XVII “Born To Kill”


 銃を持った男たちに父と母が殺された日。あの日までは、わたしは単なる被害者でした。


 沖縄の学校に通っていた時のこと。自分の学力が他の子たちから見れば、あまりに隔絶しているのだとわたしはやっと自覚した。


 先生からは、天才だと褒め称えられてもう鼻高々。ですが子どもというの大人以上に異物に敏感なものです。当たり前のようにテストで100点を取った帰り、わたしの靴は忽然と姿を消してしまっていた。


 兄はいつも通り、どん臭いわたしを無視してどこかに姿を消していた。母も買い物で忙しいとかで、裸足で家まで帰ったわたしは、珍しく帰ってきていた父にすぐ泣きつきました。


 “お前は悪くない”と、父はわたしの頭を撫でながらそう繰り返していた。


 そう・・・・・・望んで天才に生まれた訳ではありません。巷では天才児をギフテッドなとど呼んでいますが、わたしのこれは授かりものギフトなんかではなく呪いカースであると、もうあの時の父はすでに気づいていた。


 わたしの生家が焼け落ちたあと、ジェリーおじさまもまた父と同じようにわたしのせいじゃないと言ってくれたけど、もう魔法は解けていました。その言葉に納得できることなんてもう二度となかった。


 無邪気に兄とともに書き上げたECSの基礎理論。それがクウェートにおける核攻撃に用いられて数十万人が死んだのだと、父と母の死の原因を探しているうちにわたしはふと知ってしまったのです。


 わたしは言い訳しようもない加害者側なのだと・・・・・・だから罪は償わなければならない。そんな罪悪感を今も抱いている。





(✳︎)





【“テッサ”――MSCトラソルテオトル・秘密区画、最下層部】


 もう降り階段はありませんでした。


 そこは、まごうことなき船の最下層部。そろそろこのコンテナづくりの建築様式も見慣れてきましたが、最下層部はこれまでと決定的に異なる部分があったのです。


 この区画、まったく濡れていない。


 スプリンクラーによる浸水を免れたらしい廊下はとっても狭く、どうやら区画の大部分を何らかの施設が占めている、その煽りを食らってしまったみたい。


 あえて新規の扉を増設したりせず、元のコンテナそのままな開閉口が口を開いている入り口の前で足を止める。ちょうど電源ケーブルの道標もここで途絶えてました。


 引きっぱなしの開閉口からは延長コンセントがはみ出て、電源ケーブルが接続されている。上からはすだれのようにプラスチックのカーテンが垂れ下げられており、そのお陰で、部屋の気密性はそこそこ保たれているようでした。隙間から漏れ出てきた冷気がひんやり足首を撫でてきます。


 キンキンに空調を効かせる必要性のある区画。そこに聞き慣れたメカニカルな異音まで加われば、この施設がなんであるのかすぐ察しがついてしまった。これまでよりはずっと理解しやすい場所でした。


「どこからどう見てもサーバールームですね」


 部屋に入ってすぐわたしは言いました。


 上階にあった実験施設の規模からすれば、大規模なメインフレームが別途、用意されていても不思議じゃありません。今どき、どんな分野だってコンピュータ無しの研究なんてやってられませんから。機密保持のためにも、自前でサーバーを立てておくのは理にかなっている。


 ここも例によってコンテナ製なんでしょうが・・・・・・ところどころ柱で補強されてこそいましたが、無数のシリコン製の摩天楼が林立しているこの空間は、見渡すかぎりどこまでも開放的でした。


 MRIまで仕入れられる組織なのです、ここのサーバーもまた最新モデルばかり。一周回ってサーバーそのものに特筆すべきものはありませんでした。


 やはり目につくのは、サーバー本体よりもサーバールームの壁一面に張り巡らされた銅線でした。どうせサーバーそのものもネットから遮断エアギャップされてるのでしょうが、カルテルはそれだけでは不安だったようです。


 あの銅線はいわゆる電波遮断装置ファラデーゲージ――入り口にある金属探知機と合わさり、ここは国防総省ペンタゴンなみの情報流出対策が為されていたみたい。


 そんな銅線の隙間を縫うように、スプリンクラーとは別もののパイプを見つけました。シドニーにかつて存在していたミスリル作戦部の本部、そこのサーバールームで目にした装置と酷似している。


 だから区画全体が濡れていなかったのかと納得しました。火災が起きても大切なデータを守れるよう、こういった施設では水の代役としてハロンガスが使われるのが普通ですから。


 もし消火装置が誤動作したらこれまでの研究結果がパーになってしまう。ですがハロンガスなら人体にも機械にも無害。あとで研究データを引き出せばいいという寸法でしょう。


 サーバーはすべて稼働中。このエアコンや照明もそうですし、この区画は明らかにまだ通電しているみたい。ですがサーバーのデータが無事かどうかは疑わしいところ。


 わたしなら一定期間、パスワードの入力がなければ自動でデータを抹消するような仕掛けをサーバーに施します。スプリンクラーと水溶紙。あんな独創的な情報漏洩対策をとっている組織が、こんな宝の山を無防備なまま放置するはずがありませんから。


 碁盤目状に配置されているサーバー群。整然としているようで狭く混み入っており、開放的なわりに死角も多い。ここはいかにも安全確認クリアリングが難しそうな場所でした。


 そこでヤンさんと相談したところ、彼は一旦わたしをサーバーの影に隠して、単独でのクリアリングを提案してきました。


 元SRT隊員がそれがベストだというなら、食い下がる理由なんてありません。待つことしばし、ヤンさんはすぐ帰ってきました。


「とりあえず、あの子のトリックではないようです」


 肩をすくめて、ヤンさんはそんなことを言いました。


 片目片足の少女との邂逅。あれがどういった意味を持つのか、まだ自分の中で結論づけられてはいませんでした。


 ノルさんの強引すぎる誘拐劇。その裏に潜む動機というものを、ハスミンちゃんは言葉少なに説明していた。でもそこにわたしが踏み込むことを少女は良しとしなかった。


 相手がNOと突っぱねてきたのです。だったら部外者のわたしに出来ることなんてない。そうと頭では分かっていても、心ではモヤモヤした気持ちを持て余してました。


 対して、ヤンさんのプロ意識は流石でした。


 ここはあくまで敵地エネミー・ライン、そう割り切って警戒を怠っていません。今だって、ハスミンちゃんが嘘をついてる可能性も視野にいれてこのサーバールームの安全確認を抜かりなくしていた。


 艦長と呼ばれていた頃なら、わたしもこういうシビアな判断ができていたのだろうかと、ふと自問してしまった。


 いつか部下の誰かに死ねと命じなければならない時が来る。そう覚悟していたつもりでしたが、幸運にもそういった機会は訪れませんでした。


 でも、本当に訪れていたとしたら?・・・・・・昔のわたしはどうしたのでしょう? そして今のやわくなってしまった自分なら?


 生よりも死のほうが近しい世界においては、あらゆる行動に覚悟が迫られる。ハスミンちゃんが問うてきたように、彼女たちの問題を解決したいならすべてを投げうつ覚悟がいるのです。


 戦士の回廊を歩むこともできず、かといって平和にも馴染めなかった半端者のわたしは、どうすればよかったのでしょうか・・・・・・。


「待ち伏せどころか人影も見当たりません。例によって無人ですね」


「上部構造物への通路は見つかりましたか?」


 わたしの質問に、ちょっと困ったようにヤンさんが固まりました。


「ええっと。確かにあの子の言うとおり、船首までつづく通路・・・・・・というべきか、とりあえず道は見つけました。“窓”から見たかぎりではですが」


「“窓”?」


 ここはきっと喫水線の下。船壁に穴を開けたら浸水間違いなしなのに、“窓”ですって?


 ヤンさんは、明確な回答を避けました。


「あれはちょっと、自分の目で見てもらうのが一番早いかと」


「まだサプライズがあるんですか・・・・・・」


「ですね。それより問題なのは、実は扉が見つからなくて」


 気になる物言いはとりあえず一旦脇に置いておくとして、わたしは扉が見当たらないとはどういうことなのか、元部下に尋ねました。


「大佐殿、僕らが入ってきた扉を見てください」


 言われるがまま振り返ってみれば、納得でした。


 一箇所でも銅線が途切れている箇所があれば、それだけで電波は漏れ出し、ファラデーケージは無力化されてしまいます。


 となると、扉だけは例外にする訳にもいきません。まるでジャングルの蔦のように、わたしたちが入ってきたばかりの扉は、銅線のせいで他の壁とほぼ同化してます。開けっ放しでなければ、そこに扉があるとは一目でわからないこと請け合いでした。


 機能優先で使い勝手は後回し。これまでも見てきた光景ですが、ユーザーインターフェースにカルテルはまるで興味がないみたい。


「・・・・・・ハスミンちゃんの背の高さを思うと、例の仕掛け爆弾まで手が届くとは思えないわ。入るのはともかく、出たいなら爆弾を解除しなくちゃならない」


「ここを通ってきたとしか考えられない、ということですね」


「はい」


 わたしは、貴女のものですからと手渡されてしまったピザの袋を揺らしつつ、そんな考察をひけらかしまた。


 これでも脱走中な身の上なんですが・・・・・・ハスミンちゃんの圧力に屈してついつい受け取ってしまったこのピザを、正直わたしは持て余してました。


 シリアスな顔してますが、ビニール袋入りのピザを抱えながら話していくわたしを、ヤンさんはとっても微妙な顔して見つめてました。だって・・・・・・捨てるのもアレですし、食べるなんて論外ですし。なんとも悩ましい存在なのですコレ。


「向かうべき方角は分かってるんです。船尾方面の壁にそってわたしは右へ、ヤンさんは左に虱潰しに調べていけば、いずれ扉は見つかるはずだわ」


「二手に分かれるんですか?」


「安全は確保したのでしょう?」


「そうですが、隅々までとは」


「でもわりかし広い空間ですし、こうして議論している方が時間の無駄だわ。

 ハスミンちゃんの言葉を信じるならノルさんたちは外出中。ですがカルテルに追われてる彼女たちが、人質をほっぽり出してそう長いあいだ外を出歩くはずもない」


「・・・・・・」


 ヤンさんだって理屈は分かっているのでしょうが、非力極まりないわたしを1人でぽこぽこ歩かせることに、ひどく不安を感じている様子。万が一というのは、いつだって起こり得るものですから。


 だから妥協案を講じられました。


「大佐殿、グロック26の扱い方はご存知ですか?」


「えっ? ええ、ひと通り習いましたから一応は」


 隠匿コンシールメント用に設計された小型拳銃。“彼”も愛用していた、まるで工具箱にそのまま引き金をつけたかのようなデザインの拳銃を、足首に隠していたアンクルホルスターから引き抜いていくヤンさん。


 くるり、手の中で小さな拳銃を回して、銃把をこちらに差し出してくる。


「自分は捜査官エージェントとしてのキャリアはまだ短いですが、カルテルの所業はウンザリするほど目にしてきました」


 受け取ったグロック26は樹脂を多用ポリマーフレームしているため軽い部類に入るはずでしたが、人を殺せる機械というのはどんなものであれ、秤に現れないずっしりした重みがあるものです。


「片目片足のあの子のこともありますし、自分でもよく分からなくなってますが、それでもどうか油断だけはしないでください。

 シカリオというのは、どれほど魅力的に見えたとしても――生首でサッカーをやるような連中なんですから」


 ホテルで人生相談にのってくれて、幾度も命を助け、狂犬のようなケティさんと奇妙な人間関係を育んでいた彼女は、自らはシカリオであると宣言した。


 所詮は、入国してからまだ1日すら経っていない部外者のわたしです。この土地の文化についてよく知っているとは、口が裂けても言えません。


 正直なところ、まだわたしはシカリオという単語の意味すらうまく飲み込めていないのかもしれません。辞書を読むだけでは、その言葉が持つ文化的な意味合いまで読み解けないように。


 カルテルの尖兵としてノルさんたちがこれまで何をしてきたのか、詳細は知りません。ですが、あの部屋にうずたかく積まれた真っ赤な樽たちは、まだわたしの目に焼きついているのです。


「ですからその・・・・・・気を許すべきではありませんよ」


 ヤンさんのもっともな警告、そのすべてに納得できてない自分がいました。


 それでもDEA捜査官として、そして元SRT隊員の意見を無視するわけにはいきません。考えの纏まってない頭で無理やり言葉を紡ぐよりはと、わたしの柔腕では重すぎるスライドをなんとか引き切り、弾丸をグロック26の薬室に送り込むことによって意思表示の代わりとさせてもらいました。


 これであとは、引き金を引くだけで弾丸が飛び出ていく。


 わたしの腕ではどうせ狙っても当たりっこないでしょうが・・・・・・悲鳴よりも大きな音は、鳴ってくれるはず。


 まっすぐ船尾本面へと進み、突き当りの壁でわたしたちは左右に別れました。


 かくして地味な作業の始まりです。


 探索の背景BGMは、カビ臭いエアコンの騒音と、サーバーたちの電子的な唸り声。上階の息が詰まる無音に比べれば、ずっと心休まる音でした。


 壁には導線だけでなく、用途不明なワイヤーもたくさんのたくってまして、それが調査をさらに難航させてました。標識一つで解決できる問題なのに、この船の管理者たちがどうして“ここにドアがあります”と書き添えなかったのかは、永遠の謎でした。


 広いとはいえ、横幅はそこまでもないのが船というもの。まして2人で手分けしてますから、探索はものの数分で終わるはずでした。


 ですが・・・・・・マーフィーの法則というのは、いつも嫌なタイミングで顔を出してくる。船尾方面の壁は真っ平らじゃなくて、いくつも逆T字型の出っ張りが配置されていたのです。


 強度を高めるための設計上の工夫か、はたまた単に空きスペースが欲しかったのか。


 その出っ張りの平均的な広さは、コンテナを横で半分に切ったぐらいの小サイズでした。大抵は物置扱いされており、サーバー関連のパーツが箱詰めで押し込められています。


 ですが嫌らしいことにこの出っ張り、絶妙に反対側が見えません。荷物が遮っているのがその理由の大部分なんですが、ときおり獣道のように奥まで進めるのがいやらしい。


 どうせ奥の荷物を取り出すための工夫なんでしょうが、ここを無視して先に進んでもし扉が見つからなかったら・・・・・・そしたらここを調べ直す羽目になるのは目に見えてます。


 絶対ここじゃない。頭では分かっていても、出っ張りに差しかかるたびに身体を横にし、埃っぽい荷物をかき分けながら奥まで進んでいくこと数度。ヤンさんがどこに扉があるか分からないなんてボヤくわけだと、わたしは咳き込みながら合点がいってました。

 

 ハスミンちゃんもハスミンちゃんです。こんなに見つけづらいな、一言注意があってもいいのに・・・・・・。


 最悪のシナリオ。このまま扉が見つからずうろちょろしてる内に、事態に気づいたノルさんに見つかってゲームオーバー。やですねそれ、みっともなさすぎる。


 右手には拳銃、左手にはピザ袋などという不審者スタイルで探索を続けていくと、なんと“窓”を見つけてしまう。本当にありましたよ。


 椅子やコーヒーメーカーといった調度品からして、この出っ張りはちょっとした休憩所として活用されていたみたい。ということは、この窓は閉塞感を減らすための偽物なのでしょうか。


 違いました。


 近づいてみれば、断熱ガラスによって遮られた本物のはめ殺しの窓だとすぐ判明する。横長の小さな窓の向こうには、当然ながら外の風景が窺えました。


 ・・・・・・地下に窓?


 位置関係からして明らかでしたが、やはり窓の向こうにあるのは船内の景色のみ。オレンジ色の作業灯に照らされる、古の神殿をおもわせる広漠とした空間。そこに映っていたのは、船倉の景色でした。


 本来ならばこの空間には隙間なくコンテナが収まっているはずなのに、全長318mの大部分、横幅ならば42m、高さ21mに達するはずの船倉は空っぽ――いえ、空っぽでした。


 ヤンさんが意味深なことを言ってましたが、こういうことですか・・・・・・なるほど、自分の目で見なければこれは納得できない光景ですね。


 わたしがまだ戦隊長という肩書きであった頃。かつてわたしはいみじくもトラソルテオトルと同タイプのコンテナ船を、移動基地として利用していたのです。


 そもそもトゥアハー・デ・ダナンは、ミスリルでも屈指の高価な装備でした。ミスリルの財力をしても2番艦を建造する余力はなく、わたしたち西太平洋戦隊以外の部隊では、代わりに一般商船などを偽装して使っていたのです。


 簡単に取り外せる、見せかけだけのコンテナで上部を覆い、空いた船倉部分には整備施設やヘリポートなどを設置してあげれば、もとの積載容量もあいまって理想的な移動基地になってくれるのです。


 もちろんトゥアハー・デ・ダナンのように海戦ですとか、巡航ミサイルによる爆撃支援なんて夢のまた夢。それでも必要最低限の機能は満たしてくれる。


 このようなアイデア、別にミスリルの独創という訳ではなくて、有名どころではフォークランド紛争時にイギリス軍がコンテナ船を徴発し、簡易空母として利用していたなんて事例もあったりします。なんでしたら話を仮装巡洋艦まで遡らせてもいいのですけれど、それは流石に脱線がすぎるでしょう。

 

 まとめますと、船内にコンテナハウスを築き上げるというのは独創的なアイデアだしても、商船に化けた移動基地という発想そのものは使い古されたもの。そういう話なのです。


 鼻が触れてしまいそうになるほど窓に近づき、ぐくっと首を上方に曲げてみれば、船倉の天井部分に金属製の梁が張りめぐらされているのが見えました。そこには、底部を切り取られたコンテナが梁に載っかっている。ああしてやれば、外から見ればコンテナ満載されているように見えるという寸法ですね。


 細部は異なるものの、かつてわたしが運用していたバーニー・ウォーレル号とよく似たデザインでした。


 なるほど、コンテナという障害物が無ければ、松葉杖のハスミンちゃんでも普通に船倉を横断することが叶うでしょう。


 インドア生活の割に視力の良いわたしは、はるか向こうの船尾側に水密扉の影を見出しました。まずサーバールームから抜け出る必要こそありましたが、あそこまでたどり着けば、そのまま上部構造物へと抜けられるはず。


 ただし――幾つかの少施設を避ける必要はありそうでしたが。


 コンテナの代わりにトラソルテオトルの船倉には、建造物が立てられていたのです。


 わたしは、目に入ったものから順に口に出していきました。


「テープで仕切られたランニングトラックに、鉄棒といったトレーニング器具や、安全マットが敷かれただけの青空道場」


 それだけならば、まだ奇をてらいすぎな運動場と言い訳できたかもしれません。ですが施設はまだまだありました。


「市街地に見立てたコンテナハウスに、それを上から覗き込める監視場。タイヤの壁で防弾が施された射撃場と、あげくの果てにASアーム・スレイブですか・・・・・・」


 空いた船倉にひしめく施設群、これじゃまるでゲリラの訓練キャンプでした。


 あの市街地風のコンテナハウスには見覚えがありました。メリダ島にも似たような施設があって、キリングハウスなんて物騒な名前で呼ばれていたものです。ようは近接戦闘CQB用の訓練施設です。


 射撃場については語るまでもないでしょう。中距離射撃ぐらいならばこの船倉の広さでも十分に訓練できるはず。


 そしてASです。膝立ちの膠着姿勢で放置されている2機のASは、とっても特徴的なシルエットをしていました。卵の上にカエルの頭を載っけたようなちょっと愛くるしいあのデザイン、見間違えるはずもありません。


 それまでの偉容が嘘だったかのようにあっさりと崩壊してしまった旧ソ連の誇る一大ベストセラー機――Rk-92こと通称NATOコード“サベージ”でした。


 ソ連純正のモデルすら無数のバリエーションがある機体ですが、船倉に置いてあるサベージは、その中でもちょっと変わり種みたい。


 増加装甲がゴテゴテと貼り付けられ、着膨れしたように見える上半身。関節部には対戦車ロケット対策のワイヤーネットがこれでもかと巻きつけられ、機体の股間部には質実剛健がモットーのソ連らしくもない、洗練されたデザインのセンサーポッドが取り付けられている。


 あの合理主義一辺倒な改装は、西側陣営に籍を置きながらも、特殊なお国柄ゆえに東側の装備をも多数運用しているイスラエルの開発した、市街戦特化型の改修モデルとみてまず間違いないでしょう。


 あの機体、時代遅れな真空管を取っ払った空きスペースに最新の電子兵装ヴェトロニクスを詰め込み、外観だけでなく内側もアップグレードされているもののはず。


 対ECSレーダーといったモダンな装備に加え、ソフト面でも色々と近代化されているそうで、とりわけ特徴的な機能がシミュレーション・モードと呼ばれるものでした。


 増設された豊富な演算能力をもってして、機体に搭載されたコンピュータが仮想の戦場をシミュレート。あとはコクピットに収まって操縦スティックをあれこれしてやれば、操縦訓練用の高価すぎるシミュレーターに変わって、ASそのものがちょっとした代役を務めてくれるという便利機能です。


 そもそも今どきサベージを配備しているような軍隊が予算潤沢なはずもなく、訓練から実戦までこの機体のみ完結できるというのは、大きなアドバンテージになりえるでしょう


 新兵訓練はもとより、ベテランにしても、ちょっとした空き時間に練度維持に努めることもできるのです!! なんて、やり手の武器商人としての顔も合わせもつイスラエルがここ最近、精力的に売り込んでいるのだと、メリッサが定期購読しているその手の雑誌ソルジャーオブフォーチュンが書き立てていたものです。


 冷戦コールド・ウォーは、ソ連の自壊によって幕を閉じました。


 勝者は西側、なのですが。ソ連の置き土産たる無数の兵器たちが、新たに西側陣営に合流したかつての共産主義国の兵器庫にはまだたくさん眠っているのです。そういった兵器たちを一挙に西側規格に引きあげることができる近代化パッケージという新商品にイスラエルが目をつけた・・・・・・どうも、世の中にはそういった話もあるそうでして。


 つまりこの船の管理者たちは、あのサベージを安上がりな訓練シミュレーターとして活用していたのでしょう。


 それなら2機駐めてあるサベージうちの片割れが、機体のパーツがところどころ抜けている虫食い状態、いわゆる共食い整備のエサにされている理由の説明にもなります。実際に動かす気なんてサラサラなかったのでしょう。


 建設用に用いられたに違いない簡易クレーンが、船倉に置きっぱなしになってましたから、その気になれば機体の出し入れはできるんでしょうけど・・・・・・あの背の高い天井までサベージを吊り上げて、そこから偽装用のコンテナの屋根を取り外してやっとこさ出撃なんて手間、いちいち踏んでいたとは思えない


 シミュレーション・モードを利用して、単なる訓練用の教材としていたというのがやはり真相でしょう。船内でASが転倒して壁に穴が・・・・・・そういうリスクも加味すると、動くかどうかも怪しいです。


 殺人娼館を最上階にいただき、中腹には何らかの心理実験を行っていた研究施設をひしめかせ、最下層の船倉にはサーバーと訓練施設ブートキャンプが広がっている。他に極秘施設があるとは船の容積的にもう考えられないでしょう。これがトラソルテオトルの全容であると、もう断言して良いはずでした。


 すべて引っくるめて、この船はざっと数億万ドルは掛かっているでしょう。


 殺人娼館だけではやはりそんな巨額、稼ぎきれません。カギはやはり研究所とこの訓練施設が握っていそう。カルテルはこの船を使って、どういう風に利益を上げるつもりだったのか・・・・・・。


 しらずしらず、いつもの癖で三つ編みの先っちょで鼻先をくすぐっていました。考えに耽るとすぐこうなってしまう。


 左手に拳銃を持ち替えて、小指で危うげにピザの箱をぶらぶらさせながら歩いていく。目的がサーバールームの出口を探すためなのか、それとも散歩で頭の血の巡りを良くするためなのか、自分でも分からなくなっていました。


 いつの間にか、また目の前に新たな出っ張りが立ちはだかってくる。


 窓をつけ、憩いの場を演出していた先ほどの出っ張りとは打って変わって、なにやら物々しい雰囲気です。通常の出っ張りにくらべると、広さはざっと3倍。太い金属メッシュのフェンスによって入り口が隔離されているあたり、当初からひとつの区画として作りあげられたみたい。


 頑丈そうなセキュリティドアもありましたが、半開きになっています。明らかにカギは掛かっていない。


 区画には、幾つもの座席とデスクトップPCが並んでいました。隅のほうには叩き壊された監視カメラの残骸がぷらぷらとワイヤーで垂れ下がり、床には、ゴミに混じって携帯型の金属探知機が捨てられている。


 ひと目見て、警戒厳重な区画だと見て取れる。それもそのはず、“通信室COMルーム――要・事前申請。記録媒体の持ち込み厳禁。違反者は厳罰を覚悟のこと”なんて、英語の警告文が掲げられてました。

 

 この区画の壁には、銅線が見当たりません。ここだけはファラデーケージの適用外であったようですね。


 いくら情報を漏らしたくないとはいえ、インターネットという文明の利器が使えないのは色々と不便だった。そこで生まれた折衷案がこの区画だったのでしょう。


「・・・・・・」


 フェンスの向こうには、ピカピカと水没していないデスクトップコンピューターの電源ボタンが瞬いてました。


 まさか、使えるはずがない。


 そう思いながらも気づけばわたしはセキュリティドアをくぐり抜け、這い回る床上のコードにあやうく足を取られそうになりながらも、オフィスチェアに腰掛けておもむろに電源ボタンを押し込んでいた。


 いまは出口を探すべき時なのに・・・・・・ダメですね、意志薄弱にも程がある。


 捜索はどうしたんだという指摘はごもっとも。ですが上手くいけば外部と連絡を取れるかも知れませんしなどと、自分で自分に言い訳しつつ、ピザの袋と拳銃をデスクのうえに置いて起動画面を見守っていきます。


 ハスミンちゃんはわたしに警告してました。この件に関われば後悔すると、おそらくは善意でもって。


 この軽率な好奇心が、わたしの大切な人たちに犠牲を強いることになるかもしれない。その覚悟がわたしにはあるのでしょうか?・・・・・・今さら悩んだところで、もうパソコンは動き出しました。


 ですがちょっと起動ブートに手間取っているみたい。


 古めかしいブラウン管モニターが、これまた一世代前なWindows 98のロゴをやっと吐き出したかと思えば、そのまま不自然に固まってました。HDDランプが瞬いているのでちゃんと動いてはいるみたいですけど、ここの設備は全体的にちょっと古いみたい。


 あるいはこれもまた、外部との連絡を面倒に感じさせるための計略かと勘ぐってしまいましたが、流石に考えすぎですか。それはそれとして、やることがありません。


 どうせ暇ならと首をめぐらせ、辺りをもっと詳細に観察してみることにしました。


 パソコンの置かれているデスクは、なぜだかやたらと汚らしい。元はコンピューターだけがポンと置かれてるような素っ気ないデスクだったのでしょうが、今となってはカップラーメンの空き容器ですとか、スナック菓子の残骸などで汚染されつくされている。


 なんでしょう、この漂う生活臭? まるでクララちゃんが生まれる以前のメリッサの私室みたい。


 指先で調味料の袋だったものをキーボードから遠ざけていますと、目の前にあるデスクトップPCの筐体から、なにやらUSBケーブルが伸びてるのに気づきました。


 背伸びしてデスクの向こう側に伸びていく長いケーブルの行き先をたどってみれば、三脚に載せられているWEBカメラと謎の壁画を発見しました。


 ・・・・・・あれってもしや、ジャングルのつもりかしら?


 気づかなかったのが不思議ぐらい。ペンキの真新しい刺激臭からして、まだ描かれて間もないらしい通信室の壁画は・・・・・・その、なんといいますか。幼稚園の壁に飾ってありそうな、寸足らずの画力でもって活写されておりました。


 百歩譲っても斬新な抽象画。とても本物のジャングルには見えません。


 おもむろに祖国か死かパトリア・オア・ムエルテなんて、キューバ革命以来つづく共産主義革命の標語が掲げられているあたり、画業に目覚めてまだ間もないらしいノルさんの狙いはみえみえでした。


 これはあれですね、画質の荒いWEBカメラでいろいろと誤魔化しつつわたし――といいますか、テオフィラさんを誘拐したのはジャングルを根城にして誘拐ビジネスに精をだす、かの悪名高きコロンビア革命軍FARCなんですよと見せかけるおつもりなんでしょう。


 またセコい手を思いついたものです。


 ジャングルの絵は上半分だけが完成済み。残る下半分は、どうも途中でペンキが切れてしまったらしく、マジックインキの下書きだけでした。


 もしやハスミンちゃんが言っていた急な用事とはこのことかしら? 緑ペンキを慌てて買い足しに行ったと? 


 初対面の頃からは信じられないほどに、加速度的にダメ具合を増している彼女のこと。ありえないと言い切れないのが辛いですね・・・・・・自分で描くよりも、ジャングル柄の背景をどこかで仕入れたきた方が早いと思うんですが。


 プロの兵隊のセオリーをもとに行動する冷静沈着さ。いざ闘いとなれば、人外じみた戦闘力で敵を薙ぎ倒し、すべてを圧倒する。ですがその判断能力ときたら・・・・・・ちょっと脱力してしまうほどのへっぽこぶり。


 なんともアンバランスな女性です。教科書から一歩出ると、自分ではどうしたらいいのか分からない、そんな風にも見える。


 なんて考えにふけっていますと、やっとこさ起動しました。


 砂時計のアイコンが消えて最初にモニターに表示されたのは、ユーザーIDの入力画面でした。


「まあ、そうですよね」


 セキュリティの初歩も初歩。設定されてない方がおかしいです。


 お手上げ、というわけでもありません。いくつかセキュリティをだまくらかすハッキング・テクニックは頭に浮かんだものの、素手でコンピューターと接続できるものなの? なんて、深淵な問題が浮かび上がってきます。


 わたし断じてサイボーグじゃありませんから。手持ちの装備といえば、ヤンさんから預けられたこの拳銃と、ピザと、ボロボロのワンピースのみ。こんなのでどうやって電子戦を戦えというのでしょうか?


 そう都合よくパスワードの書かれたメモが貼りつけてある筈もなく、こうなればすぱっと諦め、寄り道は早々に切り上げるのが吉だと判断しました。


 軽く息を吐いて、拳銃とピザの袋を取ろうとデスクに手を伸ばしたところ、どうしたことか空を切ってしまう。


「?」


 目測を誤ったわけではありません。現に拳銃はすぐ見つかったのに、30分以内に配達できなければ無料なんて書かれていたビニール袋が、なぜか忽然と姿を消していたのです。


 ピザの袋から目を離したのはほんの数分。まさかピザが走って逃げるはずもなく、落として気づかないほど軽いわけでもありません・・・・・・えっ? 本当にどこいったんですかピザ?


「大佐殿、あちらに出口を見つけ・・・・・・何をしておられるんですか?」


 ヤンさんの声に慌てて頭をあげようてして、デスクへしたたかに頭を打ち付けてしまいました。とても痛い。


 で、ですけども!! デスクの上にないなら下に落ちたとしか考えられないじゃないですか!! 


 そのような推理には自信があったものの、肝心要のピザは見つからず。四つん這いの姿勢でデスクの下から這い出て、羞恥で赤くなった顔を伏せつつわたしは立ち上がりました。


 恥ずかしすぎて相手の目を見れないので、汚れてしまった膝小僧をはたいて誤魔化してみる。


「実はその、別になんてこともないんですけどね? ・・・・・・ちょっとピザが行方不明になりまして・・・・・・」


 チラリと上目遣いで様子を窺ってみれば、聞きたいことは色々とありますが、とでも前置きしたげな顔をしたヤンさんと、目が合ってしまう。


「・・・・・・美味しかったですか?」


「わたしそんなに卑しくありませんッ!!」


 元部下にあらぬ疑惑をかけられてしまいました。





〈*〉





 ピザ行方不明事件はとりあえず迷宮入りの方向で忘れることにして、わたしたちは、広々とした船倉へとついに足を踏み入れていきました。


 壁を這いまわっている銅線とケーブルによって、意図しない隠し扉となっていた箇所をくぐり抜けてみれば、一瞬で空気が変わっていく。


 冷たい空調から真夏の陽気へ。


 そういう寒暖差はもちろんのこと、広さのギャップもまた凄い。手を伸ばせばいつでも壁に触れられる閉鎖空間から一転、ASがジャンプしても天井にマニピュレーターが届きすらしない巨大空間へと移動してきたわけですから。


 船倉にはさまざまな訓練施設が点在してましたが、右舷側の内壁には、工事現場で見られるようなキャットウォークが船尾に向かってずっと伸びていました。


 キャットウォークに沿うようにワイヤーがピンと張られ、牽引用のウィンチと吊り下げ型の荷物袋が引っ掛けられていることからも、きっと高速道路と荷運びの役割を同時に担ってきたのでしょう。


 入り組んだ訓練施設をくねくね歩くよりも、素直にキャットウォークを通るべきでした。狙撃の心配よりも、船首から船尾までまるまる横断する時間のほうが問題でした。まだ上部構造が残っている、道のりはまだまだ遠いのです。


 ですがこれまでの、いわば目的地が見えてこないダンジョン探索に比べれば、ゴールラインが明確なだけずっと気持ちは楽でした。実際、拍子抜けするほどあっさり横断に成功してしまう。


 わたしたちの目の前には、コンテナ船本来の水密扉が立ちはだかっていました。


 MSCトラソルテオトル。このMSCというのはスイスにある世界有数の海運会社の名前なのですが・・・・・・上部構造へとつづくその水密扉には、どうしてかキリル文字で機関室Машинное отделениеと表記されている。


 船会社の国籍と、船を建造した国が別というのは不思議でもなんでもなく、むしろ自然ですらあります。ですがキリル文字というのは引っかかりました。


 トラソルテオトルの船齢は正確にはわかりませんが、設備とサビ具合からして新造艦というのはありえないでしょう。おそらく10年単位で運用されてきたはず。


 キリル文字は主にロシア語圏で使われている文字です。この規模の船を作れる造船所を持っている国となれば、それはもう旧ソヴィエト連邦――現ロシア連邦共和国しかありません。


 つまりこの船は東西冷戦のまっただ中のソ連で建造され、アメリカの裏庭である南米大陸に流れ着いたということになる。


 麻薬カルテルの所有物にしては、あまりに不可思議な出自でしょう。丁寧に英語で機関室ENGINE ROOMと別途、ペンキの注釈が付けられているあたり、管理者たちは英語圏の人間だったのでしょうけれど――そんな疑問をヤンさんにぶつけてみると。


「大佐殿。以前、マイアミのギャング連中がソ連から潜水艦を買いつけ、カルテルに売っ払おうとした事例が実際にあったんですよ」


 なんて、また無茶な逸話が飛び出てきました。


「内戦からこっち、ロシアの懐事情はずっと火の車でしたから。一部のタチの悪い将校たちが倉庫に眠ってる余剰品のAK-47を売り払うついでに、潜水艦もオマケにつけようと画策したみたいなんです。

 もっとも最終的には話は流れて、カルテルは潜水艦を自作する道を選んだわけですが・・・・・・」


「わたし、今朝からずっと自分の常識を試されている気分になってます・・・・・・」


「僕らの非常識は、ここの奴らの常識なんですよ、きっと。いや待った。デ・ダナンの船体って確か、元はソ連製だったとか聞いた気が・・・・・・」


「あれは正当な非公式ルートで譲られたものですからノーカンです」


 言い終えてからふとどうしようもない矛盾を感じましたが、それは本題ではないのでスルーしました。わたしもけっこう非常識、その自覚はちゃんとありますとも。


 ウォッカと並んで実は潜水艦も、ソ連の重要な輸出品であったという線でここはひとつお願いします。この件、ほじったら身内にわりと逮捕者が出てしまうので。


 足の裏が痛みました。コンテナハウスを右往左往した挙げ句、今度は巨船を横断。運動不足の身には、なかなか堪える歩行距離に違いありません。


 ヤンさんが水密扉に罠が仕掛けられてないか確認していく間、これまで歩んできた道をなんとなく振り返ってみた。そこでわたしは、初めてあのコンテナハウスを外から一望することができたのです。


 船首部分にだけ積み立てられたコンテナの山。色とりどりなカラーリングも相まり、それはまるで巨大なレゴブロック製のお城のように見える。


 あの中に収まっているおぞましいものたちは、ここからは見ることは叶わない・・・・・・その筈でした。


 誰が描いたのかは分かりません。


 コンテナハウスの外壁には黒い線がいくつものたうち、荒っぽい線であることが逆に力強いイメージを与えている、巨大すぎるグラフィティアートが実はずっと船倉全体を睥睨していたのです。


 数十メートルはあるサンタ・ムエルテの巨影。


 あの死の聖人が、まるでこの船の支配者であるかのように、真っ黒な眼窩でもってわたしを見下ろしていました。



 


〈✳︎〉 





 潜水艦の機関室というのは、スペースの問題からミニマムかつ洗練されたデザインに自然となってしまうものなんですが、そういった制限のない水上艦ですとその限りではありません。


 排気管やらパイプやらが縦横無尽に這い回り、ででんと置かれた主機メインエンジンの大きさに至っては、実に五階層ぶち抜きでやっと収まるメガサイズ。船に詳しくない一般の人なら、機関室はまるで工場にでも迷い込んだのかと錯覚してしまうような場所でした。


 もっとも仮にも停泊中な訳ですから、機関には火が入っておらず静かなものです。


 機関室は上部構造物のちょうど真下にあるはず。懐かしい鉄とオイルの匂いに安心感を覚えてしまうのは、海中と海上という差こそあれ、わたしが骨の髄まで船乗りだという証明なのかしら? 


 主機に代わって、わたしたちが進んでいく通路の明かりを灯してるのは、船に設けられた発電機たちの仕事でした。


 船の停泊中、主機に代わって電気を供給してくれるのが発電機なのですが・・・・・・なにせトラソルテオトルには裏の施設がたくさんありますから、両舷合わせて4機の巨大発電機はフル稼働してました。


 別に見学に来たわけではありませんし、仮にも船舶の設計者だった者としてこんなの、特に珍しい光景でもありません。ですからわたしたちは、ひたすら階段をのぼり先を急いでいきました。

 

 機関室もまた無人。といいますか、そもそもコンテナ船の乗組員は多くても20人前後なため、巨大かつ入り組んだ機関室に人がいること自体が珍しいのですが。


 通常なら機関員は、全員がクーラー完備のコントロール・ルームに詰めているものです。念の為そちらには近づかないよう慎重に移動していく。


 しいて特筆すべきものを挙げるとしたら、せいぜい機関室に併設されていた工作室ワークショップに “立ち入り禁止。入ったらアイルランド方式でぶっ飛ばすぜ!!” なんて、物騒な警告文が掲げられていたことぐらいかしら。


 階段の段差を登るたびに、どんどん潮の匂いも強まっていく。外まであと少し。


 コンテナハウスはどこも真っ暗闇でしたから、無人であることに疑いの余地はありませんでした。ですが上部構造はどこもキチンとライトが灯っており、人の気配が強く感じられる。ですから自然とわたしたちの会話は途切れてしまいました。口をつぐみ、息を殺して静かに移動していく。


 そもそも特殊部隊では、基本的に敵に見つかるまで会話は絶対にしないのだと聞きます。わずかな手信号ハンドジェスチャーと阿吽のチームワークだけで行動できる練度あるからこそ、彼らは特殊部隊員と呼ばれるのですから。


 運動神経に劣るわたしとしては、ヤンさんについていくだけで精一杯でした。全力疾走とは真逆のゆっくりとした動きというのも、それはそれで体力を使いますから。


 そしてついに、メインデッキにまでたどり着く。


 拳銃を構えて、鋼鉄のドア枠を盾にしながらゆっくり半円を描いて索敵していくヤンさん。その背後から、この船のいわば1階にあたる部分をわたしも覗き見ていく。


 メインデッキには通常、入港手続きなどを行なう事務室が置かれるものでして、この船もまた例外ではないみたい。ガラスで仕切られた簡易的なブースがいくつか並び、コンピューターや書類棚がそこらに収まってます。


 通路に光はあるものの、そのブースたちの中は暗い。誰かが残業していたりはないみたい。耳をそばだててみても、聞こえるのは波の音だけでした。


 コンテナハウスの不親切さはどこへやら。わざわざキリル文字の案内板を引き剥がし、代わって掲げられている英語の案内板によれば、右舷側の出口はすぐ目と鼻の先にあるみたい。そこから甲板オンデッキにでて船尾へ回れば、すぐ救命艇にアクセスできるはず。


 ついさっき頭で思い描いたとおりの道順を辿ってみますと、特にトラブルもなくあっさり上部構造物の外に出れてしまった。


 外気に身が包まれ、眩いコンテナヤードの投光器の明かりが、船のそこかしこに濃いコントラストを刻んでいるのが見える。


 あまりにあっさり出られたせいで、ちょっと拍子抜けでした。トラップとか、そういったものを覚悟していたのに。


 左舷側はコンテナヤードに、右舷側は海に面していました。


 眠ることをしらない漁船かなにかの小舟が海の上を走り回っており、彼らがもたらす明かりのお陰で、港のすぐ側にあるマングローブ林ですとか、緑色に泡立っている水面がよく見えました。なんといいますか、いかにも南米ならではの立地ですね。

 

 ヤンさんは一瞬だけこちらを振り返り、唇に人差し指を当ててから、右舷側を手で差しました。


 コンテナヤードからの明かりは眩しすぎる。あれではわたしたちの姿が外から丸見になってしまう。それなら海に面してる右舷のほうが、いくぶん暗くて迷彩効果が望める。ここからがラストスパートでした。


 影のなかを行くヤンさんに、わたしもつづく。


 船窓に差し掛かれば背を屈めてくぐり抜け、歩くときには踵から着地し、足全体に体重をばらけさせることで足音を限界まで軽減していく。そんなプロの動きを、不器用ながらも精一杯にトレースしていきます。


 生暖かい夜風に前髪が揺れる。一歩、また一歩と進むたびに、数十人が乗れるオレンジ色した救命艇の姿が大きくなってきます。


 すべて順調。


 走ればほんの数秒でたどり着ける距離をこうもゆっくり進むのは、焦れったくも感じられる。ですが、プロの知恵はいつだって正しいのです。


 メインデッキを1階とするなら、Aデッキは2階に当たります。そこからB、C、Dと、複数のデッキが重なり合うことによって上部構造物は形作られていくのですが・・・・・・トラソルテオトルの上部構造物、そのすべての階層で明かりがついていたのです。


 どこまでが常夜灯で、どこからが人の手によってスイッチが入れられたものなのか? ここからでは分かりません。


 ヤンさんは上部構造物には、人影は見当たらなかったと証言してました。ですが何日も張り込んだすえに出した結論じゃないのです。一週間も監視していた標的が、ほんの数秒間だけ目を離した拍子に現れる。こんなこと、実戦ではままあることですから。


 頭上のAデッキ、その船窓のカーテンちょっとだけ揺らぎました。どの窓も厳重に閉じられてましたから海風のせいでは断じてない。


 次に何が起こるか呑気に観察していたわたしを素早く、それでいて静かにヤンさんが壁に押しつけていきました。


 Aデッキには大抵、乗組員の社交場が詰まっています。テレビにソファー、いわゆるラウンジなどが、そして時刻はちょうど夕食時・・・・・・。


 南米のジャングルらしい、うるさすぎる虫たちの鳴き声を圧するほど、わたしの心臓は緊張で高鳴ってました。


 コロンビアは世界屈指の生物多様性を誇るだけはあります。マングローブ林に生息しているに違いない虫やカエルの大合唱のせいで、軽妙なラテン音楽の旋律に気づくのが遅れてしまっていた。


 窓が開く。すると、音楽のボリュームも一段とはね上がる。


 ベレッタ92をヤンさんは自分のすぐ直上に構えました。窓を開けているのが誰であれ、わざわざ身を乗り出して下を確認しないかぎり、わたしたちが隠れてる位置は死角なはず。


 窓ガラスの防音性能は舐められませんね。今はもうはっきりと音楽だけでなく、がやがやテレビの音まで聞こえだす。


 誰が開けたのかしら。とりあえずノルさんではないと思うのですが・・・・・・もしかしたら、ハスミンちゃんが言っていた“兄さん”なる人物かもしれません。


 名前すら分からない第三の男。


 容姿はもちろん、敵対的か友好的かすら分かりません。あえて推理するなら兄さんと呼ばれている以上、ハスミンちゃんよりは年上ということぐらいかしら。


 一応、わたしの手の中にはグロック26がまだ収まってます。ですが10cm先の的に当てる自信もないのです、下手に場をひっかき回すより、素直に壁に張り付いておくのが得策でしょう。


 微動だにせず照準器の向こう側を睨んでるヤンさん。窓を開けたのが何者であれ、そのまま立ち去ってくれれば・・・・・・きっとお互いに幸福な展開になるはず。


 夜は暗く、見通しが利かない。視覚が頼りにならないと、他の感覚器官が鋭敏になるものです。


 耳をそばだて事態を見守ってますと、ふと鼻腔がくすぐられました。窓から漏れてくるこれはチーズの匂い? わたしはふと30分以内に届けられなければ無料なんて惹句を思い出していた。どうやら夕飯はピザみたい。


 いつでも発砲できるよう構えつつも、香ばしい匂いに眉をひそめるヤンさんの身に次の瞬間、信じられないことが起きました。


 船窓から褐色の細い腕が飛び出してきたかと思いきや、その手の中に収まる容器からビシャ、水が降り注いできたのです。


 放物線をえがいて落ちてくる水は、狙いすましたかのようにわたしを避けて、よりによってヤンさんの顔面だけクリーンヒットしていきました。


 この状態でもまだ目を開き、微動だにせず銃口をそのまま窓に向けつづけているヤンさんは流石でしたが、彼の温厚な性格をもってしてもこの状況に、ちょっと目元がピクピクしてる。


 運なんて、所詮は確率の言い換えにすぎません。そう言いたいのは山々なんですが、ヤンさんの身に降りかかるこの不幸の数々ときたら、どんな慰めの言葉をもってしても通用しなさそう。


「もうバウティスタ!! また横着して!!」


 銃口の先、窓の向こうから女の子の叱責が聞こえてきました。カルテルが所有している船から聞こえるにしては、あまりに幼い声。


「なんだよ? 花瓶の水を取っ替えろって言ったのはカロリナじゃないかよ」


 悪びれもせず応じる声からして、ヤンさんのスーツを水浸しにした主は少年みたい。鼻がかかった、とっても生意気そうな声をしている。


「だからって窓の外に捨てることないでしょう!!」


「ふん。ムチもーまいなるテイコク主義シャたちのせいで、とっくに我がソコクの海は汚染されきっているのだ!! 今さら花瓶の水ぐらいでなんだ!!」


「そういう自分でもよくわかってない小難しいお話はしないの。マナーの問題だよ、マナーの。下に人がいたらどうするの?」


「は? そんなの居るわけないだろ?」


 マズい方向に流れていく会話。


 すこし悩んだものの、わたしは咄嗟にヤンさんのベレッタの銃身に手をかぶせ、もっと壁に張りつくよう目線でお願いしました。


 窓のあたりがガサゴソ騒がしい。壁にめり込めるならそうしたいぐらいに、ヤンさんと一緒に壁と一体化していると、どうやらその甲斐はあったみたい。


「・・・・・・ほら見ろ、なんもいない。オレ様のえいびんなちかく力をもってすれば、100メートル圏内のすべてが手に取るようにわかるのだ!!」


 なんて、あんまり知的じゃなさそうな声が聞こえてきて、わたしはホッと胸を撫でおろしました。


 短い会話から窺える、男の子と女の子の人間関係。意味深な間を置いてから、ちょっと意地悪げな言葉が少女から飛んできました。


「あっ、ハスミンねえ」


「ひっ!!・・・・・・ビ、ビビってないけど、ビビらせるなよッ!?」


 偉そうな態度から一転、みっともない悲鳴が響く。ハスミンちゃんの胆力は、どうやらこの子たちにとっても恐るべきものであるみたい。


「怒られたくないなら、今度からちゃんとシンクにお水を捨てること。終わったならお皿並べるのを手伝ってよ」


 聞き耳を立ているわたしたちの存在に気づかないまま、こんな船に相応しくない穏やかな時間が、頭上で流れていく。


 ですがそれも一瞬のこと、ふっと男の子が憂いに沈みました。


「・・・・・・いいのかよ、こんなことしてて」


「お腹減ったって、一番騒いでたのバウティスタじゃない」


「そうじゃなくて!! だって、だってさ、いつカリに襲われてもおかしくないんだろ俺たち?」


「・・・・・・そうだね」


「だったら悠長に飯食ってる暇なんて――」


「でも私たち、他に何もできないよ。それとも鉄砲ひとつ撃てずにゲリラから逃げ出してきたバウティスタなら、何かできるっていうの?」


「あれは銃が不良品だったんだッ!!」


「いいからハスミンねえの言うとおり、ぜんぶ兄さんたちに任せようよ。ね?」


「信用できるかよ、あんな変態野郎・・・・・・」


 不安いっぱいに吐き捨てながら、バウティスタと呼ばれた少年の気配は船窓から遠ざかっていきました。パタパタ駆け寄り、窓を丁寧に閉めていったのは、きっとカロリナという少女に違いありません。


 人の声も、音楽の音色もいっせいに途絶えて、また虫と波の音があたりに戻ってくる。


 1秒、2秒、3秒としばし心の中で時を数えてから、危機は去ったと判断。わたしたちは警戒を解いてきました。


「・・・・・・」


 なのに、もう誰も居ない船窓をわたしはしばし、仰ぎ見つづけていた。





〈✳︎〉

 




 船尾。上部構造を取り巻いている大きな外付け階段から見下されるこの場所には、ごちゃっと様々な器具が置かれてました。


 クレーンとその操作盤が隅っこに。ライフジャケットや予備の救命衣イマーションスーツが詰まったロッカーですとか、樽のようなプラスチック製の容器に詰まった救命イカダなども見受けられます。


 ですがわたしたちの目的はひとつだけ。


 海へと真っ逆さまに落ちるのを防止してくれる安全柵を跨いで、巨大な急角度のすべり台が船尾には設置されていました。その上に、まるでオレンジ色の長靴のような形をした救命艇が収まっている。


 いわゆる全閉囲型救命艇。船内に乗り込んでブレーキを解除すれば、あとは自重で勝手に海面まで落っこちてくれるはず。


 ただしこれは本来なら緊急時の発進方法でして、着水の衝撃で怪我をしかねない危険なやり方です。メーカー推奨のやり方ですと、クレーンでゆっくり吊り下げて離船、という方式になるのですが、そんな悠長な作業やってる暇はないでしょう。


 救命艇に乗り込むためには、ちょっとした踊り場となっている船の最後部を通る必要がありました。これまではどうにか身を隠しながらやってきたものの、ここだけは無理そうです。


 ですからヤンさんはスピードを優先。これまでが嘘のように早足で救命艇へと張り付いて中を見分。問題ないと分かると、すぐさまわたしを呼び込んで船内に押し込もうとする。


 これに乗ればもう安全、すべて終わる。そう知っているのに――どうしてか足が動きません。


 あともう一歩、足を踏み出すだけで救命艇に乗れるのにそうしない。その逡巡の理由をヤンさんも知っていました。だから諭すようにこう声をかけてきます。


「あとはDEAが何とかします」


「カリ・カルテルは、コロンビア政府の腐敗に上手くつけ込んでいます。捜査協力を要請したところで、お金で買われた役人が首を縦に振らなければ外国の捜査機関たるDEAは手出しができません」


「やってみなければ分かりません」


「ミスリルが評価されたのは、その能力はもちろんのこと政治問題に妨害されることなく、純粋に任務を遂行できたからです」


「もうミスリルは無いんですよ、大佐殿」


「分かってます、でも・・・・・・すべて順調に進んだとしても、この船にDEAの捜査の手が及ぶのは何ヶ月後になるんですか?

 政治力に長けてるカルテルの妨害を跳ね除け、コロンビア政府からの了解を得たとしても、同行する警察機関の中にカルテルのスパイがいないとも限りません。

 どこに行こうとも、あの子たちに安全はないわ」


「あなたには何もできません」


 押し殺した声で、ヤンさんが宣告しました。ここまで言い切らなければもうわたしは止まらないと、覚悟したみたい。


 必死に元部下にして現役のDEA捜査官である彼は、わたしを必死に諭そうとしていた。


「大佐殿はいつも勝利してきました。あなたの指揮を疑うやつなんて誰もいやしません。自分だって、あなたの采配であれば無条件に信じますよ・・・・・・でも、違うんです」


「何が言いたいんです?」


「カルテルはこれまでの敵とは異なるということです。どんなに戦って勝利しても、どうにもならない。

 あれはもう組織じゃない、文化なんですよ大佐殿。

 この土地のさまざま要素、麻薬ですとか、貧困、歴史を飲み込みながら成立してる暴力機構。

 大佐殿ならどれほど強大な敵でも打ち倒せるでしょう。ですが・・・・・・現象と戦うことなんて誰にも出来やしない」


「なら、DEAはこの地で何をしてるんですか?」


「DEAだって力不足はとうに承知してます、だけど、僕らは警察官なんですよ。

 この世から犯罪が消えないのは誰もが知ってる。ですが日々起きている犯罪には、誰かが対抗しないとならない。

 対処療法ですよ大佐殿。根絶はできないと知っていても、被害を最小限にしようと努力しない訳にはいかない」


「その努力だけでは、あの子たちは救えないわ」


「ではどうするというんですか!! 

 デ・ダナンやガーンズバック、西太平洋戦隊の全盛期の戦力と、大佐殿の指揮能力をもってすれば、カルテルをむこうに回しても幾らでも戦えたでしょう。

 ですが仮にそれほどの膨大な戦力があったとしても、カルテルは消えやしない。奴らは日々進化し、社会に隠れながら寄生している。

 カリ・カルテルが良い例ですよ。もうあの組織の実態は誰も掴んじゃいない、当のカリの幹部たちすらも。

 高度に匿名化された連絡網が下部組織にちょっとずつ仕事を割り振って、それを果たすだけで、どうしてかみんな儲けることができる。」


「ですが、わたしを狙ってるのはカリのボスだと聞きました」


「そんなこと誰に・・・・・・いえ、もしそれがエスコバルのような麻薬王を差しているのだとしたら、それは大間違いですよ。

 今のカリ・カルテルに指導者はいない。ピラミッド型の指揮系統なんて過去の話です、いまやカリはシステムそのものになっている。

 誰にも勝てやしない・・・・・・どうにか折り合いをつけて、表に被害をもたらさぬよう抑えつけることしかできない」


「ええ、それがすべての問題なんですよヤンさん。あの子たちに味方がいないことが。

 最初に犠牲になるのは、いつだってもっとも価値のない存在。生まれながらにして社会に居場所のない、あの子たちだわ」


「それでどうするんです? 

 あなたにはまだ指揮官としての才能が眠っているでしょう。ですが、もうあなたの手足となるミスリルという武力組織は解体されてしまった。

 何より、パブロ=エスコバルが死んでも麻薬産業は消え去るどころかむしろ拡大していった。カルテルに武力で挑んでも何も変わらないんですよ大佐殿。何一つとして」


 ヤンさんの中でも、色々なものがせめぎ合っているようでした。


 誰よりも無力感を抱いているのは、短いとはいえ麻薬戦争の最前線を見てきたに違いないヤンさん自身でした。


 だからこそもう無理であると知っていた。口ではどうにかすると言いつつも、そこに具体的な方策などありはしないのだと。その嘘を責める気はありません。


 そう、普通に考えればわたしがこの件に関して無力であることも、百も承知なのですから。

 

「自分は約束しました、大佐殿をニューヨークのアパートにかならず送り届けると。

 もうあなたの戦いは終わったんです大佐殿・・・・・・それなのに、関係のない戦争に首を突っ込むべきではありません。

 この非情な世界で生きるには、貴女はあまりに優しすぎる」


「ありがとうございます、ヤンさん。わたしの指揮能力を褒めてくださって

 わたしだって己の限界はよくよく心得ています。ですがこれは、武力の話じゃないんです」


「どういうことです?」


「ハリウッドヒーローみたいに鉄砲をバンバン撃ちながら悪役のカルテルを打ち倒す、そんな英雄願望は毛頭ありません。

 わたしもまさかと思い、そんな偶然あるものかと考えましたが・・・・・・どうしても同じ結論にしか至れないんです」


「あの、自分にも分かるように説明してくれませんか?」


 テオフィラさんがわたしとよく似た容姿なのは、なるほど単なる偶然でしょう。ですがその要素が絡み合い、いつしか必然となっていった過程は、情報さえ揃えばキチンと解明することができるのです。


 長くこの船の中を彷徨ってきましたが、その過程で有益な情報がいくつも手に入りました。ひとつひとつは単なる断片、無理やりに組み合わせてみたところで形にもなりません。


 ですがわたしの頭の中には、ここ半世紀の戦争の歴史が詰まっている。歴史書の内容から、クラス5の機密情報、そして第一線で実際に戦ってきた老将たちから聞いた知恵に至るまで。


 そのすべてをトラソルテオトルで見聞きしたものと重ね合わせる。そうしなければ、この偶然の数々をまとめていった力の正体に気づくことなんて、出来やしませんでした。


 わたしは言いました。まるで名探偵が、犯人の名前を告げるように。


「ヤンさん――?」


 わたしの投げかけた質問の意味がわからず、ヤンさんは動きを止めて考え込んでしまった。


「それは、一体どういう・・・・・・」


 戸惑い混じりの質問を返そうとして一転、ヤンさんはプロの軍人にすぐさま切り替わる。


 凄まじい瞬発力でヤンさんはわたしを押しのけて、自分の背後に隠しました。その動作の一方で流れるようにベレッタ92を素早く目線のはるか上に、上部構造物に貼りついた階段の踊り場へと向けていったのです。


 されるがまま庇われてしまったわたしは、一歩遅れて、ヤンさんをこうまで警戒させているものの正体を視界に捉えました。


 涼しい夜風に真っ赤なウィッグをなびかせながらノルさんが、いつものチャイナドレス姿で階段の落下防止用の柵に気だるげに身を預けつつ、わたしたちを見下ろしていたのです。


「なるほどね」


 階段を照らしている照明は、図ったかのようにちょうどノルさんの背後にあって、逆光となったノルさんの表情を完ぺきに隠してました。


 逃げ出そうとしているわたしを見て、彼女がどんな思いを抱いているのか、ここからでは窺い知れない。


 怒りか、虚無感か、はたまた殺意か。


 確かなのは、柵の向こうにぶらぶらと垂れ下がっているノルさん手に、愛用のPSSピストルが握られているという事実のみでした。


「逃げ出したって話は本当だったか。はてさて、どうしてものかしらねぇ・・・・・・」


 冷たい声が、わたしの頭上から降り注いできました。




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