II “18時間前・・・・・・”

【“テッサ”――ネオ・パンナム815便機内】


“あんたそれ、未亡人の生き方よ?”


 なんて、気のおけない友人ついに言われてしまった。ゆえあってわたしが居候しているニューヨークのアパートの家主こと、メリッサ=マオに。


 ミスリル時代には、上官と部下にして年の離れた友人という間柄であった彼女でしたが・・・・・・なし崩しに家へと押しかけてから3年もの月日が経った今、その関係はもう一言では言い表せないものになっている気がする。


 当初は腰掛け、すぐ自分の住むべき家を見つけるつもりだったのに、こうしてズルズルと居座ってしまった。


 居候歴3年、それも新婚である友人宅に。自分でもこれはちょっとどうなのかと思いはする。


 ただ言い訳させてもらうなら、わたしたちが暮らしているニューヨークの一等地にあるアパートは・・・・・・あまり話してくれませんけど、ずっとギクシャクした間柄だったというメリッサのお父様が用意してくださった物件だそうでして。家賃格安なうえ、夫婦2人とお腹の子どもだけで住むには、あまりに広い間取りなのでした。


 メリッサの旦那さんであるウェーバーさん――的確な呼び方じゃありませんけど、今だに慣れなくて――との間に、ええと、色々と縁のあるラナちゃんという少女と、わたしが旅先で偶然にも知り合った少年ロニー。彼らが越してきてなお余裕があるほどの大物件。無論のことながら、住心地だって極上の部類です。


 ラナちゃんとロニーが遠い異国の地で新生活を始めるための、行政との手続き回りのイザコザに、メリッサ夫妻の一人娘であるクララちゃんが一番手がかかる時期だったというのも重なって、色々とお手伝いしているうちにズルズルと引っ越しの機会を見失ってしまったのです。


 懐に余裕があったというのも大きいでしょう。夫婦揃って、プロ野球選手並みの年収を得ていたメリッサ夫妻と、ミスリルの仮にも幹部クラスであったわたしの口座ときたら、割と凄い額が貯金されていたりする。ですから気づけば3年もの長きに渡り、ついつい居候生活をつづけてしまったのです。


 かしましいながらも楽しい我が家。ついでに衣食住の心配もなし。そんな緩やかな時間のせいで・・・・・・せい? いえ、こんな言葉づかいは大間違いにもほどがある。


 すべてはわたしのせい。友人たちとは異なって、わたしは新たな人生を歩みだす機会を見失っていたのです


 結婚、出産、子育て、そして今度はなんでも会社を作るらしいメリッサたちの傍らで、わたしは3年前から時が止まったかのように何一つとして変わっていませんでした。


 かつて戦争があったのです。


 世界の命運を賭けるなんて、今どきハリウッド映画でも恥ずかしがる、世界の裏側で本当に起きていた影の戦争シャドウ・ウォー。あの戦争によって、多くの人々が亡くなりました。少なからずが、わたしの下した命令によって。


 あの戦争について、世間は何も知りません。それこそがわたしたちの勝利した証であると胸を張るべきなのでしょうが・・・・・・ふとした拍子にどうしようもない虚無感が胸に入り込んでくる。


 心的外傷後ストレス障害PTSDですとか、燃え尽き症候群。客観的に自分を分析してみて、それらしい原因を考えてはみたのですが、どの説明もしっくりこない。


 それはそうです。原因はもっと単純なものなのですから。


 わたしの人生は、その始まりからずっとウィスパードという概念に引っ張られていた。ですが、そのウィスパードをめぐって起きたあの戦争の勝利によって、わたしの人生をかけた問題は完膚なきまでにケリがついてしまったのです。


 そこでふと気づく。わたしはずっとウィスパードという呪縛に囚われてきたと。


 この呪いから逃れるために牙を研ぎ、実戦の中で己を鍛え上げて、そして気づけば・・・・・・平和とはもっとも縁遠い存在になっていた。


 そこで最初の言葉に戻るわけです。


“あんたそれ、未亡人の生き方よ?”


 口ぶりこそ冗談めかしてましたけど、その奥にはわたしへの気遣いを感じました。


 わたしだって普通の女の子に戻れると、そんな呑気に構えていたのです。ですが・・・・・・わたしは電磁流体制御システムについて、求められればいつでも図面を引くことができます。そんな普通の女の子、この世のどこに居るというのでしょうか?


 普通。大勢の人が、当たり前のものとして受け入れている概念。それがわたしには分からない。


 ウィスパードとして生まれついてしまったが為に奪われてきた、数々の出来事。


 わたしの両親、そして兄だって、ただ巻き込まれただけに過ぎなかった。人生を翻弄されつづけ、でもそんなものに負けるものかと抗い続けて、気づけば、わたしの中にあるのは戦争だけになっていたのです。


 皮肉なものです。生まれてからずっと戦争の中を生きてきた“彼”のあり方にずっと気を揉んできたのに、いざとなったら自分のほうがよほど平和な世界で生きられない存在になっていたのですから。


 もう、世界を一変させるようなブラックテクノロジーを囁きかけてくる魔物は居ません。ですがこれまで培ってきた超兵器の青写真は、まだ頭の中に収まり続けている。


 もし、例えば大学の研究所などに入って、わたしがその青写真を披露してしまったら? あるいは、新兵器が喉から手が出るほどに欲してならない諜報機関などに、わたしの才能が知られてしまったら?


 呑気に平和の中に混じることなんでできやしません。わたしは今だに、チクタクチクタク、針の音を鳴らしている時限爆弾のようなものなのです。


 だからそう、認めるしかないのでしょう。わたしはほとほと、死と破壊しかもたらすことのできない存在なのだと・・・・・・ですから、そんなわたしを気遣ってメリッサは言ったのです。


 湾岸戦争戦没者慰霊碑――わたしの設計した技術によって核の業火に焼き払われてしまった、数万もの人々の名前が刻まれるどこまでもつづく黒い墓石のような慰霊碑。その前に、呆然とたたずむわたしに向けて。


 閑話休題。まあ、人生悲喜こもごもということです。


 かつてミスリルに属していた者たちには、警備会社アルギュロス名義で少なくない金額の年金が支払われていました。


 ミスリルは無くなったはずだ、ですか? まさしくもってその通り。ですがいかんせん、国際法的に見たらミスリルという組織は、希代の犯罪者集団以外の何者でもないのです。


 わたしたちのお陰で助かった命は無数にあります。それこそ核戦争のカタストロフィから世界を救ったこともある。ですがそれとこれとは話は別。


 好き勝手に国境を侵し、強大な武力を行使する集団。こんなの法的に見たら、大量殺人の罪で裁かれるべき危険分子に他なりません。


 ですがミスリルの関係者、というよりわたしたちに仕事を依頼した政府の要人たちの多くは、今だに現役なのです。冷戦終結のどさくさ紛れて忘れされるつつある、極秘の傭兵部隊ミスリルの噂・・・・・・といいます、忘れてほしいなーと考えられているミスリルの存在は誰もが公にしたくない、いわば黒歴史と化しているのです。


 組織が壊滅してもなお、今だに年金が支払われているのはこのためです。


 慰謝料であり、口止め料であるお金が、まだわずかに残っていたミスリルの資産を売却することで捻出され、今も元隊員や戦死してしまった隊員の遺族のもとへと律儀に支払われつづけている。


 ですが作戦部と研究部は文字通りに壊滅し、情報部は今だに腹立たしいんですが、危なくなる前にトンズラこくという、すべてにおいてもはや実態がないミスリルの資産運用が、順調に進むはずがないのです。だって経理部門すらもはや跡形もないんですもの。


 ですからわたしは、かつての部下たちの墓参りをライフワークにして、メリッサから未亡人なんて呆れられてしまっているのです。


 存命の元隊員ならば、年金がちゃんと支払われていないと然るべき窓口を通じて抗議することもできます。ですが死亡した隊員はそうもいきません。


 ミスリルは高給を支払うことで有能な隊員たちを世界中からリクルートしてきたわけですが・・・・・・極秘の傭兵部隊なんて素性のよろしくない組織にわざわざ属したがるのは、やはりリスクを背負ってでもお金が必要だった、事情のある人たちが多かったのです。


 大抵は、第三世界と呼ばれる国の生まれ。時には基礎的なインフラすら整っていない場所に遺族が暮らしている事例も多い。


 思い出してください。この年金は基本的に、ミスリルという存在を明かさせないための口止め料であるということを。民間企業に属していた父や子、妻や娘がなぜ亡くなったかといえば、訓練中の事故とかぼやかされた事情しか聞かされてない大勢の遺族たち。細かな事情を知らない彼らにとって、支払われるべきお金が手元に届かなくとも、どこに相談すべきかさっぱり分からないのです。


 だからわたしは、世界中に出向いていって墓参りをつづけている。もちろん墓前に花を手向けるもする。ですが一番の目的は、遺族の状況を確認すること。


 実際、支払われてない事例の多いこと。とりわけミスリル壊滅以前に戦死してしまった隊員の遺族は、情報が散逸してしまったこともあり、かなりの人数が見過ごされていました。


 まだ存命の隊員たちからの証言や、残された数少ない人事記録からわたし直接の部下であった人々はもちろんのこと、他の戦隊に属していた隊員たちのことまで調べ尽くす。


 わたしの才能はどこまで行っても、人殺しの役にしか立たない。だったらひっそり目立たぬよう消えるのが世のため人のため。でしたら、こういう戦後処理に残りの人生を捧げることもそう悪くはありません。


 ですが、いつのものようにラガーディア空港から墓参りのために旅立とうとしているわたしに向けて、心配一色で瞳を染め上げながら、メリッサは言うのです。


“だけど・・・・・・あんただってさ”


 そう、もう長い付き合いですから言いたいことは分かります。


 わたしにもきっと、幸せになる権利はある。


 もしかしたら捻くれているだけかもしれません。もっと努力して、平和な世界に溶け込むべきなのかもしれません。そういえば、昔“彼”にも似たようなことを言われたものです。


 ですが才能というのはある種の呪いなのです。どう頑張ろうともわたしは、自分がささやかれた者ウィスパードであり、戦争の天才であるということは、やめられない。


 心配しないで、と。もう使い古しすぎてめっきり信頼度が落ちてしまった別れ言葉を口にしてから、ブラジル某所に葬られているという、わたしの指揮の元で死んでいった隊員のお墓参りに赴くべく、わたしは機上の人となったのです。


 これで良いのだと思いつつも、心のどこかで後ろ髪を引かれもする、そんなライフスタイル。まあ、今さら悩んだところでどうしようもないことです。


 誰からも忘れ去られて、ひっそりと死んでいく。わたしはそう生きると決めたのですから。


 疲れていたのかしら・・・・・・エコノミークラスのあまり座り心地のよくない椅子だというのに、とろんと眠気が襲いかかってきて。わたしは抗いきれず、ついつい眠りに落ちてしまいました。


 すると夢を見ました。


 すぐ横に、大好きだった“彼”がいる夢。わたしの恋愛ごっこに振り回されて申し訳なさを感じてる、今はもう、すべてが終わってしまったはずの夢。


 そんな彼が言うのです。


“俺は千鳥と学校に通いなおして勉強します”


 過去の回想。わたしは確かに、彼の口からそう聞いた。


 今となっては予言になってしまった言葉を彼はもうあの時に、しっかり決意していた。まったくもって、わたしとは大違い。

 

“そしていつかは当たり前の男になる。武器など必要ない男に”


 もう追いつけないほど彼の背中は遠くに行ってしまった。今さら惚れた腫れたの未練なんてありません。ですが、

 

“あなたもいつかはなるべきです。武器など必要ない女に”


 彼が示してくれた道をわたしも歩みたいと一度は望んだはずなのに。でも、どうしてでしょう・・・・・ぐるぐる、ぐるぐる、わたしは同じ場所にずっと自分を縛りつけている。


 そんな、夢を見ていたのです。


「ん・・・・・・」


 目をこすり、身体を起こす。


 あのまま夢を見続けていたところで納得できる結末なんて起こり得ないのに、どこか不完全燃焼した気分でした。


 夢とは現実の写し鏡なのです。現実で出てない答えが、そう都合よく夢の中から出てくるはずもありません。ですから、この気持ちは筋違いにもほどがある。


 ネガティブな気持ちを頭を振って、振り払い。ずっと座席で眠りこけていたのだから当然かしら? こわばった身体を背伸びしてせめてもほぐそうとする。


 大佐殿なんて呼ばれていた頃には、いつもファーストクラスで悠々自適に出張に赴いていたものですが、今のわたしは若き年金生活者なのです。


 ミスリルの年金システムの不備を自費で調査している暇人としましては、そろそろ出費が気になる頃合いなのです。


 いっそかつてミスリル作戦部を束ねた、わたしの義理の父のような存在であるジェリーおじさまに相談して、予算を出してもらうべきかしら?・・・・・・それは悪魔の囁き、すぐ頭の中でアイデアを打ち消しました。


 ジェリーおじさまには返しきれない恩義があります。尊敬だって、無論している。ですが・・・・・・ちょっとここ最近はギクシャクしてまして、コメントは差し控えたい気分なのです。


 まあそんなわけでして、昨今の懐事情と相談してみた所、選べるのはエコノミー一択なのでした。


 首を回してみると、鳴りひびく乙女にあるまじきボキボキ音。ファーストクラスに乗ってた頃はこんな音しなかったのに・・・・・・わたし、恵まれてたんですね。


 とにもかくにも頭がしゃっきりしてくると、何やら妙でした。


 日差しを避けるために下げておいた窓のブラインドを上げてみたところ、案の定、飛行機はとっくに着陸しており、滑走路からは、いかにも南米らしい強烈な日差しが照り返してきました。


 出発してから着陸するまで、ずっと眠っていた?


 それってもはや過剰睡眠なのではと自分が心配になりましたが、周囲の客席がまったくの無人であることに比べれば、些末なことです。


 飛行機が墜落しても、生存確率がもっとも高いといわれる最後尾から機内を見渡すと、どこもかしこも空席なのです。おかしい・・・・・・満席からはほど遠かったですが、それでもチラホラ乗っていたはずなのに。今はわたしだけ。


「マリー・セレスト号?」


 なんて、かの有名な失踪事件に絡めてボケをかましてみましたが、周りに人っ子一人もいないので当然ツッコミはなく・・・・・・なんとも虚しいかぎり。


 一緒に付いていくと言い張ったロニーの申し出、これなら受けておけば良かったかもしれません。赤面を隠しながらそう思う。


 眠りに落ちる前、最後の記憶をたぐり寄せてみる。


 搭乗のアナウンスが聞こえ、メリッサと別れてから搭乗口に向かって・・・・・・それで、疲れが溜まっていたのかしら? フラフラした頭でチケット片手にあたりを彷徨ってますと、ほら、あそこで掃除機で機内の掃除してるフライトアテンダントさんが親切にもわたしの手を引いて座席に導いてくれて、そのままばたんきゅうー・・・・・・って、人が居るじゃないですか。


 航空会社の制服姿でカーペットに掃除機かけてる女性が、ちょっとずつこちらに近寄ってきます。たぶん、手を引いてくれたフライトアテンダントさんと同一人物だと思われます。なにせ特徴的な容姿です。


 彼女に声を掛けるまえによだれの痕跡に気づいて慌てて拭い、頬についた窓枠型の頬の痕跡をできるかぎり揉みほぐして隠滅してから、やっとわたしは声をかけました。


「あの」


 掃除機がぶんぶん鳴っています。


「すいません」


 掃除機がそれはもうすごくぶんぶん鳴っています。


 この世の汚濁をすべて吸い尽くしてやるとでも言いだけに、騒音でがなり立てる掃除機。そんな音の暴力を前に、わたしの遠慮がちなか細い声なぞまさに無力でした。となれば、覚悟を決めるしかありませんか。


 すぅと息を吸い込んで、できるかぎりの大声で叫びました。


「ちょっと掃除機を止めてもらえませんかぁ!!」


 もともと大声を張り上げるのは不得意な方ですから、ちょっと声が裏返ったりして、ちょっと恥ずかしい。しかしながら効果じたいはあったらしく、フライト・アテンダントはやっと掃除機のスイッチをOFFにしてくれました。


 亜麻色の髪をした、どこか無機的な印象を与えてくるフライト・アテンダントさんが、無表情ぎみな顔をわたしの方に向けて、こう言い放つ。


「うるさいですね」


「・・・・・・すみません」


 ちょっと理不尽な気がしました。顧客満足度があまり高くなさそうな航空会社ですね。


 その方はやはり、件のフライト・アテンダントさんと同一人物でした。アジア系とも、アングロサクソン系とも、どちらともいえそうな無国籍風な雰囲気を漂わす大人の女性――ぶっちゃけ、女体化したキア◯=リーブスみたいな人です。


「まだ残っていたとは」


「・・・・・・」


 ひどい言い草です。ですが、その言葉からおおよそのストーリーは察せられてしまった。寝てたせいで、降りるタイミングを逸してしまったのでしょう。


 周りの乗客がつつがなく降りていく中、どうやっても起きないはた迷惑な乗客ことわたしは、きっと強引に起こしてクレーム入れられても面倒だからと、ギリギリまで寝かしておくことにしたのでしょう。


 冷静になってみると、わたしってばものっっっっっすごく恥ずかしい存在なのでは?


 やだ・・・・・・先走って話しかけてしまいました。みるみる顔が赤くなっていくのが分かる。


「えっと、ですね・・・・・・とりあえず、眠りが深くて申し訳ありません」


 ため息ぐらいついてもいいシチュエーションなのに、表情筋の一つすら動かさず、淡々と亜麻色の髪をしたフライト・アテンダントさんはわたしの謝罪を受け入れてくれました。


「次のお客様の搭乗がそろそろ始まりますので、できるだけ早く降りていただけると助かります」


「あっ、ハイ。重ね重ねすみません・・・・・・」


 恐縮しながら立ち上がって、頭上の天井収納庫から手荷物ポシェットを取り出しました。


 かつて旅慣れてなかったころにはトラベルバッグをパンパンにさせて、引っ越しでもする気かとメリッサに呆れられていたわたしでしたが、この3年でずいぶん鍛えられました。


 今では、どこに行こうとも装備は最小限。


 着替え類の収まる小さなトラベルバッグと、最悪これだけであればどうにかできる必需品の詰まったポシェット。この2つだけが、今回の旅行に持ち込んだ持ち物のすべてなのでした。


 ポシェットをたすき掛けにするだけで、降りる準備はあっさり終わり。フライト・アテンダントさんに頭を下げつつ、さっさと旅客機を出ていこうとして・・・・・・今度こそ、説明のつかない違和感に気がついてしまった。


 多民族国家である南米ではさまざまな言語が使われているのですが、主にスペイン語とポルトガル語が二大勢力として知られています。独立から数百年が経とうとも、植民地時代の歴史はもはや消しようがないというわけですね。


 さて、ここからが本題なのですが・・・・・・わたしの目的地であるブラジルは、南米で唯一のポルトガル語圏なのです。しかしどうしたことか、空港の方角から聞こえてくるこのアナウンスの声は、明らかにスペイン語なのです。


 ターミナルと旅客機をつなぐボーディングブリッジを経て、はるばる機内へと届けられてきた空港のアナウンス。最初はスペイン語圏からの旅行客に配慮した多言語放送かとも思いましたが、どうにも違う気がしてなりません。


 だって――コロンビアにようこそとか繰り返してるんですもの。


「つかぬことを伺いますが・・・・・・」


「はぁ・・・・・・」


 動揺いっぱい、暑くもないのに額からの汗がとまないわたしに向けて、なんとも気の抜けた感じに返事を返してくるフライトアテンダントさん。わたしは彼女にどうしても、尋ねなければならないことがありました。


 だから聞きました。


「ここ、ブラジルですよね?」


 と。


 すると質問と同じぐらい、その回答もまた短かった。


「いえ、コロンビアですが?」


 ああやっぱり・・・・・・分かっていても、聞かずにいられない真実とはあるものなんですよ。


 わたしはどうやら、乗るべきではない飛行機に搭乗してしまったようです。




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