EPILOGUE “じゃあ、今日はここまでにしておきましょう”

【“クルツ”――コロンビア南部、ジャングル内】


 夜の森、それもジャングルってやつには、独特の不気味さってもんがある。


 人間の手がまるで及んでない原生林を縫うようにして作られた幹線道路・・・・・・とりあえず地図には、そう書かれてちゃいるが、実態は泥まみれの獣道だった。


 標識もぽつりぽつり目に留まったが、どれも蔦に覆われてジャングルの一部になりつつあった。そこを俺たち、つまりはミスリルUSAの傭兵連中と、道先案内人を仰せつかった憐れな地元の警官ご一行様が進んでいた。


 ルークの野郎は、俺を監視してるつもりなんだろう。ハンヴィーやらパトカー、どでかいASトランスポーターに環境に悪そうな黒煙を吐いてるトラック等々の車列を先導する、オープントップのランドローバーの助手席に俺は、ずっと座らされていた。


 たぶん昔の同僚と話をさせたくないんだろうな。俺たちがテッサ側に傾いて、裏切られるのがよほど怖いらしい。それならミスリルUSAだけじゃねえ、どうしてわざわざ俺なんか使ったのか、意味不明にすぎるが。


 まあ、あのテッサがまさかジャングルに逃げ込むとは、連中も予想外だったってことなんだろう。


 徐々に高地に入っているらしく暑さはそれほどでもないが、湿度のほうは最悪だった。体感だと、水中よりも水っぽい空気。ただでさえ汗まみれの全身を、ベタつく空気が取り巻いてくる。


「あんたら、本当にこの先に行くつもりなのかね?」


 ハンドルを握るルークの野郎は、さっきから衛星電話で誰かと会話しつづけていた。おかげで車列は停止中。俺はダッシュボードに両足をほっぽりだして、不真面目な態度を演じられていたし、そんな俺に向けて車外から、恰幅のいい警察署長が話しかける暇もできていた。


 正直、同情に値する署長さんだと思った。たぶん50がらみだろう、いかにも地元の人間らしいラティーノのおっさん。性格ってのは人相に出てくるもんだが、いかにも人が良さそうなタイプに見える。


 政府の命令とはいえ、真夜中に急きょ部下たちをまとめて、素性の知らない傭兵たちの水先案内をさせられてるんだ。可哀想なんてもんじゃない。


 ただ一介の地方警察なのに古びたガリルSARなんて肩から吊ってるの、お国柄ってやつだな。そんなババを引かされた署長さんは、闇夜に沈んでる道の向こうを見つめていた。


「えらく不安そうだな」


 首筋に張りついてきた何百匹目かの蚊を叩きながら、俺は言った。


「不安にもなるさ。ここらは地元の人間も、普段は絶対に立ち寄らない」


「熊でも出るのか?」


「コロンビアにいる熊は人を食べんよ。肉を貪り食うという点では、熊よりもずっと恐ろしいものが、たくさんひしめいておるがね」


 ああ、だからジャングルは不気味なんだ。ASすらすっぽり覆い隠すほどの巨木が地平線の向こうまで広がっている。生い茂る葉っぱのせいで視界はほぼゼロ。時には、飲み込まれたら一巻の終わりな急流すら覆い隠すレベルだ。


 なのにジャングルってやつには、息づかいが感じられるんだ。あの葉っぱの向こう側に何かが潜んでいる。そんな予感が頭から離れなくなるんだ。


 どうにもここ24時間の出来事のせいで、ムカつきが収まらねえ。だが巻き込まれただけのこのおっちゃんに罪はないんだ。知らずしらず、刺々しい言い草になってたのを反省する。


「悪い・・・・・・今日はちょっと虫の居所が悪くてな」


 年の功ってやつか、白髪が見えだしてるおっちゃんは肩をちょっとすくめるだけで、まるで気にしてない様子だった。


「生まれてこの方ずっとここで暮らしてるがね。若いの、いつだって動物より人間のほうが厄介なものさ」


「ゲリラの縄張りなのか?」


「昔はそうだった」


 昔は? なんだが引っかかる言い草だった。


「お前さん、モンドラゴン・ファミリアとカリ・カルテルとの停戦協定について、知ってるおるよな?」


「コカインの合法化だって騒がれた、例のやつだろ」


「縄張りの中で何をしようとも自由、というのが停戦より的確な表現かもしれんがね。まあ、あの協定のおかげで、殺人件数がずいぶん下がったのは事実だ」


 それと警官の殉職率もな、とおっちゃんは付け加えてから、でっかいマグライトで道の向こうを照らし出す。そこには、完全に錆びついてて存在すら気づかなかった看板が立てられていた。


 棒人間の足元でなにかが破裂してるイラスト。あの意味は、馬鹿でも分かる。


「利益を得るものもいれば、失うものも居るのが世の常さ。ゲリラの変わりに政府は、ここいら一帯をカルテルに引き渡した。そうして追い出される形になったゲリラ共が、置き土産として地雷を置いてったんだよ。それも大量にな」


「だから近づかないのか・・・・・・」


 そういやコロンビアは、世界でもっとも地雷被害が多い国って話だったか。一歩進むだけでも苦労させられるのにそこに地雷もってくりゃ、そりゃ悲惨な結果になるわな。


 日々を生きるだけでも精一杯なのに、どこからともなく現れた外国人に顎で使われる。ますますおっちゃんはじめ、警官たちが可哀想になってきた。


「ASまで持ち込んで、それなりに装備は充実してるみたいだが」


「“アレ”は、充実してるうちに入らないって」


 あのガントリークレーンの残骸の中から、なんと我らがへっぽこ隊長ことクルーガーは、みごと生還を果たしていた。まあ流石に無傷とはいかず、脳震盪で白目向いてたが、とりあえず息はしてた。


 かつての愛機って贔屓目もあるかもしれないが、現代最高のASって異名は伊達じゃない。M9“ガーンズバック”は、搭乗者の命を救っただけじゃなく、工場修理に回さずとも、現地修理できるどうにかなる程度の損害に収まってくれたんだそうだ。


 高度にモジュール化された設計の恩地ってやつだな。そもそもASにとって関節回りは、どれも消耗品だ。四肢の予備パーツの在庫は豊富にあったそうで、あっさり交換作業は終了した。


 クルーガーが生きてるって時点で、胴体部はほぼ無傷なのは明らかなわけでチェックも最小限。そうして再生された、今あのASトランスポーターに横たわってるM9に搭乗してるのは、サンダラプタの奴だった。


 まあ、ここまではいい。むしろ大した設計力だってメーカーを褒めてやりたいぐらいだぜ。だから責めるなら、センサー系の塊である頭部は位置的に滅多に壊れないだろうと、高をくくってた旧ミスリルの補給士官どもだろうな。


「見たことない機体だが、あれはサベージの一種なのかね?」


「うんにゃ、M9とサベージの合体キメラだそうだ」


 むしろどうやったのかと、ミスリルUSAの整備班を問い詰めたいぐらいだぜ。クレーンに押しつぶされちまった純正のM9の頭部の変わりに、なんとやつらは、サベージの頭で代用しやがったんだから。


 もちろんサイズはぜんぜん違う。カエル頭としばしば形容されるサベージと、スラッとした人型のシルエットをしてるM9。ざっと倍ちかく大きさが異なる。


 だから整備班の奴ら、油圧シリンダーでサベージの頭を強引にんだ。


 ガシュガシュ言わせながら、六本のぶっとい油圧シリンダーがうまい具合に頭を傾かせる。可動域はかなり低く、バックで駐車するのは苦労させられそうだが、それでも左右を見ることぐらいはできるらしい。


 部外者として眺めるだけなら、おもわず笑えてくるいいデザインだが、あれに命を預けたいかといえば、絶対にイヤだね俺は。乗りたくもないし、援護されるのすらご免だ。いくらなんでもダサすぎる。


 なんでも西側のソフトウェアでサベージを動かせるよう、イスラエル人が魔改造したOSが出回ってるとかで、あれでちゃんと機能はしてるらしいが・・・・・・だけどな、やっぱ強引なのは明らかだろう。


 M9の強さは、機動力だけじゃない。高度な電子兵装ヴェトロニクスこそが本当の強さの秘訣なんだ。なのにスペックだけ見りゃ、ひと世代前にあたる低性能な頭部センサー・ターレットを無理くり移植したらどうなるか? まずセンサーの80パーセントあまりが死ぬ。


 おそらく・・・・・・この、なんだ? の索敵範囲は、M9の半分にも満たないだろう。弊害はそれだけじゃない。機体を透明化させるECSだって機能していない。


 ジャングルの視認性の悪さを思えば、もうちょっとカモフラージュを施せばどうにかなりそうな気もするが、もちろん隣に立っていても気づかないレベルの偽装なんてのは、もはや望めねえ。


 時間がないから射撃テストも最小限だそうで、いざ実戦になったときちゃんと火器管制FCSが機能するかも分からない。いきなし暴発して、味方を撃ちまくってもまったく驚かないだろうな。


 まあ、ここまで色々と欠点を述べてきたが、やっぱり一番ひどいのは――あのたまらねえデザインの悪さだ。優美なシルエットはどこへやら? 俺は絶対に、あれをM9の一種とは認めないからな。


「そうかね・・・・・・」


 おっちゃんは、不安そうに顔を曇らせた。だよな、あのM9だけの話じゃねえ、ミスリルUSAは全体的にズタボロな有り様だった。


 あの港での戦いからわずか22時間、不眠不休でテッサたちを追いかけてこのジャングルまでたどり着いたんだ。ただでさえ負傷者が続出してたのにこの強行軍で、さらに脱落者が続出していた。


 別にいきなり体力の限界を迎えてバタンキューとか、そういう意味での脱落者じゃない。軍隊ってのは、ようは組織だからな・・・・・・ちゃんと部隊を編成して、それに合わせて補給を用意してやらないと動きたくとも動けなくなる。


 コロンビア政府と折衝の必要があるとかで、あのアンサーとかいうミスリルUSAの新CEOは、ボゴタにある支社にそうそうにお帰りあそばされていた。再編と、地元との橋渡しのためにもう何チームか脱落して、傭兵コンストラクターたちの総数はかなり目減りした。


 とはいえ、不思議なのはむしろテッサたちの方かもしれない。この辺りの事情は、向こうだって似たりよったりのはずなんだから。


 ビーチに座礁していたできの悪い潜水艦からは、点々と大小さまざまな足跡が道路まで続いていた。強盗にしては、えらく申し訳なさげに若い女から謝られたと、不思議そうな顔をずっとしてたバスの運ちゃんは語っていた。そうとも、俺たちよりテッサたちの方がずっと疲弊しているはずなんだ。


 だが本当に妙なのは、ここからだ。いきなりぷっつりと痕跡が途絶えたかと思いきや、俺たちはいきなり数百kmも離れたジャングルまで連れてこられたんだから。


 ルークの野郎は、もちろんご丁寧に経緯を説明してくれたりやしない。市営バスをどれだけ酷使しても、時間的にまずたどり着ける距離じゃないのは明らかなのにだ。


 逃げ込む場所としてジャングルてのは、打ってつけの環境だろう。だがそいつは、あくまで健康な成人ならという前提条件があってこそだ。


 テッサの身体能力は言うにおよはず。一行のほとんどはまさしく女子どもそのもので、残された血痕からして負傷者もいるらしい。そんな奴らが着の身着のままジャングルに逃げ込んだって、死にに行くようなもんだ。


 だが相手は、あのテッサなんだ。何か考えがあるに違いないと、俺は祈るしかできない。


「このまま進んだら危険だぞ?」


「俺だって行きたきゃねーよ。だけどそっちだって、お上の意向ってやつには逆らえないだろ」


「それはまあ、そうだが・・・・・・」


 俺の場合はそこに人質って要素も加わるんだが・・・・・・説明はしても、迷惑がかかるだけだろう。


「実はな、ゲリラはまだ居るんだ」


 おっちゃんがいきなり、前言を撤回した。


「なんだそりゃ? さっきと言ってることがまるきり逆じゃないか」


「厳密には、協定にギリギリ違反しない範囲に陣取ってその、暴れまわっとるんだ。ついでにゲリラと一緒に追い出された民兵もな。他の土地から流れてきた別のゲリラもおるし、民兵の分派と、そのまた分派の分派が、互いに相争ってもいる」


「ちょっと、頭がこんがらがってきたな」


「ああ、政府軍を忘れてた。これも2派閥あってな。組織にカネで買われてる連中と、絶対に賄賂は受け取らないと言い張る愚連隊同然の奴らがいて――」


「いくつ武装勢力がひしめいてんだよ、ここ・・・・・・」


「全部だよ。およそ考えうるコロンビアの武装勢力がこの周囲一帯に集結している。この道の行き着くさきはな、その勢力間に挟まれた空白地帯なんだ」


 なんてとこに逃げ込んでんだよ・・・・・・テッサのことだから、もちろん承知の上なんだろうが、それでもリスキーすぎる選択肢だ。


 まともな指揮官だったら準備不足な上に、こうも情勢が複雑な紛争地帯にいきなり足を踏み入れたりやしない。だがいかんせん場を仕切ってるのはルークの野郎だからなぁ・・・・・・。


 俺にはもうコイツが、ただの狂信者にしか見えなくなっていた。あれだ、教祖様に言われたら平気でてめえの胸を掻っ捌いて、心臓を捧げるようなイカれ野郎。多分、俺がわざわざ扇動しなくとも、いずれ不満が溜まりきったミスリルUSAの連中に、背中から撃たれるに違いない。


 つまりは、それまでコイツに苦労させられるってことになる。たまらないぜ。


「上からは、あんた方の道案内をしろと指示されてる。だけどこれ以上はな、正直・・・・・・火薬庫にたいまつ抱えて飛び込むようなもんだ」


 よく見ると、おっちゃんは小刻みに身体を揺らしていた。完全にビビりきっている。宮仕えの辛さっていうか、逃げられるものならさっさと逃げ出したいという本音が全身からだだ溢れていた。


 おっちゃんだけじゃない。警官たちは、みんな同じ気持ちのようだ。軍服と探検家の合いの子みたいな制服を着込んでる警官たちは、一様にソワソワして落ち着かない感じだった。


「ゲリラに自警団、それと政府軍だろ」


「うん?」


 俺の問いかけに、おっちゃんが声をあげる。


「そういやカルテルはどうしたんだ? 話に出てこなかったが」


 いや出てたっけか? やる気がなさすぎてよく聞いてなかった。だが、印象に残るような語られ方はしてないはずだ。


「・・・・・・」


 俺の質問にえらく気まずそうにおっちゃんが沈黙したせいで、


「ええ、はい」


 運転席に腰掛けているルークが、衛星電話に向けてしてる相槌の声が聞こえてきた。


 南米情勢と同じく、込み入りすぎた勢力図を俺はまだ完全には把握しきれていなかった。だがルークの真のボスはCIAじゃなく、あのアンサーとかいう女個人てのは、確定でいいだろう。


 この電話の相手もまたアンサーで違いない。


「我々だけでも、十分に追跡は可能です」


 どの口で言うんだが・・・・・・呆れるほかない。おっちゃんの言う通りなら、俺たちはこれからピクニック気分で地獄に突入しようとしてるってのに、どこから出てくるかねその自信。


「ただし、支援は必要不可欠かと」


 そう最後に結ぶあたり、実態をしっかり把握しながらも、上司にいい顔するために細部は伏せているようだ。なんだ、こいつも掃いて捨てるほどいるダメ指揮官の一員か。


『・・・・・・ウルズ5より、HQ』


 ランドローバーに設置されていた古めの無線機から、今だに昔のコールサインを使っている、M9もどきに乗ってるサンダラプタの声が響いてきた。


 ルークの野郎をチラリと伺うが、どうにもコイツは出るつもりはないらしい。仕方ねえな・・・・・・ため息をつきつつ、俺はコードが伸びてる無線機を手に取った。


「へいへいこちら、やる気のねえ指揮官様にかわって応答中のウルズ6。どうした?」


『・・・・・・対空レーダーに感あり。所属不明機ボギーが複数、高速で接近中』


 どうも、いつまでもサボタージュに興じてはいられなさそうだった。足を畳んでランドローバーの助手席に座りなおし、雲が出てるせいで暗めなコロンビアの夜空を俺は見上げた。


 とりあえず、まだ機影はおろか飛行音も聞こえないが・・・・・・。


「飛行機か、それともヘリか?」


 M9の高性能なレーダーだったら、わざわざ推測する必要もねえ。なんなら自動的に照合して、コンピューターが推定される機種名を表示してくれる便利機能まである。だが、今のカエル頭なM9にゃ無理な相談だろう。


 乏しい情報から今ごろサンダラプタは、必死に当たりをつけている真っ最中に違いない。


『・・・・・・高度からしてヘリだろうが、推定速度は270kmを越えている』


 270だって? この辺りだけじゃなく、世界的にもスタンダードなヘリコプターであるヒューイUH-1の最高速度が確か、240かそこらだったはず。


『・・・・・・今、300に達した』


 米軍が正式採用してる輸送ヘリ、ブラックホークですら最高速度は300に届かない。ってことは、そこらの輸送ヘリとは格の違うなにかが、こちらに高速で迫ってるわけか。


 兵士の本能ってやつに、自分の思考が切り替わっていくのが感じられた。


「機数は?」


『・・・・・・おそらく2機だ。重なっているから偽像ゴーストの可能性は否定できないが、そうでないならかなりの高速を保ちつつ、上下の編隊を崩さず飛行していることになる。かなりの手練れだぞ』


 緊張感を増していく俺たちの会話に、べつの通信が割り込んできた。


『スクルド2-1からHQ。東側に動きがあった』


「こちらHQ、動きってなんだ? 報告はもっと具体的にしろ」


『放出品のNVスコープじゃこれが限界だ』


『・・・・・・ウルズ5、機体を起こす』


 ランドローバーに備え付けられたサイドミラーの小さな鏡に、ASトランスポーターの荷台から上体を起こしていく、鋼鉄製の巨人の姿が見えた。


 即席修理されたM9がカエル頭を回転させて、車列の周囲一帯をあらゆるセンサーで走査していく。


『・・・・・・ジャングルに熱源を感知。ASが3から4、歩兵フッド・モビール30から40が展開中』


 くそ、叫びたい気持ちを抑えながら俺は、暗闇にとざれた東側のジャングルを睨みつけた。M9が完調だったら、こうまで接近されることもなかったろうが・・・・・・いや、それを差し引いても迂闊すぎた。


 だが、どこの軍隊だ?


「全周防御、いいからみんな車外に出ろ!!」


 俺は指揮官ってタイプじゃないし、柄でもない。だがこうなりゃ、俺が号令をかけるほかなかった。大半は、まだ何がなんだか分かってないだろう。だがそれでも、的にしかならない車両からライフル片手に、ミスリルUSAの傭兵たちが飛び出していく。


 だが立地が最低だ。一本道なうえに、これまでの曲がりくねった道はどこへやら、直線道路がかなり先まで続いてる。もちろん都合よく弾丸から隠れられる遮蔽物なんて、どこにも見当たらなかった。


 こうなりゃジャングルに逃げ込むしかないが・・・・・・装備不足で駆け込むような場所じゃない。木々が弾丸を遮ってくれるだろうが、これが待ち伏せなら地雷が敷設されてても驚かない。


 俺もまたMk12を引っ掴んで、すぐにでも車外に出られる態勢をととのえちゃいたが、ランドローバーに載せられていたのは、固定式の無線機ってのがネックだった。こんなデカいの背負ってはいけない。


 ここでまとめ役まで消えたら、にっちもさっちいかなくなる。それが分かっているから、ヤバい立ち位置にいると知りながらも、俺は残るほかなかった。


 周囲は大騒ぎだってのにルークの野郎は、今だに携帯を耳に当てたまま微動だにしない。


 今の時点で、ASも歩兵の頭数も謎の集団に負けている。警官たちを戦力に入れてもいいが、当人たちには悪いがあの動揺ぷりからして、どうにも人数分の働きは期待できそうもない。


 泥道に匍匐姿勢をとって、つぎつぎに布陣していくミスリルUSA。車のヘッドライトを消させるべきか悩む。暗視装置が普及してないからだ。1人1台なんて夢のまた夢だそうで、持ってるのは指揮官クラスだけだ。


 明かりを消せば、狙われづらくなる分だけこちらも狙いづらくなる。ああクソ・・・・・・ほんとテッサはよくやってな。たった数十人でも頭が痛くなってくるのに、同時に数百人を世話するだけじゃなく、テッサときたら潜水艦まで動かしてたんだから。


『どうなってる? 無防備な女を捕まえるだけじゃなかったのか?』


 通信に乱入してきた、名も知らないミスリルUSAの傭兵。泣き言とは情けねえが、その言い分には頷けるとこもある。逃亡中のテッサにこんな大兵力を用意できるはずがない。相手はどこのどいつだ?


『・・・・・・ウルズ5から、HQ。敵勢力さらに増大。新たにASが3機、歩兵20名が西から接近中』


 挟み撃ちかクソッ!! どうしたもんか。とにかくこの場を凌がねえと、他の問題もどうにもならない。


 今やこの世で頼りたくない男ナンバーワンに躍り出ているが、ここまで俺たちを連れてきたのは、誰あろうルークの野郎だ。だから俺は、どうするのかと野郎を問い詰めることにした。


「おい!! いい加減に!!」


 だがルークの野郎は、俺に答える代わりに無言で運転席のスイッチを弄った。


 ハイビームになったランドローバーのヘッドライトが煌々と、泥道のはるか向こう側まで眩しいほどに照らし出す。そこには――いつの間にか1人の男が立っていた。


 まあ、この時点でも十分に異様な話さ。深夜のジャングルを男がぽてぽて歩いてる。それがバスローブ姿となりゃあ、もはや怪談の域に達していた。


 異様な風体の男だった。体格だけを見れば、40代後半ほどにしてはよく鍛えられている。いかにもな軍人タイプのラテン系の男・・・・・・だが何とも悪趣味なことに、その首からは無数の認識票ドックタグがぶら下げられていた。


 普通は2枚でワンセット。なのに奴の場合は、軽く数十人分はネックレスの鎖に通していた。


 ゆっくりと男は、俺たちが乗るランドローバーのほうに歩み寄ってきた。一歩進むごとにラフに羽織られた、高級そうなバスローブに泥はねが付着していく。


 こちとら武装している傭兵と警官の御一同さまだ。まともな神経をしてる奴だったら怯えて避けるばかりだろうに、奴は堂々と目と鼻の先まで近づいてきやがった。


 まあ、あんな格好をしてる奴がまともな神経をしてるはずもないが、近づいてきたことで、奴の顔を仔細に観察できるようなった俺は、奴がそこらの狂人とは格が違うと認めるほかなかった。


「・・・・・・神よ救いたまえケ・ディオス・メ・アユダ


 おっちゃんの祈りが俺の耳にとどく。無神論者の俺もこの時ばかりは、まったくの同感だった。男は――まるでホオジロザメのように真っ黒で、底の知れない怪物じみた目つきをしていた。


 ついにランドローバーまでたどり着いた男は、そこで歩みを止めたりしなかった。呆気に取られる俺を捨ておいて、まずバンパーを踏み台にしたかと思いきや、そのままボンネットに仁王立ちして、文字通りに俺たちを見下ろしてきやがったんだ。


 しばし沈黙を保っていたルークだったが、愛用のパナマ帽をまるで敬意を示すようにうやうやしく胸へ当てながら、そのまま運転席で立ち上がる。それで多少は高さを稼いじゃいたが、それでも裂けた頬に絆創膏を貼り付けてるCIAマンは、見上げる側のままだった。


 先に口を開いたのは、ルークの方だった。


「お初にお目にかかります、ドン・ハイメ」


 ドン・ハイメ・・・・・・ってまさか、こいつがあのハイメ=モンドラゴンか? 


 カルテルの軍事組織化なんて推し進めて、武力だけを頼りに中南米全域を暴れまをった狂人中の狂人。世界的なパブリック・エネミー・ナンバーワンが、どうしてこんなところをひょこひょこ歩いてやがるんだ。


「ここが、誰の土地か知ってるか?」


 素っ頓狂にもほどがある格好をしてるハイメ=モンドラゴンだったが、意外にもその声は厳粛で、落ちついた教養を感じさせられるものだった。


「厳密には、ここはコロンビア政府の管轄下にあります」


 一歩も引かない勇敢さってより、ひどく事務的って例えがしっくりくる口調でルークが会話に応じていく。だがそんな答えを麻薬王は鼻で笑い飛ばした。


「なるほど、スーツの男たちがサインをすれば、どこへ立ち入ろうとも自由というわけか」


「ご覧のように、それなりの備えはしてきたつもりです」


 ハイメ=モンドラゴンが目を細めて、ルークの背後にいる傭兵と警官の連合軍を見やり、それから不敵に口を歪めた。


「どうも役に立つのは、半分だけのようだがな」


 俺は最初、それは警官たちを小馬鹿にしたのだとばかり思っていた。だが大間違いだった。気づかれないように腰元から引き抜いていたハイパワーの銃口を向ける暇すらなかった。カチリと、撃鉄が耳元で鳴らされる。


 どこもかしこも俺と同じような戸惑った顔をして、銃を向け合う男たちに溢れていた。


「悪いな、若いの」


 古ぼけたリボルバーを俺のこめかみに当てながら、おっちゃんは申し訳なさそうに言う。


「あんたらは、終わったら自分の国に帰ればそれで済む。だが私らはな、これからもこの土地で暮らしていくんだ・・・・・・」


 カネで買われた軍隊と、そうでない軍隊。どうりでカルテルと警察の話を、おっちゃんはボカしたわけだ。ミスリルUSAの傭兵連中と警官隊は、互いに銃を突きつけあって一色触発の状態になっていた。


 はなっから買収されてたのか、だが責める気は起きなかった。どう見てもおっちゃんは、金目当てって顔つきじゃなかった。生きていくためには、手段を選んでなんかいられない。そういう境遇の連中をこれまでも大勢見てきたからな。


 俺は握りしめたFNハイパワーをゆっくりダッシュボードに置いて、両手を掲げていった。


「いや・・・・・・気持ちはわかるよ」


 自分の立場とさして違いがないだろう警官たちに、俺は同情すら抱いていた。


 傭兵稼業に国境はねえ。南米にだって潜っていたことがある。だから知ってるんだ、カルテルは警官だけじゃなくその家族まで平気で標的にする。だが信念を曲げてカネを受け取れば、良いことずくめの毎日が待っている。安月給じゃとても手が届かないものも手に入るし、家族に楽をさせられる。


 まだかろうじて膠着状態と呼べる状況だったが、それすらもあっさり崩れ去る。サンダラプタの奴が警告した通り、ジャングルからは続々と、完全武装の男たちが姿を表してきた。


 なんとも不気味な奴らだった・・・・・・噂には聞いてたが、米軍の精鋭部隊と同等の最新装備を着込んでおきながら、奴らはそろってハロウィンマスクなんて被り物をしていた。


 狼男に吸血鬼チュパカブラ、ジャガー頭にニワトリ面。夜の闇もあいまってその不気味さときたら、三割増しになっている。間違いねえ、あれが噂の護衛隊エスコルタってやつか。


 プロの格闘家と同じさ。立ち振る舞いからして、格が違うと一目でわかる。奴らは、明らかに見掛け倒しじゃない。


 続いて、ジャングルの木々を踏み荒らしながらASの巨体が、大量に姿を表してきた。


 多種多様なモデルを奴らはとり揃えていた。お定まりのサベージにM6、それからちょっと変わり種なミストラル2の姿もうかがえる。だが敵味方の識別のためでも、あのペイントはちょっとどうかと思ったが。戦化粧のつもりか知らないが、機体にはLAロサンゼルスの街角で見かけるような、いかにもラティーノらしい紋様が施されていた。


 これら全てが、ドン・ハイメの配下であるらしい。


 もう詰みだ。というかジャングルに入るまえから、勝負は決まってたろう。明らかに俺たちの生殺与奪は、ドン・ハイメに握られている。なのにルークの野郎はまだ平然とした面を崩そうとしない。


 俺にはそれが、勇敢なのか馬鹿なのか違いは分からなかった。


「あなたが匿っているのですか?」


「誰を?」


「ご存じのはず。奥方によく似た容姿をしてる、あの娘をです」


 関心のない風に、ドン・ハイメが言った。


「ああ、あれか・・・・・・」


 誰かが唾を飲み込む音すら聞こえる。いや、これは俺が飲み込んだのか? この得体の知れなさじゃ同等レベルな男たちは、ここにいる数十人の命を握ってる。


「知っておいてもらいたいのですが、我々はインタポールの要請に従い、コロンビア政府からの正式な許可を得たうえで捜査活動を行なっています」


「小娘を追いかけるにしては、大袈裟すぎる陣容に見えるがな」


「正直、足りないぐらいです。まさかあなたに庇護を求めるとは」


「要点を言え」


 ルークが、周りが慌てて銃口を向けてくるのもお構いなしに、懐から一枚の書類を取り出した。それをドン・ハイメにも見えやすいように広げていく。


「もし我々の捜査活動を妨害するのであれば、これはコロンビア政府を仲介役として結ばれた、停戦協定に違反する行為になります。

 私はじめ、この場にいる全員が政府の庇護下にある。1人でも傷付けば、協定は即座に破棄される」


「俺がなぜ、あの停戦協定を結んだと?」


「いえ」


「ハネムーンの邪魔をされたくなかったからだ」


 ドン・ハイメは、近くにいた若い警官に銃をよこすよう手で合図した。戸惑っているようだったが、おっちゃんが無言で頷くと、45口径のハンドガンを麻薬王に手渡していく。


 その銃でドン・ハイメは、そのまま若い警官の頭を無造作に撃ち抜いた。


 銃声よりも、その後のドサって身体が倒れていく音と、虫の鳴き声がいやに耳につく。周囲の誰もがその行為に絶句していた。賄賂で買収してるとはいえ、相手は仮にも警官だ。停戦協定の詳細な文面は知らないが、どう考えたって認められてる行為じゃないだろう。


 だがこの麻薬王は、顔色ひとつ変えない。撃ったばかりのハンドガンの薬室を開いて、そこに口に咥えたタバコを差し込んでいく。撃ったばかりで加熱してる薬室はライター代わりとしても使えるようで、白い煙がすぐさま立ち昇っていった。


「それで、何か変わったか?」


 美味そうに煙を吸い込みながら、わざとらしくドン・ハイメが周囲を眺め渡す。


「協定は破棄されたぞ、戦争は再開された。これで気兼ねなく、街という街を焼き払える」


 イカれてやがる・・・・・・その言葉を俺は、必死に心の中だけに押し留めていた。まともな人間は、その場のノリで戦争を始めたりしない。


 ルークはしばし考えるように目を伏せてから、言葉を発していった。


「ただ奥方に似てるだけ、なんの縁もゆかりもない小娘のために、10年を費やした停戦協定をドブに捨てるので?」


「まったくだな」


 平然と麻薬王はそう言い放つ一方で、俺の耳には、空気を切りさくローター音が聞こえだしていた。


 独特な重々しいその羽音には、聞き覚えがある。世界中の戦場でなんどこの音を聞かされてきたことか。


 上下に組まれた編隊ってあたりで、怪しんじゃいたが・・・・・・案の定、ロシアが誇るガンシップが俺たちの頭上に姿をあらわした。ドデカい図体をしてるくせして速度の国際記録をいくつも持っている空飛ぶ要塞、Mi-24“ハインド”が、泥道のうえにホバリングしながら着陸していく。


「だがあれは妻の客人、すなわち俺の客だ」


「古い習わしですね、客人は遇するべし。同じことをスペインから訪れた招かれざる客たちにして、インカ帝国は滅びの道を歩んだというのに」


「アメリカ人は嫌いだ。賢ぶってるだけで、浅はかな連中ばかりだ――だが貴様は、生かしておいてやろう」


 咥えていたタバコを手に持ってから、ピンとドン・ハイメはルークに向かって指で弾き飛ばした。ルークの胸元でまだ火が灯っているタバコがはじけ、すぐさま地面に消えていく。


「顔は覚えた。お前の後任が有能だったら、殺すのが面倒になる・・・・・・無能な敵に勝る味方もいない」


 護衛隊エスコルタのマスク男たちが、次々にミスリルUSAの車のタイヤをを撃ち抜いていった。銃声が鳴るたびに、傭兵の誰かしらが激発して銃撃戦がはじまるかと俺は気が気じゃなかったが、そんなことになればよくて皆殺し、下手すれば捕まって死ぬまで拷問されるのがオチだ。


 ドン・ハイメの言う通り、麻薬王はこの場は見逃してくれるつもりらしい。巻き込まれただけの俺でも、ちょっとは屈辱を感じてたが、こんなとこで死んだらメリッサに悪い。だから黙って彫像のフリを続けるしかなかった。


 作戦行動中はふつう翼端なんて灯さないもんだが、いわゆる示威行為って奴だろうな。着陸した相方を援護するためか、低空飛行NOEで接近してきたハインドの片割れが、さっきから俺たちの頭上をくるくる旋回していた。


 ダウンウォッシュで巻き上げられた葉っぱや小石が、顔に叩きつけてくる空気圧と一緒に、さっきからそこら中を吹き荒れている。


「ここは、カルテル・ランドだ」


 そうドン・ハイメは、俺たちに宣言した。いや、この土地の王がかな?


「誰であろうとこの土地に踏み入るつもりなら、我が一族ファミリアがお相手つかまつろう」


 それからドン・ハイメは、ランドローバーのボンネットから飛び降り、堂々と帰りの足らしい着陸したハインドのもとへ歩み去っていく。援護のためにボスのもとに駆けつけた護衛隊の幾人かがその背を、器用に後ろ歩きでこちらにライフルを向けつつ守護していく。

 

 1日の実戦は、1年の訓練に勝るとはよく言ったもんだぜ・・・・・・俺もその口だからわかる。寝ても覚めても南米中で麻薬戦争を繰り広げてきた護衛隊エスコルタの奴らは、かなりの練度を誇っているようだ。


 そんな連中に盲目的に従われるほど、ドン・ハイメはカリスマってやつに満ち溢れているらしい。その点については、完敗を期した俺としては、認めるほかない。


 現れたときと同様に、帰りもまた鮮やかなものだった。ドン・ハイメを乗せたハインドが飛び立った途端、ほんの一瞬前まで俺たちを囲んでいた護衛隊エスコルタは、嘘のようにその姿を消していた。


 遠ざかっていくローター音を聞きながら、俺は麻薬王の手でどこかに匿われているに違いないテッサに、心のなかで呟かずにいられなかった。

 

 おいテッサ・・・・・・よりにもよって、なんて所に逃げ込んだんだと。





《三者三様のプロローグ・END》 



 





 









 

 



 


 


 


 


 


 






























































【“過去”――MSCトラソルテオトル、“ママ”の私室】


「じゃあ、今日はここまでにしておきましょう」


 幾本ものロウソクが、柔らかい炎を揺らめかせていた。狭い船室を照らしきるには、まったくの役者不足だけれど、祭壇に供えられたサンタ・ムエルテ尊顔と、この私を囲んでいる同じ顔をした子どもたち照らすぐらいなら、十分すぎるほどの明るさがあった。


 今日でこの勉強会がはじまって160日目になる。KGB謹製の工作船に揺られながらでも、人は学ぶことができる。数学、社会学、言語学、諜報技術、そして歴史。私がこれまでの人生で培ってきたすべての知識を教え込んでいく。


 だけど今日は、少しばかり早く切り上げることにした。なぜなら熊のような、そんな形容詞がこれ以上なく似合う大男が、腕を組んでこちらを睨みつけていたのだから。


「また明日」


 わたしがそう言うと、8つの小さな影が一斉に席を立っていく。


 普通の生徒のようにノートと筆記用具を手にしてはいるけれど、あの子たちは、普通とは異なる才能を生まれつきもっていた。私自身、ずいぶんと驚かされた。互いに得意教科を分担して、のちにその知識を頭の中へ


 国防省の自称、特殊能力部隊に見せてあげたいものね。本物のテレパシーを扱えるだけじゃなく、その応用まですでにこなしているなんて。この学習速度だと、遠からず、教えることが無くなってしまう事でしょう。


「ミハイル、あまり邪魔をして欲しくはなかったわね」


 自分の横をすり抜けていく子どもたち。その姿が各々にあてがわられた船室に消えていくのを見守ってから、元ソ連の特殊工作員が口を開いた。


「情報が入れば、別だ。そう言ってたのはアンタだろう」


 教科書を戸棚にしまいながら、ミハイルのまるで心のこもってない言葉に耳を傾けていく。


「洗脳の邪魔をして悪かった」


「ただの授業よ」


魔女ヴェージマの授業か」


「ずいぶんと悪し様に言うのね」


 ミハイルは、嫌悪たっぷりに鼻を鳴らした。


「あんな不気味な骸骨を飾り立てておいて、どんな言い訳をするつもりだ?」


「親は子に教えを説くものよ」


「俺の部下にはどうだ? ん?」


 彼の不服は、理解できる。困りものだけど、今はまだ彼の力が必要だった。


 いずれは、手足のように扱える実働部隊が欲しいところだけど、それほどの集団を一から揃えるとなると時間がかかる。だから宥めすかせるしかない。


「なんの話?」


「半分は、これまで通りだ。祖国に忠誠を誓ったホンモノの兵士たちのままだ」


「良いことね」


「貴様にぬれぎぬを着せられ、愛しい家族が地下牢ルビャンカに放り込まれてしまった、怒れる男たちさ」


「退路を断って、従わざるおえない状況に相手を追い込む。スパイのテクニックの初歩よ。私の手腕をずっとそばで目にしてきたはずなのに、いざ自分がその対象となると気づかない」


「ご高説は結構だ。あんたを殺したくなる」


「私が死ねば、ソ連に囚われているご家族を救う手立てがなくなるわよ?」


 ミハイルほど、ソ連の理想像を体現している存在もない。部下には公正で、上官には忠誠を尽くし、家族を愛する。そういう男がこんなダーティーワークに手を染めているのは、少しばかり滑稽ではある。


 裏切り者たちを始末するとき、一体どんなことを考えているのか? 命乞いをする相手の首を絞めて、その目が充血していくさまを見つめてなお、祖国に疑いをもたずにいられるのか?


 真面目な人間というのは、あるいは自分に嘘をつくのに長けている者を指すのかもしれない。


 まさに苦虫を噛み潰すように、ミハイルが私を睨みつけてきた。


「そろそろ残りの半分の話をしない?」


 私がそう言うと、ミハイルは急に押し黙った。


「気がしれんよ」


 極北から、はるか南米まで訪れてきた大男が言う。


「奴は、アフガンで受勲した本物の戦士だ」


。死者は、過去形で表現すべきよ」


「一体どうやって・・・・・・」


 部下の死に様を思い出しているのでしょう、大男は困惑しているようだった。


「あのDr.ヴァロフが、どうでもいい女の卵子なんて欲すると思う?」


「その博士のことは名前しか知らない。あの実験にしても、必要最低限のブリーフィングを受けただけだ」


 でしょうね。本来、KGBが私たちに与えられた任務は、あの実験のすべてを闇に葬ることにあったのだから。必要最低限の概略以外は、ミハイルはもちろんその部下たちも知りはしない。


 いえ、もはやあの街で何があったのか、すべてを知っているのはもはや私しか残っていないのかもしれない。


「あの街で行われていたのは、端的にいえば未来予知の研究よ」


「それで魔女ヴェージマの助けが必要になったのか」


「まだ疑っているの?」


「自称、予知能力ができる魔女に他になんて言えばいい。崇め奉れとでも?」


「アフガニスタンにおける作戦行動にて、栄誉勲章2級を授与されたボチャルニコフ伍長ならこう言うでしょうね。“この女は、正しかった”」


「・・・・・・」


 私は知っていた。いつものように、予知夢である兵士の死を目撃した。


 残念ながら私の予知夢は、いつも自分の目を通した一人称の視点でしか見られない。何時何分、ものによっては日付どころか年号すらあやふやなことも多い。


 だからいつも神経を研ぎ澄ましている。ヒントになるものは、決して見逃さない。


 心ならずとも祖国を裏切ることを強いられた、特殊部隊の兵士たち。彼らが反意を抱くのは、ある種の必然だった。だから演技をする必要があったの。


 どうやって死ぬのかを告げる。理想をいえば、私の能力に疑念を懐き、それを公然と語っているものが望ましい。その点でいえば、ボチャルニコフ伍長は理想的な存在だった。


 自分の死に様を笑い飛ばしていた男が、一字一句まさしく言われたとおりに死んでいく。私は、ボチャルニコフ伍長の死を看取った。その瞳に最後に表れていたのは、驚愕だった。


「死は絶対で、誰にとっても不可避なものだわ。どれほど優れた兵士だろうとも、自分の終焉を教えられたら、心変わりをするものよ」


「だが予言だとか、その手の与太話が真実ならば・・・・・・」


「まだ疑うつもり?」


「避けることも出来たはずだ。どうして伍長を救わなかった」


「死は、不可避だと言ったでしょう」


 ミハイルの言い分は、もっともだった。誰しもより良い未来を求めるものなのだから。


「だけどそれは、不可能なのよ」


「どうして?」


「試したから。何度も、何度も、何度もね」


 そう、もし運命に逆らうことが人間に可能であったなら、私も――娘たちもこの船には乗っていなかったでしょう。


「私が初めて見た、夢の話をしましょう。私が見る夢は、大抵は一度きりのものなの。だけどあれだけは、特別。これまで数え切れないほど繰り返し、見せられてきた」


「どんな夢だ?」


「自分が死ぬ夢よ」


 私は、そう言いながら祭壇にゆっくり手を添えた。


「まさしくこの部屋でね」


「・・・・・・」


 半信半疑という風を装っていたけれど、ミハイルだってもうとっくに理解しているはずだった。ただ信じようとしていないだけで。


「船に乗り込み、この部屋の姿を目にした途端、私は自分の運命がここで完結すると知ったの」


「だから子どもに思想教育なんて施してるのか? “驕れる者は、自らを王だと思い違える”だと? 自分の死後、計画の後釜に据えるために」


「この能力の救いはね、自分が死んだあとの未来は見れないことよ。娘たちや、息子が死ぬところを目にせずに済んだ」


?」


「ええ――私はこの部屋で、息子の手にかかって死ぬ」


 人には、誰しも生きる理由がある。その理論が正しいのなら私の人生のテーマは、常に“死”であったに違いない。5歳の誕生日を迎えたときからずっと、私は自分の死に様と向き合って生きてきたのだから。


 だからどうしようもなく、生まれ故郷とはほど遠い土地なのに、南米という世界に魅せられているのだろう。死を受け入れ、文化として組み込んできたこの世界に。


「良いニュースでしょ? とりあえず10ヶ月前後はまだ生きられる。成人している様子だから、もっとかもね」


「イカれた話だ・・・・・・」


「私を魔女と呼び、あなたの部下の半数がひれ伏すには十分なお話でしょ? それで、こんな話をするために授業を切り上げさせたのミハイル?」


 部屋の隅で吊り下げられている鳥籠の中から、物音が聞こえた。ゆっくりとメキシコで見つけた、古いアンティーク調の鳥籠へ近寄っていくと、深緑色の羽に覆われたインコがくるくると頭を振って、何も知らない純真な瞳でこちらを見つめてきた。


 そう言えば・・・・・・この子の名前は、なんと呼んでいただろうか? 


「・・・・・・あの音が聞こえて?」


 急に耳の奥から、サイレンのような尾を引く大音響が聞こえてきた。


 耳にうるさいほどなのに、不思議といま立っている空間の音が聞こえなくなったりしない。鳥が跳ね回り、与えられたばかりの餌をついばむ音と同時に、確かに警報が聞こえてくるのだ。


 船で何があったのかとも思ったけれど、ミハイルはまるで気づいていない。いえ、無反応というのが正確でしょう。このサイレンが聞こえているのは、どうやら私たちだけのようだった。


「あんたの置き土産が、ちゃんと機能したようだ」


「えっ?」


 ミハイルが机に放っていった写真を、注視する。最初は苦労したけれど・・・・・・集中して見つめていくと、あのサイレンも徐々に消えていった。


 そうだ、私の記憶では、あんな音は聞こえていなかった。だから聞こえるのは、間違っている。私は、首が折れて死んでいるインコを隠すように、黒い布地の覆いを被せてから、ミハイルが放った写真を見つめた。


「メキシコ大使館に仕掛けた盗聴器からの情報?」


 我ながら驚くほどに、平静そのものな声を出せていた。あの幻聴についてもう忘れていた。


「他にあるとでも?」


「この写真は、どこで撮影したの?」


「コロンビアだ。先乗りした部下が撮影した。どうやら古い友人の伝手を頼って、はるか南米まで落ち延びたらしい」


 私は、ゆっくり遠くから盗撮されたに違いない写真のなかに写る人物へと、指を這わせていった。


「間違いないわ――Dr.フランケンシュタインよ」


 どうやら住み慣れたメキシコ湾を離れるときがきたようね。今さら躊躇する理由もない。だって私の運命は、生まれたときからすでに定められていたのだから。




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