XXVIII “ミミック”

【“テッサ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ・VIPルーム】


 今だにMr.キャッスルは“クレイドル”なる装置に掛かりきりで、わたしは放置されていました。まるで透明人間の気分・・・・・・ですが、わたしの人間盗聴器という役割を思えば好都合な展開ではありました。


 しかし揺り籠クレイドルとは、何とも意味深なネーミングです。


 この部屋に来てからもうしばらく経ちます。ここで目にし、そして聞いた内容からして、“クレイドル”の正体が何であるかは、ある程度、推測することが出来ていました。


 ヒントは色々とありました。例えばメリッサの集めてくれた資料内にあった、キャッスル・フルーツ・カンパニー傘下の建築会社の内部資料などです。


 この建築会社、このスタジアムの改修工事にも一枚噛んでいるそうなんですが、その中に実はスーパーコンピューターの購入履歴があったのです。


 自社が設計した建築物の力学的構造解析のため導入したそうなんですが、一般企業向けにしては高性能すぎる30TFLOPSテラフロップスという演算能力は引っかかりました。莫大なお金を費やしてせっかく購入したのに、他所に貸し出したりもせずに自社内で抱え込んでいるのも営利目的としてはとても変。ましてやこのスパコン、コロンビアの人里離れたデーターセンターにひっそり置かれているとか。


 いかにもな感じでした。額が額なので購入履歴は隠せなかったものの、その後の使用用途はこれ見よがしにボカしている。だって人口300人の村にスパコンはないでしょう。では、果たしてこの高性能なスパコンの真の目的とはなんなのでしょう? そもそも本当はどこに置かれているのやら。


 自身の執務室に設けられた特注のワークステーションに、自身の監視が隅々まで行き届いてるスタジアム。カリのいつもの秘密主義はどこへやら、どうしてかここではカルテルの内部情報が一元管理されているらしい。


 周りをすべて自分以下の存在だと感じている傲慢な男・・・・・・そしてこの壮大な陰謀を実現するためには、自身の正体をできる限り隠しておきたいという事情もある。そんな人物が、はたして組織の運営を他人に委ねるでしょうか?


 いえ、そんなの彼の個性が許さないでしょう。末端はともかく、根幹部分はすべて自分でコントロールしたいと感じてるはず。定規で測ったかのように等間隔で置かれてる調度品がそのいい証拠です。


 テーブルに広がる即席の中南米の地図すら、Mr.キャッスルは指の先で細やかに位置を調節されていたものです。


 しかしながら現実問題、巨大組織を1人で維持管理するのはまず無理です。そうですとも、30TFLOPSの演算能力の手でも借りれなければ、不可能というものでしょう。


 だからこそのワークステーションなのでしょう。他者にはアクセスできない、自分だけが操れるインターフェイス。それを自らの執務室たるVIPルームに設けてみせた・・・・・・。


 ですが年齢のせいかしら? 神経質なほど大切にしている割に、当の本人ときたら自分が大切にしてるのがどういった代物なのか、ハード面がよく分かっていないみたい。


 サントスさんというエンジニアの方は、ずっと困り顔でした。こんな事もあろうかと万全の停電対策を施してきて、万にひとつもデータの損傷なんてあり得ないと彼は確信しているみたい。ですが・・・・・・彼の上司たるサングラスの男ときたら、専門用語を交えた慇懃丁寧な説明を聞くほどに不機嫌さを増していく。


 この老人、とりあえず行動することで自らの不安を鎮めようとしているみたい。技術的には不必要な行為なのに、心理的には落ち着くのでしょう。


 親指の腹どうしを重ね合わせ、いかにもストレスを堪えている風ですが、それでも誠心誠意に説明を試みていくサントスさん。


「自己診断プログラムも一切エラーを吐いてませんし・・・・・・」


「自分の目で見てもいないものが信用できるか」


「あー、では、ログをご覧になりますか?」


「必要ならやりたまえ」


「・・・・・・えっと、ですから必要がないので、その」


「何が言いたいのだ貴様は!!」


 悪門に正しい答えなんて返せやしません。よく分かってないものをどうにかしろと問い詰める、まさにダメな上司の生き見本みたい。


 政治力は抜群なのでしょうがこのMr.キャッスル、どうにもIT分野には致命的に疎すぎるようでした。


ウルズ9ヤンよりアンスズへ、現在、ブラインド一方通信中、ブレイク。聞こえたら合図をお願いします』


 ヤンさんからのもたらされる通信は、敵地のど真ん中にいるわたしからすれば、まるで清涼剤のようにホッと安心感を与えてくれるものでした。イヤホンから音声が漏れ聞こえてしまうかもしれない、そんな恐怖心よりよほど勝るほど。


 通信が来るということは、2人とも無事という証なのですから。


 事前の取り決めの通り、わたしは盗聴器が収まるキーホルダーの横にそれとなく手をおいてから、周りから気付かれないぐらい小さく指でテーブルを叩きました。


 タン・タン、間を置いて2回。


『確認、状況を報告します』


 必要最低限のテンポの良い返答、さすがは元SRTです。盗聴器の聞き耳能力はとっても鋭敏ですので、この程度の微かな音声でもちゃんと拾ってくれる。


『目標Vヴェクターを確保』


 金庫ヴォールトの頭文字をとってヴェクター。それがわたしが標的に与えた仮称でした。


 最初から正式名を知っていたなら、“クレイドル”のCから取ってチャーリーとでも命名していたでしょうが、もはや後の祭り。余計な混乱を招かぬためにも、この名称を貫き通すのがベターでしょう。


『抵抗は軽微、タンゴ8名確保。敵死者EKIAゼロ、損害なし』


 元SRT隊員と、その隊員をしれっとノックアウトしてしまうシカリオのコンビネーションは・・・・・・ええっと、意思疎通という面で大いなる不安を抱えてたものの、戦闘力だけ見れば、やはり他を圧倒していたみたい。


 あの2人にかかれば、さしものB.S.S.も手出しできませんか。ましてや通報されずにこれなんですから恐ろしい。


 プロとアマチュアの差とは、状況対応能力にあるとわたしは考えています。何ならアドリブ力と言い換えても良いでしょうが、こんな不透明すぎる計画の中でも、彼らは十分以上に状況に適応してました。


 再び、ヤンさんからの通信が耳に届く。


『大当たりですよ。例の納品記録とまるで同じ、Vヴェクターは銀行にあるような大型金庫でした』


 やはり、そうでしたか。


 キャッスル・フルーツ・カンパニー宛ての怪しい納品記録はスパコン以外にもいくつもありましたが、銀行のために発注されたという金庫とその警備装置一式というのも気になっていたのです。


 そうです、例の人口300人の村にはなんとスパコンだけでなく、大都会ですら過剰すぎるほどのスペックを誇る大型金庫まで置かれている“設定”になっていたのです。


 やはり本音は、このスタジアムのための設備であったようですね。


『正面から乗り込んでくること自体、先方もあまり想定していなかったようです。あっさり制圧できて僥倖でした』


 でしょうねえ・・・・・・政府との関係が拗れ、警察なり軍隊なりが攻め込んでくるまでの時間稼ぎですとか、あるいは、ライバルたるカルテルの襲撃を一定期間だけ凌ぐなどなど、そういうリアリティある仮想敵に比べますと、たった2人の殴り込み部隊というのは異様にすぎますもの。大軍対策が仇となった、そんな感じかしら。


 ヤンさんが続けます。


『ただし、金庫そのものは今だ解錠できていません。コイツを開けるためには網膜認証、担当者2名が所持するキー、そして音声入力が必要になるそうです。

 前者ふたつは条件付きでクリア、問題は最後の音声入力ですね。こればっかりは、自分たちだけではどうにもなりません』


 不意に無線連絡が途切れる。前後の空電音からして、ヤンさんの身に何が起きた訳じゃなく単なる電波障害のよう。


 電波強度的に素晴らしい環境だとは、ここは口が裂けても言えませんからね。盗聴器の性能を思えばよく働いてる方ではありますが・・・・・・やはりもどかしい。


 ただ座って待つというのは、どうにも性に合わないみたい。わたし、意外と攻撃的な性格なのかもしれません。


 焦ったい待機期間をすまし顔で待つしかない。内心は不安でいっぱい、ですが外見ではそれを決して表さない。こんなの艦長時代の癖で慣れたものですが、ストレスを感じない訳じゃありません。


 もどかしさが募る。すると、わたしが座っていたソファーが突如として、ばふんと盛り上がったのです。


 衝撃のあまりついつい身体を浮かせてしまったわたしは、乱暴に人のすぐ横へと腰掛けてきたザスカーにすぐ非難の眼差しを送りましたが、当人はガン、とビール瓶を乱暴にテーブルに置くのが忙しいみたい。


「よお嬢ちゃん、楽しんでるか」


 お酒臭い息が、わたしの鼻をツンと刺激してきました。









【“ヤン”――隠し地下区画・“クレイドル”前ホール】


「音声入力には、Mr.キャッスルだとか名乗る男の声紋と、日替わりのパスコードが必要だそうで・・・・・・大佐殿? まったく」


 あの船で見つけた無線装置一式は、僕にとって馴染みの薄い東側規格のものだった。


 扱い方の講習こそ受けてはいたが、実際に使うのはこれが初めて。リモコンキーに収まるサイズの小型盗聴器にしては、出力は大きいみたいだが、やはり地下だと電波の通りが悪い。


 無駄だと知ってはいるけれど、耳元のイヤホンをとんとんと叩いてしまった。無論、そんなことしたって電波状態が改善されたりしない。


 ・・・・・・電波の機嫌が直るまで待つしかないか。


 あの両開きの扉の先には、まるで予想だにしない光景が広がっていた。


 古い建物に最新技術の装飾を施したようなこのスタジアムにあってしても、この区画は異様なまでに古臭かった。見たまんま表現するならば、赤レンガの壁とアーチで支えられた古の遺跡じみた竪穴だったのだ。


 下だろうなという僕らの予測は、一応は当たっていたことになる。規模はまるっきり見誤っていたけれども。


 クモの巣のように張り巡らせれているキャット・ウォークのお陰で、とりあえず降りる方法には苦労しなかったけども、だがこの縦穴・・・・・・入ってすぐ入り口から見下ろしてみれば、途端に足がすくんでしまうほどの高さがあったりした。


 基礎部分に埋め込まれるように――設計当初からのものだろう――エレベーターがいくつも敷設されてることからしても、図面を引いた段階ではこの空間、大勢が出入りすることが想定されていたに違いない。


 おそらくエントランスか何か、明らかにこれは、基礎部分は完成させたがそのまま放置されたパターンだろう。建設途中の工事現場を日常使いできるよう無理やり整備し直した、そんなふうに見える。


 ぐらぐらする簡易的すぎな安全柵から首だけ突きだし、軽く20メートルはある下方を偵察してみれば、1番下のホール部分には何やら自販機といったちょっとした福利厚生施設と共に、八角形のガラス張りのブースが設置されているのが見えた。


 その建物の周囲には、長物ロングを抱えた複数の人影がたむろしていたことからして、アレがいやに小洒落た警備員の詰め所であるのは明らかだった。


 “そういえば”、そう前置きしてから、傍らに立っていたノルという女装癖のシカリオが言った。この街ではかつて、地下鉄の建造計画があったのだと。

 

 過去形ということは、途中で頓挫したわけだ。実際、僕もこの街で電車に乗ったことはあるが、線路図にはどこにも地下路線なんて表記されていなかった。


 そもそも90年代に建設が中断されたスタジアムなんだ。スタジアム直通の地下鉄駅の構想が、本体の中断に合わせて一緒に共倒れしていたとしても不思議じゃない、か。


 彼が手に入れてきたスタジアムの青写真は隅々まで目を通したが、この空間についての言及はまるでなかった。だがあの青写真、建設が再開されたあとに作られた最新版だ。もしかしたらオリジナルの旧版には、この駅についての表記もあったのかもしれないな。


 忘れ去られた区画を表向きは忘れたままにして、しれっと秘密区画として再利用した。カルテルらしい話ではある。


 まあ真相はどうでもいい。重要なのは、この地下に鎮座ましましている金庫の中身の方なのだから。


「どうした?」


 目を腫らして青タンだらけの警備員たち。つまりは、女装癖のシカリオに殴り倒された挙句、あっさりと武装解除されてしまったB.S.S.の警備員たちに油断なくガリルARMの銃口を向けつつ、惨状の生みの親が僕へとそう尋ねてきた。


 こちらの通信異常に、今さらながら気づいたらしい。


「何でもない、電波状態がちょっと悪いだけだ。ちなみにそっちはどうだい?」


「テッサの声が聞こえるかという意味なら喜べ、電源室から立場が逆転したな。こっちはまるで聞こえん、ノイズばっかりだ」


 そんなのぜんぜん嬉しくないとも。このまま通信が回復しなければ、最悪のパターンに直行となる。


 一応、正攻法での錠前破りが不可能だった場合に備えて、ちゃんとプランBは用意されていた。


 ただBはBでも、ちゃんとした正式名称で呼ぶならプラン・ブラストBlastというのが困り物なのだが。


 そう、あの顔面タトゥーの少女にすべてお任せという寸法だ。彼女が年に似合わず爆弾の専門家であることについてはケチはつけないけども・・・・・・だけど僕には、彼女がスタジアムに持ち込んできた爆薬の量が、どうにも過剰すぎる気がしてならないんだよな。


 僕は、ちょっと金庫を眺めてみた。


 どうみても正面突破でどうこうできる厚みには思えない。これは本当に大銀行にある金庫そのものなのだ。下手したら核兵器の直撃すら凌ぎきれる厚みがありそうだ。


 そりゃあ、彼女もその辺にちゃんと配慮して、指向性と貫通能力を重視した爆薬を作ってはいたけれど、あんなもの起爆したら爆音で敵に気付かれてしまうのはもちろんのこと、金庫の中身まで巻き添えになっても驚かない。


 そもそも、金庫の中に保管されているカルテルのカネを焼き払うために調合された爆薬を改良したものだそうだから、中身を盗むという方針に変わった今、用途的に適さないというのは当然といえば当然なんだが。


 やはり、準備不足は否めないな。


 イヤホンに神経を集中させつつも、僕は手持ち無沙汰なのもなんだからブラジルで生まれたFN FALライフルの小口径版クローン、インベルMD97の状態を確かめることにした。


 ミスリル時代には主として米軍が採用してるM4カービン系列を使ってきたから、できれば同タイプが欲しかったのだが、贅沢は言えない。


 それにインベルも悪くはなかった。操作方法はほとんどM4と同一だったし、あの船の格納庫で照準調整ゼロインをしたところ、命中率も合格点という感じだった。


 というか製造年代的にインベルの祖先であるFN FALが実現したトレンドを、M4の先祖たるM16シリーズが貪欲に吸収していった結果、自然とデザインが似通ってしまったのだろう。ただ初期設計が古い分だけ、反動の大きさがちょっと気になりはしたが。


 レイル・インターフェイスに対応してないのも気になりはする。ただ繰り返しになるが、贅沢は言ってられない。


 インベルのガラスファイバー製のハンドガードに僕は、ダクトテープでタクティカルライトを直留めしていた。見た目的には最低だが、実用面ではなんの問題もない。銃器のカスタマイズではライトの設置を優先すべきだ。夜でなくても視界が悪くなる暗闇はどこにでもあるものだし、目潰しや簡易照準器としても使える。


 僕はライトの後端部のスイッチを触って、ちゃんと点灯するかどうか確認してみた。事前に調べてたから必要のない行動かもしれないが、チェックできるチャンスがあるなら逃すべきじゃない。


 100回事前に調べてみても、いざ実戦となったら動かないなんてザラにあるのだ。


 銃器の状態を調べつつ、電波を追い求めて立ち位置を変えること数度。すると、


「大きな間違いを犯したな・・・・・・馬鹿みたいな帽子被りやがって、何なんだその文字はぁ?」


 なんて年齢に似合わないチンピラのような挑発が聞こえてきた。


 切れた唇から血を流しながらも、弱々しさを微塵も感じさせないその巨漢――ただし筋肉でなく脂肪で膨らんでるタイプ――が何やら吐き捨てている。巨漢の警備服の胸元にはネームタグがあり、そこにはオロスコと名前が記されていた。


 僕はその言い草を他人事のように見守っていた。いやだって、オロスコが挑発している相手は僕でなくて、シカリオたる彼だったのだから。


「その帽子に騙されて先制を許した挙句にボコられ、その結果として地面に胡座をかかされてる割には、ずいぶんと偉そうだな」


 そう彼は皮肉っていたが、それはちょっと控えめにすぎる表現だと思う。8人居るうち、会話できるのがすでに3人しかいないのだから。


 結局ここでも、これまでと同じくゴリ押しとなった。


 彼の言う通り、警備員の制服姿だったために金庫前に詰めていたオロスコらは対応が遅れた。誰何しようと歩み出してみたら、いきなり手榴弾を投げつけられ混乱状態に陥ってしまったのだ。


 だがそれは彼のトリックだった。ピンの抜かれてない手榴弾、だがそんな細部を正確に、それも一瞬で見極められるほど敵は動体視力に優れていなかったのだ。やり口があれだ、ゲートとまるで一緒だったが――その効果は絶大だった。


 敵に混乱を与え、つぎに疾風のようにガラス張りの警備ブースへと飛び込んだかと思えば、血肉飛び散る大立ち回りを即座に繰り広げる。


 ぶっちゃけ、僕は見守るしかなかった。まさか素手であそこまでやるとは思わなかったから。


 ブースの片隅に集められた警備員たちのうち、腕や足が変な方向を向いているのがほとんどで、残りは怯えて縮こまっている。


 あの怯え具合、彼の鮮烈にすぎる暴力性もあるだろうが、何よりも今度こそ本当にピンが抜かれた手榴弾を握らされ、投げられないように両手をダクトテープでぐるぐる巻きにされているのも大きそうだ。


 あのテープ、上手い具合に手榴弾の安全レバーを外すように巻かれていたから、気を抜いて手の力を抜けば、即座に爆死しかねない。


「俺は優しいから・・・・・・げほっ、げぼッ!!」


 急に咳き込んだオロスコが、白い何かを口から吐いた。今日一日で何人が奥歯を失ったのか知らないけれど、明日の歯医者は大入り満員なのは間違いない・・・・・・。


「や、優しいからテメエらにチャンスをやる。そこのトンネルからさっさと出ていけ、そうすれば、家族だけは殺さないでおいてやる」


 僕と彼は、揃ってオロスコが首で差ししめした方角をしげしげ眺めてみた。


 まず見えたのは、ゴムシートが敷かれている小さな整備用ステーションと何両かの四輪バギーATV。その向こう側に、普通の車両用トンネルぐらいのサイズ感をした大型ハッチがあった。


 鍵穴のついたボタンを押し込んでやれば、あのハッチが油圧装置によってせり上がるという仕掛けだ。そしてざっと調べた限り、ハッチの隙間から漂ってくるあの生臭さは下水のそれだった。


 カルテルお約束の、脱出用の地下トンネルがあるに違いないという説は大正解だったわけだ。ただ規模はちょっと想像以上だったし、市街地という場所柄らしく、下水道に繋げるというアレンジは為されていたけれど。


 いざとなればデータをポータブルHDDなりに移して、あのATVを駆って地下に逃げ込むという寸法だろう。よくやるものだ。


 つんと唇を尖らせながら、無駄な美貌をほこる彼は呆れたように言った。


「さっきの繰り返しなるが、殴り倒された側がどうしてそうも偉そうなんだ?」


 こればっかりは彼に大賛成だった。このいかにも尊大そうな顔をしてるオロスコなる巨漢、自分の立場をあまりに弁えてない。だって彼の手の中には、例によってテープ留めされた手榴弾が収まっているんだし。


 だが正論を受けても、ふてぶてしくオロスコは居直るばかり。


「分かってないな貴様ら。ここの警備が少ないのは本隊が別にいるからだ。その気になればスタジアム中に散ってる300人もの警備員が一斉にここへ押し寄せてくる。

 お前らのような、どこで情報を聞きつけたか知らねえ間抜けな怪盗様が開かずの金庫を前にして絶望してる隙に、そいつらが退路を絶つ。

 ここは宝物庫じゃねえ、トラップなのさ。袋の中のネズミは、ブーツで踏みつぶすに限る」


 確かにそうなんだろう。敵が大軍なら時間を稼ぎながら撤退できるように出来ているが、逆に少数であればオロスコの言うとおり、簡単に包囲できる構造になっている。


 だけどこの施設の設計意図は他にもあると、僕は、大佐殿とMr.キャッスルなる男との会話から目星をつけていた。


「違うね、単に君らのボスが人間不信だからだよ」


「あ?」


 何のことかと、オロスコが惚けた声を出す。

 

「君のボスは、南北戦争時代の大農場主みたいなものさ。面倒な仕事はすべて奴隷に押し付けるけど、絶対に信用したりはしない。

 聞くけどね、君の権限ってどのくらいあるんだい? 他のカリの構成員と同じく、実は金庫の中身すら知らないんじゃないのか?」


 思うところがあったのだろう、むっつりと黙りこくるオロスコ。


「君の言う通りにここがトラップだとしたら、その罠のど真ん中にいる君らはいったい全体なんなんだろうね?

 ガラス張りの警備ブース、遮蔽物としてあれは最低だ。だっていかにも上から狙ってくれと言わんばかりじゃないか? 君のボスは果たして、人質となった君たちのために発砲するのを躊躇ってくれるかな?」


「・・・・・・」


「君を捨て駒としか思ってないボスに忠を尽くすのは勝手さ。だが協力はしてもらうよ、君のカードキーと網膜パターンは必要だからね」


 深く、オロスコは何かを考えてから、こう囁くように言った。


「うるせえ、この糸目野郎が」


「悪いけど、人種差別程度でへこたれていられるほど僕の人生は楽なものじゃなかったんでね。侮辱するなら、もっと語彙力と独創性を高めてからにしろ」


 急に盗聴器からの送信が復活して、耳の中で硬質な音を奏でてきた。


ウルズ9ヤンよりアンスズへ、現在、ブラインド一方通信中、ブレイク。聞こえたら合図をお願いします」


 決まり文句を口にして、答えを待つ。すると、


 ガン。


 という音がイヤホンから聞こえてきた。


 タン、ではなくガン。先ほどの控えめな合図とはまるで異なる、妙な音だった。


 どうしたのだろう? 大佐殿の合図に電波ノイズが混じったのだろうか? それとも合図の仕方を変えなくてはならない、なんらかの事情があるのか。


 だがガンという大きな音のあと、微かにダンというのも聞こえた気がする。何かを二度叩くのが、僕らが取り決めた合図の仕方だ。


 時間は押しているが、こういう違和感を無視するのはマズいと経験から学んでいた。念のためにもう一度、呼びかけてみることにする。


ウルズ9ヤンよりアンスズへ、現在、ブラインド一方通信中。感度不良ラウド・ウィーク、聞こえたら合図をお願いします、オーバー」


 ガン、とタイミングよくまたあの音が聞こえてきた。やはり合図なのか・・・・・・。


 盗聴器が聞き耳を立てているとはいえ、こんな不安定な音声だけでは、VIPルームの状況を正確に把握できたりはしない。大佐殿にも何か事情があるのだろう、このままアドリブで進めるしかないか。


 送信機である肩もとの無線機に手をやったまま、空いた手でインベルを腰だめに構え、人質全体を見張れる位置へと移動する。


 それから僕は、今日限りの相棒であるシカリオに言った。


「捕虜は僕が預かる。君は金庫の開錠作業を進めてくれ」


 オロスコが持っていたキーカードと、色々と諦めている感じの中年警備員。この2人が所持していたキーカードはいずれレベル5であり、この2つを同時にかざせば金庫の最初のガードを解錠することができるそうだ。


 そして第2の関門たる網膜認証も、こうしてオロスコが居る。


 こんな役目を与えられるあたり、それなり上からオロスコは信頼されているらしい。実際、頑な性格でさっきから僕らを挑発しているぐらいだ。だが協力させる糸口はもう手に入れていた、さっきの会話がそれだ。


 カリ・カルテルの構成員は、全体的にあまり忠誠心が高くない。


 高度に匿名化されている組織構造のせいで、末端の構成員が自白したところでぜんぜん情報にならないから、忠誠心はあまり問題にならないのだろう。


 それでいて情報をそれなりに以上に知ってるであろう幹部クラスが捕まると、その対応ときたら素早く、そして凄まじいものだった。


 まず逮捕した直後に一流の弁護団が現れ、あれこれとこちらに難癖をつけてくる。こちらが尋問したくとも弁護士が的確にガードしてくるし、その間にも淡々とカリは自分たちの息がかかった司法関係者を妨害要員として送り込んでくる。


 そのまま釈放というのが大方のパターン。だが時には、こちらが確固たる証拠を掴んで、弁護士どもに口を挟む暇すら与えないですむこともある。そのまま犯罪人引き渡し条約に基づきアメリカに送還したいのは山々なんだけど、そうすると魔法のように証人がこの世から消されてしまうのだ。


 きっとコロンビア警察内部に内通者がいるに違いない。そう支局長は推測してたけど、まさかそう言ってた当の本人が内通者そのもので、実行犯たちは元特殊部隊員も鼻であしらえるような化け物じみたシカリオだとは、僕は想像すらもしていなかったんだけどね。


 そこにくるとオロスコは、それなりに忠誠心があるタイプ。扱いとしては幹部クラスと同等なんだろう。


 だが自分が捨て駒かもしれないと指摘された途端に押し黙った、あれはこちらとしては良い兆候だ。


 カリは必要とあれば、即座に手下を切り捨てる。果たして設計通りとはいえ、あっさり敵の侵入を許してしまったオロスコがこの先、五体満足で生きていけるのか疑問だった。


 当人もそのことに気付いてる。だが虚勢を張って、誤魔化している。本気で組織への忠誠が絶対なら、すでに自爆していただろうしね。


 ここから警官として培った経験が生きてくるに違いない。古典的だけど、良い警官と悪い警官でオロスコをゆっくり味方に引き込んでいこうと思う。


 もちろん僕が甘い言葉をささやく良い警官だ。適当なタイミングで、証人保護プログラムでもチラつかせるさ。


 悪い警官については・・・・・・まるで心配してない。だって僕の傍には、オロスコが一番恐れているに違いないカリの証人抹殺装置がとりあえず味方として控えてくれているのだから。


 あの腕に刻まれた光り輝くサンタ・ムエルテに、オロスコが一瞬ばかし恐怖の目線を向けたことを、僕は目ざとく確認していた。


 正体がよく分からないボスからの報復よりも、目前に広がっている暴力の痕跡の方がよほどリアリティがあるはずだ。だってオロスコの部下たちの大部分は、呻きながら半死半生の有様なのだから。


 上司と異なり、その部下たちきたら素直なものだった。


 オロスコの刺すような目線から顔を背けながら、僕が手を差し出すだけで素直にキーカードを渡してくる中年の警備員。


 数字の5がカードキーに刻まれているのを確認してから僕は、オロスコの近くに立っている女装癖の彼に向けて、そのキーを放った。それを見もせずにキャッチする彼、相変わらず人間離れしている。


「いいのか、このまま進めて? テッサの方から連絡はないんだろう?」


「どうせ10分以内に解錠できなかったらプランBに移行するしかないんだ。無駄な手続きは、今のうちにできるだけ省いといた方がいい。音声認識のパートまでね」


 これでカードキーはふたつとも彼の手の中にある。あとは、オロスコを引っ立てて網膜認証装置のとこまで連れていくだけでいい。


 オロスコが嫌がったところで両手を縛られてるんだ、目蓋を強制的に開けるのは容易い。そこまで進めたら、進退極まったオロスコに甘い言葉で協力を仰げばいい。


 忠義に報いてくれないボスのために、裏切り者としてこのまま始末されるか、それとも僕らに協力して逃亡のチャンスを得るか。


「そうか」


 僕の説明に納得したらしい彼は、そう端的に答えてから、殴り合いの最中に床に落ちてしまったらしい、警備員の誰かのおやつに違いないヨーグルトの容器を手に取った。


 意味不明すぎる。だがシカリオのやり口にいちいちケチをつけてられない、あいつらは意味不明なのが当たり前と諦めるしかないのだ。それが僕がこの国で得た処世術だった。


 奴にもきっと何かしら考えるがあるのだろう。ほら、突然ヨーグルト食べたくなったとか・・・・・・。


 こんなことしてる場合じゃない、大佐殿に今一度、連絡を試みてみるべきだ。そう考えて僕は無線機の送話スイッチに指を置いて―――目撃してしまったのだ。


 あのシカリオがヨーグルトの容器に付随していたスプーンの包みをおもむろに破り去って、さも当然というようにそのままオロスコの目をえぐり始めたのを。


「ギャァぁぁぁぁぁぁぁぁァァッっっっっっ!!」


 オロスコの絶叫に顔を青ざめさせた僕はその時、一緒に泣き叫ぶべきか真剣に悩んでいた。


 



✳︎





【“テッサ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ・VIPルーム】


『ギャァぁぁぁぁぁぁぁぁァァッっっっっっ!!』


 この世のものとは思えない悲鳴に、わたしは咄嗟に耳元のイヤホンを抑えました。


 え? なんですか? 向こうで何が起きてるんですか?!?! 我ながら、渦巻く疑問と恐怖を、よくもまあ塞き止められたものだと感心してしまいましたともっ!!


 あれ、ノルさんともヤンさんとも異なる、とっても野太い悲鳴でした。だからって安心していいのか、サッパリ分かりませんけども・・・・・・。


 聞かれてしまっただろうか? おそるおそるパーソナルスペースなんて知ったことかと、人のすぐ横に腰掛けているザスカーの様子を窺ってみる。


 すると挙動不審なわたしの仕草に、カウボーイ姿のシカリオは怪訝な顔を浮かべてました。


「・・・・・・なぁ、どっかで悲鳴みたいの、聞こえなかったか?」


 そう尋ねつつ、またしてもゴトっと乱暴にビール瓶をテーブルへ叩きつけていくザスカー。


「さ、さあ? 幻聴じゃありません? 多いそうですよ? 銃火器をよく扱う方には」


「なんだそりゃ? 変なのは俺の聴覚ってか? ああまあ、派手にぶっ放したあとは耳鳴りが止まなくなるけどよ。

 ところでそっちこそどうしたよ」


「はい?」


「急に耳なんか抑え出して」


 酒臭いザスカーの息に促される形になったのは尺ですけど、わたしは人の聴覚神経を痛めつけた忌まわしいイヤホンから手を離し、あえて艶やかに髪をかき上げてみました。できる限り、そう、自然な感じで。


「髪が耳にかかって邪魔くさかっただけです。それよりもこちらとしましては、まずあなたへ不快感を表明したくて仕方がないんですけども」


「かっかっかっ!!」


 ザスカーの馬鹿笑いによって、カウボーイ気取りの男が手にしたビール瓶の中身がソファーへと溢れていく。


 ずっと部下であるエンジニアへの指示に明け暮れていたMr.キャッスルがこの耳障りな

笑い声のせいか、ついにこちらへ興味を向けました。


「Mr.ザスカー、何をしている?」


「楽しいお喋りでさぁ」


 よくまあ真顔で言い切れるものです。無視を決め込んでるわたしに向けて、一方的に下らない話を繰り替えしていただけなのに。


「その小娘は、時にどうしようもなく腹立たしくはあるが――」


 そう、葛藤を隠さずにMr.キャッスルは前置きしました。


「それでも亡き友人の大切な愛娘だ。敬意をもって遇したまえ」


「こいつが俺なりの敬意なんですがねぇ?」 


「それを敬意と呼ぶなら私は――『一体なに考えてるんだ君は!!』――と、呼ぶだろうな」


「おいおい。そりゃ、かなり傷つくドギつい表現ですぜ」


「意外と繊細な男だな貴様は。なら――『マトモじゃないぞ君!! マジでマトモじゃないぞ!!』――と呼ばれる前に、その態度を弁えたほうがよかろう」


「oh・・・・・・分かりやした。その呼び方は、マジでキツいですぜパトロン・・・・・・ところで嬢ちゃん大丈夫か? さっきからやたら咳払いしてるが?」


「べ、別になんでもありません」


 入り混じる2つの音声、一方は生声でもう一方はイヤホンから。いやなステレオサラウンドにわたしの頭はパンク寸前でした。


 向こうで何があったのか・・・・・・いえ、おおよそ察せられてしまうのが逆に辛い。だってあのヤンさんが、無線を切るのも忘れてこうも切羽詰まっているのですから。


 ノルさん、何をやらかしたのかしら・・・・・・。


 上司からの暴言に傷ついた素振りこそ見せていたものの、すでにケロッとしてるザスカーは、挙動不審なわたしを見ながら言いました。


「本当に?」


「ええ」


「あっそう・・・・・・水飲む?」


「ぜひお願いします」


 ザスカーに心配されるなんて、屈辱ともまた違う、言い知れぬ感情が湧き上がってきました。ですがこのらしくない対応、ありがたくもある。水なんてどうでもいいんですが、ザスカーが離席したというのは重要な要素でした。


 わたしの元部下と知り合いのシカリオが地下で繰り広げているらしい狂騒劇、あれに収拾がつくまでは、このソファーからザスカーを遠ざけておきたい。


 ミニバーにちどりあしで去っていくザスカーの背中を見届けてから、わたしはすぐこの変則的な通信方法を呪い始めていた。何が起きたのか聞くのも、お願いですから通信を切ってくださいと頼むのも、この方法だとおそろしく難しい。


 無線には、一度に1人しか話せないという特性があります。


 そのため無線通信において、会話の優先権を得るための合図というものが設定されています。組織によってこの合図の言い回しはちょっとずつ変わるものの、ミスリルでは“スタンバイ”と3回繰り返すことと定められてました。


 もちろん、いきなり呪文を唱えるように“スタンバイ、スタンバイ、スタンバイ”なんて喋る訳にもいきません。ですので事前の取り決め通りわたしは、テーブルを3回叩くことにしました。


 トン、トン、トンと軽く3回。


 続いて、咳払いして音を誤魔化しながらトン、トン、トンと強めに3回。


 どうしましょう、イヤホンからの絶叫が止みません。わたしの鼓膜まで悲鳴を上げたがっている。ヤンさん、いつになったら無線が送信状態のままだと気がつくのかしら?


『どうしてそんな事をした!!』


 ぎゃぁぁぁという悲鳴の合間を縫って、ヤンさんが何やら叫んでました。彼らしくもない慌てよう、なのに対する男の子モードのノルさんときたら、ぶっきらぼうに答えを返していく。


『この巨漢を引き摺っていくより、こっちの方が軽くていいだろ』


『それで普通、目玉を抉るか君ぃ!!』


 な、な、な、何してるのかしせあの人ったらッ!! 本当に何をしてるのッ!? わたしだってついつい叫びたくなりますよ!!


『生体認証って、ようは目玉を機械に当てればいいんだろ?』


 ぎゃゃゃぁぁという止まらぬ悲鳴の伴奏に、ヤンさんが目くじら抑えている姿がまざまざと目に浮かぶ。


『あのね!! 生体認証バイオメトリクスというのはだね!! 生きてる人間にしか反応しないものなんだよッ!!』


『だから?』


『だから!! その目玉が生きてるように見えるかッ!!』


『・・・・・・まだ生暖かい』


『やめろよ!! 気持ち悪いこと言うなッ!! あっ、マズッ・・・・・・』


 どうやらヤンさん、やっとこさ通信スイッチ押しっぱなしということに気がついたようです。わたしの鼓膜にも平穏が戻りました。ですが耳の中に残るこの悲鳴の残響は、当面、尾を引きそうですけど・・・・・・。


「ほらよ」


 急にかけられたザスカーの声かけに、ビクリと肩が震えてしまう。


 まず自分用のま新しいビール瓶を置くあたり、いかにもザスカーという感じですけど、テーブルにはつづいてウィスキーグラスになみなみ注がれた水が配膳される。


「・・・・・・ありがとうございます」


 わたしの消え入るようなお礼の言葉を、ザスカーはまるで聞いてませんでした。どうやってるのか素手でビール瓶の蓋を開けて、一気飲みするのにお忙しいみたいですから。


 この隙に、ヤンさんと意思疎通すべきでした。


感度明瞭ラウド・クリア


 つい先程の狂乱はまるで無かったかのように、平静そのものなヤンさんの声がイヤホンから届きました。


 あの背後の悲鳴からして、先ほどわたしが発した合図を聞いていたとは思えないのですが・・・・・・そうだわ。ザスカーが乱暴に置いた2つの飲料水、あれを何かを2度叩くという取り決めた合図と勘違いしたのかしら。


 この作戦、やはり失敗だったかも。細部をもっと詰めていれば・・・・・・ですがもう止められない。どうにか乗り切るしかありません。


『作戦を第2段階に移行してもよろしいですか?』


 勘違いしたままのようですが、ヤンさんの発した言葉はわたしが待ち望んでいたものでした。


 お水の入ったウィスキーグラスを―――本当に水なのかまず匂いで確かめてから――わたしは一息で飲み干し、テーブルにおもむろに打ち付けました。まず一回めは力強く、それから自らの行いを恥じているように、グラスの角度を調節するフリをしながら軽く二度目を響かせる。


了解コピー、開始します』


 Mr.キャッスルとの論戦なんて、所詮は前哨戦みたいなもの。本当の戦いはここから始まるのです。


「・・・・・・?」


 最初の異変は、エンジニアのサントスさんから始まりました。


「どうした?」


 怪訝さのほうが不機嫌より勝ったらしく、Mr.キャッスルは、ワークステーションの画面を食い入るように見つめてるサントスさんにそう尋ねました。


 ですが上司に怯えを見せている、忠実なサントスさんはその問いを無視。キーボードのショートカットキーを叩きながら、マウスをカチカチ。明らかに不審な態度です。


 一息ついてから、あくまで視線はワークステーションの画面に向けたままサントスさんは言う。


「ええと、定期便が届いたと通知が入りました」


「何? この時間帯にか?」


 スーツの袖元をまくり、いかにも高そうな腕時計にサングラスの視線が落とされる。それからチラッと、わたしの方を窺うMr.キャッスル。


 その意図はちょっと判然としません。カルテル経営の内幕をわたしに聞かれたくないのか、それとも直感のようなものが働いているのか・・・・・・。


「発信源は携帯電話です。タグは、XZ112C44」


「要約したまえ」


「本名ミゲル=プラド。通り名ストリート・ネーム“クエスチョンマーク”は、西地区の2次回収担当者です」


「・・・・・・5つも遮断器カットオフを通り過ぎて、いきなりこっちに連絡を寄越してきたのか?」


「それだけじゃありません。この日付けを見てください」


 相変わらず展望窓には、ワークステーションの画面がよく反射していました。ですがやはりこの角度からだと、ちょっと不鮮明にすぎる。上半分は見えても下半分は無理、ですがどうやら、警察が記録のために撮影する犯罪者のマグショットがモニターには表示されているみたい。


「所轄の警察がプラドを行方不明に認定してから、もう3ヶ月が経っています」


「3ヶ月・・・・・・あの反乱リベリオンとほぼ同時期か」


 わずかな情報から即座にわたしの表情を凝視し出すあたり、やはりMr.キャッスルは只者でないのでしょう。


「これは君の策略かな、Ms.テスタロッサ?」


 もちろん、これはわたしの組み立てた作戦のうち。ノルさんから聞き出した情報に基づく欺瞞戦術のひとつでした。


 このクエスチョンマークなる男性の仕事は、ノルさんがトラソルテオトルから持ち出した研究データを何処かへ届けることでした。


 ノルさんが最初期に行ったカリ・カルテルへの先制攻撃計画に、このクエスチョンマークというカルテルのメンバーも含まれていたのです。その際、この男の携帯電話は何かの役に立つかもとノルさんの手へと渡った。


 死者からの電話。その種を明かせば、地下にいるヤンさんが残されていた連絡先に発信しただけなのですが、疑心暗鬼の種はそこそこ撒けたみたい。


「いえ違います」


 背筋をピンと伸ばして、わたしはその疑念を真っ向から否定してやりました。


「わたしの立てた策略は、街中に仕掛けられた爆弾の方ですよ」


「・・・・・・なに?」


 初老の老人のものとは思えない、素っ頓狂ですらある声をあげてからMr.キャッスルは固まりました。


「それは一体どういう――」


「パトロン・・・・・・」


「私の会話に割り込んでくるんじゃないMr.サントス!?」


「あ、ですが、オロスコ主任から内線電話が届いて・・・・・・」


「後にしろ。爆弾? 爆弾とは何の話だ?」


「子どもたちに武器だけ与えて放っておいた、そのツケとでも表現しておきます」


 しれっと、わたしは答えていく。さあ、一世一代の大博打の始まりです。


「まあ、わたしの策略というのはちょっと正確さに欠ける表現かもしれません。

 先ほどの盗撮写真、実はあれって説得風景だったんです。彼の仕掛けたその装置デバイスを使わぬよう、とても建設的な方向で話し合ってたんですけど・・・・・・こうして途中で拉致られてしまいましたから。

 多分、すでに起動されている頃でしょうね。」


「君は何を言ってるんだ?」


「考えてみて下さい。

 ノルさんは、高度な軍事訓練を受けたプロであり、と同時にカルテルを内部から眺めてきたプロの犯罪者でもある。

 彼だけなら、カリ・カルテルの支配下にあるこの街から脱出するのは、容易くないにしても不可能ではないでしょう。ですが子どもたちを引き連れてとなると、至難のわざとなる。

 そこで彼は考えたんです。カリが自分たちを追わぬよう仕向けるには、どうしたらいいのか?

 警察? まさか彼らはDEAに至るまで買収されている。AUCを始めとする民兵組織? はたまたFARCらゲリラかしら? まさか、彼らもまたカリと共にコカイン・ビジネスで儲ける同僚にすぎない」


「そうだ、奴らは孤立無援だ」


「ですね。でも世の中には、敵の敵は味方という言葉もあるんです」


 サッと、まさかの可能性にすばやく思い至ったMr.キャッスルが顔を青ざめさせました。


「まさか」


「そのまさかです」


「理解してるのか君は・・・・・・そんなことすれば」


「戦争になるですか? でしょうね、だから必死に止めてたのに、あなたたちが邪魔するから」


「私がどれほど苦心してあの和平案をまとめたとッ!!」


「それより気になされるべきは、戦火の再熱によって予想される数万もの死者の方でしょう。これだからあなたとわたしは、永遠に分かり合えないんです」


「あのさー」


 おずおずと人差し指を上げて、白熱していくわたしとMr.キャッスルの議論に横入りしてくるザスカー。その顔は明らかに、なんのこっちゃという顔をしてました。


「なんてっか、お2人方が頭が良すぎるってのは、よく分かりやしたぜ? だけどなんの話してんのか解説してくれないと、俺にはさっぱり分からねえ・・・・・・あとそこのラテン版ビル=ゲイツも、よく分かってねえ顔してますぜ」


 いきなり水を向けられて困ってるサントスさんは、そもそもあまりに会話に興味がなさそう。ですがザスカーが自分自身について言及した部分は、真実なのでしょう。


 このカウボーイ姿の狂人は、明らかに会話についていけてない。


 不意打ちを受けてしまったMr.キャッスルは、考えをまとめるためか、この横入りを利用することにしたようです。


「詳細が知りたいなら、その小娘に聞け」


 一斉に部屋中の視線がわたしに集中しました。


 まあ、こちらとしても隠すつもりはさらさらありませんから、むしろ声高に触れまれるチャンスと見るべきでしょう。


「カルテルの裏面に通じてるあなたならご存知でしょうけど、カリにとって永遠のライバルに当たるモンドラゴン・ファミリアは、裏で停戦協定を破って市内にいくつも極秘施設を設けてます」


「知ってるさね。表でやり合わなくなっただけで、裏じゃバチバチだからな」


「そうみたいですね。彼らも、ギリギリのラインで停戦協定を守るそぶりを見せている。

 ですが切っ掛けさえあれば、モンドラゴン側も躊躇せず戦争を再開するでしょう。

 これは本で読んだのですが、カルテル間の戦争の主な原因は、利益争いとプライドの削り合いだとか。

 所詮、カルテルの経営は手段に過ぎないあなたからすれば、後者は論じなくてもいいでしょう。ですが、前者についてはとっても気になるはず。

 だって戦争中は余計な出費が嵩み、儲けが減りますもの。だから平和条約を結ばせたんじゃありません?」


 わたしの問いかけにMr.キャッスルは答えず、冷酷な眼差しを向けてくるばかりでした。


「ご存知のように、混乱カオスを巻き起こすことにかけてノルさんに勝る存在はありません。そして彼には、ケティさんというIRAで訓練を受けた頼れる爆弾技師の相棒がいる」


「ああ、なるほど・・・・・・トラソルテオトルに自爆装置を残したんだな。やるね嬢ちゃん、死なば諸共とはやっこさんらしい」


「ハズレです。仕掛けたのは、モンドラゴンの秘密施設の方ですよ」


 そうです、被害を度外視すれば自分たちからカリの目を逸らすために、これほど効果的な戦術もありません。


 これまで通りの人目のつかない暗闘ならともかく、市内で派手に爆破騒ぎなんて起これば、モンドラゴンも黙ってはいません。カルテルで戦争が起きる原因はまず利益争い、次いで、プライドの問題なのですから。


「彼によりますと、爆弾というより対戦車ロケットランチャーを搭載した自動発射装置というのがより正確な表現になるんだとか。でもまあ、長ったらしいので爆弾、あるいは単に装置デバイスと、縮めて呼んでも構わないでしょう」


「わお」


 驚きでまなこを丸くするザスカーを尻目に、Mr.キャッスルは問い詰めるように言いました。


「どのように制御してる? もし停止コードを君が知っているようなら・・・・・・」


「まさか電気仕掛けで動いているとでも? そんなのケティさんのスタイルじゃありません。あれはもっとアナクロな装置ですよ。

 歯車で動く時限信管がいまこの瞬間も時を刻んでいる」


くだらんなボーシット。そんなことでは、都合の良いタイミングで起爆することはできまい」


「ノルさんとしては、別にそれで構わないんです。むしろ自分が捕らえられた時の交渉材料にもなる。

 ゼンマイを巻いてやれば、一定期間後に発射される複数の装置デバイス。それは1年後かもしれませんし、1分後かもしれません。どちらにせよ戦争が始まれば、ノルさんからすればそれで十分なんですから」


「モンドラゴンの極秘施設と言ったな?」


「はい」


「なら特定は容易い。我々が奴らの施設とやらの場所を把握してないと思ってたのか?」


「ですがまさか、モンドラゴン側に爆弾を解除するのでそれまで避難してくださいとお願いする訳にもいかないでしょう?

 コンクリートの基部にボルトで直止めされ、トラップがいくつも仕掛けられた、爆弾処理のエキスパートにすら解体困難なケティさんの最高傑作マスターピース


「・・・・・・」


「幸運を祈ります。作った当人によりますと、所定のキーワードを入力しないと解除は無理だそうですが、一か八か試してみるのも面白いんじゃないでしょうか?

 ですけど変なところは弄らないでくださいね? ちょっとした衝撃ですぐ発射されてしまうそうですから」


「モンドラゴンが戦争を再開させたら、数万人が死ぬんだぞ!!」


「ええ、恐ろしいですね。ですからわたしは、こうしてここに居るんです」


 テーブルに並べられたわたしの私物たち。その中には、ボールペンも含まれていました。旅行途中に署名を求められる機会は割とあるものですし、それように用意していたものです。


 これで手帳とワンセットで持ち歩いていれば、手記でも書けて風流だったかもしれませんが、いかんせん機密保持の癖がついてるわたしとしましては、どんな些末な情報であれ紙媒体で残すというのが嫌だったのです。


 ですので、メモ帳がわりに備え付けられていたテーブルナプキンを1枚拝借することにしました。


「こうして捕まってしまうのは想定外でしたが・・・・・・今ごろ脱出を始めているであろうあの子たちの為にメッセンジャー役をこなせたのは、不幸中の幸いという感じですね」


「メッセンジャーだと?」


 さらりと大嘘をつきながら、あまり書き心地がよろしくないナプキンに幾つかの地名を書き記していきました。


「わたし、ノルさんにこう言ったんです。なるほど戦争を再熱させれば、カルテルの興味は否が応でもあなた方から逸れざるおえないと。

 ですが、自分たちの為だけに数万人もの人々を犠牲にすることが本当にできるのか、そう問うたのです」


「気にするものか、所詮はシカリオだ」


「・・・・・・しますよ」


 装置デバイスが実在していることを除けば、どれもこれも嘘。ですがわたしは確信しているのです。言葉少なに、わたしの提案をあっさり受け入れてくれたのは、誰あろうノルさんなのですから。


 これで書き上げ。文字列がたくさん記されたナプキンをテーブルに差し出していく。


「地名、というより幾つか座標も混じっているわ」


 誰がこのナプキンを受け取るべきか、一瞬のアイコンタクトの後、今だにわたしの隣に腰掛けているザスカーが代表してナプキンを無造作にむしり取りました。


 胸元のポケットから老眼鏡なんて取り出して、おもむろに掛けていくザスカー。レンズで一回り大きくなった目が、怪訝げに細められる。


「俺ゃあ、市内のモンドラゴンの施設はどれも暗記してますがね。この紙っきれにゃ、その住所がどれも含まれてねえ。一体どういうことだ?」


「本質的にこの装置デバイスの目的は、あくまで時間稼ぎに過ぎません。ようは市内から逃げるまで、あなた方の目を引き剥がせれば目的は達せられる。

 だからわたし、彼にこう提案したんです。

 装置デバイスの解除コードを市内各所に隠して、逃げる際にその場所をカルテル側に教えて差し上げればいいと」


 聞いた途端、ザスカーが含み笑いをはじめました。


「クックっ、まあ、そう簡単に分かるような隠し場所じゃねえんだろ?」


 物資調達の合間にちょこちょこっと隠しただけですから、そこまで凝ってはいないでしょうが、それでも分かりづらい場所がいいですとノルさんにはいい含めておいた。


「ですね。ただコレを提案したのってついさっきのことですから、探索にはあまり時間は掛からないでしょう。

 ただし幾つのか隠し場所にはGPSが必須みたいですし、トラップもあるとか。爆弾処理班EODと藪漕ぎの準備はしといてくださいね」


「それがブラフでないという証拠は?」


 Mr.キャッスルからの疑惑の声に、わたしはすまし顔で答えました。

 

「別に信じなくても構いません。ですからわたしとしましては、どうかお願いですから対処してくださいと頭を下げるほかない。

 戦争を避けられるチャンスはこの時だけです。わたしが拉致された時点で、ノルさんが起爆までの時間を早めたとしても不思議じゃありません。

 カリから愛を込めてなんて口紅で書かれてる弾頭を見たモンドラゴン・ファミリアが、一体どのような報復手段に出るのか、わたしは今からもう恐ろしくて仕方ないんです」


 半分嘘で半分本音でした。戦争を避けたいのは本音ですが、真の目的は別にある。


 わたしの話を聞き終えたザスカーは、老眼鏡を外しながら感慨深げに頷いていく。


「嬢ちゃん、結婚してくれ」


「まっぴらごめんです」


 地の底から響くように、低音のバカ笑いをザスカーがしていきますが、場の空気はといえば完全に凍りついてました。


 わたしとの討論によって少なからず不機嫌なオーラを漂わせていたMr.キャッスルでしたが、彼からすればわたしの恩を仇で返す行為に、憤慨しているようでした。


 度重なるアクシデントの嵐に冷静さを欠いている。ですが、今のところ怒鳴り散らしたりはせず、怒りを静かに蓄積させている。


 一言も言葉を発さずにただ彫像のように直立するばかりのカルテルの王。その立ち姿は、彼の部下たちに並々ならぬ緊張を強いているように見えました――ただ1人、ザスカーを除いて。

 

「・・・・・・君を助けようとしたのだぞ」


「それこそありがた迷惑です。わたしは、誰かに一方的に助けてもらうような弱い女じゃないわ」


「気をつけろ。自分が今どこにいるのか、よくよく考え――」


 ジリリリリリリりりりりりりッ!!


 さっきから祟られているかのように、ここぞというタイミングで発言を妨害されてばかりのMr.キャッスルは、鳴り喚く内線電話を前にして硬直してるサントスさんにゆっくりと、視線を向けていく。


 浅く、ですが長いため息ののち、Mr.キャッスルは言いました。


「電話に出たらどうだね、Mr.サントス」


「あっ、ですが、パトロンのお話の邪魔になるのではと・・・・・・」


「そのベルの音が一番邪魔になっているとなぜ分からんッ!!」


 慌てて、サントスさんは受話器を耳に当てていきました。


「あの・・・・・・今度は、オロスコ主任が“クレイドル”を点検するために解除コードを要請しています」


「やっと電気技師が着いたのだな」


「いえ、違います・・・・・・その、自分が電気技師に調べるよう依頼したのは、スタジアム本来の電源室の方で」


「こんな単純な命令も聞けないのか貴様は!!」


「で、ですが、状況的に見て問題があるとしたらスタジアム本来の配電設備の方で・・・・・・」


「ならどうして“クレイドル”の方に電気技師が到着してる!!」


「ですから妙なんです、そんな指示出してないのに。その、どうしましょう」


 受話器部分を手で覆いながら固まってるサントスさん。そんな彼につかつかと歩み寄ったかと思えば、強引に電話を切るMr.キャッスル。


「緊急の用件でないなら、当面わたしに電話を繋ぐんじゃない!! 今はこの小娘と爆弾忙しい!!」


「ええ、ええそうですね、やっとご理解してくださったようで感謝します。確かに停電というと不安になりますけど、万全の対策がとられてる“クレイドル”にはいかなる障害もありません」


「そもそもこんな些事、“クレイドル”が全自動で解決すべき問題だろう。どうしてイチイチ、私にお伺いを立ててくるんだ!!」


「“クレイドル”がオフラインだからでは?」


「・・・・・・どうしてそんな重要な情報を黙っていた!!」


「えっ? ですが」


「“クレイドル”は機能していないのか?!」


「ええ・・・・・・回線はスタジアム側のを理由してますから、スタジアムに停電が起きればどうしてもオフラインにならざるおえず」


 わたしはおずおずと手を挙げて、会話に横入りしていきました。


「この不毛な議論の合間にも、爆弾は時を刻んでいることをお忘れなく」


「まったくMs.テスタロッサ!! わたしはその気になればいつでも部隊を突入させて、君が無意味に感情移入しているカギどもを皆殺しにできるとちゃんと理解しているのかね!!」


「ああー、その件ですがねパトロン」


 わたしの横で、ザスカーが彼なりに精一杯に敬意を払って報告していく。ビール瓶片手でしたけど。


「安宿でちいと損害受けちまったし、フロッグマンでキングコングの真似事しちまったばかりですしねぇ。

 当初のオーダー通りに迅速かつ、周囲に気づかれぬよう静かに制圧ってのを今ずくやれってのは無理な相談ですわ。船ごと海の藻屑にしろってんなら、いつでもできやすがね」


「馬鹿を言うな!! カリが世間から注目を浴びるようなことは絶対に避けろとあれほど――」


 ジリリリリリリりりりりりりッ!!


 まさに悪魔的なタイミングで、再び内線電話が鳴り響きだす。といいますか、ずっと盗聴器で聞き耳を立てていたヤンさんのタイミングの測り方がイヤらしいのでしょう。


 いえ、こういうやり口はどちらかといえばノルさんの手腕かしら?


 どちらにせよ作戦は順調に推移してました。カリ・カルテルの独裁者、彼の正常な判断能力を奪うにはどうしたらいいか? 軍事作戦というより、これはまるっきり詐欺師のやり口なのですが、次から次へと問題を作り出すことで判断能力を散逸させるというのは、我ながらなんともセコい手です。


 経験があるのでこの時ばかりは、Mr.キャッスルの苦しみがわかりました。


 ですがまあ、ASにタンゴを踊らせたいとかのたまって新鋭機を破損させたり、宝探ししてたらASが全損してしまいましたーとか、報告されるよりずっとマシに見えますけど。


 ストレスが沸点に達しつつあるMr.キャッスルの顔は、怒りからのっぺりした無表情に緩やかに切り替わっていきました。つい先ほどまでわたしに向けられていた一方的な親愛の情が消えていくのが分かります。


 わたしを敵と断じるべきか、内心で葛藤しているに違いありません。


「・・・・・・すべては子どもたちを救うためか。その善行のために、数万人を死なす覚悟が君にはあるのか」


「今さらだわ。わたしの両手はとうに血で真っ赤です」


 クウェートに降り注ぐ核弾頭。メリダ島で死んでいった部下たち。わたしがやれと命じてきたこれまですべての命令一つ一つが、わたしの十字架なのです。


 過去は消えない。ですがせめて、少しぐらいは十字架以外のものを後の世に残していきたい。そんな傲慢ですらある――ですが確かに、あの船の12人のためにはなる独善的な正義のために、わたしは今ここに居るのです。


「・・・・・・Mr.ザスカー!!」


「なんざんしょ?」


 一旦、小うるさい受話器を手に取ってからMr.キャッスルは、ザスカーに言いました。


「貴様の私兵を割いて、念のためにその座標の場所へ確認に行かせろ」


「俺の兵にすか? でもなあ、やっとこさ帰国させた先遣隊が割と損害受けたばかりですし、再編成に忙しいんですがねぇ」


「嫌な予感がする。いま私が動かせるのはB.S.S.と、貴様のところの人員だけだ」


「やってもいいですがねぇパトロン。そうなると、3ヶ月かけて市内に兵を入れるためにしてきた下準備が台無しに――」


「つべこべ言わずに・・・・・・今度はなんだねMr.サントス!!」


「あ、あ、あ、あの、電源室に電気技師が到着したそうで・・・・・・」


「オロスコには待てと伝えろ!!」


 そこでふと、当のオロスコさんが掛けてきた電話が自分の手の中に収まってると、Mr.キャッスルは気づいたようでした。


「い、いえそっちではなく、スタジアム本来の電源室の方でして。これは自分が先ほど要請した通りの対応なんですが、するとオロスコ主任の方に到着した電機技師って何者なんでしょう?

 それに電源室の方に詰めているはずの担当の警備員の姿が見えないという情報も・・・・・・」


「何なんだこれは!! 私の部下は、自分で判断することすらできないのかッ!!」


「ですが、そういう風に組織を作ったのは貴方では?」


 慌てて、サントスさんが口を塞ぎました。


 真実が敵対視される組織というのは、どこか末期的な雰囲気が漂うものなのですね・・・・・・わたしの記憶、ノルさんの内部情報、ヤンさんの捜査記録、すべてを束ねて導き出された人物像がまさにこれです


 己しか信じていないワンマン経営者。


 プロファイリングと呼ぶのはあまりにおこがましいでしょうが、Mr.キャッスルに対するわたしのそんな読みは大正解だったようでした。


 この人物は、自分以外の誰一人として信用していない。その態度があまりに明け透けなせいで、部下もまた上司を信じ切れていない。そんな気配が漂ってました。


 どことなく気まずい空気、それを酔いどれたザスカーだけはシニカル笑いながら見守っていました。この部屋には信頼関係なんて微塵も存在しなかったのです。


 わたしは背を丸め、考え込むように手を口元にやりながら、それとなく顔をテーブルに近寄せていきました。


 ザスカーがすぐ側にいる以上、こんなのリスキー極まりないのでしょうが、このタイミングを逃したら次があるかどうか。これは軍事作戦というより詐欺に近いのです。相手の感情を読んで、リアルタイムに対応するしかない。


「・・・・・・わたしの合図で停電を」


 そう盗聴器に囁きかける。


 聞こえたでしょうか? 受信状態の悪さはさっきから把握してますから、今はただヤンさんが聞き届けてくれたことを祈るばかりです・・・・・・。


「よろしい、一度にひとつずつ対応していく」


 仕切り直しを宣言したMr.キャッスルは、まずふてぶてしいザスカーをサングラス越しに睨めつる。


大口ビッグマウスに比べ、Mr.ザスカーとその子飼い私兵パラミリどもがクソの役にも立たんことは分かった」


「すんませんねぇ」


 毛ほども謝っているように聞こえないザスカーを無視して、Mr.キャッスルは指を鳴らしてエレベーター前の警備員たちに合図し、わたしが住所を記したナプキンを回収させました。


「B.S.S.の予備人員を動員して、このくだらん宝探しをやらせろ」


 命令を聞いて、即座に身につける無線機に何やら吹き込みだす警備員。あるいは、この場で一番のプロフェッショナルはこの警備員たちかもしれません。余計な意見を一切話さず、ただ黙々と職務をこなしている。


 このスタジアムを守っているB.S.S.の総数は300名。ですがこれで、このうちの少なくない人数が爆弾探しに割かれることになる。


 続いて、命令が飛んだ先はサントスさんでした。


「政府の裏チャンネルから、モンドラゴン側にそれとなく情報をリークさせろ。ゲリラが攻撃を仕掛けるかもしれんとな。そもそも協定を破って、勝手に市内に拠点を築いたのは奴らの方だ、目こぼしがそういつまでも続くと思うな」


「あの・・・・・・それって僕に言ってるので?」


「ああそうだとも、何のために貴様を“クレイドル”の管理人として雇ったと思っているのだ!! 高給の分だけ働いてみせろ!!」


「シ、シー、パトロン!!」


「役立ず共が・・・・・・それで、次は何だった?」


「あの、定期便の件と、メンテナンス周りが2件」


「死人からの電話なぞくだらん手に乗るものか。待て、メンテナンス周りが2件とはどういうことだ?」


「その、ですから、先の停電の折に電気系統をメンテナンスせよとパトロンが――」


「それで総点検を始めたのか? 何をやってるんだ」


「で、ですから・・・・・・もしかして話を、いえ、何でもありません」


「無能が」


「・・・・・・」


「優先順位を付ける。Mr.サントス、貴様の知的能力については最近、大いなる疑問を抱いてはいるが、それでも専門家であることに変わりはない。

 意見を変えるつもりはないか? “クレイドル”の確認が必要だというのは、IT音痴の愚かな老人の繰り言にすぎんと」


「そ、そこまでは言ってませんが・・・・・・しかし、緊急のメンテナンスの必要性は感じません」


 どこか申し訳ない気持ちになる。こうなったのは、少なからずわたしたちのせいなのですから。


 絵に書いたようなパワーハラスメント。技術をよく理解しないままただ利用しているだけの老人の癇癪に、関係のない責任まで負わされているエンジニア。ですがこの歪な関係性につけ込むしかない。


 わたしは静かにリモコンキーの横のテーブルを指で叩きました。停電させるなら今を置いてほかにない。


 はたして、また暗闇がスタジアムを包みました。


 電源室で直接いじった訳じゃないでしょう。手筈通りであれば、無線発火装置を介して二度と復旧できないよう重要な部分だけを吹き飛ばしたはず。


 またしても停電。サントスさんは息を呑み、彼にとっては最悪のタイミングにあたるこの異常事態を固唾を飲んで見守っていました。ですがいつまで経っても復旧しません。空調は止まったまま、避難のために必要な最低限の灯りを照らすべく、予備電源が起動していく。 


 異常は展望窓の向こう側、グラウンドでも見受けられました。きっとこの停電が一過性のものではないと現場監督が判断したのでしょう、けたたましく笛の音が鳴って、作業全体が中断されていったようです。


 何百といる作業員たちが各々のライト片手に、ASはじめとする作業機械と一緒にバックヤードへ引っ込んでいくのがここからでも窺えました。


 もうくどくどMr.キャッスルは説教したりしませんでした。断固たる口調で命令を下していく。


「全面メンテナンスを行う。スタジアム、“クレイドル”双方ともに徹底的に調べ上げて、この不始末をつけろ」


「分かりました・・・・・・」


「オロスコに繋げ」


 ずっとキープしていた内線電話の受話器を、どこか諦めきった態度で、サントスさんはサングラス姿の上司に手渡しました。


 ナイター用の巨大投光機すらも闇に包まれている。この場で光っているのは、非常用照明の薄ぼんやりした橙色の明かりと、電源をスタジアムとは別の場所から引いているワークステーションのモニターの照り返しだけでした。


 そんなモニターのデジタルな光が、アビエイターサングラスに不気味に反射していく。


 カルテルのボスが受話器を耳に押し当てると、


『中継します』


 盗聴器で逐一こちらの状態をモニターしていたヤンさんは、即座に“クレイドル”側の会話をわたしのイヤホンに向けて流し始めました。


 無線通信からまず聞こえてきたのは、くぐもった中年男性の息遣い。どうやら話題の人であるオロスコさんのすぐ目前に、ヤンさんは無線機を近寄らせたよう。


 “余計なことを言えば、どうなるか知ってるな?”


 ノルさんに目を抉り取られてしまった矢先なのです、この警告が冗談でないとオロスコさんは骨身に染みているのでしょう。荒い息遣いに諦めのようなものが混じる。


「オロスコ」


 サングラスの男の電話越しの問いかけ、その回答はイヤホンから響きました。


『・・・・・・シー・パトロン』


「貴様個人として、点検は必要だと感じるか」


『たぶん』


「要領を得んな」


 何やらイヤホン向こうで無線機が動き、くぐもったノイズが聞こえてきます。どうやらオロスコさんから受話器を奪ったノルさんが、念押しているみたい。


『片目が無事なうちによく考えろ』


クソッミエルダ・・・・・・裏切ったら俺は消される』


『だろうな。だが俺たちに付けば、最低でも逃げる時間は稼げるぞ』


 短い悪態のあと、ふたたびオロスコさんは通話を再開しました。


『さっき来た技師によれば、回線が切れているとか何とか』


「回線の件はこちらも掌握してる」


「あのちょっと、よろしいですか」


 すぐ横で会話内容に聞き耳を立てていたサントスさんが、自らの上司に向けて注釈を付け加えました。


「あ、それは以前も言いましたが仕方がないんです。“クレイドル”の回線は、スタジアムからバイパスされてますから、スタジアム側が停電したらオフラインにならざるおえないんです。

 ですが仮にダウンが長期化したとしても、シミュレーション・モデルによれば組織の経営は72時間までなら影響ないと――」


「黙っていろ」


「・・・・・・」


「良かろう、メンテナンスを許可する」


 開かずの扉があればどうするか?


 わたしは金庫破りでもなければ、詐欺師でもありません。しかしながら潜水艦の設計技術者であり、独自のマシン語を生み出してコードを書くような度し難いコンピューター・オタクでもあるのです。


 そう、ちょびっとだけですけどハッキングに造詣が深かったりするんです。


 真っ暗な部屋の中、超高速でキーボードを叩くだけで国防総省ペンタゴンのメインフレームにすらルート権限でアクセスできる。そんなハッカー像は大間違いです。


 実際には何十ものプロテクトが施されたコードの粗探しをするぐらいなら、もっと手近な人間心理という弱点を責める方が手っ取り早かったりするのです。


 パスワードは探すより、単純に聞く方が早い。電話越しにパスワードを尋ねられても普通は誰も答えませんが、これが国防総省のさる部署の者ですと名乗ると、途端に相手は納得する。わたしはそうしてミスリルの残党を率いて世界中を逃走していた頃、情報収集の一環としてペンタゴンへのハッキングを成功させたのです。


 その名もソーシャル・エンジニアリング。


 わたしがこうして意図的に捕まったのもそれが目的。開かずの扉を開けたいなら、鍵を持っている人物にあげてもらえばいいだけ。


 相手の判断能力を鈍らせ、厳重に守っているものを空けさせる合理的な理由を信じ込ませる。そのあとは開ゴマオープン・セサミ――カルテルの極秘データを奪い取って交渉材料に利用する。


 再三の説明にも耳を傾けなかったのです。どうやらサントスさんは、会話の行き着く先を予想していたようで、おもむろにモニターを傾けました。


 習慣づけられた自然な仕草・・・・・・ですがその意図がちょっと分からない。金庫ヴェクターの解錠には三段階を踏む必要があって、うち2つはすでに終わっている。


 あとはMr.キャッスルの音声入力だけですが、毎回パスワードが変わっているのかしら?


 なんとかモニターの内容を読み通ろうと、画面が反射してる展望窓に目を凝らしますが、角度を変えられてしまったこともあって朧げにしか読み取れない。そこにはこう書かれていました。


 Response・Code。


 マズイわ・・・・・・三段階の開錠システムだけでなく、大っぴらに異常事態であると話せない時ように、秘密の暗号を取り決めていたのね。


?」


 一見すると自然な質問です。これでは、回答者のすぐ横で銃口を突きつけている強盗犯だとこと、ノルさんたちも気づかない。


 もちろんその返答だって、自然に聞こえるもののはず。このままではノルさんたちが側で脅迫しているとバレてしまう。


 気持ちが焦る。よしんばこの件をノルさんたちに警告したところで、正しい回答文もセットで伝えなければどうにもならないでしょう。適当な誤魔化しが効く段階じゃありません。


 なのに、絶妙なところでモニターが読み取れない。


 やはり角度が悪すぎる。かといって見やすい位置に移動したくとも唐突に席を立てばあらぬ疑惑を生むだけですし、よしんば移動できたところで、連絡するためにはまたこのソファーに舞い戻って、リモコンキーに囁きかける必要がある。


 なんてこと、あと一歩、ほんのあと一歩なのに・・・・・・正しい答えだけが見えない。


 異常時の返答は、“用意されています”。では正常時は? ありそうな答えを今すぐ推測する? まさか、そんな当てずっぽうが当たる確率は天文学的でしょう。


 額から汗が滲んでいく。こればっかりは、空調が止まったせいでないのは明白でした。


「どうした?」


 不審げなMr.キャッスル。


 せめて爆弾探しのために人員が割かれたあとなら、発覚してもどうにかなったかもしれません。この作戦は時間と機会の両面で、今しかできないものでした。


 撤退するしかありません・・・・・・せめて被害が出ないうちに、ここで欲を出せば犠牲を払うのはわたしでなく、まずヤンさんでありノルさん、ケティさんなのです。


 ですがその後は?


 いつ果てることなく続けられる暴力の連鎖。覚悟を決めて、わたしはそこに再び加わるしかないのでしょう。司法機関はおろか、国家すらも頼りにならないのですから。


 残るにせよ、逃げるにせよ、強大なカルテルを相手取って戦う以外に道は残されていない。ですがそんなこと、いつまで続けられるのか?

 

「“問題なしノープロブレム”だぜ、嬢ちゃん」


「えっ?」


 予想だにしない言葉に呆気にとられる。


 拳銃だこによってひどく節くれだった指で、静かに盗聴器が仕込まれているリモコンキーを覆いながら、ザスカーは酒臭い口で言う。

 

「それが答えさね」


 それからザスカーは、ウィンクしたのです。


 スッとリモコンキーを隠していた手がどけられ、人を小馬鹿にするような冷笑を顔にたたえながら、深くソファーに身を預けていくカウボーイ姿のシカリオ。


 まさか、すべてを知っていた?


 盗聴器のことも、それがどこに繋がっているかも。だとしたらなぜ、そのことを自らのボスに伝えなかったのか? 疑問が止めどなく溢れてきますが、答えの尻尾すら掴めそうにない。


 賭けでした。このまま成果なく撤退するか、それともまるで狙いが見えてこないシカリオの口車に乗るのか?


 ・・・・・・一拍の間が、まるで無限に続くかのように感じられる。すると耳元のイヤホンから声が聞こえてきたのです。


『“問題なしノープロブレム”』


 キレの悪い喋り方でしたが、オロスコさんの回答にMr.キャッスルはさして疑問を抱かなかったようです。


「・・・・・・よかろう。最終段階まで解錠を進めろ」


 合っていた。なのに、ホッとする気持ちなんて微塵も湧いてきませんでした。


 希望的観測にすがったりしません。ザスカーが唐突にこちらの味方についた、そんなナンセンスある訳がない。


 ですがここで強引にこの男に逆らったところで、わたしに出来ることはあまりないのです。だってこちらの意図は全て見透かされている。


 盗聴器に明らかに気づいている、ならばノルさんたちが今どこで何をしているかも承知のはず。ですがその逆に向こうの意図がまるで分からない。組織に弓を引いたところで、ザスカーに得るものなんて無いはずなのに。


 自分が絶対的な優位になければ、こんな風に明かさないでしょう。


 なら覚悟すべきなのです。いえ、そんなものとうにしていた。命の優先順位は守られなければならない。


 わたしがギリギリまでここで踏みとどまれば、ノルさんたちが逃げ出すまで援護することができる。それに比べれば、わたしの犠牲なんて安いものです。


「なぜですか?」


 わたしの真剣な問いかけにまるで答えず、ザスカーはニヤつきながらビールを飲み干すばかり。つい先ほどまで、わたしはこの男を単なるカルテルの尖兵としか思っていなかったのに、今はどうにも、言い知れぬ不気味さのようなものを感じてしまう。


 一方でMr.キャッスルは、淡々と業務をこなすかのように、わたしたちがずっと求めいた一言を受話器に吹き込んでいきました。


「“Don't tread on me我を踏みつけるなかれ”」


 それが音声入力の答えでした。


 イヤホンがジジッと空電を鳴らす。重々しく巨大な扉が開いていく音を背景に、ヤンさんが短く報告を飛ばしてくる。


Vが開きましたヴェクター・イズ・オープン。データの奪取を開始します』


 急に、わたしにしか聞こえない低い笑い声をザスカーは上げ始める。


「やっぱり尊敬に値する人ですぜ、アンタは」


 わたしに向けての言葉じゃありませんでした。人の頭を通り越して、次の問題に取り掛かろうとしている自らの上司へとザスカーは語りかけていたのです。


「俺の気持ちをズバリと言い当てなさる」


 フェーズ1・潜入。


 フェーズ2・制圧。


 そして今はフェーズ3・奪取であり、残るは第4段階、脱出のみとなっています。ですがいつものことながら、最後の仕上げが一番難しいもの。


 作業が一段落したからでしょう、Mr.キャッスルはこちら向きなおり、


「この世には、運命なんてものは存在しない」


 そう、わたしへ語りかけてきたのです。








 

【“ノル”――隠し地下区画・“クレイドル”前ホール】


 開かれた金庫の向こう側には、どこかで見たことのある光景が広がっていた。


 トラソルテオトルの船底に作られたサーバールーム、まさにそれにくりそつだった。よく分からない“さいばー”な奴らがピカピカ光を放ちつつ、冷気に包まれて保管されている。あれがテッサの言うところの起死回生の策であるらしい。


 こう言い残してからDEAラ・ディアは、扉が開いた途端に中へと飛び込んでいった。


「僕がデータを抽出するまでに脱出の手はずを整えてくれ」


 つまり面倒ごとは全部お前がやれってことらしい。


「・・・・・・これで俺もお終いだ。パトロンに殺されちまう」


 先ほどの威勢はどこへやら。片目のエイハブとなってからというもの、オロスコの泣き言はとどまるところを知らなかった。


「泣き言やめないともう片方も抉るぞ」


「・・・・・・死んだら五体満足だとか関係ねえだろう」


「わからないのか? 片目で眼帯なら格好がつくが、両目に眼帯なんて最悪だ、ダサいなんてもんじゃない。パンストを頭からかぶって生活してる変態とさして変わらない格好になる、それでも良いのか」


「どうして俺がそんな間抜けな格好をしなくちゃならねえんだ!!」


「両目を抉られたらそうならざるおえないだろう」


「仮に両目が無くなったにしてもだ、眼帯つけなきゃいいだけの話だろうが!!」


 ・・・・・・よく分からないことをのたまう奴である。論理的必然という言葉を知らないらしい。


 もうコイツの役目は終わった。今となっては、泣き言も相まって重荷でしかない。適当にとどめを刺すか。頭にパン、パン、弾丸は大方の問題を解決してくれる。少なくともこれまでの俺の人生ではそうだった。


 そんな誘惑に駆られもするが、一度は助けておきながら気が変わったからというのも己の流儀に反するし、テッサがあとでくどくど文句を言ってきそうだ。だからATV乗り場までオロスコを引きずっていった。


 しかしATVとは・・・・・・なんとも都合の良い乗り物が置かれていたものだ。


 俺とDEA、あとは荷台に縛りつけられる予定のオロスコの分で2台。これで十分だろう。あとの車両は余計だし、追跡に使われたりすると厄介だ。だからタイヤに銃剣を突き刺し、予備タイヤをはじめとする修理器具が山積みになっている整備ステーションには、簡単な手榴弾を使ったブービートラップを仕掛けておいた。これで持ち込んできた手榴弾はすべて使い切ってしまった。


 他にも燃料タンクに砂を混ぜておくとか手の込んだことも出来るが、最小限の手間でここまでやれば、時間稼ぎとしては十分過ぎるだろう。


 あとは俺たちが使う用のATVのタイヤ圧と、燃料ゲージが実際のタンク内の容量が合致してるかどうか叩いて調べるだけでいい。結論、どちらも大丈夫そうだ。ここの奴らは戦闘力は論外だったが、整備力はそうでもないらしい。


 ATVに乗るのは久方ぶり。だがバイクよりもタイヤの数が倍もある分、安定性が高く、運転の難易度も低い。不安がるべきは、不衛生な下水道を駆け抜けざるおえないことの方だろう。なにせ重症こそ負ってないが、全身どこも小傷だらけだから感染症が心配だった。


 骨折とか銃創とかなら寝ればだいたい治るのだが、感染症ばかりはそうもいかない。トラソルテオトルの科学者たちは人の身体にいくつも謎めいた薬剤を投与していたが、その中に破傷風のワクチンも含まれていたかどうか・・・・・・そもそも研修室の中の記憶はいつも霧ががっていて、よく思い出せないのだ。俺だけでなくみんなそうだったから、きっと薬の影響なのだと思う。


 となると用意しておいた抗生物質に期待するしかないか。もっともこれは全部、杞憂におわる可能性は高いのだが。そもそもここを逃れられなければ、元も子もないのだ。起きてもいない問題に心砕く暇はない、か。


 侵入ルートと脱出ルートは同じにしろというのは暗殺の基本だが、より良いルートが見つかったのなら無闇に基本に拘るのも悪手だ。コレは時間との戦いでもある、警備の目をかい潜って再びスタジアムを横断するよりは、こっちの方が早くて安全だろう。


 壁に貼り付けてあった下水道の地図を2枚ばかし剥ぎ取り、残りはすべてゴミ箱に放り込んで燃やしておいた。


 ラミネート加工された地図にはありがたいことに、いくつかある出口が街のどの辺りに通じるのかまで書き記されていた。けっきょく出番の訪れなかったケティと上手い具合に落ち合えるルートをいくつか見出してから、地図をATVの棒形ハンドルにくくりつける。


 なんとなく・・・・・・順調すぎて怖いぐらいだった。


 電波の機嫌が悪いのか、俺の盗聴器はこの空間に足を踏み入れてからというもの絶不調だった。途切れ途切れにVIPルーム内の声が聞こえてくるのだが、どうにも要領を得ない。


『・・・・・・私は・・・愛国的なマキャベリストであると・・・・・・10人のうち4人が不幸になると・・・・・・10人すべてよりはよほどマシだ』


 この声の持ち主はMr.キャッスル、俺がこれまで仕えてきた匿名主義のボスヘッフェであるらしい。


 だが正直、こんなものかと感じていた。


 以前、狙っていた時は、それなりに大物であろうとは踏んでいたが、まさかカリ全体を背負って立つ男だとは露ほども思っていなかった。せいぜい一部門の長止まりだろうと。


 偉いは偉いのだろうが、どうにも風格というものが欠けている気がしてならない。だがそれを言ったらテッサだってそうだ。風格なんて微塵もないが、実力だけは認めざる負えない。


 国境の向こう側では、人は見かけによらないを地で行かないとダメというルールでもあるのだろうか。部下に当たり散らすたまらない中間管理職臭ショボさも相まって、本当にこの男が新生カリ・カルテルの生みの親なのかと疑わずにはいられなかった。


 耳元のイヤホンからは、ひっきりなしに話し続ける男の声音が鳴り響いていた。


『・・・・・・だがもし、もしもだ、このまま留まるつもりだというのであれば――ご両親のように頭をぶち抜いてやるぞ? Ms.テスタロッサ?』


 久方ぶりのクリアな音声。だが、それが不意に掻き消えた。


「?」


 機械トラブルか? それともまたぞろ電波の受信状態が悪いのか。いつまで経っても空電音が響くばかりで音声が聞こえてこない。


 異常事態なのは明らかだった。これまでブツブツと途切れることはあっても、こうもひっきりなしにノイズが走るなんて起きなかった。電波の問題じゃない、向こうで何かあったのだろうか?


 “わたしのことは心配ご無用。あなたは、自分のなすべき事だけをやり遂げてください”


 そう言ったのは誰あろうテッサ本人だった。そうだな、気にしてもこっちに打てる手はないか。そう考え、俺は帽子の角度を直し、気を引き締めなおした。


 そうだな、まず脱出ルートの確保が急務だ。俺は、引きずってきた片目の男にハッチについて問うてみることにした。


「このハッチはどうやって開けるんだ?」


 下水道へとつづくハッチ。大型トラックぐらい余裕で通り抜けられそうなソレを前にして、オロスコのなかで急に反発心が蘇ってきたらしい。


くたばれプータ・マドレ


 諦めがついて従順になってきたかと思ったら、懲りない奴だ。


「そんな態度でいいのか?」


「どうせ俺は死ぬんだ・・・・・・」


「いや、最悪なパターンは死ねないことの方だ。

 これまで幾人も裏切り者ヒキガエルを始末してきた立場から言わせてもらうなら、人体というのは適切な治療を施しながら拷問にかけてやれば、両手足を切断した程度では死にたくても死ねず――」


「俺の首のキーを取って、あのパネルに差し込め。ランプがグリーンになったら、あとはオープンOPENって描かれたボタンを押すだけでいい」


「素直でよろしい」


 まあ無事に逃げ切れたら、バス代ぐらい用立ててやるとも。


 教えられた通りに手順を進めると、いきなり換気扇が動き出した。つづいてオレンジの警告灯が無音で回転しだして、大きなハッチがゆっくり迫り上がっていく。


 ぽっかりと開いたハッチの向こう側には、数値上は意外と広いのだろうが、感覚的にはひどく狭く感じられる人工トンネルが広がっていた。鼻が曲がりそうな匂いだった。換気扇が全力運転してても、この吐き気をもよおす汚濁の匂いは消し切れていない。


 滅多に使うものでないから、水捌けとか奴ら気にしてないらしい。お陰で、トンネルの床には汚水が沼のように溜まっている。


 ガリルの先端に取りつけているタクティカルライトのスイッチを押して、トンネルの向こう側を照らしてみた。


 吸い込まれそうな黒い穴の数十m向こう側に曲がり角が見えた。とりあえずちゃんと道は続いてるようだが・・・・・・行ってみなれば分からないことが多すぎる。


「このトンネル、一度ぐらい使ったことあるんだろうな?」


 オロスコにそう尋ねると、嫌そうな顔をしつつもちゃんと答えてきた。


「予行演習は定期的に行ってる。雨季のピーク以外は、ATVで問題なく走破できるそうだ・・・・・・」


 なるほど、それでこのどデカいハッチか。


 脱出路から逆に侵入されるなんてお間抜けな展開を防ぐためだけにしては、大掛かりにすぎると思っていたが、増水も想定しているなら納得だ。自然には誰も敵わない。せっかく大金をかけて作り上げた施設が水没なんてしようものなら、目も当てられないだろう。よく考えられている。


 そうだな、ずっとカリに籍を置いてきたのだ。この組織の変質的なまでの用意周到さをちょっとは信頼してやるか。


 脱出ルートはこれで十分、下準備の99%が終わった。あとはATVのエンジンを掛けてハッチの前まで運転し、いつでも出せる状態にするぐらいだ。


 手間取りはしなかったが、それなりに時間は過ぎていたらしい。自分の役目を終えたDEAが金庫の中からバタバタ、銀色の箱みたいなものをバックパックに納めながらこちらに駆け寄ってくる。


「終わったのか?」


 そう声をかけると、


「ああ」


 それだけで十分なのにこのDEAときたら、


「驚いたよ大佐殿謹製の圧縮ソフト、圧縮効率も処理速度も異様さ。あれだね、落ち着いた頃にこの圧縮規格を世に売りに出せば、業界が騒然とすること疑いの余地がない。

 いや本気で大佐殿に提案してみるべきかもね。コイツを売りに出せば、あの子らの将来のために幾らか積み立てることもできるかもしれない。それぐらいのポテンシャルがあるよ。

 だけど・・・・・・大佐殿のこと君も聞いてたろ? 助けに行きたいのは山々だが、かといって僕らにも役割があるからね。こいつを先に全うしないと、そっちの方がヤバい。だから僕らもちょっとは脱出のペースを早めないとすぐ追っ手が――」


「今度から終わったのかと聞かれたら、ああとか、そうだとか、一言で答えろ」


「・・・・・・お気遣いどうも。きちんとこのHDDにカルテルの秘密データを移し終わったとも。もちろん“置き土産”も忘れずにね。詳細を聞くかい?」


「いい」


 オロスコは自分の命が惜しいタイプだ。だから心配無用だとは思うが、念のため、奴の手の中でテープでがんじがらめにされている手榴弾を回収する。すでに安全ピンは抜かれているから、いまコイツの起爆を止めているのは安全レバーを抑える俺の握力だけだった。


 映画と異なって、現実の手榴弾は安全ピンを戻したところでなんの意味もない。ピンが抜かれた時点ですでに信管は叩かれている。当面は安全レバーをテープでぐるぐる巻きにしておき、折をみて安全なところで起爆させて処理するしかないだろう。


「いっそ・・・・・・トドメを刺したらどうだ」

 

 ATVの荷台に縛り付けられていくオロスコが、捨て鉢になってまたほざいていた。


「いいのか? なら銃にするか? それともナイフで首をかき切るか? 苦しみたくないならせっかく目玉がなくなったことだし、眼窩に一息でナイフを突き立てて脳の神経を一瞬で切断するって手も」


「い、いいから縛りやがれよもぅ!!」


 良い大人なのに泣きべそかき始めるオロスコ、本当に何がやりたいんだろうなコイツは。


「・・・・・・なあ」


 DEAが囁きかけてくる。


「少し待て」


 オロスコのブヨブヨした腕に結束ケーブルを巻きつけた。汗をかいてるし、脂肪の伸縮性が異様だから中々うまい具合にいかない。面倒だな。


「ちょっと君・・・・・・」


「待てと言ってる」


 走行途中に手枷が外れて車両から脱落とかはまだ良い方で、運転している最中の人の首に手を回して絞めあげてくるなんて願い下げだった。しっかり結ばないと。


「オイッ!!」


 そろそろ怒鳴り返してやるか。堪忍袋の尾が切れかけの俺が振り向くと、DEAはこちらを見てはいなかった。インベルを肩付けして、一心不乱にトンネルの暗闇を睨みつけている。


 まさか、そういう気持ちが先行する。


 だが程なく、何が起きているのか俺以上に分かっていないオロスコを捨て置き、ガリルを拾いあげDEAの横へと並んでいった。


「・・・・・・」


 どうしたとは問わなかった。異常は明らかだった。


 ついさっきまで凪いでいたトンネルの底にたまる汚水が、今はまるで海のように激しく波打っているのだ。この国では突発的に雨が降ることはままあるが、段々と水位が増していくならともかく、こんな風に波になったりはしないだろう。


 あるとしたら、何か巨大なものが汚水をかき分けているからに違いない――そう、何かとても大きなものが。


「エレベーターを、俺はハッチを閉鎖する」


 DEAもプロだ、質問もせず無言で背後のエレベーターへと駆けていった。


 このハッチは、オープンと書かれているボタンを押したら開いた。ならその逆に今度はクロースと書かれたボタンを押してやれば閉鎖できるはず。実際、その通りだった。


 また回転灯が回りだし、油圧駆動が忙しない扉の開け閉めに抗議の軋みをあげる。閉鎖まであと数メートル、それが数十センチとなったその時、俺はトンネルの向こう側に這いずりまわる巨大な影を見た気がした。


「急げ!!」


 すでに昇降ボタンを押し込み、エレベーターの到着を待っているDEAが遠くから叫んでくる。わずかに開いたハッチの隙間から、押しのけられた汚水が吹き出てくる。


「待て!! 俺を置いていくのか!?」


 一刻も早くここから逃れたいのに、オロスコの泣き声が俺の足を止めさせた。まったく・・・・・・せっかく縛ったばっかりなのに、切れ味があまりよろしくない銃剣でその戒めを解く羽目になるとは。


「おい、おい・・・・・・早くしてくれ!!」


 頭は冷え切っていて、焦りもない。それなのに手が思うように動かなかった。理由は明白、巨大な何かがハッチを太鼓のように叩いているせいで地面が揺れ、手元が狂うからだった。


「目を瞑ってろ」


 こうなれば非常手段。弾丸を飛ばすための発射ガスの威力は絶大だ。銃口付近を手で握り締めたまま発射すれば、指がすべて吹き飛ぶほどに。


 俺はオロスコの手首と結束ケーブルの間にガリルの銃口をねじ込み、それだけは勘弁してくれと必死な奴の願いに反し、そのまま引き金を絞っていた。


 銃声、つづいて声ならぬ悲鳴。


「ぎぃあッッ!?!!」


 血がにじみ焼け焦げのついたオロスコの手首には、もうなんの縛めも無くなっていた。


 人生最悪の日を過ごしているに違いない太っちょの首根っこを掴んで、テッサも俺にとんだ宿題を押しつけたものだと呪いながら駆けていく。


 だが急にオロスコが転けた。


 その苦しげなうめき声から、単に足を滑らした訳でないとすぐ知れた。砕け飛んだハッチのボルトが奴の背中に直撃していたのだ。これはもう無理だ。人命尊重なんて言ってる場合じゃない、俺の身だって危ない。


 咄嗟に飛び退く。


 ブーツとは気に食わない履物だが、ハイヒールより数少ない美点としてグリップがよく効いて、飛びやすいというものがある。かなりの距離をジャンプして、ぐるぐる回転しながら受け身の姿勢をとった。


 こんな回避動作をとらなければ、俺もオロスコ同様に倒れてきた巨大ハッチの下敷きになっていただろう。


 舞い散る湿った粉塵にむせびながら身を起こす。オロスコの姿は見えなかった。あえて探す気もない。あの血溜まりの主が誰なのか調べたところで、誰も幸福にはならない。


 まだ微かにエレベーターに逃げ込める可能性は残っていた、そう離れてはいない。だがエレベーターの方に目を向けてみれば、頭上の階数表示を見るために距離を取った割にはあまりに離れすぎ、かつ扉へとライフルの銃口を向けているDEAの姿が見えた。


 なるほど・・・・・・芸風に幅のない奴だ。すべてのエレベーターに人員を分乗させて、一斉に乗り付ける。まさに安宿の時に奴がとった戦術の焼き直しだ。まあ、効果的だからこそザスカーも同じ手に出たのだろうが。


 正面のエレベーターは論外だ。同時に降りてくるのは全部で6基。人数も安宿の時の倍はいるだろうし、場所が場所だからチンピラなんて使わないだろう。


 さりとて、背後から響いてくるこの足音ときたら・・・・・・Tレックスの方がまだマシだろう。あっちは所詮はデカいトカゲだ、ガリルの銃弾もまだ通る可能性があるだろうが、ASの複合装甲ともなればそうもいかない。


 膝を突きながら、ゆっくりガリルを身体に引き寄せた。こんな開けた場所でやる動作じゃない。とはいえ、ジタバタしても始まらない。


 無性にタバコが吸いたくなった。テッサに指摘されるまでもなく悪癖なのは百も承知だが、サンタ・ムエルテ信仰において煙は悪霊を退ける神聖なものとされている。だがここで吸うのは無茶がある。だから代わりに俺は、ずれた帽子を直すことにした。


 そして見上げた、ハッチを突き破って登場した怪物を。


 ほんの少し前、海中から現れてテッサを連れ去っていったアームスレイヴ――M6“フロッグマン”との早すぎる再会だった。


 下水道を四つん這いになりながら脱出路を逆走してきた巨人は、吹き抜け構造の恩恵を存分に受けていた。こんな巨人が屋内で立ち上がれる機会は、そうはないだろう。


『よう狼の頭領エル・ロボ、奇遇だな。今日はよく会うじゃねえか、ええっ?』


 機体のスピーカーからがなり立ててくるこの声、誰のものか説明するまでもない。


 盗聴器からの音声が途切れてから僅かの間に、ザスカーはASに乗り換え、下水道を突き進んできた訳か。奴がここに居る時点で、盗聴器の件はバレたとみなすべきだろう。


 だがいつだ? ASをあらかじめ下水の入り口に配して、兵員も用意しておかなければこうも効率よく動けやしなかっただろう。盗聴器が最初から気づかれていたなら納得だが、ずっと聞き耳を立てていたあの会話からして、そうとは思えない。


 ザスカーのことは知っている。コイツは単なる馬鹿だ。だが・・・・・・どうしてかこの男、異様に機を見るのが上手いのだ。ここぞというタイミングでポイントだけ抑えて、あれよこれよと、すべてを手中に納めながら自分だけは生き残る。


 知っていた筈だ。コイツが仕えてるのは組織カルテルじゃなく、自分だけだと。


『さてどうする?』


 いつでもこちらを踏みつぶせる巨人が、そう問いかけてきた。


『――殺し合うか?』


 嘲るようなザスカーの声にスピーカーのノイズが混じる。


『――それとも楽しくお喋りでもするかぁ? ええっ、狼の頭領エル・ロボよう?』


 “選択肢なんてあるのか?”、なんてことをわざわざ言いやしない。肩をすくめて余裕ぶるのがせいぜいだった。


 エレベーターからぞくぞく降り立ってくる、ザスカーの私兵部隊が半円状にこちらの退路を絶ってくる。


 そいつらと銃口を突きつけ合いながらゆっくり後退り、いつの間にか俺と背中合わせの格好になっていたDEAは、態度こそ冷静だが額に汗が滲んでいる。どうやらこれから、ザスカーのくだらない話に付き合わなきゃならないようだった。





✳︎





【“テッサ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ・VIPルーム】


「――ご両親のように頭をぶち抜いてやるぞ? Ms.テスタロッサ?」


 お前への愛想は尽き果てた、それをカルテルのボス流に言い換えると、こういう風になるようです。ですがどれほどMr.キャッスルが凄もうとも、わたしは何も感じませんでした。その叫びはもはや脅しというより、もはや子どもの駄々のようでしたから。


 上手くいかないならいっそ壊してしまえ・・・・・・これほど複雑な陰謀を成し遂げた人物にしては、下らないほどに矮小な感情でした。


 不可思議な人物です。アマルガムのような周到さや、ガウルンよろしくの狂気もない。ましてや兄のような知略とも無縁。それなのにCIAの人間という真の身分を隠しながら、こうまで巧妙に立ち回ってみせた。


 本当にこの人――カリ・カルテルの指導者なのかしら?


 権力は腐敗するという法則からサングラスの男も逃れられなかった、ただそれだけかもしれませんけど・・・・・・今となっては、自らの感情に支配されて道を見失っている。


 だからこそ、ザスカーの真意にMr.キャッスルも気づけなかった。


「なっ!?」


 いきなりの急展開にMr.キャッスルが驚きの声を上げました。わたしだって似たようなもの、唐突にテーブルへと突き立てられていった髑髏柄の大型ハンティングナイフに一瞬、息を飲む。


 ザスカーのナイフによって刺し貫かれたのは、わたしが持ち込んだリモコンキーでした。砕けたプラスチックの中から、壊れてしまった盗聴器の欠片が溢れ落ちてくる。


 元CIAの人間として、盗聴器なんて見慣れたものでしょう。リモコンキーの基板に溶接されたばかりの盗聴器は明らかに周囲から浮いている。ですからMr.キャッスルは、一瞬でその物体がなんなのか理解したようです。


 ナイフの持ち主、ザスカーは面白くもない冗談を聞いたかのように、掠れた笑い声を上げ始める。


「さて、どんでん返しといこうか皆様方」


 ザスカーがソファーから立ち上がります。盗聴器が仕掛けられていた、騒いで当然の事態な筈なのに、ザスカーは余裕ある態度を崩さない。それがMr.キャッスルには奇異に映ったようです。


「盗聴器だと・・・・・・貴様、知っていたのならなぜ!?」


「へっ?」


 素っ頓狂な声をあげながら、リモコンキーだったものをつまみ上げるザスカー。


「あっ、やっぱりそうだったので? いやー、そうじゃねえかと思ってたんですがねぇ。当たってて良かった!! 外れてたら飛んだ赤っ恥ですぜ」


 なんてこと・・・・・・。


 わたしにとって、これほど相性の悪い敵もいません。知識によってではなく、何となくなんて感性のみでザスカーは生きている。この男の出方がまるで読めないわけです。


「ふざけるな、検査をしたのは貴様だぞ!?」


 肩をすくめるザスカー。サングラスの男はその態度に怒りを爆発させ、焦りがそれを加速させていく。


「Ms.テスタロッサ!! 音声を一体どこに送っていた!!」


「そりゃあ、狼の頭領エル・ロボとそのご一行様にでしょうなあ」


「貴様、先ほどからその態度はなんだ!!」


 プライドの塊のような人間がもっとも嫌うのは、舐められることでしょう。盗聴器を仕込むなんて明確な敵対行為を働いていたわたしより、ザスカーの態度の方がMr.キャッスルの関心をどんどん引き付けていくようです。


「誰に向かって口を叩いている!!」


 これがサントスさん相手であれば、身を縮めて怯えさせられる怒声。ですがザスカーときたら涼しい顔でした。


「勘違いして欲しくないんですがねぇ、俺ゃぁパトロンのことを誰よりも尊敬してまさあ」


「それが言い訳として通用すると思っているのか」


「いやいや、今まで何人ものボスヘッフェに仕えてきやしたがね。

 ドン・パブロは、カリスマ性はありやしたが何せ気性が荒すぎてついていけなかった。次にロドリゲス兄弟。あの兄弟の頭の良さときたら感銘を受けやしたが、いかんせん策士策に溺れるを地でいっちまった。

 そこにパトロンが現れた。

 血が流れなきゃ一歩も進めねえこの界隈にあって、ほぼ無血に近い政策で、あれよこれよとこの国の麻薬産業を牛耳っちまった。それどころか狂犬の集まりなモンドラゴンすら押さえ込んでみせた。

 無駄なプライドなんてない、冷静沈着にして合理主義の権化みてえな・・・・・・ああ、あれだ、アメリカ式経営者。こんなのリボルバーがなきゃ外を出歩くことすらできねえ俺みてえな野蛮人には、思いつくことすらできやしねえ凄え手腕でさあ。

 本当に尊敬リスペクトしてますぜボスヘッフェ?」


 ただのおべっかにも聞こえる話でした。ですがそれだけでザスカーの話は終わりませんでした。


「だがねぇ・・・・・・あんたはちいと、この国の流儀を否定しすぎてる」


「何が言いたい?」


「トラソルテオトルの件でさぁ。

 厳重に根回しをして、俺たちが暴れまわろうとも大ごとにならないよう取り計らう。いつも通りの秘密主義って言やぁ、そうなんですがね?

 だがあいつは失策でしたな。んなややこしい事なんてせず、さっさと兵隊を送り込んで船を制圧しときゃよかったんだ。

 そうすりゃあ3ヶ月前にすべてのケリはついて、盗聴器なんてクソだまりに嵌ることもなかった」


「浅はかな見立てだな。

 コロンビア政府との停戦交渉には、市内での派手な戦闘行為は慎めとの条項が加えられていた。

 拙速に武力行使などして、それがもしモンドラゴンに飛び火すれば、我々のビジネスにとって害にしかならん。貴様だって給料を減らされたくはあるまい」


 理路整然とした発言。それはこれまでならザスカーだって納得できていたのでしょうが、今は鼻を鳴らすだけでした。


 そして言うのです。もはや隠しようもなく上司を小馬鹿にするように。


「だから誰もアンタにゃ心の底から従わねえのさ」


「なんだと!!」


「“ 頭をぶち抜いてやるぞぉ? Ms.テスタロッサぁ?”

 かっかっ、お笑い種だぜ。俺の国じゃわざわざそんな警告なんかしねえ。実際に頭をぶち抜いてやればそれで終いだろうが」


「これまで実力があったからこそ目こぼししてきたが、その暴言はもはや看過できん。警備員セキュリティ!! この男を摘みだせッ!!」


「だからさぁ――」


 上司からの命令に忠実な警備員たちが一斉に歩み出る。ですが、すぐに立ち尽くしてしまいました。


 耳をつんざく銃声。誰一人として、ザスカーがリボルバー拳銃を抜いた瞬間すら捉えることができませんでした。誰もがその暴挙に黙りこくる。硝煙たなびくリボルバー拳銃は、すでに警備員の片割れの額を撃ち抜いていたのです。


「脅しなんて無意味なんだよ。ただ頭を吹き飛ばしてやりぁ、誰もがその場のボスが誰なのか、すぐさま理解する・・・・・・」


 遺憾ですけど、誰もその言葉に逆らえずにいました。問答無用の暴力は、一瞬で場を飲み込んでいく。


 カウボーイハットの下でギラつくザスカーの眼光が、肩からライフルを下ろすことすらできないでいる生き残りの警備員を射すくめます。彼の相棒はすでに絶命し、床に倒れていました。


 これまで支配者然と振る舞ってきたMr.キャッスルもまた、ザスカーの主張を裏付けていました。息をするのも忘れて佇んでいる。


「ま、これがお手本でさぁパトロン!!」


 くるくる指でリボルバー拳銃をホルスターに納めながら、急にザスカーは破顔する。彼がもたらした緊張感はまだ部屋に漂っているというのに、まるっきり場違いな軽いノリでした。


 一周まわって、異様にしか見えない姿です。


「みんなアンタには感謝してる。戦争税を払わないで済むなんて生まれて初めてだ!! 外人グリンゴ野郎も悪くないってなぁ!!

 だが賢くやろうとしすぎて足元を掬われるなんてのは、ガッカリってもんだぜ!!」


「・・・・・・私を殺すつもりか?」


 硝煙の匂いがする男に笑顔で詰め寄られたら、わたしも同じ危惧を抱くでしょう。ですがザスカーは、想像もしないことを言われたように面食らう。


「へ? なんで? だから経営手腕には満足してるって言ってるでしょう? 不満なのは、アンタがまだこの国のあり方をよく理解してないことだけだって。

 誓ってもいい。3ヶ月前に何も考えずガキどもを皆殺しにしても、誰も騒がなかったでしょうよ。根回しなんて必要ねえ、人は死ぬもんだ。それが俺の国とあんたの祖国アメリカーナとの違いさね。

 2、300人死ぬ程度でビビってんじゃねえ。ここらじゃ、それが当たり前だ」


「・・・・・・」


「だからまあ、あの“カーペットの染み”はペナルティなんかじゃねえ。おごがましいですがね。ま、愛の鞭ってことでひとつ頼んまさぁ」


 頭蓋からこぼれ落ちていく警備員の血染みを大股で避けながら、ザスカーはテーブルに突き刺さったままだった自身のナイフを引き抜きました。


 そして煌めく刀身を、リボルバー拳銃を操るときガンプレイのように巧みに手の中で回転させ、恭しくナイフの持ち手をMr.キャッスルの方へと向けたのです。


「旧友の忘れ形見の首を掻きりゃぁ、誰もが本心からアンタにひれ伏しますぜ。何故なら、それこそがカルテルの本当の流儀ってもんだからでさぁ」


 ブラブラ揺らされる持ち手。それを睨みながら言葉を発していくMr.キャッスルでしたが、そこに先ほどまでの勢いはありません。


「・・・・・・狂人の戯言に付き合ってられるか」


「なら嬢ちゃんと一緒にアンタを消すだけだ。また今みたいな騒動が起こされるのは御免ですからなぁ」


「・・・・・・」


「ま、ゆっくり考えるといい。俺ぁ先に、ちょいと野暮用を片付けてきますんで」


 もっと前にこうしていれば良かった、なんて上司へと強引にナイフを手渡し、笑い出すザスカー。それから相棒の死に呆気にとられている警備員の横を通り過ぎて、エレベーターへと乗り込んでいく。


「無駄だわ」


 その背中にわたしは、無駄だろうと知りつつも声を掛けていました。ザスカーがいうところの野暮用とは、ノルさんたちのこと以外の何者でもないのですから。


「ノルさんたちはもう“クレイドル”には居ません」


「ま、行ってみりゃ分かるさ。無駄に足掻くなよ嬢ちゃん? 俺は同類には敬意を払うたちでな」


「それは、どういう意味かしら?」


 どこか嘲りの混じる上司への語り口とは異なり、どうしてでしょうか? わたしへの言葉遣いには、敬意みたいなものが感じられる。ザスカーらしくありません。


 すぐ到着したエレベーターへゆったり乗り込み、壁に背を預けてリラックスした仕草をとったザスカーは、ソファーに座るわたしを一心に見つめていました。


「最初はただの小娘かと思ったが、謝らせてもらうぜ? 嬢ちゃんは俺と同じ穴のムジナさ。狼の頭領エル・ロボだって、同類の匂いを嗅ぎ分けたからこそ、すぐさまアンタに一目置いたに違いねぇ」


「わたしは、あなたとは違うわ。もちろんノルさんも」


「そうかね? 生き生きしてるぜ嬢ちゃん? 初めて会った時よりも、今の方がずっとな」


 幕を閉じるようにエレベーターの扉が閉まっていく。その刹那、ザスカーはカウボーイハットを取り、胸に当てて頭を下げたのです。


 まるでわたしに敬意を示すように・・・・・・。




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