第3話 泣いた青鬼 Part1
〈2122年 5月7日 7:19AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約17時間〉
―グラウ―
「……ラウ!」
「…うっ………」
俺は……いったい、何をして――
「グラウ、グラウっ!!」
俺の名を何度も繰り返す、鼓膜を慰撫するような優しい声。鼻腔を蕩かす、仄かな甘い香り。
後頭部は何か柔らかいものの上に置かれていて……ぼやけた視界に映ったのは――太陽が翳ったかのように、その完璧なまでに整った美しい顔を不安いっぱいに染め上げたネルケ。
俺は……そうだ!俺は、ソノミを――!
「ソノミっっ!!」
「きゃっ!?」
勢いよく身体を起こして、辺りを見渡す。
いない、いないっ!ソノミが、何処にも!!
ということは、俺は――彼女を、止められなかったということなのか……?
「ちょっと、グラウ!酷くないかしら?」
「ネルケ……ぅん?」
ダメだ。今の状況が掴めない。どうしてネルケがここに?小屋の方で寝ていたんじゃなかったのか?
いや、そんなことよりも――!
「ネルケっ!ソノミは……ソノミはどうしたっ!?」
俺はネルケの肩を掴み激しく揺らす。
それから少しして気が付いた。ネルケが、ずっと辛そうな表情をしていたことを。そしてネルケの瞳に映る俺は、酷く血相を変えて冷静さを欠いてしまっていたことを。
「わっ、悪い……いきなりあんたを突き飛ばしてしまって。それと、肩をきつく掴んでしまって」
「いいのよ、グラウ。あなたが今取り乱したのは、ソノミをとても大切に思ってのことだってことぐらい理解しているわ」
ネルケは俺のことを一切咎めることなどしなかった――優しいんだな、あんたも。
だが、未だに状況が把握出来てはいない。俺が眠りについてしまった間にいったい何があった?
「落ち着いて聞いてね、グラウ。わたしが目覚めたのは7時頃。その時既に、わたしの隣からソノミはいなくなっていた。それで、何かあったのかと思って拝殿の方に来てみたら……あなたが参道に倒れていた」
「ああ。何処かへと向かおうとしていたソノミをなんとか止めようと思ったんだが、睡眠や……眠気にやられてしまった」
「食事の後に猛烈に眠くなったのには、何か理由があるのね。でも今は不問にしておきましょう。それで、真っ先にあなたのことを揺さぶったのよ?それでも起きてくれなくて、そんなことをしていたらゼンくんの方が先に起きてきた。それで、ゼンくんに頼んで神社の周辺にソノミがいないか見に行ってもらっているの」
「今は?」
「あれから20分くらい経ったかしらね」
「それじゃあ、ソノミがいなくなってから既に一時間以上経過していることになるな」
これだけ時間過ぎてしまっては、ゼンがソノミを見つけて連れて帰って来てくれる可能性は低いか。
くそ……俺のミスだ。あの時、力尽くでもソノミをとめられていたら……。
膝から崩れ落ちて、石の参道に浮かび上がって見えたのは――ソノミとの記憶たち。
出会いは、もう2年前のこと。あの時ソノミはまだ17歳。今よりずっとあどけない顔つきをしていて……より無愛想な少女であった。
まともに口を利いてくれるまでは数ヶ月かかった。たぶん彼女がその心を開いてくれたのは、あの任務の時であったか。
某国に拠点を置いていた犯罪者グループ。そのアジトの壊滅。なんてことはない任務、そのはずだった。
しかし――予期せぬ出来事なんて、そういう油断をした時に起こるもの。異能力者は誰一人いないと高を括っていた俺らの前に、なんと4人もの異能力者が立ち塞がった。
思えば奇跡のようだ。こちらは2人、あちらは異能力者4人に加え非異能力者数名。そんな所から無事に生還出来たのは――やはり、ソノミの強さがあってのことだった。
窮地を共に脱した仲。そのことがソノミと俺との距離を近づけてくれた――そう、思っていたのだがな……。ソノミは俺のことを、そんな風に親しいとは思ってくれてはいなかったのだろうな。
「グラウ……気を確かに持って」
優しい風が頬を撫でて――ネルケが、俺のことをそっと抱きしめてきた。
俺が忸怩の海へと溺れぬよう、彼女が背中をぽんぽんと優しく叩いてくる。
ああ――落ち着くものだな。いや、幸甚だと言うべきか。こうして抱擁してくれているのが、あの
「――お熱い抱擁ごちそう様で~~すっ!」
「っゼン!?ねっ、ネルケ!大分落ち着きを取り戻した!だから、離れてくれっ!!」
そうだ!ネルケと俺は、お互いの温もりを分かち合うほどの親密な関係じゃない!!俺なんかが、ネルケに抱きしめられるなんていう“男にとって至高”ともいえるような行為をされていいはずがない!!
「むぅ~~っ!!せっかく自然な感じにハグが出来たのに!いやよ、離さないわっ!!」
ネルケが何かよくわからないことを言っているが、構わず彼女を引き剥が――くっ!?背中に回ったネルケの両腕の拘束が強くて、思い通りにいってはくれない。か細い腕だというのに、本当にどこにそんな力があるという?
ああ、ゼンが俺たちに向ける視線が突き刺さる。「爆発しろ、バカップル!」とでも言いたげな表情だが、先輩、結構ピンチなんだからな!?
「はぁっ、はぁっ……」
ようやくネルケの束縛から逃れることが出来た。これでも俺、腕力は結構あるほうだと思うんだが、それを上回ってくるとは……ネルケには何度も驚かされる。
「どうしてそんなに息が上がっているの、グラウ?」
「いったい誰のせいだと思っている!ったく………」
かれこれ数分は熱い抱擁をされていたか。でも――なんとか、精神的に持ち直すことが出来たような気がする。
「ゼン、ソノミは見つかったか?」
「切り替え早いっすね、グラウ先輩。そうっすね、ご覧の有様ですよ」
ゼンはやれやれといった身振りをして……そうだよな。彼女を連れて帰ってきていない時点で、聞くまでもなかったのかもしれない。
「グラウ先輩。一ついいっすか?結局ソノミ先輩、何があったんですか?」
「わからない。ただ明らかなのは、ソノミは……一人で全てを背負い込んで、俺たちの元を去って行ったということだけだ」
ふと、ソノミの最後の表情を思い出した。とても辛そうで、悲痛で――話して欲しかった、その理由を。
「ネルケ、ゼン。すまない……『ソノミのことは俺に任せろ』なんて言ったのに、こんな結末になってしまって」
「それはグラウ先輩の責任じゃないっすよ」
「そうよ!わたしたちは、これからどうするかを考えないと。グラウ、でもそれは――もう、決まっているわよね?」
ああ、そうだ。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。今すべきことは――
「ああ!ソノミを、連れ戻す。何としてでもだ!!」
「そうよね!ソノミみたいな可愛い子、放っておくわけにはいかないわよね!!」
「まっ、当然っすよね。ソノミ先輩なしじゃ、締まりないっすもんね!」
二人とも……ありがたいな。気持ちは同じか。
ソノミが何と思おうが、彼女は俺たちにとって必要な存在だ。彼女がいなければ、俺たちは当初の目的である星片の奪取すら厳しい。しかし、そんなことは些末な理由でしかない。
もう二度と……大切な人を目の前で失いたくはない。
これから先の考えはもうまとまっている。それは――
「ソノミの元へは、俺が一人で行く」
「「!?」」
2人とも度肝を抜かれた様に絶句――無理もない、か。3人で向かうというのが、自然な運びだ。
「理由、教えてくれる?」
「俺たちは、あくまで星片の奪取のために
「そうね。全員やられてしまっては困るから、だから戦力を分散しておくのは理解出来なくもないわ。でも……それならば、グラウじゃなくても構わないわよね?ゼンくんの方が、異能力者が跋扈するこの戦場でソノミを探し出すのに適任じゃないかしら?」
確かに、ゼンの異能力の性質を鑑みれば、ネルケの言う通りなのかも知れない。ゼンが透明化を行使し続ける限り、彼は誰にも見つかることはない。しかし――
「あいつは……頑固だ。説得するのは、俺が一番向いている」
「……ふっ、確かにそうっすね。オレがとやかく言ったところで、ソノミ先輩は聞く耳を持たなそうっすもんね」
否定したいところが……その通りだ。ゼンではソノミと言い争いになるという顛末が容易に想像出来てしまう。
「それじゃあ、わたしが行くっていうのはどうなの?」
「ネルケが?」
「ええ。同性だから、話しやすいって面もあるはずよ」
「うむ……………」
ネルケが、か。あの無愛想なソノミとほんの数時間で打ち解けた彼女なら、もしかしたら上手くいくかもしれない。でも――
「これは半分のわがままなんだがな……ソノミの一番の理解者は俺だ。だから、俺が一番適任。そう思っている」
詭弁だ。ただ、こじつけの理論に過ぎない。
それでも――俺がソノミの元へ向かって、連れ戻してやりたいんだ!
「……わかったわ」
「ネルケ……!」
すっ、とネルケが俺へと近寄って、両手を握ってきた。
「あなたへのわたしの好意、利用させてあげる」
「待て、今回はそうは考えてないっ!」
「でも、結果としてそうなるでしょ?」
「……まぁ、そうだな」
「ええ、そうでしょ?でも、それをするのは高くつくわ。先払いと後払い、どっちがいい?」
目の前のアメジスト色のまっすぐな瞳に、ついつい心臓が高鳴る。ネルケは一連の仕草を、狙っているのかそれとも天然でやっているのか。どちらにせよ、そんな彼女に困らせられていることだけは確かだ。
何も対価を支払わずに俺の言うことを聞いてはくれない、か。ならば、仕方ないか。
「後払いだ。時間が惜しい」
「ええ、そうね。いい、グラウ。ちゃんとソノミを連れて帰ってくること!そうしたら、たっぷりあなたに支払ってもらうから。利子も上乗せにしてね!」
ネルケはにこぉっとしながら、しかし握る力を段々と強めていって――「もしも支払わなかったら、どうなるかわかるわよね?」という無言の圧力を感じる。はぁ……。
「高利は止めてくれよ?」
「うふふ、それを決めるのはわたしの方よ?」
不敵な笑みを浮かべるネルケに、幾ばくかの恐怖を覚える。いったい俺は、彼女に何をされるのだろうか?覚悟をしておかねばならな――
「ほんと!いちゃいちゃいちゃいちゃ……マジで爆発してくれませんかね、アンタらっ!!」
「ああ、悪い、ゼン……」
やはり爆発しろと思っていたのか――なんてことを思うのは、自然なことなのかもしれない。俺たちは恋人でも夫婦でもない。それなのに人の目のあるなかでキスやらハグやら……白い目を向けられても、文句は言えないのかもしれない。
しかし!断じて俺には何の責任もない。悪いのは、全てそれを仕掛けてきたネルケの方だ!!
「でも、そもそもグラウ先輩。いったいどうやってこの結界の中からソノミ先輩を見つけ出すっていうんですか?やっぱり手分けとかした方がいいんじゃないっすか?」
「いや、それなら――」
ソノミの現在いる場所ならば……これでわかる。
「スマホですか?」
地図アプリを操作して――結界の皮膜により衛星からの情報を受信出来ないため、当然GPS機能は使えない。
なのだが……流石は
「これ、まさかソノミ先輩の現在位置っすか!?」
ゼンが横から画面を覗き込んできていた。その通りだ。
「ラウゼは耳に入れた通信機に仕掛けを施しておいたそうで、これは毎分特殊な電波を発信するそうだ。その電波っていうのは、なんだか知らないが皮膜へと反射し、そして俺のスマートフォンへとキャッチされるという仕組みだと聞いた。本来の用途は、よく行方を眩ませる透明人間の足取りを掴むためのものだったが……まさか、こんなところで役に立つとは思わなかったな」
その本人は、事実を告げられて「うげっ」と声を漏らしたが――実際、こうでもしなければ透明人間の行方など知り得ないわけで。
「ソノミ、南西に向かっているみたいね。確かそこって……毘沙門の本陣があるところよね?」
「ああ、そうだな……いったい何を目的にしているのかはわからないが、彼女は用心深い性格だ。敵に見つかるような大胆な行動は避けると思うが……」
しかし何処に敵が潜んでいるのかが未知数なのが戦場。暢気なことは言っていられない。ソノミは異能力者であるとはいえ、一人の少女に過ぎない。もしも毘沙門の本陣などという敵の巣窟に乗り込もうとしているなら――無謀が過ぎる。
何としてでも、ソノミを連れ戻さなければならない。
「それじゃあ俺は行く。ネルケ、ゼン。帰ってくるまで、この場所でじっ待っていてくれ」
「ええ。2人の無事の帰還、心から祈っているわ!」
「頑張ってくださいね、グラウ先輩。オレ、じっとしていますんで!!」
なんだかゼンがやけに素直で……逆に怪しく思うが、今はソノミのことを最優先にしなければいけない。
ソノミ……かけがえのない俺の後輩の一人。絶対に、彼女のことは俺が守る。
だから――どうか無事でいてくれよ、ソノミ!
※※※※※
小話 グラウくんが出発するまでのもう少し
ネルケ:ハンカチは持った?あとテイッシュも鼻をかむ時に必要よね。飲み物は……あれを持っているから大丈夫か。それと――
グラウ:いきなりどうした?あんた、まるで子供が遠足に送る前の親みたいだな
ネルケ:だって大切なグラウが、一人で戦場を横切ってソノミの所まで行くのよ?不安にならないなんて無理よ!
グラウ:まぁ、俺のことを思ってくれるのはありがたいんだが……心配しないでくれ。戦場の渡り方は心得ているつもりだ
ネルケ:そうなの?ならば、ツケにしておいてあげるけれど……。ところで、グラウって、もしかして先輩を風吹かせたいタイプなの?
グラウ:(ぎくっ!)そっ、そんなことはないっ!別に、先輩であることとか、年上であることなど、鼻にかけてなどいないっ!
ネルケ:怪しいわね……
ゼン:(答えは明らかなんすけどねぇ……まっ、グラウ先輩に怒られるのも嫌だし、黙っておこっと)
グラウ:げふんっ!えっと、前回も小話をやらなかったが、これから先は小話をやる機会が減るかもしれない。なんせ、俺とネルケとソノミというメンバーが揃わないと、解説やら寸劇なんてやれたものじゃないからな
ネルケ:ええ。ソノミと揃って小話をまたやるの、楽しみにしているわ!だから、グラウ。よろしく頼むわよ!!
グラウ:ああ――任せておけ!
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