第3話 泣いた青鬼 Part5

〈2122年 5月7日 9:41AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約15時間〉

―ソノミ―


 突撃。それは愚かなまでに不格好で、無謀とも思える攻め手。

 しかし全身全霊で解き放つのならば――己が限界を超越した、妙絶なる一撃にもなり得る。

 だから……この居合い切りに、私の全てを賭そう!

 兄様目がけけ、鞘から刀を解き放つ――!


――ギギィィィンっッッッ!!


「くっ!!」


 やはり、そう上手くはいかないか。兄様は私が助走をつけた時点で、何を企んでいるかなどお見通しだったようだ。


「苑巳、刀から君の思いが伝わってくる。君が何を経験し何を会得したのか、そして君がその一刀に賭けた不退転の決意もっ!」


「うっ、クうっ!」


 刀と刀の攻防――鍔迫り合い。私が、押されている……。

 男女の体格の差からして、このような力比べは私に分がない。しかし、それを覆させるだけ修練を積んだはずなのに……届かないのか、私の力は?いや――!


「アあああぁぁぁっーーーーっッッッッッ!!」


 そう簡単に諦めてたまるものか!私は兄様に、一矢報いると誓ったのだ。

 必ず、兄様を超えてみせる!!


――ギンッ


 なんだ、今の音は……!兄様が掛けてくる刀の圧が消えた?

 兄様は後ろへ跳躍して……押し切ったのか?いや……違うな。


「やるね、苑巳。僕を弾き飛ばすなんて」


「いいえ……兄様はまだ、本気をお出しになっていません。そうですよね?」


「……本気、か。どうなんだろうね。ここの所は相手が異能力者ばかりで、単に刀だけで戦うという機会があまりなかった。この力に頼らざるを得ない事の方が多かったからね」


 兄様は自身の腰に括り付けた赤鬼の面をちらとご覧になられた。

 私もそうだ。非異能力者相手ならまだしも、異能力者に手を惜しんでなどいられない。鬼の力の使用を父様は望まれていなかったが……しかし、生き残るためには仕方がなかった。


「ふうっ……」


 ただの一度刀を交わしただけで、こうも腕が震え出すとは。兄様の一刀は、とてつもなく重い。それにまだ、速度を上げての打ち合いは始まっていない。

 この先の攻防に、果たして私はついて行けるのだろうか――いや、それをこなしてこその兄様の妹だ!


「苑巳、いくよっ!」


 今度は兄様も駆け出されている。


「はい、兄様――」


 私も大きく息を吸い込んで――再び、私たちの距離が詰まる――


「「斬るkillッッ!!」」


 肉薄――己の意思が宿った二つの刃が衝突する。


――ギン、ギンッッ!!


 今度は一撃だけの勝負ではない。私の渾身の一刀が跳ね返され、今度は兄様の一閃が私を襲う。しかしそれを寸前で防ぎ、再び私が――

 金属音ギンッ、金属音ガギンッ、金属音ギンッッ、金属音ガギンッッッ!!剣閃が虚空に煌めく。丁々発止の攻防が、止まることなく続いていく。

 なんとかここまでは兄様の攻撃を防ぎ切れている。しかし……私の放つ刃は、どうやら兄様の脅威にはなっていないようだ。


「はあっっ、はぁっ………」


 それに息が上がってきている。身体が、酸素を求めている。

 けれど呼吸をすれば、その致命的な隙に畳みかけられてしまうことは確実。だから反対に兄様から隙を奪おうとするが……そのような小手先の技など通用しない。それどころか、状況が悪化しつつある。


「限界かい、苑巳?」


 兄様はまだ涼しい顔をしておいでで、余裕があるご様子。対して刀に反射して映った私は、疲労で顔が歪ませている。

 このままでは押し切られる――負ける!どうする、どうする……こうなれば!


「ウガアああああァァァーーーーーーっっっっッッッッッ!!」


 荒野を彷徨う獣のように咆哮する。

 かつて本物の武士たちは、戦場で鬨の声というものを叫ぶことがあった。それは一団としての士気を高揚させ、仲間を、そして自らを鼓舞するため。

 けれどそれは――一人であっても構わない。それでも十分に、自分自身を奮い立たせることが出来る!

 刀を握る右手を大きく掲げて、腕の落下の勢いで刀を振り下ろす!


「…ぐっ!!」


 私の刃が何かを斬った。がむしゃらの攻撃で未だ状況が飲み込めてないが……ああっ!

 兄様が左肩を押さえながら、後ろへと下がっていく。勢い余って…兄様のことを斬ってしまったようだ。

 兄様に傷を負わせたくない。だから本当は、直前で刃を止めるつもりであった。それなのに――!


「兄様っ!」


 兄様を追っていくが……兄様は、首を横に振られた。


「何を心配そうな顔をしているんだい、苑巳?これは僕たちがこれまでしてきたような模擬戦ではなく実戦。握るのは竹刀でなく真剣。相手に直接攻撃を加えてはダメなんてルールはない」


「でも兄様、私は……兄様を傷つけたくは――」


「それじゃあ――どうしてここまで来たんだッッ!!」


 兄様の激高に、身体がビクりと反応してしまう。

 どうしてここまで……それは――!


「君は、僕に全てを吐かせるためにここまで来た、違うのかいっ!?それなのに僕は何も答えない。それならば君は、何が何でも僕から真実を語らせようと、なりふりなど構っていられないだろう?傷つけること……躊躇いは、もう捨てたんじゃないのかい!!?」


「っ!!」


 そうだ。兄様の仰る通りだ。私はもう、迷いなど捨てたのだ。この刀を握った時点で、私は一匹の鬼。力加減なんて出来るはずがないのだ。

 例えその相手が――唯一の肉親兄様であったとしても!


「瞳の色が変わったね、苑巳。そう、それでいい……次の一刀に、僕の全てを賭けよう。だから――僕を超えて見せろ、苑巳っ!」


「ええ、兄様。私は……あなたを超えるッ!」


 地面を蹴りとばして、兄様へと向かっていく。

 どうしてだろうか。刀を握ることを楽しいなどと思ったことは一度もないのに、今の私は昂ぶっている。これがどんな結末を迎えようとも、きっと全力を出し切った結果なのだと誇ることが出来るだろう。

 決着までの一瞬が、まるで永劫のように感じる。仕舞い込んでいたものが、記憶の奥底から溢れだしてくる。そして私に、一層の力を与えてくれる――!



 私と兄様は刀と共に育ってきた。御都家は戦国の世から続く武士の家系だ。

 当然のことだが、武士は数百年も前の時点で時代に不適合な存在になった。そのため御都家は数百年前から商いを営むようになり、日本でもそれなりの地位を誇るようになった。

 しかし我らが一族の武士もののふの魂が途絶えたことはない。その受け継がれた魂こそ――この刀に他ならない。


 代々受け継がれた武士もののふとしての誇り。私はそれを父様と…母様から継承したのだ。

 母様は、私が生まれて間もなくして亡くなられた。母様は最期の命の灯火を私に託してくださったのだ。

 だから、私には母様のお姿の記憶というものがない。母様は写真というものを嫌うお人だったようで、そのお姿を探る手立ては何も残されてはいなかったが、父様は私が次第に母様に似てきていると教えてくださった。

 父様は……厳しいお人だった。十歳もいかない私に手をあげることもあった。けれど、父様のあの厳格さのおかげで、今の私はある。こうして、刀を振るうことが出来る。


 けれど父様も、屋敷の使用人たちも――あの日、本物の鬼と化した兄様により殺されたのだ。


 その日は、月に一度兄様が屋敷に帰ってきてくださる日であった。高校の友人たちからの放課後の誘いを断って、私は足早に屋敷へと帰宅した。

 普段通り使用人たちと夕餉の支度をしていると、先に帰って来られたのは父様であった。私が玄関へと出迎えにあがり普段のように言葉を交わした後、父様は書斎へと向かわれた。

 時間になっても、兄様は屋敷にお帰りにならなかった。連絡も取れず、私たちは父様の決定で先に食事を取ることとなった。

 その時の食事のこと喉を通らなかった。兄様に会えないことのショックが、私の心の大部分を占拠していたから。


 それから皿洗いをすませ、自室に戻ろうとした時――遠くの方で男の悲鳴が上がった。知らない声ではなかった。それは、ほんの数時間前、私が帰宅した時に言葉を交わした門番の声であった。

 私は急ぎ父様の書斎へと向かい、父様の判断を仰いだ。父様は私に、屋敷をから抜け出して、裏道から出来るだけ遠くへ逃げるようにと命じられた。私はその言いつけに従い、着の身着のままで駆け出した。


 しかし私は気がかりであった。どうして門番は、悲鳴をあげたのだろうか?もしかして何者かが門番を襲ったのではないか?それなら使用人たちは無事なのだろうか?父様は今どうされているのだろうか?兄様もタイミング悪く帰宅されてはおられないだろうか?

 もしもあの時、引き返さないという選択をしていたなら――私はきっと、今とは別な人生を歩んでいたことだろう。


 踵を返し、私は屋敷へと戻った。そして裏口で目撃したのは――腹部を刀剣の類いで貫かれた使用人の一人であった。赤い海、血溜まりを作りながら、使用人は私に「逃げてください、苑巳様」と……。最期の声は、あまりにも悲痛で未だ忘れることなど出来ていない。

 素直に使用人の最期の言葉に従う?そんなこと、出来るはずがなかった。どうして使用人がこんなに酷い目に遭わなければならなかったのか?一体だれがこんなことをしでかしたのか?確かに嫌な予感もしていた。けれど私は、その全てを確かめるために屋敷を進んで行った。


 とは言えその犯人が何らかの武器を持っている以上、徒手空拳は危険過ぎる。私はひっそりと自室に戻り、刀を握りしめた。そして真っ先に向かったのは、父様の書斎であった。

 しかし、書斎に父様はおられなかった。そこに見つけたのは――夥しい程の血痕と、血で刀身が染まった父様の愛刀。そしてぽつりぽつりと、血痕はどこかへと続いていた。この屋敷を襲撃した犯人のもの、もしくは……ありえないとは思うが父様のもの。私はその血痕を辿っていくことにした。


 その道中、私は何度も気が狂いそうになった。殺された使用人は、最初の一人ではなかった。何人も何人も、その犯人の手によって無残にも命を奪われていた。

 いったいその犯人は何者なのか。私は道すがら思考を巡らした。使用人たちも御都家に仕えるだけのことはあって、選りすぐりの人材。武術に長ける者もそれなりにいた。けれども使用人たちの亡骸を見る限り、彼らは強烈な一撃で葬られてしまった様子。


 もしもあの血が悪党の者ではなく、父様の血であったら――果たして私が犯人の元へと辿り着いたところで、そいつを成敗できるのか?そんな問いが頭に浮かんだ頃には、私は父様と――兄様へ追いついてしまっていた。

 そこは父様から刀の基礎を教わり、何度も兄様と模擬戦を行った思い出深い場所――道場。普段は門下生たちが通ってきて、活気がある場所だった。けれどその時は、森閑としていた。

 道場に入り私が目にしたのは――大量の血を流しながら壁に寄りかかる父様と、血の滴る刀を握りしめた兄様であった。私が辿り着いた頃には、父様はもう限界を迎えられていて――最期の瞬間、兄様の名を愛おしそうに呼ばれたのであった。


 私はその場に崩れ落ちた。目の前で起きたことを私は理解出来なかった。

 父様が死んだ。あの厳格で偉大な父様が。いや父様だけではない。屋敷の使用人たちも、皆殺害された。そしてその犯人は――兄様。

 頭が混沌として、私は精神が崩壊した。絶望が私を支配して、身体を動かすことさえ出来ない。

 そして気が付いた時、私の目の前に――兄様が来ていた。そして刀を振り上げて――今まさに、致命の一刀が私目掛けて放たれようとしていた。

 その時の兄様は、鬼化はなくとも本物の鬼と化していた。兄様の衣服は返り血で深紅へと染まり、刀身は払えきれないほどの粘着質の血がこびりついていた。纏うオーラは剣呑そのもので、私は腰を抜かす程に兄様を恐れた。

 私は諦めた。きっとここで私は死ぬのだと。

 どうしてこんなことになってしまったのか?その理由を知ることなく私は死ぬ。そう、受け容れようとしていた――


 けれど私は生かされた。ふと見上げると、兄様の刀が小刻みに震えだしていた。それから間もなくして兄様は刀をお納めになって、道場の出口へと向かわれた。

 私はなんとか恐怖を押し殺し、兄様の名を叫んだ。けれど兄様は、振り返ることなくその場を去って行ってしまわれた。


 警察が駆けつけるまでの間、私は冷たくなった父様を抱きかかえながら、ひたすら涙を流しだ。どれだけ流しても、涙は尽きることはなかった。

 警官に身元を確かめられ、私が知る限りの状況を説明して……犯人の特徴について訊ねられた。私はその犯人の特徴はおろか、それが誰なのかも知っていた。けれど、私は……その名を口にするなんて出来なかった。例えそれが事件を迷宮入りさせるような結末を導いても――唯一の肉親となった兄様まで失いたくはなかったから。

 屋敷は黄色いテープが至る所に張り巡らされ、多くの警官によって囲まれた。そして私は、帰る場所をなくしてしまった。警察は親戚に私を引き取ってもらうようにと手配をしてくれたが――私は首を横に振った。

 私にとって家と呼べる場所はあの屋敷のみ。だから親戚とはいえ、他人の家に厄介になるつもりはない。皆と暮らしていたあの屋敷こそが、私の唯一の居場所だった。だから私は別の当てがあるなんて法螺を吹いて、屋敷を去って行った。


 裏道を進んでいった先、小さな公園があった。私は月明かりに照らされながら、ブランコに座って星空を仰いだ。ただぼんやりとしていた。何もかもが霞んで見えた。聞こえる音ははっきりしない。匂いは一切感じない。私はもう――何もしたくない。空虚が私を飲み込んでいった。

 私はふと、将来のことを思い描いていた。高校を卒業したら、父様の仕事の手伝いをしようとしていた。それからいつかは御都家を出て、別の姓を名乗ることになって、新しい家族を設けて。けれどそれはもう――手に入れることは出来ない、ただの幻想へと成り下がっていた。


 父様を失って、兄様も何処かに行かれて、私に残されたものは何なのだろうか?先祖代々が築き上げてきた富?そんなものに縋り付く気など、毛頭なかった。私が真っ先に思い浮かんだのは――刀。それこそ私の生き方であり、御都家の魂そのもの。

 涙はいつの間にか涸れていた。心は無だが、私の魂の炎は燃え始めていた。そしてそこに注がれていく、やりきれない悔しさ、無念、絶望という名の油。炎はさらに激しくなっていく。

 私は月へと誓った。もう一度兄様に会おうと。そして兄様からあの日の真実を聞き出して、再び家族として暮らす。そのためなら私は――残酷非道な鬼にもなってみせると。


 そうして私は日の光に照らされた、明るい世界に生きることを止めた。兄様の情報を得るためには、そうするしかない。真っ当な方法で手に入れたることが出来た情報程度では、兄様の輪郭すら描いてはくれなかったから。

 裏の世界に入ってから、私は何度も困難に直面した。任せられる仕事は汚れたものばかり。正義なんてものはない、私利私欲だけが絶対の秩序。

 私の手は次第に穢れていった。けれどそれと同じくして、私は気が付けば日本を離れ、海外でまで仕事をこなすようになっていた。


 そして私が出会ったラウゼ・エルキンという男。あいつは私の腕を見込んで、私をPeaceP&&LibertyLなんて組織へ招いてくれた。

 正直、所属なんてものはどうでも良かった。何処に所属しようが、そこは仮の居場所。いずれ私はそこを離れる。だから付き合いなんて表面上だけで良い、そのはずだったんだがな……。あいつらへの背徳感に苛まれながら、それでも私は兄様の情報を集め続けた。


 これまでの私の人生は、全てあの日の真実を知るための。血を浴びて、血を流して。それでも私はここまで生き抜いてきた。


 だから――この瞬間こそ、私の有終の美とならんことを――



「ウガアアぁぁぁァァァァァァァっっっッッッッ!!」

「はああぁぁぁぁぁァァァっっっッッッッ!!」


 私と兄様の刃が交差し――刃鳴りはしなかった。

 けれどこれで、決着がついた。


「はあっ、はあっ、はあっ……」

「はあっ、はあ……」


 勝ったのは――私であった。


※※※※※

小話 小話 流魂の記憶の中のソノミPart2


流魂:そう言えば、苑巳が小学生の頃熱を出したことがあったね


ソノミ:まだお続けになるのですか、この昔話?


流魂:父様は仕事を抜け出すことが出来ない。屋敷のみんなも、使用人という立場を公にすることが出来ない。そこで兄の僕に白羽の矢が立って、苑巳を迎えにいくことになったね


ソノミ:その節は非常に感謝しています


流魂:保健室に入ったら苑巳ったら「私は大丈夫です」なんて真っ赤の顔をして言い出して。保健室の先生も唖然としていたね。いやぁ、懐かしいな。病気の妹を迎えに学校を早退したっていうのに、あの一見以降友人たちから“シスコン”なんてレッテルを貼られて


ソノミ:流魂兄様――違うのですか?


流魂:えっ?


ソノミ:えっ?

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