XXVII “You talkin' to me? ”
【“ノル”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ外周部】
カーブががった廊下がスタジアムを取り巻くようにどこまでも伸び、そのすべてが資本主義に侵食されきっていた。
シモンボリバル・スポーツ・アリーナは典型的な複合型スタジアムというやつで、試合会場と一緒にさまざまな商業施設が抱き合わせるように建造されている。あらゆるスペースが客の金を巻き上げるよう設計され、この廊下ですらコンクリの壁と屋根に覆われた商店街の様相を呈していた。
サッカーボールの不良在庫には割引の札、装飾品の万国旗が壁やら天井やらそこら中に貼りつけられ、回転スタンドにはASと選手の合体プロマイドが無数に並び、とどめにホットドッグの残り香が空気中をさまよう。
もっとも今は深夜帯だ、店という店には防犯用の柵が降ろされ、電源もほとんど落ちている。もちろん観客のすがたは影も形もなく、そのせいで廊下全体がえらく広々と感じられた。人の姿といえば、溢れかえったゴミ箱をかき回す、疲れ切った顔の清掃員ぐらいのものだった。
まさにゴーストタウン。節電のためか知らないが天井のライトすら消されており、辺りを照らすのは、柱に埋め込まれたフラットテレビだけときている。そのせいでますます薄暗く、不気味な印象が強まっていた。
テレビで無限リピート放送されている、どこぞの協賛企業のCM。そいつが俺の足元を七色に照らしていたのだが――それが不意に掻き消えた。
停電だ。
電化製品は意外とノイズを発しているもので、暗闇の中で静寂がえらく耳についた。ざらついたコンクリの床をたたく自分のブーツの音だけが、まるでドラムのように聞こえてくる。
いきなり手元が見えなくなったことで、清掃員は毒づきながら辺りを見回していた。俺の姿も目に入ったろうが、この場に居てとうぜんの格好をしているのでとくに気に留めた風でもない。むしろ見まいとしてる気配がありありだった。
一介の清掃員としては、B.S.S.の警備員服に身をつつむような奴とはお近づきになりたくないのだろう。不満たらたらな清掃員のすぐ背後を俺は――左手に新たな感触を感じながら通り過ぎていった。
予定通り、停電はつかの間のことだった。
テレビが再度点灯し、近くにあった自販機がブーンと重低音をがなり立てはじめる。停電のせいで中断していたらしいグラウンドの整備工事もちゃっちゃと再開されたらしく、遠くから重機の音も聞こえ出す。
珍しいこともあるものだ。誰もがそう考え、あの清掃員もガサゴソとまたぞろゴミ漁りを再開していた。謎の警備員のことなんてもう忘れてしまったらしい。
制服というのは、強力な迷彩効果を発揮するものだ。
予想とはだいぶ違う使い方をする羽目になったが、手に入れるのに手間取っただけあって効果も絶大。お陰で俺たちはあっさりスタジアムに入り込めた・・・・・・それはいいのだが、ノルマに追われててんてこまいの作業員ならともかく、制服の魔力もさすがに機械の目までは欺けない。
シモンボリバル・アリーナの警備システムは、コロンビアらしからぬ厳重さだった。どこもかしこも電子制御された扉で施錠され、それらを開けるにはキーカードが要る。
もっとも弱点がない訳じゃない。どんなにハードがご立派になろうとも、結局のところそれを扱っているのは、低賃金で働かされてる人間に過ぎないのだ。
あの清掃員には悪いが、キーホルダーでくっ付いていた腰元のキーカードは、今は俺の手の中にあった。スリとは古典的な手だが、こういうシンプルな手ほど上手くいくものだ。レベル1の区画までならこのカードだけでも十分に侵入できる。
セニョール・ゴンザレスの太り過ぎな証明写真付きIDカードを、“関係者のみ”との札が掲げられた扉横のスリットに滑らせる。
どうせ金をかけるなら顔認識を採用すべきだったな。あっさりと電源室への道が開かれた。思いがけずケティの手伝いに手間取ったから、
表とは打って変わって、扉のむこうはいかにも従業員用といった感じの地肌剥き出しの廊下がずっと続いていた。床に貼られたペンキとテープの案内に従い、目的地に向けて歩いていく。
・・・・・・想像してたより狭い廊下だな。
本来ならここにガキどもを潜入させて、カルテルの隠された宝物庫を探るつもだったのだが・・・・・・やっぱり、俺の計画は浅はかだった気がしてならない。
本来ならカードキーで施錠されていた扉がたまたま開いており、そこに好奇心に任せて子どもが入り込んだというシナリオで押し通すつもりだったのだが、この狭い廊下だとすれ違うのも難しい。隠れる場所なんてまるで見当たらない。
反対方向から誰か歩いてきたらそれだけでアウトだったろう。
それに、
『電源室に人・・・・・・送って・・・・・・調査させろ・・・・・・』
などとテッサの仕掛けた盗聴器の音声は、さっきから途切れ途切れにしか受信できていなかった。この調子では、携帯電話を持たせてガキどもに連絡させようという目論見も失敗していた可能性が高い。
ほとほと俺の頭は計画立案能力を欠いてるらしい・・・・・・。
廊下の向こうからB.S.S.の男たちが現れた。侵入者を探している風でなく、単にどこかへ向かう途中のようだ。
慌てたりはしない。さも当然という顔をしながらちょっと体と手元のガリルARMを傾けながら、そのまま何事もなく通り過ぎる。
客観的に見ればベルトキットにマガジンを溜め込み、ガリルARM・ライフルなんかで武装してる謎の男が自分たちの領地をうろついてるというのに、やっぱり制服は偉大だ。
Aはアサルト、Rはライフルと来て、Mはマシンガン。つまり遠近中のすべてをこれ1挺で賄おうとしたイスラエル人の野心的な設計は、4.3kgという過重量と引き換えにそこそこの成功を収めていた。
折りたたみ式の銃床は、銃を隠し持つシュチュエーションが多い俺みたいな人間からすれば便利な仕様で、他の同口径クラスのライフルよりも多い25発という装弾数も、1対多数で戦うことが多い身としてはとても助かっていた。弾がいっぱい撃てるに越したことはない。ついでにコロンビア軍で正式採用されているだけあって、このライフルはとにかく予備パーツの入手に事欠かないという利便性もあった。
7.62×51mmNATO弾という時代遅れな大口径について異論反論がいろいろとあるだろうが、長距離狙撃にこれほど適した口径はないし、高い貫通力ゆえに障害物越しの射撃でも弾道が狂いづらいという利点があった。これに比べたら、反動が大きすぎるなんてのは些細なものだった。俺の腕力ならどうせねじ伏せられる・・・・・・ただガリルは重い、とんでもなく重いのだ。
高品質なスチールがふんだんに使われた削り出しレシーバーだけでなく、バイポッドにキャリングハンドル、果ては
だが日がな一日ライフルを持ち歩かなければならない兵士と異なって我がシカリオ稼業では、使わない時には車のトランクにでも放り込んでおけばいいだけから、あまりこの欠点は目立たなかった。
だがやっぱり、スリングを使ってても肩にずっしりくる重さではあるのだが・・・・・・。
その設計意図どおり、狙撃から近距離戦闘まで大体これ1挺でこなせるので、俺はこのイスラエル製のライフルを愛用していた。70年代生まれの古いモデルだが、それを言い出したらアメリカ人が使っている最先端のライフルことAR15シリーズだって、原型設計は半世紀以上前なのだ。ちょっとカスタムするだけで、かなり使い勝手が良くなった。
ガスチューブとダストカバーをレイルシステムに対応したものに交換してあるから、近距離で素早く照準をつけることができる
さらに銃身をネジが切られた
元がAKクローンであるガリルとサプレッサーの相性はあまりよろしくないのだが、ガスポートをぎりぎりまでイモネジで締めてやる小技を駆使すれば、聞き違えるほどに銃声は静かになった――とまあ、こうまで手がかかると、逆に愛着も湧いてくるものだ。
最近ではもう最新式ライフルのカタログに心ときめくこともなくなった。どうせ買ってもらえなかったろうし・・・・・・な。
うむ・・・・・・まあ、そうなのだ。色々と理由を並べ立ててはきたが、結局のところ、この銃の形をしたバーベルみたいな天然筋トレグッズを愛用している最大の理由は何かといえば、トラソルテオトルで最初に支給されたのが単にコレだったからだという、しごく単純な理由だった。
別にいいのだ。オプション装備でゴテゴテにしたせいで6kgを越えようと、役に立てばそれでいい。
18インチもあるバレルは長すぎて、電源室の扉をくぐる時にちょっと先っちょをぶつけてしまったが、まあ、今さら新しいものに切り替える気力もない。俺はきっと死ぬまでコイツを使い続けるのだろう。
大量のコードがのたうち回り、ピカピカしたボタンがたくさん貼りつく謎の装置が所狭しに置かれている。電源室と聞いて連想するものすべてがその部屋にはあった。
どうやらここは、90年代に建設が始まったころからまるで変わりがないようだ。緩すぎる警備体制も相まって、カリの宝物庫という俺たちの真の狙いがここにあるとは思えない。
だがテッサの言い分を信じるならば、本命に至るにはここを経由するしかないそうだ。
部屋に入ってすぐ、耳元のイヤホンからの
しかし――アイツは本当に阿呆だと思った。
わざと敵に捕まるなんてアイデアだけでも最低だし、自分の命を相手の善意に委ねるなんてのは、完全に狂人の発想だと思う。
もし推測がすべて的外れで、ただの変態に狙われているだけだったらどうする? 俺ほどじゃないが、テッサは顔だけは良いし、カラダ目当ての男が群がってきても驚かない。うむ、まあ俺ほどじゃないのだが。
ただそういうクソ仕事にあのザスカーが動員されるとも思えないので、やはりテッサが正しいのだろう。実際、これまでの展開はすべてテッサの予想通りに運んでいた。
盗聴器越しに聞いた、あのVIPルームで繰り広げられてい押し問答。俺には半分も分からないテツガクじみた会話だったが、俺の真の上司とやらの主張はどれも、ブリーフィング時にテッサが説明してくれた内容と合致していた・・・・・・・・・と思う、うん、たぶん。
問題は、どうにもテッサが相手をムダに挑発している気がしてならないことだった。自分の生き死が相手の胸先さんずんに懸かっているのに、あれでは自殺行為じゃないか。
見た目で人は測れない。テッサが腕っぷしとはまた違う、別系統で強い人間であるのは確かだろうが・・・・・・そこに少し、危うさを感じもする。
盗聴器を仕掛けた時点でお役御免。あとは適当に理由つけてVIPルームから出ていけばいいのに、今も頑固に居座っているのもその現れだ。まるで自分の命が惜しくないように、限界まで責務を真っ当しようとしている。
ついさっき出会ったばかりの俺たちのためだけに。
阿呆で、間抜けで、大馬鹿者――だからこっちも、さっさと用事を済ませてさっさと退散するしかない。俺たちが退かなきゃ、テッサも性格的に退けない。
電源室にはそこら中に工事用の器具が置かれていた。剥き出しになった壁むこうに半分ほど腐ってそうな赤レンガと配線が丸見えになっている辺り、外面こそ整っているがこのスタジアム、改修工事はまだぜんぜん終わってないようだった。
それか、スタジアムという機能はおまけに過ぎないという本音の表れか。
もう銃身ぶつけぬようガリルを頭上に掲げつつ、地味に広くてせせこましい電源室を彷徨っていく。すると声が聞こえてきた。
配電盤を背にして喚いているDEAを発見、奴はなにやら怪しい人影に絡まれていた。
当初の予定では、別にこっちに来る予定は無かった。それなのにどうしてわざわざ足を運んだかといえば、合流地点にいっこうに現れず、無線にも応じないDEAが原因だった。
こんなことじゃないかと思ってたが、調子よくテッサに報告していた矢先にコレとは、まったく期待を裏切らない奴である。
「いや、だから僕はね、ちょっと煙草を吸いに来ただけなんだよ・・・・・・」
聞いてるだけで赤面したくなるド下手なスペイン語による、それに輪をかけてド下手な言い訳に、停電の原因を探りにきたらしいピアス姿の警備員は明らかに苛立っていた。
「ああッ?」
巻き舌の脅迫。これがコロンビアきっての優良企業たるB.S.S.の実態だった。
いくらアイロン掛けされた綺麗な制服に身を包んでいようとも、一皮剥けば、ストリート上がりの素性の悪さが顔を出す。
表の仕事については、仮面を被ることに長けている元警官どもが優先的に充てがわれるそうだが、裏の仕事については、よりカルテル寄りの人材が動員されるのが常だった。
実際、効果は覿面だ。よく分からない奴を見かけたらその場で即座に頭を弾き、そのまま死体を投棄するようなやり口は、やはり現場叩き上げの方がうまい。
ピアス男の頭の中では、すでに死体の歯をペンチで抜くとこまでイメージしているに違いない。それなのにまだ銃をぶっ放していないのは、DEAが着込んでる制服のせいでまだ微かに同僚の可能性があるということと、周囲の電源設備を慮ってのことだろう。
「ウチの制服を着込んじゃいるが、一度も顔を見たことがねぇアジア顔。不自然な停電が起きたあとの電源室にどうしてそいつが居るのかっていやぁ、タバコを吸いに来ただって?」
分かりやすくドツボに嵌っているDEAの前で、多すぎるピアスのせいで今にも耳が落ちそうな警備員は、これみよがしにマイクロ・ウージー・サブマシンガンの
とうに弾は入っている、これは威嚇のための行動だ。現に薬室から排出された弾丸が、くるくると地面へ落下していった。
「そいつは、どうにも怪しいな・・・・・・」
これなら停電させる役はケティにやらせた方が良かったかもしれない。何が痕跡を残さずに停電させられるのは僕だけ、だ。見つかったら元も子もないだろうに。まあケティはたっぱが足りないから、警備員の格好をしても化けるのは難しかったろうが。
金属探知機とどう折り合いをつけて生きているのか分からないピアス男は、こちらに背を向けていた。電源室は設備のせいでそこそこうるさいから、まだピアス男はこちらの存在に気付いてない。
警備員はみな肩に無線機を張り付けている。ここの電波の通りは酷いものだが、それでも途切れ途切れだとしてもかろうじて通信することはできるだろう。仲間を呼ばれたら厄介なことになる。
ガリルを支給された時、セットで
“いいですかノルさん”
耳元のイヤホンは完全に死んでいるのに、どうしてかあの甲高い癖して不思議とうるさくない、知り合ったばかりのお節介女の幻聴が聞こえてきた。
“あなたに
強制することはできない、ただのお願いだと言い含めつつも、その目は真剣そのものだった。
・・・・・・正直にいえば、俺はテッサに義理も恩義も感じてない。そこまで深い仲じゃない。だがこの作戦はすべて、テッサの用意した盤面で動いてる。
今回の俺は単なる
あの船に連れて行かれて、俺はそれまでの過去を捨て、第二の人生を歩み始めた。そうだ、ずっとこうして生きてきたのだ――
だから通りがかっただけの間抜けのように、俺はDEAの奴に声をかけてみることにした。
「やっと見つけたぞサンチョ・パンサ」
「サンチョ・パンサぁ?」
サンチョ・パンサと呼ばれたDEAが素っ頓狂な声で問い返してきたが、ひと睨みしてやると、こちらの意図をすぐ察したらしい。これまでの働きでだいぶ疑いの気持ちが強まっていたが、この察しの良さからして自称プロというのは、あながち嘘でもなさそうだ。
これがケティだったら、とうにすべて爆破していただろう。
そして“サンチョ・パンサ”は、わざとらしく咳き込んでからこう答えを返してきた。
「あーー、すいません・・・・・・ボス」
「またサボりだな? まったくこの間抜けな部下めが、こっちはいい迷惑だぞこの部下めが、
サボりを働いていた部下を発見してやった上司。そんな風を装ってはみたのだが、いきなり背後から登場した第三者に、ピアス男の猜疑心は頂点に達していた。
すばやく背を壁にあずけ、俺とDEAどちらにも即応できる構えをとってからピアス男は、疑念の眼差しをこちらに向けてきた。
ピアス男は言った。
「・・・・・・いつからウチの会社は女を雇ったんだ? それにその帽子の文字はなんだ?」
俺だって場面に合わせて服を変えもするさ。現にトレードマークのチャイナドレスは船に残して警備員の格好をしているし、ウィッグだって被っていない。ついでに化粧だって落としてきたのに、生来の顔まではやはりどうにもならない。
生まれ持っての女顔は、男装ごときでは隠し切れないらしい。そろそろと、ウージーの銃身がこちらに向けて上がっていく。
絶体絶命。こういうシチュエーションでは、しれっと答えれば答えるほど効果的だ。
「ああ、よく勘違いされるのよ」
「“のよ”?」
「――されるんだ。何せ生まれ持っての女顔なもんでな」
・・・・・・女装している時ならこうも簡単にメッキは剥がれたりしないのだが、どうにもこの格好だと駄目だな。不慣れでしょうがない。
何やら察したように頭を振り、それとなく自分のベレッタを引き抜いて背中へと隠してくDEAの姿に正直ムカついたが、まだまだこれからだ。系統は違えど、もとを辿れば同じ組織の人間同士。いかにもありそうな話をでっち上げるのはそう難しいことじゃない。
「実は最近、2人揃ってこっちに移動してきたばかりでな」
B.S.S.はそこそこの大企業で、コロンビアのど田舎にも支社を持っている。だから社員同士がみんな顔見知りなんてことはありえない。
「へえ? それで、前はどこに居たんだ?」
「カルタヘナ」
それはコロンビアきっての観光都市にして、港湾都市の名だった。
90年代の全盛期にはカルテルの海運業がこの街に集約されており、コカインを北米大陸に輸出するための要として機能してきた。だだ昨今ではカリブ海ルートの規制が厳しくなるにつれて、全盛期とは比べものにならないほどに衰えてはいたが。
栄枯盛衰。だがそれでも、一度根を下ろした裏のビジネスというのは中々消えないものだ。
今となってはトン単位の品をやり取りすればすぐお上に気づかれてしまうが、小規模な荷、たとえば人員などを他国に送り込みたい時などには、カリは今だにこの港湾都市を愛用していた。
その仲介業者がB.S.S.なのだ。こいつらは海賊対策の名目で船に乗り込んでの警備業務も請負っているから、密航者を簡単に船に載せることができる。実のところ、俺もそのサービスを利用した経験があった。
客観的に見て俺たちが不審人物であることは疑いようもないが、多くを語らないのはカルテルらしい会話術だ。ピアス男の心のなかはかなり揺れているはずだった。
慎重に質問を投げかけてくるのが、そのいい証拠だ。
「ほう? 俺もあの街に赴任してたことがある。
それならカジノの警備主任の名前を知ってるはずだ。なにせ10年前からウチが業務委託してるんだからな。ほら、サン・フェリペ要塞の近くのあれだよ」
試し言葉か・・・・・・あいにくとカジノうんぬんの答えは知らないが、逆手に取ることはできる。言い淀むほど疑惑の種は育っていくもの、だから回答は早いほどいい。
「さあ? その辺りはよく知らないんだ。
「・・・・・・」
ピアス男はむっつり黙り込んで、何やら熟考しはじめた。
カリ・カルテルはコカインの供給業者であって、小売を取り仕切ってるのは別の業者だ。その業者にしても無数にあるが、中でも飛び抜けてカリと大口取引をしているのが
元は、アメリカを第二の故郷としたエルサルバドル難民たちが結成したケチなストリート・ギャングに過ぎなかったそうだが、アメリカ政府が主要メンバーを国外追放したことによって思いがけず飛躍を遂げた。
何せコロンビアからそう遠くない中米エルサルバドルに、やり手のギャングスターたちが大挙して里帰りしてきた格好になるのだから。アメリカ人は昔から、自分たち以外の国への想像力に欠けるのだ。
構成員が数万人にも達する大組織ではあるが、MS13の根っこは無学なチンピラの集まりに過ぎない。賢く立ち回ることについてカリに勝る組織はないから、連中を操るのは容易いことだったんだそうだ。
親族という最強のコネクションがあるからアメリカとの橋渡し役にも困らず、それでいてカリにとって永遠のライバルにあたるモンドラゴンともまったく関わりのないMS13は、カリからすれば理想的なパートナーだった。
そしてMS13とのやり取りの拠点になっているのが、地理的に近いカルタヘナというわけだ。
B.S.S.は評判を守るため、裏の仕事にはできるだけ関わらないようにしている。だがMS13は押しも押されぬ大口顧客だ。航路が短いからこそできる荒技だが、カルタヘナ発エルサルバドル行きの船便に、毎日のようにB.S.S.が“積荷”を運び込んでいることを俺は知っていた。
「・・・・・・」
内部の人間しか知らない、まさに内輪の話。現場をよく知っているからこそ、ピアス男の心はぐらぐら揺れている。あとはそう、畳み掛けるだけでいい。
「何ならオロスコ主任に確認してくれてもいい。俺たちのことを知っている」
トドメはブラフだ。B.S.S.のホームページでドヤ顔晒していたスタジアムの警備主任の名前を出してみた。
これも“いんたーねっつ”と格闘して得た、リサーチの成果というやつだった。
最初からこの名前を出していたら、逆に疑いが増していただろう。公式ホームページにも載っているそこそこの有名人。本当に無線で連絡されたらこんな嘘、即座にバレてしまう。だがMS13の話で下地を作ったからこそ、説得力のある嘘へと昇華しているはずだった。
人間心理というのはこういうものだ。複雑に見えて、意外と単純。そうして馬鹿みたいに口を開きながら考えていた、ピアス男はやっと結論に達したようだった。
奴は言った。
「あんたノルだろ? この街、ナンバーワンのシカリオの」
なるほど・・・・・・これは予想外の展開だ、なぜだか顔を知られていた。いきなり名前を呼ばれ思考停止しかけたが、口は咄嗟に嘘をついてくれた。
「違うよ」
だがしれっと答えたのがこの場合は逆に間違いだったのか、俺の真顔での回答にピアス男はますます疑いを深めたようだ。
「いや間違いない、確かにアンタだ」
「ぜんぜん違うよ?」
「いや絶対にそうだ。俺がカルタヘナのB.S.S.支部に居たとき、一度エルサルバドル行きの定期便に乗ってたろう?」
「人違いだ」
「あの時は地味な服装をしてたが、同僚があれがカリのナンバーワン・シカリオなんだぜって言ってて、驚いた覚えがある。まさか女だとは思わなくて・・・・・・おい待てよ」
いやに物覚えの良いピアス男は、いらんタイミングで自分の置かれている状況を把握してしまったらしい。
「あんた組織を裏切ったんだろ? って、ことは・・・・・・おいまさかこれって“襲撃”なのか? ゲハッ!!」
後頭部に金属のかたまりであるベレッタの底部を叩きつけられ、ピアス男はあっさり昏倒した。
そこからのDEAの動きときたら素早かった。
床に顔をうずめて昏倒中な男の後ろ手を、近くにあった結束ケーブルで手早く縛りあげたかと思えば、ウージーをパーツ単位でバラして無線機は踏み潰す。あとは適当な布でピアス男の口をふさいで、そこらにあった用途不明な金属ロッカーに押し込めてやれば隠蔽完了である。
この動き、よほど人を縛り慣れているらしい。これだから警官は嫌いなのである。
ずっと配電盤の陰に立て掛けてあったらしい、トラソルテオトルの武器庫から持ち出されたインベル・MD97ライフルを手にとってからDEAは一息つき、やっとこちらに向き直る。
「君、組織に顔は知られてないって言ったよね?」
「言ってない」
「カリは秘密主義すぎて構成員同士もほとんど互いの顔を知らないって、そう言ってたよね?」
「幻聴だろ」
「なのに一発でバレてた」
「バレてない」
「いやバレてただろうッ!?」
「そっちこそ、銃突きつけられていた割にずいぶん偉そうだな」
「・・・・・・もういいから、仕事に戻ろう」
アンスズとかいうテッサのコールサインを呼びながら、自分の無事をDEAは無線機越しに伝えていた。まったく、一から十まで気の合わない奴だ。これだからDEAの人間は嫌いなのだ、口を開けば責任転嫁ばかり。
今まで色々な奴と組んできたが、流石に政府の犬と仕事をするのはこれが初めてで、もうすでに嫌気が差しはじめていた。
生まれも違えば、歳も違う。気の合う要素がここまで無いとは逆に驚きだ。
テッサも共通点の無さは似たり寄ったりだが、こっちは最初から敵対心ありありでとても疲れるのだ。警察とカルテル、水と油とはこのことだ。
脱出する時の目くらまし用にと、今度はお試しでなく本気でスタジアムの電源を断つべく配電盤の要所に少量のC4プラスチック爆弾を仕掛けてから、俺たちは電源室を後にした。
元来た道を逆にたどり、さっさとカードキーで施錠されていた扉を抜け、グラウンドが見渡せる観客席のうえまで俺たちは移動してきた。
その間ずっと無言。2人して、ありふれた警備員のフリをしながら歩いていく。
「さて――」
仕切り直すようにDEAは言った。
「大佐殿の指示は覚えてるね?」
「“船のデータをHDDに移してわざわざ運び込んでいたということは、アナログな輸送手段と異なり、データの保管方法それ自体はデジタルなものなんでしょう”」
「よくまあ一字一句、そこまで覚えてられるね・・・・・・声質まるで違うのに声色はまるで同じっていうのが、なんか堪らなく不気味だけどさ」
「“ということは、彼らは停電を非常に恐れているはずです。データが飛ばぬよう、電源を常に供給できるように何らかの対策を施しているはず”」
「そうだ。だから停電下でも通電しつづけてる場所が怪しい。残念ながら復旧ルートから探る手は不発だったけど・・・・・・君、停電していた時のスタジアムの状況、ちゃんと観察してたよね?」
「DEAの人間てのは、耳が聞こえないのか?」
「何の話だよ・・・・・・」
「盗聴器が拾ってただろう? 連中、ザスカーに窓の外を確認するよう命じてた」
「君は気付かなかったようだけど、あの部屋は電波の通りがすごく悪いんだ。僕だってちゃんと聞きたかったさ」
「VIPルームの――」
俺は、グラウンドを挟んで左手に見える、観客席の真上に鎮座してるガラス張りの高台を指差してから、
「――あの展望窓から見える範囲で、周りの状況なんて知ったことかと照明が灯りっぱなしだった場所が一箇所だけあった・・・・・・それがあそこだ」
それからぐるっと指を回し、VIPルームのずっと右手側を指し示した。段々になってる観客席の真ん中に、さながらトンネルのように穿たれているスタジアム内部へとつづくトンネルじみた通路の入り口がそこにあった。
似たような通路は幾つもあるが、あそこだけは他と異なりフェンスで仕切られ、遠目からでも武装した警備員の姿が見える。とてもじゃないが、あの奥にギフトショップは無さそうだ。
「あれかぁ・・・・・・名目上は物資搬入口だっけ? これ見よがしすぎて逆に罠かと」
「罠だとしたら結構な手間だ。わざわざ予備の電気系統をあそこにだけ張り巡らせてたことになる」
「カルテルの秘密データが詰まってる場所だろ? 奴ら隠したくないのか?」
珍しく、DEAの疑問はもっともだった。
俺だって盗聴器が伝えてきた会話がなければ、何がやりたいんだかと頭を抱えたことだろう。だが俺の真の上司がじつは、ただ単にエゴの塊というなら納得だ。
自分の目の届かない範囲に大切なものを隠したくなかったのだろう。だがDEAには、そういった心理分析をひけらかしたりはしなかった。現実主義者には、別の理由の方が納得しやすいことだろう。
「スタジアムの経営には政府も一口絡んでる。隠す手間より、利便性を優先したんじゃないのか?」
「このスタジアムを守っているのは武力じゃなく、政治力ってわけか・・・・・・ウンザリだね」
言葉だけでも割とどぎつい表現だったが、DEAの表情ときたらウンザリを通り越し、吐き気を催してる感じだった。
「どこもかしこも真っ黒か・・・・・・」
だだ漏れの感想にため息をつきたいのはこっちの方だった。
メキシコ国境を境にして、北と南ではあまりに文化が違いすぎる。アメリカでは警官がちょっと市民を殺しただけでも大騒ぎするが、国境のこっち側では一国の大統領が自らカルテルのために便利を図ってる。
政府と犯罪組織の癒着なんて、この大陸ではどこでもありふれている。そのうえコロンビアはまだマシな方だ、メキシコなんてもっと酷い・・・・・・DEAだってそんなこと百も承知はずなのに、この反応は心配でならな買った。
あのピアス男のように、警備員を片っ端から殴り倒していくわけにもいかないから、これからは障害を突破するためにもっと頭を使うしかないだろう。具体的には、口八丁で騙くらかす予定だった。
だが仮にも相棒がこんな調子では、ナイーブすぎるDEAがまたボロを出しかねない。一計を案じる必要がありそうだが・・・・・・ふむ。
「よし、お前は今からブラジル人になれ」
「いきなりなんだい?」
話すほどボロが出るなら、喋らない理由を付けてやればいい。逆転の発想という奴だった。
俺にとってハニートラップはお手の物。即興演技でこれまで大勢の他人を演じてきた。DEAのために適当なキャラをでっち上げでやることぐらい朝飯前なのだ。
「この辺りでスペイン語がど下手な東洋人とくれば、ブラジルから着たばかりというのが一番ふさわしい」
「どうしてそうなるよ・・・・・・」
なんだ知らないのか。まだピンとこないらしいDEAに呆れた果てたが、とりあえず件のトンネルに向けて歩きつつ説明していった。
「ブラジルの公用語はポルトガル語だ。スペイン語によく似てるがなんやかんやと違う言語だから、こっちの言葉に疎いという言い訳にはもってこいだ。ついでにいえば、ブラジルには世界最大の日系人コミュニティがある」
「僕に、ブラジル出の日系人に化けろっていうのかい?」
「そうだ。会話は俺が主導するが、流れ次第でそっちに話が向くこともあるだろう。そうなったらこの設定を念頭に上手く躱せ。で、何かご不満でも?」
ちょっと驚いたようにDEAは目を彷徨わせていた。どうにも、言葉を探しているような顔つきだ。ブラジル人に化けるのが不満でならない、そういう雰囲気でもない。
「いや、別にないけど」
「嘘だな」
「あー・・・・・・その、怒らないで聞いてくれる?」
「
「なんかイヤな含みを感じるけど・・・・・・好むと好まざると、これから僕らは協力し合わないといけないんだ。だから今のうち告白しとく。
君ってちゃんとモノを考えられるんだね? てっきりもっと考えなしだとばかり」
「殺す」
「いや!! 悪意はないんだ!! まあ、かといって褒めてもいないけどさ・・・・・・だって君ら、なんとなく似てるってだけで大佐殿を誘拐して、あとは出たとこ勝負で街中でドンパチしてたんだぞ? 疑いたくもなるだろう」
育ち良し、生真面目、社会正義を当然のように信じてる法の番人。つまりこのDEA、なんとも面白みに欠ける個性の欠片もない男であるようだ。ついでにいえば、主体性もない。現にテッサの言いなりになって奴隷のように働いている。
まさにありふれた普通の男。もっともその普通という評価が、俺には奇異に写るのだが。ここらではそんな枕詞がつく生き物は、絶滅危惧種同然なのだ。
やはりコイツとは、反りが合いそうもない。
試合が終わったあとも作業灯代わりだろう、その巨大照明設備は点きっぱなしだった。その照度ときたら第2の太陽かくやの有り様で、スタジアムの天井にぽっかり空いた穴の向こう側、本来ならそこに見えるはずの夜空も眩しさのあまりかき消され、ブラックホール並みになにも窺えない。
このレベルの照明設備が相手だと、コロンビアの数少ない美点である目もくらむような星空も力不足らしい。月ですらぼんやりとした光の珠にしか見えなかった。
もとの設計が古いからか、観客席は古代ローマかくやのコンクリで作られた段差がほとんどで、欧米では当たり前な折り畳み式の座席は少数派だった。そんなでっかい階段じみた座席を横目に俺たちは、ひとまわり小さい正規の階段を降っていった。
わざわざこうして観客席の下まで降りていくには理由がある。あまり目立ちたくないのだ。
観客席の最下段は、客をASバトルの破片から守るために大柄な防護フェンスが張り巡らされていた。近場から見ると意外に視界良好だが、この網の目は遠くからだと格好のフィルターになる。変装しているとはいえ用心に越したことはない。
観客席の最下段をぶらぶら歩いていくと、フェンス越しに作業風景が窺えた。それは意外にも、俺のような奴にとってもちょっと興味深い光景だった。
ASなんて巨人が暴れまわると、普通の地面ならズタズタになってしまう。コンクリでもヒビが入るだろうし、芝生なんて言わずもながだ。だからこのスタジアムのグラウンドには泥が満ち溢れていた。
泥なら緩衝材がわりとしては打ってつけだし、ASの動作にあわせて飛び散るさまがダートラリーを連想させる独特の迫力を生むのだと、スタジアムが出しているパンフには書かれていたものだ。
もっとも明日までにここをサッカー場として再整備しなくてはならない作業員からすれば、泥なんて悪夢のような物質だろうが。
泥をすべてかき出すのは物理的に不可能だろう。何百トンあるのか知れたものじゃない。
だから作業員たちは、鉄板を上から敷設することで強引にグラウンドを整地しようとしていた。その鉄板の上から、さらに巨大なジグソーピースのような芝生をフォークリフトで運んできては敷き詰めていく。そういう地道な作業がグラウンドの上では繰り返されていたのだ。
これだけでもドキュメンタリー番組を生で見るようで中々に興味深いのだが、下地になる鉄板を運んでいるのが巨大人型機械――すなわちアーム・スレイヴというのが特に面白い。
テッサにいわく“開発経緯から仕方がないんですけど、これまでずっと軍事用途としてだけ扱われてきたASは昨今、建築用重機としても注目されているんだそうです”とのことで、今も作業機械らしく縞模様で平和利用を演出しつつ、武装解除されたサベージだとか、ミストラルといったか? フランス製の旧型機だとかが、グラウンドの上を鉄板抱えて右往左往していた。
「あの通路の向こう側だけど―――」
唐突に話し始めたDEAだったが間の悪いことに、フェンスのすぐ横を通り過ぎていくASの足音のせいで声がかき消され、尻切れトンボ気味に会話が中断してしまう。
土木作業用っぽく緑色のペイントがなされたサベージの巨影が、俺たちの頭上を擦過していく。泥まみれの粘っこい足音が遠ざかるのを確認してから、DEAは会話を再開した。
「・・・・・・通路の向こう側だけど、どうなってると思う?」
「知らん」
「・・・・・・せめて推測ぐらいはしようよ」
「そっちこそ。人を試すような口振りはやめろ」
なにか考えのある奴の尋ね方だった。こういう上から目線は大嫌いなのだ。
「悪かったよ。ま、考えられる可能性はあまり多くないしね」
「上か下か、だろ?」
公然と見せびらかしているのは良い。まあ俺もまさか本気であそこにあるとは思わなかったから、ガキども協力のもとスタジアム中を探そうと画策していたのだが・・・・・・まさか停電を利用するとは。テッサの悪知恵も大したものである。
だが隠す気がないのは良いとしても、その代わりにあそこの警備体制はかなりのものになるだろう。そうじゃないと辻褄が合わない。カルテルにとって要所であることは変わりないのだから。
DEAが言った。
「カモフラージュに頼らなくても良いほどに警備体制が強固なんだろうね。となると地下の方が防御はしやすそうだ。
それにどんなに政治力で守られてるからといって、カルテルが政府に絶対の信頼を寄せてるとも思えない。いざって時にデータだけは持ち逃げしたいだろうから、どこかに隠された脱出路があるとは思うんだけど・・・・・・」
「航空写真を見たが、スタジアムの周囲にヘリポートらしきものは無かった。ヘリが着陸できるスペースという意味合いでもな」
「ヘリだと追跡も容易だろうしね。なら上はないね」
「だろうな。だが地下なら、カルテル好みの脱出ルートが作れる」
「トンネルか・・・・・・」
お国柄か、職にあぶれた鉱山労働者なんてのはこの辺りでは事欠かない。そういった奴らを二束三文で雇い入れて、いざという時用の脱出トンネルを掘らせるなんてのは、もう数十年も前から麻薬王たちのトレンドになっている。
ここにあっても不思議じゃない。
「市街地のど真ん中ってのが不自然だけどね。でも、1番あり得そうな説ではあるか」
「こちらとしては好都合だ。ブツを盗んだあとの退路が増える」
「そう上手くことが運ぶかな、結局これも憶測にすぎないし・・・・・・やっぱりこの計画、穴が大きすぎやしないかい?」
「第一に、文句は立案者のテッサに言え。第二に、じゃあこのまま手をこまねいて、ザスカーとその私兵部隊と正面きってやり合うか? 敵にはASだってあるんだぞ?」
「一応、こっちにだってサベージがあるだろう・・・・・・」
「なんでも出来る万能部隊の出だが、ただしASだけは操縦できない。そんな自己紹介した奴がずいぶん偉そうにいうな?」
「万能部隊じゃない、SRTだよ、SRT、特別対応班。そりゃ僕はASは嗜み程度にしか動かせないけどさ、車の運転はプロ級なんだぞ」
「そうだったのか。ならASがハンドルで動かせるようなったらいの1番に呼んでやる。喜べ」
「・・・・・・キミ性格悪いって言われたことない?」
「政府の犬だけの特別対応だ。喜べ」
目的地たる通路の真下までたどり着き、分かっていたことだが、今度は目的地まで階段を登る羽目になった。
普段なら階段なんて、ハイヒール履いてたって苦にもならないのだが、足を段差に載せるたびに息が上がる。流石に疲れているようだ。なにせ今日一日を振り返ってみれば、アクションの連続すぎて我ながらついていけてない。
ここに来るまえに
まさに地獄のような過重労働だ。そろそろ乳酸菌が手足から溢れ出しても驚かない。
「・・・・・・ほんとに傭兵部隊の指揮官だったのか、テッサって?」
息切れを隠す意味合いもあって、なんとなくそんな質問をDEAに投げかけてみた。すると自慢げに言葉を濁すなんて、器用極まりない答え方を奴は返してきた。
「その気持ちはちょっとわかるけどさ。それでも僕の知るかぎり、最高の指揮官の1人だったよ大佐殿は」
あのポヤポヤした女の顔を思い浮かべると、冗談にしても度が過ぎているようにしか思えない・・・・・・だが、クソ真面目だけが取り柄のDEAをして、ああも感慨深げに頷かせる程度には、この話は真実であるらしい。
世の中は大概に狂ってる。知っていたはずなのに、なぜだか目眩が止まらない。脳に空気が足りてないせいだろうか?
「極秘の傭兵部隊って字面だけでもトチ狂った感じなのに、あんな小娘の尻に敷かれてたのかお前らは?」
「あのね・・・・・・君は若いから分からないだろうけど、世の中には嘘のような本当の話はわりとありふれてるもんなんだよ。だいたい大佐殿だって、カバにアーム・スレイブけしかけてる国の人にそんなこと言われたくはないだろう」
「アメリカでは、カバにASをけしかけないのか?」
「しないよっ?!」
「じゃあどうやってカバと戦うんだ?」
「そもそも戦わないって可能性に思い足らないのか君はッ!?」
俺が変なのか、常識が変なのか、そもそも常識とは何なのか、いったいどこのどいつが決めているのか・・・・・・無限に考え込めそうなテツガク的な問題だったが、ありがたいことに時間切れのようだった。
目的地に到着。そろそろガードフェンス前に陣取る男たちに会話が聞かれかねない。
グラウンドの作業音のお陰で今はまだ心配ないだろうが、近づけばそうもいかない。接近するまえに男たちをよく観察して、対策を立てなければならない。
その場所はさながら、ひさし付きのトンネルのようだった。
つまりは世界中のスタジアムにありふれているデザインであり、トンネルそのものに特筆すべき点はない。だが溶接機でも使わなければ切り取れなさそうな分厚いフェンスと、それに輪をかけて頑丈そうな鋼鉄の扉は異様だったが。
例によって扉脇には電子錠。だが清掃員からパチったカードキーが通用するセキュリティレベルではないのは明らかだ。武装警備員を常駐させるなんて普通じゃないからな。
物資搬入路と名乗っている割には、えらく小さな扉だった。あれじゃ台車すら通り抜けできないだろう。これ見よがしによくやるものだ。
すべてを見渡し、結論づける。これではまるで検問所である。
首を伸ばしてトンネルの奥になにか見えないかと試してみたが、仄暗いトンネルの向こう側に見えるのは暗闇だけだった。実際に行ってみなきゃ、何があるか分からないか・・・・・・。
俺はDEAを後ろに従えるように先頭を歩き、とりあえず、いかにも用事がある風を装ってみた。
さて、問題は山積みだ。
まず連中を納得させてあの扉を開かせないといけない。男も女もずいぶんと手玉に取ってきたが、純然たる男役というのはあまり・・・・・・いや、相手を騙すような局面で男の格好のままというのは、さっきのピアス男が実は初めてだったりする。
扉の向こう側になにがあるのかイマイチ分からないこのシチュエーションで、カルテルの心臓部の警備を任された奴らをはたして騙し通せるのか?
いや、分からないことで考え込んでも仕方がないか。
攻めるべきポイントはいつだってヒューマンエラー、人間そのものだったじゃないか。近づいた分だけせっかく情報量が増えたんだ、より深く警備員どもを観察して、弱点を探すべきだった。
2人いるうちの年かさの方の警備員がまずこちらに気がついた。長い勤務で集中力が欠けているらしい若い2人目を小突き、すぐ警戒心を顕にする。主導権は年かさが握っている。
軽く挨拶代わりに手を挙げてみる。すると向こうも、同じように手を挙げてきた。だが致命的に文脈が異なった。
こっちが挨拶なら、向こうは“止まれ”という命令形だ。年かさは米国製のM4カービン銃の銃把を握り、いつでも撃てる態勢を整えている。俺の目はその右腕に釘付けだった。
若い方は、自己主張が激しすぎるタトゥーが警備服の襟元から覗いてるあたり、ピアス男と同じく典型的なストリート育ちのようだ。義務であるかのように金色の腕時計なんてしてるからまず間違いない。
だが年かさの右腕に刻まれている、燃えさかる剣の図形と標語は同じタトゥーとはいえ大問題だった。
“
この男、よりによってグアテマラ内戦の影の立役者、特殊部隊旅団こと“カイビレス”の元隊員であるらしい。
この南米大陸には死の部隊なるものがバーゲンセールが開けるほどあふれているが、その中でもカイビレスの悪辣さは図抜けている。ゲリラ狩りの流儀を再就職先へと持ち込み、カルテルに首刈りの文化を根付かせたのは誰あろうカイビレスの元隊員たちなのだから。
生半可な相手ではない。いろいろと相手を騙くらかす手を考えてはみたが、子犬を育てたあと自分の手で殺すなんてのを本気で選抜試験に組み込んでる奴らに、果たして小手先の手が通用するか怪しいものだった。
・・・・・・ふむ。
仕方がない。そう心の中でそうため息ついてから、俺はガリルをスリングから切り離し、思い切り年かさに投げつけてやった。
「!?」
物を投げつけられると人間は、避けるか受け止めるかのどちらかを自然と選択してしまう。
だが軍では、死んでもライフルを地面につけるなと教育されるんだそうだ。だから必然、元特殊部隊員たる年かさの男は弧を描いて飛んでくるガリルを咄嗟に抱きとめてしまった。歩兵の哀しき習性、それが仇となる。
ガリルが滑空していくのに合わせて一挙に距離を詰め、掌底を顎に食らわして年かさの脳を揺さぶってやる。
それでも反射的に殴り返そうと試みるあたり流石だったが、突き出されてきた腕の関節を逆に打ちつけて、そのまま流れるように地面へと引き倒してやる。トドメにサッカーボールよろしく頭部へ蹴りを決めてお終いだった。
これが普段の鉄板入りハイヒールだったら即死は免れないだろうが、蹴られる側にとって幸運なことに、今日の俺はブーツを履いてきた。だから年かさは白目を剥いて動かなくなるだけで済んだ。
それでも向こう半年の入院は約束されたようなものだ。いや下手をすれば、一生か。冷酷だが、手ばやく仕留めなければ若い方に対処できないので仕方がない。膝を曲げもう一方に飛びかかろうとして俺は、すぐその必要はないと知った。
ベテランと新米を組ませるのはどこの業界でも鉄板ではあるが、この場合は悪い方に働いていた。
若手はいきなりの襲撃に目を丸くしつつも、きっと俺を撃とうと頑張りはしたのだろう。だが相棒とおなじモデルのM4カービンの銃身を咄嗟に跳ね上げたまでは合格点だったが、その途中で詰め寄ってきたDEAに銃をスリングごと絡め取られ、首絞め状態のまま床に引き倒されてしまったのだ。
相手の首には腕を、下半身には両脚を巻きつけて締め落としにかかっているDEAは、なぜか責めるような目線をこちらに向けてきた。
トラソルテオトルではあっさり俺に殴り倒されていたから、もしやコイツ弱いんじゃないかと危惧していたのだが・・・・・・どうやら杞憂だったらしい。わりかし動ける奴である。
DEAの眼差しを無視しつつ床からガリルを拾い上げ、そのまま
運よくもこの騒ぎは気づかれていない。誰もが作業に忙しく、通路に目を向ける余裕がなかったようだ。それかさっきの清掃員と同じく触らぬ神に祟りなしの理屈で、見てみぬふりをしてくれただけか。とりあえず叫び声が上がらないだけで十分、これにてオールクリアである。
乱暴に扱いすぎたガリルに問題がないか簡単にチェックしつつ、
「ちょっといいかい?」
と穏やかに青筋立てているDEAの抗議を軽やかに無視。生きてるか死んでいるか微妙なラインの年かさのベルトから、カードキーをむしり取った。
それから何やら痙攣し始めている年かさの腕を掴んで、鼻血のすじを床にペイントしつつ電子錠の方へと引きずっていく。開けゴマ。どうやら守衛がちゃっちゃか張り倒される事態をカリ・カルテルは想定していなかったらしく、カードをかざせばあっさり鋼鉄のドアは開いてくれた。
フェンスは絶妙に奥まったところにあったから、こうしてちょっと警備員の身体を運んでやれば、目撃される心配も大きく減る。
開いたばかりの扉の向こうに、警備員どもの身体を隠していった。いい具合に照明の死角になっている物陰があって助かった。ここなら完璧だ。
とはいえ、どこまで通じるか・・・・・・あのピアス男といい、無線点呼でもされたら一発でアウトだ。本当に準備不足で目も当てられない。こうなったらとにかく素早く、仕事を終えるしかないだろう。
つづいて、DEAの奴も若手の身体を引きずってきた。
「もっとスマートにやれたんじゃないかな?」
今さら小声にしたところでどうなるものでもないと思うのだが、とりあえず合わせて声のトーンを下げてみる。
「最初に人を殴り倒したのはそっちだ」
「そうだね。不幸な偶然が重なったから仕方がなくね。でも、これは先に一言相談ぐらいできたろう!! 何のために日系ブラジル人の設定を僕に押し付けたよ!?」
「泣き言ばかりだな、元傭兵の癖に」
むしろ、またたく間に特殊部隊上がりを叩きのめした俺の腕前を褒めてもらいたいぐらいだ。
意識不明の重体とはいえ、人体の生命力というのは底が知れない。年かさの意識が万が一戻っても良いように、男たちのブーツの靴紐を失敬して両手を拘束し、無線機はDEAに倣って踏み潰しておく。
スピードが肝心だ。やるべきことをやって足早にトンネルの奥へ突き進んでいくと、バタバタと慌て気味の足音が追いかけてきた。
「傭兵は傭兵でも、プロの傭兵だ!! そっちだって仮にもプロの癖して、人一人だまくらかすことも出来ないのか!?」
「まだやるのか・・・・・・」
しつこい奴である。
「じゃあ素直に清掃員のIDを提示してれば良かったのか? どうせ証明写真を見られたら張り倒すしかないんだ、早いか遅いかの違いだろ」
「だからせめて最初に言えって!! そしたらこっちだって腹をくくったのに」
「童貞は根に持つな」
「あらぬ疑惑をかけるんじゃない?!」
ケティの方がマシと思う日がくるなんて・・・・・・アイツなら、何も言わなくても喜々として相手に殴りかかっていただろうに。
それはそれで、どこかアレな感じがしはするが。
「ホント、ケツの穴が小さい男だわねえ〜」
顔を背けてちょっと髪をなでつける。マインドセットとしては微妙だが、自分でも驚くほど艶めかしい女声が出てくれた。
途端、見るからにドギマギしはじめるDEA。所詮は男か。
「その男と女を都合よく使い分けるのもやめてくれないか!? 声音まで器用に変えてまったく」
「うっさい」
続けざま男らしいドスの利いた声を浴びせると、目くじらを抑えてDEAは葛藤しだした。
「だからやめろって・・・・・・ああ、もういい」
呆れきったように頭を掻いてから、急にDEAの顔はプロの軍人らしい、抑制された目つきへとすぐさま切り替わっていった。興奮、恐怖、冷徹な計算がすべてが入り交じるあの目つきに。
トンネルの奥には、簡素な両開きの扉が設えられていた。あれを潜ればもう後戻りはできまいだろう。だからDEAの雰囲気も変わったのだ。奴は身を屈めて戦闘準備中、インベルの薬室を確認していた。
別に奴に倣うわけじゃないが、俺もガリルの槓桿ちょっと引いてから人差し指を薬室の中に突っ込んでみる。すぐ弾頭の手触りを感じた、いつでも撃てる。
「本当に地下だったら逃げ場がないな」
予備の脱出路があるかもしれない。そういう希望的観測がありはするが、この目で見るまで不確かなままだ。
入るとこ一箇所、出るとこ一箇所。一本道というのは守る側からしたら理想的だ、なにせ機関銃1挺でも大軍を塞き止められるから、ここが唯一の出入り口の可能性はまだある。
「ここまでのドタバダがすぎる潜入方法を思うと、扉を開けた途端に
悲観論にしては、DEAは冷静すぎる口振りだったが、このタイミングで話すということは何かしら理由があるのだろう。
両開きの扉を仔細に観察してトラップの類はないと判断、ドアノブ に手をかけたらあっさり捻れたところ見るに、この扉は警備のためというより、単に念押しの目隠しが目的のようだ。
これが最後のチャンスだった。
政府の犬とそれに追われる身である
だから尋ねた。
「嫌なら別に付いてこなくてもいいんだぞ。これはアンタの戦いじゃない」
その台詞は自分でも警告なのか、はたまた皮肉なのか判然としないものだった。
「・・・・・・」
俺の言葉を聞いた途端、DEAの奴はらしくもなく皮肉げに鼻を鳴らした。それからまるで人に言い含めるように言葉を発していった。
「まずハッキリさせておく。僕は、大佐殿と違って君をまったく信用していない」
特に驚きはしない。むしろそっちの方が正常な反応だ。
出会ってすぐ、ましてや自分を拉致したシカリオのために命を懸けるなんてのは、正気の沙汰じゃない。テッサの方がよほど異常なのだ。
「第一印象というのは怖いものだよ。大佐殿が見てる君は、子どもたちの守護者としての姿が第一なんだろう。
だけど僕は・・・・・・口の中で鉄の味がするほどに血まみれの現場を幾つも見てきた。ほんの短い赴任期間でこれだ。君らシカリオはまったく限度というものを知らない」
「そうだな・・・・・・アンタは、テッサより俺のことを知ってるらしい」
テッサが俺についてどう思っているかはともかく、シカリオと呼ばれる人種が例外なく人でなしであることは、誰あろう自分自身が一番よく心得てる。
「君の目指しているものには、大佐殿と同じく共感してるよ。だからこうして手助けしてる訳だけど、僕の役割は別にあるとも感じてるんだ。
僕は、何よりもまず大佐殿の味方なんだよ。
あの人は紛れもない天才だ、百手先を見通せる。だけどそういう人は得てして、自分の足元が見えなくなるんだ。かつては僕なんかよりよほど優秀な人たちが大佐殿を脇から支えていたけど、残念ながら今は僕しかいない。
だから耳に痛くとも、大佐殿に真実を伝えるのが僕の役割なんだよ」
共闘はしても仲間じゃない。要約すれば、どうもそういうことであるらしい。
「別にいいさ、ちゃんと銃を撃ってくれるならな」
「そうかい。それについても、全力は尽くさせてもらうつもりだ。そうならない方が望ましいけどね」
「ならもう思い残すことはないな? 開けるぞ」
「いや待った。その前に1つ聞きたいことがある・・・・・・局長が消した証人の人数を知ってるかい?」
少し考えてから俺は答えた。
「知ってる限りでは、俺が殺ったのが2人。
聞き終えてから、奴は吐き捨てるように言った。
「だからだよ・・・・・・これは僕の戦いでもある。犯罪者の君を信用なんかしてないが、とりあえず嘘つきじゃないし、何よりも偽善者じゃない。そこだけは気に入ってるよ」
この違法活動がバレたら即キャリアは終わり。運良く生き延びたところで、局長の口封じリストに名前が載るだけかもしれない。だがこの男はそれを知ってなおここまで付いてきた。
そっちも大概に大馬鹿野郎だなと言いかけて、それは全てが終わったあとでも良いだろうと思い直した。
「ハァ、まさか
「今は勤務時間外だよ」
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