Ⅷ “己の役割を忘れぬように”
【“ノル”――闇市】
ヘルナンデス家は、自分本位の塊みたいな出店者どもをよくまとめてはいる。だが、せめてジャンルを統一するぐらいはしてもバチは当たらないと思う。いくらなんでも散逸しすぎだ。
専門分野がまるで違う店同士、普通に隣り合っているからウーゴのような調達屋が幅を利かせるようになる。AS専門屋とアルパカ専門店を隣り合わせにしたって、誰も幸福にならないのは火を見るより明らかだろうに。
四足歩行のモフモフがASに向けてツバを吐いただの、吐いてないだのと、押し合いへし合いがひっきりなしに聞こえてくる。
今だに服屋は見つからなかった。いや、正確には一件ばかし値段も安ければ品揃えもいい店を見つけたのだが、葬儀屋が副業で営んでいる点がどうもテッサのお気に召さなかったらしい。確かに怪しげな汚れや、腐敗臭のような甘い匂いもするが、それを除けば普通の・・・・・・やっぱ不気味だな。
「そろそろ諦めるべきかしら」
あまりガッカリしてないようにテッサは言う。その態度から、自分の服うんぬんよりも船の様子が気になっている本音が透けて見えた。集中力が欠け、何かとポケットの中の携帯電話を意識している。
テッサがそういう性格であるととうに気づいていたし、ついでにあの女・・・・・・テッサのニューヨークの友人だとかいう、傲慢チキで鼻持ちならないキャラ被り女もそう話していたものだった。
“あたしが傲慢チキで鼻持ちならないキャラ被り女だとしたら、そちとら変態女装癖で重罪犯のキャラ被り男じゃないの”
“女装を馬鹿にするのか?”
“まず第一にそれにツッコミ入れるあたり、キャラ被りは訂正してほしいわ。誰よりもあたしの名誉のためにさ”
今朝のことだ。別に話す気なんてさらさらなかったのだが、サーバールームというか最近ではテッサが
コミュニケーションとセキュリティのため、週替りでその
雑談するほど仲良くもないし、ましてや説教されるなんて御免だった。
“説教じゃないわよ、これは個人的な頼み。テッサをお願いね”
だがテッサからメリッサと呼ばれていたあの女は、こう言い放ったのだ。
“お願いなら、元同僚とかいう
“もうしたわよ。だけどヤンがあんたらに付き合ってるのは、義務感だけだからね。義理堅いにもほどがあって、頭が上がらないけどさ”
“俺は違うと言いたげだな”
“だってあんたは主犯じゃない”
ひどい言い草だが、的を得すぎていて反論しようがなかった。俺が居なければ、テッサはここに居やしないのだ。
“知ってるだろうけど、テッサは戦争の天才よ。だけど当人の性格ときたら戦争とは真逆。その矛盾で苦しんでる”
“そういうのは俺じゃなく、本人に言ったほうがいい”
“ああ、忘れてたわ。あと途方もなく頑固ってのも付け加えといて。それでいて悩みを内に抱え込んで、他人に明かそうとしない”
“ますます当人に言うべきだ”
“聞くはずないでしょう? 超一級の責任感の持ち主なんだからさ。だからあんたに言うの”
“お悩み相談係じゃない”
“だけどあの子を戦場に引き戻した張本人ではある”
図星をつかれはしたが、とうに自覚していたから驚きはない。衛星電話を耳に当てたまま、ただ黙りこくっていた。
“かならずあの子を戦場から連れ帰って”
年上らしく、最初から上から目線だったキャラ被り女のトーンが下がった。それこそ最初に述べたように心の底からの、それはお願いだった。
“・・・・・・こうなったのは、テッサが自分自身で選択した結果だぞ”
“知ってるわよ、だからあんたに頼んでるの。あんたが血と暴力に溢れた世界から抜け出したいと願ってるって、そうテッサからは聞かされてるからね”
“殴り合い意外じゃ、まともに会話したこともない相手なのに?”
“あの子があんたを信用してるからよ。友人の友人がそのまま親友にはならないだろうけど、信じる根拠としては十分すぎる”
話した先から頭からすっぽ抜けそうになる会話だ。現にこれまでとくに意識してこなかった。だが。
「今さら言うのもなんですが大佐殿。なにも服を買うなら、こんな違法の塊みたいな場所でなくても、一般商店で良いのでは?」
「事前にどこに行くか聞かされていたなら、そういう合理的選択肢もありえたかもしれませんけどね・・・・・・ちなみに、こんな場所へなーんにも相談せず連れてきた方の意見も、この際だから尋ねてみたいわ」
元部下と元上官にしては、奇妙すぎる会話の矛先が急にこちらに向いてきた。
「テッサ、お腹すいてない?」
「・・・・・・斬新な躱し方ですねえノルさんたら。ちなみにですけどわたし、さっき重たすぎる間食をしたばかりです」
「風のうわさに聞いたんだけど、テッサってストレスが溜まるほどに食が細くなって、逆に重圧から解放されるとドカ食いするってまことしやかに――」
「いつの間にあなたメリッサと結託したんですか!!」
相変わらず、要らぬところで敏いやつだった。
「まさか。するはずないわよ、キャラが被ってるんだから・・・・・・じゃあ、ストレスが溜まってたりとかは」
「ノルさんまさか、わたしのことを気遣うようにメリッサからお願いされたりしましたね? それならお気遣い無用です。自分のことは自分でできますから」
「着替えもない癖に偉そうね」
「その原因の一端は、ノルさんにあると思うんですけども。なんでも揃う市場のはずなのに服だけは手に入らないなんて」
「Tシャツならいっぱいあるわよ」
「明らかに版権料はらってなさそうなTシャツ屋さんなら、確かにたくさんありましたけど・・・・・・まさかあれ1枚だけで日がな一日過ごせとでも?」
「でも昔、半裸で潜水艦のなかを徘徊するのが趣味だって風のうわさで――」
「明らかにネタの出どころメリッサじゃありませんか!! 犬猿の仲のフリして、人をさかなになに隠れて仲良くなってるんですか!! だ、だいたいですね!! その事件だって元を辿れば、どこかの論理感が欠如した元
「じゃああれ実話なの? てっきり、嘘だとばかり」
「・・・・・・さ、さすがはノルさん。実はそうなんですよー、加減を知らないガールズトークって、ときどきありもしない虚構を紡ぎ出してしまうことがあるんですよねー」
「まさかテッサが露出狂だったなんて・・・・・・」
「好き好んでチャイナドレスなあなたにだけは、言われたくありませんとも!!」
鼻息荒く反論してくる姿は、心配するのも馬鹿らしくなる。
テッサと一緒に外に出るのは、正直そこそこ不安だったが、この闇市はとにかくエネルギーだけはある。完ぺきなリフレッシュは無理でも、多少のストレス解消になるようなら十分だろうか?
あまり、こういう経験がないからわからない。人間関係を長期間にわたって紡いでいくなんて、不慣れにもほどがある。
男女ともに誘惑し、暗がりに連れ込んだあたりで死体に生まれ変わらせる。そういうのなら幾らでも経験はあるが、なにせ長くても3、4日の間柄だったから、相手の気持ちを慮りながら日々を過ごすのなんての人生はじめての体験なのだ。
“ママ”は、一方的に俺に与えてくるだけ。ハスミンは距離感のとり方がうまく、ケティはカロリー豊富な食事と爆弾さえ与えていればそれでいい。ガキどもには、加害者という身の上だからあまり近づかないようにするのがお互いのためだ。だがテッサは?
上官であり、共犯者であり、地理に不案内すぎる
だがそれでも、言わねばならないことがあった。
「どうしましたノルさん、さっきからソワソワしてますけど?」
ちょっと心配げなテッサに、思いきって俺は打ち明けた。
「テッサ」
「はい・・・・・・なんですか改まって?」
「トイレに行きたい」
「・・・・・・さっさと行ってきなさい」
ただでさえ密閉された洞窟の中なのだ、とにかくニオイ対策だけは、昔からひどく気が使われていた。元からある換気扇はつねにフル稼働しているし、ヘルナンデス家によって増設もされている。また各処に置かれたゴミ容器などは、どれも密閉性が高いものが選ばれていた。
そして肝心要ともいえるのがトイレ問題だろう。これを放置すれば、悪臭問題はもとより病気すら蔓延しかねない。
だからこの闇市では随所に、ちょっと多めなぐらいにトイレが設置されていた。小部屋を改造した立派なものから、簡易トイレを並べたものまで色々。ここから一番近い場所だと、あの垂れ幕の向こう側だろう。
俺だって膀胱炎にはなりたくない。だが、2人しかいない護衛が1人欠けるのは、あまりよろしくないのだ。
夜も更けてきたことで、表の世界に属してないこの闇市はますます活気を増している。増えてきた群衆がトイレと、いま俺たちが居る場所を隔てるように人間製の生け垣を構築していた。あの人波をかき分けるだけでも苦労するだろう。
つまり、テッサに何かあっても駆けつけられない。
「ご心配なく」
そういう懸念を口にしてみると、テッサはため息つきながら言った。
「ヤンさんも居ますし。いざとなったらこの鉄砲を使います」
そう言いながらテッサは、ずっとバックパックのなかに隠し持っていたグロック26をチラリと俺に見せつけてくる。逆に不安になるようなことを堂々と言い放つものだ。ひどい射撃の腕だと自己申告してきたのはテッサの方なのに。
それでも必要だからと説き伏せて、最低限の射撃訓練をテッサに施したことがあった。なにせ地頭が良いから、運動神経の悪さを差し引いても飲み込みが早く、すぐ射撃姿勢は板についた。
そもそもよほどの大口径でもなければ、射撃において大切なのは正しい構え方であって筋力じゃない。ましてあのときにテッサに貸したマカロフは、比較的に反動が低い部類だった・・・・・・なのにどうしてか当たらない。
弾丸に魔法でも掛かってるのかと疑いたくなるほど、正しく構え、正しい角度で引き金をひいても、弾丸は明後日の方向に飛んでいく。
俺は頭に思い浮かべた懸念を、すぐ口に出した。
「刺客に当たるより、自分の足に当たるほうが確率高いわね」
「それが狙いです。自分で自分の足を撃ち抜けば、誘拐にひどく苦労するでしょう。その間にトイレから戻ってきたノルさんがわたしを助けてください」
最初は冗談かとも思ったが、当人ときたら真面目そのものだった。
「動脈に当てるような間抜けはしません。足の甲でも撃ち抜いて、せいぜい騒ぎ立ててやります。だからノルさんは安心して、トイレに行ってきてください」
「自虐もここまでくれば芸術ね」
手のひらをナイフで貫かれてもうめき声ひとつ挙げなかったくせに、本当にそんなこと出来るのか不安になるが、いい加減、近場のギター屋の弦を数えて気を紛らわせるのも限界だった。
「気を回し過ぎだよ君。だいだい僕がいるんだから悪漢どもには、指一本――」
「タバコ押し売りされておきながら偉そうね」
「・・・・・・それとこれとは、関係ないだろ」
ずっと手がふさがっていた
テッサに促されてはじめて気づいた様子だから、本当に不安でならない。まあ最悪、盾になってくれれば御の字だろう。そういう責任感だけは強い男だ。
「じゃあテッサ、誘拐されないでね?」
「かつて誘拐した張本人が言うと、いやな説得力がありますね」
チクリとした皮肉を背中に受けながら俺は用を足すべく、騒々しすぎる群衆のなかへと繰り出していった――で終わらせたかったところなのに、
「あ、ノルさんちょっと待ってください」
などと、テッサが制止してきた。
わりと限界気味なのだが仕方なく、自分でも予想以上に似合っていた艷やかなツインテールのウィッグを翻し、脚線美を強調するように180度ターン、小気味よくそして高らかにハイヒールを鳴り響かせながら、俺は振り返った。
「何かしら? ちなみに無駄に会話を引き伸ばすつもりなら、こちらとしてはすべてを運命に委ねるしか術がなくなるのだけど」
「カッコよく情けないこと言わないでください。こちらまで残念な気持ちになっちゃいますから」
「とにかく手短にお願い」
「トイレは男女分かれているものだと、ノルさんならとうぜんご存じでしょうが」
そう言って、テッサは意味深に人を上から下に眺めてから、意を決したように尋ねてくる。
「あなた、どちらのトイレに行かれるおつもりですか?」
「ちょっと遠いいけど、あの人垣を越えた向こうにある垂れ幕の――」
「男女のどちらを選ぶのか、わたしは聞いてるんです」
まったく困ったものだ。
「もう気づいてるだろうけどこの闇市では謎の美女として知られ――」
「男子トイレに行きなさい」
「でも――」
「男の子なんでしょう」
「そう、だけど――」
「いいから行く」
本当に、押しの強さだけは超一級なのだから困ってしまう。
否が応でも肩をぶつけながら、群衆を押しのけるようにして目的地に歩いていった。まるで泳いでる気分だ、人いきれで呼吸まで苦しくなってくる。たまに試し撃ちだろうAKの銃声が鳴り渡るが、あっさりザワザワうるさすぎる人の声にかき消されてしまうのだから、群衆の集まり具合ときたら相当なものだった。
それでもやっとの思いでトイレまでたどり着く。右の垂れ幕には、万国共通な男子トイレの表記が青ペンキで塗られ、左にはまあ予想はつくだろうが、これまた見慣れた女子トイレの表記があった。
俺は男だ、それは間違いない。だがテッサに言われるがまま男子トイレに飛び込めば、裏社会で築いてきた謎の女シカリオという伝説が崩れ去ってしまう。
とはいえ、このまま躊躇していたら人間としての尊厳までも崩れてしまうから迷ってる暇はあまりない。結局、決め手になったのは別れ際のテッサの顔だった。
あのチベットスナギツネのような味のある目つきときたら・・・・・・。
己の役割を忘れないように。
そうあの人に言われてから、どれぐらい経ったろうか。誰にでも役割があり、持って生まれた才能というものがある。それがたまたま俺の場合、女顔であったというだけだ。
役を演じるならそれを最後までやり通せ。そんな単純なルールを自分に課しながら、これまでどうにかやってきた。しばし迷い、かつ考え込む。だが生理現象には逆らえない。なによりも俺のいまのボスは、あの銀髪娘なのだから。
俺は思いきり、垂れ幕を開け放っていった。
男子トイレの中は、この時間帯にしては空きすぎなぐらいだった。ツルハシで岩塩製の壁を削ったあと、とくに整えたりせずそのなかに仮設トイレ一式を運び込んで、工場用のライトで照らしてやったような空間だ。
即席という言葉がつい浮かぶんでしまうが、必要最低限の要件はクリアしているそんなトイレには、いかにも一般人なおっちゃんたちが目を丸くしながら用を足していた。
気持ちは分かる。俺だって、こんな絶世の美女がどうどうと男子トイレに入り込んできて自分たちの立ちション姿をジロジロ眺めてきたら、まずビビる。
そそくさ用事を済ませ、半ケツ姿だったズボンを必死にあげながら手を洗う暇も惜しみながら、おっちゃんたちは逃げ出していった。ひと睨みするだけで男子トイレを無人地帯にしてしまったが、とくに嬉しくはない。
ヘルナンデス家がいかにカネをもっているのかは、仮設式の小便器をこうまで集めてみせた辺りに現れている。いまなら他人の目を気にせずに用を足せるが、どうしようもない葛藤に襲われてしまった。
やるのか? チャイナドレスのスリットを跳ね上げて、おもむろにガニ股になりながら立ちションなんてはしたない真似を?
“羞恥心とか無いんですか”と、テッサから呆れられる日々を過ごしている俺だが、これはあんまりだと思った。そこまでプライドは捨てたくない。それに闇市の関係者に目撃されたら、言い訳しようもないだろう。
慌ててたからトイレを間違えた。今ならまだそういうシナリオを押し通すことができる。大体ボックス型の仮設トイレだってたくさんあるのだ、使わない手はない。
キャンプ場だとか工事現場だとかに赴いたことがあるなら、誰もが一度はこのタイプを見かけたことがあるに違いない。プライバシーをらくらく守れるボックスに籠もらない手はなかった。
どれも空いていたが、限界は近い。とにかく手近なボックスに飛び込んですぐ鍵をかけた。カチリ、外からみれば鍵の表示が青から赤に変わったに違いない。兎にも角にもこれで一息つけた。
そんな時だった、
「Uボートを見たことあるか?」
なんて薄いプラスチック製のドアの向こうから、ひどい外国語訛りのある中年男の会話が聞こえてきたのは。
「いえ船長、見たことありません」
「なに!? ドイツ映画史に燦然と輝くあの傑作を見たことがないのか!! まあ、元はテレビシリーズとして制作されていたものを再編集して、劇場用の映画に仕立て直したわけだから、厳密な意味での映画じゃないかもしれんが・・・・・・アカデミー賞にノミネートまでされたんだぞ!!」
「それって船が沈む映画でしょ?」
「当たり前だ、船の名前がタイトルになってる時点で沈むに決まってる。ポセイドン・アドベンチャー、タイタニック、日本沈没、ぜーんぶ沈んだ」
「現役の船乗りが、船が沈む描写を見てふつう喜びますかね?」
「俺は楽しい」
「船長の感性はふつうからかけ離れてるんです。俺みたいなまともな奴なら、悪夢に見ますよ」
「ヘタレめ!!」
「こういうパターンでは、トミーめって罵るんじゃなかったんですか?」
「トミーてのは、どこのどいつだ?」
「強いて言うなら、目の前に立っているあなたの最後の部下の名前ですかね」
「黙れトミー野郎!! ところで最初の話に戻るがな、俺はあのUボートのラストシーンにいたく感動してな。これまで色々な映画を見てきたが、あれほど感情移入した場面はない」
「そうですか」
「そうとも・・・・・・やっとの思いで地獄の戦場から帰投したら、とつぜんサイレンがあたりに鳴り響く。空から迫りくる爆撃機、逃げまどう船員ども、だが連合国が投下した爆弾は、船長がこよなく愛した船へと無情にも降りそそいでいく」
「その逃げ惑った船員たちってどうなったんですか?」
「みんな死んだ」
「・・・・・・」
「いくらでも替えのきく船員どもなんかどうでもいい。爆弾のせいで重症を負った船長が眺めていたのは、己の傷ではなく、沈みゆく潜水艦の姿だけだった。
忘れがたいエンディングだ。とくに今は、あの映像が頭のなかの映写機でなんどもなんども繰り返されてる気分だ。
お前に俺の気持ちが分かるか? 秘蔵の潜水艦がどこに消えたかと探しに出た途端に、全人生を捧げてきた船が目の前で吹き飛んでいった俺の心情が」
「ええ、俺の同僚がたくさん乗ってましたから」
「そうとも。人命より尊いものはただひとつ、己の指揮した船だけだということだな」
「船長、あんたの最後の味方は俺だけだってちゃんと気づいてます?」
「俺はUボートの艦長よろしく、港にへたり込みながらつくづく思ったね――」
金属が擦れる音がした。聞き間違えるはずがない、AKの槓桿をひいて弾丸を薬室に送り込むと、こんな特徴的な音がするのだった。
「――復讐するは、我に有りってな」
直後、アサルトライフルの軽快な銃声がすべてを切り裂いていった。
あいにくとAKほどこの闇市に溢れてる銃器もないし、試し撃ちもしょっちゅうだから、いきなり発砲音がとどろいても群衆は慌てふためきもしない。せいぜい眉をひそめて、またうるさいのが始まったかと幾人かが思う程度だろう。その間にも俺が籠もっている仮設トイレを、AKの5.45mmロシアン弾が蜂の巣にしていく。
何発撃たれたか分からない。だがフルオートで軽快に乱射していたことからも、2人合わせて60発、全弾使い切ったのだろう。
無数にドアをうがっていった弾痕のむこうから、レーザービームのように明かりが漏れてくる。
「・・・・・・やったか?」
そのつぶやきは、トミーと呼ばれていた船員のものに違いなかった。
もう誰もが気づいているだろうが、この
「バカ野郎!!」
相変わらず、一字一句すべてを大声にしないと気がすまないロシ・・・・・・スウェーデン人の船長が怒号を発した。怒られる心当たりが思い当たらないらしい船員が、不満のまじる声で言い返す。
「なんなんですか船長」
「やったか? やったかだとッ?!」
「ええそう言いましたよ、だから何だっていうんですか?」
「いいか!! 歴史上“やったか”なんて呟いたあと、本当に仕留められた例なぞ古今ないんだッ!!」
初めて聞くジンクスだったが、俺がその会話を聞けてる時点で船長の危惧は大当たりしていた。
足を突っぱり棒にして背中で身体を支える、もとは井戸に落ちたとき用に開発されたとかいうテクニックを駆使して、俺はそんな間抜けたちの会話をトイレの天井から聞いていた。
あんな大声で会話せず、群衆のざわめきに隠れながらトイレに乗りこんで問答無用で蜂の巣にすればよかったのに、少なくとも俺や
そこら辺については、俺は運が良かった。だが喜んでばかりもいられない、シカリオとしての感覚が鈍っている証拠だからだ。ここ3ヶ月の家族ごっこで、どうにも筋力以外にもいろいろと能力が落ちてしまったようだ。
反省は後回しにして、今はとにかく目の前の馬鹿どもを排除するしかない。
あまり人を殺すなとテッサは言っていたが、こればっかりは仕方がないだろう。弾が切れたというのにマグチェンジよりも罵り合いを優先するコイツらの無能に、こころよく甘えさせてもらう。
めっきり不調で、買い換えるまえの最後のひと働きのために持ってきたPSSピストルをちょっと無理な姿勢だが、なんとかガーターベルト型のホルスターから引き抜いていく。
ゆっくり、音を立てないように床に降り立ち。それからドアを蹴っ飛ばしながら開け放つ。
すると目の前に、なんとなく前にあったより服がくたびれている気がする船長たちが、車に轢かれるまえの犬のように驚き固まりながら出現した。再会の挨拶は、PSSピストルに代行してもらうことにする。
人生の大部分をこういった荒ごとに費やしてきたため、初弾からトミーなる船員の額に弾丸がクリーンヒットしていった。
「うひィィぃ!!」
死体に早変わりして崩れ落ちていく船員に、これまでの異常者ぷりは鳴りを潜めて、みっともない悲鳴を上げながら背中を見せて逃げていくビューティフル・ワールド号のスウェーデン人。
無防備な背中だ、なんなら部下ともども頭を撃ち抜くチャンスだってあった。なのに奴を生かしておいたのは、別に俺の意思じゃなかった。
・・・・・・ため息。弾切れでもないのにスライドが後退したまま動かないPSSピストルに手を添えて、なんとか次弾を薬室に送り込もうとするが、どんなに科学者連中に薬で強化された怪力を駆使してみても、スライドはビクともしない。
どうしたものか。とりあえず群衆という格好の足止めがあるから、慌てず騒がずたんたんと船長を追いかけていく。
慌てるあまりAKをほっぽりだし、今のやつは非武装なはずだった。もしナイフを取りだしてきたりしたらむしろ願ったり叶ったり、今のPSSピストルのコンディションでは、接近戦のほうが確実にやつの首を獲れるに違いない。
トイレの境界線である垂れ幕をくぐり抜けると、相変わらず闇市は活況だった。涙目で群衆をかき分けていく中年オヤジなんか、誰も気にしないほどの大盛りあがりだ。
自分のことは、自分の手で。それが出来ないなら死ねというのがこの辺りの掟だ。個人的な復讐心を満たすためにAKをぶっ放し、闇市の備品である仮設トイレを破壊したのだから、問答無用で船長の有罪は確定するだろう。
なんならこの闇市を仕切ってる汚職警官たちに後を任せてもいいのだが、ちょうどテッサたちが待っている方向に逃げていることだしと、自分の手でケリをつけることにする。
群衆というのは意外と周りが見えていないもので、死体を放置してもわりと気づかれない。俺たちが帰るまで死体を隠すぐらいわけないだろう。
足をもつらせながら船長は、手近な武器屋へと飛び込んでいった。自分の身は自分で守るしかないと、異邦人ながら心得ているらしい。その態度だけは立派だった。
「助けてくれ!!」
船長が、仏頂面した武器屋の老店主に涙声でうったえかけていく。
「殺そうとした奴に殺される!!」
どうもスウェーデンの学校では、矛盾という概念を教えていないらしい。
冷静になるとかなり頭のおかしな主張ではあるが、聞かされている方の店主ときたらまるで動じていなかった。インカ帝国の末裔に違いない
そんな武器屋の老店主が、スウェーデン人を睨めつけていった。
「この市には、わけの分からん
要約すれば、テーブルに載っている大同小異の銃を買え、という意味であるらしい。他にもとれる選択肢は無数にあるだろうに、老店主の口車にのってカウンターに大量に飾られた銃火器を、目を血走らせながら眺めていく船長。
その真横に俺は、さも当然という顔をして並んでみた。
「どうも」
「ぎゃゃゃゃゃゃゃャャーーーッ!!」
俺が馴染みの店主に挨拶すると、すぐ横の船長がまたしても悲鳴を上げる。銃声にはまるで動じない群衆たちが、その悲鳴にだけは非常に迷惑そうな表情を向けるのだからこの船長、船乗りよりオペラ歌手のほうが向いているのではないかと俺は訝しんだ。
「調子はどう? 儲かってる?」
老店主に向けて社交辞令を口にすると、
「思わぬ臨時収入が入りそうでホクホクじゃ」
なんてたくましい答えが返ってきた。
「あっそ」
相変わらずいい性格してる爺さんだ。そんなやり取りの横で、まんまと悪辣な店主の口車に乗っている男が1人いた。
「OK、買ってやる!! そこの一番安いのでいい!! 今すぐ売ってくれ」
「1000ドル」
「なにッ?!」
船長の動揺ももっともだった。まあビンテージではあるのだろうが、ゴミ箱の底から漁ってきたような見当違いなビンテージ感に溢れかえってるリボルバーに1000ドルはない。
実際、値札によればその銃のほんとうのお値段は5ドルとなっている。1ドルでも高すぎする品を1000ドルで売りつけられたら、俺だって絶叫するだろう。
「そんな馬鹿な話があるかッ!!」
「ならこのまま手をこまねいて、そこなシカリオに首をねじ切られるがいい。儂の知るかぎりそこのオナゴはな、カルタヘナで22人をバラした怪物じゃぞ」
中途半端に有名なのも困りものだな、適当に並べられていた商品を手に取りながらそう思った。
「分かった、クソッ!! そのボッタクリ価格で買ってやる!!」
財布をひっくり返しながら世界中のどこでも通じるUSドルの紙幣をバラまいていく船長。だが100ドル札が10枚キレイに収まっていたわけでなく、様々な金額のしわくちゃな紙幣が大量に財布から出てくるあたり、海運業というのはあまり儲からないものらしい。
「まいどあり」
俺の計算したところ、船長が支払った総額は1147ドルと3セントと超過している気がしたが、しれっとドル札をレジに放り込んでいく老店主。悪徳店というのは決まって外国人を食い物にするものだ。
だが払った船長のほうはときたら、喜び勇んでリボルバーを手に取り、こちらに向けてくる始末。
「ハッ!! ここがテメエの死に場所だ!! ・・・・・・弾がでない!!」
そりゃそうだ、どこの世界に弾を入れたまま銃を売る武器屋がいるのか? 加速度的に殺す気力が失せてくるが、船長の方はまだやる気に満ちていた。
「弾をくれ!!」
「1発1000ドル」
暴利につぐ暴利に、さすがの船長も瞬間ばかし頭が冷えたようだ。
「・・・・・・わからないのか? こっちは死にそうなんだぞ!!」
「儂の頭にあるのは、この臨時収入で何を買うかだけじゃな」
「外道め!!」
ため息をつく、いつまでもこんな狂騒劇に付き合っていられない。
「ちょっといい?」
この出店に船長が寄ってくれたのは、こちらとしては好都合な話だった。目の前にいる爺さんは銃器の販売業者であり、同時にそれなり以上の腕をもつ
「実は、オレのPSSピストルなんだけど――」
そう言いながら、無造作に船長に向けて引き金をひいてみる。
「ひぃ!!」
人生最期に発するにしては、しょうもなさそすぎる悲鳴を船長があげるが、あいにくとまだ奴は存命だった。どんなに引き金をひいても弾が出ない。
見るからに故障しているPSSピストルを、老店主が目を細めながら見つめてきた。
「ふむ、生半可な故障ではなさそうじゃな。ちょっと見せてみい」
老店主の目のまえで弾倉を外してみると、薬室に入り切らなかった弾丸がカウンターの上にこぼれ落ちてきた。念のために上から薬室内を確認、弾が入ってないことを確信してから爺さんに手渡していく。
年老いてなお力強い節くれ立った指が、PSSピストルのスライドに添えられていくが・・・・・・俺の怪力で無理だったものが、この老人の手にかかればあら不思議とは、あいにく問屋がおろさない。
ビクともしないスライドに、老店主の眉が跳ねあがる。
「なるほど、フレームが歪んでおるようじゃな」
案の定、という感じの診断だった。
驚きはしなかった。咄嗟に鈍器代わりに相手を殴りつけみたり、ついつい手からすっぽ抜けてどこぞにぶつけみたりと、故障の原因について千は心当たりがある。
「直せるかどうか問われれば、まあやれんこともない。ただ修理の過程でどうしても強度は下がるじゃろうし、これまで通りの動作性能は期待するなよ」
「ようは、もう寿命ってことでしょ」
「ありていに言えば、そうじゃな。ほぼ廃銃じゃが、このモデルは市場にいっさい出回ってないレア物だ。どうだ?」
老人が心もち身を乗り出しながら、こちらにある提案を投げつけてきた。
「コイツを下取りに出さんか? そうしてくれるなら、店に並んでる拳銃をどれでもひとつ持っていってくれて構わない」
えらく寛大な申し出だった。だが、ついさっき相手の非常事態につけこんで1000ドルも吹っかけった張本人なのだから、そう簡単に申し出を受ける気にはならなかった。
「なにか裏があるんじゃないの?」
「あるとも。実は、さる
「物好きもいたものね」
「KGBが暗殺用に開発した秘中の秘じゃぞ? 下手をしたら市場にあるのは、これ1挺だけかもしれん。だとしたら多少コンディションが悪くとも、大枚はたいて買うてくれるじゃろうて」
「・・・・・・こっちでそのマニアに直接売るとか言わないわ。どうやってコンタクトを取るのとか、カネが入るまでいつまで掛かるのとか、面倒ごとが多すぎるもの」
「懸命じゃな。主が欲しいのは、今すぐつかえる優れた銃火器なんじゃろ? なら悪くない取り引きだと思うが」
客を見る目があると言うべきか、それとも足元見るのが上手と評するべきなのか悩むところだが、この老人が商売人であることは疑いの余地はない。
「そういうことなら1挺だけでは割りに合わないわね。こっちは愛着ある貴重品を手放すんだから、予備弾倉にサプレッサー、もろもろの周辺器具も付けてもらいましょうか」
「交渉成立じゃな」
まず多めに吹っかけて、それから妥協点を探ってくのは値段交渉の常套手段だが、あっさり老店主はこちらの要求を呑んでいく。そのことにちょっと驚く。
だがこの話、渡りに船ではあった。
サイレンサーいらずのPSSピストルはとにかくコンパクトで、隠しもてる消音火器としては、これを越えるものはこの先出てこないのではと思うほどだ。だがそれ以外の要素については、実はずっと不満たらたらだったのだ。
少なすぎる装弾数。静音性を追求するあまり威力を手放した特殊弾。このデザイン、敵に気づかれぬよう接近して至近距離から頭を撃ち抜いていく暗殺用ピストルとしては正解なのだろうが、ケティと組んでからというもの敵を正面から打ち破るパターンが増えすぎて、性能の低さが気になってきたところなのだ。
きっと故障しなくとも、買い替えを検討していたに違いない。問題は、じゃあ何と取り替えるかだった。
どれでも1挺との寛大なオファーだったが、店にたくさん並んだ――たくさん並びすぎな銃器の数々につい目移りしてしまう。戸惑いすら覚えるほどだ。
アメリカではさもとうぜんのように軍用規格の銃火器が出回っているし、それを手に入れるのもまた容易い。ヤク中にカネを渡したら、適当な鉄砲店に送りこんで商品を買い漁らせるだけでいい。
自由の国という異名は伊達ではなく、買ったあとに銃器をどう転売しようと個人の自由なのだ。だから中南米のアンダーグラウンドで出回ってる銃の九割方は、まず北米産とみて間違いがない。怪しげな武器商人に頼るよりも、そのほうが調達が早いし品質もいい。
他にもアメリカでは、犯罪に使われた銃器は旋条痕が当局に登録され、2度目に使うと無条件でまえの仕事と紐づけられて裁判で不利になるという事情もあり、あちらの犯罪者が
だからこの武器屋、品揃えが異様に良いのだ。
定番どころから、きっと発売されたばかりの新製品に至るまで。名前ぐらいなら知っていても、メーカーの出してるカタログスペックはもとより、実態としての性能まで把握してなんかいない。
見た目だけで選んでみていざ現場で使ってみたら馬鹿を見たなんて話、カルテル界隈ではありふれてる。そんな馬鹿どもの二の舞は御免だった。かといって、どれが良いのか俺の頭ではピンとこない。
「おすすめを聞くかな?」
人の足元を見るのがこうまで得意な老人なのだ、あまり口車に乗りたくはないが、そうも言ってもいられない。
だから肩をすくめながら、
「ありがたく」
と、とりあえず話だけ聞いてみることにした。
「サプレッサーとの相性を考えるなら45口径がベターじゃが」
「あの重くて装弾数が低いの?」
「大型弾じゃから、まあ隠し持つのには向かんな」
老人が目つきで指し示すだけで、背後に控えていた助手兼用心棒らしい巨漢が小型のガンケースを取り出してきた。丁寧にもこちらに向けて、ケースがテーブルに置かれていく。開けてみろ、ということらしい。
深く考えず作りの良いプラスチックのケースを開けてみると、中からSFの小道具じみた流線型の物体が飛び出してきた。銃といえば質実剛健が当たりまえ、そんな古臭いイメージからはほど遠い未来的なデザインだった。
なにこれ? そんな疑問をこちらが口にする前に、老人が解説してくれる。
「ベクターCP1、南アフリカ製の9mmピストルじゃな」
なんとも珍妙なピストルだった。最近では、プラスチック製のフレームが流行っているそうだが、その煽りをこれ以上なく受けている形状だった。
「鉄を使ってるのは、スライド部分だけ?」
「お陰で握りやすかろう。プラスチックならば、鉄では不可能なほど薄くできるからのう。グリップの形状も、なんでも人体工学とやらに基づいているそうだ」
「出っ張りが見当たらないわね」
「最初から衣服の下に隠すことを想定しておるんだそうだ。お前さんのシカリオという仕事からすれば、その方が好都合なのではないかな?」
「あれなら引退したわよ」
「ほう? では、今はどんな仕事を?」
トリガーガードの中に収まってる不可思議な安全装置をカチャカチャさせながら、ちょっと答えに窮してしまう。
「・・・・・・今は」
「今は?」
「ボディーガード兼・・・・・・子守り、かしら?」
「大きな目で見れば、どちらも似たりよったりなジャンルじゃな」
歳を取ると、何ごとにも寛容になれるらしかい。老店主が説明をつづけた。
「全長は177mm。だが以前のオーナーが高精度なサイレンサーバレルに載せ替えたからじゃっかん銃身は伸びておる。まあ誤差みたいなものじゃが」
「前のオーナーって?」
「南アの特殊部隊員を経て、アメリカの好事家。ほどほど使い込まれとるのはそのせいじゃ」
良い面だけ見るなら、動作確認済みということだ。
小キズはあっても実用上は問題ないレベルだった。どうせ銃をツールとしか思っていない俺のような男からすれば、気にもならない。
「装弾数は?」
「13発。ここは、明らかな利点じゃな。PSSピストルの装弾数は8発、それも汎用性と威力の面で大きく劣る特殊規格じゃったが、こちらが採用してる9mmパラベラム弾はそれとは逆に、世界でもっとも普及してる弾薬じゃ」
「入手性が高く、かつ威力も十分」
「なんならホローポイント弾をオマケにつけてやろう。更に威力が上がるぞ」
「でも9mmって音速弾よね?」
銃声の源はいくつかあるが、火薬が炸裂して生まれた発射ガスがまず第一に挙げられる。これはサプレッサーによって低減可能だが、弾丸が飛翔する音、とくに音速を突破したさいに発せられるソニックブームは無視できない大音量を響かせる。
このソニックブーム、低空で飛行している超音速飛行機から発せられたりすると窓ガラスが割れたりもする。それぐらいのうるささだ。
「気づかねば、そのまま引き渡しておったものを」
口惜しそうに老店主がうめいた。
「あまりアコギにやりすぎると客に愛想を尽かされるわよ。例のガンマニアの話が本当なら、べつの武器屋に耳寄り情報といっしょにPSSを持ち込んでもいいんだし」
「分かっとる、分かっとる。なら亜音速弾もオマケにつけてやろう。普段使いには通常の9mm弾を、サプレッサーが必要なシチュエーションなら、亜音速弾を詰めた弾倉に入れかえい」
そもそもサプレッサー要らずのPSSピストルが異様なだけで、それが現実的な対処法だろう。
PSSでは爪で引っ掛けるタイプだった扱いづらいマガジンキャッチは、ベクターではボタン式に改められていた。威力と射程は向上。セイフティがちょっと特殊で配置が不安だったが、これは慣れるしかないだろう。
「ヒィ!!」
律儀に1000ドルの弾丸を購入すべく、汚らしいコートの表裏を探っていた船長にむけて、ベクターをコッキングしてからおもむろに空撃ちしてみる。
実際に引いてみたところ、射撃精度と連射力に直結するもっとも重要なパーツこと引き金は、悪くない塩梅だった。
「これってシングルアクション?」
「厳密にいうならガスロック式のディレードブローバックシステムじゃが、シングルアクションという指摘もあながち間違いじゃないのう」
だからか、ダブルアクション・オンリーのPSSピストルよりも、構造的に引き金が軽い。それにプラスチックの恩地だろう、口径と装弾数に比べると本体重量はえらく軽量だった。
もともと多くを求めるつもりはなかった。100メートル先の髪の毛だけを正確に撃ち抜ける世界最高のピストルだとか、そういった小洒落たものは必要ない。たいてい性能と手間のかかり具合というのはトレードオフな間柄で、最後に勝つのはバランスだと俺は信じてる。
「なんなら部品取り用にもう1挺つけてやろう」
その発言が決定打だった。
「大盤振る舞いね、裏はないの?」
「あるさ。この界隈ではひたすら安いものかブランド品、あるいは見た目がマッチョなものしか売れん。そこにくると見た目以外に特徴のない平均的な性能をした、SF映画から飛び出したような珍奇なデザインのピストルといのは――」
「客受けが悪いと」
「まさか歯牙にもかけられないとは思わなんだ。だが、銃といえば実用一辺倒というお前さんのようなプロからしたら、見た目なぞ大した問題にならんじゃろうて」
よく分かってる爺さんだ。本来ならオプションであるサイレンサーもあっさり店の奥から出てきて、確認してみたらこれまた北米産の高品質なシロモノものだった。
どうも北米のコレクターとやらのPSSピストルへの入れ込み具合は、相当なものであるらしい。だが俺には、どうせコネも販路もないのだ。ここは素直にその道の専門家を頼るのが得策だろう。
その引き換えとして、銃本体が予備含めて2つにもろもろのオプション・パーツが付いてくるのだ。悪くない取り引きだろう。
「他にも色々とオススメはあるが、どうする? 見ていくか?」
いそいそと老店主が新しい銃を取り出そうとするが、それを俺は制した。あまりテッサを待たせるのもあれだし、試し撃ちがすぐできる今の環境を捨てたくなかった。
「いえ、これを頂くわ」
こうしてベクター一式を、長らく相棒を務めてくれたPSSピストルと引き換えに俺は手に入れた。
店主の好意で、多すぎる品を収めるためにこの闇市のマスコットキャラクターとして売りに出すつもりがズッコケたとかいうナップサックまで頂いた。ここの客層を考えればなるほど、ピンクのユニコーンなんてウケないだろう。どうしてこんなキャラを闇市の顔として選定したのか、経緯があまりに謎すぎた。
部品取り用の予備と、サイレンサーといった小道具はすべてそのナップサックに放り込み、肩から背負う。そして本体はというと、いつCIAから襲撃されるか分からない現状、すぐにでも実戦投入できる状態にする必要があった。
ガーターベルト型のホルスターはそもそもユニバーサルデザインであり、大体なんでも入るようにできていたから、新たな主ベクターはあっさりそこに収まってくれた。引っかかりのないデザインもあいまって、抜き差しにもとくに違和感は感じない。
弾倉につぎつぎと9mm弾を詰め込み、まずチャイナドレスの隠しポケットに予備弾倉から収めていった。本体を後回しにしたのは、特に深い理由はない。生きた試し撃ちのマトはまだもたくさと、隣で体をまさぐっていた。
「これでどうだ!!」
こちらが非武装な最後の瞬間、これを逃すものかと必死な船長は、どうも妙案を思いついたらしい。自分の腕時計を剥ぎ取って、ダン!! と店のカウンターへと叩きつけていった。
「トルコで買ったロレックスの時計だぞ!!」
ゴールドカラーのいかにも成金が好みそうな悪趣味なデザインの腕時計を、老店主はしげしげ眺めていった。
「儂は時計は分からん」
「ロレックスだ!! あのロレックスだぞ!?」
「そいつは中国の会社なのか?」
「は?」
「メイド・イン・チャイナと裏に刻印されておる」
腕時計の裏面を見せつけられ、なにやらスウェーデン人の船長はおのれの過去を顧みてるようだった。
「・・・・・・だから10ドルで買えたのか」
「儂にそんな安物を押しつけるつもりじゃったのか?」
「んな小さな弾丸を1000ドルで売りつけようとしてるジジイが言えた義理か!!」
どっちもどっちな攻防を冷めた視線で見守っていると、意外にも老店主のほうが先に折れた。
「ツバを飛ばすでない。小うるさいロシア人じゃのう・・・・・・分かった、弾はくれてやるからどっか他所に行け」
クレーマーに餌をやって追い払う、俺にはそうとしか見えなかったが、船長ときたら喜色満面だった。
差し出されてきた小さな金属片。22口径のリボルバー用の弾丸なんて、そんなものだ、俺の小指のほうがよほどデカい。それを船長が引っ掴むと、すぐさま半分腐っているリボルバーのレンコン型弾倉へと収めていった。
「クックッ、これで形勢逆転だな・・・・・・」
しょぼい22口径、それもほんの1発だけでよくまあ、ここまで大威張りできるものである。ウチのバウティスタですら恥ずかしがって出来ないレベルだった。
「さあ、
最後までアホみたいに映画のセリフを引用しながら、スウェーデン人だかロシア人だかは後頭部を殴られてそのまま昏倒、地面に這いつくばるヒトデへと変化していった。
とりあえず胸が上下してるから死んではいないようだが、この困窮ぐあいからして先は長くなさそうだ。そうでなくてもさきを急ぐ群衆に踏みつけられてるし、轢死も十分にありえそうだ。
正直、銃を使わなくとも奴を殺す手段なんて無数にあった。殺人500ペソ、殺人ハイヒール、なんなら素手で首を360度一回転させてやってもいい。相手の実力も測れず、喧嘩を挑んでくるほうが悪い。
「まさか生きてたのか」
そう呟いたのは、船長が失神する原因を作り出したDEAの言葉だった。こちらとしては、いらぬ助けに呆れるほかない。
「何してるのよDEA、テッサを1人にしたりして。誘拐されたらどうするの?」
「その大佐殿が僕を送りこんだんだよ。君ときたらトイレに行ったきり帰ってこないし、試し撃ちにしては多すぎる銃声が聞こえてきたばかりだし」
半分懸命だが、ほかはすべて間違ってる判断だった。俺なら1人でどうとでも出来たのに。
「なのに君ときたら、呑気に買い物かい?」
「なに言ってるのよ、そこにロシア・・・・・・スウェーデン人が転がってるでしょう」
「じゃあやっぱり襲われたのか」
「2人組にね。ちなみに片割れは、トイレで頭から血を流しながらくたばってる」
横でなにやら老店主がまたかとぼやいていたが、これで後処理はどうにかなるだろう。死体というのは、景観を損ねるからな。
「ならますます異常だろう。殺されかけたあと、呑気にその殺人犯と一緒に仲よくお買い物だって!!」
「・・・・・・そう客観的にまとめられると、オレがおかしいみたいじゃない」
「実際におかしいんだよ!! 常識というものを学べよな!!」
相変わらず常識の好きな奴である。
だがこれで護衛役が大集合、あんな虚弱体質なテッサが1人で捨て置かれてる構図になってしまう。これはよろしくない。
異国の地でカネもなく、テッサの策略で国際指名手配され、部下はすべて死んだ。この船長のお先は真っ暗なので、むしろここでトドメを刺されたほうが当人には幸福であるに違いない。だが、興が削がれたというのはこういうのを指すのだろう。
船長に使う予定だったが新品のベクターに弾倉を叩き込んでから、素直にホルスターにおさめてDEAと連れ立って、テッサのもとに戻ることにする。
すると去り際の俺の背中に向けて、老店主がおもむろに声をかけてきた。
「ああ、忘れておったが大事な注意事項がある。そのベクターな、実は引き金をひいてもいないのに勝手に弾が出るという重大な欠陥があってだな」
「おい待てジジイ」
「北米ではそのせいで全品リコール、後に販売停止になった曰くつきの品じゃ。薬室に弾を込めながら決して出歩くでないぞ。自分の足が全自動で撃ち抜かれてしまうからな」
それが大盤振る舞いの真相であるらしい・・・・・・怒りに震えながら振り返ってみると、その老店主ときたら返品お断りのプレートをおもむろにカウンターに置くは、背後に控えている用心棒がいきなり指の関節を鳴らしだすはで、悪徳業者ぶりをまるで隠そうともしない。
「弾が勝手に出ることを除けば、性能は最高じゃぞ?」
そうなんだろうが、してやられた感が強くてまるで喜べなかった。
DEAから教わった西側流のスタイルで、ちょっとは撃ち方に変化はあったものの、あくまで俺のピストル操作術はロシア仕込みだ。だからそもそも発砲する直前まで弾は込めないようにしている。だからベクターの欠点とやらも実用上は問題ないだろうが、やはりスッキリしない。
「それではな
ため息ひとつ、あれ放っておくのかとぼやくDEAを押しのけながら俺は、
「はいはい、機会があったらねセニョール・ヘルナンデスさん」
そう闇市の顔役に分かれの言葉を投げかけてから、テッサのもとに向かうことにした。これからまた押し合いへし合い、やり手の店主に返品交渉するなんて時間の無駄だ。
CIAだけでなくとも、テッサときたら顔だけは良いのだからたちの悪いナンパ男に捕まりかねない。またしても群衆をかき分けながら歩きつつ、背後からつづくDEAに話しかけていった。
「あんな生まれたてのチワワに目線だけで倒されかねない小娘を捨て置いて、よく来れたものね」
「命令には逆らえないだろう」
「上官と部下だったのは、昔のことでしょうに。今は単なる無職同士、上下関係なんてないはずよ」
「ああそうかい、だったら君も大佐殿に真っ向から逆らってみろよ。有無を言わせぬ圧があるんだよな、あの見た目に反して」
単なるヘタレの言い訳にしか聞こえなかったが、よくよく考えてみれば俺なんて、なし崩しのうちに居場所を乗っ取られたようなものだ。
最近では俺にべったりだったハスミンも、まずテッサに相談を持ちかけるようになった。それが少しさみしく――なんてことはないが、ちょっと気になりはした。ほんの少しだけな。
トイレに赴くまえ、テッサと最後に別れた地点までなんとか戻ってきた。群衆からやや離れてはいるが死角はすくなく、明かりも強いし壁を背にしているから警戒する範囲は限られる。防御にはおあつらえ向きだ。
テッサらしい戦略的な待ち合わせ地点だったが、俺はついついDEAと一緒にたたらを踏んで立ち止まってしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
なぜならば、ああも目立つ銀色頭がどこにも見当たらず、中からタバコの箱が溢れているリュックサックが意味深に床に放置されていたからだった。
すぐ状況を理解した。むしろあまりにわかり易すぎるぐらいで、乾いた笑いすら飛び出てくるほどだ。どうもテレサ=テスタロッサは三度、コロンビアで誘拐被害に遭ってしまったらしい。
「・・・・・・次からは、首輪とリードを付けてやるからな」
そう呟いたさきから、俺の声はすぐさま市場の騒乱にかき消されてしまった。
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