II “ページを開いて”

【“テッサ”――港】


 ビューティフル・ワールド号と埠頭をつなぐ階段アコモデーションラダー、その手すりに手を這わせながら降りていく。行きは3人、帰りは4人。本来の予定では103人のはずでしたから、ずいぶん予定が狂ってしまいました。


 1人でも助けられたなら意味があると、そう信じたいのは山々ですが・・・・・・そう単純な話でもないでしょう。第三者の介入によって変えられてしまった取り引き内容。その狙いをいまだに理解できていないのですから。


 こちらが船内に居る時に仕掛けてこなかったということは、次に戦術的にありそうな攻撃のタイミングは、わたしたちが船外に出た瞬間でしょう。ノルさんだってそれは百も承知。コンテナヤードのどこかに狙撃手が潜んでいないかと、それとなく辺りを監視している。


 これが盛大な陽動作戦であり、主力が出払っている隙に無防備なトラソルテオトルを急襲するという可能性もあるでしょうが、それならハスミンちゃんから携帯電話で助けてと連絡が来るはず。ですが画面を見るかぎり、携帯電話はちゃんと電波を受信しており、電波妨害ECMという線もありえません。


 操業前の埠頭は、行きとおなじく今だに沈黙を保っていました。


 今にも撃たれるかもしれない。トラックに戻るまでそんな緊張状態がつづきましたが・・・・・・あっさりと、本来なら100人の子どもたちを輸送するために用意された大型トラックまでわたしたちはたどり着いてしまったのです。


 鳥籠を抱えた女の子の手助けしながら、背の高いトラックの助手席へと腰掛ける。車内ではカラカラと、バックミラーに取り付けられた小型扇風機が回転してました。


 世はすべてこともなし、それが逆に不安を掻き立てる。


 あらゆる危険が吟味されてしかるべきです。そういう危ういラインにわたしたちは身を置いている。例えば、ビューティフル・ワールド号に居るすきにトラックに爆弾を仕掛けるですとか。


 みずから盗聴器発見機バグ・スイーパーを振りまわし、怪しい電波が出ていないかと調べてみても、結果はシロ。トラックを一回りしてきたノルさんが無言で運転席に乗り込んだあたり、車外もまた変わりなかったのでしょう。

 

「さて――」


 ノルさんが、考え込むように間を置いてから話し始めました。


「なんとも予想外の展開って、奴になったわねぇ・・・・・・」


 まったくですなんて、呑気に答えることもできません。


 今だにノルさんは、ストックを折りたたんだガリルARMを足の下に収めている。警戒は解かれるべきではない、それには同意しますけど、どうにも敵の姿が見えてこないのです。


「こちらの予定表を盗み見たメールの内容から推察して、もっと規模の大きな作戦。たとえばですけど、港全体を敵勢力が包囲するための布石にしたとか、ありません?」


「その敵勢力って?」 


「わたしだって知りたいです。分かっているのは、メールのアカウントを知ってる何者かぐらいとしか」


「つまりCIAないしカルテルってことでしょ」


 まあ、それ以外の仮想敵ってちょっと考えられないんですけどね・・・・・・ノルさんは、形の良い眉をちょっと曲げられる。


「まず港そのものが包囲されてるって仮説だけど、そこまでやるんだったらメール云々の小細工する必要を感じないわね」


「戦力分散を狙ったとか」


「こんなデカい港を包囲できるのに、3人ぽっちに怯える?」


 ですよね。無茶な仮説だとは百も承知でした。


 港というのは、港湾都市の中心部です。Mr.キャッスルをして騒ぎを拡大させないよう、念入りな根回しが必要な環境なわけで、包囲には最低でも数千単位の人員が必要になるでしょう。そもそも発想があまりに軍人的すぎます、戦時下じゃないんですから。


「大体、カルテルなり警察なりが動いたら港湾労働者組合がまず気付くわよ」


 実は、この港の港湾労働者組合は、わたしたちの消極的な味方だったりします。


 かくゆうこのトラックも港湾労働者組合による提供品。ノルさんの涙ながらの説得に心打たれた委員長さんが、“頼むから妻子には手を出さないでくれ・・・・・・”と、気前の良いお返事をしてくださったとかで、無期限で借りっぱなしでいられるのだとか。


 もしカリから賄賂を受け取り、色々とトラソルテオトルに便宜を図ってきたという前歴がなければ、シカリオ流の交渉術にハリセン振り回して抗議したでしょうが、好都合なのもまた事実。


 現にこれまでも、警察による無差別積荷検査をあらかじめ警告してくれたりと、自らの保身のためとはいえ、いろいろと便宜を図ってくれていたのです。


 相変わらず携帯は無言のままですし、やはりわたしの包囲説はナンセンスな考えなんでしょう。


 となれば、オッカムの剃刀の出番かしら。複雑に考えれば、いくらでも理屈なんてこねくり回せるものです。ですからここはあえてシンプルに、ヒューマン・エラーを疑ってみる。


「わたしが、旧トラソルテオトルの管理者たちが出していたオーダーの変更を見落としていたとか、そういう可能性ってありません?」


「船長がロシア人って話を125回も聞き返してきた娘が、そんな凡ミスする?」


「わたしの記憶では、聞いた回数は15回だったはずですけど」


「そんな事細かに覚えてる奴が情報を見落としたって? 大体あのスウェーデン人、変更は2週間前だって言ってたじゃない」


 そう時系列がそぐわない。ノルさんの反乱によってトラソルテオトルのかつての管理者たちが全滅したのは、もう半年も前の話なのです。その生き残りが虎視眈々と復讐の機会をねらい、メールのやり取りに横から介入してトラップを仕掛けた。かなり回りくどいやり口ですけど、あり得なくはない? だとしても、どこかしっくりきません。


 大柄なハンドルを指でトントン叩きながら、ノルさんもまた思案に暮れてました。その視線が、わたしのお膝のうえで大人しくしている少女に横滑りしていく。


「テッサ、ふと思いついたことがあるんだけど・・・・・・」


 わたしもきっと、ノルさんと同じ考えのはずでした。


 今のところわたしたちは、謎の第三者の手の平のうえで踊らされている。あえて敵と表現しますが、その狙いが襲撃でないなら、偽のメールを出してまでわたしたちに受け取らせたかった存在――この鳥籠の少女が一番怪しいのは明白でした。


「あの、お名前を聞いてもいいですか?」


 できる限り優しく少女に話しかけてみたものの・・・・・・あの船長さんの例えは的確だったみたい。等身大のお人形さんのように反応がない。完全に心を閉ざしている。


 あんな密輸船に乗せられていた訳ですから、その経緯はまだ不明だとしても、むしろ自然な態度かもしれない。だって人身売買の被害者なのですから。


 ものいわぬ少女。本人の口から情報が得られないとなると、持ち物から推測するしかないのですが、あいにく鳥かご以外はこれといって見当たりません。ですが鳥かごにだって製造刻印が彫られているでしょうし、そこから出身地ぐらいなら推定できるかもしれない。ですから舐めるように鳥籠を観察したいのは山々ですが・・・・・・ギュッと掴んで離さないのですこの子。


 ライナスの毛布、なのかしら。


 心理学に疎いわたしですが、ここで強制的に鳥籠をうばうのは気が引けます。トラウマを刺激してしまうかもしれない。


 海の向こうからやって来た白人の女の子。手元にある情報はそれぐらいでした。まさかビューティフル・ワールド号に戻って、あの現代の奴隷商人たちを問い詰めるわけもいきませんし、手詰まり感がただよう。


「テッサ、人間郵便って知ってる?」


 いきなしの話題転換でしたが、ノルさんがこういう切り出し方をする時は決まって、わたしの知らない裏社会知識をひけらかすためであると知っていました。


 シリアスなその表情からして、しっかり耳を傾けるべき話題なのは間違いありません。


「カルテル界隈の隠語なんだけどね。ビニールで包んだコカインの包みを飲み込んで、素知らぬ顔をして飛行機に乗るような密輸屋連中をそう呼んでるのよ」


 すぐノルさんが言わんとしたいことに気づきました。別に飲み込むものをコカインに限定する必要もないでしょう。爆弾説は――まだ続いている。


 狙いがわたし個人であれば、これは非人道的であっても有効な策になるでしょう。わたしが子どもを見捨てられる人間であれば、そもそもこんな状況には陥っていないのですから。


 CIAであれ、旧トラソルテオトルの関係者であれ、わたしを排除したい勢力は大いでしょう。そして彼らは、前例からして非人道的な作戦を躊躇しない。


「ごめんなさい、痛かったら言ってくださいね?」


 断りを入れてから慎重に、鳥籠の少女のお腹を触っていく。


 ぷにぷにと柔らかいお腹。胃のあたりを撫でてみましたが硬質な手触りはまるで感じられません。ですが世の中には、液体爆弾といったものもありますし、何よりわたしはお医者様じゃありません。調査のため専用の設備が欲しいところですが、無い物ねだりしても始まらない。


 元は組合のトラックだけあってか、色々な小物が運転席のまわりには放置されていました。かつてカナメさんに教わったことです。発想を転換すれば、思わぬ品が効果的に機能したりする。


 わたしは、運転席と助手席を隔てる収納部分を開けて、中からクリップボードを取り出しました。


「ノルさん、お願いできますか」


 プラスチック製のクリップボード。それがノルさんの怪力によって力任せに折られると、中から書類を留めるためのマグネットが転げ落ちてきました。


 爆薬そのものに磁石は反応しないでしょうが、信管などの起爆装置まではそうもいかないはず。いわば即席の爆弾探知機となった磁石で丁寧に、少女のお腹を探っていきます。くすぐったいでしょうに少女は身動ぎひとつしません。真っ白い肌も相まって、本当にお人形のよう。


「反応は、ありませんね」


 もちろん精密検査は必須でしょうが、爆弾説は取り越し苦労の可能性が高まってきました。


「この子には申し訳ないですけど・・・・・・あとで港湾労働者組合に後方散乱X線検査装置を借りましょう。そうすれば、白黒はっきりする筈です」


「何それ?」


「コンテナ検査用のレントゲン装置ですよ」


「ああ、あれね。そんな名前だったんだ」


 アメリカ政府から提供された最新鋭設備。あれって本来、隠された密輸品を見つけるための検査機器なんですが、最近では対テロ対策の一環として空港にも導入され、乗客の検査にも活用されているみたい。ならば、このケースでも十分に転用可能でしょう。


「Xなんちゃらなんて、よく舌噛まずに言えるもんよ」


 ぼやきながらノルさんは、きっと労働者組合の運転手さんの置き土産であろう保温バックをいつもの殺人500ペソで解体して行きました。


 アルミは電波を遮断しますから、念には念をということでしょう。仮に爆弾説が正しかったなら、少女のお腹に腹巻よろしくアルミを巻きつけてあげれば、遠隔起爆装置を無力化することができます。


 ケティさん流のアナログな時限信管だったらお手上げですが、それはまずあり得ないでしょう。わざわざメールで騙していたことからも、ビューティフル・ワールド号側とこの謎の第三者が共犯という線は薄い。


 オーダー変更が2週間前。ここに気象条件によるスケジュールの遅延など、不確定要素も絡んでくるわけで、正確な起爆時間を設定するのは、無理難題というものです。


 ただ件の敵が賭けにでたという可能性を捨てきれないのが、辛いところなんですが。


「ほら鳥籠は持ったままでいいから、両手を上げなさい」


 ぶっきらぼうながら、敵意の欠片もない口調で言ってのけたノルさんは、銀色にかがやく即席の電波遮断装置を少女のお腹に巻こうとして、


「痛っ」


 反撃されてました。手を叩かれ、鳥籠の少女を睨みつけるノルさん。


「・・・・・・何すんのよこのガキ」


「まあまあ、ノルさん落ち着いて」


 変わってわたしが巻いてみますと、少女はあっさりされるがままに受け入れる。不思議な反応でした。わたしは良くて、ノルさんは生理的にダメ? まさかこの子、ノルさんの性別詐欺に気づいているのかしら。

 

「・・・・・・出すわよ」


 わたしの作業終了を見届けてから、ノルさんはおもむろにトラックのサイドブレーキを解除しました。


 迷いのないハンドル捌きで、トラックが迷路のようなコンテナヤードを走り抜けていく。ビューティフル・ワールド号からデ・ダナンⅡまでは、なにせ同じ港、さして離れてはいません。


 具体的には直線距離でほんの1.5kmほど。ですがトラックはおもむろに左へ折れ、帰還コースを逸脱していきました。実はこの寄り道、作戦通りの行動だったりします。


 短いドライブが終わる。コンテナヤードに背を向けて、埠頭よりも一段低いところにある木製の桟橋が見渡せる場所へとトラックが停車していきました。その桟橋には、たくさんのタグボートが係留されている。


「ごめんなさい、すぐ戻ってきますからね」


 そう断ってから少女をお膝から下ろし、助手席へと座らせる。ですがわたしがトラックを降りようとした瞬間、少女はすぐわたしに続こうとしたのです。


「そうですね・・・・・・じゃあ、一緒に行きましょうか」


 甘い判断かもしれませんけど、微笑んでから少女の手を取る。


 横でノルさんが渋い顔をされてるのは、爆弾説はもちろん、さっきの手痛い拒絶のせいでしょう。ですがコンテナでずっと1人きりだったこの子を置いていくのもあれですしと、手を繋いで歩いていく。


 トラックの荷台から降りてきたヤンさんと合流すると、ライフル抱えた成人男性と謎のチャイナドレスを伴うわたし+鳥籠の少女という・・・・・・なんとも謎めいた集団が誕生しました。


 そんな珍妙集団が朝日の下、係留されたタグボートの向こう側にうっすらとビューティフル・ワールド号の姿を視認できる桟橋を歩いていくのです。どうしましょう、もしやわたしおとぎの国に染まりきっている? 


 そんな珍妙なパーティーの指導者として気にかけるべきことは、たくさんありますけど、やはり一番の問題は・・・・・・チラリと背後を見やる。そこにヤンさんの姿がありました。


 失職したばかりの頃のヤンさんの鬱具合ときたら、それはもう酷いものでした。無職、借金持ち、レーサーの夢は遠ざかり、未来には暗雲が垂れ込めている。鬱になるのも当然というものです。


 ですが根が真面目な彼のこと。船の最年長者としての責任感がじょじょに鬱を吹き飛ばし、今ではもうすっかり頼れるお兄さん分に返り咲いていた――はずだったのです。ですがあの顔見るに、明らかにぶり返している。


 わたしの後からつづくヤンさんの足取りは、どこか頼りない。ふらっと海にダイブしそうで不安でなりません。しばし悩み、まずは当たり障りのないところから攻めてみることにする。


「すみませんヤンさん、たった1人で荷台に乗せたりして」


 元の役割分担では、トラックの荷台に乗った100人の子どもたちのお世話をヤンさんに頼む予定だったのです。ですが予定は狂い、唯一の荷であった鳥籠の少女を運転席側に連れ込んでしまったがために、この忠実な元部下は、広い荷台にポツンと1人きりで放置されたのです。


 これが心身ともに絶好調であったSRT時代であれば、ジャングルに1人で一週間放置しても平気だったでしょうが、今は見る影もない。


「あのう、ヤンさん? 聞いてますか?」


 無視されているほうがずっとマシでした。まさに心ここにあらずという風、目が宙をさまよってます。


 ついつい車内で居眠りしてしまうほど、昨日のわたしは下準備に追われてました。それが原因、なんて言い訳できないでしょうけど、元部下の心理状態に気を配らなかった責は問われるべきでした。


 心配を隠せないわたしに比べ、ノルさんの態度ときたらまさに我関せずの無関心ぶり。犯罪者と捜査官という不倶戴天の間がらは、ヤンさんの職歴に元DEA捜査官と記されてなお変わらなかったのです。


 気遣いなんて微塵もなしに、容赦なくヤンさんの精神状態に切り込んでいくチャイナドレスの麗人。


「なによDEAラ・ディア? スタジアムの一件が当局にバレて、召喚状が送られてきたのがそんなに不安?」


「あ、あのノルさん、その話、わたし初耳なんですけど」


 降ってわいた新事実に動悸が止まらない。


 わたしだって、十分に指名手配されるにたる犯罪者です。破壊活動に殺人教唆、おまけに観光ビザでの不法滞在を続けてもいる。ですがこれまで、当局からそれらの罪状について突っ込まれたことはありませんでした。


 入国した当初から偽名でしたし、正規のDEA職員と状況が異なるのは百も承知ですが・・・・・・どうしてこうもヤンさんだけに不幸が降り注ぐのか。世の不条理を思わずにいられません。よく召喚状を送るさきを見つけ出しましたね?


「こんなどうでもいい情報、知ってどうするのよ?」


 涼しい顔して言ってのける、美男子というより美人なノルさん。


「どうでもよくなんてありませんよッ!!」


 タグボードをぐらぐら揺らす、緑色した波音を打ち消すほどの絶叫をわたしはつい上げてしまった。大切な元部下の窮状が、気にならないはずがないでしょうに!!


 ですがわたしの心配をよそに当のヤンさんときたら、どこかやつれた感じで笑うのです。


「お気遣いありがとうございます大佐殿。ですが自分は、あの船に残ると決めた時点でとうに覚悟はしていました。召喚状ごときでへこんだりしません」


 言ってる内容と裏腹なその表情は、まるで末期病の患者よろしく弱々しい。ということは、鬱の原因は他にあるということ?


「自分が気にしてるのは、私書箱に届いていた手紙の方ですよ。実は、ついに母に借金漬けという窮状が知られてしまいまして・・・・・・とっても心配されちゃいましたよ。たはは・・・・・・」


 き、聞くだけで胸が苦しくなってきました。


 予定では、CIAを脅迫して子どもたちの権利を獲得するつもりでしたが、そこにヤンさんの条項もしれっと加えるべきなのかもしれません。最低でも恩赦と、欲をいえば最新のレースカーですとか・・・・・・。


 盛り過ぎな要求ではないでしょう。これまでの不幸を鑑みれば、これぐらいの報酬があってもバチは当たりません。だって3ヶ月、無給で働いてくれているわけですし。とはいえ、どれも帰ってからのお話。まずはこの桟橋で用事を片付けなければ。


 桟橋の突端部、水辺をはさんで向こうにはマングローブ林が一望できました。そこに中身からっぽなアナーキーマークが印されたダッフルバッグが、おもむろに放置されていたのです。このバックこそがRVランデヴーポイントの目印。腕時計を見るに、そろそろケティさんが帰ってくる頃合いでした。


 まさに帰投予定時刻ジャスト。緑色の水面から、ポコポコ空気の泡が浮かんできました。


 お金を支払って取引を円滑に進めるのが、子どもたちの安全にとってはベスト。ですが、ビューティフル・ワールド号の人身売買を見逃すわけにはいきません。


 エキセントリックな人格をしておいででしたが、あの船長さんは、あれでもプロの密輸業者なのです。これまで長らく捜査の網にすら引っかかってこなかった人物、そんな人物に気づかれないよう、慎重に手を打つ必要がありました。


 そこでわたしが立てた作戦とは、取り引きに相手の注意をひきつけている隙に、潜水服を着たケティさんにスクリューを爆破してもらい、ビューティフル・ワールド号を物理的に足止めするというものでした。


 公海上に逃げ込まれないようコロンビアの領海内で、それも救命艇を使ってもそう簡単に陸地にたどり着けない、絶妙な地点で爆破する。


 ビューティフル・ワールド号の足跡を追うのは、苦労させられました。彼らは基本的に独立商人であって、カルテルの関係者じゃありませんから。“クレイドル”に残されていた情報も限定的だったのです。ですがデジタル帳簿の中に、2001年頃にとても大きな取引をカリ・カルテルと交わした証拠があったのです。


 具体的になにを依頼したのか? それは分かりませんが、カルテルのダミーカンパニーから電子送金された先が重要でした。ルーマニアとシンガポールにある中小の海運会社、そこがビューティフル・ワールド号の拠点で間違いありません。


 もしその会社のことが諸々の罪状といっしょに国際刑事警察機構インターポールに伝われば、かならず手入れがはいるでしょう。証拠品と、もしかしたら捕らえられている子どもたちの救出も叶うかもしれません。


 会社を抑えたなら、次は船をというのが人情でしょうが、そこでケティさんの出番となるわけです。


 公海上で立ち往生しているビューティフル・ワールド号の座標を送ってあげれば、嬉々として手錠を振りまわしながらインターポールが参上するに違いない。ですが、大組織ゆえのフットワークの重さを考慮して、わたしは“クレイドル”にある指令を入力していました。


 せっかく会得した権力、有効活用しないでどうしますか。


 つまりカルテルに3度も命を狙われておきながら今だに現役に留まっている、コロンビアの伝説的おまわりさんに、カルテルの飼い犬である汚職議員さんからビューティフル・ワールド号の捜査命令を出してもらうのです。


 インターポールが自分たちの手で逮捕できるならそれで良し。よしんば、それが政治や時間の問題でむりだとしても、件の伝説的おまわりさんが自己の正義をまっとうしてくれるはず。そうして獄中送りになったビューティフル・ワールド号の船員たちがどうなるかは、弁護士の腕次第。


 まだ14歳の女の子ですし、性格にも難がある。ですがケティさんの爆弾の腕は折り紙付きですし、その器用さったらないのです。元SRT隊員の嗜みとして、さも当然のようにダイバーとしての資格を有しているヤンさんの指導のもと、あっさりあの子ったら潜水員としてのスキルを身に着けていきました。


 こうして予定通りに戻ってきたということは、ケティさん謹製の吸着爆弾リムペッドマインは、わたしたちが交渉してるその裏で、ちゃんと船のスクリューに仕掛けられたということなんでしょう。


 そうですとも、すべては計画通り。カルテルだってビューティフル・ワールド号だって、いえそれだけではありません、コロンビア政府やインターポールに至るまで、すべてがわたしの掌の上なのです・・・・・・ふふ。


 などと三編みを弄りつつ回想にふけっていたわたしを、いつの間にか冷めた顔したノルさんが見つめてました。


「テッサ、凄く悪い顔してるわよ」


「えっ」


 我に返る。


 無表情でこちらを見上げてくる鳥籠の少女からして、ぜんぜん計画通りじゃないのに・・・・・・なにを自分に酔っているのかしら。あ、危ない、危ない。もしかしなくてもわたし、権力に飲み込まれていた?


 言い訳が許されるなら、カルテル自動経営システムこと“クレイドル”は、それほどまでに凄まじいシステムだったのです。


 ミスリルで大部隊を指揮した経験はありますが、とはいえ戦隊長なんて所詮は中間管理職みたいなものです。本当の意味でなんの制約もなしに組織のすべてを思うさま操るというのは、実はこれが初めての体験なのでした。


 日々、冗談みたいな金額が世界中を駆け巡り、わたしはそれを指先ひとつで操れてしまうのです。その数字の先には、いまを生きてる現実の人々がいる。そうと分かっていても、ちょっと気が抜くとこれです。振るえる力のスケールに飲み込まれてしまう。


 これが権力というものなんでしょう。


 この魔力に過去、どれほど歴史上の指導者たちがあてられきたことか・・・・・・その轍を踏んでどうしますかわたし。今のうち自重しておかないと、わたしもMr.キャッスルの仲間入りを果たしてしまいかねない。


「今のテッサって――」


 びくっ、肩が震える。


 わたしが己のダークサイドに踏み込みかけていたことをノルさんは、すでに見抜いている様子でした。


「――今のテッサって、まるで黒コート羽織ってニヒルに笑いつつ、世界なんてくだらないとかそれっぽいことうそぶくB級悪役みたいな顔してたわよ?」


「わたし兄みたいには絶対なりませんからッ!!」


 発作的に言い返してしまいましたが、やってしまったと口を塞いでももう遅い。


 ミスリルについて、わたしは割とノルさんにざっくばらんにお話してました。ですがそれは、あくまで対テロ組織としてのミスリルの話に限りものでして、流石にアマルガムやウィスパードうんぬんといった根幹情報までは、話していません。


 だってあんなの、知ったところで百害あって一利なしですもの。ただでさえノルさんたちの人生は過酷なものなのに、ここでわたしの事情まで押し付ける訳にはいきません。


 だというのに、その重荷の代表格たる名を勢いあまって口にしてしまった。


「うん? テッサって兄貴が居たの?」


 ポカンとした顔して問うてくるノルさん。


 いまは亡き兄とわたしの間には・・・・・・あまりに多くのしがらみがありました。兄について話し出すと、どこを切り取ってもウィスパードかアマルガム、そのどちらかにたどり着いてしまうのです。


 かといって変に誤魔化し、ノルさんはともかく話がケティさんあたりの耳に届いたら面倒です。今のうち禍根を断つにしくはないでしょう。


 頭脳をフル回転させ、追求を躱すための言い訳を探し出していく。コツは、ある程度の被害を許容すること。わたしが恥をかくような路線なら、ノルさんも納得することでしょう。


「その、ですね。ちょっと兄は、中二病が過ぎまして・・・・・・あまりお話したくないんです」


「なによ中二病って?」


 電流が走り抜ける、まさかご存知ないなんて!!


 当然のようにキャプテン翼がLos Supercampeonesなんてタイトルで放送されている国なのに、変なところで日本のサブカルに疎いんですからもう!!


 いえ、これが責任転嫁にひとしいというのは、重々承知していますとも。ですが、どうしたものかしら? 口をもごもごさせながらふたたび頭脳をフル回転させますが、あっ、ダメだわ。


 気づけばこう、すでに兄って・・・・・・その、中二病が極まってましたから。他にいい感じの言葉が思い浮かびません。だってこの言葉中二病、とっても便利なんですもの・・・・・・。


「大佐殿」


 いきなし掛けられた言葉に、わたしは期待を込めて振り返りました。元ミスリルのメンバーとして、話したくとも話せない事情をよく心得ているヤンさんならば、あるいはうまい具合に追求を避けられるお話をでっち上げてくれるかもしれない。


 期待に満ちた目でヤンさんを見やれば、なんとわたしの元部下は微笑んでいるではありませんか!!――こう、どこか病的な感じで。


「見てください潜水艦ですよ、懐かしいですね」


 ぞわわ、鳥肌が立ちました。まさかヤンさんたら、ストレスに耐えきれなくなってついに壊れ・・・・・・。現実に戻ってきてください!! というわたしの叫び声を制止したのは、非現実という名の現実、水をかき分ける大音量でした。


 忘れてました、ここは人知を超えたおとぎの国であることを。ケティさんのダイビングギアから漏れているにしては、海面に浮かぶ泡の量はあまりに多すぎでした。ぐんぐんと、海中から巨大な物体がせり上がってくる。


 どうしてか脳内ミュージック・プレイヤーが勝手にワーグナーの壮麗な音楽なんぞを奏でだしました。だってヤンさんの言葉に偽りなし、わたしたちの目の前に突如として、潜水艦が姿をあらわしたのですから。


 まず青色の迷彩塗装が施された潜望鏡が登場しました。つづいて、スクールバスほどの大きさをした船体が海上に出現します。


 どこをどう見てもまごうことなき潜水艦・・・・・・なのですが、どことなくその作りはチープなものでした。船体はグラスファイバーらしくキメが荒くて、塗装も中途半端。いかにも手作り感にあふれている。これ、明らかに正規の品じゃありません。


「なんだ、ただの密輸潜水艦ナルコ・サブじゃない」


 なんだとはなんだとつい返したくなる、ノルさんの呟き。ですがそういえば、当のノルさんご自身がいつか言ってましたね・・・・・・麻薬を運ぶためにカルテルは、潜水艦を自作していると。


 ですけどあれって、確かスピードボートに皮を被せただけの半潜水艇というのが実態だと聞いていたのに、この潜水艦ときたら明らかに潜航能力を有していました。バラストタンクを装備して完全な潜水機能を獲得したニューモデル、ということなのかしら?


 ふと、右手に圧力を感じる。


 手を繋いでいる鳥籠の少女が、あんまりな事態に目をまん丸くして、ついつい握る力を強めてしまったみたい。少女はわたしの視線に気がつくと、取り繕うようにあらぬ方向を向きました。


 ・・・・・・まあ、この子が完全に無感情じゃないと知れたのは、不幸中の幸いなのかしら。そう思うと、ちょっとは動揺が収まってくる。


 タグボートに並んで、もう完ぺきにその姿を白日の下にさらす潜水艦。四方にのぞき窓がはめ込まれたその小さな艦橋のハッチが、ひとりでに開いていきます。誰が乗っているのかなんて愚問を、わたしは呈したりしませんでした。だってこんなことやらかす人物の心当たり、1人しかいませんもの。


 案の定、潜水艦の中からすがたを現したのは、水の滴るウェットスーツを着込んだままな赤毛の少女。その顔面には、ニトログリセリンの化学式なんぞが刻まれていました。誰あろう、ケティさんの登場です。


[待たせたな!!]


 ずばばばーん、とキメ顔で掲げられたスケッチボードにはそう書かれてました。


 なるほど。彼女の無事を祈り、帰りを待ちわびていたのは事実ですが、無事を喜ぶよりもまず、どうしてこうなったのかと頭を抱えずにはいられません。この子、出発したときには酸素ボンベとリムペッドしか持っていなかったはずなのに、どうして行きと帰りで、持ち物がトン単位で異なるのか。


 また頭痛がしてきました・・・・・・でもこれ、今朝方のものとは原因が違う気がする。


「なんですそれ? わらしべ長者ですか? 酸素ボンベが巡り巡って潜水艦に化けでもしたんですか?」


 ブツブツ・・・・・・身を震わせながら独り言のように呻いたところで、聴覚障害のあるケティさんに聞こえるはずもありません。その点を彼女の相棒たるノルさんが冷静に指摘してきます。


「顔伏せながらぐちゃぐちゃ言っても、ケティには伝わらないわよ?」


「逆に問います!! なんでそうも冷静なんですかあなたは!!」


 最初こそちょっと目を見開いて驚いていた気がするのに、今のノルさんときたらいつものクールビューティ筋全開。わたしはまだ心臓バクバクしてるのに不公平です!!


「年季の差ってやつね。テッサたかだか在住3ヶ月、だけどこっちは生まれてこのかたずっとだもの」


「単なる慣れだって言いたいんですか!? 潜水艦がどこからともなく湧いてくることに慣れろと、そう仰りたいんですかあなたはッ!?」


「さる麻薬王の屋敷にメイド姿で潜入したとき、地下闘技場にいきなり放り込まれてね。そこで殺人ドーベルマンたちとステゴロでの殺し合いをさせられて以来、驚いても5秒で慣れる体質になっちゃったのよ」


 フッと冷静さを取り戻す。


 わたし、この現象に心当たりがあります。油田火災を消すために爆弾を用いるがごとく、目の前の問題よりもずっと大きな展開を持ち込むことによって、色々とどうでもよくなる感情の逆噴射。あれに違いありません。


 冷静になると、すぐさま心に虚無感が襲来してきました。もうどうにでもなれです。


「大体ねテッサ。人のバイクに自爆装置を“善意”で載っけるような娘に、一体何を期待してるの」


 良識、と口にしたいのは山々なんですが・・・・・・無駄とわかっていることをやれるほど、今のわたしの精神状態に余力はないのです。


 ケティさんは勝ち誇るばかりで、一向に経緯を説明してこようとしません。こうなれば、もうその道の専門家に対処を丸投げするのがベストでしょう。


「・・・・・・ノルさんパス」


 おもむろに対ケティさん問題の切り札たるノルさんにバトンタッチ。わたし、どうせあの子に目の敵にされてますし、尋ねても答えてくれるはずがないのです。


「で? 何があったのか三行以内で説明なさい」


 そう言葉と手話の二重放送で問いかけていくノルさんに、ケティさんはそれはもう鼻高々。嬉々として手話で説明していきました。


 それをわたしたちのためにノルさんが正確に訳していく。


「“密輸船の、腹が開いてて、そこにあった”?」


 ホントにケティさんは、たったの三行で説明を終えました。ノルさんは何のこっちゃという顔をしておいででしたが、わたしの方はちょっと思い当たる節がある。


深海救難艇DSRVなど、小型の潜水艦を船内に収容したりする事例は、わりとあるんです。それをビューティフル・ワールド号はどうしてか、船底を切り開くかたちで行っていた、ということなのかしら?」


 ただ船底に開放部を設けてというのは、あまり聞いたことのない斬新なデザインですけど。下から取り出すよりも、上から必要に応じてクレーンで出し入れするほうがずっと楽でしょうに。


 ですが考えてみれば、そうですね。密輸目的なら潜水艦を衆目に晒すわけにもいきませんか。もしかしたらビューティフル・ワールド号って、移動式の潜水艦基地という側面もあったのかもしれません。ですが仮にも潜水艦の設計者のはしくれとして、引っかかる部分もある。


「なんでそんな面倒なことを・・・・・・素直にジャングルの川ん中に隠しておけばいいじゃない」


 ノルさんの意見はもっともです。


 船底にナルコ・サブ用の発進ハッチを設ける。そんな大改造を一般商船に施すには、多額のお金と時間が必要になるでしょう。それでいて、そこまでやっとも得られる利点ときたら周囲に気づかれずに潜水艦を発艦させられることだけなのです。


 小型潜水艇に魚雷を装備して、どこかの港を奇襲攻撃するとかの軍事作戦ミリタリーオペレーションでしたら、そういう特殊な仕様もありえたでしょうけど。密輸業者に必要なものかどうかは微妙に感じる。


 では、逆に単純に考えてみるべきなのかしら。ではないとか。


 脳裏をよぎるのは、使途不明な2001年の取り引き。あれに関連した特殊装備という線はないものかとも思いましたが、すぐ頭を切り替える。


 だってここはおとぎの国なのです。常識とか、合理的な判断とか、そんなもの何の意味もないのかもしれない。そもそも用途を突き止めたところで、どうにかなるわけでもないですし。


 とりあえず変なものは変なものとして、あるがままに受け入れる。ちょっと敗北感を感じはしますが・・・・・・現に目の前にはこうして、潜水艦が鎮座ましましているんですし。


 そうです。考えるべきは、現在の状況のみ。


 ケティさんの本来の目的は、あくまでビューティフル・ワールド号の航行能力を奪い、警察が逮捕できるよう下地を作ることなのです。まさか潜水艦を船内に抱え込んでいたとは、なるほどビックリな展開でしたが、こんな大きなものがこつ然と消えたらビューティフル・ワールド号側はどう考えるでしょう?


 何者かに盗まれた、まずそう考えるはず。そしてプロであるなら、その具体的な経緯を考えるよりもまえに自分たちの安全を確保しようとするはず。


 鋭い、汽笛の音が港にひびきました。


 慌てて音の出元を見てみれば、急に抜錨したビューティフル・ワールド号がどんどん埠頭から離れていくではありませんか。タグボートの水先案内も待たずに、勝手にH旗まで掲げています。商船の常識からすれば、明らかな異常行動でした。


 港湾労働者組合にはコネがありますから、ビューティフル・ワールド号側が提出した出港スケジュールはとっくに入手済み。もちろんその時刻は、今ではありません。


「ちょ、ちょっとケティさん!! スクリューは!? リムペッドはちゃんと仕掛けましたか!?」


 予定はかなり早まってしまいましたが、ちゃんと爆弾が仕掛けてあるならまだ計画の修正は可能です。慌てふためくわたしに対し、ふてぶてしく胸をそらしたケティさんがバッと、右手を挙げられました。


「あの、グローブで隠れてますけど、それってばYESの意味ですよね」


 手話ができない相手とも円滑にコミュニケーションできるよう、ケティさんは自らの手の甲にYESとNOのタトゥーを入れてました。NOが左手、YESが右手。つまり返事は。YESということになるのでしょうけど。


 これで一安心とは、問屋がおろしません。


 わたしたちと取り引きしてるまっ最中に潜水艦が行方不明とくれば、疑いの目は必然、こちらに向けられる。


 そうでなくとも、応答装置トランスポンダーぐらい積んでいるでしょう。あるいはGPSの方が可能性が高いかもしれません。どちらにせよ潜水艦の航跡を追うことは可能なのです。


 外洋に向かわず同じ港のなかの、それもトラソルテオトル方面の桟橋で停止した潜水艦。その情報をコンピューター上で目にすれば、疑惑の種がむくむく育っていくこと疑いありません。


 ただでさえカルテルにCIAとふたつの敵を抱えているのに、ここに密輸船の残党まで加わろうものなら・・・・・・疑いを避けるためにも、半日ほど間を置いてから爆破する予定だったのに。これでは声高にわたしたちがやりましたと、叫んでいるようなものじゃありませんか。


「なんてことをしたんですかケティさん!!」


 耳が聞こえないのは分かっていますが、それでも叫ばずにいられません。今のわたしが気にしているのは、船に残った子どもたちのことでした。


「ビューティフル・ワールド号の乗組員たちは、デ・ダナンⅡの停泊地を知っているんですよ!! あなたの軽率な判断のせいで、ケティさんご自身だけでなく、船で待ってる子どもたちまで危険に晒されてしまうかもしれません!!」


 わたしのお説教、というよりも気迫にちょっとたじろぐケティさん。


 この子は、根はとても素直なんです。年下の子の面倒をちゃんと見られますし、その役目を嫌がってもいない。ですがちょっと価値基準が極端すぎる。


 生まれてこのかたずっとテロリストや殺し屋と過ごしてきた訳ですから、致し方ない面はあるにしても・・・・・・将来的には、この性格を直していかないと誰よりも彼女のためになりません。


 とりあえず退避を最優先したようですが、面子を大事にする犯罪稼業、ビューティフル・ワールド号が次にどのような手を打ってくるか読めません。将来的な報復はもとより、下手をすれば、リムペッドも発見されてしまうかも。


 脊髄反射で反論をしようと口を開いたものの、わたしのわたしの一歩も引かない態度を見て、ケティさんも思うところがあったみたい。しょんぼり肩を落とし、拗ねた感じに手話を操っていきます。


 それをすぐさま通訳していくノルさん。


「“だってカッコよかったんだもん”、だってさ」


 何やかんやで子どもなんですから・・・・・・そんな子に、爆弾仕掛けるよう依頼した己の業の深さも、ちゃんと自覚すべきなんでしょうけど。ですが今だけ、目元を抑えるぐらいは許してください。


「で? どうするテッサ? 単なる出来心だったって、潜水艦を返却して謝ってみる?」


「まさか本気で仰ってはいないでしょう。あちらが逃げに入った時点で、もう選択肢なんてありませんよ。

 素直にビューティフル・ワールド号の自動船舶識別装置AISを追跡するほかないでしょう。彼らが、爆破予定の海域に向かってくれることを祈りながら」


「つまり計画通りに進めるわけね」


「はい。ただしその間、念のためにデ・ダナンIIに警戒態勢を敷きます。そのためにも早急に船へ戻らないと」


 ノルさん、ヤンさん、そしてケティさんと、戦える人材はここに全員集合しています。ビューティフル・ワールド号が大慌てで出港した以上、いますぐ武装した要員をトラソルテオトルに差し向けるなんてありえないでしょうが、万が一というのはいつだって起こりうるのです。


 深刻な顔で見つめあい、それから頷きを交わすわたしとノルさん。そんなわたしたちの注意を引くべく、バンバンとケティさんが潜水艦のうえで足踏みをしました。


 気まずさと、焦りの混じる手話が披露されていく。


「じゃあプランBはどうだぁ?」


 ケティさんの提案を口に出しながら、眉を曲げるノルさん。


「それってつまり、いつもの手ってこと?」


 組んで長いノルさんとケティさんの間には、以心伝心なにやら伝わるものがあったみたいですけど・・・・・・って、まさか。


「あの、注意しておきますけど、今すぐスクリューを爆破してもなんの意味もありませんからね? こんな港の目と鼻の先では、すぐさま救命艇に乗って逃げられてしまいますからね?」


 バンバン!! ケティさんまた足踏みしてからそうじゃないと言いたげにかぶりを振ります。彼女が名誉挽回に必死なのは分かりますけど、嫌な予感しかしません。


 シュバババ、高速の手話はこれまでもよりもずっと情報量が大きい証。それにノルさんは当初こそうんうん頷いてましたが・・・・・・あのノルさんすらもにわかに動揺しはじめる。


「あんたそれって」


 すると、ケティさんが両手に小道具を握りしめました。


「あの、ケティさん・・・・・・どうして起爆装置デトネーターをふたつも握ってるんですか?」


 一方は、リムペッド用で間違いないでしょうが、もう一方が謎です。


 わたしの不安をよそに、任せろ任せろとケティさんは自信満々。遠ざかっていくビューティフル・ワールド号の姿をにらみながら、赤毛の少女はおもむろに起爆装置デトネーターについた真っ赤なボタンに両の親指を添えていく。

 

「ケティさんそれはダメですってば!!」


 わたしの叫び声は、聴覚障害うんぬん以前に、そもそも人の話をまったく聞かない少女に届くはずもなく――強大な爆裂音が、すべてを圧っしました。









KAAA – BOOOOOMドッカーーーン








 あまりの爆音に一瞬、意識が飛びます。


 スクリューを爆破しただけでは決して起こりえないレベルの衝撃波が、お腹を殴りつけるように通過していき、海面が一瞬ぶわっと浮き上がる。さながら1秒間限定で台風が現出したかのよう。コンテナたちが強風に煽られ、ガタガタ合板を鳴らしていました。


 その吹き荒れる爆風は、なんとちょっとした津波まで生み出しまして。わたしとノルさんに鳥籠の女の子、そして今だに微笑みながら固まってるヤンさんに海水のシャワーをひっかぶせていく。


 そのあまりの水量にノルさんの最後のウィッグまで吹き飛んでいきました。普段ならついつい笑ってしまう光景かもしれませんが、目の前の終末風景を見るに、そんな気持ちは微塵も湧きあがらない。


 キーンとひどい耳鳴りに襲われながら首を限界いっぱいまで傾げてみれば、どす黒いキノコ雲がどこまでも立ち昇っていくではありませんか。方角からして、どう考えてみても爆心地は、ビューティフル・ワールド号をおいて他にないでしょう。


 雨のように小さな破片が降り注いできます。海面には、ビューティフル・ワールド号と書かれた浮き輪が漂っている。こうなるともう疑いの余地もありません。そもそもさっきまで浮いていた輸送船の姿が忽然と消えていましたし・・・・・・。


 わたしは、呆然としながら犯人に問いかけていきました。


「何を・・・・・・したんですか、ケティさん?」


 メガトン級の爆発を背景に、自慢げにスケッチボードをこちらに掲げてくる顔面タトゥーの少女。その文字列を目を細めながら読み取ってみました

 

[潜水艦の横にTNTがトン単位で置いてあったから、こんな事もあろうかと連鎖起爆するようにそっちにも爆薬仕掛けておいたんだぜッ!!]


 筆跡にやどるやり遂げた感ときたら、頭を抱えてうずくまる気力すら奪い取っていきます。


 あの短期間のうちに、それも限られた資材でこうも巨大な爆発を引き起こすとは、なるほど凄くはありますけど・・・・・・とりあえず朗らかな顔して言うことではないのは確かでした。


 わたしは、第3次大戦がはじまったと告げられても信じてしまいそうな終末風景を眺めながら、呆然と佇むほかに何もできずにいました。




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