XⅥ “あなたなら選択できる?”

【“クルツ”――埠頭、コンテナヤード上】


「わざと外したのか?」


 我が相棒様からの疑惑の声に、俺は伏射姿勢のまま面だけ上げて、うんざりした顔で答えていった。


「支給されたばっかでまともに照準調整ゼロインもしてないライフル。挙句、5.56mmなんて風にあっさり流されちまう小口径で、女の脚のあいだを縫うようにカウンタースナイプを決めてやったんだぜ。なにが不満だ?」


「死体を引きずってる動きじゃなかった」


 だろうな。そうなるよう仕向けたんだから。


 ベトナム戦争の頃、こんな話があったんだそうだ。自分に狙いを定めてきた狙撃手を、相手のスコープの反射光だけを頼りに返り討ちにしてやったていう、天才スナイパーの逸話が。


 数百メートル先から放たれた弾丸は、狙いすましたかのようにそのスコープへと飛び込んでいって、呑気に覗いていた敵のスナイパーの脳天をも撃ち抜いた。ただこの話の肝は、何枚ものレンズが複雑に仕込まれている高倍率スコープてのは、貫通するのがひどく難しいって点にある。


 70年代の脆いレンズを、それも俺が使ってるMk12よりも大きな口径をつかってやっとの思いで貫通したんだ。それをホロサイトとマグニファイアのタンデムって2倍のレンズ量で再現してやらあ、まあ結果はご覧のとおりだ。


 失明してなきゃいいが・・・・・・スコープ越しからでも分かるラテン美女っぷりは、あの時のチャイナドレスと同一人物とみて間違いない。俺からしたら知り合いの知り合いに過ぎないが、それでもあのテッサが信頼してる相手のようだし、失明はもちろん死んで欲しくもない。


 着弾の瞬間、派手に火花が上がってくれたから、俺がわざと外したなんて普通は思わない。だってのに、これだから猜疑心まみれのイカれ野郎は嫌いだ。


「疑うならどうぞ、ライフルは譲ってやる。今度チャンスがきたらテメエでやるこったな」


 Mk12をコンテナの屋根に置き去りにしたまま立ち上がり、これ見よがしに肩を回してリラックスしてやった。


 自分の腕を過信しちゃいないが、実際問題としてこの距離から、それもミリ単位しか離れてない女を傷つけないように標的だけを狙えなんて、並の狙撃手にできる芸当じゃない。


 俺の狙撃の腕前は、良くも悪くもコイツに買われているらしい。何を考えているのかわからないルークの野郎はそれ以上、追求してきたりはしなかった。


『スクルド8-1より、本部HQ


 奴が握りしめている無線機ががなり立てはじめた。


「お呼びだぜ? 新指揮官殿?」


 皮肉げにそう言ってやると、俺の忠誠心についての疑惑は一旦置いといて、ミスリルUSAの問題を優先するつもりになったらしい。ルークが無線機の送信ボタンを押す。


「こちらHQ」


 やっこさんがそう答えると、無線機の向こう側から聞こえる声は、まるで不満を隠さないスペイン語訛りで言い募る。


『先ほどの攻撃はなんだ?』


「敵の火砲を無力化しただけだ」


『無力化だと? こっちは左舷側に取り付いて、今まさに登ろうとしていた真っ最中だったんだぞッ!?』


 ごもっとも。スクルド8-1の顔も名前も知らないが、こいつは正当な抗議ってもんだろう。誰だって死ぬのは嫌だろうが、それが味方のせいなら、ますます死んでも死にきれない。


「作戦続行は可能か」


 だってのに、ルークの野郎は完全に無視する腹づもりのようだった。


クソ野郎めイホ・デ・プータ・・・・・・』


 こりゃ切り忘れたって体でわざと聞かせたな。現場はかなりフラストレーションが溜まっていそうだ。


 ま、当然ちゃあ当然か。いきなり指揮権をどこぞの新参者に奪われた挙げ句、そいつは人を人とも思わない外道野郎なんだから。俺がやらなくとも、いずれ背中から撃たれそうだ。


『コンテナ船を焼け野原にされては、作戦続行は不可能だ。一時的にボートに退避している』


「ボクは、損害の有無を聞いている」


『はぁ・・・・・・主はどうやら俺たちの味方のようだな。軽傷者が数名、チームそのものは無傷に等しい』


「それは知ってる――神はいつだって、ボクらを見守っている」


 会話が成り立ってるんだか、いないんだが。なんていうかコイツ・・・・・・狂信者じみた雰囲気がある。軍人よりカルト教団のメンバーってほうが似合いそうだ。


 スクルド8-1も不気味なもんを感じたのか、以前ほど反抗的な態度じゃなく、おそるおそるという感じで尋ねてきた。


『で・・・・・・我々は、これからどうすればいい?』


「船尾に回れ。そちらは爆撃の被害を受けていない」


『もう試した。敵に待ち伏せされた挙句、クレイモアで封鎖されちまったそうだ』


「そちらは、フェイス・レスで対処する」


 ルークが目配せすると、あの奇っ怪な鳥籠に擬態していたヘッドギアを被る、ミスリルUSAの新CEOだとかいうアンサーって女が頷いた。


 偽装にしてもあのデザインを選んだ理由が分からねえ。ついでに言えば、あのヘッドギアだけでASの操られる理屈もだが・・・・・・とにかく、コンテナの上に仁王立ちしていた無貌の巨人が急に動き出した。


 目指す先は、コンテナ船の船尾に違いない。


「突破口を確保したのち、船内に突入しろ。ただし交戦規定ROEは厳に守られたし」


了解ラジャー、“女は傷つけるな”ね・・・・・・待てウェイト、HQそのまま待機しろ』


 無線が切られる寸前、スクルド8-1の背後で部下らしき男がバルブがどうのと叫んでいた。嫌な予感がして、俺はMk12を引っ掴んでラフな感じにストックを肩に載せてから、双眼鏡を覗く要領でスコープへと目を通していった。


 一見すると何の変化もない。さっきのミサイル攻撃でところどころ炎上しているただのコンテナ船。だがどうにも違和感があった。


 俺と違ってあの船の足元でわちゃわちゃしているスクルド8-1は、正確に事態を把握していた。


『スクルド8-1より、HQ。コンテナ船がすごい勢いで海水を飲み込みはじめた。おそらくバラストタンクに急速注水しているものと思われる』


「こっちでも見えてるぜ」


 スコープを覗きつつ、俺は見たままを報告した。


「船の喫水線が下がりはじめた・・・・・・まさか自沈するつもりか?」


 そんな柄じゃないだろテッサ? 性格的にありえないと分かっちゃいたが、他に考えようのない状況で、つい不安が募った。


 すると例のアンティーク品みたいな見た目をした珍妙なヘッドギアを被りながらアンサーって女が、こっちの会話に口を挟んできた。


「それは物理的に不可能です。

 この港は、大型船がとおれる程度には深く、それでいてマリアナ海溝とは比べ物にならないほどに浅い。完全に沈んだとしてもせいぜい、甲板が水を被る程度でしょう――ですが、相手はあのテレサ=テスタロッサ。何らかの意図があると見るべきですね」


 おいおい・・・・・・自分から麻薬王の妻を拉致りにきたって建前カバーストーリーを放り捨てるのかよ。あの態度からして、単なるポカじゃなさそうだ。


 俺みたいに家族を盾にしなくとも、そもそも傭兵稼業なんてしてる奴が順風満帆な人生を送っているはずがない。ここを追い出されたら路頭に迷うやつが大半だろう。弱みといえば、それだって立派な弱みだろうさ。


 そうだ、本当の意味でこの場を仕切ってるのはルークじゃなくこの女だ。誰もが黙りこくり、女のつぎの言葉を待っていた。


「Mr.ルーク、これはおそらく脱出のための布石だと考えられます。そういった前提のうえで、どのような手段が考えられますか?」


 飼い慣らされた犬のようにルークは、キビキビとその質問に答えていった。


「船内に水が入ってくれば、こちらは兵を引くしかありません」


「道理ですね」


「つまり相手からすれば、時間を稼げるということです。ただ手をこまねいていれば、自分たちも巻き込まれてしまう」


「問題は何のために時間を稼いでいるか・・・・・・ですか」


「しいて可能性を挙げるなら、船尾にある救命艇が候補になるでしょう。ですが周囲は完全に包囲されています。埠頭は言わずもなが、洋上もボートがひしめいている」


「その状況下では、速度の出ない救命艇で脱出を図るとは考えづらい。ですがまさか、泳いで逃げるつもりではないでしょう?」


「いえ、ありうるかもしれません。今朝起きたビューティフル・ワールド号の爆破事件。あれは、どうも水中工作によるものだったそうですから、ダイビング・ギアは所持してるはず」


「上からではなく、下から逃げようとしている・・・・・・それなら喫水線を下げる意味づけにもなりますか。ですが子どもが大勢混じっているのに、そこまでリスキーな手を彼女が取るとは・・・・・・ふむ」


 無国籍風の奇妙な女が、自分の顎に手を当ててしばし考え込んでいた。


「ビューティフル・ワールド号ですか」


「それがどうかしましたか?」


「あの船とは、実はかつてある契約を交わしたことがありまして」


「契約?」


「ええ。改装費はこちらで持つので、アメリカへ輸送途上のフェイス・レスを盗み出すのに協力しろと。先方はこころよく快諾してくれました」


 盗品だったのかよ・・・・・・あの顔なしメカ怪獣。


「洋上輸送中に船を沈めて、その積荷だけを盗みだす。

 フェイス・レスはアクアユニットを装備すれば、一定以上の水中作戦行動が可能です。だから沈没する船から自力で脱出できるのですよ」


「そのうえ船は丸ごと海の底ともなれば、先方は盗まれたことすら気づかない」


「ですが問題は、どうやって機体を回収するかでした。

 それなりに泳げるとはいえ、まさか太平洋を横断できるほどの能力はありません。だから機体を途中で回収する必要がありました。

 最新鋭機を載せた船が沈没したとなれば、軍は必死に捜索するはず。捜索機に見つからないよう機体を回収するにはどうすればいいか? そこで閃いたんです。船底に大型ハッチを設けた、特殊な工作船を作ればいいと」


「初耳ですね」


「知らないことは、敵にもバレようがありませんから。

 ともかく改装されたビューティフル・ワールド号と、口の硬い密輸業者たちのお陰で機体はこうして回収できた。その際に報酬とは別にボーナスとして、さる装備を彼らに譲渡したのです」


「譲渡?」


「ガイドビーコンで誘導しなければ、潜伏モードになったフェイス・レスは盗めない。その道先案内役として軍に発見されてもいいようにと、カルテルが製作した小型潜水艦をそのまま転用したのです。

 結果的には、ただの杞憂で済んだのですが・・・・・・ビューティフル・ワールド号側が仕事が終わったあと、その潜水艦を欲しがったのです」


「なぜ?」


「カッコいいから飾っておきたいと。ロシア人はみんな変わってますね」


 遠く、船を睨みつけるように目を細めながらルークが言った。


「その潜水艦がテレサ=テスタロッサの手に渡ったと?」


「居住性は最悪ですが、元がトン単位の麻薬を輸送するために設計されたものです。14人ぐらい普通に乗れるでしょう」


 ずいぶんぶっ飛んだ話だったが、確かにそれなら話の辻褄が合う。


 外にないなら、その小型潜水艦とやらはコンテナ船の格納庫に仕舞われてるんだろう。喫水線を下げれば、壁に穴をあけた時に逃げやすくなる。そういうことか。


 あいかわらず無茶やるなテッサは・・・・・・そういう所が好きなんだけどさ。


「推測に推測を重ねた、もはや妄想じみた仮説です」


 無表情なのに悩ましげって、奇妙な顔でアンサーはため息をついていた。


「ですがこの土地の場合・・・・・・あってもおかしくないと思えてしまうのが罪深いところなのですが。

 正直なところこれより変な話、この土地には溢れかえっていますから」


「最悪を想定して動くのか軍人というものです」


 淡々と、ルークの野郎が言った。


「敵がビューティフル・ワールド号から潜水艦を奪い取った。それ以上に最悪のシナリオはないでしょう」


「それに対処できるなら、他の手は想定するまでもない、ですか」


「水中作戦が可能ならば、外に出たところフェイス・レスで待ち伏せして、潜水艦ごと捕縛するのは?」


「加減を知らないAIにグラスファイバー製の脆い船体を鷲掴みにさせるのは、気が進みませんね。

 マニュアルで操作しようにも、そっちはそっちでまた別の意味で特殊すぎて、潜水艦ごと握り潰しかねません」


 どうにもあのフェイス・レスだっけか? あの機体はAIが主で、人間がバックアップ扱いであるらしい。見た目だけじゃなく、中身も相当に妙ちくりんらしい。


「皆殺しは目的ではありません。かといって、彼女の軍事的才能は脅威になる・・・・・・それを痛感させられたのは、そう昔のことでもありませんから、このまま野放しというわけにもいかないでしょう」


 テッサがどんな脱出方法を考えているにせよ、このまま手をこまねいて見ているつもりはない。ルークの野郎はどうやら、そう結論づけたようだ。


「HQより、スクルド8-1。船内に突入して目標HVTを拘束しろ。抵抗は、実力をもって排除されたし」


『スクルド8-1、了解ラジャー移動するオスカー・マイク


 最悪な気分だった。あのテッサと敵味方に分かれて、あげく傍観するしかないなんてのは。祈るような気持ちってのは、こういうことを言うんだろう。慣れない感情に戸惑うばかりだった。


 フェイス・レスが強引に船尾を薙ぎ払い、爆弾ごと障害物をどかしていくのを俺はスコープ越しに見守っていた。進入路が確保された途端、スクルド8-1ことミスリルUSAがぞくぞくとハシゴを伝って船に乗りこんでいった。


 その光景を見守りながら、とにかく生き延びてくれよテッサと、俺はひたすら心のなかで念じ続けていた。









【“テッサ”――デ・ダナンⅡ船内】


 わたしの両手は塞がれていました。


 片方には、使い道はわかりませんが捨て置くわけにもいかない鳥籠型の最先端デバイスを握りしめ、もう片方には、駄々っ子のように暴れるそのデバイスの持ち主であった少女の手を掴んでいる。


 そんな状態でわたしは、ノルさんと共に、足早に船内の廊下を駆けていました。


 通常の沈没とは異なり、船はゆっくりと垂直に沈んでいきました。それども巨体が動いているのは感じ取れますから、つい焦りが心に浮かんでしまう。沈みゆく船のなかで平静でいられる船乗りなんて、そうはいないものです。


 敵の足を止めるために船内は隔壁で封鎖中。今は、わたしたちが通っているこのルートだけが、格納庫までつづく唯一のルートとなっていました。


「聞こえたか?」


 ガリルARMを肩づけしながら、ノルさんがわたしに聞いてきました。


「ええ、爆音だわ」


「プロパンが破裂した音じゃないな」


 そもそも揺れが近かった。わたしたちが通り過ぎぎわに閉鎖してきた隔壁のひとつを、おそらくミスリルUSA側が爆破したに違いありません。


「乗り込まれたか」


「あまり深追いはしてこないと思います。船と運命を共にするなんて、彼らの給料に見合わないわ」


「追いかけるのに夢中になってるだけかもしれないぞ? 引き時を見失ってるのかも」


「悪い方に考えだしたらキリがありませんよ。とにかく、今は格納庫に急ぎましょう」


 そう答えながら、わたしは心持ち歩くスピードを早めました。


 全力疾走したいのは山々ですが、格納庫にたどり着いたらそれで終わりというわけじゃありません。体力は残しておかないと、まだ脱出の工程は残っているのです。


 それにこの鳥籠の少女ときたら意外と力があって、走ってる途中に妨害されたらたまりません。ですからこれが、ギリギリの妥協点なのです。


 狭い廊下から、巨大な排気管や鉄骨がいくつもくねっている広々とした機関室に足を踏み入れると、


「こっちです大佐殿!!」


 ヤンさんが手を振りながら、周りの機械音に負けない大声でこちらに合図してきました。


 バラストタンクはすでに満杯。限界を越えて注水を続けているせいで、ポンプが嫌な音を立てているのがここまで聞こえてきます。警告のアラームを無視しながらわたし達はヤンさんと、最後まで操作のために残っていたハスミンちゃんと合流したのです。


「また怪我をして」


「大丈夫だ」


 心配して、手を伸ばしたハスミンちゃんをノルさんが躱していました。ですが、めんど臭い兄妹愛に微笑んでばかりもいられない。追っ手はすぐそこまで迫っているのです。


「とにかく先を急ぎましょう」


 ハスミンちゃんに促して背中におぶせながら、ヤンさんが言いました。


「誰かが残ってたりはしませんね?」


「その点については、ハスミンが保証します。何度も人数確認しましたから」


 松葉杖を片手に持ちながら、器用にハスミンちゃんはヤンさんの背中に掴まっていました。とりあえず話は、歩きながらでもできるでしょう。わたしを先頭にして移動を再開する。


 機関室は広いですが移動経路そのものは狭く、そして急勾配でした。体を横にすれば、なんとか人ふたりが通り抜けられるぐらいの狭いルートを、とにかく格納庫目指して降りていくのです。


「隔壁の閉鎖状態はどうです?」


 前を見据えながらわたしはそうヤンさんに尋ねます。


「すべて閉鎖済み。制御盤も破壊しましたから、侵入したいなら器具でこじ開けるか、爆破するしか手がありません」


「さっき爆破されてたぞ」


 最後尾のノルさんが、ちょっと気だるい感じに言いました。それに驚きの声をあげるヤンさん。


「なっ、奴ら乗り込んできたのか?」

 

「ああ」


「にしては、ちょっと呑気すぎないか君?」


「ゲリラに追われながら全裸でアマゾン川に飛び込んで、ワニの息遣いを耳元で感じながら夜間水泳をすると、いついかなる時でも冷静でいられるようになる」


「何があったんだよ・・・・・・」


「長い話だ」


 ノルさんの反応に困る逸話はいまに始まったことじゃありませんが、タイミングというのは、考えてもらいたいですね。


「敵だッ!!」


 気まずい沈黙から一転、するどくノルさんが叫んだかと思えば、非常照明によってうす暗くなっている背後の通路へと、盛大に発砲をはじめました。


 わたしは振り返ったりせず、驚きで固まっている鳥籠の少女の背中を押しながら、機関室から格納庫へとつづく唯一の扉をくぐりました。ここならT字路、曲がり角に身を隠せば、弾丸に当たりようがありません。


 わたしたちにつづいて、ヤンさんとハスミンちゃんも通路に身を隠しました。


「ごめん、ちょっと降りてくれるかい?」


「はい」


 言われるがままハスミンちゃんが背中から降りて、身軽になったヤンさんは即座にインベルMD-97を構えながら叫びました。


援護カバーする!! 下がれ!!」


 ちらっと、わたしは顔を出して機関室の状態を確認しました。


 ここは最下段ですから巨大なプロペラ軸が床を貫き、そのすぐ横には主機メインエンジンがまるで機械仕掛けの家のように立ちはだかっている。そんな入り組んだ環境にミスリルUSAの傭兵たちは、展開していました。


 前後左右、上からも撃たれているノルさんは応戦しつつ、ヤンさんの呼びかけを聞いて一気に駆け抜けてくる。


 頭を下げながら、ヤンさんの援護射撃のもとなんとかノルさんが合流してきました。


「マズイな・・・・・・ここを突破されたら格納庫まで一直線だ」


 ガリルARMの空になったマガジンを親指で弾きながら、ノルさんが言います。


 その通りでした。潜水艦に乗って脱出するには、まだまだ時間がかかります。この先にもいくつか隔壁はありますが、このペースで突破してきたということは、大した時間稼ぎにもならないでしょう。


 ここまで早いとは。埠頭での醜態はなんだったのか・・・・・・ミスリルUSAは、どうやら侮れない相手のようです。


 機関室の物陰に、一瞬ばかしいかにも特殊部隊といった格好をした黒ずくめの兵士が見えましたが、わたしの偵察は、ヤンさんに柱の陰に押し込まれることで終わりました。


「危険です!! 頭を出さないで!!」

 

「大丈夫。彼らは、わたしを生きたまま確保するよう命令されてるはず」


「お言葉ですが大佐殿。現場では、込み入った命令というのはしばしば有耶無耶にされてしまうものなんですよ」


 聞き捨てならない話ですけど、ノルさんの応射に合わせてミスリルUSA側の反撃もどんどん激しさを増していました。流れ弾が通路を跳ねまわって、危うく当たりそうになる。まんざら嘘ではなさそうです。


 なんて嫌なタイミングでの接敵なのかしら。あともう一歩というところなのに・・・・・・ここで引けば、敵はそのまま格納庫までついてくる。かといって防戦をつづけたら逃げるチャンスを失ってしまう。


 時間稼ぎは必須・・・・・・ですか。


 代わりばんこに射撃を続けているノルさんとヤンさんでしたが、

 

装填リロード!!」


 そう叫ぶやいなやヤンさんが身を隠して、代わってガリルARMの発砲が始まりました。顔を合わせればすぐ喧嘩になるのに、こと戦闘に関してだけは、阿吽の呼吸なんですから。


 宣言通りにライフルに弾を込めつつ、ヤンさんがわたしに話しかけてきました。


「自分が残ります」


 ヤンさんも同じ結論に達していたようです。ですがキッパリと、わたしはその提案をしました。


「わたしは嫉妬深いんです。部下が英雄になるなんて、絶対に許可できません」


「“元”部下ですよ」


「大佐殿呼ばわりしてるのに、今さら都合の良いことを言わないでください」


「さっきウーと会いました」


 ウー? ヤンさんが言うのですから、この場合はかつて西太平洋戦隊に属していたウー上等兵としか考えられません。予測された事態ですが、それでも目を丸くして驚いてしまう。彼もまたミスリルUSAに入社していた?


「あっちにはどうも、元同僚がかなり在籍してるみたいです。

 限界まで戦ってから、適当なタイミングで降伏しますよ。僕のことを知ってる奴なら、もしかすれば何かがおかしいと気づいてくれるかもしれない」


「希望的観測がすぎるわ。問答無用で撃ち殺されるほうが、可能性としてはずっと高い」


「ですが、このままでは潜水艦ごと蜂の巣にされてしまいます」


 決断しろと、ヤンさんの真剣な眼差しが促していました。


 戦略的には、彼の判断は正しい。このままでは全滅もありうるのですから。それと同時にわたしの見立ても、そう的外れではないでしょう。


 ナチス・ドイツの兵士その末端は、そこらにいる普通の人々でした。それでも上からの命令に流されるがまま、いくつもの虐殺を演じることになった。人は誰だって、環境には逆らえない。


 戦場はどこまでもリアルで、そして容赦無いもの。そんなことヤンさんだって百も承知でしょう。それを承知でなお残ると申し出ている。選択権はわたしに与えられていました。誰でもなくこのわたしに・・・・・・。


 ツバを飲み込んで、たった一言を絞り出すのに苦労する。タイムリミットはもう過ぎているのに、自分でも何を言うつもりなのか分かりません。そんなわたしたちの横を――さも当然という顔をして、褐色の肌をした美人が通り過ぎていきました。


「おい、ちょっと!!」


 慌てて声をかけるヤンさんに向けて、ノルさんはぞんざいに手を振りながら答えました。


「うん? ああ、さっさと撃ち返さないと抜かれるぞ」


 言いたいことはごまんとありそうでしたが、ヤンさんは射撃姿勢へとすばやく移行して、敵の頭を抑えるべく銃撃を開始しました。


「いいか、俺はお前らみたいにまともな教育は受けていない」


 何やら隅の方に放置されていた工具箱を漁りだしたノルさんは、ぽいぽい工具を背後に放ったかとおもいきや、お目当ての品らしきダクトテープを拾い上げてこちらに舞い戻ってきました。


 それから通路をかすかに照らしている照明を、おもむろにライフルの銃身で破壊していく彼。これでミスリルUSA側からは、こちらの姿が見えづらくなったでしょう。


「だが馬鹿は馬鹿なりに、良いアイデアってやつを思いつけるもんなんだ」


 何がしたいのか、頭にクエスチョン・マークを浮かべているわたしたちの眼前で、ノルさんはおもむろにハンドガンを抜きました。


 そういえばアレ、いつの間にか代替わりしてましたね。今風のプラスチックが多用された流線型のハンドガンのスライドを引いて初弾を装填したかとおもいきや、壁にゴキブリでも見つけたかのようにバンと、ノルさんは叩きつけていったのです・・・・・・なぜ?


 そこへ更にテープで固定してあげれば、もう落ちてきたりはしないでしょう。ちなみにハンドガンの銃口は遠く、ミスリルUSAの側に向いてました。


 呆気にとられていると、さらに驚くべき事態が発生したのです。なんとハンドガンがひとりでに発砲を開始したじゃありませんか。


「行くぞ。あとは、格納庫で爆弾を調達して通路ごと吹き飛ばせば、もう追いかけてこれないだろう」


「な、なんで触ってもいないのに勝手に弾が飛び出てくるんですか、あの鉄砲?」


 事態が飲み込めないわたしが尋ねてみても、不親切なノルさんの説明は要領を得ません。


「礼なら俺じゃなく、八輪自動車ローライダーなんてわざわざカスタムメイドで作って小粋に乗り回してる、セニョール・ヘルナンデスに言え。欠陥品を売りつけやがって」


「あの、意味が分からなさすぎるんですけど」


 パンッ!! と自動発射をつづけるハンドガンが発砲すると、つられてミスリルUSA側の傭兵たちが撃ち返す。そんな謎めいた膠着状態がわたしたちの背後では、続いてました。


「君・・・・・・天才だったんだな?」


 困惑するばかりのわたしに変わり、ノルさんへ一度は命を捨てようと覚悟したヤンさんがそう語りかけます。それに彼は、平然とこう返したのです。


「少なくともお前よりはな」


 兎にも角にもわたしたちは、辛くもミスリルUSAの追跡を躱すことに成功しました。


 



* 


 


 

 格納庫にたどり着く。爆弾を設置するために残ったノルさんとヤンさんを置いて、わたしたちは一路、潜水艦を目指して歩いていきます。


 元は、コンテナを満載するための空間。それからノルさんたちシカリオを養成するための訓練施設に姿を変えて、今ではわたしたちの生命線になっている格納庫は、相変わらず広漠としている。


 ですが雰囲気は、以前に訪れたときから一変してました。


 先ほどの銃撃戦によって船の発電機が損傷でもしたのか、チカチカと照明が不規則に瞬いている。ですが、足元が暗くて歩けないなんてことはありません。なぜならこの格納庫全体を覆っているコンテナ製の天井が、激しく炎上しているからでした。


 あの照り返しからは、そこまで熱を感じませんが、炎の光があたり一帯でゆらゆらと赤い影法師をうごめかせてました。ポツポツと霧雨のように火の粉が降り注いできては、わたしのワンピースに穴を開けもする。まさに地獄のような光景が辺りに広がってました。


 すべてが消え去ろうとしている。地獄と呼ぶなら、この船の過去こそがその名に値するでしょう。でも、それだけじゃないのです。


 デ・ダナンⅡと名を変えてからは、ここは自由地帯になりました。壁には、想像力がほとばしるまま描かれた落書きが、たくさん残っている。余計なものは脇に退けられ、白線で区切られたサッカーコートの姿もある。


 すべてが悪いことじゃありません。良い思い出も、ここには確かにあったのです――それが消え去っていく。


 破壊されたコンテナが破片を降り注がせて、焦げ臭さを辺りに広げていく。まさに戦場の空気。わたしが生きてきた世界が、今まさに格納庫を侵食しようとしている。


「ケティさん!!」


 ペンキを塗るさいに使うような大柄な脚立のうえに、赤毛の少女の姿がありました。


 何をしてるんだが、とんでもない大間抜けでした。耳の聞こえない彼女に大声で話しかけてどうしますか。こちらに背を向けてるケティさんは、爆弾の設置作業に集中してるみたい。


 海に面している左舷側の壁には、ポツンポツンと筒状の爆薬が仕掛けられていました。


 わたしがケティさんに頼んだ爆弾は二種類。ひとつめは、いま目にしてる間隔をおいて壁に横並び配されてる筒状のもので、意図的な浸水用でした。


 潜水艦を発進させたくとも、水がなければそもそも身動きのとりようがありません。ですがいきなり小型とはいえ、潜水艦がくぐり抜けられるほどの大穴を開けてしまったら、流入してくる水の勢いにおされて、潜水艦が破損してしまうかもしれません。


 だからこそ、最初は等間隔に小さな穴をあけることで、少しずつ緩やかに格納庫を浸水させる。その後、脱出口を覆うぐらいに水が満ちたとき、満を持してふたつめを起爆させるのです。


 すなわち今、ケティさんが門のように設置している爆弾を、です。


「どうした?」


 先ほど爆発の振動がありましたし、合流してきたノルさんたちは滞りなく通路を封鎖できたみたい。


「こういう場合、どうやってケティさんと会話してたんですか?」


 わたしよりもずっと、ケティさんとの付き合いが長いノルさんなんです。こういうパターンの対処法も知っているかもと、期待を込めて見つめてみる。


 すると、任せておけと言わんばかりノルさんは頷いてから、おもむろにケティさんに向けてライフルを発射したのです。


 すく間近に着弾したライフル弾に驚き、咄嗟にTEC-9サブマシンガンを引き抜いてこちらに向けてくるケティさんでしたが、わたしたちの顔を見て、抗議するように口元を曲げていく。


 この2人らしい、過激すぎるコミニュケーション手段でした。


「で? アイツに何を聞きたいんだ」


 平然としすぎなノルさんに呆れつつ、鳥籠と少女を彼に預けてからわたしは咳払いを挟みつつ、口話と手話のセットでケティさんに尋ねていきました。


「爆弾の設置ぐあいはどうですか?」


 すると、わたしの拙い手話とは比べ物にならないほどに無駄のない動きで、ケティさんが答えてきました。


“この短期間によくやったもんだと、自分で自分を褒めてやりたいぐらいだぜい”


 いえ本当に、言葉もありません。熟練の工兵隊ですら、こうも素早く設置できたりはしないでしょう。


「いえ、本当によくやってくれました!!」


 思い返すと、この子の専門技能にどれほど頼ってきたことか。素直に褒めてもまるで喜ばない面倒臭い子ですが、お礼はしてもしたりないぐらい。ですからこの短期間に設置できた理由である、作り置きされた大量の爆弾については、不問に付すことにしました。


 グラスファイバー製とあまり頑丈ではないナルコ・サブは、最後に見た姿のまま格納庫に鎮座していました。破片がぶつかって傷ついていたらどうしようかと思いましたが、安っぽいUボートのような外観はそのまま、まるっきり無傷のようです。


 ナルコ・サブが載っかっている、幾重にもかさなった木製のパレットという台座は、この場合だと不幸中の幸いという感じ。水が満ちれば、自然と押し流されてくれるでしょう。


「全員、乗りましたか!?」


 やはり、子どもたちのまとめ役であるハスミンちゃんらしい心配でした。


 ハシゴを伝ってナルコ・サブの甲板に登り、さあこれからハッチをくぐろうとしていたカロリナちゃんが、ハスミンちゃんの声に気づいて振り返る。


「もうみんな乗ってます!!」


 しっかり者のカロリナちゃんがそう言うのですから、心配はいらないでしょう。


 善は急げ。まず片目片足ゆえに、1人ではハシゴを登りづらいハスミンちゃんに手を貸すべく、ヤンさんが先に潜水艦に登りました。大人の男性の力ならば、小柄なハスミンちゃんぐらい簡単に引き上げられるでしょう。


 わたしもまた、下から身体を支えることでちょっとばかし支援する。


「ありがとうございます」


 甲板から顔だけだして、わたしに掛けてきたハスミンちゃんの素直なお礼を、きっとわたしは苦い顔をして受け止めていたに違いありません。だって、こうなったのは全てわたしのせいなのですから・・・・・・。


 感情を押し殺し、やるべきことに集中する。ここで足を止めれば、すべてが無に帰すのです。


 さて次は、


「・・・・・・ふっ」


 無言でこちらを勝ち誇るように睨みつけてくる、鳥籠の少女の番でした。


 たちの悪いことにこの子は、ハシゴに足を絡めて両手でしっかり掴み、てこでも動かないつもりのよう。


 相変わらず神秘的な容姿をしてますが、ハシゴを蹴落とそうとして失敗していた先ほどの醜態を見たばかりですので、この抵抗も虚しいものしか感じられません。現に猫の子でも掴むようにノルさんに首根っこ掴まれ、あっさり引き剥がされてましたし。


 ノルさんの言ったとおり、この子は命を賭してでも、わたしたちを妨害するつもりのよう。ですがやり方がちょっとその、あまりに子どもじみている・・・・・・。


 この子を登らせるのは、大変な力仕事になりそうです。ハスミンちゃんのようにすんなりとはいかないでしょう。


「ノルさんお願いできますか」


「分かった」


 力技になるとは予想してましたが、思った以上にノルさんのやり方は、強引そのものでした。


 この船がトラソルテオトルと呼ばれていた時代になされた実験のせいで、素の膂力が桁違いな彼なのです。少女の抵抗をあっさり跳ねのけるばかりか、なんと潜水艦の甲板めがけて、少女を思いきり放り投げてみせたのです。


「!?!?ッ」


 声にならない悲鳴をあげながら、空中をすっ飛んでいく鳥籠の少女。滞空時間はほんの一瞬でしたが、あまりの事態にヤンさんの対応も遅れたらしく、べタンと痛々しい着地音がここまで届きました。


「よし」


 何がよしかは分かりませんが、まだ右目を半分閉じたままのノルさんが、急にこちらに向き直りました。


「つぎはテッサの番だな」


「いえ!! その、わたしは自分で登れますからって、ひゃ!!」


 わたしの身長は、どちらかといえば平均以下。体重も軽いほうだと自認しているのですが・・・・・・それでもノルさんにかかれば、あの鳥籠の少女とさして変わりがないみたい。


 むんずと荷物のように掴まれたかと思いきや、次の瞬間にわたしは、空中浮遊を体験していた。それでも体重差か、はたまた鳥籠の少女で予行演習を積んだお陰でしょう。わたしの着地は、ずっと穏やかに済みました。


 ナルコ・サブのざらついた甲板に転げ落ちて、ちょっと膝を擦りむいてしまう。でもこんなの、怪我のうちには入りません。伊達に転け慣れてませんから。


 ハシゴを普通に登ってきたケティさんに呆れ顔をされてしまったのは、ちょっとばかし堪えましたけど。


 つづいて現れたすべての元凶、見た目だけはラテン美女のノルさんに、まだ大の字になって伸びている鳥籠の少女を預けることにしました。

 

「あの子をお願いします」


 ナルコ・サブの甲板はなだらかで、例外といえばディーゼル・エンジンの吸気管シュノーケルたる突き出たパイプと、分厚いアクリル製の覗き窓が360度に埋め込まれている、ちょっとだけ盛り上がっている艦橋だけでした。


 その艦橋に設置されているハッチから、わたしは頭を突きだして下を覗き込む。そこには、ナルコ・サブの船倉で肩を寄せ合う、子どもたちの姿がありました。


「みなさんちゃんと居ますよね?」


 こういう混乱下では、プロの兵士ですらはぐれてしまう者が出てしまいがち。カロリナちゃんはああ言ってましたが、やはり確認せざるおえません。


 すると先行していたハスミンちゃんは、ひとりひとり数えていたみたい。確信のこもった表情で、わたしにサムズアップを見せてくる。


「たしかに居ます。残るは兄さんたちだけです、お早く」


 夕食の途中に、着の身着のまま逃げ出してきたのです。荷物はほぼ皆無で、表現は悪いかもしれませんがまるで難民のような有様でした。


 ですがその顔には、自分の不幸を嘆くような雰囲気は見受けられません。どうしてこうなったのかと呆然としている風でもない。この子たちはあまりに、失うことに慣れて過ぎていた。


「あのテッサさん、これ」


 おずおずとカロリナちゃんが差し出してきたのは、TDD-1と書かれたわたしの潜水艦のキャップでした。


「そんな、わざわざ持ってきてくれたんですか?」


 受け取りつつも、申しわけない気持ちでいっぱいになりました。自分の私物は何も持ち出せなかったのに、わたしの思い出の品だけはなんて・・・・・・。


「たまたま近くにあったので・・・・・・それにテッサさんは、みんなの船長さんですし」


 すべての元凶はわたし。だとしても、世界から見放されているこの子たちにとっては、わたしだけが命綱なのです。


 苦い気持ちを押し殺しながら、わたしはあえて微笑みながら帽子を頭に被せていきました。


「大丈夫です」


 気づけば、自分でも嘘なのか本気なのか分からない言葉をかけてました。


「わたしが何とかしますから」


 壮大な自作自演・・・・・・いえ冷静に考えれば、わたしだって巻き込まれた被害者に過ぎないのでしょうが、どうしてもそう思えてならないのです。


 自分で蒔いた種のせいで、この子たちは犠牲になった。それなのに英雄気取りで、今もこうして頼られている。


 クウェートにおける核攻撃、ミスリルでの軍務、それよりもずっと小さな規模とはいえ、潜水艦に隠れている子どもたち。失われたものも、そうでないものも、どの命の責任もわたしにある。


 ハッチから顔を上げて、わたしは甲板を眺めました。


 着地のダメージのせいか、動きがにぶい鳥籠の少女を助け起こしている最中のノルさんに、起爆装置の具合を確かめているケティさんと、念のため周囲を警戒してるヤンさん。


 まだ終わってません。それどころかすべては、いきなり始まるのです。


 金属がへしゃげる音が格納庫に響きました。対戦車ミサイルの攻撃によってコンテナ船の甲板は炎上中、またどこかで崩壊したコンテナが落ちてきたのかと最初は思いましたが・・・・・・。


 ですが、わたしにはこの破砕音に聞き覚えがありました。

 

 壁をすり抜けた状態のまま透過機能を切ると、相手側の物質を押し抜けてしまう――フェイス・レスが誇るブラックテクノロジーには、そういう特性がある。


 甲板に残っているわたしはじめ5人が、一斉に壁から生えてくる巨腕を見上げてました。金色の鱗粉はすでに消えかかっており、壁には手の形にそって大穴が空いている。あの破砕音の原因は明白。ですが不可思議なのは、フェイス・レスの行動でした。


 透過機能をONにしては、巨腕を横方向に動かして、また機能を切る。それを小刻みに繰り返すことで、穴の大きさを広げていた。


 機体ごと格納庫に乗り込むべく、突破口を作るつもり? それにしては穴の位置が高すぎますし、横方向というのが解せません。どのみちこのペースでは、あれほどの巨体がくぐり抜けられるようになるのは、いつになることか。


 でも、悠長に構えてられないでしょう。


「ケティさん!! 今すぐ爆破、浸水を開始してください!!」

 

 と言っても、ケティさんはこちらをまるで見ていませんでした。


 魔法じみた超技術。機体そのものはとっくに目にしていたでしょうが、すり抜けは初めてみたい。赤毛の少女は、壁から生えてくる巨腕に釘付けになっている。


 だからヤンさんが代わりに動きました。ケティさんから米国製の起爆装置を引ったくると、すかさずタン、タン、タンと3度スイッチを叩いたのです。


 直後、小さな爆発音がいくつも連鎖していきました。


「掴まれ!!」


 そう叫んだのは誰だったのか・・・・・・格納庫に押し寄せくる海水の轟音は、すべてを圧倒していました。


 頑丈な船壁を、ケティさん謹製の爆発物が貫いていきます。理屈のうえでは成形炸薬弾と一緒、装甲を貫通するために作られた特別な品です。綺麗に壁に穴だけ穿っていた。


 ですが小さいとはいえ、いくつも並んでいる穴から流入してくる海水の量は凄まじいものでした。ナルコ・サブを支えていた木製のパレットはあっさり押し流されて、潜水艦が左右に揺さぶられる。


 わたしは叫ぶことすらままならず、ただひたすら手近だったハッチにしがみついて、振り落とされないよう必死に耐える。


 ほどなくその勢いは収まりました。浸水箇所が水で覆われたのです。あらかじめバラストタンクに注水していたおかげもあって、船体傾斜の兆候もありません。


 もはや格納庫に置かれていた訓練施設のほとんどは水面下に没し、潜水艦は何らの支えもなしに、みずからの浮力だけで浮かんでいました。


 即興すぎる脱出計画。立てた自分ですら正直なところ半信半疑でしたが・・・・・・これなら、いけそう。


 すぐにでも潜水艦を操り、外洋へこき出したいところですが、ゲート型に象られたふたつめの爆薬は、まだ3割ほどしか水を被っていません。


 ケティさんは余裕を見て、潜水艦の倍ほどのサイズで爆薬を設置していました。厳密な計算をする時間がまったくなかったのです。妥当な対処法でしょうが、そのおかげで軽率に爆破できなくなってしまった。


 あれほどのサイズですと、流入してくる水の量は鉄砲水よろしく、大変なものになるでしょう。せめて半分、いえ7割ほど沈むまで爆破はできません。


 水が満ちるまであと2、3分ほどかしら? その間ミスリルUSAも、手をこまねて見ていたりはしないでしょう。どうやら、人生でもっとも長い数分間になりそうでした。


 こちらが生き延びるのに必死になっている間にもガンと、またしても破砕音を響かせながら、フェイス・レスが着実に穴を広げていました。


 全身はとても無理。ですがゴリラのように屈強な両腕だけなら、なんとかくぐり抜けられそうな横穴が、いつの間にか格納庫の上方に完成していました。


 敵の至上命題は、わたしの確保にあります。そう考えるとあのフェイス・レスの不器用さは、敵にとって使いづらいものでしょう。


 ヤンさん、ケティさん、そしてノルさんと奇しくも、こちらの戦闘要員がみんなナルコ・サブの甲板に勢揃いしてました。この3人さえ排除すれば、ミスリルUSAはわたしを安易と拘束することができる。


 敵も馬鹿ではないと、とうに知っているつもりでした。ですがまさか・・・・・・両手をお椀状にしたフェイス・レスの手のひらに乗って、狙撃班を突入させてくるなんて、予想外に過ぎました。


 敵はほんの数人。彼らは、木の幹のように巨大なASの指を盾にしつつ、一斉にアサルトライフルをこちらに向けてくる。そのメンバーの中には、相変わらずパナマ帽を被っている、ルークなるCIA工作員の姿もありました。

 

「絶対に潜水艦を撃たせないでッ!!」


 咄嗟にそう指示を飛ばす。グラスファイバーの船体に耐弾性能なんて期待してはいけません。もし1発でも当たれば、浸水は確実でしょう。


 銃撃戦がはじまりました。


 高所は狙いやすいですが、裏を返せば撃たれやすくもある。真っ平らな甲板のうえ、遮蔽物に隠れようがないこちらとしては、とにかく火力で圧倒するほかありません。


 ミスリルUSAの狙撃手シューターに撃たれまいと、とにかく火力優先で弾幕を形成していくノルさんたち3人。ですが、ヤンさんがこちらを振り返りながら叫びます。


「しかしッ!!」


 しかし――火力の絶対数が足りなさすぎる。


 制圧射撃サプレッシブ・ファイアとは、もっともベーシックな歩兵戦術のひとつです。絶え間ない弾幕によって敵の頭を抑え、攻撃をさせないようにする。


 ヤンさんとノルさんが携行しているのはどちらもアサルトライフル、すなわちバランスは良いものの弾倉は小さく、すぐ弾が切れてしまうのです。


 今はお二人の射撃スキルもあって、ミスリルUSAの傭兵たちを抑えることに成功していますが、遠からず訪れるであろう弾倉交換の隙を狙って、あのASの太い指の隙間から銃撃が再開されるのは、目に見えています。


 ケティさんも射撃に加わっていたものの・・・・・・使っているのが射程の短いTEC-9サブマシンガンのうえに、射撃センスとか絶無のトリガーハッピーぶりですから、正直なところ弾の無駄にしか見えません。


 絶妙な間隔で、テンポのいい射撃をつづけているノルさんたちよりもずっと早く、時間にしてほんの2、3秒足らずで全弾撃ち尽くしてしまったケティさんが舌打ちしました。それからどうしてかわたし・・・・・・いえ、ナルコ・サブの艦橋を血走った目で見やったのです。


 わたしには、まるで意味の分からない行動でしたが、船内に隠れてる子どもたちは別だったみたい。


 戦いの気配を感じて、救援物資がハッチの向こうから突き出されてきました。黒く、細長く、そしてひたすら重そうな鉄塊を。


「お、お、俺は、もっとこう食料とかのほうが良いって、そう言ったんだ!!」


 すでに涙目のバウティスタくんが、たぶん押し付けられる形でハッチから身を乗り出して、その鉄塊をどうにか引き上げようと苦労してました。


 バウティスタくんだけじゃありません。ここからでは見えない船内では、きっと子どもたちが力を合わせて、鉄塊を下から支えている真っ最中に違いない。


「そういうのは、ケティねえ様が持ちこむ前におっしゃいなさいな!!」


 ハッチから聞こえるその叫び声は、宗教少女ことベリンダちゃんでしょう。


「持ってきたのは、お前らだろ!!」


「神の御心とケティねえに、誰が逆らえましょうか!!」


 ひどい会話を完全に無視して、つかつかハッチへと歩み寄ったケティさんが、ちょっと苦労しつつもバウティスタくんからその物体を受け取りました。


 ときに第2次世界大戦下、制圧射撃をするためだけに設計された汎用機関銃。ヒトラーの電気ノコギリこと、MG42とみて間違いありません。


 平均的なアサルトライフルが30連発であるところを、その気になればベルトリンクで繋がれた弾丸をいくらでも発射できるMG42は、ゆうにライフル10挺分の働きをすると聞きます。


 ケティさんがMG42のバイポッドを艦橋にのせて、俯角をとっていく間にわたしも手伝い、どんどん弾薬箱アモボックスに収められた銃弾を甲板に積み上げられていきました。


 一箱に200発、それが何個もある。バウティスタくんのボヤキも最もでした。こんなもの持ってくる暇があったら、食料を積み込んで欲しかった。でもそれで助けられてしまうのですから、コメントしずらくてなりません。


 装填を終えたケティさんがMG42からはみ出ている、ライフル弾が数珠つなぎになった弾帯を左腕にのっけながら、思いきり引き金を絞りました。


 電気ノコギリとはよく言ったものでして、毎分1200発の発射速度では、もう銃声の切れ目がわかりません。ボッーっと、繋がって聞こえました。


 これまでと段違いの火力が、フェイス・レスの手のひらという即席トーチカに叩きつけらていきます。もはやレーザー兵器にすら見える、切れ目ない曳光弾の嵐に、ミスリルUSAの傭兵たちは射すくめられてしまう。チャンスでした。

 

「すみませんヤンさん!! 先に乗って、準備をお願いできますか!!」


「えっ!! 自分がですか?」


 またもやケティさんの趣味のお陰で、命を繋いでいるわたしたちですが・・・・・・この機関銃の欠点は、再装填の難しさにあります。


 いっぱい撃てるぶん、使い切ったときの繋ぎが大変なのです。カバーを開いて、指定の場所に弾幕を載せて、それからカバーを閉じて装填。小刻みに揺れる甲板上では、さらに難易度は上がることでしょう。


 すなわち、その間の援護が必要になる。その点、ヤンさんの腕前なら申し分ないでしょうが、


「大佐殿のほうが、自分よりよっぽど潜水艦にお詳しいはず」


「ですが、彼らはわたしを撃てませんから」


 せっかく優位な位置を確保したのに、敵は有効打を放てずにいる。それはとりもなおさず、わたしが原因でしょう。


 ブリッジの時と同じです。わたしが甲板に居るせいで、相手は攻撃を躊躇している。肉の盾というのは悪趣味極まりないやり口ですが、自分でやる分には構わないでしょう。


「無線で指示しますから、潜水艦の始動準備を!!」


 こうなったらケティさんには、脱出するギリギリまで制圧射撃を続けてもらわないといけませんし、ノルさんはその・・・・・・あまりに機械オンチに過ぎるので論外。


 消去法からいって、ヤンさんにしか頼めないのです。


「了解!!」


 そんな細かい事情はさておいて、とにかくわたしの指示に従うことに決めたみたい。


 ヤンさんはライフルを腰に回しながら、「どいてくれ!!」と、ハッチ下の子どもたちに警告しつつ、船内へ飛び降りていきました。


 わたしの指示がなくとも、ケティさんはこの潜水艦を盗んでこれたわけですし・・・・・・この船ときたらワイヤーむき出しのひどく粗雑な計器に、マジックで名前が直書きされてるレベルですから、もしかしたらヤンさんお1人でも準備できるかもしれません。


 やはり最大の問題は、脱出口ですか。


 格納庫の水位はどんどん上がっていました。水圧に負けてサーバールームの扉が破られてしまったようで、バチバチと電気のスパークが飛んだかと思えば、積み立てられたコンテナハウス側の照明が一斉に停電しました。


 チカチカと明滅しはじめた格納庫の照明を頼りに、脱出口のほうを睨んでみました。


 訓練施設の破片を巻きこんで、灰色に変色してしまった海水が、脱出口をもう半分ほど浸ている。ですがわたしにはそれが、どうしても“まだ”に思えてならないのです。

 

 たまらない焦燥感を覚えつつ、わたしはケティさんが羽織ってるジャケットへ勝手に手を突っ込んで、もうひとつの起爆装置を取り出しました。


 これを3回叩くだけで、脱出口が開けてくれる・・・・・・。


『大佐殿』


 ヤンさんから操縦席についたと、無線連絡が届きました。銃声と波の音に妨害されながら、わたしはなんとか手にしたトランシーバーへ指示を吹き込んでいきました。


「そうです!! イグニッションキーを回すだけでいいです!!」


 わたしの指示どおりに、ヤンさんがナルコ・サブの機関を始動させていきました。


 この船は、昔ながらのディーゼル・エレクトリック方式で動いています。水上ではディーゼル・エンジンで走り、その間にバッテリーに充電。潜航した際には、酸素を消費しない電動駆動に切り替えるのです。


 船尾から突きだしてる吸気管シュノーケルから、ディーゼル・エンジンの黒煙が吹き出してきました。このままエンジンを動かし続ければ、勝手にバッテリーは満タンになってくれるはず。


 あの脱出口をくぐり抜けたら、即座にバッテリーに切り替えて海のなかに雲隠れするつもりでした。


 潜水艦はちゃんと動く、起爆装置も手元にある、ノルさんとケティさんの相棒コンビのコンビネーションは抜群で、今のところミスリルUSAを抑えられている。


 ひとつひとつ、するべきことにチェックを入れていきます。万全ではありませんが、状況なりに最善は尽くしている。なのに大切なことを忘れている気がしてならなかったのです――そうだわ、鳥籠の少女はいったいどこに?


「・・・・・・やめて」


 あの子は敵であると、頭では分かっているのです。ノルさんの主張したとおり、あの子を連れていくのはリスクでしかありません。


 ですけど、大人に都合よく利用されているというただ一点において、あの娘と、この船で出会った12人の子どもたちのどこに違いがあるのでしょうか? そんなわたしの感傷を、鳥籠の少女はせせら笑う。


 この甲板から一歩でも足を踏み出せば、その向こうは奈落の底どうぜん。高速で破片が行き交う、ミキサーのなか同然の激しい水流が荒れ狂っている。 


 鳥籠の少女は、亜麻色の髪をなびかせながら甲板の端に立っていました。ただ一心にわたしを見つめ、それから、何の躊躇もなく宙へと足を踏みだしていく。


 誤って落ちたのではありません。わたしたちを妨害するために、自分の身を投げうとうとしているのです。


 距離的にわたしが一番、近かった。ですが伸ばした手は虚しく宙を切り、少女は飛沫だけを残して水底に消えていく。さらには、勢いあまってわたしまでも甲板から転げ落ちそうになる。


 もし駆けつけたノルさんが引きもどしてくれなかったら、わたしも少女とおなじ運命を辿っていたことでしょう。


「もう無理だ!! 諦めろ!!」


 もはや災害のように、格納庫全体を乱流が覆っていました。こんな所に落ちてしまっては、大の大人ですらひとたまりもないでしょう。なのに、わたしは次の瞬間にはハッチへ走っていた。


 ロープを積んでいない船なんて存在しません。それは潜水艦とて同じこと。


 ハッチから腕だけ突っ込んで、驚くハスミンちゃんを尻目にロープを引っ掴む。おそらく係留用の頑丈なロープ。それだけを手に、少女が飛び降りた地点まで引き返していく。


「テッサ」


 冷静なノルさんの声を無視して、彼にロープの先端を押しつけました。


「そこに係留用の金具があります!! このロープを結びつけておいてください!!」


「嫌な予感しかしないんだが・・・・・・」


「わたし、水泳だけは得意なんです」


 無茶は承知の上でした。プールならいざ知らず、視界ゼロの乱流に飛びこんで少女を探し出すなんて、わたしの水泳の技量でどうこうなる範疇をとうに越えている。


 頭に血が上っているのかもしれません。どこかで、自分で自分にそう指摘する冷徹な声が聞こえる。なのに、ロープを胴体に巻きつけていく手が止まらない。


「テッサ!!」


 叱りつけるようにノルさんが叫び、わたしの手から命綱がわりにするつもりだったロープを奪い去る。


「返してください」


「見かけた相手を全員助けるつもりか?」


 そんなの不可能だと、わたしだって分かっているのです。ですが気づけば、わたしはノルさんにこう言い返していた。


「・・・・・・だからこそ、ノルさんたちはまだ生きてるんでしょう?」


 恩着せがましすぎる言い方でした。特に、貸し借りを気にするノルさん相手だと。


 自己嫌悪が胸をつく。ですが一刻を争う状況なのだと、自分で自分に言い訳をしました。


「お人好しめ、いつか後悔するぞ」


「分かってます」


「いや分かってない。世界はどこまでも冷酷なんだよ――1分で戻らなかったら先に行け」


 止める間もありませんでした。


 くるりとロープの先端を一回転させて、自分の腕に巻きつけていったノルさんは、そのまま背中から海水が荒れくるう格納庫へと、ダイブしていったのです。


「なっ!!」


 すべてはわたしの我儘。あの子を連れていくと決断した、自分の責任なのに。その甘さの代償をノルさんはすすんで、肩代わりしてくれた・・・・・・。


 固まるわたしを現実に引き戻したのは、シュルシュルと水のなかに飲み込まれていくロープでした。このままだと、どこにも結ばれてないロープは消えてしまう。早く結びつけないと。


 ロープワークを習ってはいましたが、いかんせん靴紐を結ぶとき以外に実地する機会がまるでなく、自分でもちゃんとできるのか不安でした・・・・・・何をバカな、不安がってる場合ですか!!


 係留用の金具に飛びついて、すぐさまロープの先端をそこにくぐらせました。


 ランニング・ボーラインはシンプルで、まさしくこういう局面のために開発された結び方です。ですがナルコ・サブは小刻みに揺れている。暴れる海水によってあたり一面、びしょ濡れでもある。プレッシャーも手伝って手元が狂い、思うように結べません。


「ウサギが穴をくぐり抜け、木の幹を回って、また穴へ・・・・・・!!」


 ミスしないように、覚え歌を口ずさみながらひたすら手を動かしていく。目の端には、どんどん巻き取られていくロープの束が見えていました。


 焦りは禁物。そう自分に言い聞かせたところで、額から流れる汗が止まるわけではありません。あとほんの数センチ、すべてのロープが水の中へと飲み込まれそうになった瞬間、やっとで結び終わりました。


 このまま金具ごと吹き飛んでしまうのではないか、そう錯覚してしまうほどの衝撃が、ピンと張られたロープから金具へと伝わっていく。ですが結び目は頑丈でビクともしません。


 間一髪・・・・・・ホッとするあまり息を吐いてしまう。まだ何も解決していないのに。


 直後、耳元を蜂の羽音のようなものがかすっていく。つづいて、金具から火花が弾けました。銃撃です。


 見上げると、パナマ帽をまぶかに被り、プレートキャリアをスーツの上から着込んでいるルークが、とても短いアサルトライフルでもってこちらを狙っていた。


 ノルさんが少女を追って飛び込んでしまったことで、ケティさんの再装填の隙を埋めてくれる援護役が居なくなってしまったのです。


 慌ててMG42に弾帯を挟み込んでいくケティさんでしたが、今はまったくの無防備。戦術的に考えるなら、敵はこちらの最大の火力を奪える絶好の機会のはず。なのにルークはただ一点、金具だけに狙いを定めていました。


 わたしを精神的に追い詰めてやると、9姉妹は宣言していた。戦術的には無意味な行動でも、その宣言を踏まえて考えるなら――ルークは、ただのCIAの工作員じゃない?


 金具を庇おうとしますが、初弾が命中した時点ですでに外れかけていた。

 

 あっさり金具が弾け、またしてもロープが水中に飲み込まれはじめる。慌てて掴んだもののその勢いは凄まじく、摩擦でわたしの手のひらは、カッターで切りつけられたかのように出血してしまった。


「うそ・・・・・・」


 でもそんな傷、止める間もなくロープが虚空に消えてしまったことに比べたら、気にもなりません。


 視界が真っ暗になる。


 つい先ほど聞いた、いつか後悔するぞという言葉が、なんどもなんども頭のなかで反響してました。これまで誰の犠牲も出なかったのは、奇跡のようなものなのです。なのに、わたしのせいでノルさんが・・・・・・。


 絶望感のあまり身動きひとつとれないわたしを正気に戻したのは、顔にかかってきた水飛沫でした。


 さながらトビウオよろしく、小さな人影が甲板に飛び込んできました。なんとなく既視感デジャビュを感じる光景。わたしはこれと同じものを、つい先ほど下から眺めていた気がする。


 甲板に打ち上げられてきたのは、びしょ濡れ状態な鳥籠の少女でした。背中をくの字にしてひどくむせながら、肺のなかに溜まった水を吐きだしている。


「ったく!!」


 つづいて少女を放り投げた張本人に違いないノルさんが、ナルコ・サブの外殻を伝ってうえまで昇ってくる。


「二度と、げほっ、やらないからな・・・・・・」


 水中の障害物に全身を引っかかれてしまったらしく、褐色の肌のそこかしこから出血してました。


「もう無茶ばっかりして!!」


 自分のことを棚に上げて、つい叫んでしまう。


「お前が行ってたら、帰ってこれなかったろう」


「ですから!! 水泳だけは得意なんですってば!!」


「スプーンを持つのですらいっぱいいっぱいな腕力で、どうやってあの小娘を引き揚げるつもりだったんだ?」


 はたと動きを止めてしまう。本当に頭に血がのぼっていて、何も考えてなかったのだと思い知らされた気分。


「ッ!!」


 銃撃が降りそそぎ、周囲で弾丸が爆ぜていく。


 即座に反応したノルさんは飛び退き、甲板に置き去りにされていたガリルARMを転がりながら掴みとる。それから大の字に寝そべると、ASの手のひらめがけて応射をはじめました。


「ケティ!! いつものトリガーハッピーぶりはどうしたッ!?」


 怒声は聞こえなくとも、オーラは感じ取れたみたい。どうやら修復不可能な弾詰まりを起こしてしまったMG42を放棄して、TEC-9片手にケティさんも銃撃戦に参戦していく。


「小娘をつれて先に行けッ!!」


 脱出口はもう十分に水に浸かっている。ノルさんの言うとおり、潮どきでした。わたしは自業自得とはいえ、半死半生状態の少女を抱きかかえてハッチへと駆け出していく。


「あっ!!」


 その道中、頭から思い出の潜水艦キャップが飛ばされてしまう。


 ノルさんたちが命懸けで時間を稼いでくれてるのに、足を止めることはできません。それにキャップは、水に落ちてとうに見えなくなっていた。


 何かを得るために戦っていたつもりだったのに、気づけば、何もかも失おうとしている。もうこれ以上は、失えません。


「急いで!!」


 ハッチから手を伸ばしてくるハスミンちゃんの声に叱咤されながら、とにかく駆け抜ける。


 自分の運動神経はよくよく心得てますから、あまりこういうアグレッシブなことはしたくはない。ですが、思い切ってわたしはハッチに足から飛び込んだのです。


 とはいえ、平べったくて底の浅いナルコ・サブ。大した高さではありませんでした。それでも運動能力の差か、無様に尻もちをついてしまいましたが。


「操船、変わります!!」


 わたしは、意識がはっきりしていない少女をハスミンちゃんたちに預けつつ、膝を曲げながら立ち上がる。操縦席からこちらに振り向いたヤンさんが、答えを返してきました。


「お任せします!!」


「ヤンさんは、艦橋の窓から進路を指示してください」


 肩が擦れそうなほど狭い船内でヤンさんとすれ違い、立ち位置だけでなく、役割も交代する。


 相変わらず、おぞましいほどに簡素極まりない操縦席です。ワイヤーはところどころ皮膜すらなく、レバーはボートからの移植品で、アナログメーターはどれも壁にちょくせつ埋め込まれている。


 とりあえず電力を確かめると、針は必要十分な値を示していました。ディーゼル・エンジンを切って、動力をバッテリーに変更。とくに問題なく動きだす。これでいつでも潜れます。


「動かせるんですか?」


 わたしの背後から、怯えの混じる声でカロリナちゃんが話しかけてきました。不安を解消したいのでしょう。


「大丈夫」


 大方、ゲーム機からでも移植してきたのでしょう。操縦桿かわりのジョイスティックを握りしめて、前身と後退をつかさどるリモコンレバーに手をかける。


「本物の潜水艦に比べたら、こんなのオモチャみたいなものです。

 ヤンさん!! 甲板の2人を下げて!! それからハッチを閉鎖してください!!」


 わたしが言うまでもなく、まずケティさんが船内に勢いよく飛び込んできました。つづいて、ちょっと間をおいてからノルさんがハッチから転がり落ちてくる。


 どこか違和感を感じる入り方。ですが愛用のライフルは決して手放さず、すぐさま肘を立てて壁に寄りかかってましたから、撃たれたとかではないはず。不安から生まれた、単なるとりこし苦労でしょう。


 最後にASの手のひらに陣取る射撃班ファイア・チームに向けて、インベルのフルオート射撃をお見舞いしてから、ヤンさんがハッチを閉じました。


「ハッチ閉鎖完了!!」


 目線を計器類に戻して、わたしはすぐさまバラストタンクへの注水をはじめました。コンテナ船とは違い、潜水艦のバラストタンクは潜航するための重しです。


 まだ格納庫の中ですから、そこまで深く潜るつもりはありません。潜水艦に穴が開けば、わたしまで溺れてしまう。そういう可能性をミスリルUSA側に見せつけるだけで十分のはず。


「大佐殿、船首はまっすぐ脱出口のほうを向いています!!」


 全員収容され、進路も大丈夫。それならもう、やるべきことはひとつでした。ケティさんから預かった起爆装置に指をそえる。


「爆破します!! みなさん手近なものに掴まって!!」


 カチッ、カチッ、カチッ、スイッチ音が船内に響いていきました。


 


 





【“ルーク”――格納庫、フェイス・レスのマニピュレーター上】


 水中爆発は特徴的だ。水のなかで巨大な気泡が膨れあがり、水面上で破裂する。そして雨のような水飛沫が、辺り一面にばら撒かれるのだ。


 すでに照明は死に絶え、水の流入が止まらない。まさしく沈没船の光景をボクは、フェイレス・レスの手のひらから見守っていた。


「無茶しやがるぜ・・・・・・」


 そう感想を述べたのは、名も知らぬミスリルUSAの傭兵コンストラクターだった。元アメリカ兵2名、ニュージーランド兵1名のトリオは、コミュニケーション能力を除けば、高い能力を発揮するという、ミスリルUSAの定番通りの働きをしてくれた。


 せめて英語圏の者でないと信頼できない。撃って良いものとそうでないものを見分ける能力は、必須だった。


 だが無茶とは、言い得て妙だな。あれほどタイトな脱出口なんだ、船体が少しでも擦れば沈没もありうるだろうに・・・・・・水のなかに隠れた潜水艦の朧げなシルエットは、その狭い脱出口をくぐり抜けてすぐ見えなくなった。


 先ほど感想を述べていた傭兵が、携行していたCAR-15をフェイス・レスの指に立て掛け、それから無線機をつかんで僚友へと連絡していった。


「ああそうだ、カルテルお得意の半潜水艇じゃなく、本物の潜水艦に乗って逃げだしたんだよ」


『冗談だろ・・・・・・』


「といってもハンドメイド感で溢れてたがな。先ほど爆破された開口部から外に出たはずだ、追えるか?」


 無線機の向こう側にいる傭兵が鼻で笑う。

 

『ハッ、こっちはただのゾディアックなんだ。ソナーなんて積んでない』


「ライトで照らせば目視できるだろう」


『それでどこまで追える? 水深の浅いこの辺りならまだしも、外洋に出られたら手の打ちようがない』


「追跡の必要はない」


 そうポツリと述べながら、OA-93の安全装置を上げつつ、上着の下に仕舞い込んだ。まだやる気だったらしい傭兵は、その発言を聞いて不服げだった。


「・・・・・・Parturiunt montes, nascetur ridiculus mus.パラティオリ・モンテス・ナシオティ・リデェコシ・モスってやつですか」


「大山鳴動して鼠一匹、か。ラテン語を諳んじるとは、教養があるみたいだな」


「まあ、中途半端に頭が良くても儲かりませんからね。それで傭兵に鞍替えしたんです」


 その教養を嫌味に使うあたり、なるほど底の浅い男ではあるようだ。


 巨大な指を背もたれにして足を伸ばすと、足元にたまっていた空薬莢が弾かれて、沈みゆく格納庫へと落下していった。ボクが態度で示すと、自然とムードも変わっていく。


 戦いはこれで終わりだ。とりあえずこの戦いは、だが。


 傭兵が盛大なため息をついた。


「死者は皆無とはいえ、かなりの人数が病院送りになって車両のほとんどはスクラップ。あげく虎の子のM9すら失った。とんだ大敗北だな」


「違うな」


「え?」


 別に説明する義務はないが、無闇に士気を下げるのも得策じゃないだろう。ミスリルUSAには、これからも働いてもらわないと困る。


「目的を達成するには、時にたった1発の銃弾だけで十分なんだ」


 もう肺をいたわる必要もない。娘が死んだ時、ボクもまた死んだんだ。だからこそ今のボクは、こうして死者を統べる女神につかえている。


 タバコのパッケージを懐から取り出して、そのうちの1本を口に咥える。勝利の一服にはまだ気が早すぎるだろうが、彼女に最初の痛撃を与えられたことは、歓迎すべき事態だった。


「彼女の右腕をへし折ってやった」


 今はまだそれだけだが、それでも十分に勝利と呼べるに違いない。





 


 


【“テッサ”――ナルコ・サブ船内】


「・・・・・・ふぅ」


 あの脱出行から1時間後、わたしはやっとジョイスティックから手を離せる状態になりました。


 艦長と操舵手を兼任するだけでも大変なのに、そこに航海長の役割も加わるのですからたまりません。GPSで自分たちの位置を確認しながら、壁に貼られている水上船用の海図と睨めっこして、座礁しないよう舵を切りつづける。


 ちょっとした判断ミスでも、わたしたち14人全員が海の藻屑になりかねない神経を使う作業・・・・・・いえ、今は15人でしたね。


 あわや溺死しかけたのです。鳥籠の少女は疲れが勝っているらしく、ぐったりとしたまま船倉の隅で拘束されていました。ですが両手足をガチガチにダクトテープで縛られてもなお眼光は鋭く、憎しみに満ちている。


 自動操縦と呼べば大げさですが、とりあえず舵をまっすぐ固定するだけでも数時間なら大丈夫。ちゃんと自動操縦のボタンが機能しているのを確認してから、わたしは粗末な操縦席を離れました。


 潜水艦の良いところは、船酔いと無縁でいられることです。深度8メートルの水の中は凪いでいて、痛いくらいの沈黙が船内にも広がっている。


 8メートルというのは普通の潜水艦からすれば、浅い深度なんてものじゃありません。ですがグラスファイバー製のもろい船体がどこまで耐えられるのか、身をもって試したくはありませんから。ミスリルUSAの追跡を躱せただけでも十分でしょう。


 そうそうに無理だと判断したらしく、ミスリルUSAの追っ手はかなり早い段階で諦めていたみたい。潜望鏡をあげて念のため周囲を調べてみましたが、船影らしきものは見つけられませんでした。一安心というところかしら。


 静かに船内を見て回る。


 誰もが疲れ切ってました。子どもたちのほとんどは丸くなって眠り、ケティさんはどうしてか、船内のパイプに挟まるようにして寝息を立てている。


 食料すら載せてないのです、毛布を手渡せないのが口惜しい。ディーゼル・エンジンの余熱せいか、肌寒いぐらいで済んでいるのは幸いですけれど。


 ふと、子どもたちの中でもっとも幼い、キキちゃんとピリくんが目に留まりました。不安で眠れず、肩を寄せ合っている4、5歳ほどの子どもたち。それだけでもちょっと心にくるものがある。


「大丈夫ですか?」


 周囲に配慮して声をひそめながら、膝を折って2人に話しかける。


 優しい態度を心がけたつもりでしたが、それでもバンダナをいつも頭に巻いているキキちゃんは、わたしから目線を逸してしまう。この子もまた対人恐怖症なのです。カロリナちゃんよりもうちょっと、重症な感じですけれど。


 ですが同年代のピリくんには心を許しているようで、2人きりの時は明るく騒がしい。こういう場面では、前歯がちょっとすきっ歯なピリくんがいつも代弁してくれる。


「おなかすいたって」


 いろいろと舌足らずな感じですけど、言いたいことは単刀直入に伝わってくる。


 2人は、たぶんインドネシアの出身だと思われました。訛りもそうですし、豚肉は食べてはいけないものと認識しているあたりも、世界最大のムスリム人口を有するンドネシアの特徴とピタリと合致する。


 だからこそMREを買い求めたのです。長期保存が出来るのはもちろん、イスラム教徒向けにハラール認証されたメニューも完備されていた。


 とはいえ、船と一緒に沈んでしまったものを惜しんでもはじまりません。


「ごめんなさい。今すぐには無理ですけど、もうすぐ陸に上がるつもりですから。その時にお店で買いましょう」


「アメも?」


「はい、アメもセットで。ただし他の子には内緒ですよ?」 


 まだ浮かない顔をしてましたけど、ちょっとだけハニカミ笑いを浮かべてくれる2人。子供騙しの嘘でなく、これは正真正銘の本音でした。


 ナルコ・サブそれ自体には、ここコロンビアからアメリカまで、自力航行できるだけの性能があるはずでした。もっともそれは、燃料が満杯ならのお話です。


 もう1日ぐらいなら海のうえを彷徨えるでしょうが、そこから先は遭難確実。食料はおろか飲料水すらないのです。1週間ほど食べなくても人間は死にはしませんが、水抜きとなるとほんの3日しか耐えられません。これに子どもの体力を加味すると、限界はもっと早く訪れるはず。


 せめて襲撃が明日だったなら、万全の状態を整えられたでしょうに。何もかもが準備不足すぎる。


 上陸しさえすれば、とりあえず遭難は避けられるでしょうけど、距離的にコロンビアに舞い戻らざるおえません。お金も、装備もないまま、ミスリルUSAが網を張っている場所へと。


 わたしのいざという時の頼みの綱はメリッサと、ジェリーおじさま率いるミスリルUSAでした。ですがメリッサは無事かどうかすら分からず、ミスリルUSAは敵に回ってしまった。


 控えめにいっても絶体絶命。でもそんなもの、おくびも顔に出してはなりません。そういう義務が指揮官のわたしにはある。


 2人に別れを告げてから、足音を立てないように船の最後尾まで歩いていく。そこには小さな扉で区切られた機関室があり、床下に収納された燃料タンクのせいでちょっと段差になっていました。


 先頭が操縦室、真ん中が船倉で、後部が機関室と船室を兼ねている。


 ただし潜水艦基準の船室というのは、現代においてもなお魚雷の隙間にベッドを置いて部屋と呼ぶレベルですから、マットレスしか敷かれてなくともあまり違和感はありません。


「怪我の具合はどうですか?」


 壁に背中をもたれながらぺたんこな、ほぼ座布団状態のマットレスにノルさんは腰掛けていました。


 怪我まみれはいつものことですけど、だからといって治療しないわけには、いきません。あんな瓦礫だらけの乱流に飛び込んだのですから、切り傷を全身にたくさんこさえている。


 そのひとつひとつに衛生兵の資格を持つヤンさんが、絆創膏を貼っていました。お陰でちょっとミイラ男のようにも見える。鳥籠の少女の怪我はそうでもないのに、きっと庇いながら泳いだのでしょうね。


 そろそろノルさんの主治医じみてきたヤンさんが、疲れた顔でわたしに言いました。


「とりあえず処置は終わりました。この前に破傷風の注射を打ちましたし、大丈夫でしょう」


「そうですか・・・・・・よかった」


「ただ」


「? どうかしましたか?」


 どこか言いづらそうに、ヤンさんが言葉を濁される。わたしは、どういうことなんですかと元部下に問いただそうとして、その寸前にノルさんに質問を被せられてしまった。


「これからどうなる?」


 キキちゃんとピリくんには、明るい話だけを聞かせました。ですがノルさん相手には、そんなおためごかし失礼なだけでしょう。子どもたちに責任がある、同じ運命共同体なのですから。


 正直に、すべてを話すことにする。


「岩礁が少ないビーチが近くにあります」


「陸に戻るのか?」


 チラッと船倉のほうを確かめてから、子どもたちに聞こえないよう声を潜める。


「正直、あまり状況は芳しくありません」


カネプラタもないしな」


「ええ・・・・・・こんな事もあろうかと、カルテルのお金をいくらか貸し金庫に隠してたりもするんですが」


「流石だな」


「ただ街に戻らないと回収できません。代表で誰かが取りに戻るにしても、子どもたちのために、その間の隠れ家セーフハウスが必要になるでしょう」


「元プロのシカリオとして言わせてもらうなら、手段は問うな」


「どういう意味ですか?」


「必要なら強盗でも何でもして、生き延びろってことだ」


 きっとわたしは今、とても嫌そうな顔をしているに違いない。でもそんな反応を、ノルさんは予期してたみたい。


「そういう顔をすると思ったから、わざわざ言ったんだ」


「わたしだって手段を選ぶつもりはありません。ですが、人の道を外れるつもりもないわ」


「俺やケティだけじゃない。この船に居るのは、まっとうじゃない生き方をしてきた奴ばかりなんだ。強盗はもちろん、盗みに時には殺人・・・・・・売春だって当然な」


「・・・・・・」


「この土地の過酷さから目をそらすな。俺は、もう助けられないんだから」


 急にノルさんらしくない後ろ向きの台詞を聞かされ、わたしは動揺しました。ヤンさんの気まずげな態度が、ここにきてパズルのピースのようにハマっていく。


「ヤンさん?」


 最年長者としていつも頼りになるヤンさんが、自分の首筋を撫でながら気が重そうに口を開いていく。


「撃たれたんです」


「えっ?」


 この場合、ノルさんがという意味でしょうが・・・・・・パッと見では、そんな怪我は見受けられません。


「弾丸は綺麗に貫通していて、止血ももう終わりました。命に別条はありません」


「はっきり言ってください」


「足が動かないんだ」


 そう、ノルさんは自分で自分の状態を告げました。


 単純な言葉の組み合わせ、意味が分からないなんてことはありませんけど・・・・・・頭がうまく働かない。


 呆然としているわたしを見ながら、ヤンさんは医者がそうするように冷静に、ただ診察した結果だけを語っていく。


「背中を掠めるように弾丸が貫通したんです。その際にどうも脊椎を損傷したらしく、下半身の感覚が完全になくなっています。いわゆる下半身付随の状態です」


「ですが、そんな・・・・・・一体いつ!?」


 やっと違和感の正体に気がつきました。ノルさんは上半身の力だけで、そばに立てかけられていたガリルARMを手元に引き寄せました。


「どうでもいいだろ、そんなこと」


 そうやってわざわざ言葉を濁すということは、時系列的にも鳥籠の少女を助けだした直後でしょう。歴史にIFは存在しません。後悔しはじめたらキリがないとはいえ、どうしても“もし”と考えてしまう。


 “もし”――わたしが鳥籠の少女を見捨てていたなら、ノルさんは無傷だった筈なのですから。


 ケティさんのMG42が弾詰まりを起こしても、ノルさんが素早くカバーしていたに違いありませんし、そもそももっと早く船内に撤収できていたはず。


「・・・・・・わたしのせいだわ」


「だからどうでもいいんだよ、そんな事は。誰か、ケティを呼んでくれないか!!」


 狭い船内ですから、子どもたちの誰かが気を利かせて、すぐケティさんを起こしてくれたみたい。眠たそうな足音が近づいてくる。


“せっかく寝てたのに何だぜ?”


 寝ぼけ眼をこすりながら、気だるげな手話で文句を述べてくるケティさんは、まだ自体を飲み込めていないようでした。


 ノルさんにガリルARMを差し出されて、やっと何かがおかしいと気がついたみたい。赤毛の少女の顔に、怪訝なものが混じっていく。


「前から欲しがってたろ。別に特別なところなんて何もないが、お前にやる」


 まるで形見分けでした。いえ、ノルさんはそのつもりでいるに違いない。


「・・・・・・置いてはいきません」


「馬鹿言うな」


 わたしの宣言に間髪入れず、ノルさんが小さな子どもを叱りつけるように言いました。


「賢いんだから分かるだろ。足の動かない奴を、民間軍事会社PMCに追われながら連れ歩けるもんか」


「どうにかします」


「戦えるのは、俺を除けば2人だけ。だが体格的に俺を背負えるのは、DEAだけだ。ただでさえ少ない人手をお荷物に割くつもりか」


「そんな風に自分を卑下しないで」


「無理なものは、無理だ」


 少し目をつむり、ノルさんは言葉を考えているようでした。


「俺が・・・・・・人の事情に好きこのんで首を突っ込んできたお節介女を信じたのは、具体的なプランがあったからだ。だが今のお前は、感情でしか話をしていない」


「・・・・・・」


「足手まといは当然としても、傷も完全には塞がってないから、感染症にかかれば重症化しかねない。それとも俺が入院してる間は、敵も追跡の手を止めてくれるのか?」


 ぐうの音も出ない正論ばかり、ノルさんが正しいと頭では分かっているのです。1人のために全員を犠牲にするのか、はたまたその逆か? わたしは今、そういう決断を迫られている。

 

 まだ確認はとれていませんが、カリ・カルテルのコントロールはもうできないでしょう。“クレイドル”からサルベージしたデータは、鳥籠の少女の破壊工作によって失われてしまったはず。


 切り札はもうなく、友人に連絡もとれません。手元にあるものだけでわたしは、子どもたちの命を繋がなければ、ならないのです。


「俺から戦いをとったら何も残らない」


 ノルさんはとうに、おそらくずっと昔から覚悟していた。


「こういう終わり方も俺らしい」


 その独白は、わたしの心にも突き刺さっていく。


 戦争しか能がないと認めて、ならそのスキルをうまく使って、どうにかして子どもたちを救いだそう。そう考えた末路が、いまの現状なのですから。


 死から逃れようとして、わたしは逆にその死を引き寄せていた。ノルさんの右腕に刻まれたサンタ・ムエルテのUVタトゥー、その真っ黒な眼窩がわたしを見据えていました。


「兄さん?」


 ただならぬ雰囲気に気がついてしまったのでしょう。いつの間にかハスミンちゃんが、彼女らしくない不安げな表情を浮かべて、こちらを見つめていました。


「・・・・・・俺には責任がある」


 言葉少なに、だから見捨てろとノルさんが迫ってくる。それが正しいと、指揮官としてのわたしが囁きかけてきます。


 甘えを捨てろとは、これまで大勢に助言されてきたことです。古くはジェリーおじさまが、最近では今まさに、ノルさんがそう助言してくれていた。


 わたしだって、辛い目にいろいろと遭ってきましたけれど、いつだってそばで支えてくれる人が居ました。でもあの船で出会った12人の子どもたちには、生まれてからずっとそんな救いなんて無かったんだわ。


 今、ついにこの子たちと同じ土俵に立つことになりました。ここにいるのは、わたしだけ。わたしが選び、その責任の一切を被るしかない。それが、救った者の義務なのですから。


「絶対に、誰も見捨てません」


「テッサ!!」


 ノルさんの苛立ちはもっともです。ですが、まだ最後の選択肢が残されている。


 ずっとワンピースのポケットに収まっていた、クシャクシャになってしまった葉書をわたしは取りだしました。電球丸出しの船内照明で、その葉書を照らしだす。


 水ですこし滲んでいましたが――その葉書には、ある組織への連絡先が記されていました。




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