XII “ターミナル・ベロシティ”
【“テッサ”――安宿・廊下】
まるでカウボーイ男とわたしを隔てる防波堤のように、ノルさんはわたしを背後に庇っていました。油断なく、ガーターベルトに隠されているPSSピストルに手を添えながら。
ノルさんが言います。まるで相手を知っているような口ぶりで。
「あらザスカーお久しぶり。いつこっちに帰ってきたの?」
友人に対するような気安い言葉遣いでしたが、わたしの耳には挑発にしか聞こえない。
2人は知り合いではあるものの、仲間では断じてない様子。それを証明するかのようにひりついた空気が、2人の間に満ちていく。切っ掛けさえあればすぐにでも殺し合いが始まる、戦場の空気が。
ザスカー、そう呼ばれたカウボーイ男が返します。
「つい2週間前ほど前になぁ。お前さんが裏切ったって話自体は、もっと前に聞いてたんだがな? モンドラゴンの奴ら無茶しやがって・・・・・・連中黙らせるのに手間取っちまって、やっとのご到着ってわけさ」
裏切り。
やはりノルさんはかつてカリ・カルテルに属していたが、何らかの理由で裏切り、追われる身になっていたようです。
ですが疑問を感じたところで、口を挟むことなんて出来はしません。今のわたしは単なる観客、いえ、それ以下の存在なのですから。頭の中で悩むこちらを無視して、2人の会話は続いていく。
「それと頼むよ・・・・・・ちゃんとリボルバーって付けてくれねぇか? これこそ俺の通り名にして、アイデンティティなもんでね」
「馬鹿の方が分かりやすくていいでしょう。その懐古趣味の代償は、いずれ命で支払うことになるわよ?」
「武器の性能差をテメエの腕前でねじ伏せる。そんな格好しておきながら、このロマンを解さないとは悲しいねぇ」
胃がもたれてしまうような緊張感。よくもまあそんな中で、街でぐうぜん出会った知り合いみたいな会話を装えるものです。わたしときたら、濃厚な死の気配に身体を固くさせていく一方なのに。
ノルさんは大きく露出した右脚を引いて、さらに銃を抜きやすい姿勢をとっていきます。必要であれば駆け出すこともできる姿勢。
対するザスカーなる男は、穿いているジーンズのポケットに手を突っ込んで、わざとらしくリラックスしている風を装ってこそいましたが・・・・・・油断しているようにはまったく見えない。
臨戦態勢はお互い様、というわけでしょう。
「それと訂正二つ目。お久しぶりじゃないぜ? 実は俺もあのホテルに居たんもんでな。そこの嬢ちゃんがひょっこり顔を出さなきゃ・・・・・・ド派手なウェルカムパーティーを開けたものを」
ということは・・・・・・幹部を暗殺しようとしていたノルさんの動きは、カルテルに筒抜けだったというわけですか。
どれほどの運命があのホテルで交錯していたのかしら。そういえば、ホテルの入り口の回転ドアで、不自然にこの男が話しかけてきたことを思い出す。
若奥様。あれはわたしがテオフィラ=モンドラゴンであるかどうかを試すための会話だったのでしょうか?
「それはごめんなさい。一身上の都合により、ゲス野郎が視界に入らない病気を患ってるものだから気づかなかったわ」
「裏切り者のくせに偉そうだな、ええッ?
「そっちこそ、自分のボスを売っておきながら偉そうね
「まだ言ってやがるのか。ドン・パブロのことなんて知りもしねえ世代だろうに・・・・・・だいたいあそこで裏切ってなきゃ、俺も道連れだった」
「ドン・パブロについては、正直どうでもいいわ。
だけど女子どもごと本屋を吹き飛ばしておきながら、当局に仲間を売ってあっさり無罪放免。そこから即座にカリに鞍替えして今や
ゲスは言い過ぎたわ、これからは尻軽と呼びましょうか」
「吠えるなよ変態野郎。トラソルテオトルでご主人様に噛みついたテメェが、言えた義理か」
殺し合いが始まる。予感を越えて、そう確信しする。
エル・ロボ、ドン・パブロ、カリ・カルテル、トラソルテオトル――どれもが内輪の会話がすぎて、わたしには理解できません。ですが彼らの間にはどうやら絡みきった因縁があるみたい、それだけは分かる。
もちろん気になりはしますが・・・・・・優先すべきは、目先の問題。どうやってこの場を生き残るかでした。
とりあえずわたしが戦うというのは論外。となれば避難するだけなのですが、一体どこへ?
左には、5階の高さからコロンビアのスラム街を見下ろす大窓が相変わらず夜景を写り込ませています。ハリウッド映画よろしく窓ガラスを割って飛び降りてみる? 蜘蛛の巣のように張り巡らされている電線にうまい具合に引っかかれば、まだチャンスはあるかもしれませんけど・・・・・・それ以前に窓ガラスに跳ね返されて、無様に床に転がるのが関の山な気がする。
では背後は? そっちには、わたしが監禁されていた部屋から半身を飛び出させているケティさんのお姿がありました。
顔面がびしゃびしゃなのは、わたしがスプレーした中身を洗い落とそうとしたからでしょう。とりあえず失明とかの大事に至っていないようで、安心すると同時に申し訳ない気持ちがこみ上げてくるのですが、あんな羅刹のような顔をされてしまうと、退路は後ろにはないと考える他なさそうです。
どうしてか最初から好感度が低そうなのにこれでは、彼女とは一生わかり合えなさそう。手が白くなるほど握りしめられているTEC-9のグリップ部分が、わたしにはひどく気がかりでした。
後門の狼はいまだ健在、と。となれば残るは必然、右方向の階段だけとなる。
機会が到来したらその隙にひたすらダッシュ。階段に飛び込めば、とりあえず弾丸からは身を隠せますし、うまくいけば逃げ切れるかもしれない――そんな浅はかなわたしの企みは、ザスカーにすぐ見抜かれてしまいました。
「動くんじゃねえ」
地の底から響くような声。
これでも幾度も修羅場をくぐり抜けてきました。だからこそ、単なる脅しと本気の違いは分かります。
たった一言、それだけで射すくめられてしまったわたしは、どうしようもなくガウルン、かつてわたしの部下たちを殺した男と、このザスカーとをダブらせてしまった。
戦場にロマンチズムを持ち込むような快楽主義者。生まれも人種も異なりますが、両者はどこか似た雰囲気を身に纏っていた。
足がすくむ自分に驚き、次にああそうかと納得しました。
かつては守るべき部下たちがいました。でも今はわたし1人だけ・・・・・・虚勢を張るべき理由がなければ、自分はこうも弱かったのかと奇妙な感覚を覚えました。
いえ、むしろ当然ですか・・・・・・周囲が信じていたようにわたしが本当に強い女だったなら、人生の行き先についてウジウジ悩んだりもせず、ましてやコロンビアを訪れることもなかったのですから。
「なあ、
「なによザスカー」
困ったようにザスカーは頬を掻きだしました。
「・・・・・・なんか、不気味に感じねえか?」
「ここまで雑談しに来たのアンタ」
「いやなに、俺りぁは頭が良くない。ついでにいやぁお前だってそうだろ。わざわざ
だがな、本当の意味で賢いはずのボスですら、その女になぜか執着して周りが見えなくなってる。旧友の娘だとかなんとか言い張ってな」
旧友の娘?
次から次へと新しい情報がもたらされてもう頭がパンクしそうなのに・・・・・・ザスカーを注視しつつ、こちらに横目でどういうことかと問うてくるノルさんにドギマギするしかありません。
亡き母の交友関係、ではないでしょう。となれば社交性が高く、不思議な人脈をたくさん持っていた父の友人の1人が・・・・・・今やカリ・カルテルのボスということ?
遠い過去、日に日に薄れていく父のイメージと麻薬カルテルとを関連づけようと試みましたが、どうにも繋がりません。それは、そうでしょう・・・・・・だって父は優しくて、アメリカ海軍の中佐で、犯罪とは無縁で・・・・・・。
わたしも困惑し、恐るべき男のはずなザスカーも困惑し、その間に挟まれる形になったノルさんもまた困惑してる。
「俺はホテルであんたを待ち伏せて、これまでの問題すべてにケリをつける予定だった。で、そっちはおめえの元ボスで、今は俺の飯の種を殺すつもりだった。な、元は至ってシンプルな、麻薬戦争の日常風景ってなもんだ。
それなのに今やどうしてか、街中をあげての大捕物さ。みんながみんな違う思惑で動いてるはずなのに、どうしたことか誰も彼もがその嬢ちゃんに吸い寄せられてる」
「・・・・・・何が言いたいのよ」
「クソ馬鹿はちっと黙ってろ。どうせテメエは、その嬢ちゃんがテオフィラ=モンドラゴンだと思い込んでるだけなんだろ? 他に拉致る動機がねえもんな」
「・・・・・・」
「あのホテルのガメついお間抜けなマネージャーとも、そのー話し合ったんだがな? 奴に言わせれば妙な女から突然電話がきて、大金を出すからスイートルームにこれから訪れる客をエスコートしろと依頼されたんだそうだ。
もちろん聞いたさ、その女は何者なのか何度も何度も。だが死ぬまで話さないなんて、そこまで野郎が忠義者とも思えねえ。
カリお得意の背景調査もしたがね。目ン玉飛び出る額の送金履歴も、電話の交信記録だってトレース不可能だったそうだ。
誰も彼も話が噛み合ってねえのに目指してる方向だけは一緒ってな。この不気味な状況について・・・・・・正直なところあんたらはどう思ってるんだ?」
人の歯を飾り立てるような狂人に賛同することなんて何もありません、そう言い切りたいのは山々ですが、興味深い視点ではありました。
元CIA上がりのおじさまの部下である、あの無国籍風の女性が昔とった杵柄で、CIA流の工作活動を披露しただけ。足跡を残さないのも、いわば癖みたいなものなのかもしれません。
ですが、説明がつくようでどこか奥歯に物が引っかかったような感覚を覚えるのも事実。
すべては偶然だった。そう結論づけたのつい先刻のこと。実際に偶然という要素も大きく働いているのでしょうが・・・・・・ザスカーなるシカリオの主張を、単なる陰謀論と頭から否定できずにいる。
ザスカーの困惑が本物に見えるのも、そんな気持ちを助長していき。
「くだらない」
ですがノルさんは、たった一言でわたしとザスカーの困惑を切って捨てました。
「アンタも私も、単なるケチなシカリオよ」
カチリ。ガーターベルト型のホルスターに拳銃を収めたまま、ノルさんが撃鉄を起こしていく。
「暴力でしか生きられない者同士、結末はいつも決まってるわ」
しばし考える風のザスカーでしたが、すぐ気を取り直して残虐な、本来の自分へと立ち返っていく。
「変わらねえなぁ。飼い主を噛み殺しても犬は犬のまま、本能に従って吠えまわるだけか。ま、もっともでもあるがな。同じ穴のムジナ同士、やることは決まってる・・・・・・」
呆れたように息を吐くザスカーが、一瞬だけ地面に目を向けました。
明るすぎる室内灯に照らされたエレベーターの床。そこをよく見てみれば、揺れ動く影がありました。あの高級ホテルでノルさんがとっさに銃火からわたしを隠した両翼のわずかなスペースに、何かが隠れて居るのです。
ザスカーの無意識の反応。そのことにノルさんが気づいたかどうかは、彼女の背中に守られているわたしには知りようがない。
時代遅れなカウボーイ姿に騙されてはいけない。この男はおそらく、したたかで計算高い。
「で? コインでも放って合図にする? 好きでしょそういった様式美」
「焦るなよ
またしてもそう会話を振ってくるザスカー。
この男の話そのものは、意外なほど興味深くはある。ですがまさか本気で雑談しにきたわけじゃないでしょう。この会話は何らかの作戦、きっと単なる時間稼ぎなんだわ。
3つあるエレベーター。その中央にザスカーは陣取っていましたが、よく見れば残る2つがこの階に向かっていることにわたしは気づきました。
カウボーイ姿の狂人、これほど目立つものもありません。この男は自分が囮になることで、本命の奇襲部隊の存在を隠してみせたのです。
ザスカーの目が光る。気づいたところでもう止められないとわたしを嘲っている。
わたしが一時は逃げようとしていた階段の方角からたくさんの足音が聞こえてきて、地震のようなその物音にノルさんもチラッと首を傾ける。
ザスカーは格好だけでなく、その所作のすみずみまでもが芝居がかってました。
「ショウタイム」
それが合図。
二重に鳴り重なったベルの音が、武装した男たちを満載したエレベーターの到着を告げ、正面のエレベーターからも示し合わせたように死角に隠れていた男たちが躍り出てきます。
姿を現したのは、いかにもチンピラ然とした男の二人組。AKMアサルトライフルという武器を与えられて勢いづいてこそいましたが、彼らはノルさんの敵ではありませんでした。
ガーターベルトからの抜き撃ちは、わたしの動体視力では捉えきれない、まさに目にも留まらぬ素早さで果たされる。
金槌が打ち付けられるような特異な銃声がなんども重なるように響き、、PSSピストルを握りしめピンと伸ばされたノルさんの右手の先、ザスカーの伏兵であったチンピラたちが血を吹きながら床に倒れ伏していく。
ですが、それすらもザスカーの計算内であったよう。
ザスカーが何気なく手を突っ込んでいたジーンズのポケット、それが内側から爆ぜます。おそらくは超小型のデリンジャーピストルか何かをポケットに潜ませていたのでしょう。エレベーターでこの階にたどり着いたその瞬間からずっと、この男はノルさんを腰だめで狙っていたのです。
弾除けのチンピラたちで銃撃を躱しつつ、決定的な一撃を叩き込む。くぐもった銃声の後、ノルさんの膝がガクッと崩れ、勝利を確信したザスカーがほくそ笑む。
「ノルさんッ!?」
誘拐された側が掛ける言葉じゃないかもしれませんが、それでもわたしは咄嗟に叫んでました。
崩れ落ちるノルさんを囲むように、両隣りから雪崩をうって降りてくるチンピラの大群。その手にはさまざまな銃火器や、マチェットなんて近接武器まで握られていました。
質はいかにも悪そうです。スラム街かそこらでたむろしていた者たちを、適当に見繕って連れてきたという感じ。ですが人数の桁が違いすぎる、そして武装も無駄に豊富でした。
チンピラたちは、支給されたばかりに違いない新品の武器を振るいたくて仕方ないようで、意気揚々とノルさんとわたしの元に殺到してきます。彼らの雇い主が舌打ちしつつエレベーターに身を隠していくなんて、まるで気づいていないみたい。
弾丸内に設置されたピストンが、銃声の元となる発射ガスを封じ込めることでサイレンサー要らずの静粛性を実現したPSSピストル。その原型となったマカロフPM自体があまり装弾数が豊富なモデルではありませんでしたから、正面のチンピラ2人を撃ち倒したことでノルさんのPSSピストルは弾切れとなっていた。
屈み込んだノルさんは、スライドが後退しきって新しい弾倉を欲しているPSSを握りつつ、まるで虫が止まっているかのように自分の腹部をはたきました。
なんとまあ、南米風のチャイナドレスというだけでも十分に奇っ怪なのにこの人ときたら、なんと防弾繊維でチャイナドレスを仕立てていたのです。
ザスカーの隠し弾は、あっさり防弾繊維に防がれてしまい、マッシュルーム状に丸まった弾丸はいまノルさんの手によって床へと叩き落された。命が危ういどころかこの人、怪我すらしていない。
雪崩をうってエレベーターから飛び出てきたチンピラたちは、思いがけない障害に一斉にたたらを踏みました。鋭いハイキックに見舞われたせいでした。
これで先頭の男が吹き飛んだ程度でしたら、統制は取れてないとはいえ闘争心は十分なチンピラたちの勢いも衰えなかったに違いない。
ですがハイヒールの靴先に切り裂かれて鮮血が天井まで届き、仲間の血で顔が赤く染まったチンピラ仲間が床に転がっていく光景は激烈でした。それこそ武器を持った男たちが怯え、すくんでしまうぐらいには。
高速で振るわれたハイヒール。あの踵の銀色の煌めきは、例の500ペソがそうであるように刃付きの証であるみたい。熊に喉笛を食いちぎられてしまったかのように同時に3人も首を切り裂かれて、チンピラたちは完全に固まっていました。
キック一閃で3人の首を刈取り、正面のエレベーターには射殺体がもう2つ・・・・・・恐るべきことにノルさん、ほんの数秒たらずで5人も殺害していたのです。
左のエレベーター組はこれでもうだいぶ戦意喪失・・・・・・自分たちが虎の尾を踏んだのだと今更ながらに理解したようでした。
ですが、左のグループと向き合っているノルさんの背中はガラ空き。息急き切って階段から新たに突入してきた、まだ何も知らない男たちの励まされてか、右側のチンピラたちがおもいおもいの得物を振りかぶる。
どれほどノルさんが強かろうと、やはり多勢に無勢ではどうにもなりません。エレベーター前のT字路、その中心に立ち尽くすわたしは選択を迫られていました。
一瞬の判断が生死を分かつ、それが実戦というものです。このままザスカーに捕まるか、はたまた人違いしたままのノルさんにふたたび囚われの身となるか?
エレベーターの隠れ場からまた姿を現していくザスカー。たった2丁の拳銃だけで“リボルバー”と名乗るなんて大仰だと思ってましたが、わたしが間違ってました。
ザスカーは十分にチャイナドレス姿の麗人を相手取るにたる、怪人だったのです。
まるで蜘蛛の足のごとく、8梃分ものリボルバー拳銃を収めたホルスター群をザスカーは自らの背中に括りつけていました。2挺で一対、計4種の口径も違えば、デザインも違うリボルバーたち。腰周りのリボルバーは抜きやすいようグリップが下向きにされて、上半身はその逆に上を向いています。
カウボーイといえば早撃ちですが、ただのコスプレではないと神速のドロウでザスカーが見せつけてくる。その銃口はチンピラたちに気を取られているノルさんの頭に正確に向けられていて。
本当にもう、ストックホルム症候群かもしれません・・・・・・。
ザスカーに捕まるよりはずっとマシでしょうけど、わたしがリボルバー拳銃の盾になるようノルさんの前へと躍り出た動機というのは、そういった打算ではなく、単に本能的なものでした。
両手を広げてできるだけ被弾面積を増やす。カリ・カルテル、彼らはどうやらわたしを無傷で拉致従っている。だからこそ今このときだけは、わたしは最強の盾になれるのです。
ザスカーがまたしても舌打ちする。なのにその顔は、どこか嬉しげでした。
絶対に傷つけるなと言明されているに違いないチンピラたちも、絶妙な角度で立ちはだかるわたしに苛立ちを露わにする。ノルさんの無防備な背中を襲おうとした矢先に邪魔者が立ちはだかったのです。これでは銃は使えない。
だったら撃つのではなく殴ることにしよう。死ななければ、それで十分なはず。
勝手な拡大解釈をしたらしい、バンドもののTシャツを羽織っている先頭の男が、抱えるAK−47ライフルのストックを今まさにわたしに振り下ろそうとしたその瞬間、聾唖の少女が引き金を引き絞ったのです。
TEC−9サブマシンガンは、ギャング御用達として悪名高い銃火器です。精度を犠牲にしてでも、とにかく弾丸をお手軽にばら撒けるようにしよう。このコンセプトがいかに凶悪なものであるかわたしは頭では知ったつもりでいましたが、実際に大量の弾丸が鼻先をかすめていくと印象もだいぶ変わっていきます。
地面に伏せるですとか、当たり前の回避行動ができるほどわたしは運動神経に長けてはいません。
ですからTEC9の援護射撃がわたしに当たらなかったのは、ケティさんの射撃の腕前のお陰でしょう・・・・・・あるいは、単なる運かしら。
わたしを殴ろうとした先頭のバンドTシャツの男は幸運でした。弾丸が肩を掠り、素早い判断でザスカーが隠れ潜むエレベーターの中へと避難することができたのですから。ですが後続は悲惨でした。
あれです、まるでスプレーで弾丸をばら撒いていたかのように、T字路の結節点は弾痕まみれ。よく見れば、ワンピースの裾になにやら穴が空いていました。まず間違いなく9mm弾の風穴が。
やはりわたしは幸運でした。床にうずくまる数人のチンピラたちはすでに事切れてましたから。
廊下に飛び出せば撃たれる。そう学習したチンピラたちは、手を伸ばせば届く距離にわたしが立っているというのに、壁に隠れて慎重にケティさんの様子をうかがってました。
えっと、巻き添えとかとくに深く考えず発砲したみたいですけど、制圧射撃としては完璧なタイミングだったみたい。
お礼を言うべきか、はたまた抗議をするべきか。チラリと背後を仰ぎ見れば、TEC−9のマガジンを交換していくケティさんの充血した目と合いました。
なるほど、怒りで我を失ってますね。そそくさとチンピラたちとは反対側の壁に身を隠していく。
「クソッ、クソッ!! 女を拉致るだけじゃなかったのかよ!!」
この下品な言葉遣いは、ザスカーと図らずして一緒に隠れる羽目になってしまったバンドTシャツの男でしょう。
悲鳴のような抗議に、ザスカーは呆れたような声を返してました。
「いやこんな怪しい風体をした男がだよ? 銃とカネやるから仕事手伝わないって聞いてきたらおめぇ、普通はヤバイ裏があるってすぐ分かるもんだろ?」
「アアッ!!」
「“アアッ”じゃねえって・・・・・・子飼いの部下を非常階段側に回して、見た目以上に頭がチンピラなオメエらを正面に回すって時点で、もうこれ明らかに捨て駒にされてるよなって察しとけ。
母ちゃんにどんな教育受けてんだテメエは」
ケティさんからの銃撃を避けるため、壁に張り付いていたチンピラの1人がとつぜん倒れました。
筆でペイントされたように血の色が壁いっぱいに広がり、わたしも含め、その場にいた全員がやっと神速の
「約束は守ってやる。すべてが終わったら銃もカネもてめえらの好きにしろ。だが前に言ったとおり――フケようとしたら俺みずからブチ殺す」
煙をたなびかせるリボルバー拳銃をザスカーがいつ、どうやって抜いたのか・・・・・・例えこれから拳銃を抜くと知っていたとしても、わたしの動体視力で捉えられたかどうか疑問でした。
だって生け贄にされたチンピラの死体、その額には弾痕が2つも刻まれていたのですから。
銃声が繋がって聞こえるほどの連射。口だけではありません、ザスカーは正真正銘の実力者にして、見せしめも辞さない残虐な男なのでした。
「さてと・・・・・・テメエとは因縁深けえが、ここらでお別れだぜ小娘」
普通のリボルバーの倍はありそうな巨体をザスカーは、背中から引き抜いていく。
持ち主の品性をあらわすようその
怪物としか形容しえない、ひときわ巨大な大型リボルバーを引き抜いたザスカーは、逃げどきを見失って壁に張り付くだけのわたしに目配せしてきます。
この男の目的はわたしの拉致、こちらを撃つはずがありません。では小娘というのは、ケティさんのこと?
片目をつぶり、慎重に狙い定めていくザスカー。次の瞬間その手のなかに火球が生まれました。
轟音から一拍おいて、離れていても首筋を叩かれたような衝撃波がわたしの横を通り過ぎていく。
本能で咄嗟に目を閉じていましたが、それでも大口径弾特有のマズルフラッシュの光量ときたら、チカチカする視界をなんども瞬きしながら取り戻していく。ノルさんのPSSピストルとは比べ物にならない銃声に、キーンと、嫌な耳鳴りが止まらない。
ですが命に別条はないわけで、わたしはケティさんの無事を確かめようと慌てて廊下に頭を飛び出させる。
少女は――無事でした。
ですが強引に手からTEC-9が剥ぎ取られてしまったせいで、ケティさんの指は何本もあらぬ方向を向き、紫色に腫れ上がっていた。
ケティさんが膝をついている場所には大量の空薬莢がばら撒かれており、その中心部にその空薬莢の発生源たるTEC-9本体が転がってました。あの有り様ではもう二度と使用できないでしょう。
だってその銃身は、まるで花が咲いたかのように途中から折れ、全方位に広がっていたのですから。
まさか鉛筆大の細さしかないTEC−9の銃身に向けて、それも数十メートルはある遠距離からピンポイントに弾丸を撃ち込んだとでもいうのですか? ありえません・・・・・・そう断言したい所でしたが、あれはかつて目にしたことがある、FBIの報告書に書かれてた稀有なケースだとかいう銃身内爆発の写真と酷似していて。
あれを狙いすましてやったのなら、ザスカーの射撃の腕前は常人離れしていました。
きっと嫌がらせのためだけに圧倒的な実力の差を見せつけ、ほくそ笑んでいるザスカーにケティさんは苦痛と憎しみの目線を向けつつ、さっと部屋の中に身を隠していく。
「オーライ」
ザスカーが堂々とわたしの方に向き直りました。これでケティさんの弾丸の加護もなくなり、今のわたしはどうしようもなく無防備になっている。
「これで残るはあの変態だけ・・・・・・」
そうです。忘れかけてましたが、ノルさんがまだ居たのでした。
この射撃の腕をもってすれば、ザスカーは十分にノルさんと渡り合えるに違いない。慎重にリボルバー拳銃片手にエレベーターから進み出てきたザスカーでしたが、その勝ち誇るような笑顔がすぐに凍りつく。
わたしからみれば左、ザスカーからすれば右隣にあたるエレベーター内では、廊下に転がっている死体の山も霞む、凄惨な事態がリアルタイムに進行中なのでした。
壁際に張り付く大量のチンピラたちと、凄腕のリボルバー使い、それにわたし。立場の異なる面々が、一様にノルさんが突入していったエレベーターを無言で見守っていく。
誰にとっても死角のため、エレベーター内の様子は窺えませんが、それは幸福というものでしょう。
揺れ動くエレベーター、定期的に吹き出てくる血しぶきと悲鳴。逆さまに帽子を被っているチンピラの1人が、血まみれの身体を引きずりながらやっとの思いでエレベーターから這い出てきました。
もう一声すら上げられないほど衰弱しきったその逆さま帽子の男は、最後の力を振り絞り、助けを求めて手を挙げました。ですが誰も駆け寄ることなんてできやしません、だって見た目がもう怪物に襲われた被害者そのものでしたから。
直後、凄まじい力でエレベーターの中へと引きずりこまれていった逆さま帽子の断末魔に、ザスカーですらビクリと肩を震わせる。
最初の3人がなぎ倒され、慌ててエレベーターに逃げ戻った人数は6、7人だったかしら? ですが今は・・・・・・物音一つしません。
「・・・・・・あれホントに人間かよ?」
恐怖に声を震わせるバンドTシャツの男が、おそるおそる顔だけだしてザスカーに問いかける。
「俺ゃあ、やっこさんがカルタヘナで22人バラした時から人間扱いしてねえよ。ま、実際に改造人間みたいなもんだからなあ・・・・・・」
「22人?」
「完全武装の奴ばかり。半分は銃で、残りは素手で、それも一晩の内にな」
「・・・・・・あんなのと戦えってか?」
「戦うのは俺だ。てめえらは盾になるだけでいい」
「あっ?」
バンドTシャツの男がその意味を問いただす前に、ノルさんは姿を見せぬまま、血まみれのエレベーターより声だけを投げかけてきます。
「テッサ、まだ生きてるようなら伏せときなさい」
それはアドバイスでした。それも従わないと馬鹿を見る類のアドバイスです。深く考えたりせず、咄嗟にひび割ればかりのタイルの床にむけて頭から伏せていく。
地面と平行になりながら、エレベーターの中から疾風のごとく姿を見せる影をわたしは目撃しました。
ザスカーはじめ、たくさんのアサルトライフル、ハンドガン、もちろんリボルバーが一斉にその影に向けて火を吹いていき、
「待て待てまてッ!!」
自分は味方だと必死に主張する、ノルさんにエレベーターから突き出されてしまった逆さ帽子の男を無数の銃弾が貫いていく。
深く考えずに仲間を蜂の巣にしていくチンピラたち。集団心理というのは恐ろしいものです。自分たちが仲間を撃っていると何人も気づいているみたいなのに、誰一人として引き金を絞る指を戻せないでいる。
「あっ、ヤベ」
ザスカーが後悔の念を呟いた時にはすでに後の祭り。逆さ帽子の男は、すでに真っ赤なボロ雑巾に変わり果てている。
背景となった大きな丸窓もまた弾丸によってズタボロの有り様でして、けたたましい音とともに生き残りのガラスが一斉に崩れ落ち、入り込んできたコロンビアの夜風が、ドン引きして固まるわたしの前髪を優しく撫でていく。
トリガーハッピーの代償は仲間の命だけでなく、弾切れという現象をも引き起こしてました。
調子に乗りすぎたチンピラたちだけでなく、ザスカーのリボルバーすらも弾切れ。
ノルさんの指摘は正しいのです。なぜリボルバーが現代戦から淘汰されてしまったかといえば、その装弾数の少なさとリロードの難しさという、使い勝手の悪さが最大の原因なのですから。
ザスカーは思い切りのいいことに残弾が尽きたリボルバーを放り捨て、背中に数多あるうちの1挺を引き抜こうと手を伸ばしたのですが、時同じく、ノルさんはエレベーターから右腕だけ突き出して発砲を開始したのです。
「ギャーッ!!!!」
みっともない悲鳴をあげて、わたしのすぐ横へとバンドTシャツの男がお腹を押さえながら転がってきました。
予備のリボルバーよりも目先の回避。諦めのいいザスカーは宣言通り、バンドTシャツの男を弾除けにして、この階に乗りつけてきた正面のエレベーターへと飛び込んでいく。
「だからコイツとは戦いたくなかったんだ!! 常識が通用しねえんだからたくもうッ!!」
PSSピストルの無音の銃声の合間を縫ってザスカーはそう嘆きつつ、コルトSAAという歴史的なリボルバーを引き抜いていきました。
ザスカーは助かりましたが、前時代的な戦列歩兵よろしく、ノルさんの正面に立ち尽くす羽目になったチンピラたちは不幸でした。
もたもた弾込めをしようと、マガジンを握りしめたまま倒れていく者が半分。踵を返して逃げようとして、なまじ密集していたせいで互いにぶつかり、姿勢を崩して背中を射抜かれていった者がもう半分。チンピラたちが次々に撃ち倒されていきます。
まさに死屍累々。ホテルの廊下には、コルダイト火薬と鉄臭い血の匂いが充満していました。
「とにかくぶっ放せ!! どうせそれ以外なにもできやしねえんだからよ、この
ザスカーの指示がどこまでチンピラたちの耳に届いていたことか・・・・・・もはや総崩れ状態なチンピラたちは、もはや完全なる混乱状態で階段に向けて逃げ散っていく。
「なっ?!」
そこにザスカーすらも驚愕で固まる、稲妻のように駆け抜けていくノルさんの姿がありました。
ザスカーを無視して、まるで羽が生えたかのように、床に伏せるわたしと無数の死体を飛び越えながらノルさんは、階段目指しておしくらまんじゅう状態になっているチンピラの背中へと猛獣のように飛びかかっていったのです。
しっちゃかめっちゃかなこの状況、わたしはもはや地面に顔を擦りつけて、ひーひー泣きながら見守るほかありませんでした。まさに暴力の桁が違うのです・・・・・・。
悲鳴、殴打音、銃声、悲鳴ふたたび。
あまりに切れ味が鋭すぎて、手首が切り裂かれ真っ白い骨が露出してなお、なかなか血が吹き出てこないような殺人硬貨。そんなものを両手に挟んだままノルさんは、チンピラたちの間を演舞のように舞いながら、凄まじい暴力を振るっていくのです。
弾切れになったAK-47を見限り、チンピラの1人であるバンダナ男が、錆だらけのコルト1911ハンドガンを短パンから引き抜きました。
バンダナ男が仲間を殴り飛ばすのに忙しいノルさんの後頭部に向けて、いかにもギャングスタらしく横向きに銃を構えたのですが、互いに肩が触れあいそうになるほど至近距離での格闘戦なのです、ノルさんが気づかぬはずもありません。
バレリーナのように華麗にターンを決めたかと思えば、バンダナ男の腕をとって、体重が消えてしまったかのようにエレベーターから飛び出て追撃を決めようとするザスカーの銃口の前に投げ飛ばしていくノルさん。
多勢に無勢ですって? 蓋を開けてみればノルさんときたら、ほぼ一方的にチンピラたちを狩り尽くそうとしていました。
廊下に密集しているチンピラとノルさん。ザスカーからすればもう全部が標的でした。
乱射、乱射、乱射、装弾数の少ないリボルバーを撃ち切るたび、ザスカーは背中のホルスター群から新たな拳銃を引き抜いて、新たな弾丸を送り込んでいく。
ですがケティさんの時と異なり、冷静さを欠いた射撃は一向にノルさんに当たる気配がありません。格闘戦のさなか巧妙に敵を盾にしていくノルさんの立ち回りのせいで、味方であるはずのチンピラたちの身体にリボルバーの弾丸が突き立っていって、必殺の弾丸を肉の壁でストップさせていく。
撃鉄が空打ちするたびに、ザスカーは苛立たしげにリボルバー拳銃を捨て去り、次のものを構えていきます。あいも変わらず恐るべき高速連射ぶりでしたが、1発外れるごとに苛立ちのせいか、射撃精度はどんどん低下していきました。
かつてSRT要員という
ですが、それら個々の技を振るう反射神経や判断能力が異様なのです。とても常人のものとは思えない身体さばきで1秒が過ぎ去るころには死体が1つ、安宿に転がっていく。
いくらなんでも、デタラメにも程がある。
目に浮かぶこの涙、はたして掃除が怠られすぎなカーペットのホコリのせいなのか、はたまた別の理由なのかもう分かりませんでした。
わたしと同じく、ふとした拍子に激戦区のまっただ中で芋虫人間になることを強いられているバンドTシャツの男と、わたしはふとした拍子に視線があってしまいました。
敵同士ながら、この時ばかりは、浅黒い肌をして目も落ち込んでいる不摂生なこの男性が、戦友のように思えてなりませんでした。だって2人とも涙目でしたもの。
首筋に突き刺さった500ペソ硬貨から、間欠泉のように血を噴きあがらせる縞模様のシャツの男がどさりと倒れる頃、やっとザスカーは己の不利を悟ったようです。
これでチンピラたちは全滅。8挺もあった背中のリボルバーはすべて弾切れで、まだ腰の2挺は残っているものの、こうまで立て続けに外してしまった直後では、ノルさんに正攻法で挑むのは気が引けた様子。
起死回生の策を探してさまようザスカーの視線が、わたしを捉えました。
危険を察し、慌てて膝立ちのまま逃げ出そうとしましたが、立ち位置と反射神経、さらに男と女の腕力さなど、すべてにおいてわたしには逃れるすべはありません。
「あっ!!」
自慢の三つ編みを力任せに掴まれ、床から引きずり立たされる。
頭部に走る激痛は、すぐ喉に巻きつけられる腕の不快感に取って代わられました。息ができるギリギリの範囲で首を絞められながらわたしは、ザスカーの盾にされてしまったのです。
誘拐しに来た相手を盾にするなんて、割と本末転倒のような気もしますがその効果は絶大。
わたしの小さな悲鳴にすばやく反応したノルさんが、俺は無敵だなんて虚しい標語の書かれたTシャツ姿のチンピラの生き残りをすばやく引きずりあげ、自分の盾にする。
息も絶え絶え、わずかな酸素にあっぷあっぷしてるわたしVS血の泡を吹きながら今にも死にそうなチンピラという、2つの
「カルロス、おいカルロス聞こえてるか?」
可能なかぎり背をかがめて、小柄なわたしの背後にせいいっぱい身を隠しているザスカーはすり足の要領でエレベーター方面に後退しつつ、いつの間にか手にしていた
相手はおそらく、非常階段から迫るとかいうザスカーの子飼いの部下たちでしょう。
「思ったより日雇いどもが使えなくてな・・・・・・女は確保したが、今は野郎と絶賛にらみあいの真っ最中で、身動き取れねえ」
死体と見分けがつかない人の形をした盾を強引に立たせながら、スライドが後退しっぱなしになっているPSSピストルをノルさんは口に咥えている。
ザスカーが無線に集中している隙に、歯を固定具がわりに、片手だけで弾倉交換をしていくノルさん。
さして広くないエレベーター前のT字路には、足の踏み場もないほどに死体が転がってました。うめき声からして相当数がまだ生きているみたいですが、五体満足なチンピラなんてただの1人もいません。
10は確実。20を越えて、下手をすれば30人に手が届くかもしれません。
いくら相手が技術も度胸も三流なチンピラたちとは、このキルレシオは異常です。自信たっぷりだったザスカーすら逃げ腰になるわけです。
「タイミングとかもうどうでもいい。とにかく一気に仕掛けてケリを・・・・・・なんだありゃ?」
エレベーターに半身まで入り込んだザスカーは必然的に、わたしが監禁されていた部屋までつづく長い廊下を、眺め渡すことになりました。
同じく盾にされている都合上、わたしもまた“それ”をすぐ目につきました。肩を怒らせる、赤毛の少女の姿を。
何が入っているのやらと訝しんでしたアナーキー印のダッフルバッグが、今は廊下に放り出されている。中身はとうに取り出されたあとのようで、バッグは平たくなってました。
ではその中身は一体どこに? 答えは、指が折れているのにテキパキと対戦車兵器を組み立てていく少女の手の中にありました。
それは専門的にいうのであれば空挺軍仕様のRPG-7D。感覚的に申すのであれば、ケティさんそれってわたしも巻き込まれません? という、破滅的なロケットランチャーの姿でした。
「おいおいおいおいオイッ!!」
ザスカーも悟ったのでしょう。完成したRPG-7Dを肩で担ぎ、こちらに照準を定めている少女は躊躇しないと。
盾であるわたしを廊下に放り出して、エレベーターの天井にあるメンテナンスハッチをすぐさま手で突き破り、慌てて逃げてくザスカーの生存本能たるや、称賛に値するものだったでしょう。
だって不甲斐ないわたしときたら、まさかそんなと、希望を込めて縋るようにケティさんを眺めるほかに、何も出来ずにいたのですから。
EXITのサインに照らされる非常階段のドアから突入してきたのは、あのチンピラたちとは比べ物にならないほど統制のとれた完全武装の男たち。
遠すぎてよく見えませんけど、ザスカーの本命部隊は、至近距離からRPG-7Dの排出口を見つめきっと目を丸くしているに違いない。
前方には弾頭、背後にはバックブラストと、二方向を必殺の間合いに収めたケティさんは最後の良心を働かせたでしょうか? 頭上に例のスケッチボードを掲げていく。
目を細めながら、遠い文字列を読み込んでいきますと、そこには、
[伏せろ]
なんて小さな文字が書かれていました。
「あのっ!! 書き文字というのは、とっても人に伝えづらい警告方法だと思うんですけれどッ!!」
そんなわたしのツッコミが彼女の耳に届くはずもありません。だって彼女、聴覚障害うんぬん以前に、あの血走った目からしてもう何も聞こえてなさそうでしたから。
直後、色々なことが一斉に安宿で巻き起こりました。
扉を開けた矢先に、RPG-7Dの
動体視力がかつてないほど研ぎ澄まされ、一直線にわたしめがけて飛んでくる
高速度カメラを使わなければ目撃できないはずの景色、これが貴重な体験なのは疑いの余地がありません。ですが人生最後に見るものとしては、あんまりな気がしないでもない。
あっ、これは死にましたね。
諦観の念とともに廊下にぼけーと突っ立てますと、身体が横向きに吹き飛ばされて、ふわりふわふわ、浮き上がっていきます。
爆音で馬鹿になってしまった耳のお陰かしら。わたしは無音の世界に放り込まれ、ただひたすらにお空でまたたく星星を眺めてました。
なんてキレイなのかしら。
激務に疲れきった体を引きずって、ときおり公害とは無縁なメリダ島の空を1人で眺めていたことを思い出す。もしかしたらこれってば、走馬灯なのかもしれません。
ですがそんな星々の煌めきも、すぐさま爆裂するRPGの弾頭がまき散らす炎によってかき消されてしまいました。丸窓から吐き出される爆炎ときたら、まるでアポロ11号の発射風景もかくやの激しさでして、しぶとく残っていたガラスの破片がわたしのすぐ横を一緒に滑空していきます。
そこでやっと現実を受け入れる気になりました。この天にも昇る浮遊感は単なる錯覚であり、現実にわたしは落下しているのだということを。
幻想から目覚めると、急にうるさいほど空気を切り裂いていく音がわたしの耳に飛び込んでまいりました。
とりあえず即死は免れたようですが・・・・・・ノルさん抱きとめられながら一緒に5階から飛び降りるというのは、中途半端な延命策にしか感じられないのも事実。
ばーん・ぐしゃ。路上シミと相成るまで、ほんの数秒ほどかしら。
そうです、これでもうおしまい。わたしの旅路は、当初の予定とはまったく異なる場所で、何が何だか分からないうちに終わりを告げてしまったのです。
地面が近づいてくるのが感じられます。
身体が叩きつけられる痛みぐらい、最期なんですから帳消しにしてくれてもバチは当たらないでしょうに、律儀な痛覚神経が背中に激痛を伝えてきました。
はい、そうです。
こうしてわたしはコロンビアの空の下で――死んだのです。
・・・・・・死んだはずです。
・・・・・・死ななきゃ変でしょう。
・・・・・・もしや死んでいない?
ガラスが降り注いでくる音も消えたことですとし、おそるおそる瞼を開いていく。
「・・・・・・ここは、天国ですか?」
なんとなくひしゃげたバンの天井に横たわっている気もしましたが、混乱状態のわたしはついつい彼女にそう問いかけてしまった。
その返答ときたら、なんとも味も素っ気もないものでした。
「いいえ、コロンビアよ」
あの大激戦の最中にすらまるで余裕を崩さなかったノルさんでしたが、5階からの落下というのは流石に堪えたみたい。
ましてや上にはわたし、下には車の屋根と挟まれるような格好でしたし。さすがに声に覇気がない。
ショック状態から立ち直り、意識がはっきりしてきますと、黒煙を天高く立ち上らせる煙突にジョブチェンジしてしまったとおぼしき丸窓が、はるか頭上に窺える。ええ、それはもうはるか遠くに。
あそこから落ちてきたんですか? わたしたち?
5階という数字のイメージよりもずっと高い位置にある丸窓を、しばし呆然と眺めてしまった。
運が良かったのでしょうか? はたまた、千切れてスパークを発してる電線たちがうまい具合にブレーキの役割を果たしてくれたのか・・・・・・とりあえず落下死だけは免れたみたい。
それどころか怪我らしい怪我もなさそうでした。だって打ち身ごとき、いまさら怪我のうちに入りませんし。
心身の疲労に耐えかねて、もう一歩も動きたくないわたしはため息と一緒に、独白のような台詞を垂れ流してしまった。
「まだ地獄ですか・・・・・・」
「言い得て妙ね。さっさと退いてよ、重いんだから」
乙女になんてことを!! などと、普段なら抗議ぐらいしていた所でしょうが、今はその気力すらなく・・・・・・一足先に路上に降り立ったノルさんに助けられながら、なんとかわたしも命の恩人であるバンの天井から抜け出していきました。
「さすがにキツイわ・・・・・・」
あのノルさんですらぼやいてました。
上手くバンの天井がクッションになってくれたようでして、奇跡的に2人揃ってダメージはなし。もっとも肉体面はともかく、とてもじゃありませんが、無傷とは口が裂けても言いたくない心境でしたけど。
チャイナドレス姿の麗人がまるで腰痛持ちの中年男性よろしく、背中をいたわりながら縁石によろよろ腰掛けていく。
「閉鎖空間でひたすら
「・・・・・・誰もが経験することみたいに言わないでくださいよ」
同じく、彼女の横にワンピースの裾を折りたたみながらわたしも腰掛けました。
「うちの
「どんなご兄弟なんですか・・・・・・」
いえ、わたしが言えた義理でもないかもしれませんけど。こっちはこっちで家庭事情が入り組んでますから。
「それにですねノルさん。RPG-7というのは、ロケット推進を併用したクルップ方式無反動砲であってですね。ロケットランチャーとしてカテゴライズするのは微妙に正確性に欠ける気も――」
「うるさい」
「すみません・・・・・・」
「なんかズレてるんだから・・・・・・ハァ」
もう怒る気力もないみたい。
縁石に座るぐしゃぐしゃなチャイナドレス姿のノルさん。その隣には、ちょっと焦げ臭いワンピースを着込むわたしが居りまして、2人して惨めさを共有していきます。
なんなんでしょう? ちょっと降りる国を間違えた程度で、ロケットランチャーの攻撃を受けてしまうほど徳の低い人生を、わたしは歩んできたとでも言うんでしょうか。
いえ、思い当たる節はないでもないですが・・・・・・今はもう、わたしは一介のフラれ女に過ぎないはずなのに。あるいは、燃え尽き症候群におちいった若き年金受給者。万死に値するとは、あんまり思えない。
そうです、どうしてこうなったのか謎を解く手がかりは手元にあるはずなのに、どうにも思考がまとまらない。今となっては生死不明なザスカーが、色々とヒントをくれた気もするのですが、紐無しバンジーをかますと、人間はどうやら思考が混乱してしまうみたい。
頬杖ついて力なく黄昏れていると、わたしの横でどこからともなくノルさんが瀟洒なシガレットケースを取りだしました。
「吸ってもいい?」
「アメリカ公衆衛生局の報告によりますと、タバコによって肺がんが引き起こされる確率は――」
「ありがと」
聞く耳持たず。シュパッとそれはもう華麗な仕草でマッチに火をつけたかと思えば、すぐ一条の白い煙をノルさんは口から吐き出していく。
いえまあ・・・・・・背後の安ホテルでは絶賛、大火災の真っ最中。もくもくと黒煙が夜空に向けて立ち昇っている訳ですから、いまさらタバコ程度の煙どうということもないですけど。
この潜伏場所どうしてか、カリ・カルテルに突き止められてしまった。ですからこんなところでジッとしててはいけません。頭ではそう分かっているものの、虐げられた身体が労働を拒否しているのです。
ザスカー・・・・・・はたぶん死んでるでしょうけど、彼の手下がまだ近辺に潜んでいても不思議じゃない。
ですが、誘拐ぐらいでは我関せずを貫くスラム街の住人たちも、目と鼻の先で火災が起きたともなれば、まさに火の粉が自分たちに降りかかってきかねない。
銃撃戦には無反応だったくせに、ぞろぞろと家財道具を抱えて逃げたす周辺住民ですとか、携帯電話を手にして決定的瞬間を激写しようと群がってくる野次馬などで、今や路上は凄まじい人数がごった返してました。
こうまで人が集まってしまうと、さしものカルテルも身動きがとれないでしょう。特にカリ・カルテルは目立つのをいたく嫌うそうですし。
遠くからはサイレンの音も聞こえてきます。火災ともなれば、行政もやっと重い腰を上げる気になったみたい。
きっと消防車のサイレン音が刻々と近づいてくるなか、絞り出すようにわたしは声を出していきました。
「ノルさん・・・・・・」
「これ吸い終えるまでは勘弁して。吸い終わったら、愚痴を聞くのも大量殺人でもなんでもこなしてあげるから」
「・・・・・・実はわたし、世界最高の潜水艦を駆って、頼もしい仲間たちと共に悪の秘密結社と戦っていた前歴があるんです」
「前にも聞いた気がするけどそれ、自分がどれだけ素っ頓狂なこと言ってるのか理解してる?」
「時に真実は、嘘よりもリアリティを欠くものなんですよ」
「カルテルのボスの女房ってほうがよほど説得力あるわ」
「でも事実なんです。ノルさん、あなたにはもう何度も命を救われました。だから嘘はもうつかないと今決めました。
ですので・・・・・・助けていただきありがとうございました」
わたしが深々とお辞儀をすると、肺の空気をまるまる吐ききるかのように、ノルさんが煙草の煙を吐きながらそっぽを向いてしまった。
その頬は少し、赤くなってました。
魅惑の
どうしたものか・・・・・・とりあえず大使館に逃げ込むという方針は維持してますけど、土地勘がまるでない、それも数多の武装勢力が跋扈しているような場所から自力で逃げ出すというのは、ザスカーとの再会によってよりいっそう現実味が薄れてしまった。
彼女がただお金目当てで誘拐に手を出したとは思えません。何か、深い事情がある気がします。カルテルを裏切るなんて、よっぽどなことの筈なんですから。
でしたら、その理由とやらが見えてくるまで彼女に付き合うのも悪くない。そう、思い始めている自分がいました。どのみち今のわたしは、しゃかりきになって果たさなければならない使命なんてものを、まるで持ち合わせていないのですから。
ただ自暴自棄になっているだけかもしれません。ですが・・・・・・そこでふと、ノルさんとは別系統に命の恩人であるバンに、わたしの目は釘付けになってしまった。
安宿のすぐ正面に停められていたバン。
このタイプの車種にはありがちなことですが、このバンもまた業務用のよう。黄色と緑の派手派手しい色合いの車体には、殺虫剤を吹きかけられて目をばってん印にしているゴキブリの図柄のステッカーが貼り付けられてますから、見たまんま害虫駆除業者の車両であるみたい。
日も暮れてきたこの時間帯に、害虫駆除業者がスラム街をうろついていたですって?
ましてやこのバン、なんとアイドリングストップ状態だったのです。それどころか運転席には人影もあり、スーツ姿の人物が呆然とこちらを眺めているではありませんか。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
運転手さんとわたし。二人してしばしフロントガラス越しに見つめ合った後、わたしはおずおずとノルさんのチャイナドレスの裾を引っ張りました。
「ノルさん、ノルさん」
「まだ半分しか吸ってない」
「そうじゃなくてですね。あのバンの運転手さんなんですけど、見覚えありません?」
「害虫駆除業者の癖に生意気にスーツ着込んでるアイツ?」
「その職業差別はどうかと思いますけど・・・・・・はい。それにプレートキャリアを羽織ってスリングに大っきなライフルを引っ掛けてる、完全武装気味なあの方なんですけども――わたし、ホテルで大使館職員だと名乗った男と同一人物ではないかと思うんです」
「ああ、そういうことね」
よっこらしょ。
流石にそう言いこそしませんでしたが、ノルさんの立ち上がり方を表現するに、これに勝るものを、ついにわたしは思いつけませんでした。
まっとうに考えるなら今は、ラウンド2の開幕前夜。
ザスカー率いるチンピラたちの後詰めとして待機していたらしい汚職警官たちと、新たな戦いの火蓋が切って落とされる5秒前・・・・・・どうしたことか、そんな雰囲気はまるでありません。
ノルさんもとりあえずPSSピストルを引き抜いてはいたものの、構えるどころかまるで缶ジュースでもぶらぶら持ち歩いてかのように、無防備にバンへと歩み寄っていく。
対するハンドルを握る大使館職員を名乗った好青年もまた、無表情のまま助手席でひたすら固まっています。
こうした事例、実のところ実際の戦争にはままあるものなのです。普段なら即座に殺し合いに発展するところを、ひょんなところで、ひょんな場所で出会ってしまったばっかりに、なんとなく互いに戦いを避けてしまう。
どちらともなく頷いて、その場を立ち去っていく敵味方。大きな声では語られないものの、歴史の影でなんども繰り返されてきた再現がいま目の前で起きている事象の正体なのかもしれません。
そんな逸話を知ってか知らずか、ノルさんはバンへとたどり着く。
助手席側の開けっ放しであった窓に無遠慮に顔面を突っ込んだかとおもえば、バンの後部座席を確認していくノルさん。好青年はその仕草に、戸惑いがちに顔を背けていく。
「はん。あんた達、ザスカーのバックアップってところ?」
このまま蚊帳の外もどうかと思いまして、わたしも思い切って立ち上がり、フロントガラスからおそるおそる車内を覗いてみることにしました。
そして、ちょっとビクッとしてしまう。だって車内はすし詰め状態でしたから。
高級ホテルで痛い目にあった彼らはちゃんと学んだようでして、今回は軍隊も相手取れるほどの重武装状態でした。しかし、まさか安宿が大爆発を起こして、標的たるわたしたちが天から降ってくるとは予想外だったみたい。
どう出るべきか悩んでる内に、野次馬に取り囲まれてしまい出るに出られなくなってしまった。そんなところみたい。
一様にみなキョトンとした顔をして、こちらを見つめ返してくる汚職警官たち。彼らにザスカーのような好戦性はまるで見受けられず、あるのは俺たちここで何やってるんだ感のみ。
だからこそ、ノルさんは優位に立っていたのです。その、主として心理的な面で。
構図としましては、さながらノルさんという名をした蛇に睨まれてまった蛙というところ。ささやかな睨み合いは、安宿の玄関より元気いっぱいに飛び出てくるケティさんによって突き崩される。
屋内でロケットランチャーを発射したのです。そのため全体的に煤けていましたが、ケティさんの怪我といえば指の骨折ぐらいなもの。その怪我にしても、すでに添え木と包帯が巻き付けられ応急処置済みでした。
群衆よりも頭一つ小さいため、ぴょんぴょん飛び跳ねながら人探しをしていた少女は、バンの前にいるノルさんを見つけ、すぐ笑顔で駆け寄ってきました。やっぱり犬みたいな子です。
重すぎるダッフルバッグをガタガタ背中で鳴らしながら、ケティさんが合流しました。折れた指に顔をしかめつつも、さらさらスケッチボードに走り書きしていくケティさん。
[無事だったかアニキ?]
それはまぁ、ノルさんは姉御肌を通り越して男前な感じですけども・・・・・・まったくひどいあだ名もあったものです。機会があれば、ケティさんには男性系と女性系についてお説教したいところでした。
ただ当の本人ときたら、とっくにそのあだ名を受け入れたのか、アニキ呼ばわりされてもとくに反応を示しません。
「わたしに何かあったら、最後の手段としてクルーズ船を爆破するように。そう説明した途端に爆破スイッチ押した時に比べれば、今日は大人しいぐらいよねケティ?」
しれっと飛び出してきたとんでもない皮肉に、
[だろ~? アタシも成長するんだぜい?]
なんて得意満面で返す赤毛の少女。この子、いろいろ前科がありそうですね・・・・・・。
「あとでコロス」
ボソッと呟くノルさんの言葉は、耳が聞こえていてもなかなか聞き取れない物騒なものでした。
死刑はやりすぎだと思いますけど・・・・・・今のうちにちゃんとお仕置きをしておかないと、後々マズイ気もします。当人はもとより、なにより周囲の安全が。
ノルさんは手話と口話の、いつもの同時通訳方式でケティさんに指示を飛ばしていきました。
「オレたちの車見てきて」
わたしを連行してきたイエローキャブのことでしょう。とにかくここを離れるには足がいる。頷き、走り去っていくケティさんを見送ってからノルさんはバンへと向き直り。
「さてあんたらの処遇だけど・・・・・・えっ、もう戻ってきたの?」
行ったと思ったらすぐ帰ってきたケティさんに袖を引かれ、ノルさんもさすがに面食らっていた。ここから見る限り、特にタクシーに異常はなさそうですけど・・・・・・どうしたのでしょう?
ケティさんの高速の手話を読み解くことはわたしにはできませんから、大人しく通訳を待つことにしました。わたし、
これを機に習ってみるのも良いかもしれない。ただしケティさんが操っているのが英語手話なのか、はたまたスペイン語手話かすら分からないので、前途多難ではありますけど。
そんなことを、安宿からの火で延焼してしまったとおぼしき、燃え盛る木製電柱を眺めながら思いました。これが世にいう現実逃避というやつでしょう。
「ははーん。タイヤは切られ、プラグまで抜かれてると。念入りなことねザスカー、あいつは昔っからねちっこいんだから」
読み解いた手話の内容を口に出しながら、うんうん納得するノルさん。
自分の言いたいことが伝わったことに気を良くしたのかケティさんは、おもむろに羽織る革ジャンの裾を跳ねあげたかと思いきや、TEC-9とは別に隠し持っていたらしい
ポンと気の抜けた砲声がして、わたしたちがここまで乗ってきたタクシーに40mmグレネード弾を撃ち込んでいくケティさん。
そうです、撃ち込んだんです・・・・・・
爆轟で全身が揺さぶられる。
タクシーはゆうに3メートルは跳ね上がってから、落ちると同時に二次爆発を引きおこして大炎上。野次馬たちが悲鳴をあげて逃げ惑っていきました。
そんな降って湧いた地獄絵図を呆然と眺めながら、わたしとノルさんは共に同じ疑問に行き着いたみたい。ノルさんが代表して、顔面タトゥーの可愛らしい爆弾魔に向けて手話でもって問いただしていきました。
「なんで撃ったの?」
と、しごく当然の疑問を。
ですがやらかした当人ときたら、その質問の意味がいまいち飲み込めないようです。困ったように小首をかしげ、手をバタバタさせ返答してくるケティさん。
「“むしろ壊れた車を爆破しないでどうする?”・・・・・・ああ、なるほどね」
どこに “なるほど” なんて口にできる要素があったのか、この国においては単なる
ですがノルさんにとっては、それなりに納得がいく説明であったらしく、うんうん頷きながら助手席で置物みたいに固まってる好青年に向き直り、こう言い放ったのです。
「ご覧のとおり、いまアンタたちの目の前にいるのは、かのリボルバー・ザスカーとその取り巻き数十人を返り討ちにしてみせたこの街一番のシカリオと、その相棒のサイコパスよ」
[サイコパスだぜ!!]
なんてスケッチボードに大書きしたケティさんが、ボードを思い切りバンのフロントガラスに叩きつけていきました。それを無感動に眺める好青年と、バンに乗り込んでいるその他大勢の汚職警官たち。
「別にあなた達と戦ってもいいのだけれど、それよりもバンのキーを置いてどこかに消えてくれると、こっちとしてもとっても助かるのな~って、思いもありはするのよねえ?」
ハート柄が漏れでてきそうな甘い声音に、もう隠しようもなくぶるぶる震えていた好青年は、バンの後部へ振り返って思い切り叫びました。
「
足手まといになる銃火器を放り捨て、陸上新記録を出しかねない勢いで夜の街へと散っていく汚職警官たち。
汝、己を知れとは、よく聞く説教ですが・・・・・・汚職警官たちは相次ぐ爆発で、その言葉の意味を思い知らされたみたい。
ノルさんだけでも十分に手に負えないのに、ここに頭のネジが欠けている小さな爆弾魔まで加わろうものなら、もう命がいくつあっても足りません。逃げるのは、とっても理にかなった判断といえるでしょう。
ここに至るまでノルさんたちが築き上げてきた屍山血河を思えば、なんとも平和裏にことが進んだものです。これでイエローキャブの代車が確保されました。
キーが差さりっぱなしの運転席にケティさんが意気揚々と乗り込んでいき、ノルさんはといえば、こっちにくるよう手振りでわたしに合図してきました。
チャイナドレスの麗人の背を追いかけてバンの後部に回り込んでみれば、閉める時間すら惜しかったのでしょう、外から覗かれないようにダンボール紙で目隠しされた両開きの後部扉は開きっぱなしのまま放置されていました。
「ここに乗れということですね?」
「理解が早くて助かるわ」
いえまあ、逃げる気力もありませんし。別にいいんですけど。
馬車に乗り込む淑女よろしく、差し出されてきたノルさんの手を取ってバンの荷台に足をかけていったその瞬間――なにかがわたしのお尻に噛みつきました。
「ふぎゃぁ!!」
無様な悲鳴とともに、あわててお尻を抑えながら振り向いてみれば、その拍子にバンの天井へと頭をぶつけてしまい、みっともなくバランス崩して尻餅をついてしまう始末。
「な・・・・・・なにをしたんですかノルさん!!」
「悪かったわよ。でも、頭の方は自業自得よ? よくまあ器用に転げること」
「それよりあの鋭い痛みはいったい――」
なんとも情けない感じにバンへ乗りこんでしまったわたしを、ノルさんは注射器片手に眺めてました。
「悪いけど、次の終点駅がどこか誰にも知られたくないの。筋弛緩剤は品切れだったけど、たちの悪い闇医者から麻酔薬は手に入ったわ」
急に、くらっと、意識が揺らぐ。
眠気が身体のコントロール権を奪い去っていき、瞼に鉛を注入していったかのように重くなる。
もうだめ・・・・・・いしきが、とぶ。
「
そういうとのるさんは、ばんのとびらをとじていき・・・・・・くらやみのなか、わたしのいしきはすべてきえさっていく――
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