XXII “War...war never changes”

【“ノル”――MSCトラソルテオトル・サーバールーム・通信室】


「これが、シモンボリバル・スポーツアリーナだ」


 ざっとデスク上を掃除をしたお陰で、控えめにいってもザルな警備体制だった役所から盗み出してきたスタジアムの青写真を、この場所に広げることができた。


 重石として四隅にホッチキスとセロハンテープ台、ガリルARMの25連マガジンを置いてやれば、観客数10万人近くを収容できるコロンビアきっての大スタジアムの全容が、デスクの上から簡単に見渡せるようになった。


 他にも補足資料として観光客向けのパンフレットなんかを横に置いてはみたが・・・・・・集まった皆の顔が暗いのは、この資料不足が響いているのは明らかだった。


 欲しかったのは具体的な警備体制だ。迫力満点の試合の魅力だとか、チケットの価格なんてどうでもいい。縮尺の小さすぎるパンフレットの写真から推測できるのは、スタジアムの隅々に数百人単位の武装警備員が配備されているという、せいぜい一般常識レベルの情報だけだった。


「カリとメデジンが表立ってやり合うまえ、まだサッカークラブ同士の勝ち負けで代理戦争が成立していた頃にこのスタジアムの建設計画は立ち上がった。

 そういった経緯があるからこのスタジアムは、最初から麻薬ナルコマネーずぶずぶで作られている」


「それはいいのですが・・・・・・」


 普段ならこういった荒事はすべて俺とケティに任せてるハスミンだったが、今回ばかりはテッサ周りのドタバタもあって、最初からこの作戦会議に顔を出していた。


 ・・・・・・いや分かってる。俺とケティだけじゃ手が足りないといって、他のガキ共から志願を募ったのが気になって仕方ないのだろう。なりふり構わなくなった計画の行き着く先は、いつだってろくでもない終幕と決まってるのだから。


「ハスミンよく分かりません・・・・・・このスタジアムとハスミンたちに何の関係が?」


「暗殺以外にも、俺が色々な雑事を押し付けられていたのは知ってるな? その一環として、この船の研究データが詰まった・・・・・・あの、何か横文字でメカっぽい」


「ハードディスクでしょうか兄さん? 中にレアメタルとかの金目のものが詰まっている」


「そう、その、“ふろっぴーでぃすく”なんだけど・・・・・・実はあれはこのスタジアムに集約されてたんだ」


「なぜ?」


「いつものカリの流儀だ、詳しいことは知らされてない。だが推測はできる。

 俺が持ち込んでいたのは船の研究データだけだったが、他にも怪しい風体の奴らが色々な荷をスタジアムに運び込んでいたもんだ。

 試合が開催されるたびに1000万ドル単位の巨額が一晩で動き、あらゆる地域から人が集まることからもこの手のアミューズメント施設は昔から裏稼業と相性が良いんだ。

 具体的には、組織の資金洗浄マネーロンダリングをここが一手に担ってるに違いない」


「ですがそれでは・・・・・・研究データの説明はつかないのでは?」


「だからすべてを知らされてる訳じゃない。重要なのは――カリにとってこのスタジアムが要所だという、ただ一点だけで」


 前提条件はこんなところ。次は、俺が反乱マタンサをやらかした後に収集した、補足説明の時間だった。


 次の資料は、これまでの経験と盗聴してきた無線通信をつなぎ合わせて作り上げた、カリ・カルテルの表の看板ことボリバル・セキュリティ・サービスB.S.S.の集金ルートの地図だった。


軍用装甲車アーマード・カーで正規に登録されてる店舗から合法的に売上金を回収している傍ら、B.S.S.の奴らはついでに麻薬業者ナルコス連中の売り上げまで一緒に回収しては、それらをスタジアムへと届けてる。

 あとは汚れた金をチケット代に混ぜてやれば、翌日には漂白が完了するって寸法だ。だからもしここが攻撃されたりしたらカリは大打撃を受ける」


 そして言うまでもなく、そういった重要施設の防御は堅牢なものだ。


 カリにとってここは金庫も同じ。せっかく合法路線を表向きは装っているのだ、その恩恵を十分に利用して、集金だけでなくB.S.S.はスタジアムそのものの警備も請け負っていた。だから何かあれば、しゃかりきになって反撃してくるはずだった。


 コロンビアは世のイメージと異なって厳しい銃規制が敷かれてはいるが、なにせアメリカから違法な銃器が数十万挺単位でひっきりなしに密輸入され、そいつが闇市で安価に売り

さばかれているのだ。銃規制なんて実質、形骸化している。


 そのおかげで、対抗する側の治安機関も普通にミリタリーグレードの銃火器を装備していた。警備会社だって例外じゃなく、B.S.S.の武装もまた正規軍レベルとなっている。


 ましてや連中、政府から正式に認可されているという後ろ盾があるからやりたい放題だ。装甲車はもとより、地方ではASまで警備業務に動員してる。俺たちは、そんな奴らがわんさか待ち構えている施設を攻撃する相談をしているのだった。


「感情よりビジネスを優先するのがカリのスタイルだ。ここを攻撃したところで俺たちの問題は解決しない。むしろ悪化するかもしれないが、それでも時間は稼げるだろう」


 こっちの所在地がバレているのにザスカーが仕掛けてこないのは、こちらの防衛策を警戒しているのが一点。そして二点目は・・・・・・カリはモンドラゴン・ファミリアじゃないんだ。平然なツラして、無許可の武力集団を街中で走り回るわけにはいかないという、カリ特有の隠蔽体質が原因だろう。


 どう頑張っても港で派手にドンパチすることになるのだ。こっちはそういう覚悟だった。となると、どうにか世間に通じる言い訳をこさえるべく、今は根回しと偽装の真っ最中といったところだろう。そこに別口の大騒ぎをぶつけてやれば、ザスカーとて動きづらくなる。


 あの男が安宿で死んでいるなんてのは希望的な観測がすぎる。かつてはドン・パブロに仕えるメデジンのシカリオだった癖して、ギリギリのタイミングでボスを裏切り、今やライバル組織で大出世を遂げてみせたゴキブリ並みの生き上手なのだ。


「何か言いたいことがあるなら今のうちだぞケティ」


 ケティがらしくもなく浮かない顔をしてる理由は、候補がありすぎてちょっと判然としない。


 俺よりずっとザスカーとは因縁があるから、奴が生きてるいという推測が気に食わないのか、それともテッサ周りのゴタゴタでついに俺に愛想を尽かしたか。


 逆向きに座ってるオフィスチェアの背もたれに顎を載せながら、気怠げにケティが手話で話し始めた。


“B.S.S.のクソども、装甲車だけでなくASアーム・スレイブまで装備してやがるんだぜ? 

 例の興行にかこつけて非武装を条件に所有を認めさせたやつだが、絶っっってえに裏でAS用の火器を隠し持ってるに決まってるんだぜ・・・・・・”


 こちらは生身で、あちらは陸戦最強の二足歩行兵器。あれが動き出したらまず手も足も出ない。そんなの子どもでも知っている。


「ASが厄介なのは認める。だったら正面から戦わなければいいだけのことだ。

 カリは表の看板を絶対に蔑ろにしたりしない。これから叩こうとしてるのは街のど真ん中に立ってるスタジアムであって、ジャングルのコカイン精製施設じゃない。

 あんな大量破壊兵器、よっぽどの事態に陥らなきゃ起動すらさせないはず。計画通りに進めば、起動前にケリがつく」


「愚問でしょうけど、いっそ警察に通報するというのは」


 らしくない会話がつづく。ハスミンだって、警察が俺たちにとって害にしかならないと百も承知だろうに。


「ハスミンの素人考えですけども、スタジアムに捜査の手が及べば、時間稼ぎという目的を楽に達成できるはず」


「不可能だ。理由は色々あるが、まずB.S.S.の社員はほとんどが元警官なんだ。

 どこの国の警官も身内には甘い。かつての上司や同僚が高給もらって働いてる組織に喧嘩を売って、みすみす退職後の就職先を不意にしたがる奴は多くない。

 だから確固たる証拠とセットで通報したところで捜査はなあなあになるか、そもそも握り潰されるかのどちらかだろう。

 それに、このスタジアムには政府の利権も絡んでる。

 モンドラゴンとカリの休戦を皮切りに、国内最大の民兵組織であるAUCの解体やら、おなじく国内最大のゲリラ組織であるFARCとの停戦交渉が進んでる。そういった国の“クリーン化”の象徴の一環として、あのスタジアムの再開発計画には政府も一枚噛んでいたんだ」


「ですが裏では・・・・・・」


 そう、より深く、より巧妙に政府とカルテルが繋がりをもっただけだった。


 すべては茶番だ。かつて選挙資金にカネを出したのが民衆にバレ、叩かれたことでお互いに学んだということだろう。


 茶番はコロンビアの代名詞だ。FARCとの停戦交渉だって、これで何度目か分からない。どうせまたぞろ決裂するか、モンドラゴンと同じように麻薬ビジネスを黙認してやるから武力行使は控えろなんて、なあなあな結末を迎えるに決まってる。


「単にカルテルが闇に潜んで、表からだと流血が見え辛くなったというだけでも観光客へのアピールとしては十分すぎる。

 このスタジアムは皆の利益になってるのさ。政府、警察、カルテルのトライアングル全員にとって」


 スタジアムの工事を担当した建設会社の大株主が、どこの大臣様なのかとか、掘り下げてみればおもしろいものが色々と見えてくるだろう。


 だがそんなの暴いたところで、カルテル、政府、民兵にゲリラといった利権の絡み合いが終わることはない。それが大昔からつづき、きっとこれからも続いていくコロンビアの社会情勢というやつなのだ。


 そのご大層な社会ってやつの表と裏から同時に爪弾きにされた俺たちが、社会正義なんてものに頼るのはナンセンスだ。


 生き残りたいなら自分の手でどうにかするしかない。これまでもそうだったように。


「まあこの話は、ほとんど余談みたいなものだ。

 本筋は、カリの命脈たるカネと情報がこの場所集められている、それだけだ」


「あの兄さん」


「・・・・・・その呼び方はやめろ」


「拒否いたします」


「・・・・・・」


「重ね重ね、素人質問で申し訳ないですが、でもハスミンにはやっぱりよく分からないのです。

 これまで慎重に社会から身を隠してきたカリという組織が、どうしてこのスタジアムだけは、まるで目立つことが目的かのように堂々としているのでしょう?」


 良い質問だった、俺たちに関係ないことを除けば。


「答えは簡単だ。俺は知らない」


「・・・・・・兄さん」


 知識が豊富というだけでは、賢いという言葉には値しないというべきか、ハスミンはものごとの本質を見極めるのが得意だった。


 俺だって疑問に思わなかった訳じゃない。


 いかに秘密を守るかにすべてを捧げてきた秘密結社じみた組織。それがどうしてか、組織の命脈であるカネと情報だけは必ずこのスタジアムを通ってどこかへ消えていく。


 利権の傘で守られてはいるが、それは逆にいえば、政府が掌をかえせばすべてご破算になってしまうということを意味する。


 昔、政府をあてにしていたカリの創設者たるロドリゲス兄弟が、他ならなぬ自分たちの献金で成り上がった大統領に裏切られ、あっさりアメリカに送還されてしまった苦い記憶をカリは忘れてはいないだろうに。


 重要なものを一か所に集める。リスク管理としては余裕で落第点だろうが、よほどあのスタジアムだけは絶対安全であるという自信がカリの上層部にはあるらしい・・・・・・。


「俺は兵隊ソルダードだ。やれと言われたことをやるだけで、理由について聞く権利も義務もない」


 そうとも、ずっと組織に属してきたが、正直なところ今だにカリがどういう組織なのかいまいち飲み込めていないぐらいだ。


 このスタジアムの情報にせよ、カルテルの仕事で経験してきた情報の断片を寄せ集めた、たぶんこうだろうという推測のもとに成り立っていた。


 限りなく黒だろうが、いざ襲撃してみたらマネーロンダリングとは無縁な、健全な民間施設という線もありうるぐらいだ。


 雲を掴むような組織。あるいはそれが、カリ・カルテルの一番恐ろしいところかもしれないが。


 俺が確信をもって語れるのは、シカリオ流の戦争のやり方だけだ。


 殺られる前にやれ。


 慎重論を唱えるハスミンに当てられ、これまで穏便にことを運ぼうとらしくもなく周りくねった計画ばかり立ててきた。その結果が今の窮状なのだ。


 挽回するためにはリスク承知で、昔ながらのやり方を貫くしかない。シカリオ以外の生き方を歩むには、俺はもう手遅れすぎた。


「話を戻す」


 これはあくまでブリーフィング。ハスミンは求めてもいないのに顔を出しているだけのお邪魔虫であって、本来のこの場の主役は俺とケティ、それとほか3名だけだった。


 あの反乱マタンサのあと生き残ったのは、選定イニシエーションにかけられる前の奴らと、廃棄処分が決定されていた奴、そしてトラソルテオトルの御用客向けに取り置きされていた奴だけだった。


 戦闘員として訓練を受けるということは、すなわち組織に身も心を捧げるということ。だから俺の兄弟カルナルは、この世にもう1人も残っていない・・・・・・組織に弓を引いた時点で殺し合うしか道はなくなる。お互いに承知だったはずだ。


 そういった事情からこの船に残ったのは、人を殺すどころか、銃を持ったことがあるかさえ怪しい奴ばかりだった。


 一家揃ってテロリスト一家。そもそもこの国に来たのも、傭兵家業に身を落とした祖父に連れられてという、ある意味で生え抜きのケティにはいうまでもなく参加してもらう。


 ほっとくと誰にでも噛みつく狂犬そのものだが、一方で自分が何者かをよく心得てる。無法者デスペラードの末路にハッピーエンドはないという、俺とおなじ考えを共有している。だからムラはあっても、安心して背中を預けられる。


 まず確実に・・・・・・この計画で死ぬとしたら、俺かケティかのどちらかが最初になるだろう。


 指をザスカーに折られたばかりだし、そもそも体格の問題であまり反動の大きい武器は扱えないのだが、それでも現状では最高の戦力だ。この襲撃には欠かせない。


 だから不安材料と言えるのは、他の3人だった。


 いかにもゲリラ闘士らしくそこそこ筋肉はついてるが、ジャングルの長い粗食のせいで痩せぎすな先住民インディオの血が濃いバウティスタ。


 半世紀も政府とやり合ってるだけあって、戦闘ノウハウだけは溜め込んでいるFARCで生まれ育った14歳。当人のビックマウスを信じるならば、相当な戦闘経験があるそうなのだが・・・・・・いかんせんどれも自称だった。


 俺が知ってるバウティスタというのは、どうしようもない臆病で、選定の時にビビりまくって捕虜の頭じゃなく自分の足先を撃ち抜き、教官から流れるように廃棄処分の烙印を押されたガキに過ぎない。


 実力がまるで伴わない、(自称)とつく自慢話ばかり得意なガキ。そのせいで船の誰からも下に見られていた。8歳の女の子に格下扱いされてもへこたれないのは、ある意味ですごい才能ではあるのだろうが・・・・・・現場では役立ちそうもない。自分がなぜ呼ばれたのか察して、すでに震えまくっていた。


 コイツがケティについでマシなメンバーというのがやるせない。だが単純に体格的な理由で、ライフル弾クラスの得物が扱えるのはコイツだけなのだった。


 そんな次点の次点が、ビー玉のような透明感のある青い瞳と、テッサのそれとはまた異なる色合いの銀髪をした少年ことベネだった。


 いつも無言で隅の方にひっこんでいる、神秘的な面持ちのある美少年。コイツに容姿で勝てるのは、世界広しといえど俺ぐらいのものだろう。


 言葉に問題があるせいで周囲に馴染めてないのは、大いなる懸案事項だった。そうでなくても、コイツの性格は孤高にすぎる。俺ですらまだ性格を掴み切れてない。


 だがメンバーに加えた。理由はバウティスタ以上に単純で、もう戦える男がコイツしか残ってないからだった。


 べつに俺は、戦う資格について性別で分け隔てたりはしない。現にケティには背中を預けてる訳だが、男女の体格差というのは、若いほど顕著にあらわれるものなのだ。


 13歳なら、女より男のほうが銃の反動をちゃんといなせられる。そういうものだと経験から知っていた。


 肝が座ってるのか、単に状況を把握していないのか。このブリーフィングを淡々と受けいれてるあたり、ベネは性格面ならバウティスタよりずっと上のはずだった。


 この3人の中でいちばんの不安材料はやはりバウティスタ・・・・・・と言いたいところだが、この場の最年少にして虫も殺したことがなさそうな顔をしているこの船の料理番こと、カロリナの方が俺は心配だった。


 エルサルバドル生まれで白人の血が濃い混血メスティーソ。神経質さが顔に、気の弱さはおどおどした態度に現れている、世話好きだけが取り柄の12歳の巻毛の少女。そんなのが危険を承知で志願してきたのは、どう考えってバウティスタのせいだろう。


 世話焼き娘がむだな責任感をここでも発揮してるだけ。現に、すでに涙目のバウティスタにカロリナは、あれやこれやと慰めの言葉をかけていた。参加した動機といえばそれだけで、似たような動機のテッサを追い出してからさして間もおかずにどうなのかと思いもするが、とりあえずメンバーに加えることにした。


 唯一の志願者というのも大きいが・・・・・・この場で確定で人を殺しているのは、俺とケティ、それとカロリナだけというのが最大の理由だ。


 選定の儀式でカロリナは捕虜コントラを1人殺している。


 試練をこなすまでは良かったが、そのあと半狂乱状態になってそのまま廃棄処分が決定されるところに、俺はたまたま居合わせたことがある。普段は平静だが、たまに悪夢にうなされて叫んでいる。


 精神は不安定気味だが、いざとなれば自分の身を守るために他者を殺すことを選べる。どう転んでもこれから殺し合いになるのだから、この資質が役に立ってくるだろう。


 子どもに人殺しをさせるなんてという当たり前の批判について、知ったことじゃないというのが本音だ。子どもである以前に人間だし、人は生き残るためなら何でもする。


 それとも赤の他人のために家や食事に、仕事や学校の手配などしてやったことがあるのか? そうで無いなら、せめて生き残ろうとしてる努力の邪魔をするな。邪魔をすれば殺す。


 だが本音のところでは、ギリギリのところで踏みとどまっているコイツらを、こちらの世界に巻き込みたくない気持ちもあった。


 だがこっちがどう思うと、獣の世界は気にしてはくれない。生き残るためには戦うしかないのだ。 


 16の俺も、もしかしたら子どもに数えられるべきなのかもしれないが・・・・・・シカリオの平均寿命からすれば、俺はそろそろ寿命だった。25を越えられるシカリオを俺は、片手で数えられる程度にしか知らない。


「あ、あの」


 おどおどした感じでカロリナが言った。


「私は何をしたら・・・・・・」


「今からそれを話す」


「あっ、はい・・・・・・ごめんなさい」


 この調子で大丈夫かと思ったが、大丈夫なはずもない。だがこのチームやるしかないのだ。


 そもそも計画を立てるのが俺は苦手だった。


 1発でも銃声が鳴ればあとは感覚の世界、センスが物をいう。戦闘というのは培ってきたセオリーの鬩ぎ合いであって、考える隙なんて微塵もないのだ。

 

 即興で作戦を立てたりするが、それもせいぜい1手先の目標を達成するための浅いものに過ぎず、本物の指揮官が立てるような10手や20手も先読みするような部類じゃない。


 格闘戦なら誰にも負けない自信はある。だが作戦立案能力という点において、きっと俺は街のチンピラに毛が生えた程度しかないだろう。頭を使うのは苦手なのだ・・・・・・。


 だがそれでも、歴戦の指揮官のすぐそばで俺は仕事をしてきた。その記憶を総動員して、作戦を立てていくしかない。


 薄ぐらいサーバールームの中、俺の右腕に刻まれたサンタ・ムエルテがほのかに発光していく。そうとも、この世には未来を見通しているかのような本物の怪物が、実在しているのだから・・・・・・。


「まず分かっているところから話す。

 この図面を見れば分かると思うが、このシモンボリバル・アリーナには、どこをどう見ても洗浄する前のカネや情報を隠しておけるような場所が見当たらない」


 俺もたまに手伝って、せっせと運んでいた“ふろっぴーでぃすく”。あれとは別に下部組織の会計記録なんかも、このスタジアムには集められているはずだった。


 なんでも“でーた”というのは、圧縮? とやらができるそうで、となると保管場所も意外に省スペースで済むのかもしれない。ただ似たような目的で作られたというこのサーバールームの広さを思えば、“でーた”だけでもそれなりの容積を占めるはずだった。


 カリは10億ドル産業を回してる。その金融“でーた”だけでも膨大なものになるだろうし、資金洗浄前のカネの置き場も必要になる。


「正確な場所は分からないが、大まかな推測はできる。

 “でーた”の回収頻度からして、そこまで利便性の悪い場所に隠し場所を設けたりしないはずだ。

 目立たず、それでいてアクセスしやすい場所が怪しい」


 ハスミンが言った。


「単に、スタジアム本来の金庫に納めているだけなのではありませんか?」


「それは物理的に不可能だ。スタジアムの年商とカルテルの売り上げは、とてもじゃないが釣り合わない。どこかで保管しておく必要があるはずだ」


 スタジアムの儲けが興行一回につき1000万ドルとしても、そこに素直にカルテルの麻薬マネーを混ぜ込もうものなら、いきなり倍の2000万ドルになっても不思議じゃない。こんなことをすれば、すぐさま税務署が飛んでくる。


 意外だろうが、警察よりも税務署の方がよほどしつこく、そしてたちが悪かったりする。


 こういう小難しいのは俺は苦手だ。だがケティは知識不足ではあるものの、性格に反してすこぶるに頭が切れる。あんな芸術品レベルの爆弾を組み上げるには、工学だけでなく化学知識もいる、そのせいだろう。


 だからうまい具合に要点だけを説明するのもうまいのだ。


“むかしっから犯罪組織を追うとなると、カネを辿るのが王道だからなー。

 カルテルは国を跨いで金銭のやり取りしてるから、カリの金融情報に興味があるのはこの国の税務署だけじゃねえ。鼻薬を効かせようのない国外の捜査機関もなんだぜ。

 だからカルテルは、カネ周りにもえらく気を使ってる。

 このスタジアムでも洗浄は取り扱ってるみたいだが、同時に持て余したカネを一旦手元に置いといて、それから金塊に姿を変えてアメリカに出荷されるか、それか腹黒銀行屋のとこに預けて洗浄されるかのどちらかで処理してる。

 ちなみにコレ、B.S.S.の装甲車の行き先から割り出した確定情報な”


 言語に長けるハスミンは、俺でも驚くようなスピードで手話を習得していた。お陰で同時通訳する必要がない。


「どうしてそんな手間を。どうせ出ていくだけなら、一旦集める必要なんてないでしょうに」


“わかんね、アタシに聞くな。組織全体の売り上げを把握してぇなら、やっぱ一度は集めるしか手がなかったんじゃねえの? 下部組織が儲け隠すなんて日常茶飯だし、札束は嘘つかねえもん。

 それか札びらでピラミッド作って、滑り台にして遊んでるとかかな”


「誰がです?」


“・・・・・・単なる例えだぜ、例え。それでも強いて挙げんなら、兄貴の元雇主じゃね?”


 そんな悪趣味な金持ちムーブを、こうまで周到に組織を組み上げてきた顔も知らないカリの大ボスがかましていたとは俺は思わないのだが・・・・・・一斉に向けられるこの視線。なんて答えればいい?


 むぅ、とにかく話を先に進めて、この場を誤魔化すことにする。


「つまりだ。このスタジアムのどこかに大金と“でーた”を隠せる、秘密区画があると見て間違いない。

 重い大金を衆目から隠しつつ、遠くまで運んでくのは手間だ。だから集金のために出入りしてるB.S.S.の現金輸送車が止まるこの駐車場。ここからそう遠くない場所に隠されているはず。

 つまりは――」


 手のひらを広げて、隠し区画があると推測される青写真の場所に置いていった。スタジアムの半分ほどが、俺の手のせいで見えなくなる。

「ここのどこかだ」


「ちょっと範囲が広すぎでは・・・・・・」


「時間がないんだ。普段なら下見に3ヶ月はかけたい規模の施設だ。だから人海戦術で埋め合わせる」


「まさかこの3人組に調べさせるおつもりですか兄さん? ヘタレに、世話焼き依存症に、不明生物のトリオなのですよ? 一体なにができるというのですか」


 辛辣な物言いだが的確すぎる寸評に、カロリナは恥じ入るように顔を伏せて、ベネはつまらなそうに天井を眺めてる。そしてもちろんバウティスタは、義務であるかのように怒りを爆発させた。


「なんだと貴様!! この伝説的すぎて、具体的にどう伝説的なのか自分でもよく分からないほどの伝説的なまさに伝説といった感じの、えーと・・・・・・マジで伝説の革命戦士であるこのオレ様に向かって、よくそんなそんな口が聞けるな!!」


「黙れ」


「ひぃ!!」


 せめてもうちょっと設定を煮詰めればいいものを・・・・・・脊髄反射で世渡りしてるバウティスタは、ハスミンの鋭い一言ですぐさまやり込められてしまい、自分より小さくか弱いカロリナの背後に隠れた。


 やはりコイツを選んだのは失敗だったかもしれない。かといって代替手段がないから辛いのだが。


 アバウトだが、俺の計画にも勝算はある。そのことをハスミンに納得させるべく説明をつづけた。


「明日はサッカーの試合がある。この国の国民性を思えば、ぜったいに大入り満員になるだろうな。だから子どもの1人や2人が、本来なら関係者以外は立ち入りできない区画を歩き回ったとしても、すぐバレたりやしない」


「待ってください。兄さんまさか、決行は明日なんですか!?」


「だから明日なら、サッカーの試合があるから紛れ込みやすい」


「それはいくらなんでも急すぎでは・・・・・・」


 ケティが手を挙げから、手話で話しだす。


“・・・・・・アタシからも補足な。

 スタジアムの警備体制はいつもは300人規模なんだぜ。コイツらだけでも、もち完全武装かつ装甲車とASを装備してるんだが、これが試合の日になるとふだんは町中に散らばってるB.S.S.の社員が総動員されて、警備の数は7、800人にまで膨れ上がる。

 それ以外にも襲撃となりゃ、善意の通報を受けた汚職警官どもが大挙して押しかけてくるだろうし、ことと次第によっちゃ、ザスカーの私兵どももこれに加わる。


「・・・・・・つまりこの場の5人ぽっちで、1000人もの敵を相手取るおつもりなんですか?」


 流石のハスミンをしても、この敵の数は想定外だったらしい。


 きっとなるようになると、どこかでたかを括っていたらしいカロリナも顔面を蒼白にしている。バウティスタに関しては言わずもながだ。


「戦いは可能なかぎり避ける。むしろ隠し場所を見つけるまで絶対に気づかれるな。狙いはあくまでカルテルのカネと情報の破壊だけだ」


「上手くいくとはハスミン思えませんが・・・・・・」


「上手くいかせるんだ」


「仮に・・・・・・すべて順調にいったとして、見つけたあとはどうするのです?」


「ケティが保管場所の設計を見極め、それに合わせた爆弾をその場で仕掛ける」


“どうせこえー妹分からツッコミ入るだろうから、先手を打っておくけどな・・・・・・データの破壊だけが目的ってなら、素直にぶっ飛ばすより燃やした方が良さそうだぜ。持ち込む資材も少なくて済むだろうし。

 けどこの船の前例を見るに、保管場所には消火装置がもちろん常備されてるだろうぜ。

 特製のナパームジェリーなら、一度火をつけてやりゃあ消火剤ひっ被っても消せやしねえだろうが・・・・・・問題は、そいつを撒くなり流し込むなのがそう簡単にいくかってことだぜ。

 スタジアムの再整備にあわせて、どうしてか銀行に大金庫を下ろしてるような会社と、ダミーカンパニーを介してカルテルはデカい買い物をしてる”


「つまりは金庫破りの必要があるということですね」


“それか金庫を囲ってる防護壁に穴を開けなきゃ、必要になる爆弾の量は倍じゃ済まなくなるだろうぜ。

 5人じゃまず持ち込めない量になるのは間違いないぜ”


「見つけたとしても、キチンと破壊するためには聴診器を当てるなりして、まず金庫を開けなくてはならない。

 兄さんたちにそんな繊細なことが出来るとは、ハスミンとうてい信じられません・・・・・・」


“まあ聴診器とか、映画でよく見かけはするけど今どき通用するか分かんねえし、アタシのスタイルならもち爆破だな”


「金庫の中身を爆破するために、まず金庫そのものを爆破する必要がある・・・・・・それはあんまりでは」


“うん、貫通爆弾と焼却用の爆弾は、だいぶジャンル違うけど、そういうことになんな。

 んでまあ、ここで再びなんだけどよぅ・・・・・・爆音で敵の注意をひいちまうのは間違いないんだぜ。一発目で穴を開けて、次のを仕掛けてる間中、防戦の必要があるのはまず間違いねえ”


 ケティが言いたいのは、爆破する組はまず決死隊になるということで、能力的に俺が守り、ケティが仕掛けるという形にならざるおえないという事だろう。


「・・・・・・」


 ハスミンもそれを察してる。だがあえて黙し、別方面から攻めようとしていた。


 俺は死に場所を求めてる。そのことをハスミンは薄々、察している。


「・・・・・・イコール爆弾の量もまた、壁の厚みにあわせて増えるということですね。具体的にはどのくらい必要なりそうですかケティねえ?」


“あー、余裕をもって100キロ単位。だって保管場所がある以上のことしか分かんねえだもん。壁の材質が鉄筋入りのコンクリか、はたまた金属かで対応の仕方はがらりと変わるもん”


「警戒厳重な施設に潜り込んで、警備員に見つからなぬよううまく立ち回りつつ隠し区画を探し、そこから更に爆弾の材料を大量に運び込む・・・・・・これだけでもハスミン、無理ゲーという言葉が脳裏をよぎるのに、そこから更に一から爆弾を組み立て、起爆し、そして脱出するのですか?」


「どうにかなる」


「・・・・・・兄さん、その言葉をハスミンは、どうにもならなかった時のことを想定してないだけに聞こえます」


“いいニュースもあるんだぜ?

 カルテルの隠し保管庫が西か、それか東か南か北にあるせよ、どれも物質搬入口に隣接してるはずだからトラックに材料詰め込んで乗りつけてやりぁ、ちっとは楽に運び込めそうなんだぜ”


 手話だというのに、よくまあこうも器用に棒読みを演出できるものだ。昔からケティは器用だったが、今日はその針が振り切れてるらしい。


 ケティの飾らなすぎる説明に、場に不安が渦巻いていくのが感じられた。ハスミンの語調が強くなっていく。


「場所のあたりはついてるって・・・・・・」


 どうせ不安を完全に払拭するのは不可能なのだ。生まれながらにして世界から見放され、追い詰められてる俺たちに真の安全なんてない。


 状況を打開するためにいずれリスクを取るしかなくなる。そのことを俺は説明しようした。まだ詰んではいないと。


「だから、移動の便がいい通用口の近くだ。

 確かにスタジアムの搬入口は四方にあるが、カネなんて重要物を運び込めるのはこの西口だけだ。他はホットドックなんかの具材やチームのための専用路、検討には値しない。

 警備B.S.S.を騙して潜り込むための算段もある」


“つっても兄貴、標的はスタジアムなんだぜ? 円形の建物に沿って、施設はどこもループ状に繋がってやがる。

 施設の裏っ側の情報が欠けてるからいまいち詳細は分かんねえけど、この前やってたテレビ局の取材あったろ? 実はあれにゴルフカートぽい屋内用の資材運搬車がちらっと映ってやがったんだ。あれを使えば、簡単にスタジアム中にくっそ重い札束を移動させることができるだろうさ。

 そもそも普通の企業のフリをするのがカリ・カルテルの昔っからの得意わざなんだぜ。堂々とカネを移していても驚かねえ。

 実際、このスタジアムの運営にはなんも知らねえ一般人も大勢、関わってやがるし・・・・・・”


「ケティ、何が言いたい」


“だからさ、カルテルの人間だけで固めず、カタギの一般職員まで一緒にスタジアムで働かせてんだ。素人さんに気づかれないよう、保管庫はそうとう上手く隠されてるだろうぜ。

 仮に職員用の区画に侵入できたとしてもだぜ? そうそう簡単にお目当てのものが見つかるとはアタシには思えねえ。ましてや見つけた場所に腰据えて、悠長に爆弾作ってる暇なんてあるかどうか・・・・・・”


「情報不足も、リスクも、どっちも承知のうえだ」


“ついでっていうか、もうトドメって感じだけどよう・・・・・・再開発で外面は今風のデザインにこそなっちゃいるが、このスタジアムって元は伝統的な古臭えレンガ建築なんだよな。

 その上に違法建築ギリギリって感じで建て増しされてるから、内部はやたら複雑で入り組んでやがる。

 改装工事に合わせて図面を逐一アップデートなんかしちゃいねえだろうし、役所に届け出されたこの青写真もどこまで信用できるか・・・・・・スタジアムの足元にどでっかい地下世界が広がっててもアタシは驚かないぜ?”


「・・・・・・戦うのは好きだろケティ?」


 いつもは荒事となれば、俺が止めても好き好んで鉄火場に飛び込んでいくケティが、今回ばかりは異様なまでに消極的だった。


 これまではいかに手綱を握るか苦労してきたのに、今の俺は逆に、ケティの闘争心を呼び覚まそうと苦労していた。


“あたぼうだぜ。何ならボロ雑巾みたくズタボロになって、スタジアムでおっ死んだってアタシは構わないんだ。アニキが一緒なら・・・・・・むしろ望むところだぜ”


「なら、不満はないだろう」


“この計画が上手くいくとは到底思えねえってのは、アタシ的には別にどうだって良い。気になってんのは、成功した時のことなんだぜ。

 保管庫の材質も広さも分かんねえ以上、周りに被害を与えないようギリギリの爆発力で調合するなんて、いくらアタシ級の腕でもムリな相談なんだぜ。

 そんでスタジアムの管理施設はどこも観客席の下にある・・・・・・爆風は、上に抜ける性質があるってことを知らないとは言わせないぜアニキ・・・・・・”


「可能性の話だ。どこにあるかはまだ確定してない」


“そうだぜ? 決行日はサッカーの試合の真っ最中だから観客席はもち満員、数百人単位で爆殺しちまうかもってのも可能性だぜ。

 アタシらが下手こいてB.S.S.と銃撃戦になった時、観客もまず確実に巻き込まれるだろうなってのも単なる可能性さ”


「・・・・・・」


“女と子どもはナシ。殺して良いのは、カルテルと政府の犬だけ。そう言ったのはアニキの方だぜ・・・・・・”


 ケティが俺を責めているのは、これまで守ってきたささやかな掟を破ろうとしている事への反発のようだった。


 カルテルに気づかれずに保管庫を見つけられる可能性は万にひとつもない。そこから爆弾を仕掛けるのは更に至難のわざだ。


 いずれかのタイミングでこの場にいる誰かが敵に気づかれ、危険から脱するために銃撃戦をやらかすというのが、もっともありえそうな展開だった。


 ガキどもを戦列に加えて、無数の観客を巻きこむ殺し合いを演じる。これまで避けてきたことをすべてやらかそうとしていた。


 奇妙なもので、無法者ほど掟にこだわる人種もいない。あのザスカーさえもそうだ。


 ルールに従わない無法者を気取っておきながら、犯罪者というのはそのルールの虜だ、一線を引くことで自分の中にあるなにかを守ろうとしている。もっともその“何か”というやつが人によって千差万別だからこそ、俺たちは無法者デスペラードなんかに身を落としたのかもしれないが。 


 法律より自らを優先するからこそ、人は犯罪者になる。


 モンドラゴン・ファミリアはそのものずばり家族経営で成り立ってる。イタリアン・マフィアもそう、日本のヤクザも、自分たちのボスのことを親父なんて呼んでいるそうだ。俺の知るかぎり、国を跨いでも成功した犯罪組織というのはどこも家族主義が顔を出してくる。


 例外があるとしたら、まるで企業のように互いの関係性が希薄なカリぐらいのものだ。そのカリにしたって、現場レベルでは話が変わってくる。


 仲間は裏切るな。これはカリでも絶対だ。


 社会に背を向けても、家族ファミリアはそうもいかない。血の繋がりなんてない俺たちですら、兄貴だ兄さんだといつの間にか家族ごっこを演じてる。いつもは突っ張ってるケティですら、俺をアニキなどと呼んで、その仲間に入ることを内心では楽しんでいたのだろう。


“それにさ・・・・・・アタシが死ぬのは、これまで好き勝手やってきた自業自得ってもんだ。でもコイツらも計画に加えんのは、アタシはやっぱ嫌だぜ・・・・・・”


 だからこそ、ケティがこの計画を嫌がってる本当の理由はただそれだけなのだろう。家族を犠牲にしてでも、自分だけは生き延びる。そこまでケティは外道になりきれない――俺とは違って。


 トラソルテオトルの在り方は、すべてにおいて恐怖に彩られていた。


 血と暴力だけを動機として回っている、死の歯車。ろくでもないことをしてきた、ろくでもない場所である自覚もある。だがここは確かに俺の家で、ここには疑似家族があった。


 俗っぽい見方だが、どんな冷酷な殺人鬼にも家族がいる。行いに関わりなく喜怒哀楽があり、時には安心感も抱くのだ。


 トラソルテオトルの支配者。ロシア人の教官たちを従え、科学者どもに指示を出し、この船のすべてを統括していた“ママ”と名乗っていた女――彼女の“ママ”という呼び名を、俺たち兄弟カルナルは本気にしていた。その感情に彼女もまた応えていたと思う。


 ほんのわずかな時間だが、確かにこの船には本物の家族が居た。それを全員の頭に銃弾を撃ち込むことで破壊したのは俺なのだ。


 だから俺は、この場に混じることはできない。家族を裏切るようなベスティアに本来なら居場所などないのだ。だが結果的に、自分の身勝手で俺はこいつらを助けてしまった。その責任を取らなければならない。


 ケティにとってガキども救うのは仲間意識の現れ。だが俺は自分自身の贖罪リデンシオンのために戦い・・・・・・コイツらを利用している、エゴイスティックで薄汚いシカリオにすぎないのだ。


「じゃあどうする? このまま手をこまねいて、あのリボルバー・ザスカーが仕掛けてくるまでこの船に立て篭りつづけるのか?」


“そうは言ってねえよ。ほらアタシと兄貴が仕掛けた例の装置デバイスを使えば、街から逃げ出すぐらいならできるだろ”


「そうだな。そのものずばり、その目的のために仕掛けた装置デバイスなんだから。

 だがその後は? 中米からメキシコ、国境の壁を越えてアメリカへ。長い道のりを無一文で逃げ回ることになるんだぞ。

 街中の監視網については、あの装置デバイスを使えば誤魔化すことはできるだろう。だがその先まで影響力を与えられるほど、あれは優れた装置じゃない。

 無一文の俺たちには、カルテルの追っ手どもを上回るほどの“足”は買えない。だったらカルテルの行動力を削ぐのが一番、合理的だ」


「それがどれほど無謀な計画であってもですか、兄さん」


 苦々しさを隠さず、呟くようにハスミンが言った。


「・・・・・・そうだな。もしかしたら、もっと良い選択肢があるのかもしれない。

 だが俺はシカリオだ。殺しと破壊以外のことは俺にはできない」


 そう生まれ、そう死んでいくことに、誰よりも自分が納得していた。

 

「だからこれが俺が絞り出せる最善のプランだ。加わらなくてもいい、強制はしない。俺は1人でもやる」


 そう宣言すると、あたりに深い沈黙がおりてきた。


 社会との繋がりのない子どもには、状況に流されることしかできない。選択肢などないのだ。コイツらに最大の悲劇があるとしたら、頼るだけの知識と経験を持っているのが俺だけだったという事実かもしれない。


 もしハスミンが俺ぐらいの歳で、かつ教育を受ける機会があったなら――まあ、そうだったら、そもそもこの船には来てないだろうが――俺はすぐにでも、リーダーの座なんてものをハスミンに譲っていたろう。


 だがどれほど大人びていようとも、なんやかんやハスミンもまだガキに過ぎない。低い背丈相応にしか世の中を見渡せてない。


 手段を選んでなんかいられない。犠牲を覚悟しなければ何も成し遂げられない、その人生の過酷さをハスミンはまだ認められていない。


 皆の顔を最後に見渡した。ケティ、ベネ、バウティスタとカロリナ、そしてハスミン。誰もが押し黙り、それが自然と無言の肯定へと変わっていく。対案なんてあるはずもないのだ。


「他に選択肢はない」


 ここの何人か、おそらく全員にとって死刑宣告に等しい言葉を俺は告げた。


 それで終わりのはずだった。あとは万全を期すために計画を詰め、準備を重ねていくだけだ。時間が無いのだ、寝てる暇すらないだろう。


 だがそこに甲高いのに奇妙に柔らかい、不思議な声音をした、居なくなったはずの女の声が響いてきたのだ。


「選択肢はまだありますよ、ノルさん」


 サーバルームの奥から聞こえてきたその声に、俺は――




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る