I “ハウダニット――1”

【“ノル”――静謐なる地トランキランディア、モンドラゴンの邸宅カンポ内の病室】


 いきなり意識が覚醒する。


 ここはどこだ? そういったごく当たり前な思考よりまず、自分が横たわっていることに気がついた。


 気分は、夢見心地とひどい酩酊感の中間地帯といったところか。頭はシャッキリしていないのに、感覚そのものはえらく鋭敏。目を瞬かせる都度、急速に視界のピントが合わさっていく。


 見たことのない天井だった。


 鼻をくすぐる消毒薬の匂いといい、病室のベッドでまず間違いない。だがどこの病室だ?


 記憶をたぐり寄せていく。最後に覚えているのは・・・・・・そうだ、思わぬ命綱となった潜水艦ナルコ・サブが浅瀬に乗りあげて、みんなしてズブ濡れになりながらビーチを目指していたのが最後の記憶。だが、そこから先がぷっつり途切れている。


 DEAラ・ディアの診断を疑う理由はない。あの時、撃たれた怪我は重症であったことは間違いないが、それでも即座に命を奪われるような類じゃない。


 となると、感染症か? 


 不衛生な海水に不衛生な船内。南米という土地は、感染症の原因には事欠かない。熱で意識が朦朧としてそのまま昏睡、そんなところか。


 あの時、当然ながら歩けなかった俺は、DEAの背におぶさって皆と同じようにビーチを目指していた。冷たい海水に足先が浸っているのに何も感じない、そのことだけは、えらく鮮明に覚えている。


 やっと頭が働きはじめた。点滴チューブで穴だらけになっている腕を上げて、手のひらを開けたり閉めたりする。


 俺は、およそ考えうるあらゆる外傷を負ってきた。撃たれたし、刺されたし、殴られたし、車に轢かれたこともあるし、ASに追い回されこともある。これまでもあったことだ。腕力はやや衰えてるが、どうせすぐ戻る――だが脚は?


「・・・・・・ハッ」


 馬鹿らしい。分かりきっていたことだ。


 上げるどころか、ほんのちょっと動かすのすら無理。まるで他人の脚が移植されたような気分だ。


 街をかけぬけ、建物から建物へと飛びうつる。そんなアクロバティックなことやらかしてたのは、そう遠い昔じゃないはずなのに・・・・・・今はピクリともしない。


 病室のベッドに手術着姿で横たわっているとなれば、この夢うつつな気分は、麻酔の後遺症か。テッサの奴め、本気で俺に治療を施すべく、あの手を打ったんだな。


 馬鹿なことを。これまでのアイツの作戦は、どれも自分たちが主導権を握っていた。だからこそ俺だって命を懸けられたんだ。だが、この場所ではそうもいかない。


 時を刻むように心電図が音を鳴らし、俺みたいな人間のために開発されたのだろう、懸垂の要領で掴んで身体を起こせるバーまで頭上に用意されていた。設備はどれも最新、部屋だって清潔そのものなのに――どうしてかナースコールは見当たらない。至れり尽くせりなのにどこか欠けている。


 そもそも部屋のデザインからして、普通とは程遠い。


 コンクリート壁に木材が埋め込まれた、設計士の喜色満面ぷりがすけて見える小洒落すぎなデザイン。全体的にカネが掛かりすぎている、国立病院の予算じゃこんなの到底不可能だろう。


 かといって、無職と孤児と犯罪者の集まりである俺たちが、金持ち向けの高級個人病院に入れるはずもない。


 ・・・・・・どんなに結論を先延ばしにしても、事実は変わらないか。


 ここは、南米最悪の麻薬王が湯水のようにカネを消費して作りあげた、ジャングルの奥の要塞バルアルテ――カンポとみてまず間違いない。


 エスコバルの時代には割とあった話で、誰もが自分好みの豪邸を作っていた。警察の襲撃だって跳ね除けられる豪邸というのは、こういう人種にはとても受けがいい。


 だがそういった豪邸の中でも、このカンポは最初から異例づくしだった。


 交通の便なんて微塵も考えられていないジャングルの奥地。人里から遠く離れてるなんてもんじゃない。数百km四方に人っ子ひとり住んでいない、まさに天然の要害なのだ。アクセスしたいなら普通は飛行機か、ボートを使うしかない。


 南米最悪の麻薬王にして、俺が属していたカリの永遠のライバルたるモンドラゴンの首領ことドン・ハイメは、かつては暗殺リストの頂点に位置していた。


 例の和平条約がまとまるまで、どれほど暗殺が試みられてきたことか。それもカリだけじゃなく、ありとあらゆるカルテルと名がつく組織に司法機関、果ては民兵からゲリラに至るまで、どこからも命を狙われてきた。


 全世界に喧嘩を売ったツケといえばそれまでだが、そんな男が場所はともかく、呑気に家を立て始めたとなれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。


 農場カンポ? ずいぶん牧歌的なコードネームでいいじゃないか。暗殺部隊を送り込め。


 あるときは少数精鋭の潜入工作チームを労働者に紛れ込ませ、またある時は、正面から堂々と軍隊を送り込んだ・・・・・・だがその結果は語るまでもない。


 いや、それで話が済んだらまだマシなほうだ。なぜなら、なんとも不気味なことにこれらの暗殺部隊がどうやって失敗したのか? それすらも定かじゃないのだから。


 よく言って魔境。カンポに入るまではどうにかなるが、五体満足に出てこられた者は、1人たりとも居ない。


 ドン・ハイメの身辺を固めている護衛隊エスコルタは、それほどまでに優秀だったと言ってもいいかもしれない。消えたのだって、単に死体を処理ギソしただけだろとシニカルに捉えることだってできる。


 だがこうまで失敗が続くと・・・・・・いつしか触れることすら誰もしなくなった。あそこに敵のトップが住んでいるのは明白なのに、まるで存在しないかのように誰もが振る舞った。


 寝た子は起こすな。向こうが僻地に引っ込んでいるのがご所望なら、こちらからあえて首を突っ込む必要はない。


 ・・・・・・考えてみれば、元を辿れば俺のせいかもしれないな。


 あの旅行代理店だとかいう、珍妙な名をしたギャングスター。奴が持っていたカンポへの直通回線を利用して、あろうことかドン・ハイメその人を揺すろうとしていたのは、誰あろう俺なのだから。


 あそこでテッサとテオフィラ、容姿以外はまるで似ていない2人の女を引き合わせたのが、今こうしてカンポのベッドに横たわっているすべての原因だ。


 まあ、あの段階でまさかこうなるとは、想像もできなかったのは確かなんだが。そんなこと誰にできる?


 ほんの数ヶ月前までは、民間軍事会社に追い回されることになるとは、思ってもいなかった。何かが崩壊するときは、いつだって瞬きする暇もないほど一瞬なのだ。


 あえて利点を上げるなら、モンドラゴン・ファミリアという組織の武力は、折紙つきという点だろう。アイツらと真正面からことを構えられるのは、ぶっちゃけ米軍ぐらいのものだ。なぜか第3世代ASを擁している民間軍事会社だろうとも、モンドラゴンにはそう易々と手は出せないはず。


 ・・・・・・それにしても、モンドラゴン側がよく了承したな。


 いくら妻に甘いとはいえ、そっくりさんと会ってみたいというのがテオフィラ=モンドラゴンの動機のすべてだろうに。そのそっくりさんことテッサだけならともかく、素性不明なガキどもまでもがくっついてきて、保護してくれと頼み込んできたら・・・・・・そんな義理どこにあると跳ね除けるのが普通だ。


 まして一行には、俺のような意識不明の重体患者に加えて、サイコパスな爆弾魔や元DEA捜査官まで混じってるときてる。


 相手は女子どもだからと同情してくれるほど、可愛げのある組織じゃない。なのに俺はまだこうして生きているどころか、最先端の治療まで施されている。なぜだ?


 単にテッサがうまくやった。それで全ての説明がつくかもしれないが、どうやってという部分がまるっきり謎だった。


 ・・・・・・やっぱりあれこれ考えるのは、苦手だな。とりあえず起きるか。


 そう思って頭上のバーへと手を伸ばしていくと、手の甲に落書きされていることに気がついた。


 薄く発光しているサンタ・ムエルテのUVタトゥーは、いつも通り。だが彫り師に入れてもらったそのUVタトゥーとは別に、俺の手の甲には、拙いながらも複雑な幾何学模様が描き込まれていたのだ。


 画材はおそらくマジックペン。それも油性らしく、指で擦っても落ちそうにない。鳥とか死神とか、そういう分かりやすい図柄ならともかく、この手の図形を組み合わせただけのデザインってのは、ぶっちゃけぜんぶ同じに見える。だがよくよく目を凝らすと・・・・・・なんとなく星座をかたどってる気がした。


 船乗りに星座の知識は必須。そんなことをのたまっていたテッサと異なり、俺はケチでゲスなシカリオにすぎない。だからなんの星かは見当もつかなかった。


 寝てる間にイタズラ書きされた。多分、それ以上の意味はないと思う。だがどこか引っ掛かりを感じた。まあそれでも、深く考えるべきものじゃない気もする。


 そんな時だった。いきなり病室の扉が開け放たれたのは。扉の向こうから現れたのは、くたびれたロングコートを羽織った白人男だった。


 ハンサムと呼んでいいのだろうが、それよりも胡散臭いイメージが先に立つ。歳はそうだな、30の半ばあたりか。空調がガンガンに効いている屋内だからまだいいが、あのコートは南米の気候にはまるで合わないだろう。全体的にこう、異物感が強い。


 麻薬カルテルの施設にこうもコテコテの、どこか60年代風味をした白人グリンゴが歩き回っているのか。


「ハロー」


 男は、手にした蓋つきのコーヒーカップを飲みながら、無遠慮に人の病室へと入り込んできた。


アメリカ人アメリカーノか?」


 と、俺が寝たままそう問うと、男は中身がまだ残っているコーヒーカップをゴミ箱へと捨てて、椅子へと腰掛けた。


「不思議だろう。どうしてモンドラゴンのカンポに、こんなニューヨーク訛りの男が居るのか?」


 まあ医者には見えないし、国際色が強いとはいえアメリカ人をそう簡単にカルテルに迎え入れるとも思えない。そもそも最初っから英語で話しかけてきている。この土地に馴染む気がないのは、明らかだった。


 無精髭にまだコーヒーが残っていたのか、男が口元を拭った。その拍子に手首のタトゥーが見えた。“88”、飾り気なんてまるでないただの数字のタトゥー。


「想像はつく」


「ほう?」


 えらく馴れ馴れしい態度だが、とりあえず敵意はなさそうだ。だがどうにも信頼できそうもない相手だった。あのタトゥーは、ろくでもなさすぎる。


「良いタトゥーだな」


「素晴らしい観察眼だ。目立たないよう、さり気なく入れたつもりなんだけどね。腕のいい彫り師に入れてもらったんだ」


「88=HH=ハイルHヒトラーH


 その男――白人至上主義者の隠語を腕に刻んでいる男は、感心したように何度か頷いた。


「素晴らしい推理力だな」


「こんなの一般教養のレベルだろ」


 いや、これはカルテル関係者の間だけだろうか。まあ、知っていてあまり徳はしないだろうが、安易に相手を信じないで済む知識であることは間違いない。


「国境はメキシカン・カルテルに抑えられ、ヨーロッパ方面はカリの独壇場。ブラジルにも卸してるそうだが、やはりアメリカで売り捌くのが一番儲かる。だからモンドラゴンはずっとニッチ市場・・・・・・刑務所の白人至上主義者を小売りとして雇ってる」


 色々と奇妙に聞こえるだろうが、白人至上主義者にもジャンルというものがある。白人以外は絶対に認めないという原理主義者も居れば、身内は白人ばかりだが、カネになるならどことでも手を組むという軽い奴らもいる――アーリアン・ブラザーフッドこと、ABはその典型だろう。


「そう舐めたものじゃない。なるほど、刑務所に居るのは最低賃金以下で働かされている囚人ばかりだが、みんなカネの使い道がないからね。娯楽といえば、本ばかり。そういう環境だと麻薬コークは実によく売れる。

 刑務所ひとつにつき、そこらの中小企業と同等の売り上げがあるぐらいさ」


「ましてアメリカは、世界最大の囚人人口を誇るしな」


 モンドラゴンが素直に中南米系ラティーノのプリズン・ギャングと手を結ばなかったのには、理由がある。そういう奴らは大抵メキシコ系で、中南米系の組織はほとんど強制送還されてアメリカに居ない。


 それにABのタチの悪さは、いかにもモンドラゴン好みだろう。ABは服役してる囚人のほんの1%たらずに過ぎないのに、全米の刑務所における殺人事件の26%あまりに関与している。


 入団するためには、最低でも1人を殺す必要がある。組織を抜けた者は、何があろうとも殺さなくてはならない。ABというのは、そういうどこを向いても血みどろの組織なのだ。


「それで、ABの連絡員が俺になんの用だ」


 なんとか腕の力だけで上体を起こし、ベッドの背もたれにもたれかかる。椅子に座っている相手から見下ろされるのは、心地いい体験じゃない。まして相手が相手だしな。


「レオン=マクダヴィッシュだ。お初にお目にかかる」


「ずっと気になってたんだが・・・・・・その演技ががかった態度はなんなんだ?」


「具体的には?」


「なんか、刑事だが探偵気取りに見える」


 するとレオンと名乗った男は、くくっと笑った。


「間違っていない。実はここには、アリバイを聞きに来たんだ」


「アリバイ?」


 単語の意味は分かるが、どうして俺がという気持ちが拭えない。


「なんだ、それは・・・・・・」


「アリバイというのは、現場不在証明と言って――」


「意味ぐらい知ってる。だが、それじゃまるで」


 まるで――殺人事件があったかのような口ぶりじゃないか。


 戦争で人が死ぬことについて誰も驚かないように、カルテルが人を殺しても当たり前すぎて、もはや話題にすら上がらない。だが、どうしてこの白人至上主義者は、捜査の真似事みたいなことをしてる?


 訳がわからず固まる俺に、レオンは言い訳するように言葉を重ねっていった。


「分かってる、分かっているとも。こんなコスプレまがいなことをしても、別に名探偵にはなれやしない。そりゃムショでは暇だったからドイルにクリスティーに、ありとあらゆるミステリーを読み耽ったけども――ところで話は変わるけど、顔だけでなく足の形まで綺麗だな。まあ足裏は普通に汚いけども」


「ラリってるのか?」


 俺の疑惑を慌てて打ち消すように、レオンは言葉を連ねていった。


「こっちだって一杯一杯なんだ!! 上に下にの大騒ぎのなか、関係者じゃないからと捜査を任されたけどさ!! 相手が相手なんだぜ!? まともに調書に応じる奴はいないし、2週間も眠ってた相手のアリバイを確かめろなんて無茶振りまでしてくる始末だ!!」


「2週間だと?」


 そんなに眠っていたのか? どうりで置いてきぼりにされた気分なわけだと納得しかけるが、それでアリバイがどうこうという話にどうして繋がる。


「誰か、死んだのか?」


「勿論だとも!! 他に捜査する理由があるか? やっぱ形から入っても駄目だな・・・・・・俺はダメだ、小説のようにはうまくいかない」


 意味ありげに登場したかと思えば、次の瞬間には自信を喪失してる。そういう個性というより、どこか追い詰められてる気配がする。


「誰が死んだんだ」


 やや強めに問い詰めてみたが、レオンは聞く耳を持たない。


「名探偵気取りかとみんなに言われたが、じゃあどうすればいい? 私立探偵というのは、立派な資格だ。俺はそんなもの持ってない。だけど“名”探偵なら、ただの称号だ。ぶっちゃけいくらでも自称できる」


「誰が、死んだと、そう聞いてるんだ」


「決まってるだろ!! カリの暗殺者がいの一番に疑われる相手さ!!」


「・・・・・・俺の経歴は、知られてるのか?」


 それなのに頭に弾丸をぶち込まれることもなく、こうして息をしてるだと? まったくテッサの奴、どんな魔法を使ったんだ?


「気付いたのはつい最近らしいが、イスラエリー氏は間違いないと」


「奴もここに?」


「当然だろう、彼はドン・ハイメの右腕だぞ」


 分かった、少しは合点がいった。テッサは思った以上に名交渉人らしい。


「確かに経歴だけ見ると、君がいちばん疑わしい。訓練を受けたプロのシカリオ。もしこれがミステリー小説だったら、考えもみろ? 犯人候補の中に堂々と元暗殺者と書かれてる。そりゃ疑うとも、ましてライバル組織の暗殺者だし」


「テッサと話がしたい」


「Ms.テスタロッサ?」


 まるで弁護士を呼んでる気分になったが、この探偵を気取ってる癖して勝手に重圧に負けてるダメ人間が相手じゃ、まるで話が進まない。


 俺が無事ならテッサだけでなくハスミンやガキどもも無事なはず。だが状況はどうにもきな臭い。


「今はちょっと話せない」


「どうして?」


「彼女も犯人候補として軟禁状態にある」


 どうなってる・・・・・・。


「タイミングが悪かった。君たちが到着した矢先にこれだ。だが安心していい、子どもたちはみんな無事だ。あっちもあっちで軟禁状態だけど、今カンポにいる全員がそうだ。いわゆる戒厳令下にあってね」


「いいか。俺はまだ目覚めて10分も経ってない。頭は回ってないし、いつも見たくうまい具合に変人の相手なんてしてられない」


「変人って失礼だな」


「うるさい・・・・・・一体誰が、殺されたんだ」


「すまない」


 そう、レオンは俺に謝罪してきた。


「誰の目にも明らかだ。2週間昏睡してて、まして足が動かない人物。なるほど高度な暗殺の訓練を受けてはいるが、そんな状態じゃ誰も殺せない」


「だろうな」


 自分の無力は、誰よりも自分自身がいちばん理解している。文字通り、俺はもう他人の足を引っ張ることしかできない。


「だけどここは、環境がちょっと特殊すぎる。一般人と呼ばれる者が誰1人としていない。全員が全員、ドン・ハイメに雇われたカルテルの関係者だ。つまり・・・・・・一般常識より、カルテルの常識が優先される。分かるだろ?」


「いやまったく」


「ギャングというのは、世界中どこの組織も縄張り意識の塊だ。そこにくると君は、超一級の異物さ。カリと聞くと、彼らの理性は簡単に吹き飛んでしまう。アリバイを聞きに来たというのは、本当だ」


「俺は、何が起こってるかも分からない」


「それで正解だ。何も知らない、それ以上でも以下でもない。術後ずっと薬で眠っていた人間に何ができる? だがこんなれっきとしたアリバイより、もっと野蛮なやり方を信じるのがカルテルの流儀だ」


 それからレオンは、意味深に扉のほうに顔を向けた。


「すまない・・・・・・君を殺そうと息巻いてる彼らを止めるには、こうするしかなかった。だけど身の潔白は証明できる。入ってくれ!!」


 するとまたしても扉が開け放たれる。ギコギコとひどい車輪の音を鳴らしながら車椅子がまず姿を現した。続いてその車椅子を押している白人の大男が、こっちに人懐っこい笑みを目覚めたのか。


「よう久しぶり」


「久しぶり?」


 妙な挨拶だったが、そいつの見た目もかなり珍妙だった。控えめなレオンと相反して、そのスキンヘッドの大男は分かりやすいぐらいに白人至上主義者をしていた。


 筋肉がはみ出てるようなタンクトップ、隆起した二の腕にはびっしりタトゥーが刻まれ、中にはABの紋章も見受けられる。何より、剃られたばかりなのか毛が一本も生えていない後頭部には、デカデカと鉤十字が刻まれていた。


「あーと、“ハンマー”」


「なんだよ?」


「君を呼んだわけじゃない」


「はあ?」


 なんとなく間の抜けた印象を覚えたが、そのファーストインプレッションは間違ってなかったらしい。


 大男は愚鈍。そんなの差別的なイメージかもしれないが、このハンマーと呼ばれた男には、きっかり当てはまるものらしい。そういえば、人種差別主義者を差別したら、それも差別に該当するのだろうか?


「さっき呼んだろ?」


「呼んだけど、君じゃない。まあいい・・・・・・こうなったら仕方ない、彼に自己紹介して」


「なんで?」


「いいからしろ」


 どうにも主導権はレオンの方にあるらしいが、やや微妙な力関係の気がした。


「分かった俺が代わりにしよう。彼の名前はエドワルド=ジャクソン、見ての通りABの正規メンバーで、あだ名は“ハンマー”だ」


「ああ、“スレッジ”って名前の相方とずっと組んでたんだけどさ。アイツが理性担当で、俺が暴力担当。なのにいきなり全裸になって街中を奇声をあげながら徘徊しだして、ムショに逆戻りに」


「それで理性担当か?」


 俺の呆れ返ったツッコミに、すかさずレオンが耳打ちしてきた。


「頼むから彼の言動は無視してくれ・・・・・・話が長くて、いつも脱線する」


「ABの仲間からは“ハンマー”。だけどばあちゃんからは、“テディちゃん”って呼ばれてる」


「OK、もういい。入ってくれ!!」


 レオンは誰かしらを病室に呼び込みながら、申し訳なさげに俺の肩へと手を置いてきた。


「悪いね。だが大人しくしてれば命までは取られない」


 足音がいくつも重なって聞こえてきた。重苦しいブーツの音がいくつも乱暴に病室へと乗り込んできて、訓練されてきた本能から俺は、咄嗟に点滴チューブを引き抜いて両手へと巻きつけていった。


 軍服じみた暗い服装に、弾倉が大量に貼りつけられているプレートキャリア。これだけでもだいぶ特徴的だが、一応にハロウィンマスクを被った男たちとくれば、護衛隊エスコルタとしか考えられない。


「抑えろ」


 先頭の狼マスクの男がそう指図すると、整然と散っていく護衛隊の男たち。無駄な抵抗だと理解してはいたが、それでもやらずにはいられなかった。


 脚を抑えようとしてくる他の奴らは、無視するほかない。だが、こっちの首根っこを押さえようと画策する狼マスクは別だ。手の届く範囲であれば、まだ反撃が可能だ。


 伸ばされてきた手を点滴チューブでいなし、つづいて奴の首へと巻きつけようとする。


 病み上がりなうえベッドに寝たままにしては、かなり上手くやった方だ。だが相手はあの護衛隊だ。的確にチューブと首の隙間に手を挟まれて防がれてしまったうえに、別方向から伸ばされてきたドラキュラマスクを被る第三の男に、あっさりチューブを奪われてしまった。


 相手の練度は高く、頭数が根本的に違いすぎる。あっさり脚、両手、そして肩を抑えつけらてしまい、もはや抵抗のしようがない。


「やれ」


 これがそこらのチンピラだったら、さっきまでの劣勢から一転、自分の優位をひけらかすために声がうわずったりするものだが、狼マスクの声は冷静そのものだった。


 俺を殺すつもりじゃないと、なんとなく察しはついていた。全員がライフルにハンドガンと銃火器を身に帯びているし、でっかいナイフだって見える。


 映画じゃないんだ。話の都合でいきなり演説を始めたり、意味不明な理由で主人公を撃つのを躊躇ったりしない。それが護衛隊というものだ。


 そうプロのシカリオとしての思考が囁いてはいたが、足元から聞こえていた音で自信がなくなってきた。金属と金属が擦れる、誰もが知ってるあの独特な音。髪を切るよりもずっと激しい、暴力一辺倒なハサミの音色だった。


「ッ!!」


 あらん限りの力で四方から抑えつけてくる手を引き剥がし、せめて自分の足元で何が行われているのか確認しようとする。


 奴らの腰元に収まっているピストルに興味を惹かれはしたが、いずれもホルスターとランヤードで繋がれていた。となれば奇跡的に銃を奪えても、あの紐に邪魔されて構えられるかどうか怪しいものだ。


 どのみち相手は、抑え役だけでも4人。その周りにはさらに2人の予備と、あの白人至上主義者のコンビも控えている。大体、この場を逃れたところでカンポにいる兵員すべてを相手取って逃げ出すっていうのか? 車椅子に乗って?


「何するつもりだ!!」


 どうせ無駄な努力だろうが、聞かずにいられなかった。


 案の定、男たちは答えない。プラスチック製のマスクで表情を隠しながら、どうしてか互いの顔を見合わせるばかり。


「済んだか?」


 指揮官格らしい狼マスクが、よく見えなかったが俺の足元でハサミを振り回していたドラキュラマスクへと問いかける。


「ああ」


 必要最低限のやり取り。プロとして見習いたいぐらいだが、聞いてるこっちからすると意味不明すぎた。


くそっミエルダ・・・・・・」


 それはこっちの台詞だと思いはしたが、直後あっさり護衛隊の兵士たちは俺の拘束を解いていった。


 あのマスクは、明らかに呼吸しずらいだろう。虚仮威しには十分だろうが、視界は狭まるし、付け心地だって最低なはず。取り外した狼マスクを手にもって、意外と柔和な顔をしていた元狼マスクの男が、こちらを真っ直ぐに見つめながらこう言った。


「痛くないのか?」


 いきなり部屋に乗り込んできて、両手足を抑え込んだ挙句なんなんだ?


 普段から数十kgの装備を身に帯びて、あっちこっち走り回っている男たちに全力で抑え付けられたんだ。痛いに決まってる。実際、腕を上げてみたら青あざになっていた。だが経験からすると、こんなの怪我のうちに入らない。


 それまでずっと傍観者を気取っていたレオンが言った。


「だから言ったろう」


 胡散臭げな目つきでレオンを睨みつける元狼マスクの男だったが、その物言いに反発心はあれど、反論はできないようだった。


「彼は、ひじょうに都合の良い犯人だ。むしろ良すぎるぐらいにね。

 長年の宿敵が暗殺者を送り込んできた、これほどストンと納得できる犯人像もない。だからといって、あまりに分かりやすすぎる問題から目を逸らすのはどうなんだろうな?

 “全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる”」


「・・・・・・黙ったらどうだ御客人? あんたの勝ちだ、それでいいだろ」


。もっと簡単に立証できたろうが、こうなったら仕方ない。ことの詳細を、お宅の指揮官にもちゃんと説明してくれよ」


 ハイハイと、狼マスクの男がうざったげに腕を振る。すると入室した時には、臨戦態勢であった護衛隊の男たちも、分かりやすく警戒を解いていく。


 俺はもう存在していないかのように、狼マスクは無線機を手にしてどこかへ連絡を始め、他の奴らはおのおの好き勝手に、小声で話し合いだす。


「悪いな。いや別に、俺はむしろ君を擁護してきたわけで、謝るどころかむしろ問答無用で命を取られなかったことを感謝してもらいたいぐらいなんだが・・・・・・彼らは、絶対に謝らないだろうしね」


「俺の指を切り落としたことをか?」


 俺の答えに、レオンはニヤリと口元を歪めた。


 ドラキュラマスクが手にしている刃物は、いわゆる剪定バサミだった。庭師が好き放題に振りまわして、あちらこちらのぶっとい枝を切り落とすための専用器具。あれにかかれば、人間の指なんてスパスパ切り裂けるだろうさ。


 ハンマーなるスキンヘッドの大男が、膝をついて床から何かを拾いあげていた。手の指ほど愛着はないが、それでも自分の足の小指をこういう形で目にするのは、あまり楽しい経験じゃない。


 俺の足は、動かなくなったんじゃない。足を動かすように頭から伝達された指令が、背中の傷のせいで邪魔されてしまい届かないだけ。これは裏を返せば、お前の足の指が切り落とされたぞと親切に教えてくれる激痛もまた、脳に届くことなく阻害されていることを意味する。


 神経が切断されたせいで俺は、腰から下のいっさいの感覚を失っていた。痛覚もそのひとつというわけだ。


「いーや、犯人扱いしたことをだよ」


 レオンの意味深さには、もうとっくにヘキヘキしていた。昔なら奴を壁に叩きつけて、尋問のひとつやふたつしていたに違いない。だが今の俺は――どこまでも無力だった。


「イスラエリーが奴を連れてこいと」


 無線機を仕舞い込みながら狼マスクが告げた言葉に、反射的にレオンが抗議の声を上げた。


「まだやるのか? それより医者に診せたほうがいい」


「上からの指示だ。第一、大した傷じゃない」


「流血してるだろ!! それに文脈からして、殺人現場に連れていくつもりなんだろう?」


「だから?」


「現場を汚染するつもりか?」


 上からの指示は絶対。とはいえ、その点は盲点だったらしい。


 これがそこらのチンピラだったら、またぞろ無線機を取り出し、どうしたらいいかお伺えを立ててキレられるまでがテンプレートだ。だがそこはそれ、腐っても相手は護衛隊だ。コイツらは、自分の頭で考えるということを知ってる。


 剪定バサミなんてわざわざ用意してくる奴らなんだ。色々な用途に使えるガスバーナーぐらい持ち歩いてても驚かない。


「それで何を・・・・・・ああ、マジかよ」


 ガスが吹かされる独特な音と、どことなくジューシーな匂いが病室に広がっていった。本当にあのABの構成員なんだろうか、レオンは俺の足元で繰り広げられている醜態から目を逸らし、どことなく顔色も悪そうだった。


「ところで話を戻すが」


「あー・・・・・・本当に痛くないのか?」


「もともと痛覚は薄い方だったからな」


「そういう問題じゃない気がするけど・・・・・・うぷっ」


「足を焼かれてるのは、俺だ。いいから質問に答えろ――誰が死んだ?」


 コスプレ野郎を相手にするのは、これで二度目だ。正直、自称カウボーイの座スカーよりずっとショボくて、探偵と呼ぶのはばかられるほどだ。


 白人至上主義者というバックボーンもある。人生の大半をモンドラゴンとの戦いに捧げてきた身としては、そんな敵の総本山で頼るに値する相手だとは、とても思えない。


 だがとりあえず、初対面でいきなり人の足の指を切り落とそうとしてこなかったのは、コイツだけだ。質問に答えてくれるのを期待できるのも、コイツだけだろう。


 人間だれしも自分の得意分野とくれば、口が軽くなる。度し難い探偵気取りだが、話が殺人事件に絡むと、どこか興奮が伝わってくる。


「まったく理想的な環境だよな」


「何がだ・・・・・・」


「ここ、カンポだよ。いかにも古典を愛しつつも、新しい風を求めてる新進気鋭の推理作家が選びそうな舞台だろ。絶海の孤島にポツンと立つお屋敷なんて、もうとっくに時代遅れだ。だけどここは、状況だけならそういうクローズドサークルのお約束そのものなのさ。

 ジャングルという障壁、外部から隔離された地下空間」


「地下だと?」


 俺の疑問に、まだ気づいてなかったのかとレオンが鼻高々に説明しだす。


「地上のコンクリ建築なんて上部だけさ。世間の敵パブリックエネミー・ナンバーワンの男が身を守りたいなら、地下っていうのは理想的な環境だ。密室を作る舞台装置としてもね」


「まさか・・・・・・」


 そうじゃないかとは、薄々感づいてはいた。だがどうにも信じられずにいた。殺しても死なないとばかり思っていた相手が、こうもあっさり表舞台から消えるだと?


「もしここがフィクションの世界なら、きっと巻頭の登場人物一覧のまえにこう題名が書かれるに違いない――ハイメ=モンドラゴン殺人事件とね」


 ここまで驚いたのは、大して長くない自分の人生のなかでも、数えるほどしかなかったろう。どうしてこう、俺たちの行く先先には問題ばかり起こるんだ・・・・・・。




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