III “過去はあなたの影”

【“テッサ”――デ・ダナンII・テッサの私室】


「う、ううん・・・・・・あの子はさいこうよ・・・・・・はっ!!」


 寝言混じりに目を覚ますと、わたしはベッドの上に居りました


 このコンテナ船が造船された当時には機関長室と呼ばれ、トラソルテオトル時代にはDr.アレクなるお医者さんが宿泊していたお部屋であり、デ・ダナンIIとなった今はわたしの私室になっている場所です。


 機関長というのは、民間船においてはナンバー2に当たります。その地位にふさわしい広さと調度品が揃っており、暮らしぶりはそう悪くはありません。ですが寝起きは最悪でした。


 しゃっきりしようと頭を振る。えーと、どうしてここに居るんでしたっけ?


 考える。そうでした・・・・・・昨日の大爆発の後、後処理に忙殺されているうちにバタンキュー。そのまま私室で横になったのでした。


 あの規模の爆発を誤魔化すなんて誰にもできやしませんから、すぐさま港に消防車が殺到してきました。それに気づいたノルさんは素早く機転を利かせ、おもむろに港湾労働者組合のオフィスへと電話。


 “サツに話したら、次はお前らの番だ”という決め台詞がきっと効いたのでしょう。あちらの方で上手いこと誤魔化してくれたらしく、捜査の手はデ・ダナンⅡにまで及ぶことはありませんでした。


 ニュースによれば、輸送船がまるまる1隻消失した規模の爆発にしては、周辺被害は最小限であったとか。ここら辺、爆弾エキスパートとしてのケティさんの面目躍如という感じ。あまり嬉しくはないですけど。


 とりあえず民間人の被害はなし。港湾設備のダメージも最低限だそうでして、オイルフェンスが迅速に敷設されたこともあり海洋汚染もほぼ見られないのだとか。


 もっとも死者は出てしまいました。そう、あのスウェーデン人の船長さんはじめ、ビューティフル・ワールド号の乗組員は全員が死亡してしまったのです。もっとも強烈な爆発のせいで死体は完ぜんに蒸発してしまい、公的には行方不明あつかいされてましたが。


 彼らの前科を思えば、あるいは因果応報かもしれませんが・・・・・・ちょっとあんまりにも思える。


 当初の予定では、100人の子どもたちをNPOに引き渡したのち、メリッサと事後の対応について相談する予定だったのに、けっきょく昨日はずーっとバタバタしてるだけで終わってしまった。


 警察が不意にきてもいいようヤンさんとノルさんを一般船員に化けさせたり、鳥籠の少女のために船室を用意したり、100食分の食事が腐りだす前に冷蔵室に詰め込んだり、証拠隠滅のために泣く泣く例の潜水艦――ナルコ・サブをコンテナ船の船室に収容したりと本当にもう大忙し。


 こうなると相談どころじゃありません。メリッサにはまた明日と約束を取り付けてからわたしは、気絶するように眠りに落ちていった・・・・・・。


 とにかく身支度しなくては。備え付けのシャワーを浴び、着替え、髪を梳いてかるく化粧をする。すると、


コン、

   コン、

      コン、


 ノックの音が聞こえてきました。


 はいなんて返事をしつつ、横目で時計を見てみる。いつもの手紙の時間でした。実は、郵便局からMSCトラソルテオトル宛の手紙が毎朝届けられていたのです。


 この船の経営者が麻薬カルテルだった時代の名残。届けられた品は、ほとんどが暇潰しのためだろう雑誌の定期購読でしたが、時おり個人宛の便箋が届くこともありました。


 カルテル自動経営システムこと“クレイドル”内にも、この船のデータはほとんど残されていませんでした。どうして入手困難なロシア船籍のコンテナ船なのか? 高度に訓練されたロシア人の教官たちは何者なのか? トラソルテオトルの経営体制には、まだまだ謎が多いのです。


 ですがその当事者たちは、ことごとく鬼籍にはいり、それだけでなく遺体はノルさんの手によって苛性ソーダで溶かされてしまった・・・・・・こうなると歯形はもちろん、身元の照合に使えそうなDNAすらも残されていないことになる。


 墓を掘り起こしてまで個人の罪を裁く。そこまで追求する気は、わたしにはサラサラありません。ですがこの計画の原点がどこから来たのかは、探るべきでした。だってMr.キャッスルすらもこの船の実態をよく知らなかったのですから。


 カルテル内においてすら、治外法権化していたはぐれ者アウトサイダー。下手をすれば、わたしの知らない関係者があの研究を引き継いでいるかも知れない・・・・・・それがわたしが手紙を調べる理由でした。


 とはいえ、今のところこの手紙たちは、ヒントよりも憂鬱を運んでくる存在なのですが。だって手紙の送り主は、自身の家族がただ“バイト”しているだけと信じてる家族たちでしたから。


 ただ安否を知りたいだけ。文面からはそんな切実さばかりが伝わり、もしかしたら暗号が隠されているかもなんて探る気力すら湧いてこない。今どき機密情報を手紙でやり取りなんてしませんから、裏の意図はまずないでしょう。


 ノルさんにいわく、トラソルテオトルのヒエラルキーは“ママ”を絶対の頂点として、そのすぐ下にロシア人の教官たち、施設の管理人、科学者とシカリオたちが続き、最後にバイトが末席を埋めていた。


 だから憂鬱が止まらないのです。手紙の出元を探ってみたところで見えてくるのは、貧困という病だけ。謎の答えなんてありはしないでしょう。バイトと呼ばれてる存在に、機密情報を伝えるはずないですもの。


 とはいえ、他に手かがりもないのも事実。一縷の望みを託し、こうして手紙を受け取る日課をわたしは続けていた。


 扉を開けると、そこには少年が立っていました。


 文学少年といった繊細さを感じさせる美少年。髪の色はわたしに近い銀色でしたが、アッシュブロンドと呼べるほどには透き通ってはいません。何より人種がちょっと違います。白さが目立っていますが白人というより、混血メスティーソの色が濃いのです。


 彼の名はシーロくん。年齢は13歳と、デ・ダナンⅡの中では年長組に当たりそして――一言も言葉を発しない。


「ありがとうございます」


 務めて笑顔で接しますが、手紙をわたしに手渡すとシーロくんは、あっさり背をむけ去ってしまう。


 この船の子どもたちは、大なれ小なれ問題を抱えています。カロリナちゃんの接触障害もそうですが、シーロくんもまたその1人であるらしく、わたしは初めて出会ってからこの3ヶ月の間、彼が話すところを一度も見たことがないのです。いつも輪から外れて、虚空を眺めながらなにか考え込んでいる。


 戦争がひと段落しても、それが残した爪痕はいつまでも残る。これもまたそのひとつの事例なのでしょう。 


 逃げるつもりはありません。勝手に首を突っ込んだのはわたしの方、あの子たちの人生すべてに責任を負うと、もう決めたのですから。ですが時に、迫りくる魚雷をタッチの差で避けるよりもわたしには、人間関係のほうが難しく感じられるのです。


 せっかく届けてもらったものの、手紙はデスクに置いておく。どのみち調査の優先度は高くありませんから、後回しでもいいでしょう。まずは朝食、それから翌日に延期となったメリッサのオンライン会議をしなくては。

 

「?」


 ふと違和感を抱く。


 わたしの私室があるEデッキには、他にも船長室が設けられています。ブリッジのすぐ真下という立地条件ゆえにこのような配置になっているのですが、わたしから見てちょうどお向かいの船長室の扉が、半開きになっていたのです。


 今はもう誰も住んでいないあの部屋には、かつてトラソルテオトルの支配者であった“ママ”という女性が暮らしてました。


 他の管理者たちの部屋は、子どもたちがあの陰鬱なコンテナハウスから居を移すにあたって、すべて片付けられてしまった。ですがあの部屋だけは例外的に、当時の姿をいまも保っている。


 “ママ”の私室であると同時にあの部屋には、等身大のサンタ・ムエルテの像が置かれ、いわば礼拝所としても機能していたのです。


 半開きの扉に手をかけ、中を覗いていく。


 本物のミイラで作られたという骸骨の聖母は、トレードマークであるフード付きのチュニックを羽織り、手には禍々しい鎌と天秤を握りながら、今なお部屋の中に鎮座していました。


 像の飾られた祭壇を取り巻くように、サンタ・ムエルテの祭壇に必須であるとされる5大供物オフレンダが捧げられている。光は蝋燭、水はコップに、香はタバコが、花そして土の要素は、植木鉢に植えられたアルウェリという白い花が担っています。


 とても男の子とは信じられない、百歩譲っても中性的なうしろ姿を部屋の中に見出す。いつものチャイナドレスはどうしたのか、いまは薄手のTシャツにスキニージーンズを履いている。とはいえ、そのジーンズの片方の裾は大胆にも取り払われ、生足が露出しているのは彼らしいですけど。


 やはり男装した女性にしか見えないノルさんは、咥えたタバコをふかく吸い込むと、おもむろにその煙をサンタ・ムエルテの像へと吹きかけていきました。


 それがサンタ・ムエルテ信仰における祈りなのです。

 

「やっと起きたか」


 ぶっきらぼうな男の子ボイスへと、声をかけるタイミングをずっと見計らっていたわたしは、すぐさま返事を返します。


「ええ・・・・・・もしかしてわたしが起きるのずっと待ってました?」


「まあそうだ。ニューヨークと回線が繋がったらしい」


 納得の理由でしたが、そうでなくてもノルさんはこの場所に足を運んだに違いありません。彼は甲斐甲斐しくもサンタ・ムエルテの教えを守り、供物を毎朝とりかえていたのですから。


 どうしてか、この部屋にいると自然と声が低くなる。


 ここは別名、聖堂カテドラルと呼ばれていたそうですが、なるほど教会の中のような襟を正したくなる空気が満ちています。


 信仰はどんな形であれ、他人が口を出していいものじゃありません。僅かな例外があるとしたら、他人に害をなすカルト教団ぐらいのものでしょう。だって宗教というのは、信仰している当人にとってはとても大切なものなのですから。


 ただ――かつてハスミンちゃんが言っていたことを思い出す。サンタ・ムエルテはこの船においては、“ママ”の依り代アバターというお話を。


 先ほどのシーロくんもそうです。この船で背負わされた重荷から、子どもたちはまだ解き放たれずにいる。





✳︎


 


 

『まずはグッドニュースからね』


 ところ変わって、船倉に設けられたサーバールームへわたしとノルさんは、移動してきました。コロンビアからニューヨークまでビデオチャットを繋ぎたいなら、設備の整ったこの場所からでないと無理なのです。


 まだ朝早く、ましてや1時間ほど時差があるわりに、チャット画面のなかのメリッサは元気そうに報告をはじめる。


『インターポールが地元の警察とともに突入したところ、126人の子どもが保護されたそうよ』


「そうですか・・・・・・良かった」


 急なオーダーの変更によって余剰在庫になってしまった子どもたち。彼らの安否をずっと気に病んでましたが、どうやらビューティフル・ワールド号を所有していた海運会社の倉庫で無事に発見、保護されたみたい。


 とりあえず胸を撫で下ろしてもいいでしょう。


『ま、ここまでは予定の範疇内ね。主犯が全員、爆殺されたことを除けば』


 うっ。


 画面向こうのメリッサのジト目がまずわたし、次いで食パンにポテトチップスだけを挟んだ貧相なサンドイッチをむさぼるノルさんへと向けられました。


「・・・・・・その話題で、なんで俺を見るんだ」


『あんな戦略的にも戦術的にも、なにより道徳的にも意味不明なことをテッサはもちろん、ヤンだってやらかさないからよ。何よそのサンドイッチは?』


「なんでもイギリスの伝統食らしい」


 雑なお料理を貪りながら、これまた雑な回答をよこすノルさんに、メリッサの目つきは険しくなるばかり。慌ててわたしは、丸っきり同じメニューであった食べかけのサンドイッチを、WEBカメラに映さぬよう隅に片す。


「えーっと、ですね。もう半年もこの船で暮らしてますから、そろそろ食料の在庫が尽きかけてまして・・・・・・特に今朝のお料理番は、ノルさんでしたし」


『やっぱアンタのせいじゃないの』


 躱したつもりが、一周してノルさんに話題が戻ってしまう。凛々しい顔しながらノルさんが言いました。


「カルテルを掌握したって、下っ端レベルにはまだ恨まれてる。ニューヨークの高級アパート暮らしには想像もつかないだろうが、こっちは買い出しに出かけるのも命がけなんだ」


『まあコワイ。元海兵隊員としてずっとテロリストと鍔迫り合いを演じてきたか弱い乙女にはとても理解できない苦労ってやつが、色々とあるのね〜』


「・・・・・・」


『・・・・・・』


 数千kmの距離をへだてて2人の間には、ギスギスした空気が取り巻いていました。


 本来なら、わたしがまあまあと緩衝材の役割を果たすべきなんでしょうが、いかんせんこの2人の確執って、もとを辿ればわたしだったりするので、微妙に立場がないのです。


 ちゃんと連絡さえしていれば、メリッサもASに乗り込んでコロンビアに駆けつけたりもしなかったでしょうし、それを迎撃するべくノルさんとケティさんが大立ち回りを演じることもなかったはず。


 今はこうして事情を知り、快く協力してくれているメリッサでしたが、この2人の関係は初対面からまるで変わらず、不倶戴天の敵同士のまま。


 単純に性格が合わないというのもあるんでしょうけど、わたしにはそれがちょっと悲しい。


「あの・・・・・・仲良くしろとはいいませんけど、もうちょっとどうにかなりませんか?」


『「どうにかって?」』


 おもわずハモってしまった2人がパソコン越しに睨み合う。まったく、わたしは心の中でため息をつく。


「わたしにとってメリッサは大切な親友です。ノルさんだって、知り合ってまだ間もないですけど友人であると、わたしは勝手に思っています。

 友だちの友だちが仲良くする義務は、それはないでしょうけど・・・・・・こうまで露骨に犬猿の仲を見せつけられるのは、やっぱり寂しいですよ」


 わたしの曇った表情に、2人も流石にちょっと思ったところがあったみたい。メリッサはおもむろに頭を掻き出し、ノルさんもちょっと気まずげに口を開く。


「そうは言うがなテッサ・・・・・・」


 自分は無法者アウトローである。そういう自覚が強いノルさんのこと、人生の大部分を軍人として、秩序側に身をおいてきたメリッサと反りが合わないというのは分かるんですが・・・・・・彼は言いました。


「だが、だがな・・・・・・その女、俺と明らかにキャラが被ってるんだぞ」


「被ってませんよ?」


「セクシーお姉さんキャラ・・・・・・そんなの俺の専売特許じゃないか」


「被ってませんし、専売特許でもありませんよ?」


 どうしてこの人はこう、最後の最後でみょうな方向に突き進みたがるのかしら。


『ハイハイ、分かったわよ。変態と張り合っても不毛なだけだわ』


 呆れ果てた態度のメリッサがコーヒーを一口啜り、すぐさま敏腕データアナリストに早変わりする。


『本題に戻るけど、予想外の爆発オチはともかく、大枠としては目的は達成されてるわね』


「100人の子どもたちを救出する。それ以外のパート、ぜんぶ予想外だった気もしますけど・・・・・・」


『話を蒸し返さない。考えてもどうにもならないことは、忘れるに限るわよ。現に助かった、なら結果オーライ』


 この割り切り、いかにもプロの軍人らしい思考方法です。こういったメンタル面において、わたしはプロ失格なのかもしれない。


『むしろあたしとしては、その101の女の子が気になるんだけどね』


 いわずもなが、101人目とは鳥籠の少女のことでしょう。


『身元は?』


「バタバタしててあまり質問できてないんですけど、名前すらまだ」


 ノルさんに視線を向ける。ハスミンちゃんと共にあの子の事後処理を担ったのは、彼でしたから、何か言いたいことがあるはず。


「とりあえず人間爆弾説は検査で消えたが、相変わらず当人は黙秘中。こっちの質問には一切答えず、部屋で大人しくしてる」


『なんだっけ、空っぽの鳥籠なんて妙なもの持ち抱えてるんでしょ? その線はどうなの? 所有物を探るなんて初歩中の初歩でしょうに』


「当人が離さない」


『あのさぁ・・・・・・可哀想なのは分かるけど、そこは無理にでも調べないと。出自のヒントはもちろん、爆弾説を唱えるならその鳥籠だって怪しいじゃない』


 その点に関しては、わたしの出番でした。


「電波、電磁波ともに検出できませんでしたから、たぶん大丈夫じゃないかしら。そうでなくても鳥籠に隠せる爆薬の量なんてたかが知れてますし。

 だいたいあの子は人身売買の被害者なんですよメリッサ? かなり鳥籠に精神的に依存しているようですし、無理に取り上げるとかしたくないわ。最悪、心の傷になるかも」


 それに精神面はともかくも、身体状態はすこぶる良好というのも、この悠長な対応の理由でした。


 衛生兵としての資格を持っているヤンさんが検診してみたところ、問題といえばわずかな脱水症状ぐらいのもので、昨夜など出された食事をちょっとこっちが驚くほどにバリバリ平らげてしまったほど。


 いまは上部構造物の船室で、ちょっと可哀想ですけど軟禁状態。とはいえ部屋には本もテレビもありますし、必要とあればすぐ呼んでくださいねと、自作の電子チャイムも渡してある。


『聞くにしても、まずは信頼関係を構築してから?』


「それか児童心理学に精通したカウンセラーさんに助力を乞うまでかしら」


『でもさ、謎の第三者はわざわざその子を引き取らせたんでしょう? ちょっと対応が呑気すぎない?』


「じゃあ逆に尋ねますけどメリッサ。あの子を引き取らせるメリットって、どんなのが考えられますか」


 すると、メリッサが分かりやすく言いよどむ。そうでしょう、そうでしょうとも。10歳かそこらの子にできることなんてたかが知れてますもの。


『えっ? そりゃあ・・・・・・おかわり頼みまくって家計を圧迫するとか?』


『えー、マオさんそんな風にラナのこと見てたのー? 幻滅ー』


 急にスピーカーから流れだした女の子の声に、ノルさんが疑問符を浮かべる。


「誰だ?」


「前にお話ししたでしょう? ニューヨークのアパートで同居していた女の子、ラナさんですよ」


 メリッサの旦那様であるウェーバーさんが、テルアビブから連れてきた女の子。その経緯について詳しく話してはくれませんでしたが、かつて傭兵であった時代にウェーバーさんは、仕事の最中にラナさんに傷を負わせてしまった。


 その罪滅ぼしのために、当時属していた傭兵部隊を辞めてまでラナさんを病院に預け、膨大な治療費を肩代わりしてきた。ミスリルに加わったのはその治療費を稼ぐためという一面もあったそうなんです。


 チャランポランなように見えて実は・・・・・・いえ、チャランポランであることは間違いないんないんですけど、その一方でウェーバーさんというのは、ひどく責任感がある方なんです。


 アラブ系のラナさんが、WEBカメラに映りこむ。ちょっと前まで寝たきりだったとはとても思えない満面の笑み。ですがメリッサは、困ったようにその顔を画面外に押しのけていく。


『ウチの宿六の珍しい善行ってやつよ・・・・・・ラナあんた、ちゃんと薬飲んだの?』


『飲んだよー』


 ドップラー効果の尾を引きながら、遠くに消えていくラナさんの声。ニューヨークの病院にはまだ通っているそうですが、経過は順調そうで何よりという感じです。


 微笑ましい風景でしたが、話してる内容が内容なのでノルさんは渋い顔。


「仮にも秘密会議じゃなかったのか? こんなノリじゃ、これからが心配だ」


「まったくですね兄さん。不真面目にも程があります。ところで紅茶のお代わりは如何ですか?」


「うん」


 唐突にふって沸いたハスミンちゃんが、魔法瓶の中身をノルさんが手にしたカップに注いでいきました。相変わらず、松葉杖を使っているのに足音のしない子ですねぇ・・・・・・。


『どの口がいうか、どの口が』


 ギョッとして固まってるわたしのカップにも熱い紅茶を注いでから、現れた時とおなじように、また唐突に消えていくハスミンちゃん。まるで嵐のよう。


 もっともなメリッサの苦言に、ピンと小指を立てながら優雅に紅茶を啜っていくノルさんは涼しい顔。


「警告しておこう、神とハスミンには逆らうな。それが身のためだぞ」


『テッサちょっとさ、ヤンの奴を代わりに呼んできてくれない? 話すすまなくて困るわ』


「ハイハイ、皆さんそろそろ本題に戻りましょうね?」


 手を叩きながら、わたしはこのビデオ会議を開いた本来のテーマへの回帰を図りました。ですがテーマその1は、もう達成されています。


 救出された子どもたちと、ビューティフル・ワールド号その後の対応についての事後報告デブリーフィング。皮肉ですけど、ケティさんがすべて吹き飛ばしてくれたお陰で、面倒な後処理のだいぶぶんが省かれてしまったのです。


 子どもたちはインターポールが保護してくれましたし、ビューティフル・ワールド号の乗組員の逮捕にしても・・・・・・まあ、道徳面に目を瞑れば、手間が省けたと言えなくもない。我ながらなんとも浅薄な物言いですけども。


「爆発事件にしても“クレイドル”がちゃんと働いて、コロンビアの汚職議員さんがあれは事故だった、という方向で事態収拾を図ってくれていますし。遠からず風化するんじゃないかしら」


『相変わらず・・・・・・不気味なほどよく出来たプログラムねぇ』


 その意見には同意です。ただ入力するだけで、翌日の朝刊にすらこのについて大々的に報じてましたから。


 なるほどMr.キャッスルが権力欲に酔いしれるわけです。この全自動カルテル経営システムは、あまりに強力すぎる。


 人間に把握しきれない複雑さで賄賂が飛び交い、人々の思惑を左右していき、その全容は無数の遮断機カットオフによって決して辿ることはできない。これをもう一歩進めれば、文明操作装置にすらなりかねないほど危険なマシーンです。


「あれどうも、CIAのデータベースから情報を参照してるみたいなんです」


『CIAのデータベースってあんた・・・・・・まさかエシュロンのこと?』


 わたしは画面向こうに頷きを返す。


 全世界的な通信傍受システムこと、エシュロン・ネットワーク。その歴史は古く、実のところもう半世紀も前からアメリカを中心とした同盟諸国によって、この世界最大の盗聴システムは運用されているのです。


 固定電話、携帯電話、FAX、メールとおよそ考えうる情報が収集されている。入力されるデータの質と量が増えれば、いやでもAIの機能は充実していくものです。


「いくら議員を抱き込んでいるとはいえ、カルテル内部からの情報だけでは、このAIの正確さの説明がつかない。

 それで調べてみたところ、US-984XNとかいうコードから膨大な情報を引っ張ってきてるとこまでは分かったんですけど・・・・・・そこから先は、暗号が固くて」


『そりゃそうでしょうよ。だってそこが分かったら、国家安全保障局NSAにバックドアから侵入できるってことじゃない』


 独自の暗号体系に守られているためプロテクトが破れず、下手に触れてもやぶ蛇になるだけだと実は放置していたのです。


 この回線を逆にたどり、クレイドルを乗っ取るためにハッキングを仕掛けてくるかもしれないと危惧していたのですが、わたしが組んだ防壁ファイアーウォールが機能しているのか、今のところその危惧は現実のものとなってはいない。


 置いてきぼりにされたノルさんが無言でサンドイッチに歯型を刻んでましたが、これで自然と第2のテーマ――いかにCIAを脅迫して、子どもたちの権利を獲得するかに移行できたのではないでしょうか?


「どうでしょう、あれから更に調べはつきましたか?」


 ただでさえ会社立ち上げのためにオーバーワークを強いられているメリッサに、さらに仕事を押しつけるのは気が引けたのですが・・・・・・ここで遠ざけようものなら逆ギレするのは目に見えていますから、ありがたく好意に甘えさせてもらったのです。


『“コッファー=ホワイト”。それが、Mr.キャッスルの共犯者の名前よ』


 それを口火に、メリッサは報告を始めました。


『年齢は51歳。出身地はミネソタ州の片田舎で、実家は酪農を営んでるみたいね。ミネソタ大学の獣医学部にまぁそこそこな成績で進学したみたいだけど、そこでどうしてかCIAのスカウトマンの目に留まり、72年に入局』


 ノルさんが手を挙げる。


「質問していいか? よくまあそこまで詳細に調べ上げられたな」


『コツがあんのよ』


 諜報機関の内情にちょっと詳しすぎ。そんなもっともな質問に、メリッサはちょっと疲れた感じに言いました。


『開かれた政府をってのが、ウチの国是だからね。よっぽどの機密情報でもなければ、まあ普通に世に公開されてんのよ。あとは断片を手間隙かけて繋ぎ合わせれば、ま、大抵はね』


 メリッサがやったのはいわゆるOSINTオシント――オープン・ソース・インテリジェンスです。


 合法的に公開されている断片をつなぎ合わせて、全体像を把握していく。インターネットの普及によって情報が溢れるようになった昨今、段々と存在感を増してきた分野です。


『天下のCIAすら機密解除指定にともなって資料を公開しているぐらいだし。開かれた政府ってのは、この場合あたしらの味方ってわけよ』


「だが限度があるだろう?」


『そらそうよ。だけどコツがあるって言ったでしょ? 続けていい?』


 ノルさんが肩をすくめる。


『のちに中南米部門のチーフとなったコッフー=ホワイトは、94年にインテリジェンス・メダル、つまりはCIA版の名誉勲章メダル・オブ・オナーを受勲してるわ。

 ここら辺はCIAらしいけど受勲に至った経緯は非公開。ただしその式典そのものは公表され、新聞にも載っていた』


「諜報機関なのに勲章なんて出してたのか?」


 今度はわたしが、その疑問に答えました。


「ノルさん。CIAってそもそもOSS、つまりは第二次世界大戦下に作られた準軍事機関を前身にしてるんです。

 ですから純粋な諜報機関というより、軍隊が諜報分野に手を出したみたいな組織体質が根っこにあるみたいなんですよ」


『テッサ、言葉飾りすぎ。あいつら単に派手好きなだけよ。

 このリポートみたいに地道に情報だけ集めてくりゃいいものを、すぐアメリカン・ヒーローを気取ってド派手なことばかりやりたがるんだから。

 クーデターだの破壊工作だの、それで成功してんならまだいいけど、実態としては失敗ばかり、背後には屍の山ってね。

 まったく何度コイツらの尻拭いに駆り出されてきたか知れたもんじゃ――』


「メリッサ、脱線、脱線」


 ハイハイ、そうおざなりに答えてからわたしの親友は本題に立ち返っていきました。


『入局してからこのかた中南米部門、一筋みたいね。

 CIAの元局員って、退局後に自伝出して一儲けってやつが多いんだけどさ。A氏だとかB氏だとか名前がボカされるなか、中南米部門に巣食ってるミネソタの田舎者って数々の本で名指しされているあたり、CIA内部ではちょっとした有名人だったみたい。

 実際、死後の受勲が九割方なインテリジェンス・メダルを生前に受け取ってるあたり、それなりに実力者ではあるらしいわ』


 わたしは言いました。


「具体的に何をしてきたか分かりますか?」


『さっきも言ったけど、断片をつなぎ合わせて推測した内容ばかりだからハズレてても恨まないでよ? とはいっても、出来るかぎり裏取りはしたけどね。

 まさに大した経歴ってやつよ。CIAのラテン・アメリカにおける工作活動の裏にその人あり、って感じね。イラン・コントラ事件の黒幕の1人として政府から召喚されてるし、キキ・カマレナ誘拐事件の折りには、どうしてか地元の新聞紙にメキシコの政府要人と一緒に写ってる写真を見つけたわ。

 他にもコロンビアの極右民兵組織AUCと組んで、ゲリラ狩りに精を出していたみたい。そこの民兵連中の親玉とは、かなり懇意にしてる様子ね』


 わたしはPCを操り、メリッサの顔が移ったWEBチャットの小窓とは別に、ある画像をデスクトップに表示させました。


 メリッサが以前、わたしに先行報告としてメールで送ってくれた画像データ。インテリジェンス・メダルの授与式において、当時のCIA長官ジェレミー=ティーチと一緒に写っている男性の写真でした。


 なんとなく一昔前の、アメリカの理想の家庭人といった風貌をした男性が、画像ファイルの中でのんきな顔して微笑んでました。悪辣なCIAの諜報員を地でいっていたMr.キャッスルを思えば、拍子抜けしたくなる風貌です。


「中南米部門のトップとなれば、オフィスから出る必要のない身分でしょうに。

 なのにそんなキャリアを歩んできたということは、意外と現場叩き上げの人物ということになるのかしら?」


『はっきり言ったらどう? 見た目に似合わず、行動派ってさ』


 確かに・・・・・・CIAの辣腕家というよりも、やはり麦わら帽子をかぶってトラクターを乗り回してる方が似合いそうな、温厚な人物にしかみえません。偏見そのものでしょうが、ミネソタの田舎者とはよくいったものです。


『ただ例の陰謀に関わってるのは、間違いないわ。

 CIAがカルテルを使って行ってきた暗殺活動ウェットワークの数々、あれを裏から手配してきたのは、まさしくこの男よ。もっともこれは、そこの当事者さまの証言があって初めて判明した真実だけどね』


 複雑な気持ちでついチラッと、ノルさんの方を見てしまう。


 いわば、犯罪の当事者が事件の詳細について語ってくれたようなものなのです。丁寧に証拠が隠されているといっても、隠した当人が暴露してしまえば意味がありませんから。


 カリ・カルテルは必知事項ニード・トゥ・ノウの法則をつかって情報統制を行ってました。ですからノルさんの知っている情報って限られていたのですが、誰と出会い、どのように入国したのか? 作戦手順のかずかずなど、塵も積もれば山となる。


 パズルのピースも出揃えば、全体像がおぼろげに見えてくるものです。


 ましてやわたしたちには、“クレイドル”という伝家の宝刀もありましたし。あの中に眠っていたアメリカ宛ての入金履歴の数々。あれこそが、実はわたしたちの切り札なのでした。


 ノルさんは感情らしきものをまるで浮かべず、口を開く。これがただ何も考えていないだけなのか、はたまた高度なポーカーフェイスなのか、時折りわたしには分からなくなる。


「つまりは、これから脅迫する相手はコイツって、ことか」


 ディスプレイに直接触れて、ノルさんがコッファー=ホワイトの写真を指でつつきました。


「なんか迫力に欠ける奴だなぁ。経歴はご立派だが、ほんとうに情報に間違いないのか?」


「ノルさん」


 わたしはぴしゃりと、注意するように言いました。 


「敵を舐めてかかるのは、一番してはならないことですよ。この写真の人物は、実に30年ちかくも諜報の世界に身をおいてきたんです。

 人は見かけによらぬもの・・・・・・その言葉は、ノルさんならよくご承知のはず」


 わたしは、写真の中のコッファー=ホワイトの双眸を見つめました。


 イラン・コントラ事件なんて大スキャンダルに巻き込まれておきながら、今だに中南米部門の長としての地位を保っている。それだけの理由があるはずでした。


 果たして、この人物はいまなにを考えているのでしょうか?


 わたしに情報が暴露されてしまうと、CIA本部の奥で怯えて縮こまっているとは、どうしてか思えないのです。何かきっと起死回生の策はないかと、3ヶ月間にわたり作戦を組み立てているに違いないのですから。


 

 


* 


 



【“コッファー”――CIA旧本部ビル】


「そうとも、私はよく人からなにも考えていないとなじられるがね。実際には常に深慮遠謀、こう見えても色々と考えているんだよ」


 長い廊下を歩きながら、私はかたわらの無国籍風味の若い女性――Ms.アンサーに話しかけていった。


「よくミネソタの田舎者と呼ばれるけどね? これはひどい偏見というものだ。確かにミネソタ人は無駄話が多すぎるきらいがあるけどね?」


「はぁ・・・・・・」


 すると、私の示唆に富んだ話に感心したのか、Ms.アンサーが小首をかしげた。


「そもそも無駄とはなんだろう? 人生は常に勉強だ。無駄だと思った行為がのちに大きな意味をもつことがしばしばある。なにより無駄が無駄であると断言するには、そもそも無駄とは何なのか証明しなくてはならないが、私にはその行為そのものが無駄なものに思えてならない」


「はぁ・・・・・・」


「つまりだ、私が言いたいのはねMs.アンサー・・・・・・なんてこった私は今まさに無駄話をしてるのか?」


 ショックでしばし足を止めてしまう。実は、自分で気づいてなかっただけで世間の評判どおり、私は単なるミネソタの田舎者なのだろうか?


 言いしれぬ恐怖が襲いかかる。だがかたわらのMs.アンサーは首を振り、どこか判然としない、いつもの顔つきをしながら言った。思いがけない褒め言葉を。


「そのことに気づくとは、流石ですねチーフ」


おやまあウフタ・・・・・・それってもしや太鼓持ちってやつかな?」


 ついつい癖であるミネソタ訛りを混じえながら問いかけると、


「いえ、単なる無駄話です」


 なんてあっさり答えられてしまった。


「そうか、ならいいけど」


「ところでチーフ」


 周囲に人影は見えないが、それでも声を潜めてMs.アンサーが聞いてきた。


「例の銀髪の女性の件・・・・・・どのように対処なされるおつもりで?」


「うん、まあ心配はいらないともMs.アンサー。私はこう見えても、30年もこの業界で働いている大ベテランなんだからね。危機のひとつやふたつぐらい、これまでもどうにか凌いできたさ」


「では、秘策がお有りなので?」


 私は鋭い指摘をとばしてくる部下に向けて、自信たっぷりに微笑んだ。長い人生経験で学んだことはいくつもあるが、危機にあってこそ笑える人間が一番、頼もしく恐ろしいのだと私は知っていた。


「それはもちろん――これから考える」


「なるほど、流石ですねチーフ」


 とりあえず私たちは、作戦会議の前にカフェインを脳みそに注ぐべく、スターバックスへの道筋を辿りはじめた。


 

 


* 


 



【“テッサ”――デ・ダナンII・サーバールーム】

 

「舐めて掛かるべき相手ではないわ」


 ノルさんは、まるで画像ファイルに穴を開けるかのように睨みつづけ、


「そうかなぁ・・・・・・」


 などと、わたしの出した結論とは真逆の疑問を呈してきました。


「まあコイツを脅迫するのはいいさ、考えてみればもう3ヶ月も前からの方針だし、いまさら異論は唱えない」


「なんか気乗りしない感じですねえ・・・・・・」


「俺の頭の出来だと、どうにも会話だけで問題が解決されるって概念が理解できないんだ」


 また物騒なことを言い出しましたよ。


「人が生きるのに必要なのはパンであって、武力闘争じゃないんですよノルさん」


「分かりづらい」


 無下な答えでした。さりとて、この言葉って、もしかしたら自分への戒めに使うべきなのかもしれません。だって先のスタジアムでの戦い・・・・・・あれを戦いに発展させるつもりはなかったはずなのに、気づけば辺りは、血みどろに沈んでいたのですから。


 時間がなかった、わたしの計画が甘かった。理由はいくらでも挙げられますけど、人の血を流してしまったという事実は、相手が誰であっても忘れるべきではないのです。


 自戒と自覚――それを忘れた瞬間、人は獣になる。


 割り切りが得意なメリッサが、とりあえず場をまとめてくれる。


『異論は唱えないってんなら、大人しくしてることね。この件についてわたしもあんたも脇役なんだからさ。

 だから現実的な話をしていい? 具体的にその脅迫っていつやるわけ? 当初の予定では、今日の午後にやることになってたけど』


 メリッサの心配もごもっとも。忙しいことになると予測はしてましたけど、昨日のビューティフル・ワールド号の一軒って、こうまで心労が溜まるような展開にするつもりサラサラなかったんですけどね、蓋を開けてみればこれです。


 CIAとホットラインを繋ぎ、面と向かって相手と交渉する。心理戦になるのは目に見えていますから、できればベストな体調で挑みたいのですが。


「ですが、これまで時間を掛けすぎました」


 そうです、諸々の事情があったとはいえ、3ヶ月もの時間をついやしてしまいましたから。


「子どもたちが人質に取られるかもしれない、その懸念が消えただけで十分だわ。これ以上、敵に準備期間をあたえても百害あって一利なし。今日中にケリをつけましょう」


『とかいって頭痛はどうしたのよ? 最近ひどいって聞いたわよ』


 誰に聞いたんですかとは、尋ねませんでした。だってこの話をしたのってゴールドベリ先生だけでしたから。どうにも旧ミスリル関係者の間には、わたしを対象とした秘密の回覧板が回されているみたい。


 プライバシーとかないのかしら?


「大丈夫です、ご心配なく。ノルさんの方はどうかしら? 疑問やご異議はありますか?」


「前言撤回するようであれだが、そろそろ買い出しに行かないと本気でマズイ」


「あー・・・・・・」


 確かにその問題がありましたね。


 世界最大の諜報機関を相手取ろうとしてる矢先に、なにを家庭的なことに頭を悩ませているのかとお叱りの声が聞こえてきそうですけど・・・・・・衣食住はいつだって大切な問題なのです。


 カルテル関係者の報復を恐れてわたしたちは、よほどの理由がない限り、船の外に出ることはありませんでした。とはいえ自給自足にも限界があります。


「とくに昨日は、100人も出迎える予定だったからな。100人分の食事をいっぺんに作ったせいでカロリナがどうも風邪を引いたらしい」


「え? 大丈夫なんですか?」


 負担を軽減するために朝食当番だけは、交代制にしたのですが・・・・・・それでも不動のお料理番として、昼と夜にはカロリナちゃんはその辣腕をふるっていました。


「熱は出てないが、鼻が詰まって悪寒がひどいらしい。今は部屋で安静にしてる」


「そうですか・・・・・・風邪薬とかも仕入れておきたいですね」


「食料庫は空っぽだし、他にも爆薬や弾薬とかの軍需物資も心もとない」


 わたしは憂い顔をしながら、その買い物リストに大切なものを付け加えていく。


「あと服の問題もありますしね・・・・・・」


「? それの何が問題なんだ?」


「わたし、もうノルさんに服を借りるなんて屈辱、味わいたくないという話ですよ」


 高温多湿な気候ゆえ、コロンビアでは頻繁に着替える必要があるのです。


 ですが、ニューヨークから持ち込んだ着替えをいろいろあって全喪失したわたしです。子どもたちに服を借りるのは、物理的に不可能ですし、かといってこの船のかつての管理者たちの遺品から拝借するというのも、同世代の女性が居なかったらしく無理。


 となれば、どうしてかクローゼットに女物の服が充実してる、背格好が比較的にてるさる人物に借りるしか、他に道がなかったのです。


「俺はべつに気にしてないぞ?」


「わたしが気にするんです」


『あのさぁ・・・・・・』


 ふと気がつくと、モニターの中でメリッサが頭を抱えてました。


『CIAの大陰謀に、これから中指突き立てながら喧嘩を売ろって矢先にさ・・・・・・やめない、気の抜ける話?』


 そうですね、いくらなんでも緊張感に欠ける気がする。


「では、買い出しはCIAを脅した後ということで」


『もういいわよそれで』


 こうして方針は決しました。今日の午後、CIA本部と電話を繋いでこちらの要求を突きつける。


 おそらく舌戦になるでしょうが、こちらの圧倒的優位は明らか。演技力がすべてだったビューティフル・ワールド号の時よりずっと気は楽でした。


 トラソルテオトルにおける人体実験の罪を問うには、残念ながら証拠が足りませんでした。ですが“クレイドル”の中身を漁ってみたところ、CIAの関与を明らかにする証拠をみごと発見できたのです。


 今は、いわばチェスでいうところのチェックの状態。のらりくらり王手メイトを逃れるべく、相手も何らかの手を打ってくるでしょうが、それに対する対策も準備済み。


 リハーサルも何度か開きましたし、すでにこの件に関しては本番を残すばかりなのです。となると次なる問題は――


「どうやって午後まで時間を潰そうかしら・・・・・・」


 ひどく個人的な問題だけでした。


 メリッサはすでにログアウト済み。あちらも会社絡みの交渉があるとかで、午後まで再会もままなりません。大体のんべんだらりと雑談に明け暮れるのも、どうかと思いますし。ふむ。


「俺はこれから運動してくるが、なんなら見学するか?」


 ノルさんの言うところの運動とは、つまり船倉の訓練所をつかった戦闘訓練のことです。平和にランニングだけとかでも、いいと思うんですけども。


「ありがたいお申し出ですけど、そこは一緒にやらないかと言うべきですね。わたしだって運動不足がこのごろ気になるんですから。ランニングぐらいなら」


「誘って、転けられて、脳挫傷で死なれたら目も当てられないだろう?」


 口を開いたものの反論がどうにも思い浮かばず、ついつい顔を伏せてしまう。


「俺としてはそれよりも、あのナルコ・サブをどうするか聞きたいんだがな」


 努めて気にすまいとしてきた問題を、ノルさんがおもむろにほじくり返す。下手な新兵訓練キャンプよりも充実している訓練設備に混じり、実は積み上げられた木のパレットのうえに謎の潜水艦が鎮座していたのです。


「正直に言いますと・・・・・・アレ、どうしましょう?」


「ケティは、カッコいいから飾っておきたいと言ってたぞ」


「わたしには、ビューティフル・ワールド号爆破事件の証拠品にしか見えないんですけど・・・・・・」


「にしては、昨日はずいぶんと熱心に見聞してたみたいだが」


「そこはまあエンジニアの端くれとして、好奇心のなせる技ですよ」


 予算控えめな感じでしたが、出来じたいはなかなか良いのですあの潜水艦ってば。


 基本はディーゼル駆動のようでしたが、バッテリーを搭載することで無音航行も可能という、二次大戦時のUボートの設計を現代に蘇らせたようなデザインでした。端的にいうなら手堅いデザインの船です。


「思いのほか機能は充実してましたけど、使い道がさっぱり思いつきません。今のところは粗大ゴミそのものです」


「馴染みのスクラップ屋に引き取ってもらうか?」


「潜水艦までバラバラにできるんですか?」


「それは聞かなきゃわからないが、車も潜水艦も似たようなもんだろう」


「だいぶ違う気がしますけど・・・・・・それに、ああも大型ですとコンテナ船から運び出すのも一苦労だわ」


 現に入れるのだって大変でしたし。


「そうか? 前はザスカーに見つからずにサベージを運び出したろう?」


「あれは、向こうも監視のための人員が限られていましたし、今は当時と状況が違いすぎますよ。

 ビューティフル・ワールド号の後処理のために、無数の船舶がおもてを行き来してるんですよ? 夜闇に紛れるにしても、落ち着くまでは当面は無理でしょうね」


「・・・・・・テッサてさ」


「はい」


「将来的にこの船をどうするつもりなんだ?」


 CIAとの交渉が実ったときには・・・・・・そうでなくてもいつかは、この船を出ていくことになる。それは彼も分かっているはずなのに、ノルさんの声にはどこか不安が混じってました。


 やはり彼は、まだこの船の記憶に惹かれている。それについてどう捉えるべきか、わたしはまだ的確な言葉を知りませんでした。


「まあ、それはおいおい考えるとして・・・・・・」


「誤魔化したな」


「好きなようにおっしゃいなさい」


 はてさてどうしまょうか? いつものように子どもたちの様子を見にいくのがベターでしょうけど、誰の様子をという課題が残る。


 カロリナちゃんも心配ですし、お料理番が臥せり、食料が尽きかけているということはお昼の心配もあります。まずは調理室に向かうべきか? そうだわ、ぐたぐたに終わってしまった授業の問題もありますし、ヤンさんの鬱病も気になる・・・・・・そしてやはり、鳥籠の少女との対話を試みるべきなのかもしれません。


 あれこれ悩みつつ、わたしはサーバールームを後にしました。




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