XV “終わりは、いつも唐突に訪れる”

【“ヤン”――デ・ダナンⅡ、船尾】


 崩落音を聞きながら、ついにやったかという気分になる。マオ元少尉が駆るM6、それを一撃で仕留めたのが、あのガントリークレーンを利用したトラップだった。


 コンテナ・ロケット弾は、あれで中々よく考えられた即席兵器だとは思うけれど、いかんせん装甲目標には効果が薄い。なにせモンロー効果なんて微塵も考えられていない、ただひたすら力任せの兵器なのだから。


 その点に関していえば、あのガントリークレーンだって五十歩百歩かもしれないけれど、いかんせん質量の桁が違う。


 ASのかるく数倍はある巨大建造物によるボディプレス・・・・・・戦闘証明バトルプルーフという点でも、先ほど言ったようにあのトラップは、すでにM6を行動不能Mキルにした前科があった。


 敵がAS、それもM9を繰り出してきた時点で僕らにほかの選択肢はなかったろう。下手をすればコンテナ船を沈めかねない大技だけどそこはそれ、あの赤髪の爆弾魔が上手くやってくれたらしい。あの子の繊細さは、ほとほと爆弾作りにしか発揮されないものらしい。


 攻撃が成功したかどうか、わざわざ尋ねるつもりはなかった。余計な通信で大佐殿を煩わせたくないし、よしんばまだM9がまだ生きているなら、向こうから警告が飛んでくるに違いないのだから。


 なんというか、金属製の地崩れに巻き込まれた気分だ。ガントリークレーンが崩れ落ちる轟音ときたらコンテナ船の巨体を揺るがすほどのレベルで、僕が立っている船尾全体を、崩落によって生まれた薄靄のようなダストが覆い隠していった。


 埠頭からとどく灯りがそのダストのせいで乱反射して、あたりは場違いなほど幻想的な景色になっている。だけど目の保養ばかりしてもいられない。


 ダストを吸い込んで咳き込んだりしたら、待ち伏せが露見してしまう。だから袖で口元を覆ってから、隠れ場所であるアンカーの巻き上げ機の影からインベルMD-97の銃口を突き出していった。


 こうまで巨大な船のアンカーなんだ。それを繋いでいる鋼鉄製の鎖錨すら人間の腕サイズもあり、それが数十メートル分も巻き上げ機に張りついている。きっと下手な装甲車よりも防弾性能は高いに違いない。


 それにここは、あらゆる照明から死角になっている。船尾全体を見渡せるし、それでいていい感じに背後の出入り口を覆い隠してもいる。これなら、いざっという時に敵の射界から逃れつつ、船の中へと退避することも可能だろう。


 だが敵、敵か・・・・・・僕らの今の敵はどうもミスリルUSAであるらしい。


 どうしてこうなったのか? 最初っから複雑極まりない情勢だったけれど、また加速度的に訳のわからない方向に向かっている気がする。


 僕にとってボーダ元提督というのは、ずっと雲の上の存在だった。一兵卒が大統領を身近な存在として感じられるか? そういう次元の話だ。だけど意外なことに向こうは、僕のことをご存知だったらしい。


 単に元SRTという肩書きが効いたのだろうけど、ある日いきなり僕の私書箱にボータ元提督がしたためた手紙が届いたときには、ひどく驚いたものだった。元提督あらためCEO・・・・・・会社へのお誘いのハガキだった。


 だけど届いたタイミングがあれだった。さあ夢を叶えるぞと、レースカーを購入した翌日にこれだ。もう軍隊とか、それに類する組織には近づくまいと決めていた当時の僕としては、どんな高待遇でもうなずく気分になれなかった。借金をこさえた後ならまた話も変わって・・・・・・もしかしたら今ごろ、ミスリルUSAの社員証を首から垂れ下げていたかもしれないけれど。


 当時、まだ連絡を取り合っていた元同僚たちにも件のハガキが届いたそうで、そのうちの何人かは参加するつもりだと答えていたっけ。アイツら、あれからどうしたのだろうか? 


 レーサーの夢があえなく空中分解して、背負った借金を返すのにいっぱいいっぱいになってしまった僕は、元同僚たちと連絡を取るどころじゃなくなってしまった。


 やっぱり止めた、そういう奴らも大勢居ただろう。昔のミスリルのイメージのまま入るとバカを見る、そんな怪しげな噂が出回っていたからだ。だけどそのまま入社した奴らだって、絶対に居るに違いないんだ。


 ミスリルUSAが相手というのは予想外だったみたいだけど、こと戦闘における大佐殿の読みときたら未来予知レベルだ。表の騒ぎはもしかしたら、端っから陽動だったのかもしれないな。


 ダスト製の薄靄を切り裂くように、船尾にいきなりフックが飛び込んできた。三又に分かれた金属製のフックだ。ただし全体にゴムが巻きつけられており、着地の衝撃音はほとんど聞こえなかった。


 これは想像だけど、闇夜に紛れて接近してきた敵のボートには、プルメットとかの空圧式索発射銃ライン・スローワーが装備されていたに違いない。空気圧でロープ付きのフックを打ち上げて、船尾へのショートカットコースを作りあげるために。


 フックが安全柵の向こう側へとゆるゆる引っ張られて、障害物にうまいこと引っかかった。何度かフックが引っ張られて、相手はどうやらこれなら外れないなと確信したようだ。あとは登るだけでいい。


 ロープが左右に小刻みに揺れていくさまを僕は、ライフルのアイアンサイト越しに見守りつつ、声を潜めて無線機へと囁きかけた。


「ウルズ9より、アンスズ」


 ガントリークレーンの崩落によって戦闘は中断、奇妙なほどの静寂状態にあった。だから小声でも大佐殿はちゃんと聞き取ってくれた。


『こちらアンスズ』


「船尾から奇襲部隊がロープを伝って接近中」


『援護が必要ですか?』


 カチリ、僕はインベルの安全装置を親指で外した。


いいえネガティブ。ポイントマンを狙撃すれば、後続はそのまま引くでしょう。そのあとでクレイモア地雷で一帯を封鎖すれば、以後、自分は自由に動けます」


 無線機の向こう側から、大佐殿の葛藤が感じられた。きっと僕とおなじ懸念を抱かれているに違いない。もしかしたらあのロープの先に居るのは、元同僚かもしれないのだ。


 こういうのも仲間殺しに該当するのだろうか? 僕だって迷いはある。だけど・・・・・・この船尾は日当たりの良い場所なんだ。


 いつだったか、片目片足のあの子が紅茶を飲んだことがないというので、この場所で大佐殿がお茶会を開いたことがある。他にも問題児筆頭の爆弾娘とバウティスタが、こっちが心配になるほどいつも無口なシーロを巻き込んで、ここでサッカーをやろうとしたこともあったな。


 転けて頭をぶつけたら頭蓋骨陥没は間違いない障害物だらけ。ここは危ないと注意したところでどうせ聞きはしないから、仕方なく徹夜で格納庫に白線をひいてやって、サッカーグランドをでっち上げたこともあったな。


 だからまあ・・・・・・僕だって迷いはあるし、きっと後悔だってするだろうけど、躊躇はしないだろうな。


『アンスズ了解』 


 多分だけど、あえて事務的に答えてから大佐殿は通信を切った。


 インベルの銃床をしっかり肩にめり込ませながら僕は、来るべき時を待ち受けた。照準は完ぺき、どうせ相手は重たい装備を抱えながらロープを登っている真っ最中なわけで避けようもない。勝ちは見えていた。


 相手にヘリがあったら危ない所だったけれど、確たる援護もなしにこんな風に乗り込んでくるなら、僕ひとりでも十分に対処は可能だ。


 船尾という場所は集団が展開できる程度には広く、船というのは基本的に前にしか進まないから背後の監視はもとからおざなりであり、それでいて上部構造物のすぐ近くだから一気に船の中枢部を落とすこともできる。ついでにいえば、航行中限定とはいえ、船のスクリューが接近する音をかき消してくれる。だから大佐殿は、船尾から攻めるのがセオリーなんて言ったんだ。


 あえて奇をてらわず、セオリー通りに仕掛けてくる“敵”。僕の知っているミスリルらしくない。


 かつてのミスリルであれば、隊員の練度が桁違いだったから、あらゆる作戦をフレキシブルに展開できた。自分たちにしかできない奇策で攻める・・・・・・そういうイメージだったんだけど、ミスリルUSAはどうも違うらしい。


 M9を擁しているのに正面突破に失敗しているし・・・・・・僕が思うよりも、かつてのミスリルとの繋がりは薄い組織なのだろうか? いや、罪悪感を薄めようとして変な方向に思考が傾いてるな。


 守りやすいとはいえ、一度でも橋頭堡を築かれてしまったら終わりだ。数の差で押し切られてしまうだろう。だからこそ最初の一撃で相手に衝撃を与えて、次の攻撃を躊躇させなくてはならない。相手の顔が見えた途端、それが誰であっても問答無用で銃弾を叩きこむ、これしかない。


 経験から言ってロープの先頭をいくポイントマンには、あまり選択肢は与えられていない。


 片手でロープを掴んで身体を支え、もう片方の手でハンドガンを引き抜きつつ、敵が待ち伏せていないことを祈りながら一息で登りきる。そんな僕がかつて教わった通りのやり方を、ミスリルUSAのポイントマンもまた実施していた。


 黒い人影が、柵の向こう側から躍り出てきた。完ぺきなまでに音を消して接近してきたんだ。当然のようにその服装は、夜に馴染むよう黒一色に統一されていた。顔もそうだ、ダークグリーンのフェイスペイントが塗りたくられていてうまく判別できない。


 だけど、


「あた」


 なんて、乗り越えようとしてうっかり頭をぶつけてしまった間抜けなポイントマンの声に僕は、たしかに聞き覚えがあった。


 さっさと撃つべきだ。頭では分かっていたけど、それでも自分の位置が露呈してしまうリスクを承知で、僕はついつい相手のポイントマンに話しかけてしまった。


「まさか・・・・・・お前ウーか?」


 僕がそうかつての同僚の名前を呼ぶと、


「えっ? 嘘でしょう・・・・・・もしかしてヤン軍曹ですか?」


 なんて、戸惑いがちに肯定する返事が返ってきた。


 ウーは、かつて僕とおなじミスリル西太平洋戦隊に籍をおいていた、初期対応班PRTのメンバーだった奴だ。


 PRTというのは、僕が属していた少数精鋭のSRTを補完する存在。つまり数の力で作戦を支えるのが専門の部隊だ。口の悪い奴らは、ようはSRTの二軍じゃないかと呼んでいたりしたけれど、じゃあお前はマイナーリーグの選手に野球で勝てるのかという話で、二軍だとしてもミスリルに属している時点で、精鋭部隊の名に恥じない練度をPRTは持ち合わせていた。


 部隊は違うし、年齢は近くもなく遠くもなく、ウーは中国系で僕は韓国系、性格や好みだってそうだ。とにかくなんでも微妙に違う間柄、特に趣味が同じだったりもしないのにどうしてか、作戦の都合という以上に僕とウーは、一緒に組む場面がみょうに多かった。


 居酒屋に居合わせたら一緒に飲むし、それなり以上に楽しい時間を過ごせるだろうけど、わざわざ待ち合わせたりはしない。そういうちょっと自分でも説明に困る間柄だった。けどまあ、友人ではあるのだろう。


「ウー、そんなとこで何してる?」


 我ながら軟弱だけど、どうにも相手がウーだと思うと、途端に撃つ気が失せてしまった。ライフルを降ろしながら僕は、街でばったり疎遠だった友人と出会ったかのように、ウーに話しかけてしまった。


「それはもちろん、再就職しまして・・・・・・」


「再就職だって?」


「ええ。だってほら、相場からすればミスリルの給料は抜群に良かったですけど、このさき一生、遊んで暮らせるほどの額でもなかったですから」


 ウーもウーで上半身を安全柵に寄っかからせながら、あっさり話に応じてくる始末。でも、そうだよなぁ・・・・・・僕が属してたSRTはリスクに見合う特別手当もあって、ちょっとしたメジャーリーガークラスの給与を貰っていたものだ。


 それでも金は天下の回りもの。自業自得な面もあるとはいえ、あっさり借金地獄に陥ってしまった。そもそもレースカーと家を買った時点でわりとあっぷあっぷだったし。


「新人を鍛えたいから、1ヶ月ほど教官をやらないかって誘われちゃいまして。それもボーダ元提督から直々にですよ? まあ、それぐらいならって。金額も良かったですし」


 そうか、ボーダ元提督は僕も含めて、全員におなじ口説き文句を送っていたんだな。あのハガキも実は、巧妙に偽装された直筆風味のコピー品だったんじゃないのか?

 

「教官なのに・・・・・・おまえ実戦に出てるのか?」


「それが1ヶ月の約束どころか、半年過ぎてももう帰れって言われないから、なにか変だなって事務の人に聞いてみたんですね。そしたら・・・・・・どこで間違えたのか入社するって書類にいつの間にかサインしちゃってたみたいで。今や正社員です」


「お前それ、詐欺られてないか?」


「やっぱそうなんスかねぇ。でも古参兵あつかいで待遇いいし、ま、いっかなって」


 我ながら緊迫感に欠けるやり取りだった。コイツ、これでよくミスリルに入隊できたな。


「手術費用もありましたし、渡りに船ですよ」


「ああそうか・・・・・・アフガンでの一件か。悪かったな、見舞いにもいけなくて」


「いえ、みんな忙しそうだったし。そんなの全然」


 どうやら戦闘が再開されたらしく、銃声がまたそこかしこでこだまし始めた。コンテナ・ロケット弾の射出音も時たま聞こえるし、辺りはまさに戦場の雰囲気だ。なのに僕たちときたら世間話に興じていた。


 場違いにもほとがあるやり取り。外野が苛立つのも分かる。


「おい、何やってんだ!!」


 ウーが掴まってるロープ下、こっちからは見えないけど、きっと数珠つなぎになっているに違いない兵士の一人が業を煮やして、僕らにツッコミを入れてきた。


 その声に反応してウーは僕から視線をそらし、自分の股のほうを見やった。


「いやーそれがさぁ。昔の同僚が船に乗っててさ」


「はぁ!? 同僚ってなんだ!?」


「ミスリルのだよ。あっ、ただし会社になる前のミスリルの、だけどさ」


「じゃあ、かつての傭兵のお仲間ってことか?」


「まあ、そうなるね」


「かつての傭兵仲間が、麻薬カルテルの船に乗ってるのか!!」


「なんで怒鳴る!!」


「麻薬カルテル×傭兵、この時点でいろいろと察しろよ!!」


「なにがだよ?」


「カルテルがどんだけ傭兵を雇い入れてると思ってる!!」


 ああ・・・・・・なるほど、あっちの認識ではそうなるのか。これは、いつものパターンってことだな。


 もしかしてこの事件の根っこって、すべて大佐殿とテオフィラ=モンドラゴンの他人の空似で説明がつくんじゃないのか? これさえなければ、話はもっと単純だったに違いない。


 僕は頭を掻きつつ、呆れ口調でウーに言った。


「当てようかウー。お前たち、テオフィラ=モンドラゴンを拘束しろって上から命令されて、ここまでやって来たんだろ?」


「ええ、よくご存知で」


 トラックで大佐殿が話していた通り、CIAの言い訳にまんまと騙されてるらしい。


「最初に写真を見せられたときにはもうほんと驚きましたよ!! 見た目ほんとに大佐殿でしたからね!!」


「ああ、ほんとーに、よく似てるよな」


 僕が意味深にそう言い放つと、にわかにウーが考え込みはじめる。


「ええ・・・・・・ですよね。まてよ、大佐殿のそっくりさんが乗っている船に、ヤン軍曹が居る・・・・・・これってつまり」


 まあ、抜けてる面もあるけどPRTに属していた時点でウーは馬鹿じゃない。ちゃんと点と点を繋ぎ合わせられる男のはず。どう考えても変だろこの状況?


「分かってくれたか?」


 僕がそう言うと、顎に手を当てていたウーはなにか閃いたらしい。ウーが言う。


「まさかヤン軍曹、偽物に騙されてるんですか!? いけませんって!! 大佐殿にそっくりですけど、アレって麻薬王の妻なんですよ!! 別人どころか南米版の極道の妻ですよ!! 極妻!!」


「・・・・・・まーた話が拗れてきた」


 どうにも意図的に勘違いを引き起こさせている黒幕がいる様子だが、この場合は本当にただの勘違いだ。それもかなり面倒くさい方向にかじを切っている勘違いだ。


 どうしたものか。このままこのまま誤解を解く努力をするべきか? 個人的な親交もあるし、ウーは話せば分かる奴だ。ただ問題がひとつ、時間があまりになさすぎる。


 この間にも、麻薬カルテルを成敗してるつもりのミスリルUSAの傭兵たちが船に押しかけてきてるわけで、長話なんてしてられる状況じゃない。この船で陸戦要員と呼べるのは、僕と女装癖の変態と爆弾魔のたった3人ぽっちときてる。ただでさえ人手が足りてないんだ。


 とはいえ、今さら気が変わったとウーの奴を撃ち殺せるほど、僕はサイコパスを極めてない。となると残る選択肢はひとつだけだ。


「ウー、お前たちどんな船に乗ってきたんだ?」


「え? そりゃ、普通のゾディアックですけど」


「ゴムボートかそれは良かった。なら軽傷で済むな。でもできるだけ、海の方に落っこちろよ」


?」


 疑問符を頭に浮かべたウーに向けて、僕は無造作にインベルを向けた。ハンドガードを握りしめる左手をうしろに引き寄せ、右手はできるだけ上の方を握りながらあまり力を込めないように。それから片目を閉じて、しっかりとフックに繋がるロープへと狙いを定めていった。


 十人単位の完全武装の男たちを支えられる頑丈なロープでも、ライフル弾にかかればほんの3発たらずで、あっけなく千切れてしまった。


 ウーを筆頭に、ロープにしがみついていた男たちの悲鳴が尾を引きながら消えていく。それからほどなくして、大きな水音がいくつも聞こえてきた。


 まあ、溺れたくないなら装備を海中に捨てるしかないから、無力化にも成功しただろう。結果的には撃ち殺すより、こっちの方が良かったのかもしれない。


「これから船尾をクレイモア地雷で封鎖するから!! もう登ってこようとするなよ!! あと、久々に話せてよかった!!」


 下手に身を乗り出せば、撃たれかねない。だから巻き上げ機のうらから大声をはりあげてみたんだが、位置関係的に聞こえたかどうか微妙な線だ。よくよく考えてみれば、撃つまえに先に言っておくべきだったな。


 とはいえ、船尾は待ち伏せされていると相手に印象づけることには成功したはず。船尾には武装した敵が居て、そのうえクレイモア地雷で封鎖されているとなれば、おいそれと侵入はできないだろう。


 あらかじめ設置しておいたクレイモア地雷のトリップワイヤーの状態を確認してから信管を外す。警告用に、あえて見せつけるように配置されたものが幾つか。それとは別に巧妙に隠された本命が複数。これだけ仕掛ければ十分だろう、これで僕はもう自由に動ける。

 

 つぎは右舷に回って、埠頭の敵を抑えるのか。はたまた遊撃隊として出番が来るまで待機するのか? やることは幾らでもある。


 無線機を手に取り、さっそく今の状況を大佐殿に報告しようとした。


「ウルズ9より、アンスズ・・・・・・いや、待機してスタンバイ


 だが言い終えるまえに、異常に気がついた。


 おそるおそるインベルを先頭にして、角を曲がる。すると真っ直ぐ船首まで、左舷の状態がすべて手にとるように見えた。


 一方はコンテナ、もう一方は海へとつづく狭い甲板の通路に、先ほど見かけたばかりのフックがたくさん落ちていた。そのどれもがすぐさま海側に引き寄せられて、つぎつぎと安全柵に引っ掛かっていく。


 何が起きているかはもう分かっている。でも、確認せずにはいられなかった。リスキーなのは重々承知だけど僕は、ゆっくり柵から頭だけ出して、海面の様子を調べてみた。


「ッ!!」


 途端、夜の海でマズルフラッシュがまたたき、弾丸が耳元を掠めていった。たまらず伏せると、背後の壁に何十発もの弾丸が突き刺さっていく。


「ウルズ9より、アンスズ!! 敵ボートが複数、左舷側に接近中!! 推定人数は、おそらく数十名ッ!!」


 船尾を攻めるのはなるほど、プロのセオリーではある。だけど兵力に余裕があるならわざわざ小細工なんてせず、すべての侵入経路をどうじに攻めるのが一番、確実なんだ。呆れた物量作戦だけど、実際問題これではこちらの手が足りない。


 さっそく登りきって、安全柵に手をかけてきた敵のタクティカルグローブめがけて、とりあえずインベルで数発送り込んだ。至近弾に怯んでその手が柵の向こう側に引っ込んでも、すぐさま別の手がハンドガンをこちらに向けてデタラメに乱射し始めるし、スモークグレネードを投げ込んでくる奴もいる。


 狭く、そして開けた一本道の通路は、船尾よりずっと守りやすい立地ではあるけれど・・・・・・やはり数が違いすぎる。


 僕は匍匐姿勢をとって撃ちまくり、とにかくミスリルUSAの連中の頭を抑えようとした。今のところは上手くいっているが、どこまで続けられることか。30連のライフル1挺だけでは、いくらなんでも心許なさすぎる。遠からず凌ぎきれなくなる。


 プロだからこそ、自分の限界はよくよく心得てる。自分の能力を過信するのは、戦場では禁物だ。ここでカッコつけて自分一人でも大丈夫なんて言おうものなら、そのツケを支払わされるのは、僕だけじゃない。


 だからありのままに大佐殿に現状を伝えた。


「至急、増援を!!」


 言ってはみたものの、今の僕たちの厳しい戦力事情で増援なんて出せるのだろうか? だけどここを突破されたら、数に勝る敵を船内へと引きずり込んで接近戦をやらかすしか方法がなくなる。


 そんなもろもろの懸念を頭の隅へと追いやって、僕は僕はただひたすら射撃に集中することにした。一介の兵士である僕には、他にできることなんてなにもないのだから。









【“テッサ”――デ・ダナンⅡ、ブリッジ】


『至急、増援を!!』


 無線機から響く、ヤンさんの切羽詰まった叫び声は、わたしの足元で狙撃に明け暮れていたノルさんにも聞こえたみたい。


「どうする? 俺が行くか?」


 距離的にもそうですし、戦闘力の面でも増援として出せるのは、今はノルさんしかいません。ですがここでノルさんを送り出せば、正面の敵に対する遊撃戦力を失うことになる。


 ガントリークレーンの崩落によって正面の敵は混乱状態。とはいえ、これまでの動きからして敵は決して愚かじゃありません。現に動体センターはじめ、各種のセンサーが仕掛けられていた左舷側へと、気づかれることなく接近してみせた。本命はこっちだったのかしら・・・・・・。


 ある程度は予想していた事態。ですがヤンさんの手にあまるほどの大兵力を投入してくるとは、こっちは想定外にもほどがある。


「・・・・・・」


 わずかな逡巡。たった1秒が生死を分かつのだと、長年の経験から知っている。これ以上、悩むわけにはいきませんでした。


 わたしは導き出した結論を、すぐさま言葉に変えて口に出す。

 

「増援は出しません。代わりに、左舷側のコンテナ・ロケットで敵を迎撃します」


 指示どおりにわたしの身体を盾にしながら淡々とガリルARMで狙撃を続けていたノルさんが、射撃姿勢のまま視線だけこちらに向けてきました。


「いいのか? それなら容易く殲滅できるだろうが・・・・・・」


「頭の上からあんなものを落とせばボートなんて木っ端微塵。分かってます」


 そうです、わたしはこれから、かつての部下たちが在籍しているかもしれない組織の兵士たちを皆殺しにしようとしている。


 だからあえて明言したのです。何よりもまず、自らの退路を断つために。無線機をわたしは、口元に当てていきました。


「アンスズからウルズ9へ、これより炸薬入りのコンテナを左舷側に投下します。ただちに遮蔽物の裏へ退避してください」


 生き延びなければ、後悔することもできません。また牽制射撃を再開しだしたノルさんに気づかれぬよう震える手を隠し、ベリンダちゃんに連絡しようと無線機を掲げる。その矢先でした、デ・ダナンⅡの船首へ対戦車ミサイルが着弾していったのは。


「なッ!?」


 ミサイルの航跡を目でたどれば、出本はコンテナヤードでした。あの無貌のAS、フェイス・レスが天使の輪のようにまたしても対戦車ミサイルを頭上に展開させ、それを1発、また1発とコンテナ船に向けて放っていたのです。


 笛の音色のような鋭い風切り音が聞こえるたびに、デ・ダナンⅡに積載されたコンテナたちが弾け飛び、色とりどりの破片をまき散らしていく。


「こちらのロケット弾を無力化する気ねッ!!」


 あのコンテナ・ロケット弾は、蒸気によって押し出されたピストンを動力源にして発射されます。


 どうせ空力特性なんて微塵も考えられていない、誘導しようもないコンテナ製のロケット弾なのです。射程距離は最低限でも構いません。ただし安全性と動作性能を高めつつ、狙った場所にだけは確実に落ちるようにと、わたしとケティさんで苦心したすえに編み出した発射方式でした。


 クラスター爆弾の代わりに、プロパンガスのボンベを詰め込んだものもありますから、誘爆は皆無ではありません。ですが・・・・・・それでも船をまるごと破壊するほどの大爆発には至らない。


 初弾から次の対戦車ミサイルが飛ぶまで、やや間がありました。おそらく誘爆するかどうか試していたに違いありません。ブリッジに居るわたしからすれば、船首というのは一番遠い場所でもあります。わたしさえ傷つかなければ何をしても良い、そんな考えがこの攻撃からは透けて見えました。


 そう相手が確信をもった途端、攻撃は激しさを増していきました。


 おそるおそる足を踏み出すような慎重さは消え去り、対戦車ミサイルの発射間隔はほとんどフルオート射撃にひとしい間隔へと変わっていく。


 爆撃機が落とすような爆弾に比べたら、対戦車ミサイルの爆発力はそこまで大きくありません。ですがそれが一度に数十発も叩きつけられたら、まるで大爆発でも起きたのかと錯覚してしまう規模になる。


「無茶苦茶だわ・・・・・・」


 爆風で髪がなびき、着弾の閃光がわたしの視界を覆っていく。ですが被害といえばそれぐらいのもので、わたし自身は怪我ひとつにありませんでした。やはりこちらに被害が及ばぬよう慎重に配慮されていた。


 船を覆っていたたくさんのコンテナ、そのほとんどは破壊されてしまいました。黒煙をたなびかせ、幾つかは炎上している。生き残っているものもあるでしょうが、どれが使えるのか確認する作業だけども苦労しそうです。もう、コンテナ・ロケット弾は使えない。


 こちらの最大の攻撃手段を塞ぐのは、戦術としてはとても理にかなっています。ですがヤンさんがつい先ほど、敵が船に取り付こうとしていると報告したばかりなんですよ?


 つまり相手からすれば、友軍が爆発有効圏内デンジャー・クロースに居るにも関わらず行われた攻撃ということになります。味方を巻き添えにしてもなんて、まともな指揮官が考えることじゃありません。


 これまで敵は、奇をてらわずに堅実な戦術で仕掛けてきました。数の利に任せた波状攻撃。ただし犠牲は出さないよう事前に煙幕を張ったり、できる限りの努力を重ねてはいた。


 それがここに来て、犠牲を顧みない無謀な攻撃へと切り替わったのです。嫌な感じに、うなじの毛が総毛立つ。


 まさか敵の指揮官が変わった? 単なる想像ですけれど、そう考えれば急激な方針転換にも納得がいく。どちらにせよ、風向きが変わった気がします。


「ここからは、接近戦になるな」


 わたしよりずっと冷静に、ノルさんは告げました。もうロケット弾という防壁が無い以上、ミスリルUSAは堂々と船に乗り込むことができる。となれば、こちらも白兵戦を展開するしかありません。


「手はずどおりに隔壁を閉鎖して、敵を一本道に誘い込もう」


 確かに、そういうバックアップ・プランを立ててはいました。


 わずか300人の手勢で数十万の大軍を食い止めたテルモピュライの戦いよろしく、地形を味方につければ、勝機も見えてくるかもしれません。


 封鎖された隔壁で敵を巧妙にキリングゾーンへと誘い込み、あとはノルさんお得意の近接戦闘術CQBでもって決戦を挑む・・・・・・ただし、問題点はいくつもあります。


 まず隔壁は頑丈ですが、必ずしも突破できないものではないということ。先ほど引用したテルモピュライの故事のとおり、敵に迂回されてしまったら、地形の優位なんて一瞬で消え去ってしまう。


 それにノルさんは接近戦の達人ですが、対するミスリルUSAの人員だって近接戦闘術CQBを学んできたはず。数と装備の点で、相手の優位は揺るぎません。


「そのプランって、あくまで脱出のための時間稼ぎとして考えていたものなんですけど」


 わたしがそう言うと、ノルさんがじゃあ他に手はあるのかと、眉を上げて反論してきました


「脱出しようにも、海が封鎖されてるんじゃどうしようもないだろう。ペラペラの救命艇じゃ銃撃は防げない」


「分かってます。ですが、まだアイデアはあります」


「だといいがな。控えめにいっても今の俺たちは、進退窮まって――」


 いきなり火花が散って、ノルさんの頭ががくんと弾けるように背後へ仰け反りました。


「なッ!! ノルさん!?」


 ライフルを力なく下ろして、地面へと横たわっていく彼の姿を見て、すべてを悟りました。


 狙撃だわ!!


 らしくもなく、ノルさんは顔面を抑えたままへたり込んで動きません。その姿にただならぬものを感じる。臓物がはみ出していても平気で動きまわる人なのに。背筋に、たまらなく嫌な感覚が走りました。


 担ぐなんてのは、わたしの非力な筋肉では実行不可能でしたけど・・・・・・彼の服の襟を掴んで、精いっぱいブリッジの中へと引きずることはなんとか出来ました。ほとんどノルさんがよろめきながらも歩いてくれたお陰でしたが、道案内ていどの役には立ったかしら。


 狙撃された以上、180度に窓が張り巡らされているブリッジは安全とはいえません。ブリッジからさらに奥まった場所にあるチャートルームまでなんとか向かい、海図台を背にしてノルさんを地面に座らせました。


 ここなら明かりを使っても大丈夫。本来は海図を見るために設置されたデスクライトを引っ張ってきて、ノルさんの顔面を照らしてみました。


「クソッ・・・・・・前がよく見えない」


「触らないで!! いま診ますから!!」


 こんな時でもライフルを手放さなかったノルさんはさすがでしたが、今は必要ないでしょう。


 一旦わたしは、重すぎるガリルARMを彼の手から取り上げて、脇へと置きました。その時、ライフルに載せられた照準器からパラパラと、ガラス片がこぼれ落ちていきました。元はレンズだったに違いない。


「右目はどんな具合だ?」


 ノルさんの利き目は右、すなわち照準器を除くために彼は、右目を使っていた。そこに狙撃手が放った弾丸が飛び込んできて、照準器へと着弾したに違いありません。


 ノルさんの瞼は、照準器のレンズ片によって切れてしまっていた。頭の傷というのは、小さな傷でもたくさん出血するものです。どうやら血が目に入ってしまい、ノルさんの視界を塞いでしまったみたい。


「良かった・・・・・・目の周りは切れてますけど、眼球は大丈夫そう」


「いきなり、視界が真っ暗になって・・・・・・」


「青あざもありますから、たぶん照準器が高速でぶつかったんでしょう。きっとそれが原因です」


 ノルさんのライフル、ガリルARMには二種類の照準器が載せられていました。主に近距離戦でつかわれる等倍のホロサイトと、そのホロサイトに倍率を付与して簡易的なスコープへと早変わりさせる拡大鏡こと、マグニファイアのセットです。


 ライフルを引きずって、照準器の中を覗いてみる。すると驚きでした。狙撃手が放った銃弾はホロサイトを完全に破壊し、つづいてマグニファイアの筒のなかへと飛び込んだ。ですがノルさんの頭をつらぬく寸前で弾丸は耐久力の限界に達し、ついには砕けてしまったみたい。


「ちょっとでもズレてたら・・・・・・」


「失明してたか?」


「頭に直撃してましたよノルさん」


 もし照準器を二重に載せていなかったら、弾丸はあっさり貫通していたに違いない。そうでなくともほんの数センチずれるだけで、照準器に邪魔されることなく弾丸は、ノルさんの頭を捉えていたことでしょう。


 なんて奇跡的な確率。それとも不幸中の幸いと呼ぶべきかしら?


 わたしは近くの洗面所から救急箱を持ち出してきて、まずは一緒に汲んできたコップの水でノルさんの傷口を洗いました。それだけでもだいぶ視覚を取り戻せたみたい。なんどか目を瞬かせるノルさん。


 突き刺さったレンズ片は痛々しかったですが、ピンセットで簡単に抜けましたし、量もそれほど多くない。あとは大きめの切り傷を医療用のステープラーで留めてあげれば、とりあえず止血は完了。


 まだ見えづらそうですが、左目は無傷でしたから当面は問題ないでしょう。


「ワンピース」


「えっ?」


 急に、右目だけ半目にしているノルさんが言いました。

 

「ワンピースの端っこに穴が開いてる」


 指摘されてはじめて気がつく。確かにわたしのワンピースの裾に、小指のさきほどの穴が空いてました。


 わたしを盾にするように。そう命じたのは、他ならぬ自分自身です。その命令を忠実に守ったノルさんは、わたしの背後に隠れるように狙撃を繰り返していたわけですから・・・・・・これが意味するのは、まさか。


「わたしをギリギリ掠めるように、ノルさんだけを狙い撃った?」


 どれほど激しくノルさんが撃ちまくっても、わたしが邪魔をしているせいで港に展開していたミスリルUSAの傭兵たちは、反撃することが出来ずにいました。


 そこに新手の狙撃手が現れた。わたしに当たらぬよう、ピンポイントでノルさんだけを狙い撃てる凄腕がです。こうなると、照準器に当たったのは偶然じゃない気がしました。


 凄腕の狙撃手。そのキーワードにピタリと当てはまる人物にわたしは、つい先ほど遭遇したばかりなのですから。


 港からの照明があるとはいえ夜間で、風もそれなりに吹いている。狙撃には不向きなシチュエーションですがそれでも――ウェーバーさんであれば、可能かもしれません。


 それならミサイル攻撃にも説明がつくかもしれない。ルークと名乗ったCIAの要員アセット・・・・・・彼の強引すぎるやり方を思えば、味方ぐらい幾らでも犠牲にするかもしれません。


 ウェーバーさんが敵に回った。その事情はまだ分かりませんが、なんとなく察することはできる。


 でも敵・・・・・・ですか。この言葉がこれほど苦々しく感じられるなんて、兄と敵対していた時ですらこうはならなかったのに。


 わたしの真の敵は、あくまで9姉妹ナイン・シスターズです。父と母の仇であり、ウィスパードとしての才能を悪用して、世界中に根を張ってさまざまな組織を意のままに操っている。


 彼女たちはどうしてかTAROSの設計図を欲しており、その情報を得るためにわたしの心を折ろうとしている。かつての味方を敵に変えて、わたしを襲わせるのもその一環ということでしょう。


 そういった意味では、目的はこれ以上ないほどに達成されている――ノルさんとウェーバーさんが殺し合うなんて展開、考えたくもありません。


 ウェーバーさんほどの達人であれば、簡単にノルさんを仕留められたはず。おそらく、あえてそうしなかったのでしょう。脅されて無理やりやらされたが、最後の一線だけはなんとか保とうとしている。きっと真相はそんな所のはず。


 ですが二度目はどうなるか分かりません。これは警告、次はないと考えるべきでした。ウェーバーさんにだって守るべきものがあるのですから・・・・・・。


「最後に頼れるのは、結局これか」


 ノルさんが壊れてしまった照準器を外しながら言いました。


「お高いのは全滅だが、銃本来のアイアンサイトはまだ残ってる」


 まだやれると、ノルさんはそう言いたいのでしょうが・・・・・・わたしはもう限界を感じてました。


 防衛装置はほぼ全壊。敵はすでに船に取り付きつつあり、周辺は包囲されている。ノルさんの負傷は、致命傷ではないものの無視できないものです。利き目が使えないのではちゃんと狙えないでしょうし、距離感だって掴みづらいはず。


 治療のため海図台に一時的に置いていた無線機から、ヤンさんの声が流れ出しました。


『ウルズ9より・・・・・・げほっ、アンスズ。左舷の敵は一時的に撤退。どうも現場で意思疎通がちゃんと出来ていないみたいですね。頭上から、それも味方からミサイルを落とされたら誰だって引くでしょう』


 ノルさんの狙撃騒ぎで、ヤンさんのことを失念していました。申し訳ないと感じつつも、報告を遮るわけにもいきません。無事なようですし、黙って耳を傾けることにする。


「ですが敵の損害は軽微そうです。再侵攻は時間の問題でしょう」


 やはり、そうなりますか。


 絶対的に人手が足りてません。そのうえ負傷者も出始めている。現状は、ダムに空いた穴を手のひらだけで抑えつけているようなもの。いつ破綻したっておかしくありません。


 この船が襲われるとしたら、あくまで敵は麻薬カルテルだとばかり思い込んでいました。それならやりようは、まだあったのです。


 カリ・カルテルとモンドラゴン・ファミリアとの間で結ばれた和平条約は、市内での抗争を禁じています。ですから襲撃を受けたとしても港で大騒ぎを続けていれば・・・・・・いずれはコロンビア政府に嗅ぎつけられるのを嫌って、カルテル側は撤退に追い込まれていたに違いありません。


 ですが9姉妹ナイン・シスターズが相手となると、事情はまた変わってくる。


 CIAやインターポールといった権威を盾にして、慎重に根回ししたうえで行動する、政治に寄生した秘密結社。なんともやりづらい相手です。おそらく第三者からみると、正義はあちらの方にあるのでしょう。


 これ以上、堪えたところで騎兵隊は望めない、ですか。なら選択肢はもうひとつしかない。一度ならず二度までも、そういう痛みが胸に走りますがでも、やるしかありません。


 無線機を口元に当てて、ヤンさんだけでなく船に居る全員に向けて話しかける。


「・・・・・・これより船を放棄します」


 ノルさんが驚きで目を丸くして、わたしの顔を見つめてきました。


「だが逃げ場がないぞ?」


 その懸念はわたしだって百も承知。無線機に語り続けることで、ノルさんのその疑問に答えることにする。


「ハスミンちゃん聞こえますか?」


『・・・・・・はい』


「大丈夫です、自爆なんてわたしの趣味じゃありませんから。みんなが助かるための方策はちゃんとあります。ですけどそのためには、まず船を放棄しないと」


『異論は唱えません。ハスミンらがテッサさんに命を預けたのは、もうずっと前のことなのですから』


「ありがとうございます・・・・・・早速ですが、前よりちょっと複雑な作業をお願いしたいんです」


『何なりとお申しつけください』


「機関室の制御盤のどこかに、バラストと書かれたものがあるはず」


『バラスト?』


「はい。本来は積載したコンテナの重量にあわせて、船全体でバランスを取るための機能なんですけど、それを満杯にしてほしいんです。

 警告表示が出るでしょうが、ことさらにセイフティは設けられていません。ですから注水を始めたらそのまま放置して構いません」


『あの、あまり難しいことはハスミン・・・・・・』


「大丈夫、とりあえず制御盤を見つけてください。見つけたら、もっと細かく指示を出しますから連絡して。それとベリンダちゃん?」


『聞いておりますわ』


「ケティさんに伝えてください。格納庫に爆弾を仕掛けてほしいって」


『・・・・・・天の御国に旅立つときが来たと?』


「早とちりしないように。求めているのは計画爆破ですよ、ケティさんに脱出路をこさえてほしいんです」


 ノルさんが怪訝そうな顔をする。


「格納庫にか?」


「そうです」


 土壇場で大正解。なんにでも備えておくものです。


「ベリンダちゃん、ちゃんと伝えてくださいね? ケティさんに――小型の潜水艦が通り抜けられるぐらいの穴を、格納庫に開ける準備をして欲しいって」


 ずっと懸案事項ではあったのです。防御態勢は整えたものの、デ・ダナンⅡにはいざっという時の脱出手段が欠けていると。


 救命艇は沈没する船から逃れるためのものであって、追いすがる敵を撒くための装備じゃありません。それに防御力もありませんから、たやすく破壊されてしまう。


 ケティさんがあの麻薬潜水艦ナルコ・サブを勝手に持ち帰ってきたとき、頭を抱えたものですが・・・・・・ちょっと冷静になって考えてみると、最後の手段として悪くないかもしれないと思えてきたのです。


 ヤンさんに頼んで格納庫にディーゼル燃料を運んでもらったのは、これが理由。あの潜水艦にはまだ燃料が残っていますが、満杯というわけではありませんでしたから。


 でも状況的に燃料補給は無理そうですね。それと、非常食の積み込みも。それでも敵の包囲網をかい潜って、とりあえずの安全地帯まで逃れることは可能でしょう。


 まったく・・・・・・ケティさんの迷惑行為が最後の生命線になるなんて、これからあの子の問題行動を注意しづらくなりそうですね。


「ではみなさん、格納庫に移動してください。そこで落ち合いましょう」


 ただしわたしとノルさん、そしてヤンさんはこれから機関室に向かいハスミンちゃんと合流してから、となるでしょうけど、格納庫に向かうことに変わりはありません。


 楽観するには早すぎますが、絶望するほどではない。まだやれることはあります。


 ですがわたしが通信を切ると、チャートルームの隅からとても幼い少女のものとは思えない、呪詛の声が響いてきたのです。


「お前はここで死ぬんだ・・・・・・」


 この部屋に拘束されていた鳥籠の少女が、両手足を縛られながらもわたしたちを真っ直ぐに睨みつけながら、そう言い放ってきたのです。


 彼女は9姉妹ナイン・シスターズのスパイ。それはいいにしても、今だに行動原理がちょっと読めない。


 わたしを心理的に追い詰めるのが目的のはずなのに、この子は最初から直接的な暴力に頼ってきました。フェイス・レスを操り、ノルさんを握りつぶそうとした。


 それも作戦通りなのかもしれないですけど、猫をかぶってうまい具合に船に潜入し、データを完ぺきに消し去ってみせた。その巧妙な働きを思えば、今の感情丸出しの姿はなんなんでしょうか?


 まるで、義務は果たしたからあとは好きにやるとでも言わんばかりの行動です。その理由について問い詰めたいところですが・・・・・・時間がありませんし、この子がそう簡単に口を割るとも思えません。


「陰険なガキだな・・・・・・」


 文句を言いつつ、目をぬぐった際についてしまったのだろう自分の血を、ピッピッと鳥籠の少女へと飛ばすノルさん。


「っ!! 汚いものを飛ばすな!!」


 それを少女は、必死に身をよじりながら避けました。ですが少女の横に置いてあった、彼女のあだ名の由来である鳥籠にその血がかかってしまい、すごく嫌そうな顔をする。


 彼女の動機はわたしではなく・・・・・・ノルさんなのかしら?


 つい三編みを弄って、思考モードに移りかけてしまうわたしにノルさんが声をかけてきました。


「次になにを言うか予想できるから、今あえて言うけどな」


 そう言うノルさんの言い草こそ、わたしの予想の範囲内でした。


「その子は連れていきます」


「言うと思った・・・・・・」


「人質として価値があるかもしれませんし」


「“かもしれない”だろ。放っといても、向こうが勝手に回収するだろ」


「これから船に穴を開けようって時に置いてはいけません」


「でたな本音が。結局はぜんぶ、いつもの度の過ぎたお人好しのせいか」


 言っておくが、とノルさんが一旦、言葉を区切りました。


「そのガキを連れて行くのは、絶対にリスクの方が大きいぞ。相手の邪魔をするためなら命を張れるタイプだ」


「ちゃんと目を光らせておきます」


「つまりただでさえ足りない人手を、このガキの監視のために割くわけだ。こんなド素人を相手にした時みたいな説教、俺にさせるなよな」


 それでもわたしは・・・・・・少女を残していくことは、出来そうにありませんでした。




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