XIX “NO EXIT”

【“テッサ”――MSCトラソルテオトル船倉・通信室COMルーム


 一歩進んで二歩下がるとはいいますが・・・・・・ノルさんによって連行されてしまったのは、つい先ほど通り過ぎたばかりのサーバールーム、より厳密にいいますとその中に併設されるパソコンだらけの通信室内でした。


 湿った殺人娼館にふたたび閉じ込められるよりはマシ。ですが、ここの空調は人間基準の温度じゃありませんから、もはや寒いぐらいでした。


 外との寒暖差もあいまって、たいへん居心地が悪い。ヤンさんと仲良く横並びになって座らされているこのオフィスチェア、その背もたれに巻きつけられている手錠もまた居心地の悪さに一役買ってる気がします。


「申し訳有りません大佐殿・・・・・・力及ばず」


 手首の位置を変えて、どうにか冷たい金属部分から逃れようともがいているわたしに掛けられる、申し訳なさげな謝罪。


 その物言いにこっちこそ恐縮してしまった。


「いえいえ、助けに来てくれただけでも頭が上がらないんです。だから、そう自分を責めないで」


 そう言ってはみたものの、項垂れてしまうヤンさん。


 武士の情けかしら? ヤンさんの鼻頭には、雑な感じで絆創膏が貼られてました。あれほどの激戦を戦い抜いたにしては、それはまあ青紫色した痛々しいアザですとか、切り傷もたくさんこさえてますけど・・・・・・致命傷はどこにもなし。


 そこにはちょっと安心する。そういえばヤンさんって昔からよく怪我してましたけど、いつも回復が早かったですし。身体が頑丈なのかもしれない。


 ですが精神的ショックはとても大きそう。


 仮にも人生のほとんどを戦いに捧げてきたプロが、あんな珍妙な格好をした人物に手も足も出せず敗北してしまったのです。その事実に、ヤンさんのプライドは少なからず傷ついているみたい。

 

 意気消沈しきったヤンさんに、できるだけ穏やかな口調で話しかけていく。巻き込んでしまった側として、せめてそれぐらいはしないと。


「悪いのはぜーんぶ、乗る飛行機を一便間違えてしまったたわたしのせいなんですから」


「失礼ながら大佐殿、ホントに理由ってそれだけなんですか?」


「はい。まことに信じ難いことながらそれだけなんです」


 細かな事情は他にもいろいろとあるものの、たった一便間違えただけでおとぎの国に迷い込んでしまった事実は変わりません。この顛末を出版すれば、すぐさまニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに載ること間違いなしな運命のイタズラ具合でした。


「すこし前向きに考えてみましょうヤンさん。具体的にどうとは、まだちょっと思い浮かばないんですけど・・・・・・ここはその相談も込めまして」


 この街一番のシカリオに拘束されている割には、我ながらなんとも軽い感じ。だってわたしからすれば、シカリオである以前にやはりノルさんなのですから。


 どうしても、個人的な親しみの感情は拭えない。


 かつて思い出しながら冷徹な指揮官らしく振る舞ってみても、ノルさんなら約束を守るはずという確信が、この呑気なムードを形作っていたのです。


 経験からいいますと一番危険なタイプは、ルールに無自覚でしたり、ルールを破ることそれ自体が目的化しているタイプです。前者は、素人の延長線上でやっているテロリストや犯罪者。後者は、ガウルンなどが代表格かしら。


 ですがノルさんは、やはりプロと呼ばれる人種なのです。なんでしたらヤンさんの同類と呼んでも差し支えないでしょう。


 ですから約束通り、こっちが大人しくしているうちは大丈夫。


 もっともこちらは脱走の前科2犯、そろそろスリーアウトですので、ノルさんの堪忍袋の尾も切れかけかもしれませんけど・・・・・・まあ、ひそひそ話ぐらいな大丈夫でしょう。


 だって目の前で繰り広げられている狂騒劇のせいで、わたしたちほとんど空気扱いされてましたから。


 元SRT隊員を危なげなくノシてみせたチャイナドレス姿の麗人は、モデルのような美しい立ち姿でもって、通信室の一角に仁王立ちしておりました。


 階段から飛び降りた拍子に行方不明となってしまったウィッグは結局みつからなかったようでして、地毛が剥き出しのまま、幾何学的に絡みあうコードを抱えてました。


 見た目だけでしたら、どこかサイバーパンクじみた構図を創出していています。しかしその実態ときたら・・・・・・。


「・・・・・・どうして“こんぴゅーたー”って、こんなにたくさんケーブルがあるんだ?」


 “ネットは広大だわ”なんて嘯くどころか、涙声になって配線作業の難しさに当惑してる有様でして。


 信じられます? ついさっきまでこの人、ヤンさんをボコボコにしてたんですよ?


[うっさい兄貴。声は聞こえなくてもなっ、負のオーラってのは感じとれるんだぜッ!?]


 ケティさんは通信室に着くやいなや、すぐさまデスクトップPCの一つに張りついてセットアップ作業を始めました。偶然にもそれは、ついさっき調べることはできないだろかと、わたしが起動を試みたPCと同一のもの。


 2人が行っているのは、どうやらWEBカメラのセットアップのよう。


 ノルさんはハード担当で、ケーブル抱えて右往左往。ケティさんはソフト面を担い、頭を掻き毟りながら一本指打法でキーボードをあれこれ叩いてます。


 どうにもこうにも、2人揃ってダメな感じ。


 こんな調子では、わたし主演の脅迫ビデオはいつごろ撮影開始となるのやら。たかだかWEBカメラをセットアップするだけで、よくもまあスターリングラードに取り残された独第6軍かくやの悲壮感を出せるものです。いっそ感心したくなる。


 慣れない作業への苛立ちが、どうやら食欲に昇華されてしまったらしく、ケティさんはチョコバーの包装紙を荒々しく破ってはそこらに放り、中身を食い散らかしてました。


 なるほど・・・・・・この部屋が汚れてるのって、ケティさんの暴飲暴食が原因みたい。精密機器でいっぱいなのにまったくもうと、立場を忘れて苦言を呈したくなる。なんやかんや、わたしの方が歳上なんですし。


 ともかく、こんな一歩進んで二歩下がる方式では、いつ終わることか知れません。


 見てる分には面白いので、呆れ半分に眺めつづけるのもまた一興でしょう。ですがそれではあんまりな気もする。だからこその相談、時間は有効活用しなければ。


「ほら、話す時間はたっぷりありそうですし」


 肩の力が抜けきったわたしの物言いに、ヤンさんはまだ納得しきれていない様子。まだシカリオというノルさんの前歴に、引っかかりを感じているのでしょう。


 いえ、自戒すべきはきっとわたしの方なんだわ。彼女たちにちょっと心を許しすぎてる。


 チラッとヤンさんは、何か言いたげに自分の左側の椅子を見つめて、


「ですがこの場で、E&E敵地および敵手脱出の話をするのはちょっと・・・・・・」


 軍事用語でそれとなく誤魔化してましたが、言わんとするところは分かります。わたしもまたチラッと、視線を下げつつ自分から見て右側のオフィスチェアを眺めてみる。


 実はこの椅子、わたしとヤンさん以外にも3つ目があったりするのですが・・・・・・それはともかく。


 でしたら警戒されない範囲でお互いにとって有益な話題はないものかと探してみて、ふとわたしは、空港でメリッサと交わした会話を思い出しました。


「じゃあ、お嫌なら答えなくてもいいんですけれど・・・・・・最近の生活はどうですか? 上手くいってます?」


「お言葉ながら大佐殿。そんな久し振りに会った気まずい親子みたいな会話、今この状況ですべきことではないかと」


 たまらない気まずさに、つい肩をすぼめあう元部下とその元上官。選定ミスとはまさにこのこと、別の話題にすべきでした。


 ですが借金漬けの生活が心配なのは、本音なんですけど。


 お尻をもじもじさせて、いたたまれない気持ちを誤魔化していくわたしを見て、ヤンさんは諦めるようにため息をつかれる。それから視線をノルさんたちの方角に向けたのです。


「・・・・・・にしても、なんともちぐはぐな奴ですね。殺しの顔ウォーフェイスで人の首を刈り取りに来たかと思えば、その直後には、年下の女の子に罵倒されながらケーブルと戯れてる」


 それは、わたしの中にある人物評と一致するものでした。


「シカリオの尋問には何度か立ち会いましたが、みんな似たような雰囲気でしたよ」


「ノルさんとは違って?」


「ですね。とりあえずチャイナドレスは着てなかった、という冗談はともかく、揃いも揃ってカルテルの風土に染められきってました。

 どうせ長生きできないんだから好き勝手やってやるって、享楽的な奴ばかり・・・・・・その一方で、自分がいずれ殺されるとえらくドライな死生観も持っていた、せいぜい15、6の若造たち」


「そう、なんですね」


「ある意味で飾らない性格って奴なんでしょうね。本音でしか話ができない。

 だけど奴は、その時々にあわせて表情が変わる。

 ウィッグを被れば女声になって、武器を構えれば今度はプロの兵隊になる。どれが本性なんだが・・・・・・」


「全部じゃないかしら」


「は?」


「わたしだって、ミスリルの制服を着込んでキリッとしてる時のメリッサと、アパートのソファーでだらーとしてる時のメリッサ、どっちも同一人物とは思えないもの」


「・・・・・・一般論としてはそうでしょうが」


 ノルさんが妖艶な大人の女性と思い込んでいた輩が何を言うのかー、という意見もあるでしょうが、根っこの部分に違いがあるとはわたしは思えないのです。


 美女モードのときも、今のきっと素に近いモードも、どちらもノルさんであることに変わりはない。


 ですが、ヤンさんの懸念ももっともだと感じてもいました。具体的には、戦闘モードの時のことです。明らかに彼女は――痛覚神経が麻痺していた。


 アドレナリンが吹き荒れ、究極の興奮状態になればどんな痛みも吹き飛んでしまうもの。ですがわたしは、いくら防弾繊維に守られているとはいえ、至近距離で銃撃を受けたばかりで激痛に苦しんでるはずのノルさんの瞳を覗き込んでいました。


 アドレナリンの効能のひとつ、瞳孔の拡大がノルさんの場合は見られなかったのです。


 他にも不思議な点はあります。500ペソ硬貨の材質は知りませんが、あれをノルさんは指の力だけで半分に折りたたんでみせた。異常な筋力、あれを実現するためには身体を鍛える以外にも、瞬間的に脳内のリミッターを外す必要があるでしょう。


 よほど危機的な状況にならない限り、外れることのない火事場の馬鹿力という名のリミッター。それをノルさんは自由自在に外している。その理由には心当たりがありました。

 

「きっとパブロフの犬なんだわ」


 いきなりすぎる話題転換に、ヤンさんの頭上にクエスチョンマークが浮かびました。


「それまたどういう・・・・・・」

 

「ごめんない。ちょっと舌ったらずでしたね」


 メリッサにも忠告されたものです。


 “あんたは頭の回転が早すぎるの。ウサギとカメの逸話に例えるならね、周りの奴らの思考速度は鈍亀で、あんたは超音速戦闘機なの。衝撃波ソニックブームで周りの連中ぶっ飛ばす前に、スピードはちゃんと落としなさい?”


 その喩えですと最後に勝つのはカメなのでは? ですとか、思考が横滑りしそうになる。本題はそこじゃありません。


 もう何度目になるか分からない自戒をしつつ、筋道立った説明を試みてみる。


「エサを出すときにベルを鳴らすと、現実にエサが無くとも犬は、ベルの音を聞いただけでヨダレを垂らすようになる」


「それは知ってます。うろ覚えですけど、学校で習いましたから」


「有名な実験ですからよく知られてますよね。ですがこの古典的条件付けが、どのように技術として還元されてきたかについては、あまり広く知られてません。

 で、ここからはわたしの推測なんですが――この船で行われていたのは、その条件付けを基礎とした洗脳実験ではないかと思うんです」


 古典的条件付けとは、一定の刺激を与えることである感覚を強化する、あるいは、消去するという概念です。


「もちろん、実験をしていた科学者たちに話を聞くことはもうできませんから、推測の域を出ないんですけど」


 チラッとわたしは、ブラウン管モニターいっぱいに広がる死の青画面ブルー・スクリーン・オブ・デスを唖然として眺めてる、機械音痴コンビを見ました。


 あの2人だって何も知らないでしょう。


 片鱗は目にしたかもしれませんが、あの観察室がマジックミラーで仕切られていたように、実験体と科学者のあいだには大きな隔たりがあったはず。


 水溶紙まで使って機密保持に努めてきたんです。ほんとうの意味で真相を知っているのは、今や液体となって樽の中に収まっている者たちだけでしょう・・・・・・。


「LSDをはじめとした薬物で精神を強化、いえ、麻痺させるといった方がより精確かしら。

 あの訓練施設といい、トラソルテオトルの最終的な目的とは、カルテルのために優秀な兵隊を量産することだった・・・・・・」


「頷ける部分もあるとは思いますが、そんな手間をカルテルが掛けるものでしょうか? 素直に訓練キャンプ作って、そこに新兵を放り込むだけで十分なのでは? 

 実際モンドラゴン・ファミリアなんて、そういう王道のやり口で配下の兵隊の質と量を高めてるわけですし」


「うーん、そこはもう推測に推測を重ねる感じで申し訳ないんですけど・・・・・・基本的に人は人を殺すように出来てないんです。

 同族殺しなんて、種の繁栄というDNAに刻まれたテーマとは一番相反するものなんですから」


「あ、あの・・・・・・失礼ながらまた話が飛んでいるような」


「すみません。ヤンさんのような優れた兵士、すなわち心身ともに強靭で、それこそ特殊部隊でも通用できるような人材が限られているのは、もちろんご存知ですよね?」


「そりゃまあ、なりたいとは思っても、誰もがオリンピック選手になれないのと同じです」


「特殊部隊員の養成にかかる費用は、1人あたりざっと100万ドル。それ以外のいわゆる普通の歩兵もまた、戦争技術の向上に伴ってコストは年々増加しており、その削減に各国の軍隊は躍起になっている。

 そこで先ほどの話に戻るんですが、基本的に人は人を殺すように出来ていない・・・・・・つまり、どれほど訓練を積んでもいざ実戦となれば、ちゃんと敵を殺すつもりで発砲できた事例は、とっても少ないんだそうです」


「聞いたことがあります。敵を殺すよりも自分が死んだほうがマシだと考え、自らの危険を顧みず工兵や衛生兵といった、戦闘員よりもよほど危険ですが、敵と戦わずにすむ役割に志願するものが跡を絶たなかったとか」


「一説では、第2次大戦時の兵士がきちんと敵を狙って発砲した率はほんとの30パーセント前後にすぎないとか。これがベトナム戦争になると全体の95パーセントが敵に向けて発砲するようになった。

 なぜだと思います?」


「いえ、分かりません」


「訓練プログラムに古典的条件づけが取り入れられたんです。

 ベルが鳴ればヨダレを垂らす犬のように、精巧な人の形をした標的を撃ち抜くよう訓練された兵士は、条件反射で考えることなく敵兵を撃ち殺すようになった」


「・・・・・・それでパブロフの犬と」


「マインドセットは難しい問題です。戦争で浴びせられるさまざまな感情・・・・・・これらを克服するには、ベテランの兵士ですら究極的には不可能かもしれません。

 当人の資質やカウンセリングなどで心理的な抵抗値を下げることは可能かもしれませんが、歴戦の特殊部隊員ですら心的外傷後ストレス障害PTSDに苦しむ者は少なくない。

 そこにもし、このようなメソッドが登場したらどうでしょうか?

 昨日まで民間人だったものですら、歴戦の勇士を越える精神性を簡単に手に入れられる方法があるとしたら? 

 即座に軍の能力は上がり、訓練期間も短縮することができる・・・・・・そんなメソッドがあれば、欲しがるのはカルテルだけじゃすまないわ。正規軍はもちろんのこと、独裁国家やテロリストなど買い手は引く手あまたのはず」


 だからこそ、子どもたちが実験対象に選ばれたのでしょう。


 前歴のない真っ更な人間。実験結果を精確に観測するのには、トラウマなどの不確定因子は邪魔なだけでしょうから・・・・・・そうだとしたら、どうしようもなく皮肉にも感じられますけど。


 だって、他人を傷つける抵抗感を無くすための実験を行っていたのが、まさにその最終目標そのものな、人の心がない科学者たちだったのですから。


 わたしの話をしっかり咀嚼しつつ、ヤンさんが上手くまとめてくれました。


「つまりカルテルにとってこの船で行われていた洗脳実験は、大きな投資に見合う“商品”だった・・・・・・というわけですか」


「もしかしたら彼らはさらにその先、完ぺきな洗脳ブレインウォッシュ技術の完成まで目指していたのかもしれませんね」


「そりゃあ、カネになるならカルテルは手段を選びませんけど・・・・・・やはり自分には違和感があります。どうにもカルテルらしくない」


 そうかもしれませんね。


 結局は、わずかな状況証拠をもとに壮大な物語をでっち上げてしまっただけなのかも。あるいは――この船の目的はもっとおぞましいものだったのかもしれない。


 ですがヤンさん自身、何らかの洗脳実験が行われていたことまでは否定されませんでした。彼が違和感を指摘したのは、カルテルという組織の性質です。


「これはメキシコでの話なんですが、ある捕物で、警察がカルテルの構成員を捕まえたそうなんです。

 カルテルの構成員は大抵、どこぞのチンピラがズルズルと深みにハマってというのが通常ルートなんですが、その男だけは違ったんです。

 ついさっきまで銃撃戦をやっていた警官たちにすがりつき、助けてくれと泣き叫びだした。なんでも、“自分は誘拐され、無理やり戦わされていた”と」


「刑を軽減するための狂言・・・・・・じゃ、ないんでしょうね」


 これまで色々と理解不能なものを目にしてきましたから、ありえないという言葉を簡単に使えなくなってました。


 ヤンさんは真剣な顔をして、わたしの言葉を肯定していく。


「ええ。実際に前歴を探ってみたところ、その男はほんの数ヶ月前までショッピングモールに努めているような善良な一般市民でした。

 それが、新しい仕事のため面接を受けてくると言い残してとつじょ行方不明に。家族からは失踪届けまで出されていた。

 実はその面接というのはカルテルの罠でして、男が連れて行かれたのは面接会場などではなく山奥の訓練キャンプだったんです。そこで男はまず、カルテルの兵隊になるには値しないとされた脱落者を殺すことを強要された。

 これがいわゆる強制リクルート。その後の男の顛末は、先ほどお話した通りです」


「・・・・・・」


「この船のように、こうまで芸を凝らさなくたって、洗脳というのはそう難しいことじゃないんですよ大佐殿。

 10人に殺し合いをさせれば1人は使い物になる兵隊が残る。カルテルというのは、そういう冷酷な計算をする組織です。ですがこの船がやっていたことは、語弊を承知で言うならあまりに中南米らしくないやり口です。

 そう、じゃない。

 どちらかといえば、理路整然とした、こう・・・・・・うまく言葉に出来ないんですが」


 視点というものの大切さを思い知らされる。どんなに賢しらに振る舞ってみても、実態としての知識が伴わなければ、どこかで必ず粗が出てくるものなのです。 


 わたしが持ち合わせてる常識と中南米のそれは、今だにかけ離れてるみたい。そう、文化が違いすぎる・・・・・・わたしはどうしても、西側基準で物事を考えてしまう。


 ですが一方で、その考え方を頭から否定するのも間違っている気もして。


「それと話は変わりますが大佐殿。特に深い意味はないと思うんですが、自分には、奴の戦闘スタイルにも違和感がありまして」


「そうなんですか? わたし、そっち方面の技術には疎くて」


「奴の戦技はさまざまな国のテクニックが入り混じってましたが、根っこにあるのはソ連式の格闘術でした」


 そう指摘されてやっと、喉のつっかかりが取れた気分になりました。


 階段上からの着地からの、あのくねくねした身体の動き。以前どこかで見たと記憶していたんですが、どうにも上手く出てこなくて。


「そういえば・・・・・・以前、メリダ島で行われていた格闘訓練を見学したときに、カリーニンさんが似たような動きを教えていたような・・・・・・」

 

「流石の記憶力ですね」


 褒められてしまいましたが、ついさっきまで忘れていたので口元がモゴモゴ。わたしだってど忘れする時はあるんですよ・・・・・・。


「自分もその場にいましたよ。あの日、想定されていたのは、さまざまな格闘技経験者への対処法――特にソ連系のそれでした」


 カリーニンさん。


 今だにこの名前には複雑な思いが込み上げてくるのですが、それは一旦、脇において・・・・・・今はヤンさんの説明に耳を傾けることにしましょう。


「質実剛健なイメージに反してロシア伝統の格闘技というのは、脱力を基本としたものが多いんだそうです。身体は徹底してリラックスさせたまま、攻撃を水のように受け流す。

 触りだけですが、教わった感触ですと格闘技というよりも身体の動かし方の方法論に殴り合いの技術がセットでついてくる、というほうがより正確な表現かもしれません。

 鼻で吸って口で吐く、あの呼吸法ブリージングを奴は戦いのさなかでずっと実践していた。シンプルながら、あの呼吸法こそがすべてなのだと教わったものです」


「確かにそれは妙ですね・・・・・・一般に技術というのは、歴史や地政学に大きく影響を受けるものです。それこそ格闘技だって例外ではないはず。

 わたしてっきりコロンビアの軍事体系は、アメリカの影響が色濃いと思ってたんですが」


 この理論、絶対ではもちろんありませんけど、誰だって手近なもので済ませてしまうものです。なにせコロンビアは、北米大陸のすぐ真下にあるんですから。


「そうですね。米陸軍米州学校SOAなんて事例もあるように、アメリカはこれまでかなり南米の軍事界隈に投資してきましたから。

 実際、コロンビア軍の戦闘技法はほぼアメリカ仕込みです。そして軍がやるならカルテルも真似をする。

 組織の構成員に退役軍人が紛れ込んでるなんてのは、そう珍しくもありませんし」


「なのに格闘技はロシア系列ですか・・・・・・そういえば、トラソルテオトルの出自もロシアでしたね」 


 引っかかった一本の棘という感じでした。まだヤンさんに話していないわたしの推理に、ロシアというキーワードはいまいち当てはまらないのです。


 推理の内容そのものを否定しきるほど大きな要素ではありませんが、と同時に裏付けるものでもないという、悩ましいキーワード。


 単なる偶然の一致か、はたまたDEAの知らぬ間にカリ・カルテルとロシアン・マフィアが協定を結んでいたとか、見えない事情でもあるのかしら。


 ですがヤンさんはそこまで奇妙に感じてないみたい。すぐ別の可能性を持ち出してきました。


「ソ連崩壊によって行き場をなくした軍人崩れが、かなり南米に流れてきてるそうですから、その線かもしれませんね」


「それだけなのかしら・・・・・・」


「そこまで気になりますか? 自分から話を振っておいてなんですけど、“彼”の戦闘スタイル」


「そうですね・・・・・・わたしもあまり重要じゃない事のように思えてきました」


 ただの考えすぎかも。あるいは都合よく、説明のつかないことを後回しにしてるだけかもしれない。どちらも同等に危険な考え方というのが困りもの。


 そんな不安がつきまとってはいましたが、いつまで拘っていても仕方が・・・・・・てっ。


「ちょっと待ってください。ってなんの話ですかヤンさん?」


「へっ?」


 文脈からしてノルさんのことを指してるんでしょうけど・・・・・・彼とは一体? いえいえ、どこからどう見たって、


「ノルさんは女性ですよヤンさん? あの美脚みてくださいよ」


「あーーーー」


「大丈夫ですかヤンさん? まさか脳震盪で意識が混濁してたりとか、ないですよね?」


 もっと悪ければ脳挫傷ですとか。あの強烈な膝蹴りを思い出せば、ありうる話です。


 ダメージ少なそうと油断してましたが、精密検査も受けさせてないのに素人判断で何が分かるというのでしょう? 本気で心配になってきたわたしは、こうなればノルさんと直談判して、ヤンさんだけでも先に解放してもらおうかと考え始めてました。


 医療目的なら交渉も通りやすいはず。わたしが本気で心配している傍らでヤンさんときたら、どうしてか目を白黒させるばかりで。


「大佐殿まさか・・・・・・気がつかれて、ない?」


「? 何にですか?」


 さっぱり話が飲み込めず、尋ね返してみたもののヤンさんときたら悩ましげに呻くばかり・・・・・・なんですかこの反応。わたしそんなに珍奇なこと言いました?


「ああ、えっと、何と説明すべきか・・・・・・」


 元部下と元上官、2人の間に困惑がすれ違っていきます。そんな中、空気を読まないとっても下品な音色が、第3の椅子から発せられたのです。


「げっぷ」


 なんて、人の気持ちなんて知ったことじゃない感じに割って入ってくるげっぷ音。


 実はこのオフィスチェア、最初からお団子のように三脚連なってたりしまして、右端にはヤンさんが座り、左端にはわたしときて、本来なら空いてるはずの中央に居座るのが何者かといえば・・・・・・何者なんでしょうねえ? ちょっと答えに窮してしまう存在がちょこなんと腰掛けている。


 わたしたちが暗黙のうちに見て見ぬ振りをしてきたその生命体は、とっても小さかったです。


 腰掛けるオフィスチェアが相対的に大きすぎて、地面に足が届かないほど小柄。宙に浮かんだ両足をぶらぶら振っては、お膝に載せたダンボール箱からピザを取りだしてはむさぼり食べている。


 少女というよりも童女といった感じ。年の頃は7、8歳か、もっと幼いかもしれません。ずんぐりむっくりした体系に、浅黒い肌をしていることから中南米の出で間違いなさそう。


 その顔はこの世の全てを見通している賢者のようにも、何も考えてないようにも見える・・・・・・女の子はそんな、とってもとらえどころのない顔つきをしてました。


 しいて例えるなら、妖精ブラウニーみたいなイメージの子です。


「えっと・・・・・・」


 一度意識してしまうと、もうこの子の頭越しにシリアスな会話を続けるというのが辛くなってしまった。


 ヤンさんと視線を合わせ、無言の内にどっちが話しかけるべきか相談(押しつけ合い)してみたところ・・・・・・わたしが折れました。


 ヤンさんの優しい心根は普段なら顔にあらわれているのですが、今は鼻絆創膏に青あざとちょっと化粧が濃すぎでした。はっきりいってゾンビみたいで恐ろしい。


 これならふにゃふにゃしたわたしの方が、いくらか警戒心は抱かれづらいでしょう。


「あの、お名前はなんていうのかしら?」


 保母さんみたいに優しい口調を心掛けてみましたが、少女にはあまり響かなかったみたい。むすっとした表情でこう返されてしまった。


「人質ごときと話す舌、マリアは持ってねえです?」


 マリアですか。お名前は分かりましたが・・・・・・わたしの好感度、あまり高くなさそう。


 ハスミンちゃんもそうでしたが、この船に暮らしている子どもたちってどうしてこう、強烈な個性の持ち主ばかりなのかしら。


 人の性格は生まれよりも、どう育ったかに大きく影響を受けるもの。これまでの過酷な人生のせいで、こうもふてぶてしい性格の子ばかりになってしまったのかしら?


 この子たちのバックグラウンドは薄っすらと把握しています。その過去を思えば、この子たちが大人を信用してないのは当然です。わたしへの厳しい言葉も、そういった過去に起因しているに違いない。


 そう、まだまだファーストコンタクトなのです。時間はたっぷりあるみたいですし、気長に攻めていきましょう。


「えっとね、マリアちゃん。聞きたいことは色々あるんですけども、まずはですね――」


 わたしは、ずっと尋ねたくて仕方がなかったことを童女に聞いてみることにしました。この子の手をヌラヌラにさせている原因の物質について。


「あなた・・・・・・わたしからピザを盗みましたね?」


「冷えたピザほどマズイもんはねえです?」


 発言内容とは裏腹に、食べる速度はまったく衰えませんでした。


 サーバールームの怪綺談は、蓋を開けてみればこんなもの。恐らくデスク下かなにかに実は潜んでいた彼女は、わたしが抱えていたピザの袋に目をつけてさっと盗みを働き、今はそんな戦利品をご賞味しておられると。


 別にわたしが食べたかったわけじゃありませんし? とりあえず、時と場合をわきまえずピザの早食いに興じる女なんて不名誉なレッテルは晴れたようで、良かったと胸をなでおろしておきましょう。


 さて、次の質問。


「マリアちゃんがピザを盗んだあとのことなんですが」


「盗んでねえです? ピザは生えてたです?」


「乳製品は生えません。それはともかく、もしやあなた、電話か何かでノルさんにわたしが逃げ出したこと密告してたりは・・・・・・してませんよね?」


 もぐもぐごっくん。ピザをまたも胃の腑に落とした少女は、げっ歯類のように何を考えてるのかさっぱりな瞳をこちらに向けてくる。


「マリア密告すきです?」


 やはり犯人はあなたでしたか。


 ハスミンちゃんが実は魔性の女の子であり、わたしたちに手助けするフリをして、その裏でちゃっかりノルさんに通報したというシナリオも・・・・・・実はありそうかなって、ちょっと思ってはいたんですけどどうにも腑に落ちなくて。ですがこれなら納得です。


 ピザ盗み、わたしたちがサーバールームから立ち去ったのを見届けてから、おもむろに電話機の元へ。


 さっきからずっとわたしを人質呼ばわれしてますし。彼女の立場からすれば間違ってない行動なんでしょうが、してやられた側の気持ちときたらかなり複雑でした。


 元ミスリルの精鋭が2人も揃って、に嵌められたんですか?


「マリアもっと密告したいです?」


「しなくてよろしい」


 それはそれとして変な子でした。


 口調もそうですけど見ず知らずの、それも手錠で拘束されているようなわたしたちに挟まれながら、素知らぬ顔してピザを食べていられるなんて。この年頃の子ってわりと怖いもの知らずなものですけど、やっぱり幼いからじゃありませんね。単にこの子が変なんです。


 そんな深い思慮にくれてると、


 ガタッ!!


 急に大っきな音がして、ついついびくりと肩を震わせてしまった。


 音の源はどこかと探ってみれば、ケティさんにけたたましく蹴っ飛ばされてしまったオフィスチェアがその出本。乱暴に離席した当人ときたら、にんまり配合式柄のタトゥーを歪ませて喜色満面。


[やったぜベイベー!!]


 プラカードのように掲げられたスケッチボードには、そんな喜びのコメントが書かれてました。私の予想よりずっと早く終わったみたい。これは意外な展開でした。


「え? まだ繋いで・・・・・・」


 ケーブル端子をぶらぶらさせて、では今まで自分がやってた作業は何だったのかと自問自答しているに違いないノルさんの横で、パソコン仕事の弊害かしら、目を腫れぼったくさせたケティさんが喜び舞い踊る。


 彼女の折れてしまった右手の指には、真新しいギプスが巻かれていました。


[これでゾンビPCを経由して? 出どころが悟られないように? モンドラゴン側と交信ができるような? 気がするんだぜぃ!!]


 多用されるクエスチョンマークがなんとも不安を煽りますが、主張そのものは納得のいくものでした。


 ウィルスに感染して、悪意ある第三者から遠隔操作できるようになってしまったコンピューターのことをゾンビPCと呼称します。


 一般家庭にあるPCが実はゾンビ化していて、スパムの自動送信やDDoS攻撃をユーザーに気づかれずに行なっているというのは、割とありふれた話なのです。ケティさんの主張を信ずるならば、彼女はそれらゾンビPCを中継機に見立て、通信の出所を隠すつもりのよう。


 原理だけ見るなら大昔からある追跡対策のネット社会版ですね。ノルさんほどではないにせよ、機械音痴ぎみなケティさんにしてはえらくテクニカルなやり口です。


 ネット社会の闇市場ことディープウェブでは、ハッカーがハッキングキットを丸ごと売買してたりしますから、あるいはそういった非合法な場所で適当に購入してきたものをそのまま再利用しているのかもしれませんね。


 主張通りにちゃんとセットアップされているのなら、なるほどカルテルからの逆探知だって回避可能でしょう。ですが有頂天気味な当人とは反比例して、わたしの頭上では不安の雲がこうもくもくと広がっている・・・・・・。


 カルテルがどれほど電子戦に長けているか不明ですが、これから脅迫しようとしている相手に隙を見せるのはよろしくありません。とりわけ、挨拶がわりに人の首を刎ねてくるような組織が相手ですと。


 ノルさんはしばし手の中に収まる赤青黄色のケーブルを感慨深げに見つめていましたが、ぺいっ、急にケーブルをゴミのように放ってしまった。


「本当に大丈夫なんだな?」


[知んねえ。不安なら兄貴がやれ]


「むぅ・・・・・・となると残る問題は――」


 おもむろにノルさんは、絵心? アイツは死んだ!! とでも言わんばかりのジャングル柄の壁画を見やって、


「・・・・・・顔を隠す道具だけだな」


 かろやかに現実逃避を決められました。


 あの背景が通じる解像度なら、もう別にわたしでなくとも、アルミホイルをそれっぽく束ねるだけでも十分に代用できそうです。ああ、わたしこんなヘッポコ脅迫に参加させられるのですねと、今からもうすでに顔が赤くなっていた。


FARCファークといったら目出しバラクラバ帽・・・・・・その目出し帽はどこいった」


 口振りからして事前に用意はしていたのでしょうが、辺りは整理整頓の大切さを知らしめてくる惨状でして。ゴミの山をまえにノルさんは首を振ってから、捜索作業に入っていきました。


 バラクラバ帽。元は歴とした防寒着だったはずなのに、その筋の人たちにうっかり愛用されてしまったばっかりに、犯罪者御用達みたいなイメージがもたれてしまった風評被害いちじるしい帽子。その捜索は困難を極めていました。


 ポイポイ、ゴミが放られるたびに床の面積が減っていき、その代わりにデスクの上は・・・・・・まったく綺麗になりませんね。


 どれだけゴミをため込んでいたやら、ケティさんも加わっての捜索活動はどんどん化石発掘じみた気の長ーいものになってきて、2人の顔も曇りだす。


 お2人のあいだで交わされた手話の内容は分かりませんでしたが、なんとなく文意は読み取れる。見つからないなら仕方がない、代用品を見つけて先に進もう。


 そういう訳でして、ケティさんはすでに目星をつけていたらしい品を手に取りました。バラクラバ帽とは似ても似つかない――油染みが浮かぶ紙袋を。


 ガサゴソいう紙袋ずずいと手渡されたノルさんは、


「・・・・・・」


 もて余してました。


 そうでしょうとも、このロス・ポジョスなんちゃらとかいうファストフード店の紙袋でどうしろというのでしょう。


「これでどうしろっていうんだ・・・・・・」


 わたしと同じ疑問に至ったノルさんに向けて、呆れたように大仰な仕草で首を振っていくケティさん。なんとなくカートゥーンチックにも見えます。


 バシッ、ノルさんの手から紙袋を奪い返したかと思いきや、顔面タトゥーの少女はピースサインで紙袋を突き破っていきました。こうして、ちょうど目の位置に二つばかし穴の空いた紙袋が完成しました。


「・・・・・・」


 袋を返却されたノルさんは、今度こそケティさんの意図するところをちゃんと察したみたいですけど、それってすなわち、ファストフード店の紙袋で顔を隠すゲリラになるが良いということな訳でして、わかりやすく戸惑ってました。


 しばしの葛藤ののちノルさんは、おもむろに紙袋を頭上に掲げていったかと思いきや――おもむろにパイルダー・オン。


「意外とイケるわね」


 ウィッグが脱げてからというもの続けてきたハスキーな声から打って変わって、聞きなれた大人の女性の声が帰ってきました。


 あなた別にウィッグでなくとも、頭になにか被ってればそれでいいんですか・・・・・・。


 わたしの打ち立てる仮説がどこまで正しいにせよ、あのウィッグがノルさんの性格を切り替えるためのトリガーとなっているのは間違いなさそうです。あっ、いえちょっと訂正。頭になにか被るとこの人、妖艶な女性に早変わりするみたい。


 二重人格ほど極端なものではないにせよ、変装と言い切るにはちょっと役に入り込みすぎている気がします。


 コケティッシュな大人の女性から、ぶっきらぼうですらあるボーイッシな雰囲気へ。一体、どちらがノルさんの本当の性格なのかしら・・・・・・それはそれとして。


「まあ遠目ならゲリラっぽく見えるでしょ、うん」


「あ、あの、ちょっといいですか!?」


 ツッコミどころ満載の呟きに辛抱たまりかねて、わたしはつい声を張り上げてしまいました。


 色々と気まずさが重なっていたこともあり、ずっと部外者を気取ってきたのですが、流石にこれはあんまりでした。何が遠目ですか、目と鼻の先にWEBカメラ置いといて。


「こういうツッコミ役はですね、本来ならカナメさんとか活力溢れる方がふさわしいのであって!! わたしみたいなインドア派は疲れるからあまりやりたくないんですけども!!」


「誰よカナメさんって?」


「ですがあえて言わせてもらいますっ!!」


 積もり積もったストレスは留まるところを知らず、思いの丈をついついぶちまけてしまった。


「ノルさんあなた、本っっっっ気でその格好でやるつもりなんですか?」


 これからノルさんが揺すろうとしている組織は、数あるカルテルの中でもきっての武闘派と知られる組織なんです。そんな相手を紙袋被りながら脅そうなんて・・・・・・。


 いえ、ゲリラと身元を偽るというのは、悪くないアイデアだとは思いますよ? で・す・が、FARCファークというゲリラの実態に詳しくないわたしでも、紙袋かぶったチャイナドレス姿のマルクス主義者が在籍してないことだけは、ハッキリと断言できますとも。


 しれっとバンダナを顔に巻きつけてるパンク少女もゲリラと言い張るにはかなりアレな見た目でしたけど、凛々しくとも、紙袋にチャイナドレスを装備しているノルさんに、あのしょぼくれたジャングルの背景が組み合わさると・・・・・・もう場末の大道芸人にしか見えなくなる。


「・・・・・・巫山戯ているんですかあなたは」


 我ながら、随分とドスの利いた声が出せたものです。自分でやって驚きました。


 すべてにおいてお粗末な計画。この誘拐計画にチャンスがあるとしたら、単なるそっくりさんに過ぎないわたしをモンドラゴン側がテオフィラさんだと誤認してくれることにすべてが掛かっている。


 だとしても、その周囲のディティールを疎かにしていい訳がありません。すべての要素が合わさって、はじめて嘘は説得力を持ち始めるのですから。


 もしかしたらノルさんは自暴自棄になって、引くに引けなくなっているだけかもしれない。だとしたら、わたしは声を大にして主張したい。時には行動しない勇気も必要なのだと。


 ですが間髪入れず、自信たっぷりにノルさんはこう言い張られました。


「馬鹿にしないで、すべて本気よ」


 巫山戯てはいない、ただ正気を失ってるだけのようです。


「ならもう好きにしてください・・・・・・」


 力なく項垂れたわたしの背後におもむろにノルさんは回り込んで、車イスの要領でキャスター付きのオフィスチェアをころころ押し、WEBカメラの前まで連行していきました。


 バンダナを装着したことからして、最初こそ一緒に出演するつもりだったらしいケティさんでしたが、よくよく考えてみればPCを操作する必要があるじゃないかと今さながらに気づいたらしく、慌ててPCデスクに舞い戻っていく。


 ということは、辱めに遭うのはわたしとノルさんの2人だけみたい。その紙袋、いっそわたしに被せて欲しい・・・・・・。


 ジャングルの壁画を背に、ちょっとカメラ写りを気にして立ち位置を微調整。あとはケティさんからのキューサインを待つばかりといった段になって、また始まりましたよ、あーでもないこーでもないという機材トラブルが。


 ちょっと待て、そう手話で示してきたケティがわちゃわちゃPCを操っていくのを、わたしとノルさんは漫然と眺めていきました。


 このまま人質らしくおとなしくしているか、はたまたこの機会にノルさんとお話するか。


「・・・・・・ちょっと聞いてもいいですか」


「人質は喋らない。それより怯えた顔ぐらいしたらどう? 仮にも人質なんだからさ」


「わたしに怯えて欲しいなら、ああもカッコよく命を助けてきたのは間違いでしたね」


「必要なら指を切り落とすわよ」


「裏を返せば、“必要”でないなら切り落とさないということでしょう? 

 仮にも軍人でしたから、ルールのない暴力のタチの悪さは身に染みて知ってます」


 あの子どもたちが良い証拠。


「協力的なわたしを痛めつけて悦に浸る。あなたはそんなことしないでしょう?

 そもそもいきなり人質を傷つけたりしたら、相手の逆上を誘いかねないもの。お金目当てなら不合理すぎるわ」


「・・・・・・またトチ狂ったこと言ってるわね」


「何がです?」


「そんな可愛い顔した軍人がどこに居るってこと。肝が座ってるのは認めてあげるけど・・・・・・」


「わたし大佐で、戦隊長で、艦長さんだったんですよ?」


「で?」


「はい?」


「聞きたいことってなに?」


「あっ、そうでした。うっかりしてました」


「・・・・・・まったく」


「別に大した話じゃないんです。今さらノルさんの計画を止めたりはしませんけど、モンドラゴン・ファミリアとカリ・カルテルって、永遠のライバル同士のはずですよね? 

 なのにどうしてコンタクトできるのかちょっと不思議で。それもWEBカメラを越しということは、ビデオチャットということでしょう?」


「本当に大したことない話ね」


「だって雑談ですもの」


「・・・・・・昔ね、“旅行代理店”とかいうふざけた通り名をした男をとっ捕まえたことがあるのよ」


「本当に変なあだ名ですね。でもそういうのって、何かしら由来があると思うんですけど」


「ご明察。そいつ、モンドラゴン側の構成員をコロンビアに侵入させる橋渡し役をやってたのよ」


 そういえば、モンドラゴン・ファミリアってコロンビア発祥の組織じゃありませんでしたね。密入国の手助けをする、地元側の協力者ということかしら。


「“消す”のは簡単だけど、上の望みはモンドラゴン側に気づかれないようそれらしい理由をでっち上げたあと、その旅行代理店って奴を誘拐して情報を引き出すことだった。

 そういうテクニカルなやり方は、オレたち兄弟カルナルの専売特許だからね」


「・・・・・・」


 前にもこの単語を耳にしましたが、兄弟カルナルというのはそのままの意味ではなくて、ノルさんと同じような背景を持つシカリオたち共通のコードネーム、みたいなものだったのかしら。


 兄弟カルナルという言葉を口にするときだけは、どこか懐かしさみたいなものが混じってる気がするのです。


「まあ、そういった仕事の副産物ということ。

 ただ大成功からはほど遠い仕事だったけどね。心臓が悪かったらしくて拉致途中にぽっくり死んじゃって、夜中だったからフラッシュを焚く訳にもいかず、カメラも使えなくて。辺りにあったメモを必死で暗記したものよ。

 ただその苦労の甲斐あって、モンドラゴン側は事故死で納得したみたいだけど」


「そのメモの中に連絡先が混じってたんですね」


「そう、モンドラゴン・ファミリアの総本山こと、農場カンポの・・・・・・えーと」


 農場カンポといえば、わたしのそっくりさんことテオフィラさんの写真にもその名前が写り込んでいたものです。


 スペイン語で農場を意味する言葉。それ以外には、特に深い意味はなかったはずですが、わたしにはどうにもカルテルの総本山と、農場という平々凡々とした言葉が結びつかないでいる。


 ですがノルさんは、その点について説明してくれませんでした。彼女が拘っていたのは、連絡先の件。


「えっと、アド、アドれ、えっとメールなんちゃらの・・・・・・」


「もしかして、eメールアドレスのことですか?」


「違う!! もっとこう“さいばー”で、“でじたる”で、“いんたーねっつ”風味な・・・・・・そう!! パソコン通信のアドレス!!」


「ですからeメールアドレスのことですよね?」


「そうそれ、それが言いたかったの。その、インターネット・メールのアドレスがメモに書かれてて」


「ノルさん言っておきますが、インターネットの頭文字はIですよ?」


「・・・・・・」


 ついでに言いますと、eメールのeとは電子メールElectronic mailのeなのだと、わたしは慇懃丁寧に彼女へ説明していきました。するとノルさんの目はどんどん剣呑な色を帯びていきついには、


「・・・・・・ケティ、ダクトテープ」


 なんて、人のくちを物理的に塞ぎだす始末。こうして言論は封殺されていくのですね。


 ミスリル時代には、ホロスクリーンを使って全身を投影しながら会議を行ったりとSFじみたことをしていたので、一周まわってビデオチャットという通信方法は古臭く思えもする。


 ですがウィスパードがもたらした技術のせいで、こういう極端な技術格差はどこにでも見受けられるのです。世間ではやっとビデオチャットが普及してきたかなというタイミングなのでした。


 閑話休題。


 ビデオチャットといえば、声だけでなく表情も映し出してくれる優れもの。誘拐したぞと分かりやすく示すには――とりわけ、わたしがテオフィラさんと似ている以外に特に武器のないノルさんたちにとって、これ以上の選択肢もないでしょう。


 ですがこちらの顔はあのWEBカメラが映してくれるとしても、相手方はどうするつもりなのかしら?


 カルテルの構成員と見つめ合いながら通信する必要性があるのかと問われれば、あまり無いかもしれませんけど・・・・・・このままでは、わたしとノルさんからでは向こうの顔が見れません。


 オペレーターであるケティさんから見えれば十分。そう考えているのかと思いきや、ハッと何かに気づいたらしいパンク少女は、強引にモニターの首を回転させ出したのです。


 デスク上から弾けるゴミ、ピンと引き延ばされるケーブルたち、鳴ってはいけない音をかき鳴らすブラウン管モニター、代償は大きかったですが、それでも180度回転したことによるモニターは、ちょうどこちらから見える位置に来てくれる。


 この通信室にはせっかくたくさんのコンピューターが置かれてるんですから、他のモニターに映像をバイパスするとか、そういう発想は赤毛のあの子にはなかった様子。強引なんですから・・・・・・もう。


 モニターの中では、すでにチャット画面が表示されている。今のところ相手の顔が映し出される予定地には、no signalと淡白な表示だけが浮かんでいました。


 しかし、これまた穴だらけの作戦な気がします。


 ノルさんはうまく処理したと仰ってましたが、経緯はどうあれ旅行代理店という仲介業者が死亡した時点で、モンドラゴン側が慎重でしたから、即座にこの回線を閉鎖するはず。


 ノルさん、事前にちゃんと繋がるかどうか確認したのかしら? いえ、出来るはずがない。もし仮に先方と繋がってしまったら、間違いでしたは通用しないでしょうし。


 ということは、これはぶっつけ本番ということかしら? たぶんモンドラゴン側に繋がるだろうと期待を込めて、とりあえずこのアドレスを試そうとしていると。


 なんともまあ場当たり的な計画です・・・・・・今に始まったことじゃないのが辛いんですが。それほどまでにノルさんたちは、追い詰められている。


 ダクトテープに口を塞がれたままのわたしに、ノルさんが囁きかけてきます。


「・・・・・・もしテオフィラ=モンドラゴンが1人旅の真っ最中で、モンドラゴン側にも行方がわからない状態なら、まだチャンスはあるわ」


 それがどれほどの確率であるのか、言った当人が一番自覚していることでしょう。ですがどのみち、わたしに出来ることはもうありません。


 約束でもあります。わたしはただ流されるがまま、黙って人質役を全うするのみ。


 テレビ局のディレクターさんのように、ケティさんが指でカウントしていきました。人差し指、中指、薬指と順に折り畳まれていく中、ついにマウスがクリックされる。


 どうせ繋がらないだろうと思ってましたから、ONLINEの表示に驚いてしまう。でずか相手側の画面は真っ黒なままでした。


 最初こそ故障を疑いましたが、漆黒の画面の隅からわずかに光が漏れていることからして、テープか何かで向こう側のレンズは封をされてるみたいでした。


 ノイズと聞き間違えそうな雑音ののち、スピーカーから『誰ぇ?』なんて、とっても眠たそうな女性の声が響いてきたのです。




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