデューサーを失ったゲリラたちは集合離散、もはや地元の犯罪組織と見分けがつかなくなっている。一時は熱心だった麻薬カルテルとの戦いにしても、 DEAという専門家がいるため出る幕がない。これが時代の移り変わりというものなんだろう。


 南米の独裁者に頭を悩ませていた60年代は遠くなりけり、それから時代はベルリンとモスクワでのスパイ合戦に移り、それもソ連崩壊によって終わりを告げられ、今ではCIA全体がどこに行くべきかで頭を悩ませている。


 我々の敵はどこにいる? 


 その問いかけを最前線でしている人々はすでに旧館を去り、新館の住人になっている。たとえば、今目の前に座っているCIA長官などはその代表格だろう。


「・・・・・・」


 でっぷり太ったスーツ姿の大男。人好きのいい笑顔をいつも浮かべているが、それは選挙演説に明け暮れていた時代に培ったものに違いない。キャリアの大半を上院議員として過ごしてきた彼は、珍しいことに旧館の会議室へと足を運んでいた。


 その理由とは――誰あろうコッファー=ホワイトこと、この私が呼んだのだが。


 時代がかった防音材に包まれるこの密室には、お定まりの長机と電話機、そしてフラットスクリーンが壁に掲げられていた。21世紀をにおわせる備品といえばあのスクリーン程度のもので、あとは60年代から変わらない時代遅れな会議室である。


 青白い光をはなつ液晶スクリーンの中には、私が原稿を書き、有能な部下がパワーポイントでまとめてくれた報告書が垂れ流されていた。テーマは――対テロ戦争の可能性と、CIAが果たすべき役割について。


 そんな題字を横目で眺めつつ長官は、自分がどうしてここにいるのか戸惑っている様子だった。


「それで、君が言いたいのはつまりこういうことか? ソ連に変わってCIAの次なる敵は、テロリストになると」


「そうです長官。危険が差し迫っています」


「なるほど・・・・・・それは分かった。だが実はずっと気になってたんだがね。その、君が首にかけてるIDカードことなんだが」


おやまあウフタ


 ついつい故郷の言い回しが口をついて出てしまった。伊達にミネソタの田舎者なんぞと陰口を叩かれてはいない。CIAの人間というのは、出身校をひどく気にするのだ。


 名門大学アイビーリーグ出でないとまず認められない。そこにくると我が母校たるミネソタ大学は、ノーベル賞受賞者を幾人も輩出していたりするのに田舎の底辺校みたいな扱いをされている。


 まあ、その気持ちは分からないでもない。畜産科出身のCIA職員が珍しいのはたしかだ。とりあえず私の観測できる範囲には、牛の尻に手を突っ込んでいた過去をもつCIA局員は、私以外にいないのだし。


「お気に召しませんでしたか?」


「いやよく出来た分析だとは思うんだが・・・・・・それより、そのIDカードにはコッファー=ホワイトと書かれているよな?」


「ええ、それが私の名前です。ミネソタにはドイツ系移民が多くて、私もその家系なんです」


「それはどうでもいい。問題は、コッファーて名前の男がCIAには他にもいるということだ」


「ああ、存じていますとも。よく似た名前なのでむかし友達になろうと話しかけたら、あっちに行けと追い払われまして」


「そう、対テロ・センターCTCのボスの名前が、コッファー=


「そうですね。私は。白黒はっきりしてていい名前でしょう?」


 時に田舎者じみてバカっぽいと評される笑顔を浮かべつつ小粋なジョークを飛ばしてみたが、反応は今ひとつだった。


 笑えない冗談ほど場を白けさせるものもない。さすがの私も居たたまれなくなってついつい、そばに控えていた人種が混ざりすぎてこう、キア◯=リーブスみたいな外観をしてる部下に囁きかけてしまった。


「ウケなかったね」


「ご安心くださいチーフ、私は心のなかで大爆笑しています」


「ああ、それは良かった」


 Ms.アンサー、彼女は本当にいい部下である。以前、私の下にいた虹彩異色症を気にして年がら年中サングラスをかけていた古株の部下とは、まるで大違いというものだ。彼なら無言で殺意をほとばしらせるだけで、答えてすらしないだろう。


 長官は、まだ思案に暮れていた。いや困惑しているという方がより正確な表現だろうか?


「私はだな・・・・・・」


「はい」


「秘書からこう聞いていたんだ。コッファー氏がテロ対策についてプレゼンをしたいと」


「ええ、そのように伝言を頼みましたから」


「テロ対策部門の人間がテロ対策について話がしたい、それなら納得だ。

 旧館を指名されたのは妙だとは思ったんだが、なんとなく流されるがままここに来てしまった・・・・・・それでー、君は誰だっけ?」


「ですからコッファー=ホワイトです」


「CTCのコッファーじゃなくて?」


「中南米部門のチーフの方のコッファーです。このIDカードにも書いてあるでしょう」


 ちろちろ、首にかけた青色の枠に囲まれてるIDカードを振りまわした。


「・・・・・・OK、なら私の見間違えじゃないんだな。ではあらためて尋ねよう、どうして中南米部門の人間がテロ対策なんぞに首を突っ込んでるんだ!!」


「ちょっと気づくの遅すぎません?」


「馬鹿にしてるのかね君はッ!!」


 そんなつもりなど毛頭ないのだが。この発言が真実ならば、我らが長官は、何が何だか分からないままプレゼンを最後まで聞いてくれたことになる。それも一言も口を挟まずにだ。


 長官は、ホワイトハウスがCIAを監視するために送り込んできた刺客とたいへん評判の悪い人物なのだが、この反応からして意外と良い人なのかもしれない。


「誰の指示で、こんな畑違いなレポートを書き上げたんだ?」

 

「暇だったので自主的に」


「おい冗談だろう・・・・・・つまりCIA長官たる私は、君たちの趣味ホビーに付き合わされたというわけか? なんと――」


 高そうな腕時計の盤面を確かめる長官。


「2時間もだ!! 私も大概に我慢強いな!!」


「お気に召しましたか?」


「なにがだ!? 私の腰痛がぶり返しそうなことがかね!?」


「これからのCIAの主敵メイン・エネミーとなるのは、国家でも組織でもなく、信念を共有する個人たちによってなされるという私の主張をです」


「・・・・・・よし。君が私を騙くらかして、自分の理論をひけらかしたことについては、一旦置いておこう。置いておくにしてもだ」


「2度もいう必要あります?」


「黙りたまえ。

 つまり君は、本気でこう考えてるのか? われわれ世界最大の諜報機関がなんとかスタンとかいう田舎国家の洞窟に潜んでるテロリストを退治しないと、アメリカ国民に甚大な被害が出ると。君は本気でそう主張するのかね?」


「現に出ています」


「そうだな。ベイルートとか、ヨーロッパとかの海外でね。だがこのプレゼンの論調だと、君はアメリカ国内でテロが起きることを前提に話していた」


「先ごろ貿易センタービルで爆弾テロがありました」


 国内におけるテロの事例を持ち出してみたが、長官は思わぬ反応を示してきた。苦笑されたのだ。


「確かにあったが・・・・・・93年の話だろう」


「今は2003年、まだ昔とは言えませんよ。同年には、CIA局員も本部前で襲われて犠牲に」


「ああ痛ましい話だが・・・・・・もう過去の話だ。

 いいかね? このアラブのテロリストどもがアメリカに喧嘩を売った理由はわからないが――」


「湾岸戦争のおり、我が軍がイスラム教にとっての聖地にあたるサウジアラビアに駐留したからです」


「なんだそれは、まったくもって意味不明だろう!!

 だから煎じ詰めれば、こいつらは狂信者なわけだろう? UFOを崇めるカルト教団なみの、なにを考えているか分からない異常者の集まりだ。

 確かにテロは起きたが、これはイレギュラーに近い。これからも膨大な労力を費やして、なんの益にもならないテロを繰り返すようなフォロワーが出てくるとは、私は思わないね」


「他にも、駆逐艦コールがイスラム過激派に攻撃されたりしました」


「イエメンでな。だから連中の縄張りである海外ならともかく、アメリカ国内でのテロの規模なんてたかが知れている。貿易センターでのテロだって、大して死傷者は出なかったろう?」


「死者6名、600kgの混合爆薬が使われました」


「そうだな、大変なだな。だが君はこれが犯罪にとどまらず、戦争にまで発展するとそう主張している。

 ずっと聞いてたが、このプレゼンの趣旨はつまりこういうことだろう? CIAは、この・・・・・・対テロとやらに本腰を入れて乗り出すべきであると?」


「私の主張をよく理解していただき、感謝いたします」


 深い、とても深いため息を長官はつかれた。


「犯罪であれば、その管轄権はFBIにある。現にコールの爆破事件もFBIが捜査を担当している」


「存じております」


「そう、CIAにとって不倶戴天のライバルにあたるFBIだ。

 もし仮にこのプレゼンの主張を受け入れたとしたら、私がまずやるべきことは、ホワイトハウスに乗り込んで大統領にこう進言することだ。大統領閣下、テロの脅威は深刻なので、FBIからCIAに対テロの主導権を移すべきだと。

 まさかそれが目的なのか? FBIの捜査権限を横からかすめ取って、テロリストとかいう新手の犯罪者どもを相手取り、自分たちの存在意義を確立しようと?」


 “コイツは半世紀に渡るライバル関係に、テロリズムを出汁にしてケリをつけるつもりか?”


 それはあらぬ誤解というやつで、長官の勘違いに過ぎないのだが・・・・・・正直、そう見られても仕方がない気もする。過去を顧みてみると、われわれCIAとFBIの抗争劇ときたら、ちょっと醜くすぎるからね。


「そのようなつもりは毛頭ありませんとも、必要ならFBIとだって共闘します。

 ですが・・・・・・経験的に言うと彼らはあまり有能じゃないので、やはり最終的には、我々が主導権を握るべきかと」


「勘弁してくれ・・・・・・君らの派閥闘争に私を巻き込むな!!」


「おっと、私としましてはのつもりで話してたのですが」


 流石の長官も、これには気まずげだった。


 長官はずっと正論を口にされてる。検察官上がりだと聞くが、それがきっとこの距離感の正体に違いない。法の世界に長らく身を置いてきた長官からすれば、CIAという組織はきっと、無法者の集まりに見えて仕方がないのだろう。


 われわれは人を騙すし、時には殺す。その業務内容は煎じ詰めれば、詐欺と殺人でしかない。だがCIAの解体論が出るたびに我々がどうして生きながらえてきたかといえば、結局は、綺麗事だけでは国を守れないの一言に尽きる。


 4年周期、時には8年ごとに変わる大統領は、そのつどCIAのダーティーワークを腐敗とみなして一新しようとする。だがCIAの人材をどれほど入れ替えたところで、世界の汚さは不変なのだ。


 どこかで現実の薄汚さと折り合いをつけるしかないと気がつき、CIAの存在価値を認めるしかなくなる。これまでのどの大統領もそうだった。だが問題は、そうと気づくまでに貴重な時間が過ぎ去ってしまうことだった。


 テロリストのフットワークはとても軽い。奴らは、自由気ままに国境を越え、行動を起こす。だがそれを追う側は、つねに管轄権というルールが邪魔をしてくるのだ。


 以前、アメリカに侵入したテロリストを追いかけるための合同チームに加わったことがあったのだが、その時の面子ときたら凄まじいものだった。


 市警察、州警察、連邦警察に、沿岸警備隊、DEAやFBIにアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局ATF、もちろん我らがCIAにくわえてインターポールからも助言役が加わった。あとどうしてかテキサス・レンジャーもいたね。21世紀になってもカウボーイ・ハットをかぶってるような時代錯誤な面々が、どういった経緯でチームに加わったのかよくは知らないが、現に居たのだから仕方がない。


 彼らがわたくし事を忘れ、互いに手を取りあって協力したかといえば・・・・・・まあNOだったねえ。


 露骨にライバル意識を剥き出しにする者は以外と少なかったが、指揮系統は入り乱れるし、上司の上司が首を振らないとかでいきなり捜査が中断されたり、情報共有を欠いたせいで潜入捜査官が味方側に逮捕されたりと、散々な目にあったものだ。


 だからあの組織が必要だったのだ――麻薬マネーを財源とした、対テロ暗殺組織なんて物騒な代物が。


 法と道徳に照らせば、私のおこないは間違いだった。だが現実問題、テロ対策としてこれ以上の作戦オペレーションもなかった。だがそれも・・・・・・諸事情によってもう行えない。


 皮肉だね。私たちがうまい具合にテロ攻撃を防いでしまったせいで、逆に上層部のなかで、テロリストなんて大したことがないという日和見主義が蔓延してしまったのかもしれない。


 焦っていたのは、認める他ないだろう。一刻もはやく後継者を!! その焦りからかプレゼンも説得力を欠いてしまったらしい。とはいえこの失望感を味わうのは初めてじゃなかった。まず正規のやり方で筋を通そうとして、それが不可能だったからこそ過去の私は、Mr.キャッスルの口車に乗ったのだから。


 残念ではあるが、最後のチャンスはどうも実りそうになかった。


「いいかね」


 あらたまって長官は言った。


「誤解しないでほしいのだが、死者6人というのは、個人の犯罪としては大量殺人にあたるが、戦争と呼ぶには憚れる数字だ。

 私だってテロの危険性は承知しているが、それが国内であればFBIの守備範囲であってCIAのじゃない。その不文律をわざわざ崩す必要性を感じんよ。

 君だって、CIAの国内活動を禁じた要綱はよく知っているはずだ」


「ですが長官、かならずテロの脅威は拡大します」


「なんだ? 聖地を汚したからかね?

 いいかね? これまでのテロリズムはパレスチナ解放機構PLOなんかが象徴的だが、確固たる政治的な目的があった。目的があるからこそ団結できたし、闘争を継続することもできたんだ。

 だが聖地を汚した? そんなあやふやな理念のために、世界最大の超大国にむけて喧嘩を売る大馬鹿者が、そうも大勢いるとは私は信じられないね。

 仮に居るとしてもだ。かのCIAが戦わなければならないほどの強敵になるとは、とうてい信じられない」


「長官は、先ほどから死者6名という数字を強調されてますが、この新世代のテロにおいて犠牲者の人数は重要ではありません。我々の新たな敵がつかう武器とは、ある意味において核兵器よりも恐ろしく、そしてチープなものなのです」


「それはなんだね?」


「恐怖です」


「それは、だろうね・・・・・・だって、テロの語源は恐怖テラーなんだから」


「大国が覇を唱える時代は終わりました。

 進歩のスピードは遅くなり、決定的なカタストロフも、パラダイスのような幸福な未来も訪れない。これからの世界は、ただ緩やかなる日常が永延とつづいていくのです。この新たな敵はそこに寄生する。

 100万人が死んでも人は現実感を抱けないものです。ですが我が子がかよう幼稚園で誰かが刺し殺されたとなれば、その人数がたったの1人であったとしても、100万人の死に勝るどうしようもない恐怖に襲われてしまう。それがこの新たな敵たちの新兵器なのです。

 恐怖によって平和を侵食し、市民の生活の場を戦場にすること。そこにある動機はしばしば、政治的意図や信念をともなわない。自己実現、それがおそらく一番近い表現でしょう。

 自分1人ではなにも成し遂げられない者たちにとって無差別テロというのは、たやすく模倣でき、かつ一部とはいえ、賞賛が絶対に約束されている所業なのですから」


「・・・・・・」


「長官のおっしゃるとおり、国内の問題であればFBIが担当すべきです。ですが敵の資金源は国外にある。国外にいる敵の情報を探ること、それこそがCIAが長年培ってきた諜報活動インテリジェンスというものであり、これはFBIには真似できない仕事です。

 この狂信者たちは、10万ドル以下の予算でわれわれの駐屯地を爆破して数百名の海兵隊員を殺傷しました。では彼らが100万ドルを得たとき、次は何をすると思われますか?」


 恐怖とは、どこで、誰の身に起きるかによって増減するものだ。狂ったアラブ人、あるいはそれに感化された外国人。こういった者たちからアメリカを守るためには、先制攻撃以外の手はない。だって防御する範囲があまりに広すぎるのだから。


 これがテロとの戦いの厄介なところだ。攻撃側は世界中のどこでもいい、なんならそこらのモールでナイフを買って、それを振り回すだけでも攻撃が成立してしまう。全国民を24時間監視するのでないなら、やられる前にやる以外の対処法は、存在し得ないのだ。


 長官はゆっくりと椅子から立ち上がり、何か考え込むようにしてから私に向き直った。


「最初はどうなることかと思ったが、私が素直に2時間も耳を傾けていたのは、君の話にそれなり以上の説得力があったからだ」


「おやまあ、それはありがたいお言葉ですね」


「CIAによるテロリストの情報収集活動は、拡大されてしかるべきだ。その意見には賛同するよ。だが問題は、その次にCIAが取るべき行動を君はこう定義してることだ。

 君は本気でやるべきだというのか? 大統領令EO12333号によって禁止されたCIAの暗殺活動を、君が言うところの新しい主敵たるテロリストども相手にすべきだと」


 先月、あるアラブ人が死んだ。


 世間的には無名の男だし、それはこの先も変わらないだろう。だって家族はなく、社会とのつながりがあるとすれば、熱心に通っていた地元のモスクぐらいのものだったのだから。だが彼がせっせと買い集めていたトン単位の農薬が、この男の構想どおり爆薬に生まれ変わっていたのなら、その名は全世界に響き渡っていたこと疑いない。


 殺人は肯定されるべきか? 個人的にはNOと答えたいが、実のところ私は長官にこう言いたくて仕方がなかった。“戦争であれば致し方ありません”と。


 これは単なる言葉のうえのレトリックに過ぎないのだが、暗殺と表現すると法に抵触するが、これが戦争における敵の殺傷と表現すると、なんの問題もなくなるのだ。


 だから私はなんとしてもテロという概念を根付かせたかった。かつて麻薬戦争という名を与えられた途端に、あらゆる作戦行動が道徳の楔から解き放たれ、予算が倍にはね上がった経験を思えば、これがいちばん手取り早いのだ。


 もどかしかった。長官に胸の内をすべて明かしたくて仕方がない。


 だが長官は、こちらの気持ちもつゆ知らず、慎重に言葉を選びながら語りかけてきた。誠実な人ではあるのだろうが・・・・・・冷酷なスパイの世界で彼がこれからもやっていけるのか、ちょっと不安になってしまう態度ではあるね。


「君の懸念は、もしかしたら正しいのかもしれない。

 だがこの国は大きい。いつも無数の脅威に満ち溢れてる。その中からテロリストだけが突出して危険だという意見には、とてもじゃないが賛同はできんよ。

 やはり私の意見としては、これは犯罪であって戦争じゃないのだからね」


 私は南米に20年ちかく潜り、多くの海千山千の強者どもを言葉だけで相手にしてきた。だから表情をよむのに長けているつもりだ。


 “君の懸念はわかる”


 長官の表情はまずそう語り、


 “だがそれは、CIAの仕事じゃない”


 と、結んでいった。


「君の使命感には感銘を受けた、CTCに移るといい。あそこは、ようはCIAの対テロ活動の最前線なわけだからね。こんな長いプレゼンの資料を作れるほど中南米部門が暇なら・・・・・・もっと本業は、やる気のない人材に任せてもいいだろう」


「・・・・・・なるほど、長官の仰るとおりかもしれませんね」


「それじゃ、私はもう行くよ。そろそろホワイトハウスで会合があるものでね」


「長官、最後に質問してもよろしいですか?」


 去り際の背中にそう問いかけると、やはり根の良い人だな、長官はわざわざこちらに振り向いてくれた。


 正しい行動、正しい規律、だがそれらは、必ずしも良い結果には結びつかないのだ。悪あがきかもしれないが、言わずにいられなかった。今は、新しい戦争が始まるまえに態勢を整え、敵に先制攻撃を仕掛けられる最後のタイミングだという警告を。


「長官。貿易センタービルに仕掛けられた爆弾がもしビルの基礎部分を吹き飛ばしていたなら、あのニョーヨークの象徴たる巨塔は倒壊し、死者は6人ではなく数千人に達していたでしょう。

 瓦礫とともに2つの巨塔が倒れてゆく・・・・・・そんな凄惨な光景が全米中を駆けめぐったあとでもなお、これは犯罪であって戦争ではないと長官は、言い切れるのですか?」


「・・・・・・」


 真意を見せない政治家の微笑みを、長官は浮かべられた。気のいい男がするように指を鳴らすその音が、まるで私には、判決を言いわたす判事の小槌のように聞こえたものだ。


「ワシントンに良い店があってね、今度いっしょに食事に行かないか? 美味いスペアリブが食える」


「おっとそれは・・・・・・機会があれば、是非ともに」


 ふたたび指を鳴らしてから意気揚々と長官は去っていった。はてさて、あの陽気さがどこまで冷酷な現実に通用するのか、今の私にはもはや幸運を祈ることしかできない。まあ、人生なるようにしかならない。


 愚鈍な田舎者というのは、往々にして楽観主義なものだからね。とはいえ、そろそろ人生を振り返るべきタイミングではあるようだが。


 我が半生を捧げてきた中南米で、CIAがやれることはもうない。あそこでのアメリカの歴史的な役割は終わった。共産主義者が消えたいま、あの土地に残るのは永遠に終わらない貧困という病根だけであり、こいつは我々の手にはちょっと余る。


 金儲けだけが目的の麻薬業者ナルコたちは、アメリカにわざわざ武力闘争を吹っ掛けてきたりしない。なにせ彼らからすれば、我々は上客だ。その上客を攻撃しても財布は膨らまない。


 だからこちらの対処法としては、放置がベストなのだ。それこそ長官の言葉ではないけれど、麻薬ビジネスというのはあくまで犯罪であって、警察やFBIそしてDEAの管轄なのだから。


 というわけで、改めて私はこう問いかけるべきだった。CIAは誰と戦うべきか? そして私にできる最後の祖国への奉公とは、何であるのかと。


「・・・・・・」


 長官はすでに会議室を出ていた。そんな部屋の中、頭をかきながら佇んでいるわたしに向けて、どこか事務的な声がかけられた。Ms.アンサーだ。


「やはり駄目でしたね」


「相変わらずズバッと言うね、Ms.アンサー」


「傷つきましたか?」


「妻に加齢臭がすると言われたとき以来の衝撃だよ。もうハートがズタズタさ。

 ちなみに本当に加齢臭がしたわけでなく、木に吊るされた腐りかけのゲリラの死体から謎の液体が滴ってきて、それをひっ被ったせいだったんだ。あの匂いはホント強烈だよ、シャワーぐらいじゃとても太刀打ちできなくてね。

 たしかに私もいい歳だがね? あの表現しようのない匂いは、あくまで熱帯雨林に長らく放置された死体の腐敗臭であって、断じて私自身の匂いじゃない。そこだけは間違えないように」


「なるほど。流石ですねチーフ」


「ときどき君が、単なるイエスマンじゃないかと疑いたくなるよ」


「女ですので、イエスウーマンではないかと」


おっとウフタ・・・・・・確かにイエスマンじゃないね」


「ご理解いただけて幸いです」


 表情筋が死滅しているかのように無機的な女性だが、話してみればなかなかに面白い御人だと気づける。そのうえ若く、才能もある。彼女との会話はとても楽しいものだ。


「失敗は潔く認めて、本題に戻るとするか。我々が長らく築いてきた秘密活動をたった一晩、それも旅の道すがらに壊滅させた銀色の髪をしたうら若き女性にどう対処すべきか・・・・・・その話し合いをね」


 私はそう言ってから、もっとも信頼できる部下をともなって廊下へと繰り出していった。


 CIA本部内は、世に伝わる神秘的なイメージと異なり、わりと普通のオフィスビルという風情だ。窓のブラインドは365日どこも下がりっぱなしというのは、ちょっと変わっているかもしれないがその程度だ。なにせスターバックスまで出店してるぐらいだし。


 私とMs.アンサーは、来たるタフな会議に備え、まずコーヒーで英気を養うことにした。


 スターバックス。世にありふれたコーヒーチェーン店がCIA本部に出店するという話が持ち上がった時、機密情報がうっかり店員に漏れてしまうのではないかと懸念する声もチラホラ聞こえたのだが・・・・・・古株の1人として言わせてもらうなら、以前みたく地元のバーでたむろして、国の運命を左右する機密情報をアルコール片手にやり取りするよりは、ずっとマシだと思う。


 ここの人間の層も変わった。タバコと酒、時たま薬物の助けを借りさえすれば、すべての問題が解決できると信じ切っていた白人男たちはその数をぐっと減らし、今や普通に有色人種が管理職を務め、カフェテリアにはベジタリアンメニューが少なすぎるとの抗議文がベタベタ張り出されている。


 偽名でコーヒーを頼める世界で唯一のお店からコーヒーカップ片手に出て、我々は中南米支部のオフィスへと歩いていった。


 すると、


「しかし――」


 と、Ms.アンサーが何の気なしに話しかけてきた。


 歳に似合わず、どこか老成した雰囲気のあるこの女性は、正直いって予想以上の逸材だった。メインストリームから外れて久しいうちの部署には、もったいないぐらいの存在だとも。


 このような若い女性を陰謀に加わらせることに躊躇はしたが、彼女はそのリスクを差し引いても有能にすぎた。表面上はいつも通りなCIAの仕事をこなしているように見せながら、表立って動けない私と、南米にいるMr.キャッスルとの橋渡し役を、立派に務めてみせたのだから。


 彼女の手腕はそれだけに止まらない。時には銀行家たちと会談して、あってはならない工作予算をプールしたりと、まさに八面六臂の大活躍をしてきたものだ。CIAという組織は極度に身内に甘いものだが、こればっかりは私の贔屓目じゃないだろう。


 どうにか彼女のキャリアだけは守ってあげたいものだね。


「――存外、Mr.キャッスルも不甲斐ないもので」


「そうかな? むしろよくここまで保ったものさ」


 敵の敵は味方の理論のもと、敵地の奥深くで抵抗勢力を築き上げるというのは、ありふれたCIAの通常業務だ。だが少数民族とか反政府組織ならともかく、利益第一の麻薬カルテルを内部から浸食して、それも最後には奪い取ってやるなんて荒技がまさか実現するとは・・・・・・関係者のくせして、今だにちょっと信じられない私だった。


「カリ・カルテルの経営・・・・・・というよりもその正体は、私の古馴染みであるAUCなんだけどもね。上層部が丸ごといなくなったことで進退極まったカリのコカイン製造者たちと、いくら民兵が合法なコロンビアとはいえ、武力組織として強大になりすぎて行き場を失いつつあったAUCのマッチング。

 理屈はともかく行うは難しというやつで、実際に組織として機能させるにはあまりにハードルが高すぎる。それなのにMr.キャッスルは、見事にこの秘密結社を築き上げてみせた。

 うん、まぁ、それもどうやら一代限りの夢であったようだけどね」


 もっともこの件がなくとも、どのみち限界は近かったろうが。


 母体たるAUCにしても先ごろ政府と合意に達して、武装解除する運びになったそうだし、ゲリラとの和平会談もまた再開された。モンドラゴン・ファミリアという爆弾こそ眠っているものの、コロンビアはやっと暴力の時代ラ・ビオレンシアから抜け出そうとしているのかもしれない。


 その横でカリ・カルテルの復興なんぞやらかしたのだから、今さらながら業の深い話だなあ。


「Mr.キャッスルの世界観は、独特でね。現場仕事のCIA職員によくいるタイプなんだが、正しい状況認識をしているのは世界で自分だけという・・・・・・あー、なんと呼ぶんだったかなこういうの?」


「ナルシスト」


「そう、それだ。ナルシスト、自分大好き人間。連絡役だった君ならよく知ってると思うけどね」


 工作員というのは、いわば個人経営者みたいなもので、現場での判断はすべて自分自身の意思で下すのがふつうだ。スパイの仕事は釣りのようなもので、待ち時間のほうがずっと長い。全世界に散った工作員がいつヒットするか分からない標的についていちいち本部にお伺いを立てていたら、せっかく網に引っかかた大魚も逃してしまう。


 だがそういう独立独歩の精神は、往々にしてナルシズムというか、自惚れが発症する土台にもなってしまうものなのだ。


「CIAに在籍していた頃の彼も、まあ有能であることに疑いの余地はないのだが、理屈と現実を天秤にかけた時には、いつも自分の理論を選んでしまうタイプでね。

 尖った才能だけでは世渡りしていけないものさ。結局、上と喧嘩別れするようにCIAから出て行ってしまった」


「“上の奴らは現場をわかっていない”」


「ああ、彼が言いそうな台詞だね、それ」


 口調もそっくりそのままで感心していると、さらりとこんな答えが返ってきた。


「実際に言ってましたので」


「ああそう・・・・・・待った。君がMr.キャッスルに出会ったのは、この作戦が始まったあとな訳だから、彼が言うところの上の人間てのはつまり・・・・・・私ってことにならないかな?」


「ところで話は変わりますが」


「もしや私の気持ちを慮って、話題変更してくれた?」


「できる部下ですので」


「おおう、それは素晴らしいね。で? その話って?」


「気まずい会話を回避するために取り急ぎでっち上げただけで、次にどうすべきか見当もついてません」


「ああ、素直なのは日常生活ならば美徳だが、CIAでやっていくにはマズイ手だね」


「申し訳ありません」


「まあいいさ、人生は長い。特に若い君にとってはね・・・・・・じゃあ、Mr.キャッスルの話題に戻ろうか。どこまで話したっけ?」


「“上の奴らは現場をわかっていない”」


「それはもういいって」


 人生が長いようにCIAの廊下もまた長い。伊達に数万人もこの巨大組織に勤めていないから自然と施設も大きくなり、移動距離もわりと半端ないものになる。


 つまり運動不足とおさらばできるうえ、雑談の時間もまだまだあるということだつた。


「ま、現場のボヤきも分かるよ。私だってケースオフィサー上がり、人生のかなりのパートを南米での現場任務に費やしてきたわけだから」


「その時にチーフが培われた人脈には、私も随分と助けられました」


「ああ、あっちでAUCのカスターニョ弟と会ったかね? 古馴染みなんだ」


「指名手配されてたので会えませんでした」


「彼も大変だよね。コロンビア政府と左翼ゲリラとモンドラゴン・ファミリアと分裂したかつての仲間に命を狙われてるうえ、大きな声では言えないが、われわれCIAに兄弟を暗殺されたんだから」


「そのことを当人は知ってるのですか?」


「知らないとも。だから今だにクリスマスカードを交わす仲だ。大量虐殺をやらかしてない時ならなかなかに気のいい男だよ? FARCに捕まった私を助け出してくれたのも、他ならぬ彼だし」


「はぁ」


「ともかくMr.キャッスルは、典型的な現場至上主義者という奴でね。現場がどう動くかが一番大事だという意見には、私も大いに賛同するが、組織というのはそれだけでは回らないということをついぞ彼は気づけなかった。

 もっとも私もあまり大口は叩けないけどね。今の地位に就くまで、上はどうしてこうも愚鈍なのかとちょっと呆れていたものさ。だが学び、見識を改めた。

 政治は面倒で汚いものだが、無ければ無いで困るものだ・・・・・・だから驚いたんだよ、彼がこうも政治の塊みたいな組織を作り上げてみせたことに」


「・・・・・・」


「カルテルをCIAが経営する。なんともMr.キャッスルらしい奇策だが、それを実現するには綿密な、とても政治的な調整が必要になる。だが彼の本質は大胆不敵なケースオフィサーなのであって、それはある意味で究極の個人主義者ということだ。だから組織の経営なんて上手くできるのかなと不安がってたら、あれよこれよとトントン拍子にことが運んでいったのには驚いた。

 だってさ、カルテルの人間ほど排他的な奴らもいないんだよ? 外ざまの人間なんて絶対に信用しない身内絶対主義者たちに、それも自らの正体を伏せながら従えさせるなんて、無理難題なんてもんじゃない。

 まるでのように精密な調整能力・・・・・・本当に彼が1人でやったのかね? CIA印のカルテルの創設なんて一大事業を」


「――人は、見かけによらないものですから」


「CIAを追い出されてる間に、眠れる才能が呼び覚まされたのかもね。よく知らないが」


「ですが今は、残念なことになりましたね」


「ああ、あのMr.キャッスルがロシアに電撃亡命とは衝撃的だよ。両手両足を縛られて大使館前に亡命の嘆願書と一緒に放り出されてたとか。

 いやはや、絵に描いたような昔気質なCIA職員たる彼が、崩壊したとはいえかつて共産主義の総本山であったロシアに亡命? こういっては何だが、愛国的な反共主義者にとってこれ以上の悪夢もないだろうね」


 実際、事情を知らないアメリカ政府からは、裏切り者扱いされているし。悲惨な末路ではある。


「悪意が見え隠れしますね」


「誰の悪意だが知らないが、CIAをよほど嫌ってる人物が裏にいるとみた」


「到着早々、極秘施設に収監されて生死不明だそうです」


「ソ連、じゃなくロシアもみょうな時期に亡命してきた元CIA職員を持て余してるんだろう。あちらの・・・・・・今は何といったっけ? 元KGBの皆様方は?」


「今は連邦保安庁FSBと名を変えていますが、まあ看板を替えただけで中身は同一でしょう。当時、KGBで将軍と呼ばれていた人物がボスに収まっていますし」


「ま、こちらとしては残酷だがもうどうしようもない。古いドラマと一緒だよ、君が捕まっても当局は関知しないってやつ。

 彼は欠点の多い人間だが、非合法作戦に関わった人間が敵に捕まったらどうなるのかについての覚悟はちゃんとあるし、口も硬い。あちらさんも民主化が始まったばかりのこの時期にアメリカとことを構えたくないだろうから、まあ極秘施設でのんべんだらりと生かさず殺さず監禁生活といったところか。

 彼が・・・・・・“我々”がやらかしたことを思えば、それはまあ悪くない終焉だよ。おや、やっと着いたね」


 そんな意図はたぶんないのだろうが、南米らしく緑色に染め上げられている扉の前で私たちは立ち止まる。プレートにはもちろん、中南米支部の文字が刻まれていた。


 落ち目とはいえ、今なおこの部署には大勢のメンバーが在籍しているが、昔気質な私は部員がオフィスに留まるのを良しとせず、南米大陸中でのフィールドワークに努めさせていた。


 結局、昔ながらに現地協力者を口説き落としてこちらに協力させるやり方が一番効率がいいのだ。本部はずいぶん前からCIAの情報収集の主体をデジタル世界に移したがっていたが・・・・・・それが上手くいっているならともかく、成果が微妙なのが辛いところだった。


 そもそも電子戦シギントに関しては国家安全保障局NSAという専門家集団が、ウチよりずっと大きな予算で活動しているわけで、ここらへんもCIAの迷走を物語っていた。


 なるほど人的諜報ヒューミントは手間暇がかかり、リスクも大きい。だがリターンもまた大きいのだ。敵の心臓部の内側からこちらに協力してくる情報提供者アセットほど有益なものもないのだから。


 だが一方で、私が部下たちに無期限の出張を命じた背景には、裏の思惑があることは否定できない。だって、オフィスに居なければ私たちの陰謀に関わりようがないだろう? 自分のワガママのために部下を道連れにするのは、避けたいところだからねえ。


 とまあ、そういった事情があるから仕方ないのだが・・・・・・扉を開けたらそこは無人地帯、大量のデスクがむなしく埃をかぶっている光景というのは、やはり寂しさが去来する。


 私たちは、そんな無人状態のオフィスを横切って、長官をお招きした会議室よりもいくぶん小ぶりなガラスで仕切られたブースへと近づいていった。すると、はたとMs.アンサーが立ち止まる。


 表情があまり動かない彼女だが、訝しんでるのは分かった。だって見慣れない筋肉ダルマのような黒人の偉丈夫が、ウチの会議室に居座っているのだから当然の反応だろう。


おっとウフタ、言い忘れてた。実は助っ人を呼んだんだよ」


「助っ人・・・・・・ですか?」


 まず私の顔をみて、つぎに謎の黒人男性を見やる彼女。この女性にしてはわかりやすい困惑ぶりだった。


「それは、よろしいので?」


 陰謀というのは、知っている人間が少ないほど良い。


 カルテルを運営することで数百億ドルもの大金を稼ぎ、暗殺部隊を組織して国家の敵をこれまで抹殺してきた我々だったが、自分でも驚くことにこの“我々”の総人数ときたら、わずか4人足らずだったりする・・・・・・いや、Mr.キャッスルが連れていた謎めいた黒衣の貴婦人が居たか。


 たぶん現地の協力者なんだろうが・・・・・・そう、彼女も含めれば、総勢5人たらずの小所帯なのである。


 その5人のなかで一番の若輩者たるMs.アンサーは特に、メンバーを新しく加えるリスクをよく心得ていた。なにせ彼女は、組織が創設されたあとに加わった唯一のメンバーなのだから。


 探りを入れつつ背景を調べ上げ、既存メンバーの意見を集めつつやっとの思いで加わった期待のニューフェイス。そんなMs.アンサーのこういった慎重さは、昔気質のスパイとしてはとても好ましい態度だった。


 エージェンシーの人間はこうじゃなくちゃいけない。CIA本部ビルを出たところを捕まり、あなたはCIAの人間ですねと問いかけられても、何の話ですかと真顔で惚けられる。それこそがCIAが求める正しい資質ライト・スタッフというものなのだから。


 あれだね、いい歳こいて思わず恵まれてしまった息子の嫁に欲しいぐらいだ。歳の差が気になるが、そこは息子に妥協させよう。姉さん女房も良いものだ。


「まあ君の心配は今さらだよ、挽回できる時はとうに過ぎた。Mrキャッスルがあの銀髪美人に張り倒された時点でね。

 どう足掻いてもこの秘密工作ブラック・オプは公のもになるだろう。となればだ、つぎに我々がとるべき行動は、損失を最低限のものにすること。つまりドツボにハマった人間を救済してくれる専門家の助けがいるわけだ」


「それで、アレは結局何者なのですか?」


 私はふっと笑いながら、防音ガラスで出来たブースの扉を押し開きながら、初対面の2人の橋渡し役を務めさせてもらった。


「彼は法務部のマイクだ。マイク、彼女が私の秘蔵っ子のMs.アンサーだよ」


「うるせえコッファー、一体何考えてるんだてめえは」


「・・・・・・お聞きの通り、ちょっと口が悪いが良い奴だよ」


 こんな暴言を浴びても、まるで面喰らわない彼女は流石だったが、警戒心はまだあるようで声を潜めながらこう尋ねてきた。


「信頼できるのですか?」


「長い付き合いだし、なにより今の私は、彼の依頼人だからね」


「弁護人・依頼人秘匿特権ですか」


「そう、さすが頭の回転が速いね。彼にはここで法的な助言をしてもらうつもりだ。苦労して弁護士になったわけだから、弁護士資格を守るために、なにを聞いても口を噤んでくれるはず。そうだろうマイク?」


「お前はマジで麻薬カルテルなんか運営してたのか? ついに正気を失ったのかこのマザー◯ァッカーめ!!」


「ああ、お陰様で家内は元気だよマイク。君の奥方はどうだい?」


「ふざけんな!! そんな手で話題が逸らせられるとでも!? イェール大学で法律とジャーナリズムを専攻し、フットボール・チームでクォーターバック努めて全国大会に出場したうえに、CIA法務部の辣腕として名高いやり手で、I・LOVE大麻クラブの第42代会長を努めたこの俺に向かって、そんな手が通用すると思ってのんかッ!?」


「なるほど・・・・・・チーフ、この男性のキャラクターが読めてきました」


「ね? 面白い男だろ?」


「側から眺めてる分には楽しいでしょうが、友達付き合いは避けたいタイプですね」


「ああー、私は昔からちょっと変わった相手に好かれるものでね」


 中南米に赴任していたころには、その才能が大いに役立ったものだ。あの土地には変人しか住んでない。


「おいおいおい、人を無視するんじゃねえ」


 身長は2メートル近く、そのうえ肩幅まであるマイクが自慢の筋肉でぶんぶん、事前に読んでおいてくれと頼んでおいたコピー不可の黄色い用紙の束を振りまわしていた。


 あの中には、マイク流の表現を借りるならば、私がやらした一切合切が報告書形式で記されている。彼がエキサイトしてるのは、それが原因だろう。


「この分厚い文書をぜんぶ読んだがな」


「どうだっだ?」


「まるで自白調書を読んでる気分だったとも!! よくまあここまでやらかせだもんだな!! 1ページ目どころか、目次の時点で連邦法に違反してる!!」


「情報委員会にまた叩かれちゃうね」


「それどころかホワイトハウスがぶっ飛ぶぞッ!!」


「あー、それって比喩表現? まさか直喩じゃないよね?」


「国のトップがすげ替わるレベルの大不祥事だと俺は言ってるんだ!!」


「安心した、比喩だったよ」


「良かったですねチーフ」


「おまえが新しく入ってきた新人を褒め称えるわけだ。てめぇのノリについていけるトンチキが、この報告書によれば有力な共犯者になってる」


「その報告書かえしてくれる?」


 苦虫噛み砕いたみたいなマイクから、黄色い用紙にまとめられた報告書を受け取ると、私は流れるような動作で隣に座ったMs.アンサーへと手渡していき、彼女の手によって会議室に備えつけられたシュレッターへと、その紙束は放り込まれていった。


 ガリガリガリ。


 小うるさい騒音とともに裁断されていった報告書の残骸は、会議が終わったら燃やし尽くす予定。情報を守りたいなら、脳みそという名のセーフボックスに勝る隠し場所はないのだから。


「・・・・・・」


 シュレッターのひどい騒音で頭がクリアになったのか、マイクは自前のマグからコーヒーを啜り、それから真面目な顔つきをした。


「・・・・・・俺が呼ばれるのは、いつだってドツボに嵌ったあとのことだ」


「弁護士とはそういう職業だろうマイク」


「そうだが・・・・・・クソッ。俺がここにいる理由を明白にしておきたい。コッファー、お前さんはこれからもCIAに残るつもりか?」


「無理だろうね」


「だろうな。CIAは身内に甘いが、同時に足切りも得意だ。

 この謎の銀髪の少女とか何とかだがな、この訳の分からない小娘に証拠を握られた今となっては、隠蔽は難しいだろう」


「君が言うところの少女は成人してるよ、見た目では信じられないがね。だから若い女性と言い換えるべきだ」


「どうでもいいだろう。このガキはCIAを脅迫してるんだぞ!!」


「いや私をだよ。怖い女性でね、どうやってか人の住所をつかんで絵葉書を送り届けてきた。拝啓、こちらの要求に従わなければすべてを暴露するってね」


「イカれたクソガキだな・・・・・・」


「だが有能だよ。常夏のコロンビアで、雪降るミネソタの絵葉書を手に入れるなんて並大抵の能力じゃない」


 疲れるにしては早すぎるだろうに、おもむろに目くじらを揉みだすマイク。どうしようもない厄介ごとを抱え込んでしまった、そういう気持ちが全身から溢れていた。


「えらく“私”を強調するなコッファー」


 慎重なその問いかけは、心のなかで友情とプロの弁護士としての態度がせめぎ合っている証左であり、私はありがたくも申し訳ない気持ちになった。


 CIAの弁護士が呼ばれる状況とは、黒をできれば白に・・・・・・最低でも灰色にしてくれと無理難題を吹っかけられることを意味する。たとえるなら、自宅にバラバラ死体を祭壇形式で飾っていたジェフリー=ダーマーの弁護士みたいなものだろう。無茶いうなという気分に違いない。


 マイクが言った。


「お前さん、自分1人ですべてをおっ被るつもりか」


「マイク、ホワイトハウスがぶっ飛ぶと言ったのは君だぞ? それだけは避けるべきだ、違うかい?」


「・・・・・・」


 わたしの田舎者の名に恥じない脳天気な微笑みを見て、マイクはむっつり押し黙った。そしてため息。


「ハァ・・・・・・法的助言がいるか?」


「是非とも」


「この女が宣言通りのことをやらかした場合、カルテルとCIAのあいだのカネの流れが――」



「そうだな、このイカれたミネソタ男こと、人生の9割方をエージェンシーで過ごしてきた現職のCIA職員の隠し口座に、カルテルがカネをせっせと放り込んでいたことが判明したら、まず情報委員会が騒ぎだす。

 知っての通り、あそこの役割はCIAの暴走阻止だ」


 悪名高きMKウルトラ作戦。あれを暴露したのが、他ならぬ上院に設けられた情報委員会の前身たるチャーチ委員会だった。


 彼らはあくまで政治家の集まり。一から十までCIAの悪行を追求するような尺主定規な集団でなく、国益のためなら時には目もつぶってくれるが、流石にこれは行き過ぎだ。


 マネーロンダリング、違法薬物の売買、密輸、拷問、暗殺、人体実験――まあ我ながら何ともやりたい放題にやったものだ。ほとんどMr.キャッスルの暴走とはいえ、それを制御できず、時に黙認してきた私が罪を逃れるのは、間違っているというものだろう。


「情報委員会が調査に乗り出せば、猟犬として放たれるのはご存知FBIだ。上の連中は、CIAの内部調査でどうにかできると委員会に言い張るだろうが、こいつはもうどこを切っても連邦犯罪の域に達してる、どうにもならん。

 軍と違って、CIAの違法行為は通常の刑事法のもとで裁かれる。連邦犯罪なら連邦捜査局FBIだ。こちらの隠蔽工作を警戒して黒服Gメンどもが早晩、強制捜査にやってくるだろう」


「それもうちの部局にだね」


「ああ・・・・・・大きな声では言えないが、ヤバイ書類は今のうちにだな」


「もうやったよ。一番ヤバイのは、コロンビア在住の銀髪美人の手の中だけどね」


「どうして銀行の取引記録なんて残してたんだ!!」


 お金を中心にして世界は回っている。特に資本主義たるわが祖国はなおさらで、金銭のながれを追いかければ、大抵の組織の全容はあっさり判明してしまう。ウチも例外ではない。


 アル=カポネしかり、パブロ=エスコバルしかり、まさかこの面子に私の名前が加わるとは、人生はほんと一寸先は闇だね。


 マイクの怒りに、内部事情に長じてるMs.アンサーが応じていった。


「これまでは、資産管理は我々に協力的なさる銀行に丸投げしていたのですが、ロンダリングの中間搾取が酷すぎるとMr.キャッスルが難色を示され、いっそのことすべてを自分たちの手で一元管理しようとしたのです」


「それでぜんぶ盗られたらざまぁ無いだろう!! キャッスルってあれだろ、精神鑑定に引っかかってエージェンシーを追い出されたやつだろ!?」


 私は首肯した。


「うん」


「“うん”じゃねえだろ!? 異世界が存在するとか触れ回ってた狂人だ!!」


「ケースオフィサーの仕事はストレスが大きいからさ。変な趣味に嵌りやすいんだよ。私の前の上司なんか、着ぐるみに装甲を仕込めば現代戦をいっぺんできる最新兵器が作れるはずだとか叫んで、試作品の山に埋もれて破産してた」


「なんでそんなのと組んだ!!」


 この問いに、私はついつい言葉を窮してしまう。うん、まぁ、そのだね・・・・・・まさか自分の意志でないと声を大にして言うわけにもいかず、手元のコーヒーカップを口元に運ぶことで誤魔化そうとする。


 しまった空だった。これは気まずい。


「分かったぞ、このバカを引き込んだのはティーチの野郎だな」


 だが無駄な努力だった。マイクに渡した例の書類をよく読み込めば、ウチの秘密結社のリーダーの名前はおのずと知れてしまうのだから。


「マイク」


「なんだ!? まだアイツのこと買ってるのか?!」


「元CIA長官にして、現職の大統領首席補佐官だよ?」


「陰謀家だ」


「それを言ったら私もだ」


「金髪の透かした面をした陰謀家だ。歴史上、金髪のイケメンにろくな奴は居ない。例外なく全員がスケコマシのクソ野郎で、奴はその筆頭だ。絶対に愛人がいるぞ」


「そうだね。だが彼に害が及ぶのだけは避けないと」


「なんだと? お前さん、今の大統領を嫌ってるだろう? そんな大統領の腹心のために自分が犠牲になるつもりなのか?」


「マイク、私は人を嫌ったりしないよ。ミネソタ男はみんな温厚な性質で、カメ並に鈍い感性の持ち主なんだからね。

 ただ苦手な人はいる・・・・・・今の大統領はとても苦手なのは事実だし、Mr.キャッスルがとてもとても苦手なのも事実だが、誰も嫌ってなんかいない。人類はみな兄弟だ」


「言葉遊びなんてどうでもいい。大体、お前を起訴する連邦検事殿のことは、絶対に嫌いになるはずさ。これだけの罪状なら向こうは確実に――」


「無期懲役を求刑してくる?」


「死刑を求めてくる」


おっとウフタ、それは怖いね」


「のんきに言いやがって、相変わらず本心の分からんやつだな。

 死刑はまあ言い過ぎにしても、懲役は確実だろう。無期懲役か、それに類する長期刑。なにせこの問題は100パーセント国際問題になる。お前さん個人の問題にするほうが起訴する側も助かるってもんだ。

 それでも出世願望しかないあの馬鹿を守るつもりか? 計画の発案者はクソバカのサングラス野郎だろうが、その口車に乗ったのはパツキンのティーチで、お前はその盾として最後に雇われたんだろう? 泥をかぶるのはお前だけだ」


「・・・・・・そこまで報告書に書いたっけ?」


「俺が馬鹿に見えるか?」


「いや、黒人版アーノルド=シュワルツェネッガーに見える」


「差別発言だ。黒人が白人を差別するのは許されるが、その逆は非人道的な行為として全世界から糾弾される」


「それこそ逆差別に聞こえるけども・・・・・・」


「報告書の行間から読み取ったんだよ、間抜け」


 すかしたイケメンというマイクの表現には、大いにうなずける点があった。


 ジェレミー=ティーチという人物は、個人としては面白い人物だが、公人としては清廉潔白からはほど遠い。むしろ賛否両論あって然るべき人物だった。


 18の頃から政界に入り浸り、違法スレスレのやり口でさまざまな分野から重宝がられてきた。若いころに下院議員に立候補したがぽしゃり、それからいろいろあって大物政治家のご意見番という地位に収まった。その縁で一時期CIAの長官になり、今では大統領の懐刀として官邸ホワイトハウスに君臨している。


「私だって、彼の強引なやり方は、時おりどうかと思ってたよ?」


「頭がプッツンきてる元CIA局員の口車に乗るぐらいには、強引な奴だよな。言っておくがこの行為、一から十まで犯罪だ」


「だがいまホワイトハウスに影響力を持っている人間の中で、対テロ戦争が現実のものになると信じているのは、彼だけだ」


「お前さんのその予測が間違いだったら?」


「あるいは私は、真珠湾が攻撃されると1940年に触れ回ってる異常者なのかもしれない。今ならまだ攻撃は防げるぞ、とね」


「コッファー、あんたは対テロの専門家じゃないだろう?」


「メキシカン・カルテルの新興勢力たるロス・セタスは、先ごろイラン政府に雇われてD.C在住の外交官を暗殺するところだった。それを防いだのは、我々がカルテルの運営で儲けた資金なんだよマイク」


「・・・・・・」


「テロリズムには国境も前線も無い。それどころか主義主張すらもあやふやさ。

 ベトナムで相対したゲリラと同じ、どこにでも現れて殺し、そして去っていく。私はねマイク、娘と息子が自分の子どもを持てる年齢になって、さあ遊園地に出かけようとした時、ふと考えて足を止めてしまうのが何よりも恐ろしいんだよ。

 “もしかしたら、遊園地に銃か爆弾を持った男たちが押しかけてきて、家族みんなを殺すかもしれない”

 その恐怖が妄想でなく、現実に起こりうる世界が。

 ソ連は消えた。カルテルは中南米から出てこない。だが人を殺すことで自己実現を果たそうとするテロリストという人種はこれまでも居たし、これからはぐっと増えていく。

 だってインターネットによって孤立した一匹狼ローンウルフたちが繋がれる、初めての時代が訪れたわけだからね」


「だからって秘密結社を作ってまで対処しなくてもいいだろう。大体、荒事は軍の仕事だ。テロ屋どもが爆弾を持って襲いかかってくるなら、米軍がどうにかするさ」


「彼らが対処できるのは警察と同じ、事件が起きたあとになってからだ。後々の報復とかならできるだろうが、阻止する役には立たない。何よりテロリストというのは民間人と見分けがつかないという特性があるんだしね。

 誰が敵で、誰が味方か? おなじ容姿をした敵味方を見分けるには、高度な情報収集能力が必要になる。つまりCIAの出番だ。

 そしてピンポイントに、周りに害を与えぬよう敵を排除する外科手術のような作戦を行えるのもCIAだけなんだよマイク。

 だから私やMr.キャッスルはどうなってもいい。だがティーチだけは駄目だ。私のいわゆる非常手段は失敗に終わったが・・・・・・正しい現状認識をしている人間をホワイトハウスから、今この時期に外れさせる訳にはいかないんだ」


「ハァ・・・・・・ましてや、選挙戦以来の参謀として大統領からの信任も厚い男だし?」


「その通り」


「だが例の銀髪の小娘からの脅迫内容を読んだろ? 12人のガキをアメリカに亡命させろ、たったそれだけだぞ?」


「要求を飲めって言いたいのかいマイク?」


「これまで無数の、それも後ろ暗いところのある亡命者を受け入れてきたCIAからすればだ、誘拐犯が身代金として10ドル要求してきたようなもんだ。そんなはした金で口外しないっていうなら、こいつは悪くない取引だぞ」


「彼女のプロフィールも書き添えておいたろう? 彼女はとても特異な経歴をしているが、注目すべきはその人格だ。

 世界を敵に回してでも自分の信念をつらぬく女性。彼女が本当に約束を守るとでも? ひとたび暴露されようものなら、こちらは反撃のしようもないのに?

 相手は、軍事コミュニティに少なくない知己をもつ訓練を受けたプロの戦争屋で、何より正義の味方だ。あれだけのことをして、素知らぬ顔をしていずれは大統領の座を狙いたいと考えてるジェレミー=ティーチ首席補佐官を彼女が許すはずがない。

 だって、いま勝ってるのは彼女の方なんだからね」


「・・・・・・真面目な質問をしていいか」


「ああ」


 クォーターバックであった時代から、マイクは怯みとは無縁だ。その巨体と知性であらゆる障害を跳ね飛ばしてきた彼が、らしくもなく言葉を探していた。


「俺は、プロの弁護士だ。案件を受けた以上は、どんな内容であれ最後までやり通す。だからどんな答えでも構わないが、とにかく嘘だけはつくなよ」


「もちろん」


「俺は・・・・・・ガキは別に好きじゃない。むしろ女房に子どもがほしいと言われて、それだけは勘弁してくれと泣きついたぐらいだ。だが・・・・・・このMSCトラソルテオトルとかいう船のことなんだがな」


「ああ」


「・・・・・・お前は・・・・・・この船でガキどもに起きてたことをいつ知ったんだ?」


「それは重要なことじゃないんだよマイク」


 私は、人生で一度も嘘をついたことがない。


 CIAのスパイのくせに嘘をつくなと、それこそお叱りを受けそうな言い分だが、実のところ人を騙すのに嘘なんて必要ないのだ。


 耳に心地よい情報だけを伝え、こちらに不都合な情報は決して明かさない。それだけで十分なのだ。嘘は、バレた瞬間にあらゆる信頼関係が消え失せる劇薬だ。使わないに越したことはない。


 だから正直者の方がずっと得なのだ。嘘つきよりも正直者の方が、友人を作りやす。


 “それはすまないが話せないんだ”と素直に明かせば、これが友人同士であれば、勝手に相手側は、好意的に考えてくれるものだ。嘘や真実よりも、人は好感度で他人を推しはかる生き物だということだね。現にマイクは、私が特殊性癖向きの娼館の経営に携わっていたことを信じきれずにいるようだ。


 私はコッファー=ホワイト。もう30年も連れ添ってる同郷の妻と、大学受験が見えてきた娘とまだ幼い息子がいる平凡なアメリカ人だ。


 CIA職員の驚愕の離婚率を思えば、我が家のなんと安定していることか。友人たちは口を揃えて、まるで60年代のステレオタイプなアメリカンファミリー像そのままだなと言ってくるが、私はそれを褒め言葉として受け取っていた。


 家庭では良い父親、職場では悪魔・・・・・・そう評されるのは、なにも私が初めてではない。ナチス・ドイツの幹部たちの大部分だってそうだった。


 極端な二面性というのは、想像よりも巷にありふれているものだ。殺人ありの娼館を経営するのも、薬物で洗脳した子どもたちに軍事訓練を施して、暗殺者に仕立てあげることも、両立は可能なのだ。


「チーフが事態を知ったのは、3ヶ月前のことです。船で反乱が起き、今後の作戦計画に影響があるかもしれないとMr.キャッスルがやんわりと報告してきたのが、3ヶ月前」


 Ms.アンサーが説明口調で述べた。それが彼女なりの私への援護射撃と知ってちょっと嬉しくなったが、それで私の罪が帳消しになるわけじゃない。そうあるべきなのだ。


 心にモヤを纏った顔しながら、マイクが言う。


「つまりコッファー、あのサングラス野郎が一線を越えたことに気づいたのは、すべてが終わった後だったわけだな」

 

「だからどうでもいいんだよそれは、誰かが責任を取らなきゃならない。マイク、君を呼んだのは、その筋道をつけるためなんだからさ」


 責任者は、責任を取るためにいる。その責任のうちには、部下の不始末も含まれるべきだ。これは、ただそれだけの話だった。


 だがマイクの顔は一向に晴れない。どうも他にも疑問があるようだった。


「CIAが挙げてくる報告書は、いつも必要最低限のことしか書かれてない」


「ああ、私もそういう風に書いたよ。知りすぎるのは良くないからね」


「だが行間を読むのにも限界がある。だから聞くがな・・・・・・この銀髪娘とやらが手に入れたのは、カルテルの銀行関連の情報だろう? 取引記録や、口座番号なんかだ。

 当初の計画では、現地でカルテルを経営するのがクソったれのサングラス野郎の仕事で、仲介役がそこに座ってる変な女。そして資産アセットの、あー、ようはそのまんまの意味でのカネという意味と、CIA用語でいうところのスパイ活動を統括してたのがコッファー、お前さんだ。それがこの組織の系統図なんだろう?」


「その通り」


「で、計画の発案者たるジェレミー=ティーチ殿は、遮断器カットオフであるお前を介して、痕跡を残さないように組織に関わる予定だった」


「そうとも。ホワイトハウスの裏っかわで、責任の及ばない範囲でそれとなく支援するのがジェレミーの役割さ」


「なのにお前はティーチの野郎を守ろうとしてる。奴が関わってるはずがない銀行記録を銀髪に奪われたからだ」


「マイク、そんなに勿体ぶらなくとも単刀直入に聞けばいいのに。ティーチが私を通り越して、Mr.キャッスルとお金のやり取りをしたから痕跡が残った。そう言いたいんだろう」


「ああそうだ。目的のためなら手段を選ばない政治家タイプの男が、大統領選挙戦の真っ最中にサングラスの麻薬王にカネを融通してもらった。この意味が分からないとは言わせないぞ!!」


「そんな大声出さなくとも・・・・・・」


「選挙資金に麻薬マネーが使われてたんだぞ!? それも大統領選でだ!! 大声出さずにいられるか!?」


「確定じゃない」


「他に使用用途があるのか?!」


「・・・・・・ちょっと思いつかないけど、確定はしてない」


「クソッ!!」 


 アメフト時代は遠い昔のはなし。だけど筋力量がまるで衰えていないマイクが苛立たしげに机を叩くと、まるで地震が起きたかのようにすべてが揺れ動いた。


 机が凹んでいたらどうしよう、一応は備品なんだしと妙な心配をしてしまう。


「俺は・アイツが・嫌いだ!!」


「誰? ジェレミーのこと?」


「嫌な奴だし、なにより浅はかだろう!! CIA長官だった癖してこんな初歩的なミスふつう犯すか?! 人刺し殺したあとに指紋ベタベタのナイフを現場に残していくようなもんだ!! それもイニシャル入りのやつをなッ!!」


「Mr.キャッスルが上手く処理してくれると思ったんじゃない?」


「誇大妄想が入った、上層部に裏切られたと感じてる猜疑心まみれの元スパイが、ホワイトハウスのキーパーソンの弱みを握ったらどうすると思う? 

 いや、いい、答える必要はない。証拠が物語ってる」


「いざという時のために懐に忍ばせておく」


「そうだ!! この問題の99パーセントをサングラス野郎が引き起こし、残りはぜんぶティーチの野郎の自業自得だ!! お前は何をやった!? いつもみたいに惚けたミネソタ野郎の面してそこに座ってただけだろう?」


「84件の作戦を指揮して、8つの国境を犯しつつ、直接的には588人、その他コラテラル・ダメージと不明瞭な標的を含めて2208人の暗殺に関与した。お陰でアメリカ人を標的した339件のテロ計画を阻止できたが、言うまでもなくこれはCIAの暗殺を禁じた大統領令違反であり、連邦犯罪に当たる。

 私個人が、殺人罪で起訴されるだろう」


「・・・・・・」


 むっつりと押し黙るマイクに、私は弁護士と依頼人という関係でなく、友人として話しかけていった。


「マイク、本当に困ってるんだ」


「だろうな」


「テロは今そこにある危機だ。だが上は、冷戦が終わったことでバラ色の未来が訪れると信じ、対処を怠っている。兆候はそこら中で見えているにも関わらずだ。

 私にはこれを阻止する義務がある。だが、やり方が性急だったのは認めるべきだろう。誰かが責任を取らないと」


「ならジェレミー=ティーチとかどうだ? 俺は、奴が公聴会でリンチされてるところを最前列でポップコーン片手に眺めたい」


「だけどテロの危機を理解してるのは彼だけだ。やり方は間違っていた、だがやり方と一緒にわれわれの理念まで否定される訳にはいかないよ。私たちは敗れたが、まだ完敗は喫していないのだからね」


 しばし考え込んでいたマイクだったが、チラリと壁にズラリと並んだアナログ時計の文字盤を睨みつけていった。


 電話会議をする時などに、あの各国の時差にあわせられている時計たちは大いに役立ってくれる。東部標準時に北部標準時、そしてもちろん南米標準時に合わせて時を刻む時計がカチコチ、針を鳴らしていた。


「向こうが脅迫電話をかけてくるまでの猶予はどのくらいだ?」


「さあ? 追って連絡を待たれたしとしか手紙には書かれていたけどね。1年後か、はたまた今日中か」


「ずいぶんと悠長なことだな」


「そうかい? 偵察写真を撮っている最中にゲリラに飛行機ごと撃ち落とされて捕まったウチの要員がいたけど、彼を解放するための交渉ってこんな感じだったよ?

 電話機に張り付いて、気まぐれに向こうが連絡してくるのをただひたすら待つ。あっちには、あっちの事情があるんだろう」


「纏めるとこうか。そのあちらの事情とやらが片付くまでの間中、電話が鳴るのを待ちわびながらこの3人で面を突き合わせて、ない知恵を絞って考えるわけだ。被害を最小限に留めるため方策ってやつを」


「そう、ティーチを守るための作戦をね」


「あんなクソボケ知るか。俺が協力するのは、奴のためじゃない」


 マイクが手慰みに振り回していたボールペンが、唐突に動きを止めた。


「よし・・・・・・対策を練ろう」


 これがテレサ・テスタロッサ対策会議が発足した瞬間だった。




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