XXXI “悪魔を憐れむ歌”

【“テッサ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ・VIP室】


 誰しも、完璧な人生なんて生きられないものです。どこかで必ず、こんな筈では無かったなんて後悔が胸を刺してくる瞬間が訪れてくる。


 わたしの場合はどうだったろうかと、思い巡らす。


 漫然と展望窓から外を眺めて、何かしら物思いにふけっているらしいMr.キャッスルと同じように、わたしも悩んだことはあったのだろうかと。


 クウェートに投下された核弾頭。あれについて直接的な責任はないと知ってはいます。


 ですが、ささやきウィスパリングに導かれるまま書き上げてしまったあのクレヨン製の設計図に、わたしは子ども心にやり遂げた気持ちを抱いてもいたのです。


 無邪気であることは、時に悪意よりも残虐に映る。


 おこがましいかも知れませんけど、わたしのこの悔恨を共有できるのは、マンハッタン計画に従事した科学者たちぐらいではないでしょうか?


 自らの開発した核兵器がモハベ砂漠を焼き尽くし、高々とキノコ雲を立ち昇らせていく。


 自分の作り上げた強大な力に誇らしさを感じ、その結果がどうなるかについては、自分とは関係ない世界のことだからと見て見ぬふりをしてきた。そしてある日、突き付けられるのです。その結果がどうなったかを。


 広島、長崎、クウェート、そしてもしかしたら、ここコロンビアで繰り広げられている今の惨状も別の意味で、その系譜に連なるものなのかもしれません。


 Mr.キャッスルは自身を愛国者と称してました。それに嘘偽りはないのでしょう。ですがカルテルとテロリストを共倒れさせるというこの計画が始まった時、まさかこのような結果をもたらすとは、想像だにしてなかったに違いない。


 すべてがカオスに沈んでました。


 B.S.S.とザスカーの私兵は互いに争い始め、スタジアム中で銃火が交わされている。もはや“クレイドル”やノルさんたちすら脇役のよう。100万ドルというたった一言のせいで、こんな事態になるなんて・・・・・・誰よりもMr.キャッスルがもっとも驚いているでしょう。


 わたしはテーブルに手を伸ばしてから、ソファーから立ち上がりました。


 すると、わたしはもはや敵認定されているらしく、死体搬出の作業を中断して、生き残りの警備員がわたしにAK-47の銃口を突きつけてきます。


 背後のそんな騒ぎに気づいたMr.キャッスルは、力なく手を振ってその動きを制していく。


「・・・・・・次はどんな策謀を巡らせているのかね」


「そう、思われても仕方がないと自覚はしてます」


 ゆっくり歩み寄り、肩を並べて共に展望窓から外界を見下ろしていきました。


 停電がもたらした闇によって、輪郭だけが窺えるスタジアムの風景。そこでカメラのフラッシュのような光が瞬いては消えていく。この展望窓とっても分厚そうですが、ここってそもそも試合観戦のために作られた部屋なのです。乾いた銃声の音色が、まるで耳元で破裂しているかのように感じられた。


 戦闘は激化してました。それを喜ぶべきかちょっと迷う。


 混乱が増すほどに、ノルさんたちが逃げるチャンスが増すのは事実。ですがわたしだってこんなカオス、当初は望んではいませんでした。


 いくらカルテルの構成員とはいえ、あの光が瞬くたびに誰かの命が奪われていくのですから。あの中のうち何人が、ノルさんと似たような出自の持ち主なのでしょう。ほんの僅かの切っ掛け、ボタンの掛け違えさえあれば・・・・・・人生は大きく変わってしまう。


「今ならまだ間に合います」


 策略? とんでもない。もう打つ手は尽き果てていて、これは単なるお願いに過ぎません。


 Mr.キャッスルという人物の根っこは・・・・・・あまりに凡庸なのです。普通のアメリカ人らしい倫理観を保ったまま、カルテルの頂点に立ってしまった老人。ザスカーから渡されたナイフを今なお持て余してるのが、その良い証拠。


 目に見えない暴力であれば何人死のうとも気にもかけないのに、それが確かな現実として目と鼻の先で展開されると、途端に鼻白んでしまう。ふと、凡庸な悪なんて学術用語が頭に浮かびました。


 ユダヤ人絶滅政策を推進していたハインリヒ=ヒムラーは、数十万人をも死に追いやりましたが、いざ自分が虐殺現場へと足を運んだ途端、顔を青ざめさせ吐き出してしまった。そんな逸話も歴史にはありましたね。


 だからわたしは言うのです、止めるなら今がチャンスであると。


「あなたの理想は理解しました。ですが胸を張って、トラソルテオトルで行われていた非道な実験を肯定できるのですか?」


「・・・・・・」


「ザスカーがそうであったように、表面上は完璧に見えてもカリ・カルテルは、すでにあなたのコントロールが及ぶ存在でなくなっていたのではありませんか?」


「・・・・・・」


 肯定も、否定もされません。


「朝鮮、キューバ、ベトナム、アフガン、そしてニカラグア・・・・・・これまでCIAはさまざまな工作活動を行なってきましたが、そのどれもが最後にはコントロールを失い、破滅へと突き進んでいった」


「・・・・・・知ったような口を利くな」


「そうですね。わたしはこと諜報分野に関しては、聞き齧っただけの知識をひけらかす小娘にすぎないのかもしれません。

 ですが、あなた以上に戦場という名の地獄を見てきたことだけは、誰にも否定はさせないわ。

 CIAもあなたも、まず理想から計画を組み立てはじめる。それは当然でしょうが、現実がその理想を裏切った時、あなた方は現実の方を見てみぬふりをする悪癖がある」


「・・・・・・」


「あの船でわたしは、子どもたちに出会いました。想像も絶する悲惨な目に合ってきた筈なのに、そんな姿をおくびも見せない子どもたちに。

 あなたは、目の前で繰り広げられているこの戦闘を止めることができます。ですがこの先、どこまでその影響力を行使できるとお考えですか?」


 だって、ザスカー1人すらも御しきれないのに。


 先ほどのあの蛮行、ザスカーは忠告の体をとってましたが、わたしに実質的なクーデターにしか見えませんでした。


 Mr.キャッスルが乗っ取ったと思い込んでいたカルテルの旧勢力が、古い習わしをたずさえて権力に返り咲いた。彼らは知っているのです、銃弾プロモは万物に勝ると。

 

「秘密結社の欠点ですね。匿名だからこそ高度な機密性を得られますが、裏を返せば指導力の発揮しづらい、小回りの効かない組織ということでもある。

 トラソルテオトルでの暴挙をあなたはどこまで把握していたのですか? 耳に心地いい報告書さえ挙げ続ければ、上から詳細について突っ込まれることは滅多にありません。カリ・カルテルというの組織の特性からいっても、都合の悪い部分を省くなんて、あの船の管理者たちからすれば簡単なことだったでしょうし。

 法にも、道徳にも縛られず、無限の予算が約束された実験場――暴走して当然だわ」


 Mr.キャッスルが欲したのは、テロリストだけを的確に仕留めることができる、高度なスキルを有した猟犬でした。


 その目的はノルさんを見れば一目瞭然、すでにこれ以上ないぐらいに達成されている。なのにあの船のスタッフたちは解散するどころか、膨大な設備投資のもと実験を繰り返していた。


 当初の趣旨を離れ、独自の意思でさらなる高みを目指していたとしか思えない。


「ノルさんに聞きました。船の実験データをこのスタジアムに送り届けること、それが業務に組み込まれたのは、彼が反乱を起こすほんの数週間前であったと。

 このスタジアムって、カルテルの経営のために作り上げた居城なんでしょう? それなのに実験データなんて収集しても持て余すだけのはず。なのにあなたは、わざわざデータの提出を求めた。

 だって報告書と違って、データは嘘をつかないから」


 わたしの推理を、いつでもMr.キャッスルは鼻で笑うことができました。


 “そんな馬鹿馬鹿しい話があってたまるものか”。なのに一言も発さず、ただ展望窓から外界を眺めている。


「戦闘を止めてください、そして何もせずただ見送るんです。

 あの子たちは何も知らないわ。わたしやあなたのような汚い大人のゲームなんて、これっぽっちも」


 沈黙が続く。


 無駄な努力なのかもしれません。とうの昔に一線を越えている相手の良心に訴えかけるなんて。ですが、ただ座っているだけなんて、わたしにはできませんでした。


 すると、急にMr.キャッスルはハッと何かに気づいたように、わたしの方に顔を向けたのです。


「君は・・・・・・トラソルテオトルに居たのだったな?」


「ええ。それは、もちろん・・・・・・ザスカーも報告していたでしょう?」


 そんな当たり前のことを今更まじまじと聞かれて、ペースが狂う。まさかそれが狙い? いえ違うわ、それにしてはあの表情は、あまりに真に迫り過ぎている。


「反乱からこのかた、船内に人員を送り込むことはできずにいた。断片的な情報から、どうやら乗組員はことごとく抹殺されたらしいと推測したにすぎん。

 君は見たのかね?」


「・・・・・・それが死体という意味であれば、ええ、確かにこの目で見ました」


「顔はどうだね? 見たか」


「・・・・・・」


 何を聞きたいのか、まだ判然としません。いきなり良心に目覚めて、かつての部下たちの生死が気になったとか、そんなことではないでしょうけど。


「カルテルはしばしば、証拠隠滅のために死体を溶かすそうですね・・・・・・これだけ言えば、もう十分でしょう。

 あなたも一度は、あの地獄に目を通すべきだわ。自らの罪に」


「これは本当に策略じゃないのか?」


 まさか、疑心暗鬼に駆られ、すべてを疑い出している?


 となれば言葉はもう信用に値しないでしょう。なんとか表情を読んで、真意を伺うことしかできません。サングラスと髭によっておそろしく読み取りづらかったですが、そこに見えたものにわたしは、驚きを覚えたのです。


「すべてがまるで偶然のようだが、最後には必然であったかのように収束していく。“あの女”のいつもの手だ・・・・・・」


「あの女? あの女というのは、いったい誰のことですか?」


「ホテルで君と出会ったのは偶然か? それとも・・・・・・あれもすべて“あの女”の計画の内だったのか?」


 もうMr.キャッスルは、わたしを見てはいませんでした。どこか遠く、闇の帳の向こう側にある強大なものを眺めながら――怯えていたのです。




✳︎





【“ノル” ――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ、物資搬入場】


「ハァ・・・・・・ハァ、はぁ・・・・・・」


 息が切れる。かつてないほど心臓が早鐘を打っている。俺の身体と同じくガリルの木製ハンドガードもまた熱を孕み、木が焦げる匂いすら漂ってくる。


 ガリルの銃身バレルは、赤を通り越してすでに白熱していた。このままでは身体中をまさぐりやっとの思いで見つけてきた最後の予備マガジン、そいつをはめ込んだ途端に、高熱のあまり弾薬が自然発火して勝手に飛び出していきかねない。


 いったい何発撃ったことか、とうにカウントは諦めていた。


 ひっきりなしに撃ち、刺し、殺しに殺してやっとここまでたどり着いた。ASの搬入すら可能な大規模な物資搬入口へと。


 数十台もの搬入用トラックたち。作業員たちはこの騒ぎですでに逃げてしまったようで、作業用ASが中途半端な積載状態で放置されていた。


 俺たちが侵入した時からまるで変わってない。もっともスタジアムの電源は、非常灯を除いて今だに消えたままだったから、光量不足のせいでホラー映画じみた不気味さが漂ってはいたが。


「ゲホッ、ゲホッ!!」


 息切れどころか、ついには咳まで出てきた。


 ライトを点けるなんて迂闊なことはしない。だがこの咳の原因がなんなのか、目視で確認したくて仕方がなかった。なんとか息を整えようと深呼吸するが、そのつどに咳が溢れ、あわてて口元を覆う。


 もう限界だな・・・・・・。


 銃声に背を向け、尻に帆を掛けて逃げていった作業員たちは、戸締りを怠っていた。開きっぱなしの搬入ゲートの向こう側には、遠く停電とは無縁な街明かりが見える。


 ゴールまであと少し、ここで気を抜けばすべて台無しになる。どれほど身体がキツくとも戦闘体勢はまだ解けない。


 俺は、トラソルテオトルから持ち出したサベージを素知らぬ顔してここまで運んできた、元は港湾労働者組合の所有である大型トラックに向けて、ふらつきながら歩み寄っていった。


 道中、メカニックの置き土産らしい飲みかけのコーラのボトルを工具カートの上に見つけ、キャップを外してそのまま愛銃に満遍なく注いでいった。


 焼けるキャラメルの匂いにむせ返りそうになる。最悪の応急処置であることは百も承知だが、前回みたくそう都合よくミネラルウォーターは転がっていなかったため仕方がない。


 先祖譲りのタフさで、こんなデタラメな応急処置でも問題ないと知っていたからこそやれた荒技だ。実際、新しいマガジンをはめ込んでみたら、チャージングハンドルに多少の引っ掛かりこそ感じたものの、ちゃんと薬室に弾丸を送り込んでくれた。


 ベタつくガリルに叩き込まれた25発、泣いても笑ってもこれが最後。だが補給の手立てはなくもない。


「手を貸そうか?」


 一足先にトラックの運転席に乗り込んでいたDEAに、手を振ってNOを示した。


 奴が運転して、俺が銃手ガンナーを務める。今の体調を考えれば、そういう暗黙の役割分担をするしかなかった。


 DEAはすぐにエンジンを掛けず、まず出入り口を、次いでブービートラップの有無やタイヤが切られていないかなどを丹念に調べていった。こっちと違って元気なものだ、歳のわりに体力のある奴である。


 トラックの運転席のすぐ真後ろのスペースには、普段は仮眠用に使われているという空間が広がっているのだが、俺はそこに予備の武器・弾薬を詰め込んできていた。準備を怠る奴から早死にするものだ。偽装用の寝袋をめくれば、下からお目当ての品がすぐ姿をあらわす。


 検査を恐れて、コンパクトに纏めてきたのは間違いだったか。ASに襲われると知っていたら、もっとド派手な重火器を詰め込んできたものを。


 とりあえずガリルのフル装填された予備マガジンを幾つか拾い上げ、腰元のベルトキットの空きスペースに差し込んでいった。


 コンパクトに纏めてきたとはいえ、装甲目標と最低限やりあえるだけの装備は持ち込んでいた。ミリタリーグリーン色をした細長い小銃擲弾を手に取り、そいつをダッシュボードに放っていった。


 ガリルがロールアウトした70年代には、今では一般化した外付け式グレネードランチャーはまだまだ普及途上だった。そこで軍が兵士たちに支給したのは、昔ながらの装備品だった。


 銃身にロケットのような小型砲弾を取り付けて、弾丸とおなじ原理、つまりは撃発時の発射ガスを利用して射出する小銃擲弾ライフルグレネード


 撃つためにはいちいち銃身のソケットに擲弾を挿し込こまなければならないという、その特殊な装填方式ゆえに連射性能は無いに等しく、反動がキツすぎて肩付けしながら撃てば怪我は必至という、扱いずらさもある一品だ。


 だが普通のライフルをお手軽に小型の大砲にアップグレードできるのは、やはり大きい。ましてコイツは成形炸薬弾HEだ。当たりどころが良ければ、ASにもそれなりの効果が見込めるだろう。


 ASに追いかけられながらカーチェイス。そんな可能性が否定できない以上、準備するに越したことはない。


 あとは・・・・・・察しはついているが、咳の原因を突き止めるべきか。


 後方の仮眠スペースで、光を漏らさぬようカーテンで遮ってから車内灯のスイッチを押した。それから上着をめくって、下に着込んでいた防弾チョッキソフトアーマーに貼りついている、貝のように丸まった弾丸どもを手のひらではじき飛ばす。


 防弾チョッキというのは字のごとく、弾丸を防ぐように設計されている。だが物理的な貫通は防げてもその運動エネルギー、つまりはヘビー級ボクサークラスのパンチまでは防いではくれない。


 チョッキの隙間に手を突っ込んで、ついさっきまで弾丸が埋まっていた場所を撫でてみれば、またぞろ咳が再発した。案の定、という感じだな。


 弾丸に身体を貫かれるよりずっと良い。その理屈は分かるが、場合によっては命を奪いかねない重傷をもたらすことだってあるのだ。


 どうやらアバラが折れてるようだ。


 肋骨が肺に突き刺さってなければいいのだが・・・・・・咳に血が混じってないから心配ないとは思うが、息苦しさが解消されないのはたまらない。


 この手の防弾着は構造的に、同じ場所への攻撃をなんども防ぐようにはできていない。どうせ連戦つづきのせいでズタボロなのだ、これ以上このボロ着を羽織っていたところで動きの邪魔にしかなるまい。


 全身を軋ませながらチョッキを脱ぎ捨てていくと、無数の青紫色したアザが全身に刻まれていた。ふいに運転席に気配が現れる。


「大丈夫かい?」


 運転席に戻ってきたDEAが、何やらこちらを気遣ってきた。


「いやあと5秒で死ぬ・・・・・・そっちはどうだDEA? 俺に殴られた傷はもう完治したか?」


「そういう小賢しいことばっかり言ってると、友達無くすよ」


 それこそ気遣い無用だ。友人どころか、兄弟カルナルと呼んだ奴らを皆殺しにしたからこそ今の俺がある。それに最後に残った友人だが相棒だがを見捨てたのは、そう遠い昔の話でもなかった。


「どれが本当の君なんだろうな」


 しみじみと呟きながら、DEAはトラックのキーを回した。


「意味がわからん」


 なかなか掛からないスターターのさえずりを聞きながら、俺はそう素直に答えていった。


 チョッキと同じく、警備員服の上着も銃弾のあとだらけで酷いものだった。仕方なく脱ぎ捨て、ダサい紺色のタンクトップ姿のままで助手席に移動していった。


「君は、矛盾の塊だという話さ。僕がこれまで尋問に立ち会ってきたシカリオと同様、君もまた文明社会に喧嘩を売るのを義務のように感じてる、反社会性の塊にすぎない」


「もう一度、叩きのめされたいらしいな」


「人の目玉を抉っておいて否定するなよ・・・・・・だけどその一方で、子どもたちからえらく慕われてもいる」


「・・・・・・知ったような口を利くな。

 トラソルテオトルでは、俺はずっと管理者側にいた。あいつらは見た目よりずっと強かだ。慕っているように見えても、生き残るためなら作り笑いのひとつやふたつぐらい平気でするさ」


「僕の故郷のお国柄でね。受験戦争に勝ち抜くべく、親から抑圧されている子どもたちを街中でよく見かけたんだ」


「どこの国の話だか知らないが、コロンビアの話じゃないのは確かだな」


「だから子どもはよくも悪くも素直だと知っている。君を憎んでいるなら、彼らも命を預けたりはしないという話さ」


「・・・・・・」


「あの顔面タトゥーの少女。彼女を見捨てるというのは冷酷だが、プロとしてはひどく正しい判断だ。一方で君は損得抜きで、感情の赴くままにあの船の子どもたちを助けようとしてる。

 どっちが本当の君なんだろうな」


 やっとで息を吹き返したエンジンが重々しい駆動音を吐き出しはじめる。そのエンジン音にかき消されるように声のない、唇だけの台詞をDEAは口走っていた。


 読唇術をそれなりに扱える俺みたいな人間でなければ、絶対に気づけない独り言だった。


“存外、君と大佐殿は似たもの同士なのかもね・・・・・・”


 奇妙な、諦観のこもった表情だった。


 その意味を問うべきか悩んでいると、急にぼうっと、さっきまで死んでいた壁際の液晶スクリーンに光が灯った。


 スタジアムの電源が復旧したわけじゃない、現に電灯は消えたままだ。なのに普段は宣伝広告をひたすら垂れ流すだけの物資搬入所にまで配されているスクリーンは、ある映像を中継し始めたのだ。


 てっきり機械が故障して、過去の試合映像のハイライトでも流しだしたのかとまず疑ったが――違う。


『エル・ロボ~~? 一緒に遊ばないかい~~?』


 ・・・・・・自分の耳を疑ったが、そのダミ声とスクリーンに映りこむASのボディランゲージがあまりにも一致しすぎていたせいで、これがリアルタイムの映像であることは明らかだった。


 古代ローマの剣闘士よろしく、敗者たるケティのサベージを足蹴にしながらザスカーは、グラウンドの中心でフロッグマンの片腕を高く掲げていた。


 雑なカメラワークだ。おそらくザスカー子飼いの私兵がカメラの操作を担っているのだろうが、さすがは試合中継用なだけはある。高度なズーム機能のおかげでフロッグマンが手に何を握っているのか、克明にスクリーンに映し出されていた。


 相手を噛み殺しかねない勢いで顔を歪めながらも、ASの手の中に囚われの身となっているあの赤毛の娘に俺は、確かに見覚えがあった・・・・・・。


 



✳︎





【“ザスカー”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ、グラウンド】


 ASのクソッたれ部分ランキング。


 第3位・狭え。


 第2位・ボタンが多すぎる。


 第1位・世で語られてるほど超人感がない。


 じゃあその逆に良いとこランキングはどうかっていうと、堂々の第1位たるクーラー完備っていう一語だけで、まあ、数多の欠点なんかどうでもよくなるもんだ。


 最初こそどうなることかと気を揉んだが、カネに目が眩んだ馬鹿どもとB.S.S.が共倒れになったことで、部隊の統率はあっさり俺の手に戻ってきた。まあ、俺の右腕たるカルロスが死に物狂いで隊をまとめ直したってのも、ちっとはあるかもしれねえが。


 B.S.S.は今回の一件で大量の殉職者を出しちまって壊滅状態の有様だが、俺の部隊はといえば、6割以上も生き残ってやがる。モンドラゴンの奴らに嵌められてジャングルで包囲された時のことを思い出しゃあ、悪くねえ数字だ。


 なにせあん時に生き残ったのは、たまたま水に潜れるASに乗ってた俺だけだったもんな。


 世間じゃ欠陥機扱いされているそうだし、横流ししてきた軍のメカニックすら口を酸っぱくして、特別な理由がないならノーマルのM6を使った方が良いとまでのたまう始末。俺だってコイツに思うところがないではないが・・・・・・なあ、見てみろよおい? 


 現に爆弾娘のサベージは、欠陥機、欠陥機呼ばれたフロッグマンの足の下に敷かれ、こじ開けられたコクピットからはまるで臓物のようにワイヤーが垂れ下がってやがる。


 愛着ってのは舐められないもんだぜ? 我が愛すべき古式然としたリボルバーどもよろしくな。CRTモニターの向こうで、視線だけで俺を殺そうと試みてる赤毛のクソガキを見ていると、なおさらそう思えてくるのさ。


 コクピットから引き摺り出されて人質扱いされ、ASの掌のなかで歯軋りするばかりな――ケティなるアイルランド娘。


 メデジン時代に俺と関係のあった奴なんて、ほとんど残っちゃいない。

 

 政府にとっ捕まってアメリカで刑務所暮らしか、引退して腑抜けになるか。あるいは、カリへの手土産として俺に売られて川の底で骨になっているか・・・・・・そんな中、この小娘だけは執拗なまでに、俺に過去ってやつを突きつけてきやがるんだ。


 因縁、つうのかね。


 俺にはこの小娘が、棺桶を引きずりながら殺してやると息巻く、往年の西部劇の復讐鬼に見えてならなかった。


 あの本屋の爆弾テロに巻き込まれて聴力を失いながらも腰眈々と復讐の機会を見計らって、そいつに失敗してからは、カルテルの奴隷に身を落とした。だがロボの協力のもと立ち直り、今やこうしてASに乗ってふたたび立ち向かってきた。よくやるもんだぜ。


 これが映画なら、多くの犠牲を払いながらも宿敵(俺)を打ち倒し、夕陽に向かって馬で駆けていってエンドロールって寸法になるだろうが、現実は冷酷だ。ロマンチズムを追求してたところで現実ってのはまるで歯牙にもかけず、すべてを薙ぎ払っていく。


 いやはやなんとも、我ながら映画オタクシネフィルくさい思考回路だぜ。人生は、西部劇ほど上手くいきゃしないってのにな。実際、復讐するは我にありって体のこの小娘は、こうして仇敵たる俺に命を握られてるわけだし。


 そう、文字通りに・・・・・・な。


「なあおい、知ってるか狼の頭領エル・ロボよう」


 どこにいるのやら、スタジアムのどこかで聞き耳を立てているに違いねえ野郎へ、外部スピーカーで語り掛けながら、俺はちいとマニュピレータを操って赤毛の小娘の身体を締め上げてみた。


 生憎と俺はサディストじゃねえ。これは虐めじゃなく、単なる自衛的処置ってやつだった。


 懲りもせずソードオフされたグレネードランチャーなんて物騒なもんをこっちに向けようとした小娘の方が悪い。どこから取り出したのやら、きっと羽織っているコートの下に隠してたんだろうが、よくやるぜ。


 グレネードランチャーを地面へと取り落とし、モニターの向こうで苦しげに顔を歪める小娘。その口から血が一筋、流れ落ちていく。


 AS用のパイロットスーツは耐衝撃性に優れ、軽い銃撃すら凌いで着用者を守ってくれる優れ物だそうだが、ひどく蒸れる代物だ。とりわけこの国の気候だとな。


 だから俺はずいぶん昔からあの豪勢なタイツを着込んだりせず、今日もまた普段どおりの格好のままフロッグマンに乗り込んでいた。


 だがどうしたことか、小娘はやっこさんにしては珍しく、正規の規定てもんを尊重していたらしい。コートを上から着込んでいるとはいえ、その下にはパイロットスーツをちゃんと着用しているのが見て取れた。


 あの服ならきっと上手い具合に圧力を受け流し、アバラが折れるぐらいで留めてくれるだろう。拘束加減は多少、アバウトでも良さそうだな。


 さて、なんの話だったか。ああそうだ、思い出した。今日は社会学の時間だったなぁ。


「この南米って土地は不思議なもんでなぁ。脛に傷のあるアウトロー連中がこぞって、この世で最後の楽園として落ち延びてくる場所って相場が決まってるんだ。

 だが奴らはハッピーエンドを迎えたか? いーや、まさか。周りを見てみろよ」


 俺は言葉通り、フロッグマンの頭をめぐらして辺りを見渡してやった。


 中途半端に芝生が敷かれ、まだ地面のほとんどが泥濘状態のままなグラウンドには、無数の建築機材が放置されていた。


 まあ、そいつはちょっとしたアクセントみたいなもんだ。むしろ俺に従い、グラウンドに展開している子飼いの部下たちからすれば格好の遮蔽物だった。何十人もがブルドーザーやら謎のクレートなんかに身を潜め、武器を油断なく構えてやがる。


 本来なら試合のハイライト・シーンを映しだす、グラウンド正面の巨大スクリーン。


 無駄に気張りやがて、立体映像を映しだせる最新のホロスクリーン仕様だったが、天井から差してくる朧げな月明かりを除けば、俺がわざわざ復旧させたそいつが、ここいらで唯一の光源だった。


 立体映像で当社比2倍となったメガ・フロッグマンが、俺の動きにあわせて蠢き出す。フロッグマンが手をふると、そいつが立体映像に変換されて、まばゆい光がスタジアム中の死体を照らし出す。


 死体、死体、死体・・・・・・。


 ほとんど身内なのが情けねえ限りだが、どっちみち一度はB.S.S.どもは締めとかねえと考えてたから、これもいい機会さね。


 やっこさんだけじゃねえ。我らがパトロンも、VIPルームからこの光景を見下ろして、ちゃんと話の趣旨を理解してくれるとありがたいんだがねぇ。


「文明社会から背を向けたアウトローが、土地を変えたぐれえで幸せになれるかよ。

 カルマってのは地の果てまでも追いかけてきやがる・・・・・・サンダンス=キッド、ブッチ=キャシディ、なんならあの銀髪の嬢ちゃんに敬意を示して、チェ・ゲバラの名前を挙げてやってもいいがな。

 どいつもこいつも、幸せな未来なんて世迷言を信じてこの土地にやってきた馬鹿野郎どもだ。だがとんだお門違いってもんだぜ、なぁ? ここは単なる地獄だぜ、なあおい?」


 グラウンドに散乱している死体のいくつか、そいつをASの足の裏で踏みつけ泥に沈めながら、俺は話を続けていった。


「国境の向こう側とここはまるで違う。ここじゃムエルテこそが唯一絶対のルールにして、真の王なのさ。

 認めろよなあ、俺たちゃアウトローだろうなあ? やめろと言われても闘争を捨てきれねえ、糞袋の集まりだろがなあッ!!」


 俺りぁ、結局は単なる快楽主義者ってやつさ。


 楽しけりゃそれで万事OK。若え頃に手に職つけちまったのがこの道だったてのもあるが、何よりスリルを味わえる職が他に思いつかなかったからこそ、こうして歳食ってもなお、人様ぶち殺して日々のおまんま得る人生をつづけてるわけだ。


 だが奴は、シカリオって俺と立っている場所こそ同じでも、根っこは正反対だった。奴は、求道者のそれだったんだ。


 趣味と仕事が一体化している俺に対して、奴はストイックに目的を追い求めていた。ま、それが自分の人生の目的じゃなく、どこかの他人のものだったとある日いきなり気づいちまったからこそ、おかしくなったんだと俺は勝手に考察してたがな。


 だがあの姿は美しかった。


 見た目の話じゃねえ。法にも縛られず、誰にも媚びず、自分の掟と腕だけですべてをなぎ倒していく、まさに一匹狼ローン・ウルフ。あれぞ、無法者の根源的な姿ってもんだ。


 人間ってのは、自分の持ってないものばっかり欲しがる業の深え生き物だ。俺が憧れてきた、オールドスクールな西部劇の世界。その中で奴は生きてやがった。


 俺がくだらねえ取り引きで手に入れた、安定した生活。かつての奴は、そんなもんにゃまるで興味がなかった。いや、今もギリギリ気にかけていねえ。


 奴が戦ってるのは、てめえの信念を貫き通す、ただそれだけが目的だ。でなきゃカルテルにたった1人で喧嘩を売ったりするもんか。


 そうだとも、俺は知っている。今が奴の全盛期だってな。


 仮にここを生き延び、やっこさんのお望みどおりに平和とやらを手に入れたとしても、無駄ってもんさ。いずれは、必ずこの世界に舞い戻ってくる。


 無駄に贅を凝らしたリボルバーを買いあさったり、女や趣味に走って、安定を追い求めたところで、どれにも満足できやしねえ。そんである日、戦場に舞い戻って自分の老いってやつを実感しながら、タイミングを逃したと知るのさ。


 平和の中に無法者アウトローの居場所なんてねえ。情けないもんだぜ? 死に場所を見誤って、ただ老いさらばえるだけの人生てのは?


 そうとも、この土地は楽園なんかじゃねえ。死に場所を求める連中の吹き溜りさ。そうちゃんと理解して、自分の死ってやつを認めてやれば・・・・・・最高の幸福が訪れるのさ。


 自業自得の反英雄譚。それが俺たちの得られる、最高のエンディングってやつじゃねえのか? そうだろう?


「似合わねえハッピーエンドなんて追い求めてるんじゃねえよ。生き恥晒すぐらいなら、ここに戻ってきて堂々とおっ死ね。

 でなきゃなあ狼の頭領エル・ロボよう――テメエの代わりに、このガキを捻り潰させてもらうぜ」




 

✳︎





【“テッサ”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ・VIP室】


 わたしの眼下には、ザスカーに囚われたケティさんが、今にもASの怪力によって握り潰されようとしてました。ケティさん本人はここからでは豆粒サイズにしか見えませんが、巨大ホロ・スクリーンには、彼女の苦難の表情がはっきりと映し出されています。


 あまり仲が良いとはいえない彼女です。向こうもまた、わたしを好いていたりはしないでしょう・・・・・・だからといって見捨ててなるものですか。


 つい堅くなりそうになる自分の声を戒めながら、私はMr.キャッスルを説得しようと試みていきました。


 どうしてか、“あの女”なんて、心当たりのある女性の話題に話が逸れていってしまいましたが、道徳の狭間でMr.キャッスルの心が揺れているのは事実なのです。こちらの話題も気になりはする。ですが優先順位は、いつだって子どもたちの命なのです。


「あなたが・・・・・・“あの女”なる女性とどのような確執があったのか、わたしに知る術はありません。

 すべては誰かの陰謀だと、猜疑心に囚われたくなる気持ちも分かります。ですがそういった疑念はいったん脇において、もっと単純な事実に目を向けてください。

 今まさに、ほんの14歳の女の子が悪漢に殺されようとしているという事実に」


 普通のアメリカ人として、そんな蛮行が目の前で繰り広げられるのをMr.キャッスルが座視できる筈がない。


 わたしがすべきは、彼が欺瞞で目の前の殺人から目を逸らそうとするのを阻止すること。そうすれば、彼はかならず折れるに違いありません。だってこの老人はまだ――自らを正義の味方だと信じているのですから。


 ですがMr.キャッスルが見てるのは、ケティさんでなくわたしの方でした。


「久方ぶりに再開した時、君の内面にはまだ純真な少女が眠っているのだと、私はそう信じたかった。だが見誤っていたよ」


 動揺からわずかに立ち直ったMr.キャッスルは、威厳をわずかに言葉に混ぜながら言い放つのです。


「まさかあの男ザスカーに感化されるとは思わなんだ・・・・・・だが奴の言は正しい。この土地は、戦争気分がいつまでも抜けきれない亡者のための土地だ。

 君もその一員だろう」


 そんな訳ない。そう言い切れずにいる自分がいました。


 平穏な世界から離れて、わざわざこの血と暴力の連鎖に首を突っ込んだのは、誰あろうわたし自身の意思なのですから。


 ずっと疎んできた自分の血塗られた人生に立ち返ろうとしている、その苦い自覚症状はあります。必ずしもザスカーの言い分は、正しいわけでも、わたしに当てはまるわけでもないでしょう。


 ですが・・・・・・ふとスタジアムを見やれば、これまでのわたしの人生がそうであったように、おびただしい数の死者が光のない目でわたしを見つめているのです。


「そう、かもしれませんね・・・・・・」


 ですが、それがすべてでないとも知っている。


「でもわたし、諦めが悪いんです」


 かつて闘争しか知らない少年が居ました。ですが今の彼は、戦いとは無縁な新しい人生を歩んでいる。


 わたしもいつかああなりたいと、憧れを抱かせるほどに。


「人は変われると、そう信じたい」


 だからわたしは語りかけるのです。所詮はお前は殺し屋に過ぎないと断じるザスカーのカウンターとして、手の中に隠し持つGPS携帯――わたしの仕掛けたふたつ目の盗聴器に向けて。


 でもどうかしら。聞いて欲しいのはノルさんですけど、この予備の盗聴器が繋がっているのはヤンさんのイヤホンだけですし。それによしんば聞いていたところで、状況から致し方ないとはいえ、ちょっと語り口をボカし過ぎた気もする。


 あるいはザスカーは、真の現実主義者リアリストなのかもしれません。


 あの男はあるがままに状況を語っているだけ。対してわたしのは理想論です。だからこそチェ・ゲバラの名を、ザスカーは引用したのかもしれませんね。


 ああ見えて、意外に教養がありそうなザスカーのこと。外国人アルゼンチン人でありながらキューバはじめ、世界中で革命闘争を繰り広げたゲバラの二の轍を踏んでいるだけだと、わたしを脅しているのかもしれません。


 そうですね、そういう恐怖はある。


 理想を追い求めた果てにゲバラはボリビアの山中にて、CIAによってプロデュースされた政府軍に拘束され、処刑されてしまったのですから。


 ハッピーエンドなんて追い求めるな。そうですね・・・・・・いつも上手くいくとは限らない。ですがわたしはやっぱり、諦めが悪いんです。


 ですがそれは、どうやらMr.キャッスルも同じようでした。


 サングラスの無機的な目が、わたしの手元へと落ちていきます。ITには疎くとも、この老人は老練なスパイなのです。バッテリーのないGPS携帯の意図をすでに察しているに違いない。


 彼には彼の理想がある。それは説得でどうこうなる部類ではないと、もう認めるしかなさそうです。


「君は破壊の女神だよ、Ms.テスタロッサ。

 入国してほんの1日たらず・・・・・・その短期間にどれだけ死んだ? 君もこの土地に住まう獣どもと同じ、もはや人間ではない。

 君が握っているそのGPS携帯の中にも、盗聴器が入っているのかね?」


 誤魔化しはもう効かないと悟る。


 Mr.キャッスルは、相変わらず鏡のように反射するアビエイターサングラスの向こう側に本心を隠しながら、どこか達観したような雰囲気を見せていました。


 今さら肯定も、否定もしません。


 擦れた金属音を鳴らしながらMr.キャッスルは、ザスカーのナイフを手に取りました。


「何度もチャンスは与えた。だがそれをことごとく拒み、この結果へと導いたのは君自身だ、Ms.テスタロッサ」


「そっくりそのまま返します。あなたは愛国者である以前に、単なる偽善者だわ。自分から自分の退路を絶っておきながら、それを他人のせいにしてる。これまでがそうであった様に」


 もう隠す必要もありませんでした。


 堂々とGPS携帯を口元に持っていき、わたしは奇妙な巡り合わせのもと出会ってしまった彼へと、そして大切な元部下に向けて、最後のアドバイスを送ったのです。


「・・・・・・ウルズ6はただちに西口から退避を、そこはキルゾーンです。

 そしてフロッグマンの弱点は、外気取り入れ用のエアコンディショナーを強引に改造して増設された、閉鎖式の酸素供給システムです。もし背部に露出してる酸素供給用のパイプが破壊されてしまったら、パイロットはいずれ窒息死してしまいます」


 だからこそフロッグマンは、欠陥機として呼ばれたのです。状況によっては、歩兵用の小火器にすら撃破されてしまう可能性があったから。


「ではみなさん、幸運を――そして最後に、これは命令です。どうか生き延びてください」


 直後、煌めく白刃が、わたしに向けて振り下ろされてきました・・・・・・。

 

 



✳︎





【“ザスカー”――シモンボリバル・スポーツ・アリーナ、グラウンド】

 

「おっ」


 いけねえいけねえ、ついつい喜びの吐息が漏れちまった。賢いコンピュータ様がアラームを鳴らして、フロッグマンに向けて急激に近づいてくる脅威の方角を教えてくれた。


 そこら中に作業用ASが放棄されてやがるから、あるいはそいつに乗ってくるかなと一瞬思ったが・・・・・・そういや野郎、俺に輪をかけたハイテク音痴だったなぁ。


 操れるのは、もっと原始的な機械オンリーであるらしい。


 脅威にむけて首を巡らせた俺の動きをモーションマネージャがうまい具合に翻案して、機体の動作へと反映していった。


 モニターを見てみりゃ、ヘッドライトを灯しながらグラウンドを爆走してくるでけえトラックの姿が見えた。時速6、70kmぐらいか? ASをまるまる積載できるレベルの、陸のクジラみたいな化け物サイズなトラックだ。


 自分たちに突っ込んでくるトラック目掛けて足元の部下どもが慌ててぶっ放していたが、いかにも火力不足だった。


 あの僅かな蛇行といいあのトラック、どうにも人間が操っちゃいなさそうだ。となればウィンドシールドをいくら穴だらけにしたところで、運転者に弾が当たるはずもねえ。多分だがあのトラックは、ハンドルを固定してアクセル踏みっぱにした、原始人スタイルの自動運転カーであるらしい。


 これ見よがしな囮だが・・・・・・悩んでる暇もねえ、か。


 フロッグマンの右手は小娘で塞がっていたから、左手をまっすぐ伸ばして照準を定めた。


 前腕部の水密カバーが跳ね上がり、フロッグマンの腕の中に内蔵されている、100年前に採用されてからというもの、いつまで経っても米軍ご用達の座に居座る、まごう事なき傑作重機関銃ブローニングの50口径が火を吹いた。


 部下どもがトラックに叩きつけてたせいぜい鉛筆サイズの弾丸に比べりゃ、50口径弾てのはビール瓶サイズだ。スケール違いの破壊力を毎分600発も叩きつけてやりゃあ、ヒビが入るどころかトラックの運転席がまるまる吹き飛んじまった。


 ハンドルを物理的に失ったトラックは、そのままフォークリフトに激突。うまい具合にパレットが台になったのか、映画よろしく横転しながらグラウンドを転げ回っていった。


 なにせ地面は泥だ、ほどなく完全停止したトラックの荷台は折れ曲がり、むなしくタイヤだけをカラコロ空転させていた。


 フロッグマンは絶妙に古いモデルだ。そのせいで流行りのケースレス弾でなく、通常弾をぶっ放す羽目になった。まあいいがね、こっちの方が弾代は安い。ただパンパンになっちまった薬莢受けをいちいち開放してやらないと次弾が放てないってのは、面倒なことなんだが。


 今度は左腕の下部分が開いて、中から金色の空薬莢がドバッと雨のように地面に落ちていった。そりゃこうしときゃ水は入らねえだろうが、またしちめんどくさい仕様にしたもんだぜ・・・・・・やっぱ欠陥機だなコイツは。


 さて、このトラックが囮なのはいいが、その意図はなんだ? 俺の目を何から逸らさせたがってる?


 セオリーに忠実なら、まあ仕掛けるなら死角からだろうな。


 俺は慌てず騒がず、いきなり回避起動をとりながら180度の回転を決めた。ひと段落をついて安心した風を装えば、まあ撃ちたくなるのが人情ってもんだろうさ。


 すんでのところでフロッグマンの横を掠めていく、謎の飛翔体。俺の反射神経よりもとろくさいコンピュータが今さらながらにアラートを発して、発射音から推定される火器の名前をモニターに表示した。


 小銃擲弾ライフルグレネード? 他になかったのかねやっこさんは。


「待ちわびてたぜ狼の頭領エル・ロボよう!!」


 そう言い放ちつつ、大量の資材が山のように積み重なっている一角を俺は、フロッグマンの内臓機関銃で無造作に掃射した。


 さすが位置取りってもんをよく心得てやがる。ついに敷設されることのなかったシート状の芝生群も、ああもこんもり重ねられりぁ、舐められない防弾性能を発揮するわけだ。


 天下の米軍様ですら、今だに防壁の中身にはそこらの土を使ってるんだ。50口径ぐらいじゃビクともしねえか。


 俺はカカっと笑い、それから外部スピーカーに自分の言葉を吹き込んでいった。


「やっと来たか? えぇ? ご同類アウトロー?」


 挑発まじりに歓迎の言葉を掛けてやったが、そこそこ撃ち崩された資材の山の向こうからは気配こそすれど、変態野郎が姿を表わすことはなかった。


 まあ、だろうな。ASと生身でやり合おうってんだ、ゲリラ戦でなきゃ勝機はねえだろう。


 とはいえ小賢しさは俺の持ち味でもあるんでな。そもそも、手加減できる相手でもねえし、打てる手はうっておくか。


 俺がもう20ほど若かったら、正面切って戦ってやるのもやぶさかじゃねえがな。今となっては腰も痛けりゃ目も霞む。まったく歳食うてのは、嫌だね。考え方まで卑怯一色になっちまう。


 ストラップでコクピットの天井から垂れ下げられている、メデジン原産の蒸留酒アグアルディエンテがつまったスキットル――じゃなくて、携帯無線機を俺は手にとった。


 狼の頭領エル・ロボに聞かれねえよう、チラッと外部スピーカーがちゃんとOFFになっているか確認してから、無線機の周波数を合わせていった。


「おうロシア人、出番だぜ? せっかく高いカネ払ってんだ、給料分は働きやがれ」


 すると“ポーニョ”なんてロシア語の返しが流れてきた。


 今だにアイツらスペイン語の返しすらできねえのかよ。郷にいってはうんちゃらを知らねえらしいな。


 だがオリンピックの強化選手だったとかで、狙撃の腕だけはピカイチだ。今もスタジアムのどこかで、さっき俺がぶっ放したのと同じ50口径弾を使うどでかいスナイパーライフル片手に、ヒョウのような目しながら狙いを定めているに違いねえのだ。


「仕留めた、って報告がこねえあたり、どうもそっちからは死角臭えな? えぇ?」


肯定だポーニョ。資材の山が邪魔だ』


「そうかい。なら俺が勢子を買ってやるから感謝しやがれ。野郎が障害物を出たところを一撃で仕留めろ」


 どうせ陰気なロシア野郎の答えはいつも同じだ。聞くまでもないと無線を切り、入れ替わるように外部スピーカーをONにしていった。


 こっちが特に命令を飛ばさなくとも、ゆっくり包囲の輪を縮めていく、グラウンドに足をつけて戦ってる部下ども。被害甚大だからそれなりに慎重になってるかと思いきや、あーあー、迂闊に2、3人ほど飛び囲んだかと思いきや、障害物の狭間から銃火炎マズルフラッシュが漏れてくる。


 奴の一見デタラメに見えて、その実おそろしいほど機械的な戦闘スタイルをよく知っている俺は、あの等間隔の2連射ダブルタップは、奴のやり口だとすぐ察しがついていた。


 いやはや、今日だけで奴っこさんに何人が返り討ちになってきたのやら? 銭勘定にうるさい俺の家庭的な面が、補充要員どうしようなんてくだらねえ考えを浮かばせる。


 ロシア人に獲物をゆずる。それが一番確実だとわかっちゃいたが・・・・・・ASの馬力に任せて突っ込むというシンプルな作戦もあった。あるいは、第一撃を避けた時点ですぐさま突撃をかけてりゃ、もうケリはついていたかもしれねえ。


 だが俺は自分が矢面に立つことを躊躇していた。その理由は・・・・・・まあ良いさ。モニターに動きがあったからな。


 芝生の山とフォークリフトのちょうど狭間から、あまり健康そうに見えねえ血塗れの人の部下の首を絞めながら、したやっこさんが堂々と姿を現してきたのだから。


 人間の盾とは、芸風に幅のねえ奴だぜ。だがとりあえず味方が邪魔ってことで、部下どもはすぐにぶっ放したりはしなかった。だから効果的ではあるんだろう。


 いや案外、まだ“箱”とやらを抱えていたらどうしようなんて、せせこましい考えに取り憑かれてるだけかもしれねえが。


 さーて、なんて声を掛けてやるべきかな。悩んでいると、盾にしている男にキチンと自分の頭をかぶせて、万全の狙撃対策をしている狼の頭領エル・ロボの唇がなにやら囁いていた。


 解像度がお世辞にもよろしくないモニターだし、俺は読唇術も使えねえ。画面に目を凝らしてドライアイになるのも馬鹿らしいと、素直に集音マイクを起動させた。


「死にに来たか?」


 笑いながらそう問いかけると、奴はこう言い返してきた。


『俺はただ、帽子を返しにきただけだ』


 なんのこっちゃ?


 頭を悩ます俺に狼の頭領エル・ロボは、いきなり古臭いガリルARMなんてもんを人質の脇の下から、腰だめに構えつつ突き出してきた。


 不思議なのは、奴のライフルに取り付けられたタクティカルライトが光ってることだった。ここは暗いっちゃ暗いが、今は巨大ホロ・スクリーンの明かりがあるってのに。


 ・・・・・・いや待て。


 よく見りゃ、タクティカルライトの生みだす超強力な光芒が、一直線にフロッグマンの方を向いているのに気がついた。そういやタクティカルライトはただの明かり以外にも、簡易照準装置として使うことだってできるって小話、誰かがしてやがったな・・・・・・クソッ!!


 奴のライフルの銃身に取り付けられていた小銃擲弾が放たれた。回避を試みはしたが、まさかあの姿勢から反動極悪な小銃擲弾を、それも腰だめで正確に狙ってくるなんて予想外にすぎて、さっきとは異なり一歩遅れちまった。


 緩い衝撃がコクピットを揺らす。感じからして大した損傷じゃないようだが・・・・・・。


 そもそも小銃擲弾程度の威力じゃ、相手取れるのはせいぜいちょっと硬めなジープが関の山だろう。戦車はおろか、ASにだって歯が立たない筈――まあ、何事も当たりどころ次第だろうが。


 機体の状態を常時表示しているサブモニターが、右腕部の損傷を伝えてきた。いかに低威力たって、ちゃんと成形炸薬弾をつかって関節部に叩き込めば、機体にそれなり以上のダメージ与えられる訳か・・・・・・クソッ、手痛い勉強代だったぜ。


 回避起動をしながら後ずさり、より詳細にダメージをチェックしてみりゃ、あの赤毛娘の姿がASの手の中から忽然と消えていた。


 それで、さっきまで俺が立っていた場所を確認してみりゃ、なんとも麗しい子弟愛だことで。小銃擲弾によって縛めを解かれた物騒なお姫様は、地面へと真っ逆さま。泥だらけの地面へと叩きつけられていた。


 敵に囚われた相棒に引導を渡したってわけじゃねえだろう。なんとも乱暴すぎる救出作戦だぜ。上手くいっても助けられる側は大怪我を免れねえだろうに。実際、泥に突っ伏したまま赤毛娘は身動きすらしていない。ありゃ死んだか?


 意趣返しに小娘を踏んづけに戻るかなんて考えも頭に浮かんだが、けけっ、俺は品位ある男なんでな、やめておいた。


 死んでたらどうでもいい。仮に生きてたら部下どもにでもやって、ガス抜きさせてやるさ。どうせあの小娘にゃ、もう何もできやしない。


「ショウタイム」


 知らず知らず口いつもの癖をつむぎながら俺は、戦いの開幕を心から歓迎していた。




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