XXIII “戦士の回廊”

【“テッサ”――MSCトラソルテオトル・サーバールーム内の通信室】


 少々、芝居がかっていたのは認めるしかありません。ですが、ノルさんとあんな別れをしてからさして間もおかず、どの面さげて戻れるのかという躊躇がありもしたのです。


 劇的な演出でいろいろと煙に巻いて、こちらのペースに相手を巻き込む。


 割とといいますか、そのまま詐欺師のやり口なのですが・・・・・・ついでに臆病風に吹かれる自分も鼓舞できますしと、そういう打算のもとタイミングを見計らってサーバーの陰からさっそうと姿を現したみたら、撃たれました。


 警告も誰何もなく、ノルさんは無造作に抜き去ったPSSピストルをこちらに向けて撃ちまくったのです。


 声にならない悲鳴を挙げながら、ほとんど転がり落ちるようにもと来たサーバーラックの裏に身を隠しますと、亜音速弾の金切り声がすぐそばを掠めていきました。本気で狙ってきてる?!


「だから空港に向かいましょうと自分はあれほどッ!!」


 涙目になりながら撃ち返すべきか否か本気で悩んでるらしいヤンさんが、別のサーバーを掩体にしつつ叫んでました。慣れない運動と命の危機の合わせ技でバクバクいってる心臓を抑えつけながら、元部下に反論していきました。


「ですから、わたしの我が儘に付き合わなくてもけっこうと、そう言ったはずです!! 今のあなたはわたしの元部下なのであって、わたしを守る義務も責務も、もはやないんですから!!」


「ですね、か弱い女性をイカれたシカリオのもとに捨てて逃げた卑怯者という烙印を押されるだけですよね!!」


「ヤンさん、ノルさんはイカれてなんかいません。話せばわかる人ですよ」


「現に撃たれてるのにッ?!」


「だから嫌なら帰ってもいいんですってばっ!!」


「ここで帰ったらマオ少尉に殺されますよッ!!」


 それは否定できません・・・・・・もしかしなくても、一番の巻き込まれ被害者ってヤンさんかもしれないと思い始めている自分が居ました。


「・・・・・・その声、まさかテッサか?」


 本気で相手が分からず、とりあえず撃ってみたという可能性を浮かばせる、平常そのもなノルさんの声に背筋が震えます。


 慎重に、サーバーラックという安全地帯から手足をはみ出さぬよう気をつけつつ、震える声で話しかけていきました。


「あ、あの・・・・・・とりあえず話だけでも聞いてくれません?」


「この船にまた足を踏み入れたら殺すと、そう警告しておいたはずだ」


「言ってませんよッ!!」


「そう、だったっけ?」


「そうですよ!!」


「そうか。じゃあ――この船に足を踏み入れたら殺す」


「あっ、後出しジャンケンには賛同しかねるのですけどもっ!! わひゃ!?」


 外版に銀色の穴が穿たれ、サーバーの中からトランジスタの破片が飛び出してきました。冗談でも脅しでもありません、これは本気で殺意を感じるレベルの銃撃です。


 あんな見栄張らず、やっぱりお話すべきことがあるのでもう一度チャンスをくださいと礼節に則るべきでした・・・・・・後悔が頭をよぎる。


 一歩間違えば後悔の代わりに弾丸が頭をよぎってかもしれないわけで、我ながら後悔先に立たずを地で行ってます。しかし上手いこと言っても、事態はまるで好転はしません。


「・・・・・・む?」


 脈絡なく銃撃が止みました。


 弾切れにしては、妙。拳銃を操作する音は聞こえてくるのに、弾倉交換マグチェンジにしては奇妙なほど手こずっている感じ。ノルさんらしくありません。


 今度は金属が叩きつけられる激しい音が聞こえ出し、異常事態が起きてると確信しました。サーバーに穿たれた、弾痕ブリット・ホールという名の即席のぞき穴から様子を窺ってみますと、ノルさんは固まって動かなくなってしまった拳銃のスライドを手近なデスクへと叩きつけてました。


 弾詰まりと一口にいっても種類が色々ありまして、大抵はかんたんな手順を踏めばあっさりと解決できます。ですが中には、重症と呼ぶべき動作不良もあるそうでして、ノルさんのPSSピストルはまさにその典型になってしまったよう。


 かといってまだ迂闊に顔は出せません。ノルさんの代わりに今度はケティさんが、彼女の手には大きすぎる自動拳銃デザートイーグルをこちらに向けているのですから。


 ただしケティさん、事態がイマイチ飲み込めてなさそう。耳の聞こえない彼女からすれば、ノルさんが突然サーバーに向けて銃を乱射しだしたとしか映っていないのでしょう。


 だったらわたしの姿を見ても、すぐには撃たないはず・・・・・・そんな打算を頭を振って振り払う。


 そうじゃない。そんな計算のために戻ってきたわけじゃないのです。


 わたしよりよほど怯えた顔をしているヤンさんの無言の抗議を振り払い、わたしは決然とした覚悟のもと、サーバーから身を晒していく。射撃環境としてはここは理想的、ノルさんの腕ならば一直線にわたしの眉間を狙える距離でした。なのにこちらの武装ときたら、もはや手持ちカバンと化してしまった紐なしポシェットだけときている。


 なんだアイツはと言いたげなケティさんの手から問答無用に拳銃を奪い去って、なにも言わずにスライドを引き切るノルさん。PSSピストルと違い、こちらの動きは快調でした。


 銀色に光るデザートイーグルは、まるでギロチンが落ちるかのような力強い音色を伴いながらスライドを戻し、装填を完了させていく。


「・・・・・・“ この船にまた足を踏み入れたら殺す”、これを冗談で済ませるつもりはない」


「“女子どもはナシ”じゃなかったんですか?」


「状況による。それを知らないとは言わせないぞ」


 凶器を突きつけられる緊張感に慣れることはできません。ですが身体というのは不思議なものでして、当人の意思に反して勝手に平静を装ってました。これがいわゆる、長年の経験の賜物というやつでしょう。


 指揮官たるもの、不利な時ほど威風堂々であるべきだ。そうボーダ提督に教わったものです。


 ボーダ提督・・・・・・ジェリーおじさまには困ったところもありますけど、やはり指揮官としてのあり方を教えてくれた、わたしの最初の師なのです。


「当ててやろう」


 デザートイーグルは、完璧にわたしに照準を合わせられている。


 正面から見つめる銃口の凄みときたらなかなかのものです。一直線に重ねられたフロントサイトとリアサイトの向こうに窺えるノルさんの目は、狼のような容赦のない目つきをしていました。


「正しいことを言いに戻ってきたんだろ? 暴力はいけません、平和的な解決策があるはずです。そういう善人ぶりたい奴の、クソの役にも立たない正論とやらをふりかざしに戻ってきたのか」


「あなたは、まだわたしを見誤ってるんですね」


 一歩ずつ、ノルさんに向けて距離を詰めていく。


「わたしもまた暴力の世界の住人ですよ」


「まさか俺と同類だとでも? カルテル、この土地、文化、ザスカーにトラソルテオトル・・・・・・どれもが俺の世界だが、その中のひとつでもお前に関係があるものがあったか?」


「ありません。今だにわたしにとって、ここはおとぎの国だわ。いつかは慣れるかもしれませんけど、自分の一部だと思えるほどになるかは、まだちょっと分からないわ・・・・・・」


「なら理解できない世界には近づくな。ましてや、偉そうにご高説垂れるのもやめておけ」


「確かに、わたしとノルさんの世界観はあまりに違いすぎます。むしろ似てるとこの方が珍しいかもしれない。ですがだからこそ、見えてくるものもあるんですよ」


「何を言ってる?」


「視点の差異ですよ、ノルさん。知識の差によって生まれる、視点の差異です」


「・・・・・・白人女グリンゴの説教に付き合えるほど、心の余裕がもうないんでな。それ以上近づくなら本気で頭を吹き飛ばすぞ」


「ノルさん、あなたは犯罪のプロかもしれませんが、わたしの専門分野は水中戦と現代戦モダン・ウォーフェアなんです。そしてそこに居られるヤンさんは――」


DEAラ・ディアは嫌いだ」


「・・・・・・そう、特殊作戦と犯罪捜査です。この場には、普段なら交わることのない専門分野を修めたプロフェッショナルたちが顔を揃えている」


 犯罪捜査の方は、まだセミプロの域にも達してないとヤンさんは自重してましたけど、この場の誰よりも司法関係、とりわけ麻薬対策に強いのはやはりヤンさんでしょう。


「わたしは無力です、それは認めます。どうすればあなた達の助けになるか色々と考えたんですけど、まったくアイデアが浮かんできませんでした。

 歯痒いですけど、わたしの専門分野はあなた達の問題には、てんで無力だったんです・・・・・・」


「そこのDEAラ・ディアなら別ってことか? 俺だって証人保護プログラムって可能性を考えてもみた。だが守るはずの側が組織に情報を流していたんじゃ、なんの意味もない」


「ええ、ヤンさんひいてはDEAにもこの状況は対処できないでしょう。

 常態化され、当たり前として受け入れられている組織の腐敗。それよりもっと大きな枠組みとしては、もはや文化としてこの土地に根付いてるカルテルという問題もある。

 どれもこれも、わたしの手にはあまる大きすぎる問題です」


「破綻してるな。勝算もないのに戻ってきたのか?」


「逆です。勝てる可能性があるからこそ、わたしはこうしてここに立っている」


 むかし美術館に行ってみたことがあります。教養を深めるためなんて高尚な目的でなく、単に暇だったのです。


 戦争が終わったあとの人生に意味を見いだせてないわたしのような人間と、美術館というの実は相性が良いのではないか? そんな下心はあっさり打ち砕かれ、今となっては眠かったという印象しか残ってません。


 わたしにとってはペンキが塗りたくられただけの謎のシミ。ですがたまたま一緒に絵画を見ていたご老人にとって、それは感動に値する名画なのだと、その顔に現れていた。


「知識によって世界の見方は変わります。かつて地球は平面でした、でも知識によって球体であると真実は上書きされた。

 わたしたちは同じものを見ています、ですがノルさんはシカリオとして、わたしは軍事のプロとして見ているんです。だから認識のすれ違いが起きる。同じものでも別のもののように見える。

 実はそこに打開策が隠されていたのです」


「・・・・・・うんざりだ。そんな雲をつかむような話に付き合ってられるか」


 気づけば、もうノルさんとわたしは手で触れ合えるほどの至近距離まで近づいてました。冷たい銃口が額に直接、押し当てられていく。


 ノルさんはゆえあれば撃つ。そういう冷酷な世界にずっと身を置いてきた人物なのです。だから次の一言がわたしのラストチャンス。しくじれば、今見ているのがわたしが見る最後の光景となる。


 因果なものです・・・・・・命が掛かっているからこそ、わたしは冷静に自分を見つめることができていた。


「カルテルには勝てません。ですが――もし、ノルさんの真の敵がカルテルでなかったら、どうです?」


「・・・・・・」


 なんともまあ、素っ頓狂な顔をしていられること。


 名探偵があつまった人々に向けて、密室殺人の犯人はエイリアンなんですとのたまったような感じかしら。


「・・・・・・なるほどそういうことだったのか、すべて理解した――よし殺す」


 何も分かってない口ぶりで殺害宣言なんてするものじゃないありませんよねと、ちょっと思いました。


 事態の推移を陰から伺っていたヤンさんが、無体にすぎるノルさんの物言いに抗議の声をあげられる。


「言っておくが、大佐殿を傷つけたら僕が君を撃ち殺すからな!!」


「ケティ、政府の犬が撃ってきたら手榴弾フラグを投げつけてやれ」


「まだわたしの話が終わってませんよ。殺し合いは、話を聞いてなお納得できなかったらその時に始めてください」


 悪童に囲まれた教師の気分って、こういうものなのかも。いささか物騒ですけど、精神の次元において、とてもプロ同士の煽りあいには見えませんもの。


 ため息一つ。でもどうしても長話になりますから、結果的にはこのトーンの変化は大歓迎です。人間、殺すタイミングを逸すると、そのままズルズルと先延ばしにしてしまいがちですから。


「この船の実態・・・・・・それにわたしは驚くばかりでした」


「アレを当たり前という顔して受け入れられるのは、よほど染まりきってる奴だけだ」


「そうでしょうね・・・・・・ですが、研究区画を見ているうちに気づいたことがあるんです。ノルさんは、LSDという薬物をご存知ですか?」


「知ってる、さんざん投与されたからな。なにより世の幻覚剤LSD需要に応じてるのは、誰あろうカルテルなんだ。そんな一般常識をわざわざ語りに来たのか」


「違います。むしろ、わたしの言いたい視点の差異をノルさんはずばりと言い当ててくれました」


「またそれか・・・・・・」


「ノルさんのLSDの知識は、カルテルの立場から見たものだということですよ。

 ですがわたしにとってLSDというのは、軍や諜報機関での使用実績がある、自白剤としてのものでしかないんです」


 ミスリルの良いところは、各分野の専門家がたくさん在籍していることでした。


 ウィスパードのランクがあるとしたら、わたしの天才性は下から数えたほうが早いぐらいでしょう。真の天才である兄、そしてバニのお陰でわたしは驕らずに済んだ。


 自分の能力不足を潔く受け入れたわたしは、躊躇なく専門家の知恵を借りるようになりました。それは自分にとって、とても良いことだったと思います。まあすべて結果論で、意識してやったわけじゃないですからあまり偉そうには言えないんですけど。


 ある時、さる尋問に立ち会うことになったわたしは、その道のプロでもあるロシア生まれの専門家に事前のレクチャーをお願いしたのです。そして尋問という暗い歴史の様々なテクニックについて、わたしは見識を深めていった。


「まだ冷戦が始まった頃のこと。

 戦争というのは、普段は抑えつけられている様々な制約から解き放たれるには格好の言い訳です。戦争に勝つためならば、しばしば人体実験すらも正当化された」


「LSDの投与もその一環か」


「はい」


 冷戦初期の惨状は、アメリカにとっては黒歴史というべきものでした。


 さんざん戦犯法廷でその罪を裁いておきながら、かつてナチスの旗のもとで残虐行為を働いてきた科学者たちを極秘裏にスカウトし、彼らの経験をいずれきたるソ連との最終戦争ハルマゲドンのために役立てようとしたのですから。


 アポロ計画とフォン=ブラウンというポジティブな側面もありましたけど、その宇宙開発事技術にしても、弾道ミサイルの開発に役立てられたのは公然たる事実。


 そしてほとんどの研究内容は闇へと葬られていった。その理由がどうしてかは、推して知るべしというものでしょう。


「この船ほどではない・・・・・・とは、思いたいんですが、なかなかに非人道的な実験が60年代から70年代にかけてのアメリカでは繰り返されていたそうです」


「あの、申し訳ありませんがハスミンにも一言よろしいですか?」


 ハスミンちゃんという子のイメージを思えば、なんとも遠慮がちな声掛けでした。


「難しくてハスミンよく分からないのですが、テッサさんの仰ってることってアメリカでのお話ですよね?」


「そうですね」


「・・・・・・なら、ハスミンにはよく分かりません。ここはコロンビアなんですが・・・・・・」


「そうですね。アメリカから遠く離れたここコロンビアで、ましてやカルテルの所有物であるはずの船の中に、どうしてMKウルトラと書かれた資料を見つけた時、わたしも同じように思いましたよ」


 以外にも、ノルさんはMKウルトラという言葉を初めて聞いたみたい。不可思議な単語を口に出して呟いていきます。


「MK・・・・・・ウルトラ?」


 わたしはゆっくりと頷きました。


「MKウルトラ計画・・・・・・その全容はよく分かっていません。

 機密指定がされた計画の宿命として情報は虚実入り乱れてるんですが、計画の達成手段として薬物投与が有力視されていたこと、その最終目的が人間の精神を変質させることだったというのは、どうやら確定事項みたいです。

 理想をいえば洗脳・・・・・・ですが、現実的な落とし所として敵兵を自在に自白させることが目的として据えられた。この目的を達成すべく計画の推進者たちは、しばしば被験者から同意も得ずにLSDの投与実験を行っていたそうなんです。

 囚人や精神病患者など社会的な地位が低い人たちを手始めに、計画はどんどん自制心を失い、最後には身内であるはずの軍人や医師、果ては妊婦までをも実験体として利用していた。被験者たちのほとんどは終生、実験で植えつけられた障害に苦しむことになってしまいました。

 そして1950年代に始まったこの悪魔的な計画は、60年代頃に終了シャットダウンされるまで続けられたのです」


 重い拳銃をずっと構えたままのノルさんは、呆れたように息を吐きました。大部分はむかし参考のために読んだ資料からの引用にすぎないと、どうやら気づかれてしまったよう。


「よくまあ、そうまでズラズラと覚えてられるもんだな・・・・・・」


「ふふ、わたし、記憶力には自信があるんです」


「自信でどうにかなるレベルか?」


「頑張ればノルさんだってできますよ」


「男が女になれないように、人間には出来ることと出来ないことがある」


「えっ?」


 チャイナドレス姿でいう台詞? とも思いましたが・・・・・・ジロリと睨まれてしまったので、慌てて話を先に進めました。


「ええと・・・・・・話を戻しますけど、ではなぜここコロンビアで、もっといえばカリ・カルテルはMKウルトラの資料を参照することができたのかしら?」


「自分で言ったろう? 60年代頃に終了されたって。半世紀近くまえの資料ぐらい、カルテルなら容易に手に入れられるだろう。カネを積んで買えないものはない」


「こればっかりは買えませんよ。だって、あまりに人としての道を踏み外してしまったMKウルトラの全容がバレるのを恐れて、時の長官が関連資料をすべて独断で破棄してしまったのですから。

 きっと計画の全容を知ることは、この先も永遠にできないでしょうね」


「長官?」


「はい。アメリカのインテリジェンス・コミュニティを束ねる、世界最大の諜報機関――中央情報局CIAの長官が、ですよ」


 やっと本題に達することができました。


 国家のためにスパイ活動を担う諜報機関というものは、どこの国にもあるものです。ですがカンパニー、エージェンシーなどの別称で知られるCIAは、その中でも群を抜いた存在でしょう。


 単純な話ですけど、予算の桁が違うのです。つねに数万人もの局員を抱え、全世界に支局を有し、技術開発にも膨大な金額を投資している。こんな豪勢な諜報機関、他にはありません。


 その仮想敵は全世界とはいえ・・・・・・CIAの主敵メイン・エネミーは、すなわちアメリカの敵であるソ連、ひいては共産主義なのでした。


「南米は古くからアメリカの裏庭でした。

 初期には単純に国益のため、ソ連が台頭してからは冷戦の一環として、CIAは南米の地で代理戦争まがいの作戦行動を長らく行ってきました。

 冷戦という新たな戦争に勝利するべくクーデターで政府を転覆させ、親米派の独裁政権を擁立する。その果てに独裁者が国民を弾圧し、数万人単位の犠牲者を出そうともCIAは知らんぷりです

 目的のためなら手段は選ばれるべきではない、それこそが彼らの正義でしたから」


「知ってるさ、CIAラ・シーアのことぐらい。どうして反米主義者がこうまで南米には多いと思ってるんだ」


「わたしもCIA、というよりも諜報機関にはあまり良い思い出がないので、ノルさんの気持ちはちょっぴり分かります」


 諜報機関と軍というのは、どこの国でも複雑な間柄になってしまうものなのです。同族嫌悪という表現が一番、的確かもしれませんけど。


 戦争というものの性質は変わりました。第2次世界大戦のような国家の命運を賭けた死闘から、政治的に優位に立つための武力行使へ。その変化は仕方がないことでした。大国同士の衝突がすなわち核戦争の幕開け、ひいては人類滅亡に直結してしまったのですから。


 そのため大国――すなわち米ソ両国は、裏からゲリラなどの武力集団をあやつり、世界中で代理戦争を展開したのです。


 もちろんこういった小さな勢力が正規軍と真っ向から戦うことなんてできやしません。だからこそ彼らは闇に潜り、見つからないよう奇襲攻撃をくり返す戦法、すなわちゲリラ戦を主軸にしていった。


 わたしのトゥアハー・デ・ダナンならば、装備といえばせいぜいAK-47やロケットランチャー程度のゲリラごとき、巡航ミサイルでチョチョイのチョイです。しかし、彼らが無限に続くようなジャングルに身を潜めてしまったら、そもそも狙いを定めようがない・・・・・・そこで諜報機関が出張ってくるのです。


 敵の位置を割り出して、その情報INTELを軍へと伝える。もちろん彼らの仕事はそれだけではありませんが、わたしの経験した諜報機関INTELLIGENCE AGENCYとの協力関係は、だいたいこんな感じでした。


 ですがその情報の精度というのが問題でして・・・・・・ここに敵がいるよと聞いていざ出向いてみれば、どこを探してももぬけの殻とか、ままあったものです。


 いえもっと酷いパターンですと敵どころか同盟軍が居たりして、うっかり攻撃してしまい大スキャンダルに発展。実行役である軍部が責められてる横で、情報をもたらした諜報機関は知らん顔とか割とあったんだそうです。


 その件についてジェリーおじさまに延々と愚痴られて辟易したりですとか、ミスリル情報部の皆さまに至っては、根幹メンバーがまるっとわたしたちを裏切ったかと思えば、ほとぼりが冷めた頃にしれっとアミット・ストラテジック社なんて企業を設立してそれなり以上に儲けているとか、ええもう、わたしと諜報機関の関係ときたら、いつも腸が煮えくり返る思い出して!!


 ・・・・・・最後の方はまるっきり私怨になってしまいましたが、諜報機関と軍の複雑な関係性について、薄っすらと察してもらえたことでしょう。無理かもしれませんが、強引にでも話を先に進ませてもらいます。


 諜報機関がちゃんと働いてくれないとわたしたちはどうしようもないのに、当人たちときたら失敗しても懲りず、尻拭いをすべて現場に押し付けてくる。諜報機関とはまったくもって困った連中の集まりなのです。


「それがお前の言いたいことか」


 ちょっと緊張が溶けてきたと思いきや、今度は怒気を込めながら、改めてノルさんは拳銃をわたしに突きつけてきました。


「陰謀論ときたらCIA・・・・・・そんな藁人形じみた組織が、実はトラソルテオトルを取り仕切っていただって?」


「理解が早くて助かります」


「そうか、それはタイヘンだな。だったら俺はカルテルだけでなく、その元締めであるCIAとまで戦わなくちゃいけないわけだ。

 で? 他に俺がテッサを殺さない理由はあるのか。無いならそろそろ、終いにさせてもらう」


 これ以上ないくらい馬鹿にしたような言い方。まるで信じてないみたい。そうですよね、これだけでは証拠が薄すぎする。


 ですが、


「ではノルさん説明して頂けますか? トラソルテオトルの科学者たちはどうやって、CIAが議会からの追及を避けるために破棄した、存在しないはずの資料を手に入れることができたのか?」


「む・・・・・・それは、断片的な情報を集めたとか、そんなところだろ」


「そうですね。MKウルトラ計画はたくさんの大学機関の協力を受けていたそうですから、もしかしたら資料がどこかの研究室に残っていたかもしれませんね」


「ほらみろ」


「では、あの電話機はどう説明しますか?」


「電話機?」


「デスクにあるアレです。あのモデルは、CIAなどの西側機関が使ってる秘話用の電話機なんですが、その顔を見るに気づいてなかったみたいですね」


「・・・・・・」


「カリ・カルテルはどうしてか、アメリカの秘中の秘であるMKウルトラの資料に基づいて実験を進めていた。そして、そこの電話のようにそう簡単に手に入らない、西側の影響が濃い装備をたくさん所持していた」


「カルテルの装備はほとんどが北米ノルテ・アメリカ産だ。その中にCIAが放出したものが混じってても、不思議じゃないだろう」


「ではキャッスル・フルーツ・カンパニーはどうです? この名前にも聞き覚えがあるんじゃありません?」


 そう、知っているはずなのです。ノルさんたちが進めているシモンボリバル・スポーツアリーナの襲撃計画。ずはりそのスタジアムの所有者こそが、キャッスル・フルーツ・カンパニーなのですから。


「ありふれたダミーカンパニーだ。B.S.S.しかり、カリの無数にある表の看板のひとつ、ただそれだけのことだ」


「ですが欧米資本なのは異例だわ」


「むしろ擬態には好都合じゃないのか? 俺は下っ端だから、組織の金回りの話はよくは分からないが・・・・・・」


「わたしの友人に情報収集に長けた女性がいるんです。彼女にちょっと調べてもらったんですけど、かくたるヒット商品もないのに莫大な資本を有してる食品企業だとか」


「だから、どうせ麻薬が資本源なんだからおかしくは――」


「コロンビア政府に渡りをつけて、世界的に違法なAS同士のプロレス興行を認めさせる政治力。放置されていたスタジアムを再建させる資本力。B.S.S.の親会社として武力もそれなり以上に有して、南米に根を張っているアメリカの企業・・・・・・カリ・カルテルは創設者と主要幹部の逮捕によって大きく弱体化したにも関わらず、ある時期を境に組織規模を急激に増して、今やコロンビア最大の麻薬カルテルとなっている。

 ですが、その組織の頂点に立つ人物が何者なのか誰も知らない。その部下たちさえも――不思議じゃありません? この原動力がどこからきたのか」


「・・・・・・」


「ヤンさん、先ほどわたしに話していたことを」


「・・・・・・まったく。カリの組織構成は、他のカルテルとは明白に異なっている。

 もともと匿名性の高い組織だったが、基本は複数の麻薬業者を束ねた連合カルテルという名のとおりの犯罪者の集団に過ぎなかった。

 それにロドリゲス兄弟の逮捕以後、カリは急速に衰退し、かつてのライバルであるメデジンよろしく消滅の瀬戸際にあった。

 それが急に、詳細不明な組織改革によって完ぺきともいえる秘密結社へと変身を遂げ、今じゃコロンビアの裏社会を仕切ってる。同僚がよく話してたよ、これじゃまるで、どこかのやり手が組織を乗っ取ったみたいだってね」


「わたしも驚きました。

 ニードトゥノウ、デッド・ドロップ、ワン・ウェイ・ヴォイス・リンク、乱数放送を使った暗号通信・・・・・・どれも古くからあるスパイ技術トレードクラフトですが、一部だけならともかく、ここまで諜報機関のやり方を徹底している麻薬組織もないわ。

 あるいはこう言ってもいいかもしれない、これれらCIAがクーデターを惹き起こすために反体制派を育てるための常套手段であったと。そして――ヤンさん?」


「DEAも何もしてなかった訳じゃない。キャッスル・フルーツ・カンパニーとカリとの繋がりが怪しいと、捜査のメスを入れようとしたそうだ。だけどさる組織に邪魔をされてね。

 DEAは大使館に支局を間借りしてる。そんな同じ場所に居候してるさる組織、つまりはCIAの背広組にこちらが目をつけたカルテルの証人を横取りにされたんだそうだ。あれはウチの協力者だから手出しは無用、とね」


 流石にノルさんもこの情報には、驚きを隠せないようでした。


 カリのダミーカンパニー内にCIAの協力者が居た。これだけでしたら、まだ偶然の一致で済むかもしれません。ですがこの船で見つかった資料のように、決定打に欠ける証拠でも数が積み重なっていくと説得力も変わっていきます。


 わたしは言いました。


「ノルさんは、なるほどカルテルの専門家でしょう。ですが先ほど申した通り、わたしは軍事のプロであり、ヤンさんは犯罪捜査のプロなんです。

 単一の視点からでは見えないものも、知恵を束ねて多角的に眺めてみれば、別の真実が浮かび上がってくる」


 ついにデザートイーグルの銃口が下がっていきます。わたしの額から床に向けて、力なく垂れ下がっていく。


 ノルさんたちは。アメリカに逃げるつもりでした。


 そこなら100%安全とは言い切れないでしょうけど、南米に居続けるよりずっとマシだとそう信じていたはずなのに、もしカリの真の指導者がCIAなのだとしたら・・・・・・ゴールと思っていた場所が敵地のど真ん中だった、ということになってしまう。


 絶望には至ってません。ですが、お釈迦さまの手のひらから逃げ出してみたら、そこはまだ手の内だったみたいな徒労感を、感じてはいるようです。


「じゃあ何か? この船も、俺も、実はCIAの下働きだったっていうのか?」


 わたしはその問いに頷きました。


 ノルさんは、この場の誰よりもカルテルに深く関わってきたはず。だからこそずっと心のどこかで疑念はあったのでしょう。


 緻密に組み立てられたカリ・カルテルという秘密組織。ですが地道にノウハウを貯め、やっとの思いで完成されたにしては、あまりに組織のあり方が急激に変化しすぎている。


 体制側の秘密警察から身を隠し、武装決起を人知れず進める必要があるクーデター計画は、多くの点で諜報機関のやり方に酷似しているのです。そんな半世紀にも渡るCIAのノウハウを、もしそのままカルテルの運営方法に反映したのだとしたら。


 だって今のカリのやり口は、あまりにテクニカルにすぎるのですから。


「おそらくですけど、本国で禁止されたMKウルトラ計画をここで再開していたんだと思います」


「・・・・・・おそらくって、一体誰が」


「ノルさんもご存知のはず。あなたが命を狙っていた、キャッスル・フルーツ・カンパニーの社長にして、県司令官を跪かせていた、あのサングラス姿の白人男性ですよ」


「・・・・・・」


「もっとも、この船で働いていた人間ですらその事実を知っていたかどうか。研究結果だけ回収できれば、CIAが直接経営するのはリスクしかありません。

 データだけぽいと渡され、自分の仕事に集中しろと、たぶんそれしか聞かされていなかったんだわ」


 それに、これはとっても初歩的な情報管理の仕方ですし。


 これまでもCIAは、国家の暗部にいくつも関わってきました。確かにファンタジーじみた陰謀論も多々、語られている組織ではありますが・・・・・・実際問題、組織創設以来さまざまな醜聞に彩られてきたのも、また事実なのです。


 ですから――CIAが裏でカルテルを運営していたとしても、驚きはせよ、ありえないというほどでもない・・・・・・少なくとも、わたしはそう信じているのです。


「・・・・・・じゃあどうすればいい?」


 カルテルとの対決。それだって一筋縄にいかないでしょうが、そこにCIAなんて巨大組織まで絡んできたのです。


 アリと巨人との戦いにも決して絶望せず、がむしゃらに戦おうとしてきたノルさんでしたが、それもすべてCIAの掌の上だったとくれば・・・・・・流石に途方に暮れたくもなるでしょう。


「あのサングラスの男は、カリの幹部でなくCIAの人間だったということか・・・・・・」


 ノルさんとわたしが初めて出会ったあの高級ホテル。そこに居合わせていたカリの大物。彼については、実は他にも有力な情報もあるのですが・・・・・・今は話をこれ以上こんがらがせたくないので、あえて言及しないでおきます。


 わたしは言いました。


「厳密にいえば、あの男はそのどちらでもないと否定できる立場でしょう。公に追求してみても大元まで辿れないようしっかり対策する。CIAの、ひいてはスパイの初歩ですから」


「わざわざこんなのを伝えに戻ってきたのか? お前たちが思っているより、状況はずっと絶望的だって」


「逆ですよノルさん、これががわたしの解決策です」


「? 意味がわからん。アメリカの諜報機関との戦い方なんて、俺は知らない」


「ですから、わたしは知ってます。それにですねノルさん――そもそも、CIAがカルテルの経営なんてできるはずないじゃないですか?」


 さんざんカリ・カルテルは実はCIA説を唱えておきながら、まさかのちゃぶ台返し。そう捉えられても仕方がない発言をついしてしまう。そうですね、ミスりました。


 恐ろしい速さでこう、わたしのワンピースの胸ぐらをノルさんは掴みますと、こめかみにギャングスタ・スタイルで大きく肘を曲げ、ついさっき下げたばかりのデザートイーグルの銃口をふたたび突きつけてきたのです。


 その顔には、まさに鬼の形相を張り付けておりました。


「長話をさんざん人に聞かせておいて、“そもそもできるはずがない”?・・・・・・馬鹿にしてるのか?」


「ぐぇ、あ、あ、い、いえ・・・・・・言葉のチョイスを少々、誤りました。ちゃ、ちゃんと説明する機会をな、なにとぞ・・・・・・」


 ギリギリと首が締まって息苦しい。それがフッと解放されました。


 喉元をさすりながら見てみれば、さっきまではちょっと感心したそぶりがあったのに、たったひとつのミスでまた疑念たっぷりにこちらを睨んでいるノルさんが居ました。言葉って難しいです・・・・・・。


「ううっ・・・・・・ええとですね、ノルさんは、CIAにどういったイメージを抱いてますか?」


「知るか」


「・・・・・・世界を裏から支配してる強大な闇の組織。そんなのフィクションの中だけの話なんですよノルさん」


 超国家組織であったミスリル、もっといえばアマルガムなんてある意味で実例もありますけど、どちらも人が運用してるが以上、組織運営に不完全さを抱えていました。


 そこにきますとCIAとて例外ではないのです。


「CIAは政府機関です。つまり政府から予算を頂き、それを運用して成果を上げて、報告書に書いて提出することが義務付けられている」


企業務めア・サラリアドみたいな話だな」


「似たようなものですよ、CIAだって結局は国家公務員なんですから。

 ましてやアメリカ合衆国は開かれた政府を志向しています。国民に政府が隠しごとをしようものなら、すぐ国を揺るがすスキャンダルになってしまう。

 実際、わたしが先ほど話したでしょう? MKウルトラのあまりな非人道的な実験が露見することに恐れをなして、それが暴露される前に長官みずから計画の隠蔽を図ったって」


「だから?」


「MKウルトラが展開されていた60年代は監視の目も緩く、CIAがもっとも好き勝手に行動できていた時代でした。

 ですがピックス湾に代表される数々の失態や、国民への違法な監視活動が問題視されて、CIAの権限は時代を経るごとに縮小。今や議会に設けられた特別委員会によって、24時間に見張られる立場になっているんです。

 無尽蔵に思われる予算も、どのような使途で使われるのかが小数点に至るまで逐一記録されている。

 権力は常に監視されなければならないという信念は、アメリカの美点であるとわたしは思ってますけど、CIAからすればこれまでずっと国のために汚れ仕事ダーティーワークをこなしてきたのにそれを咎められ、首輪までかけられては堪らないと内心では考えていても、おかしくありません・・・・・・」


 これは仮にも軍人であるわたしが、常日頃から感じていたことでもあります。


 ミスリルは国家に依らない武力集団だからこそ、内部規定というルールが厳密に設けられていました。


 いわゆる法に基づく適正手続きデュー・プロセス・オブ・ロー。ですが法というのは、平和を維持するために作られたルールなのです。


 どんなに繕っても殺人を組織の存在意義にしている軍隊に法を遵守せよというのは、それ自体が矛盾しています。そういった事情は人を騙し、利用することが目的としている諜報機関とて同じこと。


 世界に善人だけが住んでいる訳じゃない以上、軍事と諜報は、国家を守るためには不可欠の分野です。わたしたち軍人は、平和と戦争という二つの形態の狭間に立ってそんな矛盾を抱えつつ、同時に守るべき存在なのです。そう自らに課し続けなければ、すぐ軍は自らの意思を持つようになり、国家を支配する暴力機関となってしまう。


 ですが時にその制約が煩わしく感じられるのも事実。もっと自由に行動できていれば、防げたかもしれない悲劇もたくさんあったものです。


 CIAは悪であると言い切られれば、話は簡単なんでしょうが・・・・・・平和の中で戦争を戦わざるおえない諜報機関は、軍よりもずっと立場があやふやではある。


 わたしの知るCIA局員は、アメリカ的なピュアなまでの正義感を持った善意の人々でした。ですが善意のままでも、いえ、だからこそ人はときに信じられないような悪行を行えもするのです・・・・・・。


「かつての独立性は失われ、一事が万事、手続きなくしては先に進めない。

 むしろ昔の権限が高すぎただけかもしれませんけど、ただでさえ動きの遅い恐竜的な巨大組織が、正しくあろうとすればするほど、さらに手足を縛られる格好になってしまったのもまた事実。

 少数精鋭の権化たるモサドとも、古くから世界各地に溶け込んで、今なお各地に巨大なネットワークを有する英国秘密情報部SISとも異なり、CIAにとって武器と呼べるものはお金だけでした。ですがその潤沢な予算すらも議会によって厳重に監視され思うさま使えない。

 そこに金脈が現れたのです。

 年商数十億ドルにもなる麻薬という名の一大産業に、権力の空白が生じた。きっと中南米部門に属している誰かが、ロドリゲス兄弟逮捕の報を見ながらこう言ったのでしょう。“悪を滅せないのであれば、利用すべきだ”と」


 そうです、そう言ったに違いないのです・・・・・・。


「誰に咎められることもなく自由に扱える数十億ドルものの裏資産ブラックバジェット。アメリカの法に縛られることなく、思うさま行動できる南米という名の自由世界オープンワールド

 規則に縛られ、本領を発揮できずにいるCIAにとってこれほど魅惑的なものもないでしょう。やっと、政府によって不当に奪われてしまった自分たちの正義を、取り戻すことができるのですから。

 しかしながら、もしわたしの仮定が正しく、カリ・カルテルの真の支配者がCIAだとしても、それがCIA全体の意思で行われてるとはわたしにはとても思えないんです。

 だってCIAが独善的な正義を行使した結果、責任を取らされるのは当のCIAだけでなく、アメリカ全体が未曾有のスキャンダルに襲われてしまうでしょうから。

 下手をすれば大統領の首すらすげ変わるかもしれません。となるといくらCIAが自信満々にカルテルを運営したいと言い出しても、誰かが必死にストップをかけるに違いない」


「難しすぎて、俺には半分も分からん・・・・・・」


「ならシンプルにいきましょう。これはきっと一部の局員の暴走にすぎません。おそらく最大でも、関係しているのはCIAの中南米部門だけでしょう」


「そうなの・・・・・・か?」


「まだよく分かってませんねノルさん?」


「そっちこそ、俺が銃を持ってるって忘れかけてないか?」


 撃たれたくなきゃ要点を掻い摘んできちん説明しろ、分かってますってば。


「カルテルの倒し方は、わたしにだって分かりません。麻薬カルテルというのは文化や社会情勢が複雑に絡みあった、組織というよりはもはや現象に等しいなんてことは、ノルさんのほうがずっとお詳しいでしょうから。

 ですが事がCIAのスキャンダルであれば、これは政治の問題になります。

 証拠を掴んで脅迫してしまえばいいんですよ。お宅の局員がこんな悪事を働いてますよって」


「脅すって、誰を?」


「アメリカそのものをです」


「なっ・・・・・・」


「ですが、目的はあくまでノルさんたちがこれから平穏に暮らしていく権利な訳ですから、イタズラに話を大きくしてもアレですね。問題の焦点をCIAのスキャンダルそのものに向けられるわけにはいきませんから。

 いざとなったらホワイトハウスに垂れ込めばいいでしょうけど、それは奥の手として取っときましょう。現実的な線として、脅すとしたらCIA自身かしら。

 全面戦争を仕掛けるよりも、互いに納得できるラインで適度に引かせる方がのちのち禍根が残らずに良いでしょうし・・・・・・」


 くるくる、いつもの癖で三つ編みの先を弄りつつ、取らぬ狸の皮算用を始めるわたし。どっちみっちカリ・カルテルの経営にCIAの人間が関わっていた物的証拠がなければ、こんなのただの妄想に終わってしまう訳ですし。


 ですがひとたび決定的な証拠を獲得してしまえさえすれば、あとはこっちのもの。どうとでもできるのです。


「ノルさん。あのスタジアムでは、マネーロンダリングが行われているというお話でしたよね?」


「あ、ああ・・・・・・」


「高度に匿名化されている組織が、どうしてかスタジアムにあらゆる情報とお金を集積しようとしている。それってきっと、本来の用途に使うためにお金を集める必要があったんでしょう。

 あそこはカルテルのお金の終着地点ではなく、CIAカンパニーに送るための中継地点なんだわ。

 なら破壊するのは間違いです。侵入し、中身を奪い取らないと。最低でもトラソルテオトルで培われた研究データがあるはずですし。

 調査委員会の入念な捜索でも見つからなかった、CIAが隠滅したはずのMKウルトラのデータ。それがコロンビアで見つかれば、CIAとカリとの関連性を裏付けるものとしては十分なはずですから」


「・・・・・・お前、本当にテッサなのか?」


 ノルさんからの訝しむ問いかけをどう解釈すべきか、ちょっと悩む。


 誘拐騒ぎに巻き込まれてしまった、非力な観光客にはもう見えないのは請け合いです。そういう即物的な意味だけでなく、もっと深いところで自分に問いかけてみる。


 


 かつて彼が言ってくれた言葉はまだ胸の中でくすぶっている。ですが結局、どこまでいってもわたしは軍人なのでしょう。


 この道の先に自分の幸福が広がっているかどうか、きっと怪しいもの。ですが正直なところ、今はそんなのどうでもいい気分でした。


 訳のわからない女の会話に、困惑するばかりの子どもたちが目の前に立っている。この子たちのせいじゃない、誰も生まれは選べない、ただそれだけで命を狙われている彼・彼女たち。


 わたしとて同じ立場でした。


 ウィスパードとして生まれ落ちることを、望んたことなんて一度もない。だってこの才能のせいで、わたしの家族は崩壊してしまったのですから。


 父も、母も、そして兄もすでにこの世には居ない。でもだからといって、今の自分が不幸だとは思わないのです。だってわたしには、幸福とはほど遠い子ども時代を支えてくれた、立派な大人たちが居たのですから。


 偉そうに言わせてもらうなら恩返し。

 

 暴力ほど生産性に欠けるものはありません。ですが障害を破壊、道を切り開くことはできる。平和な世界では無駄なそんなスキルがこの子たちの未来に繋がるならば、もう迷うことなんてないのです。


 覚悟はすでに決めている。


 手にしたポシェットから、ある小物をわたしは取り出しました。捨てる機会はいくらでもあったのに、こうして今も肌見放さず持ち歩いているわたしの過去の残滓。TDD1と記された潜水艦キャップをみずからの頭へと、悠然と被せていきました。


 なぜならば――わたしは元ミスリル西太平洋戦隊の戦隊長にして、強襲揚陸艦トゥアハー・デ・ダナンの艦長テレサ=テスタロッサなのですから。


「どうでしょうかノルさん? こういうこすっからい手を次から次へと考えつける、有能にして麗しい傭兵ワイルドギースと、今ならなんと100%OFFの超ご奉仕価格で契約することができるのですが・・・・・・それでもまだ、わたしに出て行けと仰るんですか?」


 安心させるための不敵の笑みというより、ちょっといたずらっぽい笑みになってしまいました。


 誤解を生んでしまったかも、でもいいのです。


 そんな誤解を解くための時間をわたしのスキルならば、彼らにもたらすことができる。そう確信しているのですから。




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