XXI “分断”

【“テッサ”――MSCトラソルテオトル・甲板】


「悪い癖ですよ、それって」


 風に流れてくる紫煙の匂いを辿ってみれば、甲板の安全柵に上半身をもたせかけているノルさんの姿はすぐ見つかりました。


 野球のスタジアムを思わせるコンテナヤードの照明塔が、優しいオレンジの光で左舷甲板全体を照らし出していて、黄昏てるノルさんのシルエットを強調してます。


 あいも変わらずセクシーなチャイナドレス姿でしたが、きっと頭を冷やすために顔を洗って、その拍子に化粧が落ちてしまったみたい。化粧は人を変えるもの、性別すら偽れる。


 ショートカットな地毛は剥き出し、あのチャイナドレスな特徴的なデザインである不自然なほど大きな襟は、どうやら喉仏の膨らみを隠すためのものだったみたい。今は蒸し暑さに耐えるためか襟元が大きく開けられてます。


 肩幅の広さはてっきりスポーツ・“ウーマン”だからだと思ってたんですが、とんだ勘違いでしたね。今となってはどうしてそう思い込んでいたのか不思議なほど、黄昏るノルさんは男の子にし見えませんでした。


「そこで何してる・・・・・・」


「タバコは健康に悪いですよ?」


「そんなヌルい説教をかますために、わざわざ船に残ったのか?」


 あの女性モードの時を思えばらしくない口調。あるいはこの気だるく、アンニュイすぎる態度が、ノルさんの本来の姿なのかもしれません。


 わたしは言いました。


「184万ドルの謎が解けましたよ」


「・・・・・・」


 本棚を見ればその人の性格が分かるといいますが、わたしは現代であればこれは、ブラウザのブックマークに置き換わっていると考えてました。


 嘘から出た真ではありませんけど、わたしはケティさんに断ったとおり、まずはメリッサへEメールを送りました。絶対にわたしだと確信できる署名を添えて。


 文面は要約しますと、心配無用ですとだけ送ってみたところ・・・・・・ほんの一分足らずで怒涛の長文メールが返信されてきました。怒り、嘆き、ブチ切れなど感情の百面相を、よくああまで文章だけで表現できるものだと、ちょっと感心してしまうぐらい。


 締めの言葉はヤンさんと同じく、いいからこっちに帰ってこい。なんとアメリカ行きの航空券を予約した旨まで書かれてて、なんとも申し訳ない気持ちになったものです。


 そのあと、わたしは調べ物をしてみました。具体的にはブックマークされたサイトの中身をちょっと覗き見してみたのです。とんだプライバシーの侵害、褒められた行為じゃありませんが、登録されていた内容からしてケティさんもノルさんも、コンピューターを私用では使ってなかったみたい。


 あの2人にとってPCはあくまで仕事道具。そこで得た情報を、わたしはノルさんにひけらかしていきました。


「メキシコからアメリカへの密入国を斡旋している業者は、俗にコヨーテと呼ばれているそうですね。

 これらの業者のほとんどはカルテルが裏で糸を引いており、規制や、価値観の変化によって売上が鈍化しつつある麻薬産業とは裏腹に、増加兆候にある不法移民たちをターゲットにして近年、急成長を遂げつつある」


 ノルさんがため息をついて、隣に立つわたしに批判するような目を向けてきました。


「その文面、読んだ覚えがあるな。記事の内容を自分の考えみたいに言うな」


「そんなつもりありませんよ。これは引用というものです」


 あのブックマークされた無数の記事からして、ノルさんはインターネットを使って国境を越える方法を探っていたようなのです。


「費用はピンからキリまでだそうですけど、伸るか反るかの最低額で1人あたり1000ドル。信頼と実績のある手堅い業者に頼むのなら7万ドルは必要になるそうですね。そしてこの船にはハスミンちゃんによれば、12人の子どもたちがいる」


「・・・・・・」


「12×7の答えは――84万ドル。

 過酷なメキシコの砂漠を渡ることになる密入国、この試練は毎年おおくの不法移民たちの命を奪い去っている。大人でも厳しいなら、子どもの体力でしたら尚更でしょう。

 そしてあなた達には他にも、カルテルの息が掛かっていないコヨーテに仕事を頼まなければならないという特殊な事情も持ち合わせている。ですから1人あたり7万ドルなんて、最上級の旅費を用意する必要があった。

 でも分からないのは残りの100万ドルの方だわ。あれは国境を越えたあとの諸経費として使うおつもりだったんですか?」


 むっつりと、黙りこくったままノルさんはタバコを吸っている。答えてくれないかもしれない。彼には、そんな義理はないのですから。


 ですが辛抱強く待っていますと、ノルさんが口を開いていく。


「孤児とシカリオに、隠し口座ですら開設できやしない。となると、国境まで現金を持ち歩くしかなくなるが、大金というのはいろいろな面倒事を引き寄せるものだ」


 コロンビアからメキシコを目指すとなると、中米をまるまる横断することになります。道のりは厳しいでしょうが、これまで先人である難民の皆さんがルートを確立してくれたため、道に迷うことはないそう。


 ですが、ただでさえ移民をしなければならないほど追い詰められた人々に混ざることになるのです。弱者につけ込み、金品を巻き上げようとするギャングたちだけでなく、同じ道を旅するほかの移民たちも警戒しなければならない。


 自分で自分の身を守れない子どもたちが大金を抱えている。いくらノルさんやケティさんといった護衛が居ても、その危険性は簡単に想像がつきます。


 ですから少なすぎず大きすぎない金額が必要だった。そういうことみたい。


「アメリカへ密入国するのためのルートには昔ちょっと縁があってな。もしかしたらまだ農場のあのルートが残ってるかもしれないが、それが駄目だったら、リスク承知であの84万ドルを使って業者を探すつもりだった・・・・・・もう過去形だがな」


「それならキリ良く1人当たり10万ドルにすれば良かったのに」


 そう言いますと、ノルさんは思いつかなかったとでも言いたげな顔をされる。

 

 やはりこの船は、純粋な兵隊だけを育成していたのでしょう。作戦を組み立てる思考能力なんてまったく求めず、忠実に任務をこなす忠誠心だけを求めていた。


 だからノルさんは記事に書いてあった7万ドルという数字を鵜呑みにして、杓子定規に考えてしまった。彼の融通の効かなさは、わたしの狂言誘拐を無理やり進めていったことにも表れている。


「それでは、100万ドルの方は?」


「・・・・・・3ヶ月後に、ビューティフル・ワールド号という船が入港してくる」


「ビューティフル・ワールド号?」


「トラソルテオトルの調達屋だ。もろもろの補給物資を積んで、定期的に運び込んでくれる。表のルートからでは入手困難な最新医療機器やら、こちらが要望を出したさまざまな人種や年齢の“実験台”までも、なんでもござれでな」


 自分の顔が嫌悪で歪むのが分かりました。


「それって、奴隷業者ってことじゃないですか」


「当人たちは何でも屋を自称してる。ルーマニアや東南アジアの業者と懇意にしてる、な」


「・・・・・・そんな仕事をしておきながらビューティフル・ワールド号と名乗るなんて、その船の船長さんは、よほど歪んだユーモアの持ち主のようですね」


「俺は無理だとそう言った。自分たちだけでも手一杯なのに、100万ドルの値がついてる次の荷を受け取るなんて、とてもじゃないがそんな余裕はない。だがハスミンが言い張ったんだ、助けないとってな」


 厳しい態度をよく取っていた片目片足の少女でしたが、それ以上に彼女は、優しいのでしょう。だって彼女はずっと穏便に事態が収まるよう、ずっとわたしを助けてくれていたのですから。


「政府は頼りにならない。民間のNGOだって似たようなものだろうが、それでも100万ドルの大金と一緒にビューティフル・ワールド号との取り引きの詳細について送ってやれば、それなりに真剣に検討はしてくれるだろう。

 NGOの連中が自称している通りの組織なら、目的は正義の実現じゃなくて、ガキどもの救出のはずなんだから。

 下手に正義感にかぶれた警官なんかに話が行ったら、強制捜査からの流血の惨事っていうお定まりの展開になるのは目に見えてる。この国では、検挙と大量虐殺はいつだってワンセットだ」


 ブックマークされたものの中に、強引なやり方で物議を醸しているNGO団体の記事があったことを思い出す。目的のためなら手段を選ばない、そのせいで余計な敵を作ってそうな団体でした。


 確かに彼らなら、トラソルテオトル側の使者のフリをしてお金を支払うぐらいはしそうです。ビューティフル・ワールド号側も怪しむかもしれませんが、いつまでも余剰在庫にすぎない子どもたちを抱えているぐらいなら、素直に売り払うはず。


 確かにこういう非合法なやり口、子どもたちの安全のためなら一番確実でしょうけど、警察だとやり辛いでしょうね。


 法律という足かせは、暴力機関でもある警察を律するためには必須条件です。しかしそれが、時に問題への対処能力を下げてしまう要因になっている。


 軍隊だってそう。だからこそ、超法規的な武力集団としてミスリルが誕生したのですが・・・・・・。


「・・・・・・あの子は、ハスミンちゃんは優しい子ですね」


 わたしの心からの吐露。ノルさんもきっと同じ気持ちであると、そう思ってました。ですがどうしてか、彼の眼差しに厳しいものが急に混ざりだし、わたしは戸惑ってしまった。


 ノルさんが言い放つ。


「違う。ハスミンは、俺やお前なんかと違って覚悟があるだけだ」


 ピンと、吸いかけのタバコを波間へと放っていくノルさんの雰囲気は、先ほどから様変わりしてました。まるで何か、気に障ることでも言われたように。


「ここで何してる?」


 先ほどとまったく同じ質問なのに、詰問口調に変わってました。


 態度の豹変ぶりには、ちょっと動揺はします。ですがこの反応そのものは予想通り。ノルさんの方からすれば、お節介な女に苛立ちを感じたくもなるでしょう。


 ですがわたしがしたいお話は、まだ本題に足を踏み入れてもいないのです。ノルさんの脱出計画以外にもわたしは、インターネットという情報の海を漂うことによって――この船の真相に近いものにまで達していたのです。


「落ち着いて聞いてくださいノルさん。最初は、信じがたいかもしれませんけど・・・・・・この情報は、あなただけでなく、きっと子どもたちを助けることに繋がるとわたしは確信して――」


 わたしの言葉はノルさんによって強引に断ち切られてしまった。


「あっ!!」


 肩を掴まれ、壁際に押し込まれてしまう。


「そんなことは聞いていない。俺が訪ねてるのは、テレサ=テスタロッサという女の動機だ」


「・・・・・・わたしの、動機?」


「そうだ。何が欲しいんだ」


 肩は掴まれたままですが、そこに痛みはありません。力でどうこうというのは、ノルさんの望む所ではないのでしょう。


 わたしを圧しているのは、彼の言葉の迫力だけでした。


「わたしは欲しい物なんて・・・・・・」


「誰にだってあるさ。物質的なものだけじゃない、感情だって報酬としては十分すぎる。

 この船に連れてこられると、まず選定の儀式イニシエーションが開かれるのは知ってるか? 相手はどうせ無学なガキだから小難しい内容じゃない。

 ルールは簡単。教官たちが引きずってきたどこぞから拉致られた捕虜コントラを殺せば、この船の仲間入りだ」


「あなたたちは、そんなことを強制されたんですか?」


 子どもたちに課せられた非道。わたしのこみ上げてくる怒りを、ノルさんは鼻で笑い飛ばす。


「強制? まさか、そんな必要があるもんか。

 自分の息子をサンドバッグ程度にしか考えてない父親と、コカイン以外はどうでもいい母親のもとで生まれれば、人生の道筋なんて自ずと決まる。

 強制なんて必要ない、あれはチャンスだった。これからも誰かに踏みつけられながら生きるか、それとも――踏みつける側に回るか。

 人間扱いされずに上等な文明社会とやらの底辺で朽ち果てていくぐらいなら、血と暴力の国でロボとして生きる方がよほど人間らしく生きられる」


「・・・・・・それはノルさんが考えついた人生哲学なんですか? それともこの船の誰かに吹き込まれたもの?」


「・・・・・・全員に選択が委ねられた。ほとんどの奴にとって、生まれてはじめて自分が選べる選択肢だった。

 俺は選んだ。他にも俺とおなじ道を選んだ奴らは兄弟カルナルとなって、共に訓練を受けた。

 もちろん選べなかった奴らもいる。そういった奴らのほとんどはそのままされたが、時には科学者連中が上手くやって、こっちに合流してくることもあった。

 シカリオとしての仕事は、ほとんどがろくでもないものだった。だがこの船には兄弟カルナルがいた・・・・・・血よりも濃い、本物の家族が」


「その定義からすれば、ハスミンちゃんは処理される側だったはずだわ。それなのに彼女はまだ生きている」


「だから言ったろう? アイツには俺たちにない覚悟があるって」


 ノルさんの手がわたしの肩から離れていきました。しばし黙り、考え込むように宙を仰ぐ彼。


「さっきのイニシエーションだが、あれには3つ目の選択肢があった。加わるか、加わらないか、それとも知ったことかと真っ向から拒否するか」


「ハスミンちゃんはその3つ目を選んだのね」


「俺は選んだ、それは確かだ。だが自由とはいえ選択肢は実質的に2つしかなかった。それすらも錯覚だった訳だが。

 俺は流されることしか知らない。だがそれで満足してる、たった2つの選択肢しか示さなくても、“ママ”は初めて俺に人生をくれたんだ」


「・・・・・・ごめんなさい、その“ママ”というのは」


 ノルさんは、実の母親に愛情を抱いているとは思えません。なのに“ママ”という名前を言の葉にのせるたび、どこか懐かしそうにするのです。


 夜闇のせいで、蛍光塗料で彫り込まれた右腕のタトゥー、サンタ・ムエルテが燐光を放ちはじめている。その腕をノルさんは追憶するように撫でていく。


「“ママ”は、この船の支配者だった。彼女がはじめたんだ、この船の何もかもを」


 訳が分かりませんでした。


 この悪魔的な船を産み落とし、そして管理していたはずの人物。そんな相手を口にする時だけは、ノルさんは穏やかな空気を身にまとうのです。


「潜水艦の艦長だったって?」


「・・・・・・はい」


「ありえないとそう言いたい所だが、もっとイカれた前歴の奴らを大勢知っているからな。

 あの軍事知識や冷徹すぎる判断能力もそれなら納得だ。それに比べたら容姿や性別なんて些細なことだ。そんな奴が無策で船に残ったりはしない、何か秘策があるんだろう、違うか?」


「・・・・・・やっと話を聞いてくれる気になったんですね」


「いや、その前にちょっとしたゲームをこなしてもらう。それさえ乗り越えられれば、話を聞いてやってもいい」


 いつもとはまるで異なる、とても雑な引き抜き方でノルさんは、PSSピストルを手の中に収めていきました。


「こいつには弾が入っていない。引き金をひいても、誰も死にはしない」


 手品のルールを説明するように、ノルさんは手の中の拳銃をわたしに見せつけてから、無造作に自分のこめかみに向けて銃口を突きつけたのです。


「やめなさい!! わたしの覚悟を問うなら、その銃口を向けるのはわたしに向けなさい!!」


「何も分かってないな。それがお前の動機のすべてで、同時に欠点でもある――優し過ぎるんだよテッサは。

 度し難いほどのお人好し、お前の中の動機はそれしかない」


「あなたが死んだら、子どもたちはどうなるんです」


「俺を、可哀想な子どもたちを助けようとしてるヒーローだとでも? 大間違いだなテッサ。俺が今まで何人のガキどもを樽に収めて溶かしてきたと思ってる」


「っ!!・・・・・・でも、望んだことじゃないはずだわ。その“ママ”という女性に無理やり」


「彼女が示したのは選択肢だけだ。あの選択をする前だったら、俺もハスミンのように気高く死ねたかもしれない。

 だがもう手遅れだ。俺は選んだ、その選択こそが俺の生きる道だった。俺は無法者デスペラードだ、それらしく生き、そして惨めったらしく死ぬ」

 

「あなたもあの子たちと同じ、被害者です」


「一度、ニューヨークに行ったことがある。そこに住んでるんだろ?

 カルテルは絶対に裏切り者を容赦しない。地の果てまで追いかけて殺す、そこに来るとニューヨークだって例外じゃない。

 そこの一軒家に忍び込んだんだ。セキュリティはしっかりしてたが、護衛の影も形もない楽な標的だった。銃は持っていかなかった、持っていくなと言われたからな。

 新聞で見たことないか? 夫も、女房も、2人の子どもも、マチェーテで切り刻んでからベットに並べた。そうとも、カルテルはどこまでも追ってくる」


「・・・・・・」


「逃げようと試してはみたが、それも失敗だ。となれば後はもう戦うしかない。殺し殺されマターロ・オ・セ・マタードがこの土地の流儀なのさ」


 冷たい引き金の音色が、波の音よりもずっと甲高く耳に残っていく。


 銃声は・・・・・・鳴りませんでした。ですがその結末を見せつけられても、わたしにはこのノルさんのゲームが、単なるブラフであったかどうか分からずにいました。


 だって、拳銃のハンマー部分に指を挟み込めば、引き金を引いたとしても弾丸の発射を阻止することができるのですから。


 咄嗟に伸ばしたわたしの親指がズキズキと痛みました。ちょっと赤く腫れている、こんな軽い痛みに耐えるだけで、PSSピストルの弾づまりを起こしてしまった。


「・・・・・・優しすぎるんだよ、テッサは」


 “だから言っただろう?” 声はもちろん、表情にだってノルさんはそんな言葉を示したりはしませんでした。でもわたしには、そう言われた気がしてなりませんでした。


 ゆっくりとノルさんは、PSSピストルに挟まれたわたしの指を引き剥がし、ホルスターに拳銃をしまい込んでいきました。


「ただ優しいだけ。そんな覚悟じゃ、本物のベスティアと戦うことなんてできやしない。だって、ここは獣の国なんだから」


 失敗でした。


 わたしは彼に覚悟を示すことができなかった。いえ、そもそもそんな物がはじめから合ったのだろうかと自問自答してしまう。


 かつてトゥアトゥアハー・デ・ダナンを指揮していた頃の自分であれば、このノルさんのゲームを攻略することだって・・・・・・いえ、本当の所はどうだったのかしら。


 当時のわたしだって、本当の意味で覚悟があったのでしょうか。大勢の人たちに守られて、はじめてテレサ=テスタロッサという指揮官は成立していた気がします。


 ウィスパード、あの問題についてわたしは逃れることができませんでした。ノルさんが土地に縛られているように、わたしはウィスパードという生まれに縛られていた。


 ですが、わたしはやはりこの土地においては部外者なのです。自分とは、なんの縁もゆかりもない問題。そして確実に人の生死が関わる問題。そこに首を突っ込むには、並大抵ではない覚悟がいる。


 それこそ、片目と片足を失ってでも我を通す、ハスミンちゃんのような覚悟が。


 失敗じゃないわ・・・・・・わたしは、ノルさんのゲームに負けたのです。


「家に帰れ」


 慰めるでも突き放すでもなく、ただ無感動にノルさんはそうわたしに宣告しました。


「人が人でいられることが保証されてる世界に。ここは俺のようなロボが住む世界であって、テッサのじゃない」


 少しばかり赤く腫れた指をさする。今のわたしに、すぐ横を通り過ぎて船内へと戻っていくノルさんを呼び止めるなんて、できやしませんでした。


 わたしはいつだって半端物で、軍人にも民間人にもなれず、戦争にも平和のどちらにも馴染めないのだと、ずっと心に引っかかってきた疑問がまた鎌首をもたげてきました。


 もしかしたら、わたしは自分の居場所を作るために、この船の子どもたちの窮状を利用しようとしていたのではないかという、浅ましい疑問が。


「大佐殿、時間です」


 ずっと影に隠れていたヤンさんが姿を現しました。


 調べ物で得ることのできた情報をせめてノルさんと共有したい。そんな、今となっては本音だったのか、それとも言い訳だったのか分からないわたしの我儘に、この義理堅い元部下の男性は付き合ってくれていたのです。


 ですがもうタイムオーバー。メリッサにわたしを無事ニューヨークに帰すと約束した彼は、その当のメリッサが予約したばかりの朝一に出発する飛行機のもとまで、わたしを連れて行こうとしていました。


 手は差し伸べた、でも必要ないと跳ね除けられてしまった時、たかが異国人である自分になにができるのでしょうか? 戦士にも銃後の民間人にもなれない、半端者のわたしなんかに・・・・・・。


 







【“マオ”――ニューヨーク・ラガーディア空港】


 チラチラとあたしの顔を窺っては、まだ朝早い空港のターミナルを行き交う老若男女どもは、足早に逃げ去っていった。


 ああ、ああ、そうでしょうとも。イライラを隠しもせず足踏みしてる不機嫌女になんて、誰だって近づきたくないに決まってるもの。


 あたしだってこんな世間迷惑な女に近づくことはおろか、視界の端にだって収めたくはない。その気持はよく分かるし、同時に申し訳なくも感じてる。だけどちょっと待って欲しい、これには深ーーーい理由があるのだった。


 具体的にいうとね、ここ数日まともに寝てないのよこちとらは。


 会社設立のための諸々の事務作業をこなす傍ら、ぐんぐん大きくなる可愛い娘の世話を焼く。これだけでもとんだ過重労働ってもんよ。


 病めるときも健やかなるときも共に働け!! なーんて契約したはずのあのパツキンの宿六ときたら、当初こそなんでも頼ってくれ、なんて調子いいこと吹かしてたくせして、用事があるとかでもう3ヶ月も家を開けていた。


 お陰であたしは1人で全部こなす羽目になっていた。


 あんのろくでなしめ・・・・・・そう呪いたくなるのも山々だけど、家族サービスを忘れない姿勢だけは褒めてあげる。


 その用事とやらで訪れた国々のポストカードを律儀に毎週送ってきては、そのキレイな絵柄でわれらが愛娘ことクララを夢中にさせている。今日来るか、明日来るかと、毎朝欠かさずあたしと一緒にマンションの郵便ポストをチェックしにいくあの姿は、なんとも微笑ましくてたまらない。


 だけどあたしみたいにね? 心が薄汚れちゃうと、ガザの大ピラミッドが描かれたポストカードの消印がどうしたことか南米はペルーになってることに目ざとく気付いてしまうものなのだ。


 フォトショップって文明の利器に目覚めると、人間こういう小賢しい真似をするようになるらしい。古い友人との借りがどうたらと言い訳こいてたけど、どうにもあの宿六、なにか裏でやらかしているみたいだ。


 うん、まあ、あの馬鹿についてはいいのだ。どうせ殺しても死なないゴキブリのような生命力の持ち主なのだから。問題は、もっと繊細なあの子のことだった。


 喫煙3日目なみのイライラ感。タップダンサーより激しく足踏みしてみたところで、コロンビア発ニューヨーク行きの便が早く到着するわけがない。なのにどうしてもやめられないのだ。


 電光掲示板によれば、ほんのあと10分ほどであのぽやぽや娘は帰ってくると分かってはいるのだけど、この目で顔を見るまで落ち着けない。


 宿六はペルー、あたしの妹分はコロンビアと、ここ最近の我が家はどうにも南米に祟られてるらしい。よりにもよって治安が氷点下以下な危険地帯で行方不明になるなんて、冗談にも程があるわ。


 ヤンの奴に出した護衛の依頼が、リアルタイムに届く現地からの情報によって、いつの間にやら捜索依頼へと変わっていったあの時の胃の痛さときたらない。


 それからあたしはあらゆるコネに連絡して、ギリギリと現地からの連絡をPC睨みつけながら待ち続けた。あの時間は最低だった。


 ミスリル時代、昇進の機会はなんどもあったけど、ずっと下士官に留まりつづけた理由がこれだ。自分が死ぬよりも、周りの部下たちが自分のミスのせいで死ぬほうがずっと辛い。


 だけど終わりはあっさり訪れた。


 それまでの長い沈黙から一転、ちょっと心配かけさせてしまったかもなんて、軽い調子のメールが届いたときのあの脱力感。あんな経験、滅多にできない。二度としたくもない。


 もともとこう豪胆さと無神経さが同居してる娘だったけどね? ちょっと誘拐されてましたけど大丈夫なんて、どの口で叩けるのよと思ったもんよ・・・・・・とにかく帰ってきなさいって、航空券を手配してやったのが昨日のことだった。


 これにてハッピーエンド、放蕩娘はかくて家路についたーって、まとめたいのは山々なんだけど・・・・・・どうしたことか、でしたからこの会社について調べてくれませんかなんて、軽いノリして謎のオーダーを飛ばしてくるのだからたまった物じゃない。


 お陰で結局、徹夜だ。何なのよこのキャッスル・フルーツ・カンパニーって会社は?


 集めた資料を分別もせずにメールに添付して、あとはあの子が上手くやるでしょうと背伸びした。ヤンと合流して安全は確保されてるというし、あの子は気まぐれで行動したりしないことは、誰よりもあたしが一番良く知っている。


 だけど・・・・・・そこからが面倒だった。


 コロンビアで発布したばかりのはた迷惑な銀髪迷子の捜索依頼を、関係各所に頭を下げながら取り消すのがとにかく大変で、大変で・・・・・・これでさる筋に頼んでおいた、空挺オール・アメリカンズ仕様のM6と空輸用のC-141輸送機も無駄になってしまった。


 まあそれはいいのだ。戦争屋界隈じゃ、無駄な手間に終わるってのは、いいニュースと紙一重なんだし。問題は、気づけば朝になっていたということだ。


 つまり毎日のルーティンの始まり。クララやロニーといったガキどもに朝食を作って、ラナがちゃんと指定の薬を飲んだかチェックしつつ、そのあと学校まで車で送らなくてはならないのだ。


 こうしてあたしは徹夜をする羽目になった。お肌の大敵、ついでに健康への悪影響も大。せっかくミスリルをやめてからというもの取り戻した、規則正しい生活習慣が台無しだった。


 あたしのイライラにも納得できるというものでしょ?


 クララ、あんたの名付け親にも困ったもんねー。いやさ、母親業と新米起業家って二足のわらじにてんてこ舞いなあたしより、あの子のほうがずっとハードな悩みを抱えているとは、知ってるけどさ・・・・・・だからこそ怒りよりも先に、苛立ちのほうが先に立ってしまっていたのだが。


「んっ?」


 急に、隣から差し出されてきた飴玉の持ち主は、品の良さそうな老婦人だった。


 なんの気なしに受け取って、もて余してしまう飴玉。集中力を手の中の砂糖の塊に吸い取られて、気づけば足踏みは止んでいた。これぞ老夫婦の目論見どおりだったろう。


「あっ、ええと・・・・・・でもどうして」


「いいのよ気にしないで。あなたも警官に絡まれたくはないでしょう?」


 ナンノコッチャ?


 そう考えながらふと周りを見渡してみると、細いのと太いの、2人連れの空港警察があたしの出方を見守っていた。


 まったくあたしも鈍ったものだ・・・・・・迷惑客への口頭注意それだけで済めばいいが、アメリカの警官というのは面倒くさい。ちょっとでも受け答えに不満を抱けば、ちょっとこっちに来てもらおうかと一日拘束されても不思議じゃない。


 だがニコニコしている老婦人に間に入られたら、向こうも手出しができなくなってくる。


 目つきの鋭さで見張ってるからなと主張しつつ、空港警察たちはすぐ目の前を通り過ぎていった。なんてこった、元SRTの精鋭であるはずのあたしは、老婦人の機転に救われていた。


「あっ、ありがとうございます・・・・・・」


 徹夜してたなんて言い訳は減点だ。そりゃ、現役の頃より感覚は衰えているだろうけど、これはない。


 気恥ずかしさの混じるあたしの礼に老婦人は、いいのよと言った。


 こんなところに立っているということは、この老婦人もまた誰かの出迎えに来たのだろう。国際旅行に行くにしては、バックひとつというのも妙な話だし。


「あなたもコロンビアに家族が?」


 案の定、この老婦人が待ち受けているのは、あたしのお目当ての便と同じのようだ。


 ついさっきまでのイライラはどこへやら。年の頃には勝てない、何となく自分が小学生になった気分で、答えていった。


 家族、家族か。


「そうですね、まあはた迷惑な妹分って感じですかね」


「分かるわ、あなたも不安なのね」


 はなかみ笑いのなかに老婦人は不安を忍ばせていた。


「実は孫がね、向こうである事業に関わってるのよ。それで最近は出張ばかり」


「そうなんですね」


「お陰で羽振りは良いみたいだけどね? 向こうの治安、あまり良くないそうじゃないの・・・・・・」


 あたしも最初こそ常夏の南米で羽を伸ばせばいいなんて、呑気にテッサを焚きつけてたもんだけど、考えが甘かった。


 表面的にはコロンビアは平和になりつつある。だけど調べれば調べるほど、あっちの情勢は複雑怪奇なんてものじゃないと思い知らされていた。


 ミスリルが中米はベリーズに訓練キャンプを築くにあたり、現地の政府は建ててもいいがその引き換えとして、彼らがいうところの悪辣なカルテルをこの国から追い出してほしいと、そう依頼されたことがあったのだ。


 まあ、悪名高いったって所詮はただの犯罪組織だ。ミスリルの仮想敵は一線級の正規軍なのだ。たかが犯罪者ごときに創設間もないとはいえ遅れを取るはずもない。南大西洋戦隊ネヴェズの奴らはじめての仕事に大いに張り切ったそうで、あっさりと組織のボスをひっ捕まえて、見事カルテルを国から駆逐してみせた――THE END。


 てのが、つい先日までのあたしの認識だった。


 あたしがテッサのために予約してやったあんのクソ航空会社のオーナーが麻薬王だってのは知ってたけどね、だけどまさか、ベリーズから追い出された麻薬王と同一人物だとは思いもしなかった。


 ミスリルは超法規的な組織だからこそ、自分たちで法を執行したりはしない。


 それがどういう意味かっていえば、捕まえたあとに犯罪者だとかテロ屋を煮るなり焼くなりする権利は、あくまで依頼主である国側にあるってことだ。


 法で裁けぬ悪を、無理やりにでも司法の場に引きずり出してくる。それがミスリルの役割であり、一線を敷いてる部分だった。


 ボスが捕らえられたことでモンドラゴン・ファミリアがベリーズから出て行ったのは事実。だけどミスリルが去ったあと、ボスを解放するべく300人もの殺し屋が街に放たれたのを知ったのは、先日っていうか、時刻的に今朝のことだった。


 当時モンドラゴン・ファミリアの主戦場だったのはメキシコだ。自分の家がヤバいと知って、途端に本国に出戻ってきた精鋭300人は抜け目がなかった。


 電話線を切って、上空には電波妨害ポッドなんて載せたセスナ機を周回させる、ついでに現地の駐屯軍の指揮官と市長様を買収すれば、あとはやりたい放題に刑務所の関係者を虐殺できる。


 刑務所に籠城していた35人の看守にとって地獄の日々だったろう。敵は軍隊クラスの武装をした300人、奴らが街を練り歩いても警官は止めるどころか、時に虐殺に手を貸しすらした。


 カネはそれだけ魔力を持ってるってことね。自分の家族が片っぱしから拉致されて殺されていく。刑務所の前にはASまで陣取り、どうすればいいか無言の圧力を掛けてくる。


 要請があればミスリルだって乗り込むことはできたろうけど・・・・・・孤立し、現場の判断を迫られた看守たちが自分の家族を取ったところで、誰が責められるだろう。


 こうしてやっとの思いで捕らえられたハイメ=モンドラゴンは、他ならぬ自分を閉じ込めた刑務所の看守の手によって解放され、堂々と刑務官の正面玄関から出ていったんだそうだ。


 これをアメリカで例えるなら、アル・カポネを助けるために手下がシカゴで内戦紛いの殺し合いを演じてみせたようなものだ。そんなことが起きれば、国中が上へ下への大騒ぎになるはず。


 だけどこの事件をあたしはついさっきまで知らなかった。南米においては、カルテルの権力は時に政府のそれを凌駕する。その真実ってやつは、新聞の三面記事にも値しない情報であるらしい。

 

 あたしはそんな西部開拓時代が21世紀にもなって続いてる土地に、ああも生命力に欠ける小娘を1人でほっぽり出してしまった訳だ。それに気づいた時の心境ときたら・・・・・・ちょっとゴミ箱に吐いちゃったわよ。


「孫はね、そんな心配しなくても大丈夫って言うのだけど・・・・・・やっぱり、無事な顔を見るまで安心できなくてねぇ」


「その気持ち、よく分かります・・・・・・」


 時々、部下と一緒に銃剣突撃をかますような指揮官を真の英雄だとか讃える声が聞こえてくるが、現場に居た人間から言わせてもらうなら、そっちの方がまともな思考ってもん。


 自分の責任で部下が死んでいこうって時に、安全な後方でぬくぬくしていられるほうが正気の沙汰じゃない。


 そうだ、だから士官なんて人を束ねる立場にはなりたくなかったのだ。


 万全の作戦計画を練ったところで、最後に生き死にを決めるのは結局は運だ。自分の手の届かない所で部下が死んでいく、そこまで含めて指揮官の責任ってことになる。あたしにはそれが重すぎた。


 だけどテッサは――その責任にほんの16から向き合ってきた。それもあたしが片手の指で数えられる程度の部下の命運にひいこら言ってるはるか以前から、あの子は数百人もの命を預かってきたのだ。


 そう、あの子は酷い運動音痴だ。いずれ縁石の角とかに頭ぶつけて死ぬんじゃないかと心配でならないし、長らく世間から隔離されてきたせいで生活無能力者っていう疑惑も根強い。


 だけどそんなものどうでもよくなるぐらいに、あの子は凄いのだ。


 頭の出来が良いってのは勿論だけど、なによりあの歳で人の命にああも責任を持てるなんて、ずっと歳食ってるあたしですら無理だったのに、あの子は16でもうその覚悟があったのだ。


 テッサは優しいだけの子じゃない、筋金入りの覚悟を持ち合わせていると・・・・・・だからこそ――戦争を忘れられないのだろうけど。


「ホントに無茶してる側は気楽なんですから。待ってる方は、たまったもんじゃないってのに」


 そうそうと、名も知らない老婦人は共感するように何度も頷いていた。


 思わぬところであたしは、戦友と巡り合ってしまったらしい。だいぶ畑違いっぽいけど、共有している気持ちは同じのようだ。


 心配性の保護者、それだけで十分。あたしはやっぱり、テッサには脳天気に生きていて欲しいと思う。これまでの責任をすべて忘れて――ま、そんな器用な生き方ができない子だってのも、よく知ってるのが辛い所なんだけどね


 すると急に、こちらに大声が掛けられた。


「ばあちゃん!! わざわざ迎えに来なくてもいいって言ったのに!!」


 頭上に浮かぶ電光掲示板には、いつの間にやら待っていた飛行機がすでに到着していると伝えていた。


 テッサと、このこの老婦人のお孫さんが乗っているはずの飛行機が、今しがたニューヨークに到着したのだ。


 ばあちゃんなんて叫んでつかつかこちらに近寄ってくるのだから、どう考えてもこの偉丈夫こそが、老婦人のお孫さんなんだろう・・・・・・マジで?


「えっと、そちらはどなた?」


 偉丈夫が怪訝げにあたしの方を見ていたが、こちらは混乱するのに忙しくて返事を返す暇もない。


 なんていうか・・・・・・心配、する必要ある? なんて真顔で聞きたくなるほど身体を鍛えてるお孫さんだった。身長は2メートル近い、腕は丸太でタンクトップだけの上半身はパツンパツン、ナイフ刺してみても刃のほうが折れそうなほどの鋼の筋肉野郎ぶりだった。


 百歩譲ってそれは良い。健康なのは良いことよ、でもね――でっかいクローバーと鉤十字を組み合わせたタトゥーを入れてるのはどうかと思うわけよ。


 全身全霊で白人至上主義者だと主張してる孫。この国ではアジア系と分類されているあたしとしては、中々にフレンドリーに対処するのが難しい相手だった。


「こらあなた、このお嬢さんに失礼でしょう」


 だけどこの老婦人にとっては、どうな生き方をしてようと可愛い孫であるらしい。訝しがる態度をたしなめていく。


「このお嬢さんはね、ついさっき糞ったれのポリ公に絡まれそうだったのよ」


 ・・・・・・ちょっと待て、あんたも孫と同じ穴のムジナかい。


 見た目に似合わぬアレな言動に、大仰な態度で口を覆っていく筋肉まみれな孫。


「マジかよ・・・・・・そういうことなら、人類はみな兄弟だ!! どうも俺はエドワルド=ジャクソン!! 周りからはばあちゃん含めて“スレッジ”のあだ名で知られてる」


 差し出される握手に、どうしろってのよ? 博愛主義者の白人至上主義者っていう謎生命体は、こっちの気持ちなんてこれっぽっちも気にかけず、ぶんぶんデカイ手で人の手を取って、上下に振り回す。


「ばあちゃんもいい歳だってのにすぐ1人で出歩くんだから、一緒に居てくれて助かったよ!!」


「ちょっとスレッジ、おばあちゃんはまだ現役ですよ? それよりパッケージはどうしたの? ちゃんと食べてきた?」


「ばあちゃん!! 今どきコカインを飲み込んだりやしないよ!! 袋が破れたら死んじまうだぜ!?」


「それじゃイタリア人とどうやって取り引きするのよ?」


「レオンが別の便で運んでくるってさ」


「駄目じゃないのあんな若造を信じちゃあ!! おばあちゃんがね、あの若造ぐらいの歳の頃にはもう警察署に火炎瓶を投げつけてたわよ。だけどあいつは何をしたっていうの? 口ばっかり」


「そりゃあまだ準団員だけど、評議会カウンシルも認めてるんだ。性格はクソだけど実力はあるぜ」


「あのさ・・・・・・ちょっといい」


 堪りかねたあたしは、やっとの思いで声を絞り出してこの犯罪一家の会話に横入りしていった。


 一斉にこちらを見つめてくる二組のつぶらな瞳。でもたぶん、前科はひとやふたつで済まなさそう。


「もしかしたら何だけど、あんたらってアーリアン・ブラザーフッドのメンバーだったりする?」


 ここニューヨークで若かりし頃のあたしは、不良娘を気取ってた過去がある。年食ってはじめて、ずいぶん危ない橋を渡ってたもんねと冷や汗をかきたくなる無謀な日々、だけど当時のあたしですら、鉤十字とクローバーの紋様には近づかないようにしてきた。


 どこの世界に、頭数は少ないくせして刑務所内で起きた殺人事件の26%に関与しているとかいう、全米最悪のプリズン・ギャングたちに近づきたがるガキがいるってのよ。


「・・・・・・んでさ、警察官をここに呼んできたりしたら、2人共逮捕できたりする?」


 いくら銃器携帯許可証CCWライセンスがあるとはいえ、空港に愛用のUSPコンパクトを持ち込むのはどうなの? って思ってたけど・・・・・・大正解だわあたし、人生なにが起こるか分からない。


 腰に隠し持ってる拳銃にそれとなく手を触れていくあたしの緊張感を、この老人と孫は気づいてないらしい。2人揃って一斉に破顔する。


「あっはははははは!! そいつぁ面白いね!!」


「・・・・・・あたしはまったく面白くないんだけど」


「これあげるよ!! 本当はライカーズ刑務所にいる仲間へのお土産なんだけど、ちょうどこの前に1人刺殺されちまってさ、ちょうど余ってたんだよね」


 そう言って筋肉質にすぎる孫は、笑えない話題を軽やかに笑い飛ばしつつ、手に持った袋から土産の品だとかいうドクロ柄の笛? みたいなものを取りだしたかと思えば口元に運んでいって『ぎゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃぁぁぁぁぁ!!!!』と、いきなし断末魔が空港中に響き渡る。


「これデス・ホイッスルっていってよ、メキシコで買ったんだ。モノホンの断末魔みたいでいいだろコレ? あげるよ」


 耳が悲鳴のせいで死んでいるあたしの手の中に、強引に渡されてくるドクロ柄の笛。


「じゃあな!! ばあちゃんのこと見ててくれて助かったよ」


「その笛いいわねスレッジ」


「だろうばあちゃん」


「ええ、死ぬ間際のおじいさんみたいな音してて懐かしいわぁ」


「あれ? じいちゃんって行方不明になったんじゃねえの?」


「スレッジ、おじいさんは行方不明になったんじゃないの、行方不明にしたのよ」


「そうだったのか~」


 仲睦まじげに立ち去っていく孫とそのおばあちゃん。


 その後ろ姿が完全に消えるまで、言葉を失ってあたしは佇んでいた。


「・・・・・・何なのよアレは」


 人生いろいろとあるもんで、あたしだって大勢の奇人変人と出会ってきたけどさ・・・・・・あれはトップクラスに訳わかんない奴らだったわ。深い意味があるような、ないような邂逅・・・・・・全本位に反応に困る展開だったわ。


 頭を抱えながら佇んでいると、ふとあたしは違和感に気がついた。


 あのぶっ飛んだ孫が搭乗していた便は、間違いなくあたしがテッサのために手配してやったのと同じ便のはず。


 時間帯的にあまり大勢が乗ってなくても不思議じゃない早朝便だ。だからゲートから出てくる乗客がまばらなのはまま良いのだが、それがついに途絶えてしまったのはどういうこと?


 どんなに目を凝らしてみても、荷物抱えて行き交っている乗客の中にあの特徴的にすぎるアッシュブロンドの髪は混ざっていなかったのだ。


 溜まり溜まったストレスがここに来て舞い戻ってくる。気づけば、公共の場だってのにあたしは恥も外聞もなく叫んでいた。


「テッサあんたって子は・・・・・・どうして飛行機に乗ってないわけッ!?」




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